e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

大徳寺孤篷庵と小堀遠州

10月14

koho 小堀遠州ゆかりの大徳寺孤篷庵が珍しく特別公開されていました。
ここを現代に当てはめて例えるとすれば、名古屋城天守閣や二条城二の丸庭園、南禅寺金地院の茶席、経緯などを手がけた人気デザイナーが、仕事から離れ、自分自身が楽しむために作った遊び心溢れるデザイナーズ建築といったところでしょうか。
庭の刈込みや石の造形を生かした配置で水平線を現し、想像力を働かせれば、まるで一艘の船に乗っているような気分になれます。白い胡粉で磨かれていたという「砂ずりの天井」は外の光を反射して、その杉板の木目がまるで揺らぐ水面を映しているかの様に見えたのだとか…。
しかも初公開の直入軒は、扁額書いたのが松花堂昭、茶室「忘筌」を再興したのが松平不昧公という、「数寄者ブランド」とも言うべき著名人物の名前が出てきます。
この貴重な機会を逃すまいと、閉門直前にも行列ができており、現代人もなお憧れる空間の演出家しての小堀遠州の人気ぶりが伺えました。
千利休、古田織部と続く茶人ブーム。次もやはり、小堀遠州でしょうか。

酔芙蓉の寺・大乗寺

9月30
大乗寺の酔芙蓉

大乗寺の酔芙蓉

 朝に白い花をつけ、それが午後から夕方にかけて徐々に淡いピンク色に変化していき、最後はまるでお酒に酔ったかのように濃く染まってしまい、そしてたった一日で枯れてしまう不思議な花・酔芙蓉
法華宗の大本山・本能寺の末寺である大乗寺は、300年以上の歴史を持つものの檀信徒が殆ど無く、廃寺同然の荒れ寺だったところを現住職・岡澤海宣住職夫妻が移り済み、50代にしてツルハシ一本での参道造りから寺の復興を図ってきたそうです。
住職夫妻の詩吟の弟子から寄贈されたのを機に1996年から植え始められたという酔芙蓉は、現在では約1500本にもなりました。
境内は小規模ながら、酔芙蓉の小道は殆どが自分の背丈よりも高く成長し、誰かに肩を叩かれたかな、と振り返ると酔芙蓉の葉だった、という程に密集しています。
休憩所でお茶を頂き、お寺の方とのんびり語らっていると、無料で開放されているのが申し訳無いくらい。
色づき具合は気温や太陽の光に左右されるそうで、濃い色に染まった花が観たい人は、拝観時間を過ぎても自由に見学しても良いそうです(ただし、外灯はありません)。
まだまだつぼみもたくさんあったので、今月末から来月にかけて満開の景色が観られそうです。
急こう配の石段があるため、ある程度階段を登れる脚力と虫除けスプレーは必須ですが、柔らかく繊細な八重の花びらと、アットホームなおもてなしは、きっと訪れる人の心をほぐしてくれると思います。

深草の桜

4月9

sidan 先週土曜は、「墨染桜」の咲く墨染寺を目指して、伏見稲荷大社近くから琵琶湖疏水沿いを歩きました。

 深草、藤森…と続く徒歩30分の道のりは、ところどころに頭上を覆うほどの満開の桜の木が植わっていて、地元の人が犬の散歩を楽しむような静かな遊歩道になっており、観光客の姿は殆ど見当たりません。
 特に師団橋の手前辺りの桜の木々は、疎水の水面すれすれにまで枝が伸び、優雅なカーブを描いていました。

 因みに、この「師団橋」という名前は、かつてこの深草近辺に大日本帝国陸軍の第16師団が置かれていた名残で、周辺の幾つかの橋桁には、五芒星のマークが今でも見られます。

