e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

宇治市に『ニンテンドーミュージアム』

4月24

nin 宇治市小倉町に2024年3月末までに完成予定と発表されていた
ニンテンドーミュージアム』。
主にトランプや花札の製造や、ゲーム機の修理業務を行っていた任天堂宇治小倉工場をリノベーションし、過去に発売した商品を展示することで当社のものづくりに対する考えを紹介する資料館なのだそうです。

4月になったらお友達親子と一緒に見学して、
宇治茶平等院もご案内しようとわくわくしているのですが、これまでに現地に2度足を運んで撮影した2月中旬時点でも外観は特に変わらず、新しい公式発表も無い様子。

空撮写真により判明した、屋上に描かれている「ハテナブロック」はもちろん地上から見えません。かろうじて、「スーパーマリオブラザーズ」の背景に出てくる「雲」がちらっとだけ。
近くに大きな駐車スペースは整備されている様子でした。

近鉄小倉駅から徒歩6分、JR小倉駅から徒歩8分という立地ではありますが、観光向けのお店はまだ僅かですが、近くに奈良街道が南北に通り、それに沿って宇治茶関連のお店や、巨椋神社隣には「玉露製茶発祥之碑」という石碑がある静かな住宅地です。

なんとGoogleマップではオープン前から高評価が付いている不思議。
それだけファンの期待が高いのでしょうね。

オープニングスタッフの求人を見てみると「勤務開始日 2024/6/1~」とのこと。
まだまだ正式なオープンは先のようですね!

頭上の桜、脚下のたけのこ

4月9

takenoko桜の満開を迎えた週末の京都。
平日蕾を濡らした雨も上がったというのに、家族行事で京都の桜を拝みにいけずじまい。

そんななか、生協の宅配のネット注文をしていると、期間限定企画の「京都の皮付たけのこ」を発見!
新物で、あく抜きに必要な鷹の爪入りのぬかまでセットされていました
(ちなみに税込2,138円でした)。

スーパーでもたけのこのそばに米ぬかが置いてあったりするものの、これまで
たけのこで有名な「とり市老舗」の前でも
「美味しそうだな…でも手間だしな…値段も…」と
横目でやり過ごしていました。

京都のたけのこは、肥料を与えるなどの手入れは全て手作業で行われ、えぐみが少なく肉厚でやわらかく、甘みがあるのが特徴なのだそうです。

一度は自分で下ごらしえしてみたかったので、ポチっと注文して、いざチャレンジ。

たけのこは何日も置いておかず、すぐに調理するのが鉄則。
かつてお料理教室で習ったことを思い出しながら、こちらも参照しました。
他産地のものをゆがいたことが無いので分かりませんが、思っていたより短時間でやわらかくなりました。

2本をまるごと家族で頂く贅沢。
牛肉と一緒に炊くのも捨て難いけど、やっぱりシンプルな若竹煮に。
こりこりとした歯応えとやわらかい肉質を、子供達も楽しんでいるようでした。

初めてにしてはうまくいきましたが、やはり料理屋で食べるものとは味付けが違いますね。
プロが仕上げたたけのこは、より上質な素材の味を引き出すように工夫されているのだろうと、自分で手をかけてみて改めて感じます。

たけのこ尽くしで有名な「錦水亭」にも行ってみたくなりました。
長岡天満宮の八条ケ池の桜ライトアップも10日まで期間が延長となったようです。
これからの季節はキリシマつつじも綺麗でしょうね。

オープントップバスから桜の京都を眺める

4月2

sky満開のタイミングや自身の予定、お天気との掛け合わせにやきもきする桜シーズン。

屋根のないオープントップの2階建てバス「スカイバス」の「桜満喫ドライブ」を予約してみよう。そう思い立ったのが、天気予報で桜の開花予想が出たころでした。

1週間後のに満開のタイミングには少し早いものの、翌日から雨続きの予想のために数日前倒しの4月頭で予約することに。
それからは雨予報がずれ込まないか、毎日のように「近畿地方の2週間天気」とにらめっこ。
ところが、あれから3月末の気温が冷え込み、実際の開花は予想よりも遅くなってしまいました。

当日は快晴に恵まれました。4月1日より改名されたばかりの「ニデック京都タワー」が青い空に映え、心地よい風に吹かれて出発進行!

