e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

夜の平等院鳳凰堂

10月22

byo先日、夜の平等院鳳凰堂の前で能楽の特別公演がありました。
夕方の宇治川周辺の観光施設も門戸を閉じ、昼間の喧騒も落ち着いたころの、夢うつつような風情もまたいいものです。

境内の茶房「藤花」で限定菓子「紫雲」と水出しの煎茶、お薄を頂きました。
さすが宇治は茶処、どれも美味しい。

「スーパームーン」前夜の演目は半能「頼政」と狂言「口真似」、能「羽衣 盤渉」。
「頼政」は、平安末期、宇治の合戦で平家軍が平等院に押し寄せ、自刃した源頼政の『平家物語』を題材とした演目です。
頼政の能面はこの曲だけに用いられる特殊なもの。年老い枯れながらも情念を感じさせる表情、窪んだ眼はライトの光を捉えて凄みがありました。

境内には頼政が自ら命を絶ったとされる跡「扇の芝」や、「源頼政の墓地」があります。

「羽衣」では、天女が羽衣を羽織った瞬間、平等院の屋根の鳳凰を背後に衣装の背一面に白い鳳凰の刺繍が現れ、思わずため息が洩れました。
正面からは両翼の羽が折り重なるような意匠となっており、装束展で観たときには気付かなかった新たな発見でした。

まさに天女が舞い上がろうという場面の直前、一羽の鳥が声をあげて飛び立ち、朧月夜だった空はいつしかすっかり晴れて月が青白い光を放っていました。

夜の平等院は特別拝観などの催しがあるときだけ入ることができます。
暗闇を進む砂利の音、虫の声、そして創建以来ずっとここに佇む鳳凰堂と水鏡。
きっと、忘れられない一夜となりますよ。

「京都の定番」をおさらい

8月28

100 今、五木寛之著『百寺巡礼 第三巻 京都Ⅰ』を読んでいるところです。
これは2003年に発刊された有名な書籍で、京都編の前半にあたりますが、紹介している寺院は金閣寺銀閣寺清水寺東寺など、いわゆる「京都観光の定番」とも言われるところばかり。

それらの「有名寺院」を自分が知り尽くしたとは思っていませんが、余りに有名、余りに人気があり過ぎて、かえって足が遠のいてしまう時があります。けれど、国内外からやってくる人々が目指すのはやはりこういう場所。
ガイドブックとは異なる表現に触れてみたくて手に取りました。

休筆中に五年余り京都の聖護院に暮らしたものの寺社を拝観することなく、二十年程経って京都の寺々を巡ったという作家・五木寛之氏。
様々な作家の言葉も引用し、龍谷大学で学んだ経験や自らの人生観も織り交ぜながら、それぞれの寺院についての考察を深めています。

令和の今や動画投稿サイトで実況を観て拝観の疑似体験することもできますが、こちらは、まるで共に歩いているように想像を膨らませながら読み進める楽しみがあります。
その臨場感ある描写と取材力を前に、時折自分の物書きとしての語彙力の無さも恥じながら、ひと寺ごとに新たな発見をさせてもらっています。

これらの「有名寺院」を一括りにせず、もっと踏み込み問いかけるような話題として来訪者に提供できるよう、この本を手もとに置いておきたくなりました。

送り火を観た子供の感想

8月19

okuribi 夏バテか、今年の送り火は自宅でテレビ中継を観ました。

五山の送り火は何度も家族で観に行っていますが、テレビ画面で大きく拡大して眺めたのは子供達にとって初めての事でした。

「きれーい」という歓声は想定内でしたが、小学1年生の息子には
「かわいい~」のだそうです。

気がつくと、隣で紙切れにたくさんの炎の点々を熱心に打っていました。
「ぼくは鳥居が1番好き」。
「みょうほうって漢字はどう書くの?」
「書き順はこんな感じかな~これで分かる?」
まだ難しい漢字の書き順を書いてみせると、夢中になって写していました。
SNSに流れて来る送り火へのコメントは
「宗教行事やから大文字“焼き”やない」
「京都人でも子供の頃は“大文字焼き”って言ってたけどなあ」
「手を合わさず一斉に携帯のカメラを向けて送り火を撮ってばかり」
「故人の初盆なので静かに見送りたいのに、点火に拍手喝采が湧いて悲しくなった」
「大雨でも台風でも強風でもいつも通りの点火に労をねぎらっているのでは」
と様々な意見が騒がしく飛び交っていました。

自身も、昔は「複数観える場所はどこか」「静かな穴場はどこか」に興味があり、正直今でもそれは変わりませんが、明るみにすることで地元の風情が壊されてしまう懸念もあり、ご紹介が難しいところです。

