e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

日本を元気にする招き猫パワー

2月23

neko
2022年2月22日は「スーパー猫の日」という言葉がにわかに流れてきて、ふと思い立って八瀬にある「猫猫寺(にゃんにゃんじ)開運ミュージアム」に行ってみました。
八瀬比叡山口駅から川に沿って15分程歩きますが、着いてみると駐車場が広い!
中に入ると、これまでの静かな道のりからは想像つかないほど、猫グッズを求めて列を成す人々の熱気が境内(?)にありました。

猫がたくさんいる猫カフェみたいなところかと思い込んでいましたが、現在はカフェとしての営業はされていません(ドリンクのマシーンは有り)。
袈裟風のよだれ掛けを身に付けたもふもふの猫住職見習いのマヨちゃん以上に、猫グッズと猫作家・加悦雅乃さんの作品がどこに目をやっても入ってくるのでした。
幼少の頃より絵画にのめり込み、11歳から猫を描く作家として活動を始め、11年間で16点の作品が国内外で入選・受賞されている雅乃さんの22歳記念を兼ねて個展が開かれています。
5月までの期間中は、普段は特別拝観の人しか入れない地下の「22GBar」に無料で入場できるのですが、洋風アンティークな空間で上階とは別世界でした。
作風は、あふれるままにキャンバスに塗り込んでいくような、素直な発想のものばかり。京都の名所と猫を描いたポストカードもありました。

複数のテレビ番組から取材を受けているらしく、お寺の前にはたくさんの器材が。
招喜猫(まねきねこ)宗総本山に祀られる大日猫来(にゃらい)を前にオリジナルのおみくじを引く人や御朱印を求める人まで。
恐るべし猫好き人の購買力。社会福祉施設の利用者の作品の販売や就労支援等も行われているようです。
日本の経済はにゃんこが回す!!

メジャーどころ目白押し。大徳寺大光院

2月16

daikouin
大徳寺の塔頭の一つ、
大光院が特別公開されています(※2022年2月15日(火)~18日(金)を除く)。
普段は非公開のため、いつも前を素通りするだけの目立たない存在でしたが、豊臣秀吉の弟・秀長の菩提寺であり、客殿の襖絵の雲龍は狩野探幽筆、茶室「蒲庵」は、黒田如水(官兵衛)の好み、露地には如水の子・黒田長政と加藤清正、福島正則の三武将がそれぞれ一つずつ石を寄進したという云われがあり、こじんまりした境内ながら戦国時代のメジャーどころが目白押しで驚きました。
雲龍画の痛みが少し目立つかな、と思いましたが、奥州・伊達家伝来の屏風を襖に直したものと知り納得。
どこか愛嬌のあるお顔を見て、同行の友人が自分の父親に似ていると話していました。

大和郡山城主だった秀長の法号を冠した大光院は、藤堂高虎によって現在の紫野高校のテニスコートの辺りに移され、昭和29(1954)年に現在地に移転されたようです。
門構えは、藤堂高虎の頃の時代を留めているそうです。

大徳寺は禅や戦国時代に興味がある人にとっては聖地のようなお寺。
京都SKY観光ガイド協会のガイドによるウォーキングツアー『茶面の大徳寺を訪ねる~利休の歩いた石畳~』も同時開催されています。

鬼を退け、鬼に願う

2月8

oni
「疫病神を追い払いたいけど…」と各地で節分行事を行うか否かの判断が分かれるなか、蘆山寺では2年ぶりに追儺式が実施されました。

ある人は肩や腰、またある人は肺や眼など、身体の悪いところを邪気払いされた鬼に加持してもらう「鬼の御加持」では、宝剣で病を削ぎ落とすようにさすってもらいます。
列を成しているのはお年寄りが多いかと思いきや、小さな男の子や、お母さんに背負われた赤ちゃんまでいました。

特設舞台の上を進む追儺師らが手にした「鬼喰い切りの独鈷・三鈷」や「降魔面」はこの日に限り公開されるものです。
人間の三つの煩悩「貪欲」「憎悪」「愚痴」を表した赤・青・黒の鬼が一定のリズムで手足を大きく上げ下ろし、周囲ににらみを利かせる鬼踊り法楽の鬼の動きは猿楽の所作から来ているのだそうです。
松明の火の粉を振りまき大師堂へと乗り込んだ鬼は、報道カメラマンをも威嚇し、後ずさりさせます。