さて、桜の結果は…鴨川・賀茂川沿いの桜はちらほら咲き、岡崎エリアへと続く冷泉通りは早咲きの桜がところどころピンクの塊となって窓を撫でるように続きます。
「最初の開花予想のままだったら、今頃延々を続く見事な桜に客席からもっと歓声が上がっていただろうなあ」と思いましたが、予約した日を後ろにずらしたところで、雨と被ってしまっては元も子も無いと思い当初通りの日取りで乗車したのです。

気候も開花も自然のものだから仕方のないことですね。

春の風と日差しを受けながら、沿道のホテルのスタッフさんが大きく手を振ってくれたり、琵琶湖疎水船(動画にリンクします)と並走したり、信号ほどの高さから知恩院の古門をくぐるのはこのバスならではの楽しさでした。

ちなみに、五条より南の桜は満開で、窓の外を流れる桜並木と雪柳の共演を眺めることができました。

京都の桜シーズンはスタートを切ったばかり。
ダメもとでチャンスを伺ってみてはいかがでしょうか。動画は後程アップ予定です。

節分の「祇園ひょっとこ踊り」

2月7

hyottoko e京都ねっとも今年で干支2週目でありながら、節分の日に行われる「ひょっとこ踊り」については知りませんでした。

満足稲荷神社で狐のお面を被った巫女や年男が豆撒きをします。
こちらでは「鬼は外」とは言わず、「福は内」の掛け声のみ。
豆を受け止めるため人々が笑顔で両手を広げ、場が温まると、ひょっとことおかめらが舞殿に上がり、寸劇を披露し始めました。
化け狐がひょっとこの妻・おかめをそそのかして舞殿の外に連れ出すと、様々な表情のひょっとこ達が続々と後に続いて境内を踊りながら賑やかに周り始めます。
軽快な鉦や笛の音色と、おかめの愛嬌、ユーモラスなひょっとこのり付けに、いつしか観衆も手拍子。

太秦・ひょっとこ踊りの会」による奉納だそです。
2023年8月にひょっとこ踊り発祥の地とされる宮崎県で開かれた「日向ひょっとこ夏祭り」で団体・個人ともに優勝したという実力派です。

間の抜けた表情についこちらの頬も緩んでしまい、「こっち向いて~」と声を掛けると、ポーズを取ってくれることも。
その後、一行は20時に観亀稲荷神社から銘々に出発。
通りすがりの外国人に「何が始まるの?」と話しかけられ、追いかける私達の後について来ました。
祇園界隈はちょうど節分のお化けで獅子や助六などに扮した芸妓さんたちにも度々遭遇します。

祇園新橋辺りに再集結したひょっとこ達は更に数が増えたように見え、懸想文売りも加わりました。
祇園町の北側、辰巳神社周りを練り歩き、その後祇園町の南側へと移動していきました。

この「ひょっとこ踊り」は今年で10年目の節目として、一旦終了だそう。
残念ではありますが、春の訪れがいち早く訪れたような、清々しい気分にさせてもらいました。

あ!そういえば…この日は鬼に一度も会ってなかった!

瀧尾神社と大丸と祇園祭

1月24

takio 当初3日間だけの予定だった瀧尾神社の「木彫り龍」の特別拝観が、3月末まで期間延長(※木曜休み)されています。

辰年という事で夕方でも参拝客が絶えず、順番を待ちながら拝殿を見上げると、境内は広大というわけではないものの、美しい檜皮葺の屋根やその周りをぐるりと飾る彫刻が、とても立派なものであることに気付きます。

これらの彫刻が干支かと思いきや、後で調べてみると獅子や獏(ばく。象の様に長い鼻でした)、海馬(かいば。見た目は牛に似ていました)、犀(さい。亀の甲羅を背負っているように見えます)といった生き物だったのでした。
中でも、「鳥龍(ちょうりゅう)」は、天皇即位の高御座にも見られる神獣とされ、彫刻としての姿を見られるのは大変珍しいことなのだそうです。

これらは九山新太郎という江戸後期の彫り物師が手掛けたもので、大丸百貨店の創業家・下村家の子孫から寄進されたと伝わります。
大丸との縁は、創業者の下村彦右衛門正啓(「福助」人形のモデルとも)が行商へ行く道中にあった当社を常々参拝し、現在の京都大丸の屋上にも瀧尾神社から分祀した稲荷社へ毎月一日に宮司が欠かさずお参りをしているとのこと。