誰かを亡くし見送る経験の数や自身の心身面によって、捉え方は様々なのでしょう。
まだ誰かの死に直面したことも無く、宗教の概念も殆ど無い子供が、送り火を「かわいい」「準備が大変やな」と表現し一生懸命に書き写そうとする横顔が新鮮に映りました。

「夏休みの今頃はね、お盆って言って、亡くなった人達がおうちに戻って来るねん。で、送り火を目印にして、“天国への帰り道はこっちだよ”って教えてバイバイするの。“また来年ね~”ってね」

果たしてどれくらい理解してくれたか分かりませんが、
「ぼく、来年は観に行きたい!」
と笑顔を返してくれました。

2024年8月19日 | お寺, 歴史, 神社 | No Comments »

神仏習合の祈り「八坂礼拝講」

7月24

raihai2024年の祇園祭でも新たな話題がありました。
かつて「犬神人(いぬじにん)」や「弦召(つるめそ)」と呼ばれる人々が住んでいた弓矢町の町人らが、祇園祭の神幸祭・還幸祭で中御座の警護役として行っていた武者行列を半世紀ぶりに復活させようという「弓矢組プロジェクト」が始まっています。
来年の行列復活を目指して鎧の調査や修復が進められており、今年の神幸祭では宮本組の御神宝列と共に旗持と裃姿で参列されました。

また、八坂神社の宮司から延暦寺への申し入れにより、国家安寧と疫病退散を合同で祈る神仏習合の儀式「八坂礼拝(らいはい)講」が復活しました。
南楼門から神職と僧侶がそれぞれに列を成し本堂へと入っていきます。その中には車いすの天台座主の姿も。
その光景を見守る人々の中にも有名な寺院の関係者がたくさん手を合わせていました。
本堂内は非公開でしたが、祝詞や世界平和を祈る祭文が唱えられ、外で待つ私達にも聞こえてきました。
この「八坂礼拝講」は、疫病退散の祈りとして今後も継続を目指すといいます。

山鉾を競って絢爛豪華に飾り立てるようになった室町時代以降続く、町衆によって熱を帯びてきた祇園祭。
祭儀のあり方を再考させられた、2年余りに及ぶコロナ禍の影響が大いにあったと言っても過言ではないでしょうか。

自然の原理を生かした陰陽道のやり方に戻したい、と宮司は今後、神仏習合時代の祈りの形を整え、2033年に向けて『祇園感神院』の復元が模索されているそうです。
八坂神社は、明治の神仏分離政策を受ける前は「祇園社」「祇園感神院」という名を称していました。

西楼門から入って左手にある手水舎には「感神院」の文字が見られます。ぜひ見てみてくださいね。
関連動画は後程アップ予定です。

誰かの実家で食べるごはん

5月27

chikoro 大文字山を下山したころ、世界遺産・銀閣寺の参道のお店がすっかり営業を開始していて、多くの観光客で賑わっていました。
一息つくのにどこに寄ろうか彷徨ううちに南側へ延びる脇道が目に入り、直感的に進んで行くと、やっぱりありました。古民家カフェ。

入れ違いに玄関を出てきた外国人のマダムの穏やかな表情が、静かで落ち着いた時間をすごせたことを物語っています。

縁側の隅には持ち主のものと思われる文庫本がしまわれており、いかにも銀閣寺界隈に古くからあるような、文芸的な薫りのするおうち。
「家は使わないと傷んでいってしまうから…」と、身内の方が静原の自家農園で採れた野菜や近隣の新鮮な有機野菜や有機食材でこしらえた自家製のランチやお菓子を提供しています。

床の間の棚の扉には「大」の字が。「大文字」の送り火のお膝元なので、後から入れられたのだそうです。珍しく高さのある木枠に収まった火鉢など、アンティークショップにあるような家財がそこかしこに馴染んでいます。
帰り際に玄関に飾られているお花は、なんと人参の花なのだそう。

アップテンポなBGMや映えるスイーツのカフェも気分がアガるけど、「誰かの実家で食べるごはん」という環境は腰を下ろしてほっとするのに最適ですね。
Cafe Chikoro」はまだ昨年オープンしたばかり。銀閣寺を目指して人混みを歩く人々にも教えてあげたくなりました。

オープントップバスから桜の京都を眺める

4月2

sky満開のタイミングや自身の予定、お天気との掛け合わせにやきもきする桜シーズン。

屋根のないオープントップの2階建てバス「スカイバス」の「桜満喫ドライブ」を予約してみよう。そう思い立ったのが、天気予報で桜の開花予想が出たころでした。

1週間後のに満開のタイミングには少し早いものの、翌日から雨続きの予想のために数日前倒しの4月頭で予約することに。
それからは雨予報がずれ込まないか、毎日のように「近畿地方の2週間天気」とにらめっこ。
ところが、あれから3月末の気温が冷え込み、実際の開花は予想よりも遅くなってしまいました。

当日は快晴に恵まれました。4月1日より改名されたばかりの「ニデック京都タワー」が青い空に映え、心地よい風に吹かれて出発進行!

