e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

茶道と煎茶道が出逢ったら

9月20

ku 四条富小路を下がったところに、こんな茶室があるとは思いもよりませんでした。
徳正寺というお寺の中にある空中茶室「矩庵(くあん)」です。
建築家・藤森照信氏が設計、監修し、実際に作ったのは先代のご住職というから更に驚きです。
木の上の巣箱のような草庵は、建築雑誌等で度々拝見していましたが、まさか繁華街からすぐの立地だとは。

この徳正寺の本堂で、「く」をテーマに茶道と煎茶道が出逢う企画がありました。
本来、内へ内へと沈むように静かな時間を共有するのが茶道の茶席。
サラリーマンとの2足の草鞋から晴れて茶人となった中山福太郎さんが、静かな口調でお客を笑わせながら、片口に点てた薄茶を湯呑みに分けて煎茶風に出し、みんなで共有しました。

煎茶道は、中国文化に憧れ大陸的で開放的な印象があります。
佃梓央さんが「茶器を一つ一つ丁寧に包むのは、日本人ならではですね」と、日本と中国・台湾の文化の喫茶の違い語り、お茶や食事や音楽を部屋をあまり変えずにほぼ一つの空間で完結させるのが日本の文化だと教えてもらいました。

お茶を習っていない友人もとても楽しんでくれたのは、主客のお人柄もあると感じます。
ここでは魅力を十分に書ききれていませんが、徳正寺は通常非公開の寺院ですが、時折催しもされているそうなので、
興味のある方は公式サイトをご確認くださいね。

重陽の節会

9月12

kiku 縁起の良い「9」の数字が重なる9月9日は、「重陽の節会」を観るため、嵐山の虚空蔵法輪寺へ。
うっかり電車を乗り過ごしてしまい、慌てて法輪寺への近道を駆け登りました。
(近道の入り口は渡月橋の南詰めに看板があります。表参道とは違って、狭くて急な階段が続きますので足腰の悪い方はご注意くださいね)
着いたのは奉納行事の能のクライマックス部分、まさに菊慈童が登場するところでした。
残念ながら、茱萸袋(しゅゆふくろ)の授与は終了してしまっていましたが、小さな菊花が一輪浮いたお酒を頂きました。

別名「菊の節句」とも呼ばれるこの日は、菊の花に綿をかぶせた「菊の被綿(きせわた)」が風物詩として、和菓子の意匠でもお馴染みです。
生成り色のふわふわの綿だと思い込んでいましたが、こちらの菊慈童像に供えてあったのは平たく煎餅状で、赤、青、紫などとってもカラフル!それぞれの色に魔除けの意味があるのでしょうか。

奉納された能の演目「菊慈童」は、ここでは金剛流だったので「枕慈童(まくらじどう)」とも呼ばれているそうです。
人跡未踏の山中に流され、八百余年も生き永らえたという童子は、果たして幸せだったのでしょうか。
そんな疑問とは裏腹に、少年の姿のまま不老長寿の仙人となった菊慈童の像は、涼やかなお顔立ちでした。

伊根町、再び。

9月4

tinzao 昨夏以来、再び丹後の伊根町を訪れたのは、奇しくも「伊根花火」の日でした。

交通規制が始まる16時までには入らないと、会場近くの駐車スペースが埋まって入れなくなってしまう恐れがあるので注意が必要です。

舟屋を改装した「台湾茶葉専門店 靑竈(チンザオ)」の空きができるまでの間、近くの屋台で焼きそばやクレープを食べて待ちました。
屋台の店主の明るい声がよく通ると思ったら、向かいの海蔵寺のご住職さんでした。
日頃は宿坊をされていますが、この日は地域貢献のためにお店番。

伊根湾を望む靑竈にて対岸の屋台村の喧騒を遠くに聴きながら、冷えた台湾茶でクールダウン。
いわば「舟のガレージ」だった場所なので冷房こそありませんが、それぞれのお客がリラックスしてすっかり長居してしまうのがよく分かります。

祭り会場に見えるクレーンは、日が暮れるとスクリーンを引き上げて映画を上映するそうです!
町のあちこちの舟屋や母屋の網戸からは、家族親族が集まって団らんしている様子が垣間見えました。

今回は離れた宿泊先の夕食の都合で夕方で泣く泣く伊根町を後にしましたが、
次にここに来る時には、伊根花火に合わせて(今年は5月1日に日程は発表されました)舟屋の宿を早めに押さえておいて、本庄浜海水浴場と共に楽しみたいと思います。