護摩の周りで三匹に踊られては、確かに気が散って邪魔でしょうね。法力にやられた三体の鬼は、まるで酔っ払いのごとくふらふらとお堂から外へと逃げ出しますが、その様が法螺貝の音と妙にマッチしています。
鬼が退散すると、駄目押しに追儺師が東西南北と中央へ邪気払いの法弓を引き、歓声の中で矢が弧を描きました。

最後に蓬莱師や福娘、年男、寺侍による福餅・蓬莱豆撒きが始まり、無事に受け止めて更に中に当たりが入っていた人は、破魔矢がもらえます。
餅はキャッチできませんでしたが、第一投目が頭にポコンと当たったので、それもまた当たりかもと都合良く解釈しました。
本尊の元三大師が魔滅大師(豆大師)と云われ、観世音菩薩の化身として表現されたという蓬莱豆は境内でも販売されていますが、蓬莱豆を紅白一粒ずつ食べるとその人の寿命が6年延び、また福餅を食べると開運、出世するそうですよ。

終了後は鬼との記念撮影が行われているらしく、人混みの彼方から子供達の絶叫が響き渡り、大人たちの笑いを誘っていました。
今年一年、無病息災でいられるといいね。 動画はこちら

大黒さんの打ち出の小槌

1月12

daikoku
京都では1月15日までを「松の内」として門松や松飾りを飾り初詣に繰り出しますが、年末からお出かけを控えている方も、今年は立春までゆっくりのお参りでも良いのではないかと思います。

お正月の縁起物も数多ありますが、かつて家の中で拾った小さな打ち出の小槌をなんとなく財布に入れていたら金運に恵まれた事がありました。
いつの間にかその小槌は再び行方知れずになってしまったというのが、またちょっとミステリアスな思い出。

都七福神めぐり」のうち、大黒天を祀る松ヶ崎の妙円寺をお参りした際に、打ち出の小槌の付いたストラップが御守りや熊手等と並んで販売されていたので、求める事にしました。
前の謎の小槌とは別物ですが、中に小さな大黒さんが入っていると、実際に側面から空けて見せて下さいました。
1㎝にも満たない程の、ほんとに小さな小さな可愛らしい大黒さま。

誕生日にクリスマス、親戚の子供達へのお年玉と散財気味なので、少しは還ってきますように…合掌。

寅の方角、僧形の妙見さん

1月6

myouken
京都で虎に因む寺社はたくさんあります。
洛陽十二支妙見」は、京都御所の紫宸殿を中心に、十二支の方角にそれぞれ祀られている妙見大菩薩への信仰で、寅の方角にはの修学院離宮の近くに道入寺という妙見さんがいます。

ふと思いつきで夕方に訪れたためか、はたまたマニアック過ぎたのか、他の拝観者と行き交ったのは一組だけでした。
安産や子育ての鬼子母大善神や開運・方除の七面大明神が安置された本堂があり、そばに建つ祠には虎が彫刻され、小さな僧が二体並んでいました。
乏しい予備知識のまま拝観して数分で帰るのも勿体無いので、奥様にお話を伺うと、質問にも気さくに応えて下さいました。

この像は、1979年に住職が蔵から発見したもので、真っ黒な汚れを落とすと妙見像である事が判明。
更に小さな祠の中に三枚綴りの古板が見つかり、七面天女像・三十番神と並ぶ、このお寺の創建時代からの像である事も分かったそうです。
亀に乗った姿が一般的な妙見さんが、数珠を持ち僧の姿をしているのは非常に珍しいとのこと。

妙見大菩薩は、 諸星の王・北極星、北斗七星を神格化したもので、宇宙万物の運気を司るとされています。
「妙見」とは優れた視力のこと。価値観が多様化し物事の善悪の判断が容易でない現代において、真理をよく見通す力が授かれば心強いですね。

2022年1月06日 | お寺, 観光スポット | 1 Comment »

迷わないため「心を整える」

11月17

tendoku
宇治・興聖寺の夜間拝観が始まりました。
駅や塔の島周辺からへの道中は街灯が少なくびっくりする程真っ暗で、昼間に平等院や商店街にいた沢山の人々はどこいってしまったのかと思うほど人の気配がありませんでした。
ここの夜間拝観を知らない人はまだ多いのかもしれません。