初公開されたのは、拝殿の天井を泳ぐ木彫りの龍。髭の先から尾までなんと全長8m。
こちらも下村家から寄進され九山新太郎とその弟子たちの手によるもので、鋭い爪の中に宝珠を携え、今にも動き出しそうなほど。
江戸時代に大丸呉服店の総本店が祇園祭の大船鉾の寄町にあった縁で、下村家が鉾の先端を飾る龍頭の制作を援助、その際に檜で作られt最終試作品が瀧尾神社に飾られ、新たに胴体も杉でもって制作されたのだそうです。

令和の時代も大丸が存続し、人々に親しまれているのは見ての通り。
ご利益とは、一方的にお願いごとをするだけでなく、日々の感謝を自身の行動で表すことでもたらされるのではないかと感じますね。
年の初めにいいものをみせて頂きました。

60年ぶり『京都東山福めぐり』

1月9

fuku 年が明けて初めての連休は、京都マニアの友人に誘われ『京都東山福めぐり』をしてみることに。
2024年に北政所ねねの没後400年を迎え、昨年60年ぶりに復興した催しで、通常非公開のお寺やお像が3日間に限り公開されるそのこと。それが私たちのお目当てというわけです。

東山エリアの指定された各寺社を巡りながら、様々な御利益を祈願するお守り札を受け、専用の台紙のポケットに収めていきます。

高台寺周辺なら何度も歩いてるから午後からでも廻れるだろうと高を括っていたら、道を間違えてしまったり、お参りだけして札をもらい忘れたり、休憩所で無料接待を受けたり意外に時間を要しました。
最終日というのに閉門間際になってしまい、駆け足で手を合わせながらいつしか「今日中に全てを回ることができますように」という願掛けまでしてしまっていました。

最後に最も場所が離れている瀧尾神社を残し、閉門時間を過ぎて半ば諦めているもののダメもとで電話をかけてみると、
「一日で回らはるのは無理ですわ。うちはまだやってますよ。」との奇跡の回答が!
思わず電話口で「やった!」と発してタクシーに飛び乗り、20分後に現地に到着。

拝殿天井の全長8mの木彫りの龍が初公開された瀧尾神社は、辰年のためか、まだまだたくさんの人が参拝に訪れていたのでした。

「これで満願達成ですね」と最後の守り札を受け 、居合わせた見ず知らずの参拝客からも「おめでとうございます」と声を掛けていただきました。
無謀かつ強行突破で半日で全てを巡りましたが、できれば朝から一日もしくは2日かけてお参りされるのがいいのでしょうね。

京都東山福めぐり』のそれぞれの詳しい感想はまた後日。
ちなみに、瀧尾神社の「木彫り龍」の特別拝観は1月末まで期間延長されたそうです。

島原・夕霧太夫の扇屋はどこ?

11月8

tayu 毎年11月の第2日曜日は「夕霧供養」が行われます。
寛永の三名妓の一人、京都・島原の「夕霧太夫」は清凉寺の付近に生まれ、その跡地には石碑が建てられています。
夕霧太夫は島原の「扇屋」に所属し、扇屋が大坂新町に移る際に伴いました。

大阪の大坂新町には、往時の大門跡や扇屋の跡地に石碑があり、また浄国寺には墓碑も建てられています。
しかしながら、京都の島原に扇屋の形跡はどこにもありません。

遊里に詳しい知人たちや、そのつてを辿ってみました。
すると、「自信あまりありませんが…」と古地図の画像を見せて下さいました。
江戸前期に成立した、遊里についての百科事典とも言える書『色道大鏡(しきどうおおかがみ)』のもの。
揚屋町の古地図で、「隅屋」の2軒南隣に「扇屋」の文字が確認できました。
もしかすると島原の扇屋は、拡張した現在の角屋の一部、もしくはそのすぐ南にあったのかもしれません。

専門知識は持ち合わせていないので想像の域を出ませんが、思わず久々に「角屋もてなしの文化美術館」の2階を予約して、角屋の周りも散策してきました。
件の古地図の箇所や角屋付近は民家等なのでここに掲載するのは控えますが、周辺には島原大門輪違屋(※通常非公開)を始め、歌舞練場跡記念碑きんせ旅館(※夜間営業。要事前確認)、島原住吉大社ご神木の大銀杏などが住宅地の中に点在しています。
ほとんど石碑のみですが新選組ともゆかりのある地域です。想像を膨らませながら、歩いてみてはいかがでしょうか。
(※画像は過去の太夫道中のものです)

