e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

伏見稲荷大社・初午大祭

2月16

hatuuma 伏見稲荷大社の誕生日ともう言うべき初午の日。今年は祝日とも重なり、大変賑わっていました。
奥の院から稲荷山に入り、中腹の休憩スポット・四ツ辻までの細い山道では、時折行き交うのが困難になるほど。
初午のお参りは、平安時代から既に人気だったようで、かの有名な清少納言も初午の日の暁から稲荷山に登り、その道中の大変さに「泣きそう」と枕草子にもらしたと聞きます。
生まれてはいつの間にか消えていくのが流行の常なのに、ご鎮座から1300年もの月月を経た現在でも、日本のみならず海外からの参拝客も増えているという、お稲荷さんの求心力、恐るべし!
もとい、稲荷山の周辺は渡来系豪族の秦氏が住んでいたので、境内に多言語が飛び交っている様子は、もしかしたら創建当初もそうだったのかもしれません。
ひな壇の様に飾られた色とりどりのお供え物もぎっしり。
本殿や摂末社には、稲荷山の杉と椎の枝で作られた“青山飾り”が青々と輝いて、清々しい華やかさを添えていました。

須賀神社の懸想文売り

2月3

kesou 節分ムードで賑わう新熊野神社聖護院にほど近い須賀神社で、「縁結びの文」を求めました。
この神社では鬼では無く、文を結んだ梅の枝を持った「懸想文売り」が現れます。
懸想文売りさんのお話によると、江戸時代に貴族が恋文を代筆して売り歩き、収入としていたとのこと。
いわゆるラブレター代筆のアルバイトなのだそうです。
なるほど、烏帽子に水干姿で、顔がささない様に覆面をするという奇妙な出で立ちにも納得。
今ほど識字率の高くない時代では、文字が描けない人が想いを伝えるために、あるいは教養のある気の利いた表現でアピールする為に、この様なサービスに需要があった事でしょう。
授与された懸想文についていた解説によると、恋文とは限らず、縁談や商売繁盛等の人々の欲望を叶える符札なのだとか。
この文を、人に知られないように鏡台や箪笥、クローゼットの引き出しに入れておくと、顔かたちが良くなり、着物が増え、良縁に恵まれるのだそうです。
綺麗でおしゃれ、その上モテるとは、女子たちの欲望を心得た嬉しい御利益ですね。
以前、ある人の講演会が終わった後で、聴講していた参加者が想いを届ける為に講演者に手渡していた手紙が、この懸想文に似た結び方だった事を思い出しました。
受け取った人は、その結ばれた文に感心されていました。もしかしたら、色紙とペンを渡されるよりも深く心に残ったかも…?
この京の風俗行事は、明治維新以降には見られなくなったそうですが、きゅっと結んだ文をバレンタインチョコに添えてみるのも風流かもしれません。

近又の料理教室

1月27

kin 料理好き男子に誘われ、「近又」さんの「ミニ料理教室」に参加してきました。
こちらは、ご主人の語りに耳を傾けながら、頂いたテキストにメモを取って調理のコツを学ぶスタイルです。包丁を持たず、エプロンも不要です。
料理テキストを開くと、京懐石の献立が先付から水物までフルコースで書かれており、なんと半分以上の調理風景を目の前で見せてもらう事ができ、最後はお座敷で実食できるのです。
鮟鱇の肝や鴨ロースの下処理、彩りとして添える小さな青菜類など、懐石料理というものがいかに手間暇かけて丁寧に作られているのかがよく分かります。
食材の甘さや色の鮮やかさ、切り口の繊維の美しさ、表面の照り。それぞれに理由があり、美味しいからといって勢いに任せてバクバク食べてしまっては勿体無い、ゆっくり味わって食べなければ、と自然に思うようになるはず。
参加者は近畿一円や関東からのマダムのリピーターが多く、食べる事も作る事も好きな方ばかり。帰りに近くの錦市場で食材を買い、早速家で実践される事も多いのだとか。
「懐石なんか、家庭で作るかしら?」と構える事無かれ。食材の切れ端の活用法や、他の食材を炊いたり継ぎ足したりして繰り返し使える煮汁のレシピなど、「家で和食を作って欲しい」と願うご主人の語り口からは、家の台所でも活かせそうなお話も色々と出てきます。
まずは、からりと揚がる天ぷらの衣作りからチャレンジしてみたいと思いました。
実際に近又の料理場で料理人から学べる「京懐石の料理実習」の方も盛況で2月分は満席ですが、それ以降の「ミニ料理教室」や6月の「料理実習」はまだ席に余裕があるそうです。

