e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

映画『舞妓はレディ』

10月28
試写会の資料

試写会の資料

映画『舞妓はレディ』を観て来ました。
高枕にパジャマで寝る先輩舞妓、私服姿で朝食を取るお茶屋の人々、芸妓の住むマンションなど、テレビのドキュメンタリーでも映らない光景がリアル感を抱かせるものの、男衆や女将達がパパイヤ鈴木氏の振付で踊る様は完全にミュージカルの世界です。
もともと周防監督が20年前に「京都で舞妓のなり手が減少している。」という報道を観たのが、この映画を製作するきっかけだったそうですが、現在の花街では、舞妓になりたい女の子はいても、襟変えをして芸妓として続ける子が少ない、という話を聞いた事があります。
芸妓として独り立ちするためには、置屋のバックアップに頼らず、多くのお客を持ち、また季節毎に着物を変えるだけの経済力も必要です。
教授の助手・西野君のセリフにありましたが、舞妓は芸妓になる前の見習いなので、昔の舞妓は今程人気が無かったそうです。それが今では舞妓の方がアイドル並の人気ぶり!
芸事も話術も洗練された芸妓さんに憧れるけれど、それを目指して精進する舞妓さんの、まだ成長過程の「おぼこい」姿が、現代人の共感を得ているという事でしょうか。
厳しい芸事の世界を重くなり過ぎない軽快なタッチで描きつつ、日々を頑張って生きている人々をホロリとさせる、「応援歌」のような作品です。

2014年10月28日 | 花街 | No Comments »

島原文化の灯

9月16

wa  京の花街・島原で現在もお茶屋営業を続けている「輪違屋」が、10年ぶりに公開されています。
6名が所属しているという太夫さんは、今でこそマンションから派遣されて来るそうですが、かつては置屋として輪違屋の中で共同生活をされており、その部屋は非公開の3階部分にも残っているようです。
10年前の初公開時に訪れた時には、その豪華な打掛や太夫そのもの神秘性の方に関心がありましたが、その後様々な機会に太夫道中や舞を観るに従って、観光イベントだけでは伺い知れない奥深さにも触れてみたいと感じて来ました。
それだけに、輪違屋に跡取りがいないという事がとても気掛かりです。
京都市の指定・登録文化財としての建物自体は残されたとしても、他の花街とも違う、島原独自の文化は、今後どの様に守られていくのでしょうか。
資金が必須とはいえども、お金だけでは文化芸能の継承にはなれず、主客双方の文化レベルも維持していかなければいけません。
同じく付近で特別公開していた角屋は、「京の夏の旅」としての公開時には二階座敷と美術館は拝観できませんでしたが、15日より通常公開に戻っているので、二階座敷を予約して、輪違屋と共に観賞する絶好の機会です。
来月には「角屋の文化講座」や「太夫の舞 鑑賞会」も予定されています。

鴨川をどりとパンフレット

5月13

kamo 五月晴れの週末は、「鴨川をどり」の会場、先斗町歌舞練場へ。
誘ってくれた幼馴染が、祖父の代から贔屓にしているというお茶屋の女将さんと挨拶を交わす傍らで、もう一人の友人は、着付け教室に通っているためか、来場客の着物姿が気になる様子。
今回のパンフレットを開くと、演目概要の英訳のほか、長唄や楽器についても解説がついていました。また、花街のおどりとしては珍しく、蛍光塗料を使った暗闇での演出には、会場からどよめきも。
やはり芸妓さん、舞妓さんが着る衣装は色合わせも柄ゆきもはんなりとしてい毎回感動します。伝統とモダンのさじ加減が良く、日々の稽古で鍛えられた美しい身のこなしと相まって本物感があるのです。
一面の藤が、かんざしの様に彩るフィナーレで、舞妓さんが観客席に投げてくれた手ぬぐいには、数々のサインのほか「くまモン」のおちゃめな落書きもありました。
毎年ではないけれど、花街のおどりをちょくちょく観に行っている間に、我が家にもパンフレットやお土産の小皿がいつの間にか増えていました。
改めて数冊見返してみると、数年前にはあどけない舞妓だった子が芸妓となっていたり、ベテランの芸妓さんや地方さんが今でも「しゅっとした」佇まいで舞台を踏んでいたり、はたまた名前を見かけなくなった人もあったり。
その中には、芸妓とは別の道に進んだ舞妓さんもあるかもしれませんし、また、不況や主人の高齢化で廃業してしまったスポンサーもあるかもしれません。
毎年踊りのパンフレットが発行される間に、各花街の内外でも色んな物語があったのだろうと想像します。
来月には、恒例の「京都五花街合同伝統芸能特別公演」が開催されます。

