e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

節分の日は何をする?

1月27

setubun 今年の節分は2月2日なので要注意です。
恵方巻に豆撒き、鬼踊り以外でも、京都の節分行事は多岐にわたります。

狂言や雅楽、舞楽を行い、弓矢で邪気を祓うところもたくさんありますが、六波羅密寺では六斎念仏の奉納をします。
千本えんま堂では「厄除けのこんにゃく炊き」、法輪寺では「だるま説法」、天龍寺山内では七福神を巡り、日向大神宮では天の岩戸を通り抜けます。
誓願寺では「大般若転読会」を、平安神宮や鞍馬寺では宮中儀式を再現します。
須賀神社の縁結びの文は効力あり(個人の感想です)。
五条天神社では、日本最古といわれる木版の宝船図が、節分の日に有料で授与されます。

昨年の節目で終了したと聞いていた「ひょっとこ踊り」は、どうやら今年も行われるようです。
花街練り歩きに繰り出すひょっとこ達について行けば、祇園の「おばけ」にも遭遇できるかもしれません。

改めて羅列すると、実にバラエティに富んでいますね。
せっかくの日曜日、春の先取りに節分行事を楽しんでみませんか?

東本願寺の隠れた名所

1月22

miya初弘法をぶらっと歩き、境内のおでんの屋台で腹ごしらえした後、シェアサイクルに乗って東本願寺へ。
「京の冬の旅」キャンペーンで東本願寺の宮御殿と桜下亭(ともに重文)が特別公開されています。

京都駅から徒歩約7分という立地でありながら「オーバーツーリズム」という言葉を感じさせないほど静かで広大な境内です。
ギャラリーに入り、奥の宮御殿へ。
赤い畳縁が珍しく、襖には宮中の行事を描いた大和絵が飾られています。
嵯峨野で鳴き声の良い鈴虫や松虫を籠に入れて楽しむ「撰虫(むしえらび)」や、初子の日に若松の根を引いて占い、若菜を摘む「子日遊(ねのひのあそび)」は初めて知りました。
傾斜した築山と池の水は、実は防火のため。今でこそ水を汲んで張っていますが、かつては琵琶湖とこの地との高低差を活かして引き込んでいたのだとか。
「用と美」を兼ね備えた池泉式庭園です。

撮影できるのはここまで、「桜下亭」へ進みます。
洗練された意匠の建物。大地震から逃れて東本願寺に保護された円山応挙の襖絵「稚松(わかまつ)図」「壮竹図」「老梅図」が三室に配され、それぞれがまるで人生のステージのようです。
隠居した門主がすごした部屋は、浄土真宗における阿弥陀如来の広大な救済を記した「本願海」の軸が床の間に下がり、随所に貼られた金箔は、経年による味わいの変化も見られます。
作者は不明ですが、亭内には犬やうさぎの姿も。
数寄屋風の意匠で、機織りの筬を模した欄間はかなりモダン。釘隠しは部屋の内外で異なり、梅の花弁をがくの側から表現するなど、いずれも他では見たことの無いデザインでした。

これらの建物が公開されるのは、「京の冬の旅」において42年ぶりといいます。
何度も前を通るので知ったつもりになっていた東本願寺でしたが、まだまだ知らない部屋が隠されていたのですね。
なお、京の冬の旅期間中の毎週金曜・土曜日はインターネットからの完全事前予約制で、「僧侶がご案内する特別拝観」も利用できます。

瞳を閉じた能面

12月30

yoro年の瀬に、能『弱法師(よろぼし)盲目之舞』を初めて観ました。

目を閉じた珍しい面を目にして以来、気になっていたのです。

親に捨てられ、盲目となった乞食は、よろよろとよろめき歩くので人々から「弱法師」と呼ばれ、後に思わぬ形で父と再会します。
先にあらすじを読んだだけで泣きそうな心地になる物語です。

身体の一部に障害がある人は、「片端者」と呼ばれて差別されてきたといいます。
何百年もの昔から世の中は健康優良な男性を基準に作られきて、令和の時代になって女子供や病気や障がいを持つ人達の人権は十分に守られてるだろうか、と飛躍して憤ってしまいました。

