e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

京都の名建築、明治村にあり。

3月11

meiji小京都」と呼ばれる町は日本各地に見られますが、それとは別に、かつて京都にあった建造物がたくさん移築されているのが愛知県犬山市にある「博物館 明治村」です。

約100万㎡という広大な敷地内を、日本初の一般営業用電気鉄道であった「京都市電」が来場者を乗せて走り、「京都七条巡査派出所」のそばにある「市電 京都七条駅」に停車します。
この赤レンガのタイル張りがモダンな派出所は、西本願寺前に建っていたのだそうです。

河原町三条で創業、後に御幸町通に移転して営業していたという「京都中井酒造」。
現在明治村で甘味処としても利用できる京町家の一角には「岩竹」という銘柄の酒瓶と酒樽が据えてありました。
樽には「京都中井酒造ゆかりの酒」、瓶のラベルには伏見区下鳥羽の「三宝酒造」とあります。
京都中井酒造も三宝酒造も廃業もしくはその住所では既に営業されていない様子ですが、
御幸町二条には「清酒 岩竹」とだけ書かれた看板が残っているようです。

聖ヨハネ教会堂」は「日本聖公会京都五条教会堂」として、明治40年から昭和38年に解体されるまで京都に存在していました。
外観こそ洋館そのものですが、内部の天井には京都の気候に合わせて竹のすだれが採用されています。
この堂々たる佇まいの洋館が河原町通五条にあったのかと、想像が膨らみますね。

他にも北区小松原北町にあったという茶室「亦楽庵」「宮津裁判所法廷」など、これら京都にゆかりのある建造物の多くが登録有形文化財に指定されています。
機会があれば、ぜひ注目してみてくださいね。

鴨川さんぽの寄り道

3月6

kamo 先週ご紹介した「ストックルーム」に行くのに、どこかお昼を食べられるところは、と思っていたら、同じ建物の上階へ若い女性たちが続々と上がって行くのが見えました。

窓から鴨川は見れそうに無いけど、『かもがわカフェ』。
階段を登ってちらっと店内を一望させてもらうと、何だかいい感じ。
ミニシアター系の映画やら落語の会やら、壁を埋め尽くす数々のポスターやフライヤーを眺めながら待ってみる事にしました。

頂いたのは、揚げ餅と大根の優しい味のスープに、
大原産の長葱を牛肉で巻いた韓国風の照り焼き、ライチ茶などなど。

残念ながらランチは2月で終了だそうで、今後は珈琲に特化した喫茶がメインになるようです(軽食メニューは有り)。
思いのほか食事にありつけるまで時間を要したので美味しそうな珈琲を頂くいとまが無くなってしまいましたが、今月より珈琲豆の卸しもされるようなので、そちらとを次のお目当てにしようと思います。

せっかちな人には向きませんが、鴨川さんぽの後にゆっくりするひと時を求めて何度となく足を立ち寄る人もきっと多いのでしょう。なんと今年の5月で20周年、お雛様の日に新装オープン。
落語の会がある日に、珈琲片手に耳を傾けてみるのもいいかもしれません。

京都は「一本入る」。

2月28

stock 雛人形を飾り始める時期に明確な決まりは無いそうですが、立春を過ぎた頃からぼちぼち出す家もあるようです。
自宅を引っ越してから、玄関に季節の飾り物を置く棚が必要になりました。
久しぶりに訪れた荒神口の「ヴィンテージ・アンティーク家具&雑貨の店 STOCKROOM」。

大型量販店では出会えないような小物や家具が入り口に至る通路から並んでいて、心が躍ります。
「今日は冷やかしじゃないぞ」とお店の中を隈なく目を凝らして歩くうちに、ふと気になった木製のサイドボード。
高さの異なる別の棚がドッキングしたような形がユニークで、
「この段には花瓶を置こうか。その下には…」と想像力を掻き立てられました。

北欧の家具もいいけれど、日本のアンティークもやるじゃない。

その後、夷川の家具店通りも巡ってはみたものの、結局こちらに戻って来てしまいました。
送料を入れても3万円弱とは良心的。

京都は一本中に入ったところにいいお店がある。
河原町通りから一本東、人通りのそう多くない静かな通り沿いの古い建物の、更に薄暗い突き当りにあるお店ですが、常連らしき人足が絶えることのない人気ぶり。

数日後、我が家の玄関に収まりました。
閉まりがおぼつかなかった扉も綺麗に補正され、お店で眺めたときよりもすっきり端正な姿に見えます。引き出しを開けると、店主からの小さなお手紙も。