宮川町のごはんや「蜃気楼」

4月21

miyagawa 「京おどり」最終日を迎えた花街・宮川町の夜。
 雪洞が照らし始めた石畳の彼方へ、自転車に乗り 仕出し箱を担いだ板前さんが走り去って行きます。

11年前までお茶屋だったという町家で、手頃に食事ができる「ごはんや 蜃気楼」で晩ご飯。
舞妓さんが店出しや襟替えをする際に玄関先に貼る目録や、お茶屋バーを彷彿とさせるカウンター席など、花街の風情も残しつつ、居酒屋ほど砕け過ぎない気楽さと、奇をてらわないシンプルな料理は、お座敷に上がる人の虫養いにも良さそうです。

 店を出ると、ちょうど近くのお茶屋さんから、舞妓さんと女将さんが移動するところでした。
これから次のお座敷に向かうのかな?それとも置屋さんへと帰るところでしょうか。
すっかり夜も更け人影もまばらな宮川町には、まだ昼間の賑わいがどこかに残っているかの様でした。

名月堂のニッキ餅

3月10

nikki 「京都の和菓子に詳しい方に教えてもらったの。」と、名月堂の「ニッキ餅」をお土産に貰いました。
ケーキなら紅茶、甘~いパンなら珈琲、そして和菓子の場合は抹茶を、お供のドリンクに選ぶところなのですが、今回はニッキ(肉桂)と言えばシナモン味を想像するので、大好きなロイヤルミルクティーと合わせてみました。

フォーク越しに指にも伝わってくるふわふわの触感に、こちらの期待心もふるふると、軽やかに踊ります。
しゅっと溶ける噛み応えは、わらび餅とは違うもっちり感で、大きなマシュマロにかぶりついているような楽しさ。
口いっぱいに広がるニッキの香りと、どこかジューシーさのある後味に、思わずかじった後の断面を眺めてみたりして。
まだニッキの余韻に浸っている間にミルクティーを飲むと、またいい感じ。

花街・宮川町にあるお店なので、「京おどり」の頃には、お花見団子と一緒に買い求める人で賑わいそうですね。

2014年3月10日 | お店, グルメ, 花街 | No Comments »

京風中華

6月17

8raku 花街に詳しい人に教えてもらった「中国料理 八楽」は、高台寺近くの、観光客が素通りしてしまいそうな路地を入ったところにありました。
夫婦で切り盛りされていて、カウンター席のみ。大人向けですがコースでもリーズナブルで、肩ひじ張らずに足を運べそう。
さっぱりとした味付けは胃が重くなる事も無く、軽やか。殆ど常連客のみで続いているのが素晴らしい。
お店の中央にある柱には、芸舞妓さんなど花街にゆかりのある人々の千社札でいっぱい。
その中で三角の紙が気になったので尋ねると、舞妓さんがデビューするときに配られる「さし紙」に対して、こちらは芸妓さんが引退するときに挨拶回りに配る「引祝」だそうです。
芸妓さんに定年は無いと聞きますが、結婚等で芸妓さんが引退するときには、引祝の紙と共に白飯(またはおこわ)とお赤飯を半々にしたものを一緒に配るのですが、引退してもまた復帰するかもしれないという時は紅白、もう戻って来ない場合は白飯にするのだそうです。
芸舞妓さんのデビューを追ったドキュメンタリーはよく見かけますが、引退のエピソードは初めて聞きました。
お味も雰囲気も、「京風中華」と形容したくなるお店でした。

2013年6月17日 | お店, グルメ, 花街 | No Comments »