ライトアップされた琴坂を歩くのは初めてでしたが、14日の時点ではまだまだ青紅葉。
「仕方無いよね」と思いつつ、坂の両脇を流れる水の音に耳を澄ませながら、しんと冷えた空気の中を一人きりで歩くのは稀有なひと時でした。
敷居を跨いですぐに出迎えてくれる開梛は、長年打たれ続けて腹がえぐれていますが、その跡さえも美しい。
ここの大きな庫裏に足を踏み入れたのも初めてだったのですが、おくどさんから静かに湯気が立ちのぼっていました。

夜の6時からと7時からは大般若祈祷法要が行われ、自由に参列できます(詳しい日程は特設サイトをご参照ください)。
全部で600巻あるという膨大な『大般若経』を、まるでアコーディオンの様にパラパラと秒速でめくりながら「転読」する様を、計ずしも間近で見せて頂きました。
法要が終わると、にわかに僧侶の方が本尊や仏画の説明をして下さり、普賢菩薩が乗る象はあらゆる困難をなぎ倒してくれる心強い存在であること、文殊菩薩が乗る獅子は百獣の王で、
その一吠えであらゆる動物が畏れるように、仏法の力で人々の迷いを打ち消し救い上げるために修行で「心を整える」という事を教えて頂きました。

写真家・田口葉子氏による修行生活の写真も境内のあちこちに展示されています。
紅葉時期の寺院を訪れると、つい葉の色付きや写り映えに気を取られてしまうのですが、ここが修業の場である事を改めて実感できます。

ウェブサイトの画像の紅葉が赤く色づくタイミングを計らって訪れものもよし。
まだ人の少ないうちにゆっくり伽藍を巡るもよし。
興聖寺の料理番・村田副典座の指導による料理教室もあるそうです。

リモートで近づく和の文化

10月26

zoom

和の文化を日々の暮らしに取り入れる活動をしているNPO百千鳥が主催のオンラインイベント「おうちで出会う煎茶道」に参加しました。
自分で煎茶道のお点前にチャレンジするのは初めて。しかもオンラインです。

ネットで申し込みを済ませると、事前に煎茶セットが入った小さな小包が届きました。
茶葉の入った缶や干菓子等のほか、丈夫な繊維でできた紙のコップと、それに合わせて誂えられた木製の蓋が付いていました。
急須代わりとはいえ、水洗いすると南天の木の良い香りが漂います。
泉涌寺の塔頭・悲田院の青竹を切り出して作ったという竹茶碗なんて、後からお酒を入れて楽しめそうです。

当日、ウェブ会議サービス「Zoom」によって自宅と悲田院がLIVE中継で繋がれ、各地からの参加者が続々と画面に表示されていきました。
それぞれおうちのダイニングで、リビングで、お子さんを膝に載せて、あるいは男性の姿もあり、中には和服に身を包みお子さんと正座で開始に備えている人も。

東仙流のお家元が「自由に楽しめるように」と考案されたシンプルなお点前を見よう見まねで手順を進めます。
画面越しだけど直々に、なんてリモートならではの感覚です。

初めての煎茶点前で淹れた煎茶で喉を潤しつつ、紅斑竹の結界に倣汝窯の茶入れなど、この催しのためのしつらいを会記を傍らに眺めながら、質問があればチャット機能で尋ねます。

煎茶道にいつも登場する素焼きの湯沸かしが「ボーフラ」という奇妙な名前なのですが、ポルトガル語「かぼちゃ」が由来であると初めて知りました。
抹茶の茶道と比べると、煎茶道で飾られる花は大振りです。大地の木の勢いを大切にしてるからだそうです。
掛け軸の書は、詩仙堂で知られる石川丈山によるものでした。煎茶道の祖と言えば売茶翁ですが、丈山も一時そう呼ばれていた事もあったのだとか。
まさに自宅にいながら、今ここが「山居遊勝」の場となりました。

2021年の祇園祭は②

7月31

sinsenen
31日に八坂神社境内の疫神社での夏越祭をもって、2021年の祇園祭は締めくくられます。

後祭の7月24日。
榊を背に氏子地域を歩んだ神馬は、祇園祭発祥の地・神泉苑又旅社を経由して八坂神社へと帰還しました。

神社の石段下では、輿丁達や祇園の花街の方など、祭神を待ち侘びた人々が「ホイット、ホイット!」の掛け声と手拍子で迎えていました。
陽が落ち、榊を神輿に返して、ここから神霊を本殿に返す儀式が行われます。