平安騎馬隊に会いに行く

10月24

kasagi 時代祭を控えた数日前、時代行列を先導する平安騎馬隊の拠点がある厩舎に行ってみました。
地下鉄国際会館駅、または叡電宝ヶ池駅から徒歩10分強、宝ヶ池公園憩いの森の静かな一角にあります。

残念ながら、休憩中で馬場を歩く姿は見られず、また出張のため5頭揃っては見られませんでしたが、大きく、手入れの行き届いた毛並みの馬達には会えました。
ふと「笠置号」だけが首を出してくれましたが、しばし見つめ合ったあと、「なんだ」とでも言わんばかりに背を向けられてしまうのもまたご愛嬌。
団体でなければ見学に予約は不要ですが、馬場に出る時間は特に決まっておらず、馬たちの様子を見ながら、とのことです。

今年22歳で引退した栗毛の愛宕号(プリティスキャン)の部屋はすっかり空になっていたのは少し物寂しい気分でした。
勤続13年間のうち、葵祭を8回、時代祭で6回行列を警備してきた実績を持ち、引退後は滋賀県の牧場に引き取られるのだとか。
かろうじて「愛宕」という名札だけが残されていました。

2023年10月24日 | イベント, 神社 | No Comments »

三栖の炬火祭

10月12

misu 3連休の中日、伏見稲荷大社の「千本鳥居灯籠」を見届けたのち、中書島へ。
毎年10月の第2日曜日に斎行される三栖(みす)神社の「三栖の祭り」。
その神幸祭の行事のひとつとして行われるのが「炬火祭」(たいまつまつり)です。
駅から徒歩6分のところにある三栖会館のところには、長さ約4mはある巨大なブロッコリーのような大炬火が立てられ、例年の和太鼓に代わり、今年は祇園祭の鷹山保存会がお囃子を奏でていました。

地元の人々が見守る中、三栖神社の御旅所・金井戸神社から剣鉾や高張り提灯、炬火、神輿で構成された神幸列がやって来ます。
祇園囃子の調子が上がり、浜三栖若中(わかちゅう)の法被を着た氏子達が大勢で約1トンもの重さの大炬火をゆっくりと降ろし、大松明に火が灯され、「あ~、よいよいよ、」との掛け声と共に竹田街道を北上していきました。

直径約1.2mもある大松明はまるで「歩く火事」。
しかしながら、その激しく燃え盛る輝きは人を惹きつける神々しさがあり、氏子でなくとも吸い込まれるように後を追いたくなります。
濠川にかかる京橋上で沈火された後は、燃え尽きてばらけた葭を厄除けとして拾い、銘々の家へと帰って行きました。

三栖の炬火祭は、少なくとも元禄13年(1700)には行なわれていたそうで、京都市登録無形民俗文化財に指定されています。
外国人観光客の姿も殆ど見られない、まだまだ地域色の強いお祭。
もっといい絵が撮れるように、来年も行きたいと思いました。
動画は後程アップしますね。

コロナ禍で生まれた新しい神事

7月19

sinsen前祭宵山の間は、昨年より新たに始まった儀式「御神水交換式」を観るため神泉苑へ出向きました。

国宝の八坂神社本殿の地下には「龍穴」と呼ばれる池があるとされ、祇園祭の起源とされる869年の御霊会が行われた東寺真言宗寺院・神泉苑の池と繋がっているという伝承があることから、双方の境内の水を交換し、浄化した水を神事に使用するというもの。

神泉苑の善女龍王社の閼伽井で汲み上げた閼伽水と、 八坂神社本殿の御神水を、祝詞や加持祈祷で浄化、交換して持ち帰った水は「龍穴」に繋がる井戸に注がれ、「青龍神水」として疫病を鎮めんと、昨年から山鉾巡行や神輿渡御などでも取り入れられています。

昨年就任したばかりの八坂神社の宮司による提案で始まり、神泉苑の住職のほか東寺の執事長も参列したそうで、まさにコロナ禍で生まれた神仏習合の儀式です。

後祭でも山鉾巡行神輿の渡御は行われます。
お水が使われた場面に遭遇したら、ぜひご注目ください。

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