「わら天神」と六勝稲荷神社

1月6

wara お正月の三が日を過ぎると、各神社の熱気も少し落ち着いて、程良い賑わいとなりました。
昨年結婚した身内におめでたの朗報があったので、今年の初詣は「わら天神」と呼んで親しまれている敷地神社にもお参りする事になりました。
まだ雪の残る境内はしんと静まり返っていますが、不思議と参拝者が絶える事はありません。
ご祈祷中も、静かに鈴や柏手を打つ音や、本殿の周りを巡る足音が聞こえてきます。
祝詞をあげてもらうこと数十分、「おめでとうございます」とのお言葉と共に、安産祈願の腹帯や産着などを頂きました。
報告を兼ねた親族へのお土産に、斜め向かいにある笹屋守栄で買った、わら天神宮の名物「うぶ餅」。
見た目はきな粉を纏ったわらび餅の様ですが、そのやわやわとした感触は、これから生まれて来る赤ちゃんの柔らかさを連想させるかもしれません。
ちなみに、わら天神宮は「十六社朱印めぐり」の一つで、摂社の六勝稲荷神社は受験生達からの信仰を集めているといい、「六(む)つかしいことに勝つ」という語呂合わせはさることながら、「伊勢・石清水・賀茂・松尾・稲荷・春日」の六柱神を祀っているそうで、なんだかお得な気分ではありませんか?
お宮参りに受験など、子供の成長を祈り、見守るという風習や人生のイベントは、自分が辿って来た道を、今度は違う立ち位置から思い返すきっかけにもなる気がします。
親も子も、おじいちゃんもおばあちゃんも健やかに、この一年を過ごしていきましょう。

何を変え、何を残すか

12月24

inari 2014年7月に世界で最も影響力のある旅行雑誌「トラベル・アンド・レジャー」において、「世界で最も行きたい都市、憧れの都市」として「ワールドベストシティランキング1位」に選出され、そして2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けて、外国人観光客の更なる増加が見込まれる日本の古都・京都。
京都には、既存の観光地をより外国人観光客に利用しやすい様に整備する動きや、既にある観光資源を活かして新たな価値を創出する動きが出てきています。
例えば、旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」による外国人観光客に人気の日本の観光スポットで2013年度の1位になった伏見稲荷大社では、駅から社へ多言語が行き交う道中に、いつの間にか手荷物預かり所(おそらく英語対応可?)ができていて、近くのカフェで寛いでいると、海外から京都に来た旅行者に、英語で道案内をするボランティア「あっちこっちプロジェクト」の一員だという人とも出会いました。
また、戦後まで琵琶湖疏水の大津市~京都市間を往来した通船を観光用に復活させるという構想がとうとう、2015年3月下旬から試験運航を実施する段階に入りました。
試験運航は京都市民や観光客から参加者を募って5月の大型連休頃まで行われ、採算性等を見極めた後で本格実施に入るそうです。
いずれも、先人達が京に残してきた遺産が確固たる地盤となっていて、そういう観光資源がコンパクトに集約された京都という街は、本当に恵まれた都市だと言えます。
「おもてなし」という言葉を聞くと、つい至れり尽くせりのサービスを提供することだと勘違いとしてしまいそうですが、これから大切なのは「何を改良し、何をそのまま残すか」。
そのさじ加減ではないでしょうか。その為には、日本人が自国についての理解を深める必要があると思います。

お火焚き祭

11月20

ohitaki 前週末、稲荷山への月参りでいつも立ち寄っている薬力さん(薬力大神)に、黒山の人だかり。
その日は薬力さん、隣のおせきさん(おせき大神)のお火焚き祭だったようです。

昔は、主に火を扱うお商売をやっている家々でされていたというお火焚きですが、今では各地の神社で観られるだけになってきました。
共に小さな祠ながら、普段からたくさんのお供えがありましたが、細い参道や茶店いっぱいの人の多さから、今でも多くの人々の信仰を集めている事が伺えました。
配られた祝詞を詠み、護摩木を火にくべ、お下がりに赤飯やおこし、お火焚き饅頭にみかんを頂き、最後に残り火で無病息災の焼きみかんをさせて頂き、なんだか得した気分に。

以前から、この焼いたみかんはどんな味がするのだろう…と密かに想像を巡らせていましたが、味は普通のみかんでした!

宇治茶のテーマパーク

10月7

ujicha 

80年以上行われてきたという「宇治茶まつり」。午前中は宇治茶を育んできた自然や茶祖、茶筅に感謝を捧げる厳かな儀式で幕を開けます。
「茶壺口切り式」では、茶壺の中で大切に熟成されていたお茶の封印が解かれ、宇治川の水と合わせて茶祖に供えられました。
儀式の後は、塔の島を中心とした一帯は宇治茶のテーマパークに!
今年は京都文教大学の学生が主催する「親子で楽しむ宇治茶の日」が同時開催された事もあって、気まぐれな雨にも負けずたくさんの親子連れが、京田辺市や木津川市等の宇治茶産地のお茶を楽しんだりしていて、スタンプラリーの景品交換所には長い傘の列ができていました。
茶券(茶席が混んでいる場合は、お菓子だけ持ち帰ることも可)を片手に訪れた宇治市観光センターのセルフサービスの緑茶でさえも一定のクオリティを感じるところは、さすが京の茶どころ。
点心席として訪れた宇治茶道場「匠の館」で出されたお茶も、甘みがあってとても美味しく、思わずお代わりするほど。
あちこち巡っている間に、落成式を終えたばかりの平等院鳳凰堂を拝観する時間が無くなってしまったので、次回のお楽しみとしました。