俊徳丸にまつわる伝承は、謡曲や説経節、人形浄瑠璃や歌舞伎、落語、絵画の題材にもなっています。
近代では三島由紀夫の戯曲や、俳優の白石加代子さんと藤原竜也さんが演じた『身毒丸』という舞台もありました。

物語上でフォーカスしている部分は異なるものの、この伝承の何がこれほどまでに派生を繰り返してきたのか。
内容も異なっているようですが、ぞれぞれに触れてみれば何かが見えてくるのでしょうか。

物語の舞台は大阪の天王寺ですが、社会福祉施設だった「悲田院」は、京都の泉涌寺の塔頭にもその名が残されています。

散り紅葉の絨毯

12月11

anraku今年の紅葉の色づきはゆっくりだったせいか、紅葉狩りの人出が分散されたと聞きます。
師走に入りましたが、まだ散り紅葉の絨毯の楽しみが残っていますよ。
SNS上のリアルタイムな投稿を検索しながら、安楽寺に行ってみることに。

石段がまるで赤い絨毯のように…とまでは積もっていませんでしたが、両脇は折り重なったふわふわの散り紅葉で華やかな朱色に染まっていました。
秋の特別公開期間は終了していたので中に入ることはできませんでしたが、紅葉が音もなく落ちる静寂をしばし眺めていました。

前日にX(旧Twitter)で観た安楽寺の山門前は、石段にもそれなりの散紅葉が積もっていたように見えたのですが、今日のはそれよりも絨毯のボリュームが減っているような。
どこへ飛んで行ってしまったのでしょうね。それともこれから積もっていくのでしょうか。
それでも、通りがかった海外からの旅人が、その静謐な空間に思わず立ち止まって溜息を漏らすほど。

すぐ近くにも茅葺の屋根と紅葉と白砂のコントラストが美しい法然院があり、安楽寺との間には小さな公園やカフェもあるので、静かな住宅地の中を散策する間の小休止もできます。
平日だったせいか、訪れる人も多くなく、一人もしくは少数のグループがぽつりぽつりと訪ねては去っていきます。
それぞれの山内に入ったときの、ひんやりとした清浄な空気とはらはらと舞い降りる紅葉、緑蒸す苔石畳にスタンプのように散りばめられた赤や黄色の葉の質感、鳥のさえずりが織りなす錦模様と空気感は、実際に足を運んでその身を置いてこそ。

散り紅葉の絨毯を観るには、散り始めた頃ではまだ積もるまでに至らず、積もっても雨に打たれると色褪せてしまうこともあるので、タイミングの見極めが難しいところですが、
来年の秋は、シーズンピークをずらして散り紅葉を味わってみませんか。

弘法市で一服

12月4

kobou
5月の
大文字山野点を機に知り合った方と、「いつぞやの弘法市のときに、会いましょうね」と約束していました。

後に相手がお茶の先生と知り、「これはいい加減なことはできないぞ」と「亀屋伊織」の「吹き寄せ」を予約。
お湯の入った水筒と共にリュックに入れて背負い、その方と友人の3人で境内をぶらぶら。
着物がお好きなようで、お店の人や珈琲ブースで出逢った人と着物談義に花が咲き、評判の鯖寿司やさんとも立ち話もしつつ、なかなか前に進まないもの一興。

南門から外側寄りに北へ周り、北大門を向けて右手の奥にある大元堂へ。
この辺りは市の喧騒から近からず遠からず。水辺に架かる橋の欄干のようなところに腰掛けました。
お堂の傍らに「開運大元帥明王(だいげんすいみょうおう)」とあります。
大元帥明王は、元来は子供を喰い殺す悪鬼(夜叉神)であったのが仏教にとり込まれ、国土や衆生を護る明王のボスとなったほとけだそうで、
小さなお堂ながらぽつりぽつりと手を合わせていく人の姿が絶えません。
私達も挨拶代わりにお賽銭をし、手を合わせました。

机や畳は無いので、木の根っこに干菓子盆を置き、持参した水筒のお湯で点てていきます。
「点てる場所の下見までしてくださってたのね」
「秋の趣向のお菓子とお茶だわ」
「お抹茶も事前に濾してきてくださったの」
さすがお茶人さんです。流派は違えどこちらのおもてなしを一つ一つ丁寧に汲み取って楽しんでくださり、お堂とそばにあった仏さんにまでお供えされていました。
ご縁に感謝。
お菓子や菓子器として使った一閑張の四方盆についてはまた後日。

