e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

飲食求道 一作

9月19

nasu 色んなお店ができたなあ、と京都の町を歩いていて感じる中で逆に惹かれてしまうのが、昔から地元の人々に愛され続けている街角の小さなお店。
京都に越して来た知人からの薦めで、今出川通りから寺町通りをずっとずっと道なりに進んだ左手にある「一作」を知ったのはつい最近のこと。京都っ子の友人に話すと、「子供の頃にしょっちょう玉子丼食べに行ってたわ!なんでそんな店知ってるんやろ?」との反応。そして彼女にとって30年ぶりかという再来店を果たすことになったのです。
外観は正直どこにでもありそうな、「住宅地のお好み焼き屋さん」ですが、食堂並みの豊富なお品書きに加え、食欲をそそる旬の品もあり、頼んだのは「賀茂茄子のお好み焼き」。
鰹節に埋もれて運ばれて来たそれはまるで賀茂茄子のハンバーガーのごとく積み重なり、どこからどこまでが茄子でお好み焼きなのか分からないほど。
ジューシーに炊かれた茄子のだしとからみ、同じくらいやわらかいお好み焼きもまた、どこから茄子でどこからお好み焼きなのか!
続いて、旬の桃のかき氷。ふわふわとしゃしゃりのちょうど中間くらいの氷の周りに、ジャムの様に甘くさっぱりとした桃の小片が薄桃色の手作りシロップと共にぺたぺたと張り付いていて、食べる前から美味しい事が伝わって来ました。
教えてくれた知人に報告すると、「桃氷はすぐ売り切れるみたいなので、奇跡ですよ!」とのこと。私達しかお客がいなかったのは運が良かったのでしょうか。
どちらのメニューもこの季節ならではの食材なので、食すなら今のうちです。

2017年9月19日 | お店, グルメ | No Comments »

花山天文台

9月12

kazan 海原のように素晴らしい秋晴れが続くこの頃。花山の峰に停車したシャトルバスを降り、山百合が点々と道案内する坂道を少しばかり登ると、白亜の「花山天文台」が見えてきます。
もとは京都大学の時計台の側で観測活動がされていましたが、より適地を求めて標高221mの花山に移されました。
候補地だった吉田山は神社を有する土地であったために外れ、当時昭和4年頃の山科はまだ人口が少なく音羽山が京都市街の光を上手く遮断する好立地だった事からこの地が選ばれたそうです。
8千坪もの土地を持ち主から譲り受け、軍隊が演習を兼ねて資材を運び、造船の技も駆使して、国内3番目の大きさの口径45cmの屈折望遠鏡を有する本館が建てられました。
花山天文台長だった宮本正太郎氏は、スケッチを通して火星に偏西風を発見、NASAに情報を提供するなど、様々な研究成果を挙げてきましたが、京都大学における最先端の研究教育の中心地が飛騨天文台や岡山の新望遠鏡に移り、花山天文台の運営費はそちらに回さざるを得なくなりました。
今後もイベントを企画したり、学校の見学や実習を受け入れていく為には、施設の維持やスタッフを常駐させるための費用を賄わなければならず、一年で一千万円の融資が必要なのだそうです。
残念ながら「京の夏の旅」期間中は資料や建築物の公開のみで天体観測ができる訳ではありませんので、また後日、天文イベントが催される際にはぜひ再訪したいと思っています。
道中は曲がりくねる車道の連続で、人一人が歩いて登るのも危険なので、無料シャトルバスやタクシーを利用して下さいね。