以前に他のネットショッピングでポチっと購入したときのまっさらの家具とは違って、既に時の旅をしてきた「家財」だからでしょうか、撫でてみると初めてなのに懐かしいというか、「うちにやって来てくれた」という気持ちが自然と湧いてきます。
ああもっと、これにまつわる物語を聞いておけばよかった!
帰宅した子供達も、これまでとは違う手触りに触れ、扉や引き出しを開けたり閉めたり、その感触を
確かめているかのようでした。

今日からこの子がうちの玄関の顔です。

2024年2月28日 | お店, 和雑貨, 未分類, 町家 | 1 Comment »

父とうどん、母と蕎麦

2月20

so「小腹が空いた。」
そんな時に父が入るのはカフェではなく、定食屋か麺処。
通りがかった聖護院の「めん処 ときわ」。
おだしの香りと、木の机と椅子。
おそらく初めて入ったのに「そうそう、こんな感じ」となぜか思ってしまう。

お品書きを一通り見て、「鍋焼うどん」を注文するのは薄々分かっていました。
自分はお米の気分だったので、丼もの。

湯気もくもく、熱々をはふはふと口に運びながら、ナイアガラのように額にかいた滝汗を、食後にハンカチでさらりと拭いて満足そうでした。

また別の日、母からは「そ /s/ kawahigashi」というお店の提案が。
一見だったので念のため予約の電話を入れてみると、平日のためか案外すんなり入れそうな印象でした。
ウェブサイトも9席のカウンターの店内もお洒落、混むでもなく空くでもなく、京都に住むオトナ達が絶え間なく出入りしていました。

店名から察して尋ねると、やはり「草喰なかひがし」の中東家の三男さんが開いたお店とのこと。
もう5年ほど経っているそうですが、以前は夜とテイクアウトのみの営業でした。

コースや単品メニューもあり、母はやはりベーシックな鰹だしを選び、そこからチーズや梅干しなどのトッピングを色々追加。
こちらは野菜だしに「たねつけばな」「はこべ」「こうばい」の草が盛り盛り、焼いた大きなお揚げさんで丼が埋められた麺を頂きました。
「やっぱりお米も」と迷わず注文した鯖寿司も、いずれも端正で優しいお味でした。

たまたまどちらも同じエリアのお店になりましたが、
「京都で軽く食べる」なら、こういうところがいいですね。

2024年2月20日 | お店, グルメ | No Comments »

防空壕の残る町家カフェ

2月15

tama 東山で友人と待ち合わせ。
先に入ったお店「たまゆらん」の地下にいる、とのこと。
「路面店ぽいのに地下?」
と思いながら店内に入ると、地下へと続く細い階段に誘導されました。

床に頭をぶつけないよう反り腰になりながら降りると、幾つかテーブル席が。
天井には板が渡してあるのが剥き出しで、全体的に薄暗い。ここってもしかして。
「防空壕ですか?」
お店の方に確認すると、まさしくその通り。

頭上の板には、ところどころ商店の名前や場所が書かれています。運送に使われた木箱を再利用しているのかもしれません。
今のオーナーに渡る前には民家だったようです。

野菜たっぷり、しっかりと手作りされた味わい深いハンバーグのプレートを頂いている合間に、天井の隙間から足だけ見えていた猫ちゃんが降りてきて、自分の膝の上にやってきました。
と思うと、のろのろと友人のスカートの上に移動し、そこで丸く収まりました。
ジーパンの膝よりも、温かなスカートの膝の方が居心地良かったんでしょう。
食べ終えても、目を細めてずっと気持ちよさそうに寝ています。

このお店では、保護猫の譲渡会も時折開催されているのだそうです。
猫カフェはどこも人気で予約が必要だったりもしますが、こんな空間で思わぬ猫とのふれあい。
別れ際は、一緒に外に出たそうにしていました。

2024年2月15日 | お店, グルメ | No Comments »

節分の「祇園ひょっとこ踊り」

2月7

hyottoko e京都ねっとも今年で干支2週目でありながら、節分の日に行われる「ひょっとこ踊り」については知りませんでした。

満足稲荷神社で狐のお面を被った巫女や年男が豆撒きをします。
こちらでは「鬼は外」とは言わず、「福は内」の掛け声のみ。
豆を受け止めるため人々が笑顔で両手を広げ、場が温まると、ひょっとことおかめらが舞殿に上がり、寸劇を披露し始めました。
化け狐がひょっとこの妻・おかめをそそのかして舞殿の外に連れ出すと、様々な表情のひょっとこ達が続々と後に続いて境内を踊りながら賑やかに周り始めます。
軽快な鉦や笛の音色と、おかめの愛嬌、ユーモラスなひょっとこのり付けに、いつしか観衆も手拍子。