茶を点てすぎて死ぬ

11月6

yori

連休中に放映された大河ドラマ『光る君へ』で、平等院鳳凰堂が紹介されました。
平等院ゆかりの能の演目に『頼政』、狂言に『通圓』があります 。
画像は、平等院境内にある境内にある頼政の墓地。同じくゆかりの「扇の芝」は、観音堂の保存修理に伴い立ち入りできなくなっているので、ご注意ください。

後者の狂言は『頼政』のパロディだそうで、
頼政』の方では宇治の戦いで平家軍300人が平等院に押し寄せ、源頼政は自刃する悲劇がモチーフになっていますが、
通圓』 では、客人300人が押し寄せ、茶屋坊主の通圓はお茶を点て過ぎて「点て死に」した話なのだそうです。

「点て死に」なんてパワーワードは初めて聞きました。
恐るべし、京の茶処・宇治

夜の平等院鳳凰堂

10月22

byo先日、夜の平等院鳳凰堂の前で能楽の特別公演がありました。
夕方の宇治川周辺の観光施設も門戸を閉じ、昼間の喧騒も落ち着いたころの、夢うつつような風情もまたいいものです。

境内の茶房「藤花」で限定菓子「紫雲」と水出しの煎茶、お薄を頂きました。
さすが宇治は茶処、どれも美味しい。

「スーパームーン」前夜の演目は半能「頼政」と狂言「口真似」、能「羽衣 盤渉」。
「頼政」は、平安末期、宇治の合戦で平家軍が平等院に押し寄せ、自刃した源頼政の『平家物語』を題材とした演目です。
頼政の能面はこの曲だけに用いられる特殊なもの。年老い枯れながらも情念を感じさせる表情、窪んだ眼はライトの光を捉えて凄みがありました。

境内には頼政が自ら命を絶ったとされる跡「扇の芝」や、「源頼政の墓地」があります。

「羽衣」では、天女が羽衣を羽織った瞬間、平等院の屋根の鳳凰を背後に衣装の背一面に白い鳳凰の刺繍が現れ、思わずため息が洩れました。
正面からは両翼の羽が折り重なるような意匠となっており、装束展で観たときには気付かなかった新たな発見でした。

まさに天女が舞い上がろうという場面の直前、一羽の鳥が声をあげて飛び立ち、朧月夜だった空はいつしかすっかり晴れて月が青白い光を放っていました。

夜の平等院は特別拝観などの催しがあるときだけ入ることができます。
暗闇を進む砂利の音、虫の声、そして創建以来ずっとここに佇む鳳凰堂と水鏡。
きっと、忘れられない一夜となりますよ。

「京都の定番」をおさらい

8月28

100 今、五木寛之著『百寺巡礼 第三巻 京都Ⅰ』を読んでいるところです。
これは2003年に発刊された有名な書籍で、京都編の前半にあたりますが、紹介している寺院は金閣寺銀閣寺清水寺東寺など、いわゆる「京都観光の定番」とも言われるところばかり。

それらの「有名寺院」を自分が知り尽くしたとは思っていませんが、余りに有名、余りに人気があり過ぎて、かえって足が遠のいてしまう時があります。けれど、国内外からやってくる人々が目指すのはやはりこういう場所。
ガイドブックとは異なる表現に触れてみたくて手に取りました。

休筆中に五年余り京都の聖護院に暮らしたものの寺社を拝観することなく、二十年程経って京都の寺々を巡ったという作家・五木寛之氏。
様々な作家の言葉も引用し、龍谷大学で学んだ経験や自らの人生観も織り交ぜながら、それぞれの寺院についての考察を深めています。

令和の今や動画投稿サイトで実況を観て拝観の疑似体験することもできますが、こちらは、まるで共に歩いているように想像を膨らませながら読み進める楽しみがあります。
その臨場感ある描写と取材力を前に、時折自分の物書きとしての語彙力の無さも恥じながら、ひと寺ごとに新たな発見をさせてもらっています。

