e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

言の葉を集めて

9月16

souyu
前回お話したコテージの部屋の隅に、さりげなく小冊子が並べられていました。

『桑兪(そうゆ)』と読むそうで、誰もが知る京都の料亭「和久傳」 が発行しているもの。
京丹波は和久傳の創業の地でもあります。もう随分前の創刊のようですが、これまでその存在を知りませんでした。
文筆家・白洲信哉氏や臨済宗相国寺派管長の有馬賴底氏といった錚々たるメンバーによる、いわばエッセイ集です。

「兪」とは楡(ニレ)の木の事で、桑も楡も糸や紙の原料となる植物だそうです。
いわば、この冊子は言の葉の、あるいは言葉という形となる以前の記憶の粒子の集合体と言えるでしょう。

SNSを開けばコメントが付き、掌のスマートフォンや乗り込んだタクシーのモニター画面からは新着ニュースや広告が表示され、動画を再生すればテロップが流れる。
日々言葉の洪水にさらされていながら、私達の「ことば」は果たして深化しているのでしょうか。
物書きをする身として自分の語彙力や人生経験の少なさを改めて実感し、こんな文章を自分も綴る事ができたらと思いながら閉じました。

短い滞在で一部しか目を通せなかったのですが、短編集なので読書離れしていた人にも好きなところから読み進めやすいかもしれません。
京丹後市にある「和久傳ノ森」のレストランや、オンラインショップでも購入できます。

雑用は家に置いてこよう

9月8

heron

先月の夏休みは、京丹後市久美浜町にある「ウォーターサイドコテージ Heron」へ。
山間の田んぼや海の暮らしが見える漁村を抜け、小さな商店が軒を連ねる一角を曲がると、突然世界が変わります。

たった2つの客室は久美浜湾へと注ぎ込む栃谷川に面していて、向かいの材木商(現在は画家のアトリエだとか)が所有する小船が顔を出しています。
家人は、皆がまだ寝静まっている早朝にむっくり起きて、久美浜公園へ散歩に出掛けました。
きっと気持ちいいだろうなあと思いつつ…こちらは二度寝して、朝日を浴びながらのヨガ。

ここのスタッフは、ホテルのように仰々しいお辞儀はしません。
自然がすぐそばにあるけど、不便ではない距離感。
その土壌に育まれた食材の持ち味を引き出した、程良いボリュームの欧風家庭料理。
よくあるふわふわの大きなゲストタオルではなく、軽くて湯上りの肌に爽やかなオーガニックのリネン。
そんな小さな驚きとくつろぎが本当のおもてなしである事を知っているからです。

まだ蟹の季節には早いけど、客室のテラスの椅子に腰掛けて虫の鳴き声と夜風の中でゆっくり読書する。
行ったばかりなのに、そんな妄想が早くも湧いてくるのでした。

付近には、酒蔵や寺院に豪商のお屋敷、車で牧場や海水浴場、温泉も。
GO TOトラベルキャンペーン」に対応した割引宿泊プランもありますよ。

麒麟はくる?

9月1

kirin
大河ドラマ『麒麟がくる』の放映再開を前に、亀岡の「麒麟がくる 京都亀岡大河ドラマ館」へ行ってみました。
歴史好きというより、この作品のファンのための施設という印象で、公式ホームページの内容を立体化したもの。
実際に使用された衣装やその製作意図、物語にリアリティを与える美術に触れることができ、「なれルンです」コーナーでは、自分の顔を撮影して甲冑姿等の画像に嵌め込む事ができます。
平日の閉館前だったせいもあり、お客はまばらでした。「密」どころではなさそうです。

明智光秀とその娘・細川ガラシャについては、ゆかりの自治体が何年も前から大河ドラマに採用されるよう働きかけていたので、製作会見があった2018年には
「とうとう実現したか!関係者の喜びもひとしおだろう」と思っていました。
放映が開始された2020年。そしてロケも放映も一時休止となってしまったのはご存じの通り。
町おこしどころか丹波亀山城址も当面の間見学が休止され、もしかするとこの大河ドラマ館の客足はまだ去年の予想水準にはまだ達していないかもしれません。
個人的には、錚々たる出演者たちの直筆サインがおすすめです。それぞれに個性があって美しく、見入ってしまいました。