さて、桜の結果は…鴨川・賀茂川沿いの桜はちらほら咲き、岡崎エリアへと続く冷泉通りは早咲きの桜がところどころピンクの塊となって窓を撫でるように続きます。
「最初の開花予想のままだったら、今頃延々を続く見事な桜に客席からもっと歓声が上がっていただろうなあ」と思いましたが、予約した日を後ろにずらしたところで、雨と被ってしまっては元も子も無いと思い当初通りの日取りで乗車したのです。

気候も開花も自然のものだから仕方のないことですね。

春の風と日差しを受けながら、沿道のホテルのスタッフさんが大きく手を振ってくれたり、琵琶湖疎水船(動画にリンクします)と並走したり、信号ほどの高さから知恩院の古門をくぐるのはこのバスならではの楽しさでした。

ちなみに、五条より南の桜は満開で、窓の外を流れる桜並木と雪柳の共演を眺めることができました。

京都の桜シーズンはスタートを切ったばかり。
ダメもとでチャンスを伺ってみてはいかがでしょうか。動画は後程アップ予定です。

「句読点」のごとき大徳寺納豆

1月31

kara主に禅寺で手作りされきた昔ながらの保存食・大徳寺納豆
見た目は小さな味噌玉のようですが、大豆を納豆菌ではなく麹菌で発酵させ、乾燥後に熟成させたもの。
修行僧にとっては貴重な植物性のたんぱく源であり、夏を中心に手間暇かけて仕込まれ、この作業も修行の一環なのかもしれません。
「天竜寺納豆」や「一休寺納豆」としても知られています。

「大徳寺納豆って色んな所で作ってはるけど、ここのが一番好きや」
と、父に連れて行ってもらったのがお店ではなく、大徳寺の塔頭の一つ、瑞峯院でした。
「(ここって、キリシタン大名の大友宗麟のお寺だよね…)そんないきなり行って買えるん?」と訝しむ心持ちで敷居を跨ぎ、入り口入ってすぐの受付で尋ねると、「唐納豆」と判を押された上品な包みが差し出されました。

久々に我が家に迎えた瑞峯院の大徳寺納豆。
もっちりしていますが、微かにしゃりっと感じる歯応え。
意外にあっさりしていてクセがありません。

初めて食べた家族の評判は二分されましたが、納豆好きな3歳の子供が「美味しい!」と一言。
それ以来、「あの、なっとうの、くろいやつ」と所望されます。
「こんなに袋に入っていてもそう減らないだろう」と思いきや、自分でもあれからふと目にすると一粒つまんで、毎日一度は口に含んでいることに驚きました。
まるで、生活の中の「句読点」のごとき黒い粒。

一度にたくさん食べられるものではありませんが、和菓子のアクセントとして入っていると嬉しいもの。
お粥の真ん中に数粒浮かべたり、お善哉など甘いお菓子やお茶の傍らに添えるのもいい。
そういえば初釜の点心では、瑞々しい松葉に大徳寺納豆を通した洒落た姿で出されていました。
食べ方、出し方のアレンジを色々考えてみたいですね。

歩きながら考えていこう

1月16

ourin 昭和27(1952)年から始まり昭和50(1975)年まで行われていたという“東山十福神巡り”。
令和に「京都東山福めぐり」(1月7日で終了)として復活し、その訪れたなかで最も印象的だった場所の一つが、普段は非公開の岡林院(こうりんいん)でした。

創建は1608年で、現存する高台寺の塔頭として最も古いお寺です。

初めて中に入らせていただくと、茶室を備えた苔の美しい露地庭が広がっています。
茶室「忘知席(ぼうちせき)」は裏千家又隠席の写しなのだとか。
ここが観光地のど真ん中とは思えない静けさ、まさに「市中の山居」。

庭を望む丸窓の奥には、鏡餅が供えられた延命地蔵願王菩薩が私達を見つめています。
明治~大正期の画僧で建仁寺にも作品を残すという田村月樵の天井画の龍は、漆の床板にまるで鏡のように見事に映り込んでいました。