これらの「有名寺院」を一括りにせず、もっと踏み込み問いかけるような話題として来訪者に提供できるよう、この本を手もとに置いておきたくなりました。

送り火を観た子供の感想

8月19

okuribi 夏バテか、今年の送り火は自宅でテレビ中継を観ました。

五山の送り火は何度も家族で観に行っていますが、テレビ画面で大きく拡大して眺めたのは子供達にとって初めての事でした。

「きれーい」という歓声は想定内でしたが、小学1年生の息子には
「かわいい~」のだそうです。

気がつくと、隣で紙切れにたくさんの炎の点々を熱心に打っていました。
「ぼくは鳥居が1番好き」。
「みょうほうって漢字はどう書くの?」
「書き順はこんな感じかな~これで分かる?」
まだ難しい漢字の書き順を書いてみせると、夢中になって写していました。
SNSに流れて来る送り火へのコメントは
「宗教行事やから大文字“焼き”やない」
「京都人でも子供の頃は“大文字焼き”って言ってたけどなあ」
「手を合わさず一斉に携帯のカメラを向けて送り火を撮ってばかり」
「故人の初盆なので静かに見送りたいのに、点火に拍手喝采が湧いて悲しくなった」
「大雨でも台風でも強風でもいつも通りの点火に労をねぎらっているのでは」
と様々な意見が騒がしく飛び交っていました。

自身も、昔は「複数観える場所はどこか」「静かな穴場はどこか」に興味があり、正直今でもそれは変わりませんが、明るみにすることで地元の風情が壊されてしまう懸念もあり、ご紹介が難しいところです。

誰かを亡くし見送る経験の数や自身の心身面によって、捉え方は様々なのでしょう。
まだ誰かの死に直面したことも無く、宗教の概念も殆ど無い子供が、送り火を「かわいい」「準備が大変やな」と表現し一生懸命に書き写そうとする横顔が新鮮に映りました。

「夏休みの今頃はね、お盆って言って、亡くなった人達がおうちに戻って来るねん。で、送り火を目印にして、“天国への帰り道はこっちだよ”って教えてバイバイするの。“また来年ね~”ってね」

果たしてどれくらい理解してくれたか分かりませんが、
「ぼく、来年は観に行きたい!」
と笑顔を返してくれました。

2024年8月19日 | お寺, 歴史, 神社 | No Comments »

神仏習合の祈り「八坂礼拝講」

7月24

raihai2024年の祇園祭でも新たな話題がありました。
かつて「犬神人(いぬじにん)」や「弦召(つるめそ)」と呼ばれる人々が住んでいた弓矢町の町人らが、祇園祭の神幸祭・還幸祭で中御座の警護役として行っていた武者行列を半世紀ぶりに復活させようという「弓矢組プロジェクト」が始まっています。
来年の行列復活を目指して鎧の調査や修復が進められており、今年の神幸祭では宮本組の御神宝列と共に旗持と裃姿で参列されました。

また、八坂神社の宮司から延暦寺への申し入れにより、国家安寧と疫病退散を合同で祈る神仏習合の儀式「八坂礼拝(らいはい)講」が復活しました。
南楼門から神職と僧侶がそれぞれに列を成し本堂へと入っていきます。その中には車いすの天台座主の姿も。
その光景を見守る人々の中にも有名な寺院の関係者がたくさん手を合わせていました。
本堂内は非公開でしたが、祝詞や世界平和を祈る祭文が唱えられ、外で待つ私達にも聞こえてきました。
この「八坂礼拝講」は、疫病退散の祈りとして今後も継続を目指すといいます。

山鉾を競って絢爛豪華に飾り立てるようになった室町時代以降続く、町衆によって熱を帯びてきた祇園祭。
祭儀のあり方を再考させられた、2年余りに及ぶコロナ禍の影響が大いにあったと言っても過言ではないでしょうか。

自然の原理を生かした陰陽道のやり方に戻したい、と宮司は今後、神仏習合時代の祈りの形を整え、2033年に向けて『祇園感神院』の復元が模索されているそうです。
八坂神社は、明治の神仏分離政策を受ける前は「祇園社」「祇園感神院」という名を称していました。

西楼門から入って左手にある手水舎には「感神院」の文字が見られます。ぜひ見てみてくださいね。
関連動画は後程アップ予定です。

« Older Entries