さて、本編では「たま」こと細川ガラシャもいよいよ赤子姿で登場しました。
実は、明智光秀が若い頃の消息は資料が乏しく、具体的な足跡は京都に入ってからのものが多いと聞きます。
これからの展開に注目すると共に、「本能寺の変」への出陣の起点となった亀岡にもまた足を運んでみたいと思います。

発酵カフェと京の洗い屋

8月25

kouji
腸内環境を整え免疫力を上げる事で見直されている発酵食品。
じわじわと、「発酵カフェ」が京都にも増えてきています。

今回伺ったのは、川端二条を東にしばらく進んだ南側にある「茶と糀つきあかり」。
雑穀米の海鮮丼と、「発酵カレー」(+鶏もも肉)に挑戦してみました。

カレーは、一言で形容すると「甘辛い」。
甘酒と野菜の甘みにスパイスの軽やかな刺激が追いかけます。糀と味噌に漬け込まれた鶏肉がやわらかい。

ガッツリ糖質高めの食事が好きで、いわゆる自然派健康食が好みではない家人も、
「ここの店のならいける」と話していました。

ご主人の実家がほうじ茶の専門店とのことで、添えられた近江のほうじ茶は、あっさりとした優しい風味です。
(自宅用に購入して煮出してみたら、ピンク色の水色で驚きました!)

また、奥様のご実家が建物や家具を灰汁洗いで再生させる「洗い屋」とのことで、客席の各テーブルは一枚板を数枚に分けたオリジナルなのだそうです。
穏やかな小波のような木目が全ての席ときれいに繋がっているところも、ぜひ注目してみてくださいね。

2020年8月25日 | お店 | No Comments »

今年の地蔵盆は…

8月19

jizou
五山の送り火の翌週辺りの週末、京都市内のあちこちで地蔵盆が行われます。
お堂の中のお地蔵さんを出して祭壇に飾り、町内の子供達は円座して長~い数珠を繰り回したり、おやつをもらったりゲームをしたり。

幼い頃に住んでいたマンションの一角にお地蔵さんがあったので、広いガレージにゴザを敷いて大規模な地蔵盆が行われ、スイカを食べたり花火をしたり楽しんでいました。
現在のような猛暑も無く、夕方になればお風呂上りの子供達が浴衣に袖を通して再び集まり、大人達もビールや枝豆を片手にご近所さんと談笑。

お地蔵さんのいない町に引っ越してからは、夏の催しすら無く、同じ京都市民でありながら地蔵盆が憧れの行事となってしまいました。

京都に限らず滋賀、奈良、大阪、兵庫、福井でも行われている地蔵盆ですが、京都のはお地蔵さんの顔に白粉が塗られ、お化粧が施されているのが特徴なのだそうです。
行事は町ごとに異なりますが、子供達も参加してお地蔵さんのお顔や身体を洗い、夏日で乾かして再びお化粧を施します。
これは「荘厳」と呼ばれる仏像や仏堂を飾り立てる行為に相当するのだとか。
町内の子供達の健やかな成長を願う夏祭りだと思っていたのですが、地蔵盆(地蔵祭・地蔵会)は、町内で亡くなった人への供養や、町内に関する事への祈祷の場でもあったそうです。

道路を通行止めにして大集合する町もあれば、少子高齢化がすすみ大人だけで行うところもあり、継続が困難になって、お地蔵さんの魂を抜く「お性根抜き」を行い、その歴史に幕を下ろしたところも。、
それでも京都市歴史資料館に展示されていた「地蔵盆マップ」を観ると、大なり小なり、かなりの数の地蔵盆が今でも行われているようで、ちょっと安心しました。
今年はどうでしょうか。「遠くの親戚より近くの他人」ということわざが、ふと頭をよぎります。

9月10日にはギャラリートークも開催されます。
ちなみに、今年は「京のテレ地蔵盆」なるコンテンツが公開されており、地蔵盆とはご縁のない地域の人々も、壬生寺副住職によるお話や、数珠まわしの動画を観ることができます。