傍らに置いてあった色紙について尋ねてみると、書いてあるのは「雲従龍」とのこと。
「雲は竜に従い風は虎に従う」という言葉があり、「立派なリーダーの周りには、そのリーダーシップや魅力に惹かれて、同じように優れた臣下や部下が集まる」こと、また「相似た性質を持った者同士が互いに求め合う」とされています。

「そういう言葉がありますが、頭であれこれ思い巡らせるよりも、まず一歩踏み出して、歩きながら考え進めば、自ずと仲間もできて道ができていく」のではないかとの若いご住職さんのお話でした。
自分にとっては、こちらの解釈がより近くで背中を押してくれるように感じます。

通常は入ることのできない岡林院ですが、X(旧Twitter)Instagramの公式アカウントからも日々の境内の様子を発信しておられます。
今、そこにいる場所から訪れてみてはいかがでしょうか。

60年ぶり『京都東山福めぐり』

1月9

fuku 年が明けて初めての連休は、京都マニアの友人に誘われ『京都東山福めぐり』をしてみることに。
2024年に北政所ねねの没後400年を迎え、昨年60年ぶりに復興した催しで、通常非公開のお寺やお像が3日間に限り公開されるそのこと。それが私たちのお目当てというわけです。

東山エリアの指定された各寺社を巡りながら、様々な御利益を祈願するお守り札を受け、専用の台紙のポケットに収めていきます。

高台寺周辺なら何度も歩いてるから午後からでも廻れるだろうと高を括っていたら、道を間違えてしまったり、お参りだけして札をもらい忘れたり、休憩所で無料接待を受けたり意外に時間を要しました。
最終日というのに閉門間際になってしまい、駆け足で手を合わせながらいつしか「今日中に全てを回ることができますように」という願掛けまでしてしまっていました。

最後に最も場所が離れている瀧尾神社を残し、閉門時間を過ぎて半ば諦めているもののダメもとで電話をかけてみると、
「一日で回らはるのは無理ですわ。うちはまだやってますよ。」との奇跡の回答が!
思わず電話口で「やった!」と発してタクシーに飛び乗り、20分後に現地に到着。

拝殿天井の全長8mの木彫りの龍が初公開された瀧尾神社は、辰年のためか、まだまだたくさんの人が参拝に訪れていたのでした。

「これで満願達成ですね」と最後の守り札を受け 、居合わせた見ず知らずの参拝客からも「おめでとうございます」と声を掛けていただきました。
無謀かつ強行突破で半日で全てを巡りましたが、できれば朝から一日もしくは2日かけてお参りされるのがいいのでしょうね。

京都東山福めぐり』のそれぞれの詳しい感想はまた後日。
ちなみに、瀧尾神社の「木彫り龍」の特別拝観は1月末まで期間延長されたそうです。

紅葉の絨毯を求めて

12月13

daikoku 紅葉狩りの熱気が落ち着いたころ、お目当てに向かうのは敷き紅葉です。
銀杏の木が並ぶ北山通りは黄色く縁取られ、蝶のような葉が北風に煽られて、コンクリートの上をカサカサと舞い踊ります。
「枯れた風情」とはよく言ったもので、この季節だからこそ出逢える優しい彩りの景色ですね。
一筋北の通りに入ると、お盆の「妙法」の送り火の字が残る山肌が迫り、麓には趣のある民家が点在しています。
「代々、妙法を守ってきたお家だろうか」と振り返りながら山の手へ。

どうやら妙円寺、通称「松ヶ崎大黒天」の境内へ東側から入ったようです。
一瞬奥に赤い地面が見えましたが、まずは本殿にご挨拶。
妙円寺は「都七福神めぐり」のお参り先の一つ。
お正月で賑わう前に一足早く色紙を求めている人もいました。

そこで、昨年に受けた打ち出の小槌のお守りを新調しました。
「どうしたことか、度々蓋が開いて中の大黒さんが逃げはるんです。どっか行って空っぽになっちゃって」と事務所の方に話すと、
笑いながら「身代わりになって下さる事もあるので…」と手渡してくださいました。

境内の奥に目をやると、門前に色とりどりの紅葉が地面に落ちて、一面を染めた赤い絨毯のようになっていました。
もう12月の2週目だったので見頃は過ぎた感がありましたが、タイミング次第では額縁に収まった錦模様が更に鮮やかだったことだろうと思います。それでいて拝観者の出入りも適度で静か。

ふかふかの紅葉を踏む「ふしゅ、ふしゅ」という音を足で感じながら山を降り、再び北山通りへ。
この付近は、夜になるとクリスマスムードになりますよ。

« Older Entries