鷹峯の渓涼床

9月4

yuka 今夏は遠出をしなかったので、代わりに鷹峯・しょうざんの渓涼床でひと時の旅行気分を味わう事にしました。
しょうざんと言えば、京都っ子にはボウリングの思い出がある人もいますが、幼少の頃は「芝生のあるプール」としての印象が残っていて、入り口からお店に向かうまでの道のりは、片側には豊臣秀吉が設けたお土居の遺跡、反対側ではあのプールが垣間見え、なんとも懐かしい気持ちになってしまうのです。
渓涼床は、以前はお座敷スタイルだったのがテーブル席に替わったと聞いていたので、洋風の風情になってしまったのではと心配していたのですが、料亭にあるような背の低い仕様だったので、京都らしい風情のまま、お子様から足の悪い方まで安心して寛げるようになっていました。家族連れも多く見かけた気がします。
季節のもので構成された京会席は、外せない鮎をはじめ、ほんのり山里を連想させる取り合わせ。締めの山菜ご飯は、秋になると松茸ご飯に変わるようです。
床の外から客席に向かって扇風機が回っているユニークな姿に笑ってしまいましたが、エアコンがなくても木陰と渓流からの空気がふんだんに流れ、十分に涼しくすごせました。
床と簾の合間から見渡す限りの青紅葉が見え、滝の様な水音を聞きながら、錦秋を想像するのもまた楽し。
ここの床は鴨川よりも長い期間楽しめるので、敬老の日のお祝い食事会にも良さそうですよ。

2017年9月04日 | お店, グルメ | No Comments »

小さな映画館からの発信

8月28

minami
ミニシアター好きから長年支持されている小さな映画館「京都みなみ会館」。
福島県知事を5期18年間務めた佐藤栄佐久氏が、「収賄額0円」ながら有罪判決で引責辞任した事件の真相を追ったドキュメンタリー映画「『知事抹殺』の真実」が上映されています。
衆議院議員の経験もあり、常にクリーンな政治を心掛けながら早くから「地方主権」や、東日本大震災の発生より前から福島原発の安全管理への疑問を投げ続けていた栄佐久氏。
取材に来た事も無い記者から収賄疑惑の記事が発表され(何の雑誌か映像に映ります)、それらの「雑誌の記事」を「証拠」として録音記録もせず取り調べを続ける検事。
疑惑の段階から知事の自宅を取り囲み、犯人同然の扱いで追い詰めるマスコミ。
連日行われる非人道的な取り調べに栄佐久氏の身内や支持者は憔悴し、自殺を図って現在も植物人間状態となっている関係者。
そして、栄佐久夫妻が山の中で遭遇した人物とは。
映画のタイトルにある「抹殺」という言葉は、決して比喩ではなく、検事の口から出た言葉なのです。
現在のところ、限られた映画館でしか上映の予定が無く、京都では9月1日までとなっています。

2017年8月28日 | 芸能・アート | No Comments »

味噌は味噌屋で

8月22

kato 盛夏の折、汗をたくさんかくためか、赤出しが美味しく感じます。
ちょうど切らしたので、「加藤みそ」(075-441-2642)に買いに行きました。
西陣の住宅地の中にあるので、味噌だけを買うにはちょっと不便なところにあるのですが、
もともと実家近くの魚屋さんにも置いてあり、食卓にて
「ん、この赤出し美味しい。どこの?」
「“萬亀楼”さん(京都の料亭)の南隣にある“加藤商店”さんの。」
という会話が始まりでした。
言われた場所に建つ町家はご自宅だったようで、向かいの工場で分けてもらいました。
今やスーパーやコンビニで何でも揃ってしまいますが、特に都会で生まれ育っている人にとっては、「米は米屋で」「味噌は味噌屋で」買い物をするのは一種の憧れのような、わくわく感があるのでは。
工場いっぱいに広がる味噌のいい香りは、直営工場ならでは。
創業100年近くなってもなお昔ながらの手作り製法を通しているそうで、作業着姿の若い店主の語りからも、品質への自信が垣間見えました。
親子で量り売りの赤出しや八丁味噌、甘酒を購入しましたが、白味噌や塩麹、田楽みそなど、15種類程の商品があり、味噌作り体験もされているようです。
早速夕食に初めて八丁味噌を飲んでみましたが、こちらも塩分でしんどくなるようなキツさがなく、まろやかな味わい。
京都の美味しい豆腐屋さんで買う香ばしいお揚げさんや湯葉と合わせると最高です。

2017年8月22日 | お店, グルメ, 町家 | No Comments »