2020年8月19日 | お寺, イベント, 歴史 | No Comments »

大福を願う帳面の寺

8月13

shuin
盛夏から晩夏へと向かう今日この頃。
曇っていて風のある日は、自転車でも意外と快適でした。
小さな街ながら、徒歩より早く車より小回りの利く自転車で巡っていると、思わぬ発見があります。

たまたま通りかかった大福寺というお寺に、若い人々が入って行くのを見て、立ち寄りました。
中にはおびただしい数のご朱印とご朱印帳。この若者たちは信者?それともご朱印マニア?
親指ほどの大きさのご朱印帳もあり、それに応じた規格の小さな小さなご朱印の札も月毎に用意されていました。
なぜこんなにたくさん扱っているのだろうと思っていたら、「大福」という縁起の良い寺号により、お正月には商売繁盛を願う商家の出納帳に寺の宝印を授与する習わしがあったそうで、それが「大福帳」の名の由来となっているそうです。

これも何かの縁と思い、ご朱印を求めることにしました。
令和二年の年号が入った五山の送り火の意匠です。
この朱の点は、おそらく今年の送り火で点火される地点かと思われます。
何十年か経ったころに、自分も子や孫に「あの年はこんなことがあって、送り火がね…」と語り継ぐ日が来るのでしょう。

表の鐘も搗かせてもらい、思わぬ迎え鐘となりました。
お参りの際には、事前に公式ツイッターのご確認を。

商店街を楽しむ

8月4

kamo
再び、巣籠り生活が始まるのでしょうか。
今年の初夏に町家の借家暮らしを体験していたとき、限られた外出の中で、近くの新町商店街でのお買い物を楽しんでいました。

例えば魚は「中居鮮魚店」。焼き鮭が美味しいです。事前に電話で「今日は何が入ってますか?」と予約した方が良いでしょう。頼めば焼いておいてもらえます。
例えば野菜は「やおやONE DROP」。スーパーには無い珍しい野菜もあり、お料理好きな人なら使ってみたくなるかもしれませんね。
近所に商店街がある人なら、何も特別な事は無いのでしょうが、普段買い物と言えばスーパーやショッピングモールしか選択肢が無い地域に住んでいる人にとっては、ちょっと魅力的。

花は花屋、麺類は製麺所、と専門店を巡るのでその都度移動時間が必要ですが、ついお会計以外でも店員さんに話しかけてしまったりするのです。
時には自転車で新大宮商店街まで足を延ばす事もありました。

朝食やおやつにしていたのは、「かもDONUT」。
この「かも」は、長らく鴨川の事だと思っていましたが、実はオーナーのご先祖である賀茂一族からきているそうですよ。
こじんまりとしたお店なので、当時は一組ずつの入店でした。
京町家に映えるカラフルなドーナツは某有名チェーン店と似たラインナップですが、それらの風味を濃厚にしたような味わいでした。

2020年8月04日 | お店, グルメ, 町家 | No Comments »

2020年の祇園祭は②

7月29

sinme 31日で今年の祇園祭は幕を閉じます。
2020年の祇園祭も例外なく数々の神事が縮小や中止となり、山鉾建てや宵山の賑わい、山鉾や神輿の巡行も行われませんでした。

山鉾巡行と神輿の渡御に代わる「御神霊渡御祭」では、神霊を移した榊と神宝を持った列が氏子地域を練り歩きました。
これは、応仁の乱で多くの山鉾が焼けて復興が叶わなかった頃に、室町幕府から「神輿の修復が間に合わなければ、榊をもって代用とするように」とのお達しに基づいたものだそうです。
八坂神社の祭神は神籬に移され、それを白い神馬が運び、大政所御旅所や又旅社、神泉苑にて神事が斎行されました。
四条御旅所の前では、通りがかりの人達も手を合わせていました。
おそらく、今年は殆どの人が同じ願い事をしているのではないでしょうか。