京丹後親子旅

8月30

yura 夏休みも後半になると、毎年両親、親族と共に丹後方面を旅行するのが恒例になっています。
京都盆地の中にいる京都人が、「海の京都」へと足と羽を伸ばすのです。

子連れ家族旅行となると、旅のメインはおのずと水遊びに。
今回は、各海水浴場にアクセスでき、プールもある「ホテル&リゾーツ京都宮津」に宿泊。
朝食や夕食はバイキングのみですが、ミニドーナツや自分で作る綿菓子等が子供達に好評で、
「また来年も泊まりたい」とリクエストされました。

ホテルから車20分弱の丹後由良海水浴場へ。
遠浅でのんびりとした風情は、子連れ向けかもしれません。
沖からの冷たい水流と、太陽で温められた海水の波が交互に気持ちよく身体を撫でていきます。

自分が子供の頃は背中の皮が剥ける程真っ黒に日焼けするのが夏の常でした。
今は若い女性もお洒落水着で体型カバー、子育て世代も帽子にサングラスにラッシュガードで紫外線対策ばっちりです。
水辺のファッションも時代を写す鏡ですね。

自分の父親も、祖父の仕事が落ち着く頃にあわせて丹後へ海水浴へ連れて行ってもらい、近くの宿に泊まっていたそう。
「親父にしてもらったことを、子や孫にもしてあげたい。」
同じ景色を観ていても、父の瞼には自身の子供の頃の懐かしい景色が映っていたかもしれません。
(※その他の京丹後スポットについては、「一言コラム」ページ右上の窓に「丹後」と入れて検索してみてくださいね)

2023年8月30日 | 観光スポット | No Comments »

清水寺から観た送り火は…

8月22

1000清水寺から五山の送り火が観える」。
一部のSNS等で話題になっていたので、観え方を検証すべく音羽山へ向かってみることにしました。
全てというわけではありませんが、幾つかは観えるらしいと。

「ここに日本人は居ないのでは?」と思う程に外国客で賑わう参道を登ります。

結果としては、比較的良い視力の裸眼では
「左大文字らしきものと、船形らしきものと、鳥居型らしきものが観えた」
という感じでした。
それぞれの送り火とかなり距離が離れているので、撮影にはかなりズームのきくカメラでないと厳しいと感じました。

しかしながら、千日参りも同時に参加できたので、日差しの和らいだ境内で風鈴の涼やかな音を聴きながら、
様々な国から集まった人々と手を合わせ、同じ方向を向いてすごす平和で穏やかな時間もいいものです。
これぞ清水の舞台に集う醍醐味なのかもしれませんね。

家族連れだったので長距離の坂道移動は困難とみて、五条坂と三年坂が交差する車両通行止めポイントまでタクシーで行き、
帰りもちょうど同様の場所で、千日参りが終わる時間までに間に合うよう乗り付けてきたタクシーに声をかけて乗車する事ができました。

能楽師の美しき陰影

8月9

ryumon 今年も金剛能楽堂の「龍門之会へ。
宗家長男の金剛龍謹氏が主催する会で、最初の仕舞はまだ年少さんの金剛宣之輔くん、続く舞囃子を8歳になったばかりの金剛宣之輔くん、仕舞を26世宗家・金剛永謹氏が担うなど、3世代にわたる共演を観ることができました。

舞台を踏み始め、人前でも堂々と、一生懸命に声を上げる宣之輔くん。
背後に親が控えているとは言え、舞台に立てば一人というプレッシャーを感じながらも凛々しく舞を見せる宣之輔くん、
今日までの鍛錬で鍛えられた声が舞台に響き渡るのが心地よく、すっかり安定感のある龍謹さん。
人間国宝として認定されたばかりの金剛永謹氏の所作には年月を重ねて枯れた風情すら感じさせます。

会を通して舞台の照明が変わったわけでもないのに、少年達の顔や衣装は眩しいほどに輝かしく、年を経るごとに陰影を帯び円熟味を増していく能楽師の一生を観るような景色でした。

後半の演目「殺生石」は、通常は後シテが狐の姿で演じられるのですが、金剛流古来の小書(特殊演出)「女体」として、玉藻前という高貴な女性の姿で舞われました。
狐の冠をかぶり、最後は舞台袖へと走り去るのですが、視界の狭い面に足袋を身に着けているとは思えない程の足の速さに、暫し終演後も茫然としてしまいました。