天神さんの「泣き相撲」と「御手洗祭」

8月17

naki
京の七夕」の会場のひとつ、北野天満宮では「北野七夕祭」(16日まで)が行われていました。
「北野天神泣き相撲」では、立派なまわしを付けた生後5~6か月から2歳までの赤ちゃんが、お父さんやお母さんに抱かれて神楽殿に「土俵入り」。
にこにこ顔の行司さんを挟んで向き合うやいなや、母親にしがみ付いたまま振り向かなかったり、見合う前から顔を真っ赤にして大声で泣き始めたり。
相撲になっているのかいないのか、なんともかしましい状況でしたが、これは泣いた方が勝ちとされています。
なんせ赤ちゃん達が主役なので、「え~次の取り組みですが~まだ現れませんね。」と、大人の思惑通りに進行しない事もありますが、そこは観客もおおらかに見守っていました。
「御手洗川足つけ燈明神事」の方は、週末にも関わらず、昼間だととても空いていて驚きました。
京都に住む知人達にもまだ十分には浸透していないようで、
「天神さんでも御手洗祭があるのん?下鴨神社のは行きそびれたから、そっち行ってみよかな」という調子です。
濡れた足のままで歩き、靴を着脱するための床几やすのこ、頭上のテントからはドライ型ミスト装置も設置されていたので、小さな子供を連れた家族連れでものんびりと楽しめていたようです。
未知の体験におびえたり、冷たい水に驚いたりはしゃいだり。その瑞々しい桃の様な頬が小麦色に焼けるまで、子供達の夏はあともう少し、続きます。 動画はこちら

京友禅の眼鏡拭き

8月7

soo
伯母の誕生日が来ていた事をうっかり忘れていて、何を贈ろうかと考えていたところ、聞き覚えのあるブランドが目に入りました。
京友禅の若手職人達が立ち上げた「SOO(ソマル)」の眼鏡拭き「おふき」です。
絹素材の中でも眼鏡拭きに適した着物生地を使い、伝統柄に新しい感性を加えた小紋柄を、本物の京友禅で染め上げています。
噂には聞いていましたが、実際に手に取ると正絹100%の眼鏡拭きというよりは端切れの如き薄さと軽さ。ですが、この方が眼鏡ケースやバッグに畳んで入れても邪魔にならなさそうです。
「墨黒」「深紅(こきくれない)」「黄海松藍(こいみるあい)」「茄子紺」の五色は、華やかさも落ち着きもあるいい塩梅の色味で、幅広い年齢の人に合いそうだと即決しました。
夫婦で使ってもらおうと、夏限定の提灯柄は祇園祭が大好きな伯父に。
和装で応対していた男性が、
「皆さん、京友禅の良さをよく知っていても、いざ買うとなると値段の桁数がこれより二つくらい増えてしまいますし、我々売る方もどうぞ気軽にとは言いにくいですしね」と。
こちらの商品は、インターネット通販は無く、京都でしか手に入らないもの。
眼鏡だけでなくスマートフォンの画面を拭くのにも使えるという事で、外国の方へのかさばらないお土産にも良さそうです。今のところはまだこの「おふき」しか商品は無いようですが、今後はどんな商品が展開されるのか、期待しています。
夏限定柄が販売されている京都伊勢丹での催事は8日までですが、次回は9月に京都マルイで予定されているそうです。
取り扱い店舗については、公式フェイスブックにも情報が掲載されているので、こちらからも直接「こんな商品が欲しい!」と提案したりできるのではないでしょうか。

2017年8月07日 | お店, 和雑貨 | No Comments »

京都で盆踊り

7月31

bon
どちらかというと地蔵盆の方が盛んな京都ですが、盆踊り大会が毎年開催されているところもあります。
先日行われたのが、西本願寺の「本願寺納涼盆踊り大会」。
境内の北側にある広大な駐車場に櫓が組まれ、音頭が響きわたるなかで浴衣や洋服姿の老若男女が踊っていました。
どうやら「ゆかたレンタル&着付け」のコーナーもあったようです。
「本願寺グルメストリート」も同時開催されていて、定番の屋台メニューに加えて、有名B級グルメの「富士宮焼きそば」、矢尾定の鮎塩焼きやわらび餅、前田珈琲のかき氷など京都でお馴染みのお店の出店もあり、京都グルメも味わえます。
テント付きの床几もたくさんあるため、甚平姿の赤ちゃんから夫婦連れのお年寄りまで腰かけて食べていました。
夕闇が降りてきて提灯に一層の赤みが増したころ、吉本芸人のお笑いライブが始まると、同時にたくさんの人だかりが舞台へと吸い寄せられていきました。
そういえば、屋台に目移りしてばかりで、踊る事をすっかり忘れてしまっていたな…。