島原文化の灯

9月16

wa  京の花街・島原で現在もお茶屋営業を続けている「輪違屋」が、10年ぶりに公開されています。
6名が所属しているという太夫さんは、今でこそマンションから派遣されて来るそうですが、かつては置屋として輪違屋の中で共同生活をされており、その部屋は非公開の3階部分にも残っているようです。
10年前の初公開時に訪れた時には、その豪華な打掛や太夫そのもの神秘性の方に関心がありましたが、その後様々な機会に太夫道中や舞を観るに従って、観光イベントだけでは伺い知れない奥深さにも触れてみたいと感じて来ました。
それだけに、輪違屋に跡取りがいないという事がとても気掛かりです。
京都市の指定・登録文化財としての建物自体は残されたとしても、他の花街とも違う、島原独自の文化は、今後どの様に守られていくのでしょうか。
資金が必須とはいえども、お金だけでは文化芸能の継承にはなれず、主客双方の文化レベルも維持していかなければいけません。
同じく付近で特別公開していた角屋は、「京の夏の旅」としての公開時には二階座敷と美術館は拝観できませんでしたが、15日より通常公開に戻っているので、二階座敷を予約して、輪違屋と共に観賞する絶好の機会です。
来月には「角屋の文化講座」や「太夫の舞 鑑賞会」も予定されています。

プロジェクションマッピング・二条城

8月4

nijo   祇園祭五山の送り火との間に新たな夏の風物詩とした登場した「京の七夕」(11日まで開催中)も、今年で4回目を迎えました。
最初の日曜日は生憎の雨にも関わらず、たくさんの浴衣姿と傘の花が堀川会場を彩っていました。
堀川の東側にある京都国際ホテル内の屋台村では、ハワイアン生演奏とフラダンスの舞台を楽しみながら、冷房の利いたテーブル席で食事ができるので、家族連れには堀川会場がお奨めかもしれません。
一方、堀川の西側で夜間に一部開放されている二条城では、二の丸御殿の形状に合わせてプログラミングした映像を投影するプロジェクションマッピング「荘厳なるあかり」が行なわれています。
城内に反響する音楽に合わせて、まるで車寄が動いているかの様に見えたり、壁面に花火や紅葉が散ったり、文字が浮かんだりする度にさざ波の様な歓声が挙がります。
国宝である建築物の、豪華な欄間彫刻を活かした投影によって浮かび上がらせる事で、その対象となる建物や事物に新たな価値を生み出し、保存継承に繋げていく事がこの「プロジェクションマッピング」という最先端技術の役割なのだろうと理解しました。
期間中、夜間の二条城は無料で入城できるので、代わりに一口募金(200円毎に記念カンバッチ進呈)をしてきました。
いち早く動画でご紹介したいところですが、皆さんには是非現地に足を運んで生の迫力を楽しんで頂きたいので、公開はまた後日に。

禊の社

7月28

mitarasi 土用の丑の日を目前に控えた夏の日。賑やかな下鴨神社の駐車場を眺めながら「京都っ子は御手洗祭が好きやなあ。」と思いつつ、やっぱり自分の足も御手洗池に向かっていました。
夜は長~い行列ができますが、お昼時は並ぶ事もありませんでした。
下鴨神社の井上社(御手洗社)は、葵祭で斎王・斎王代が禊祓をする事で「禊の社」として知られていますが、かつてはこの社の前身とも言える「唐崎社」があり、平安時代に葵祭の斎王が祭の後で斎戒を解くためにお参りしていたそうです。
1470年の文明の乱の兵火によって焼失してしまいましたが、御手洗社へ合祀されるまでは、葵祭等の官祭では唐崎社、下鴨神社独自の祭の時には御手洗社で斎戒の解除の為の神事が行われていたそうです。
井上社と同じく水の女神・祓の神様の「瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)」を祀る「唐崎社」は、高野川と賀茂川の合流する辺りから東側に鎮座していたそうで、そんな姿を想像して出町柳の三角州を眺めると、川の飛び石まわりで遊んでいる子供達と、御手洗池の冷たい水に喜ぶ子供達の姿が重なったりもして。
こんこんと湧くお水をゴクゴクと頂き、夏越神事で流してもらう「人形」を奉納する頃には、気分もすっきり。暑さもすっかり忘れていました。 動画はこちら

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