うどんミュージアム

2月12

udon 昨年12月に祇園にオープンした「うどんミュージアム」に行ってきました。

元料亭などであった町家4軒分を改装した内部は、坪庭を中央に大小様々な各お座敷が配置されています。この重厚感は、新たに作ろうとしてもできるものではなく、かつては三味線の音でも響く雅な空間だったのかもしれないと思うと、ちょっぴり哀愁も感じてしまいますが…。
麺の幅が10cmもある群馬県桐生の「ひもかわうどん」等の人気の三品が食べられる「食べ比べセット」と、単品メニューのそれぞれ半量サイズを注文し、二人で計6種類のうどんにチャレンジ!!
麺は程よい案配に茹でられ、だしやつゆもそれぞれ個性があり、かつおの香りがじんわり漂って、良い素材でちゃんとひかれたものである事が伝わってきました。

祇園四条駅から近く、手頃な和食と元料亭の風情を味わえるので、今後は外国人観光客からも人気が出そうな予感です。

平安神宮・節分祭

2月5

daina 旧暦によると、立春は一年の始まり。その前日の節分は大晦日に当たり、この頃に年賀状を送る人もいます。
汗ばむような陽気と快晴のもと、京都の各地が節分祭で賑わい、平安神宮では宮中で行われていた年中行事「追儺式」を再現した「大儺之儀(だいなのぎ)」が行われました。
大極殿下斎場にて、方相氏や陰陽師、殿上人らが四方を祓い清め、邪鬼たちを退けてめでたしめでたし…と思いきや、今度は応天門から茂山社中の扮する邪鬼たちが再び境内に侵入!
舞いながら観客を大声で脅かし、あちこちから悲鳴(むしろ歓声?)が涌きます。
そこで裃姿の年男・年女や芸舞妓が福豆を鬼たちにぶつけて応戦、今度は完全に追い払いました。
それだけ、年男や年女には困難を打破するパワーに満ちあふれているという事でしょうか。
両手を広げ、大騒ぎで福豆を拾った後は、全国の崇敬者からの祈願が集められた「火焚串」約4万本を焚き上げる浄火を静かに眺めます。
天まで届け、みんなの願い。寒い風の中にも暖かな日差しを感じて、春の第一歩です。

事始めの鏡餅

12月17

kagami毎年12月13日の「事始め」は、お正月の準備を始めたり、お世話になった方々のもとへ挨拶に行く日とされていています。
この日は、風呂敷に包んだお歳暮を手に取引先の方が来られ、今年一年の感謝とこれからのご愛顧を願って挨拶を取り交わしました。

事始めを過ぎて馴染みのお茶屋バーを訪れた家族が、「お歳暮のお返しをもらった」と言って、味噌の詰め合わせと切り餅を見せてくれました。
この切り餅は、事始めの日に花街の芸舞妓たちが師匠のもとへ届ける鏡餅で、お師匠さんの家にひな壇状に飾られていたもの。つるんと滑らかで、白粉のように白いお餅です。
味噌に添えられた稲穂は、もしかしたら花街の正月行事「箸紙とり」にちなんだものなのかな?

一足早い新春の便り。今年は年末も年始も鏡餅を食べながら過ごす事になりそうです。

2012年12月17日 | 花街 | No Comments »

美容室「やまと」と日本髪資料館

2月27

yamato芸舞妓や嶋原の太夫の髪を結ってきた美容室「やまと」と併設の日本髪資料館が2月末で閉められると聞いて、慌てて見学に行って来ました。
コンパクトな空間ながら、櫛や簪にも本物にこだわった日本髪の豆かつらは古墳時代から現代のものまで、想像を越える数でした。
実演映像の上映もあり、束ねられた髪がまるで漆を塗り込めた板の様になり、そこからみるみるうちに髷(まげ)に変化していくダイナミックな手技に引き込まれ、一人で長らく見入っている人もいました。
真っ直ぐに伸び、「烏の濡れ羽色」と評される黒髪ならではの結髪の世界は、現代のアートシーンでも十分に通用する気がするのに、現在京都の結髪師は5人だけ。高齢化も進んでいるそうです。
「やまと」の結髪師・石原哲男さんは今後は持病の療養に専念され、閉館後の日本髪資料館のコレクションの行方についてはまだ決まっておらず、豆かつらをまとめて引き取って貰えるところを探す予定だそうです。

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