 地元の人々によって行なわれているライトアップも美しいそうで、これからも開催されるといいですね。

報恩寺と妙顕寺

3月17

myoken 梅の香りがほのかに香るなか、通常非公開の報恩寺妙顕寺に行ってきました。
大河ドラマ主人公・黒田官兵衛の息子・黒田長政の宿舎であった報恩寺で有名な「鳴虎図」は、複製でありながらも1本1本書き込まれた毛並みは触感が伝わってきそうな質感。
また、ちょっと頭の大きな織田信長や無精髭を蓄えた豊臣秀吉の肖像画(作者不詳)も珍しいものでした。
京都初の日蓮宗道場で、門下唯一の勅願寺である妙顕寺では、尾形光琳ゆかりの「光琳曲水の庭」等異なる趣向の三つの庭園もありましたが、日蓮宗開祖・日蓮聖人直筆とされる十界曼荼羅と、その要素を立体的に再現した本堂須弥壇は、まるで誰かが扮しているのでは!?と思うほど迫力のあるものでした。
また、日蓮の孫弟子にあたり当寺を創建した日像上人が、通常なら7巻にもわたる法華経を、携帯用ケースに収めるべく極小文字で1巻に纏めており、鼠の髭で書かれたとも言われるその文字は1㎜四方にも満たない大きさ!それでも、添えられた虫眼鏡で見ると、ちゃんと文字の形になっているのです!!
やはり、インターネットで拾った見どころ情報だけで知ったような気分になっていても、実際に足を運んで得られる発見は、その行間にあるものなんですね。
京都市観光協会「京の冬の旅」主催の「非公開文化財特別公開」は18日で終了しますが、4月下旬からは京都古文化保存協会が主催による「京都春季非公開文化財特別拝観」が始まります。

伊藤若冲と宝蔵寺

2月12

hozo 若者で賑わう“裏寺”エリアにひっそりと佇む宝蔵寺は、江戸中期の絵師・伊藤若冲を輩出した伊藤家の菩提寺です。
若冲自身の墓は伏見区の石峰寺にあるのですが、宝蔵寺には若冲の父母や弟、親族ら伊藤家先祖の墓石が4基あり、現在は無縁墓となっていて、欠損や剥落等が進み、倒壊の恐れがあるそうです。
当寺では伊藤家の墓石の保存と維持・継承のための「若冲応援団」が結成され、寄付を募る事になりました。
その宝蔵寺で、今年に入って若冲初期の作と確認された「竹に雄鶏図」が12日まで公開されています。
伊藤家から贈られた若冲筆の「髑髏(どくろ)図」のほか、版木の継ぎ目が分からない程に精緻で広大な墨摺「当麻曼荼羅」、円山応挙の孫・円山応震筆の「山水花鳥人物図巻」などの展示品の中に、「処冲」という人物の水墨画「蟹図」がありました。「若冲と関わりがあるとされる」とだけ書かれていましたが、この人は一体誰!?
今のところ若冲に妻子や弟子がいるという話は聞いた事はありませんし、若冲が描いた水墨画「蟹図」はもっと荒々しい筆致です。ですが、四代目伊藤源左衛門が「若冲居士」と号するようになったのは、彼が両親の墓を宝蔵寺に建てた翌年のこと。
2015年に伊藤若冲生誕300年を迎えるにあたって、まだまだ新たな発見があるかもしれませんね。

小豆粥と土鍋行平

1月14

okayu 七草粥を食べてから約1週間後、今度は小正月と呼ぶ1月15日で小豆粥を頂き、厄除けや無病息災の願掛けを念押し!

お料理教室をされているマダムは、「お粥は土鍋行平(雪平)で炊くのが一番美味しい」と言っていました。
「口から蒸気が出て、土鍋だけど薄くて良く米が回る」のだそうです。
一般家庭では余り見かけなくなりましたが、「昔はどの家にもあったぐらい、よくお粥を炊いていた」といい、禅寺では今でも、毎月1日と15日に小豆粥を食す習わしがあるそうです。

和食 日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録された今、飽食の時代の中で、食べ過ぎで栄養が偏りがちな現代日本人も、外食が続いた後や海外旅行の後等に身体をリセット・お掃除するためにも、もっと日常の食卓にお粥を取り入れてもいい様な気がします。家族四人分でもお米一合くらいしか使わないので、身体にも家計にも優しいかも!?
また、土鍋行平は小さな子供の離乳食作りにも役立つともいいます。なんだか小豆粥と共に欲しくなってしまいました。

洛北蓮華寺

11月19

renge 洛北にある蓮華寺に行ってきました。
紅葉の見頃はまだ始まったばかりで盛りの一歩手前でしたが、青から黄色、赤へとグラデーションを描く紅葉の虹もまた、目に優しい印象を与えてくれます。
紅葉の陰で控えめに咲いている山茶花は、わずかな日の光も受け止めて雪の様に白く輝き、少し朽ちかけた花びらは透けるように繊細で。
その中を、様々な人が訪れては去って行き、小さいお寺ながら、人の足が絶える事はありませんでした。
移ろいゆく自然と、自分の前を通り過ぎて行く人々の流れ。これって、人の一生にも似ているのかも?