祇園祭後祭・私的宵山ルート

7月25

taka
2017年の祇園祭宵山は、後祭をメインに楽しませて頂きました。
暑さがやわらぐ夕暮れに、大行列を覚悟の上で大船鉾に到着すると、「鉾に上がるまで45分待ち」とのこと。粽も既に完売です。
ひとまずは協賛の呈茶席へ入り、大船鉾を再建する際に参考にされたという掛け軸を間近で観ながら、限定のお菓子とお薄を頂きました。
大船鉾へは意外と早く入る事ができ、まだ新しい木の香りがする船上から下を見下ろすと、黒山と浴衣の波の上に浮かんでいるようです。
ご神体の神功皇后にお賽銭をしたり、?人の背丈程もある大きな房飾り等を観ながら、結局は20分程で降りて来られました。
数々の山鉾を見上げながら、「祇園祭後祭エコ屋台村」に入り、「ローストビーフ丼」や「鱧天バーガー」、「トマトの蜂蜜漬け」等を夕食に。
京都芸術センターのグラウンドにテント付きの床几がたくさん並んでいるので、子供からお年寄りまで屋台グルメやゲームを楽しんでいました。
毎年宵山でそぞろ歩きする人々を観ていると、ベビーカーを押したり乳幼児連れの夫婦をたくさん見かけるようになりました。
前祭では「こどもステーション」が開設されたり、後祭でツアーが組まれたりと、乳幼児がいてもお祭に参加できる取り組みがなされていたようですね。
女性が登れない山鉾は今でもありますが、今の様に外で気軽に食事ができなかった昔はどうしても、力仕事の表舞台は男衆に、腹ごしらえや子供達の面倒を見る縁の下の力持ち役は女性が担っていて、その役割分担の意味もあったのではないかと個人的には考えています。
復活を目指し活動中で、今年は報道陣に引っ張りだこだった鷹山の、初めての日和神楽を見届けて帰路につきました。→動画はこちら(随時追加)

祇園床 古式一里塚松錺り

7月18

toko
1955年まで祇園祭の山鉾は松原通りを巡行していました。
松原中之町にある「祇園床」と呼ばれる古い床屋さんの奥には、素戔嗚尊を祀る「頓宮(とんぐう)祇園社」と呼ばれるお社があり、かつて巡行中の長刀鉾のお稚児さん達の立ち寄りポイントとして、町内が薄茶でもてなしていたといいます。
巡行のルートが変更された現在も、町内の人々は、「古式一里塚松錺(かざ)り」の神事を続けており、またお稚児さんや長刀鉾の関係者もお参りに来るなど、その関係が続いています。
14時頃に傘を差されたお稚児さんや禿、その美しい着物姿の母親達、羽織袴の正装をした長刀鉾の関係者が祇園床に到着し、屋内で半時間程の間、非公開で神事が行われていました。
非常にマニアックな祇園祭イベントにも関わらず、カメラを構えた町内外の人々20人くらいが外で待ち、神事が終了してお稚児さん達が記念撮影を済ませタクシーで去っていくと、次々に中へと入って行きました。
うっすら町家の床屋の面影が見える横断幕の間を進み座敷に上がらせてもらうと、坪庭に建つ立派なお社には、尾頭付きの鯛や、両側に三匹ずつの海老に松が飾られ、町内の人々が、順番に冷抹茶を飲んでいました。
座敷には長刀鉾が所蔵する長刀の拓本や昭和29年のお稚児さんの正装姿を映した写真が額装されています。
明治の始め頃までは、山鉾を持たない氏子町も山鉾を支えるという『寄町(よりちょう)』制度があり、その名残と町内の誇りを感じさせるひと時でした。

2017年7月18日 | イベント, 町家 | No Comments »
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