太秦・ひょっとこ踊りの会」による奉納だそです。
2023年8月にひょっとこ踊り発祥の地とされる宮崎県で開かれた「日向ひょっとこ夏祭り」で団体・個人ともに優勝したという実力派です。

間の抜けた表情についこちらの頬も緩んでしまい、「こっち向いて~」と声を掛けると、ポーズを取ってくれることも。
その後、一行は20時に観亀稲荷神社から銘々に出発。
通りすがりの外国人に「何が始まるの?」と話しかけられ、追いかける私達の後について来ました。
祇園界隈はちょうど節分のお化けで獅子や助六などに扮した芸妓さんたちにも度々遭遇します。

祇園新橋辺りに再集結したひょっとこ達は更に数が増えたように見え、懸想文売りも加わりました。
祇園町の北側、辰巳神社周りを練り歩き、その後祇園町の南側へと移動していきました。

この「ひょっとこ踊り」は今年で10年目の節目として、一旦終了だそう。
残念ではありますが、春の訪れがいち早く訪れたような、清々しい気分にさせてもらいました。

あ!そういえば…この日は鬼に一度も会ってなかった!

「句読点」のごとき大徳寺納豆

1月31

kara主に禅寺で手作りされきた昔ながらの保存食・大徳寺納豆
見た目は小さな味噌玉のようですが、大豆を納豆菌ではなく麹菌で発酵させ、乾燥後に熟成させたもの。
修行僧にとっては貴重な植物性のたんぱく源であり、夏を中心に手間暇かけて仕込まれ、この作業も修行の一環なのかもしれません。
「天竜寺納豆」や「一休寺納豆」としても知られています。

「大徳寺納豆って色んな所で作ってはるけど、ここのが一番好きや」
と、父に連れて行ってもらったのがお店ではなく、大徳寺の塔頭の一つ、瑞峯院でした。
「(ここって、キリシタン大名の大友宗麟のお寺だよね…)そんないきなり行って買えるん?」と訝しむ心持ちで敷居を跨ぎ、入り口入ってすぐの受付で尋ねると、「唐納豆」と判を押された上品な包みが差し出されました。

久々に我が家に迎えた瑞峯院の大徳寺納豆。
もっちりしていますが、微かにしゃりっと感じる歯応え。
意外にあっさりしていてクセがありません。

初めて食べた家族の評判は二分されましたが、納豆好きな3歳の子供が「美味しい!」と一言。
それ以来、「あの、なっとうの、くろいやつ」と所望されます。
「こんなに袋に入っていてもそう減らないだろう」と思いきや、自分でもあれからふと目にすると一粒つまんで、毎日一度は口に含んでいることに驚きました。
まるで、生活の中の「句読点」のごとき黒い粒。

一度にたくさん食べられるものではありませんが、和菓子のアクセントとして入っていると嬉しいもの。
お粥の真ん中に数粒浮かべたり、お善哉など甘いお菓子やお茶の傍らに添えるのもいい。
そういえば初釜の点心では、瑞々しい松葉に大徳寺納豆を通した洒落た姿で出されていました。
食べ方、出し方のアレンジを色々考えてみたいですね。

瀧尾神社と大丸と祇園祭

1月24

takio 当初3日間だけの予定だった瀧尾神社の「木彫り龍」の特別拝観が、3月末まで期間延長(※木曜休み)されています。

辰年という事で夕方でも参拝客が絶えず、順番を待ちながら拝殿を見上げると、境内は広大というわけではないものの、美しい檜皮葺の屋根やその周りをぐるりと飾る彫刻が、とても立派なものであることに気付きます。

これらの彫刻が干支かと思いきや、後で調べてみると獅子や獏(ばく。象の様に長い鼻でした)、海馬(かいば。見た目は牛に似ていました)、犀(さい。亀の甲羅を背負っているように見えます)といった生き物だったのでした。
中でも、「鳥龍(ちょうりゅう)」は、天皇即位の高御座にも見られる神獣とされ、彫刻としての姿を見られるのは大変珍しいことなのだそうです。

これらは九山新太郎という江戸後期の彫り物師が手掛けたもので、大丸百貨店の創業家・下村家の子孫から寄進されたと伝わります。
大丸との縁は、創業者の下村彦右衛門正啓(「福助」人形のモデルとも)が行商へ行く道中にあった当社を常々参拝し、現在の京都大丸の屋上にも瀧尾神社から分祀した稲荷社へ毎月一日に宮司が欠かさずお参りをしているとのこと。