人が殺到してはいけないので、巡行ルートは伏せられていましたが、
輿丁たは神輿を担ぐときの装束を身にまとい、肩寄せあって手拍子と「ホイット!ホイット!」の掛け声を挙げていました。
形を変えてでも、リスクを負っても神を送りたい気持ちが溢れてしまう。これもまた人の性ですね。

聖俗がせめぎ合い、疫病リスクを避けながら取材する事の難しさを考えさせられる2020年の祇園祭でした。

2020年の祇園祭は

7月22

sakaki
今年の祇園祭は山鉾巡行と神輿の渡御が無い代わりに、巡行と神幸祭の日にあたる17日には前祭の23の山鉾保存会代表者らが八坂神社から四条通寺町東入ルの御旅所まで徒歩で巡行されました。
例年は還幸祭の24日まで御旅所に3基の神輿が鎮座しますが、代えて榊を設置して神様の依り代としています。
「令和2年祇園祭 御神霊渡御祭」として、氏子地域25学区を神霊を移した榊やご神宝と共に、悪霊退散を祈願する行列が八日間にわたって斎行されています。
人が密集するのを避けなければならないため、詳しい順路は公開されていませんが、今年ならではの祇園御霊会の姿を見かけたら、ぜひとも手を合わせたいところです。

どこの山鉾町も、「疫病退散の祭りだからこそ、ぎりぎりまで山鉾を建てる準備をしておこう」「疫病退散の祭りだからこそ、決して感染者を出してはいけない」との葛藤があったようです。
完全に町会所を閉じているところもあれば、町内の路肩に献灯だけ掲げているところ、粽や限られた品のみ授与されているところ、普段は触れる事のできない山鉾の一部のみ観覧できるようにしているところ等様々です。
おそらく懸装品の虫干しも必要でしょうから、会所内で飾り付けをして「居祭」はしても、外からはほぼ見えないようにしているのかもしれません。

人通りも通常の公共道路並みで静かな鉾町を、祭を惜しむ気持ちで漂う人もぽつり、ぽつり。
会所の2階から、ご神体や鉾飾りの一部を見せているところもあり、それらを観た友人達は「嬉しかった」と話していました。

2020年7月22日 | 未分類 | No Comments »

山鉾が巡行する理由

7月14

aya

例年なら今頃祇園祭の山鉾が建ち始め、各鉾町の会所から二階囃子が流れて来る頃なのですが、今年はそれらがありません。
「今年は祇園祭が中止で残念ね」という言葉を耳にしますが、神事は内容を縮小・変更して斎行されるので、中止ではありません。

祭神を乗せた神輿の行事は八坂神社が、煌びやかな山鉾の行事は町衆で作る山鉾連合会という全く異なる団体が担っています。
神輿は八坂神社を支える氏子地域を巡る一方、山鉾は鉾町を巡行するため鴨川より東へは進みません。

これまで、山鉾が巡行するのは、神輿が通る道を清めるためだと思っていました。おさらいしてみましょう。
神輿の「先触れ」として山鉾が巡行する目的は、美しい鉾頭と趣向を凝らした風流(歌と踊り)に惹かれて降りて来た疫神たちを集めるため。
これらと共に神輿が御旅所へと運び、神事によって鎮めた後に鴨川に流して「浪速の海」(大阪湾)で無力化してしまうのが狙いなのだそうです。

平安京での御霊会の起源については諸説ありますが、貞観 5 年(863)の春に疫病が流行して多くの命が失われ、5 月には神泉苑にて朝廷主催の御霊会が行われ、貞観 11年(869 年)には東北を大地震と大津波が襲ったといいます。
当時の都人も家に籠る事で疫病にかからないようにしていたのだとか。
驚くほど今の私達と重なる状況。今年は本来の祭の意味を振り返る夏になりそうです。
また、今年の7月17日から24日の間、四条通寺町の御旅所には、神輿に代えて榊が設置され、神様の依り代とされるそうです。
また、毎年山鉾巡行をライブ中継していたKBS京都では、同じ時間帯に巡行解説でお馴染み、民俗学者・八木透先生が登場する特別番組を放映するそうですよ。→過去の祇園祭動画はこちら

2020年7月14日 | 歴史, 神社 | No Comments »
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