今の貴方は、何色ですか?
そして一面の銀杏の絨毯。色鮮やかな黄色に元気をもらいました。

清浄華院の泣不動

11月5

shojo 

 秋の非公開文化財特別拝観で公開中の清浄華院に行って来ました。

数多くの寺宝の中で個人的に最も印象的だったのが、泣不動尊と「泣不動縁起絵巻」でした。
それによると、三井寺の智興上人が死病に陥ったとき、最も年若の弟子・証空が自ら名乗り出て、陰陽師・阿倍晴明の祈祷により、その身代わりとなりました。
病の苦しみに耐えかねた証空が不動尊の画像に助けを請うと、夢に現れた不動明王は血の涙を流して証空の身代わりになると宣言します。
あの世では、証空の代わりに鎖に繋がれた不動明王がやって来て、閻魔大王はびっくり。逆に閻魔さんが平伏します。
こうして智興上人も証空も不動明王も助かり大団円。後に証空は高僧となって三井寺塔頭・常住院を開いたそうです。

背後にメラメラと燃える火焔を背負った不動明王は一見強面ですが(ちなみに縛られている間もメラメラ燃えています)、その表情は愛のムチとも言えるお叱りの気持ちのあらわれ。
右手に剣を、左手に羂索という縄を持ち、全ての障害や悩みを打ち砕くという心強い仏様です。
とりわけ涙を流して身代わりになるとは、なんとも情にアツい仏さまではありませんか。

特別公開は8日までですが、清浄華院の不動堂では8月を除く毎月28日に護摩供養会が行われており、誰でも参加できます。
お不動さんが、昔から多くの人々に親しまれてきた事が伝わって来ますね。

旧武徳殿

10月23

butoku 22日に時代祭が行われた平安神宮を中心に、美術館や図書館、イベントホールなどが立ち並ぶ岡崎は、京の文化ゾーンと言えます。
その中で、観光スポットでないゆえに、ちょっと足を踏み入れにくかった武道センターで、先日「形柔道」の世界選手権が日本で初開催と聞いて、潜入してみました。

武道センターの隣にある旧武徳殿は、国内唯一の武道の専門学校だったもので、平安宮の大極殿を模し、今では入手不可能とされる巨大なヒノキ材を用いて建設された明治期の大規模木造建築で、国の重要文化財に指定されています。
「平安道場」とも呼ばれるこの旧武徳殿は、平成19年には東儀秀樹さんによる雅楽のチャリティコンサートが開かれるなどの保存運動の甲斐あって、老朽化や修復の維持管理困難による廃棄処分の危機から逃れ、青蓮院の将軍塚に移築、大護摩堂として再生される事が決まっています。平成26年7月の完成を目指して工事が進められているそうです。

なお、現在の旧武徳殿の外観だけは自由に見学する事ができます。

日本と中国

10月15
manpuku

宇治の黄檗山万福寺

 初めての中国旅行から帰国しました。
最近の政治情勢から、現地の中国の人々と上手く交流できるかちょっぴり心配でしたが、それは全くの杞憂に終わりました。
とりわけ台湾の対岸に位置する福建省の廈門市は、昔から茶葉の貿易で栄えた街で、お茶に関するお店や喫茶文化が盛んな土地柄だったため、日本茶道のお点前を簡単にお披めしたところ、現地の人々は興味津々!
もともと緑茶も紅茶も麺類も中国から世界に広まっていったもの。共通の文化が世界各地で独自の文化に育ち、それがまた互いを惹き付ける潤滑油となっているのです。
一碗のお茶という文化を挟んで、賑やかで楽しい時間が流れていきました。

出国直前に、万福寺での「月見の煎茶会」に参加してみましたが、今年没後250年を迎えた煎茶道の中興の祖・高遊外売茶翁は、自ら僧籍を離れて庶民にお茶を売り、振る舞いながら禅の教えを説いたといいます。その境地に少し触れられたような気がしました。
世界平和のための秩序は必要ですが、もっと大切なのは、相手をもっと知りたいという気持ちや、互いの違いを理解しようと歩み寄る姿勢なのではないかと思います。

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