時が満ちて消灯。一斎が沈黙し満月の光だけに照らされた暗闇のなか、本殿からは手招くような琵琶の音色が聴こえてきます。
誰一人言葉を発しない境内だと、水が流れる音が聞こえる事を初めて知りました。
白布の向こうでほのかな光が動き、神霊は本殿へと還られました。

世界的な疫病の流行下で、疫病退散の祭を多人数で行う事が正しいのかどうかは分かりません。
「文化を継承する」のも、「神に祈りを捧げる」のも、あくまで人間の都合だからです。
取材に際しては様々に注意を払っておりましたが、それでも人の密集が避けられない瞬間は何度かありました。
自分もその一因である事は間違いありません。

祈りを届けるために天地を繋ぐのなら、鉾と神木を立てるだけでよいところを、集めた財によって舶来品と匠の技の結晶で飾り立てた山鉾の姿は、まさに「町衆の祭」の象徴ですね。

儀式の間に感じた、暑さを感じないほど穏やかな夜風。
にわかに本殿側だけ踊っていた提灯。
藍色の空に顔を出した神々しい満月。

複雑な心境とこの清々しさを、どう捉えたらいいのだろうと、ぼんやりしながら社を後にしました。

動画はこちら(順次アップしていきます)

元祇園・梛神社と綾傘鉾

7月6

nagi
新選組ゆかりの壬生寺の近くに「元祇園」と呼ばれる梛神社があります。
貞観年間、京の悪疫退散のため祭神・牛頭天皇こと素盞嗚尊を東山の八坂に祀る前に、一旦この地の梛の森に神霊を仮祭祀したのが由来とされています。

数分で一周できてしまうような広さの境内ですが、街中なので人足は絶える事が無く、今も地元の人々の信仰を集めている事が伺えます。
祇園祭の山鉾巡行の際に、神饌を供えたという御供石が安置されており、この石がもともとあったという下京区周辺には今でも「御供石町」「長刀切町」「悪王子町」という地名が残されています。
梛の実を模したまん丸のお守りの中に願い事を書いた紙を詰めて、ご神木の梛の木に吊るさせて頂きました。

先週末は梛神社で綾傘鉾の奉納囃子があったそうで、観て来た友人が動画を見せてくれました。
綾傘鉾と壬生の人々とがどういう関係性があるのか今まで疑問に思っていたのですが、ようやくその理由が判明しました。
素盞嗚尊が八坂の郷に遷座する際に、壬生村の住人が花を飾った風流傘を立てて、棒を振り、音楽を奏でて神輿を送った事が祇園会の起源ともいわれているそうです。
これまでにも、祇園祭に際して綾傘鉾の関係者が祈祷をしてもらったり、お囃子を奉納された事があるなど、古くから結びつきがあるのですね。

地囃子や棒振り囃子が神前で披露され、観客は目前で投げられた蜘蛛の糸も浴びる事ができたようです。
軽やかで澄んだ鉦の音は穢れを吹き飛ばし、本当に浄化の効果が期待できそうです。

立ち止まる刹那

6月8

ajisai
智積院の金堂の裏から奥の墓地までに至る道のりは、知る人ぞ知る紫陽花の隠れた名所です。
想像以上の紫陽花の株数に思わず足を止めてしまいました。

人の手が入り過ぎず野趣を残したような印象の紫陽花たちは、赤と青で咲き分けた毬のような花もよく見つかります。
奥の一角に並ぶ墓石は「学侶墓地」。江戸時代に全国から宗派を超えて集い智積院で約二十年もかけて修業する中で、志半ばで亡くなった人々を祀ったものだそうです。

無人というほど寂しいわけでもなく、数人が土の上を歩む音と、鳥のさえずりだけが響く静寂の世界。
初夏でも鴬が鳴く事があるんですね。
「静かな観光地」の「静けさ」ではなく、世俗から切り離された「静けさ」に身を浸してみたい人はぜひ。

境内を歩いていると、規則正しく並んで進む僧侶の列に遭遇。
京都ではそう珍しい光景でもありませんが、一人一人と通り過ぎる度に「こんにちは」と頭を下げられました。
反射的に「こ、こんにちは」と首を垂れたものの、自分はきちんと足を止めていなかった事に気付きました。

本来、挨拶は歩きながらではなく、立ち止まってするもの。
背筋がすっと伸びる思いがして、その後も境内のところどころでお坊さんと挨拶する度に心がけました。

一秒にも満たないこの動作で、相手から大切にれているような気持ちになる。
まだ小さい子供達にも伝えていこうと思います。

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