初公開されたのは、拝殿の天井を泳ぐ木彫りの龍。髭の先から尾までなんと全長8m。
こちらも下村家から寄進され九山新太郎とその弟子たちの手によるもので、鋭い爪の中に宝珠を携え、今にも動き出しそうなほど。
江戸時代に大丸呉服店の総本店が祇園祭の大船鉾の寄町にあった縁で、下村家が鉾の先端を飾る龍頭の制作を援助、その際に檜で作られt最終試作品が瀧尾神社に飾られ、新たに胴体も杉でもって制作されたのだそうです。

令和の時代も大丸が存続し、人々に親しまれているのは見ての通り。
ご利益とは、一方的にお願いごとをするだけでなく、日々の感謝を自身の行動で表すことでもたらされるのではないかと感じますね。
年の初めにいいものをみせて頂きました。

歩きながら考えていこう

1月16

ourin 昭和27(1952)年から始まり昭和50(1975)年まで行われていたという“東山十福神巡り”。
令和に「京都東山福めぐり」(1月7日で終了)として復活し、その訪れたなかで最も印象的だった場所の一つが、普段は非公開の岡林院(こうりんいん)でした。

創建は1608年で、現存する高台寺の塔頭として最も古いお寺です。

初めて中に入らせていただくと、茶室を備えた苔の美しい露地庭が広がっています。
茶室「忘知席(ぼうちせき)」は裏千家又隠席の写しなのだとか。
ここが観光地のど真ん中とは思えない静けさ、まさに「市中の山居」。

庭を望む丸窓の奥には、鏡餅が供えられた延命地蔵願王菩薩が私達を見つめています。
明治~大正期の画僧で建仁寺にも作品を残すという田村月樵の天井画の龍は、漆の床板にまるで鏡のように見事に映り込んでいました。

傍らに置いてあった色紙について尋ねてみると、書いてあるのは「雲従龍」とのこと。
「雲は竜に従い風は虎に従う」という言葉があり、「立派なリーダーの周りには、そのリーダーシップや魅力に惹かれて、同じように優れた臣下や部下が集まる」こと、また「相似た性質を持った者同士が互いに求め合う」とされています。

「そういう言葉がありますが、頭であれこれ思い巡らせるよりも、まず一歩踏み出して、歩きながら考え進めば、自ずと仲間もできて道ができていく」のではないかとの若いご住職さんのお話でした。
自分にとっては、こちらの解釈がより近くで背中を押してくれるように感じます。

通常は入ることのできない岡林院ですが、X(旧Twitter)Instagramの公式アカウントからも日々の境内の様子を発信しておられます。
今、そこにいる場所から訪れてみてはいかがでしょうか。

60年ぶり『京都東山福めぐり』

1月9

fuku 年が明けて初めての連休は、京都マニアの友人に誘われ『京都東山福めぐり』をしてみることに。
2024年に北政所ねねの没後400年を迎え、昨年60年ぶりに復興した催しで、通常非公開のお寺やお像が3日間に限り公開されるそのこと。それが私たちのお目当てというわけです。

東山エリアの指定された各寺社を巡りながら、様々な御利益を祈願するお守り札を受け、専用の台紙のポケットに収めていきます。

高台寺周辺なら何度も歩いてるから午後からでも廻れるだろうと高を括っていたら、道を間違えてしまったり、お参りだけして札をもらい忘れたり、休憩所で無料接待を受けたり意外に時間を要しました。
最終日というのに閉門間際になってしまい、駆け足で手を合わせながらいつしか「今日中に全てを回ることができますように」という願掛けまでしてしまっていました。

最後に最も場所が離れている瀧尾神社を残し、閉門時間を過ぎて半ば諦めているもののダメもとで電話をかけてみると、
「一日で回らはるのは無理ですわ。うちはまだやってますよ。」との奇跡の回答が!
思わず電話口で「やった!」と発してタクシーに飛び乗り、20分後に現地に到着。

拝殿天井の全長8mの木彫りの龍が初公開された瀧尾神社は、辰年のためか、まだまだたくさんの人が参拝に訪れていたのでした。

「これで満願達成ですね」と最後の守り札を受け 、居合わせた見ず知らずの参拝客からも「おめでとうございます」と声を掛けていただきました。
無謀かつ強行突破で半日で全てを巡りましたが、できれば朝から一日もしくは2日かけてお参りされるのがいいのでしょうね。

京都東山福めぐり』のそれぞれの詳しい感想はまた後日。
ちなみに、瀧尾神社の「木彫り龍」の特別拝観は1月末まで期間延長されたそうです。

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