最近では友人の小学生の娘さんが金剛流の謡を習い始めました。
もとよりダンスが好きで、能の仕舞とも平行しながら夢中になって稽古しているとのこと。
冬の発表公演が今から楽しみです。

なお、毎年8月16日の五山送り火の日には、「大文字送り火能 ~蝋燭能~」が行われます。
金剛能楽堂の目前の京都御苑内から大文字の送り火を観ることができます。

「この景色」が撮りたくて

8月2

motomiya
伏見稲荷大社・本宮祭(宵宮祭)

京都の観光地や催しを撮影していると色々あります。

ベストな撮影場所を求めて、早朝から場所を取って待機していたのに、始まる直前になって報道陣が目の前に現れて視界が塞がれてしまったり、音を拾うためのテレビ局クルーのマイクが目の前に伸びてきて真正面に映り込んでしまったり。

早くから現地入りをして、「神聖な儀式の場だから」と少し遠慮して下がってカメラを構えていたら、後から来た背の高い外国人が前に入って来て長い腕でスマートフォンを掲げたまま動画撮影を始めてしまったり。

「ああ…」と思わず深いため息が出てしまうこともしばしば。
中には怒りを露わにして、前にいる人に向かって声を上げる人もいたりします。
「寺社は神聖な祈りの場なのだから、撮影スポットでは譲り合うべきだ」とネットで語る人もいました。

自分の中にもそんな感情が沸き上がりそうになる事もあります。でもそんなときは、
「分かる…!分かるけど…寺社は撮影をしに来る場所じゃないんだよなあ」
「ほら、フォトジェニックな景色を撮らんがために、仏神にすっかりお尻を向けて、お賽銭すらしていないじゃないか。」
と自分に言い聞かせて戒めています。

ガイドブックに掲載されているのと同じ景色を撮ることに、みんな必死。
でも、同じアングルの、似た画像が大量生産されるのってそんなに価値があるでしょうか?

エピソードよりも先に、SNSの画像から直感的に旅行先のプランを立てる傾向も主流になりつつあります。
自分の個人的なSNSでも、外国人の方から度々尋ねられることも出てきました。
撮影場所だけでなく+αの情報も添えて、文化的な背景も知って欲しいな、と願いながら返信をしています。

2023年8月02日 | 未分類 | No Comments »

杯を肴に酒に酔う

7月25

sake
祇園祭神幸祭の神輿も通る祇園・古門前。
祭の喧騒を離れ、日本酒バー「THE BAR-SAKE」へ。
美術茶道具商「中西松豊軒」の目利きで選りすぐられた酒器を肴に様々なお酒を楽しめるところ。

ホテル「ART MON ZEN KYOTO(アールモンゼン京都)」内の畳のカウンター「天外」は、堂本印象が長刀鉾の稚児社参を描いた掛け軸や、丸平・大木平蔵による長刀鉾や山伏山の精巧な模型人形が据えられ、祇園祭のしつらいになっていました。
御簾に囲まれ、一人ずつお膳が並べられているだけでテンションが上がります。
エレガントな金髪美女と入れ違いでしたが、以前このホテルに滞在された時に利用されたリピーターとのこと。

まず目の前に出されたのが、祇園さんの紋の入った酒杯と杯台。
「永楽即全です。」京焼の家元の一つであり、千家十職の一つと名高い、いきなり名器の登場です。
今回主に頂いたのは、 京都府「神蔵」、栃木県「鳳凰美田」や青森県「田酒」、灘のシェリー樽熟成特別原酒「絲 ito 」など。

様々な酒杯の中から好きな酒器を選びながら、亭主と話に花を咲かせます。
国宝茶碗で有名な油滴天目をミニチュアにしたような杯も、手にしたとたん底に吸い込まれそうでした。
食前酒のように甘いもの、スパークリングワインのような発砲酒、ウィスキー樽に漬け込んだお酒など、お酒に詳しくなくても変化が楽しめて、杯に少しずつ色んな種類を頂くので飲みやすく、悪酔いもしません。

予算は税サ込みで5000円ほど。
唐揚げとビールで飲めや歌えやの宴席も楽しいものですが、あらゆる「本物」が集う京都で酔うなら、
お酒にも、それを湛える酒器にも思いを馳せて頂くひと時も京都旅の醍醐味ではないでしょうか。
(ちなみに、気に入った器は購入も可能とか)
こちらは金曜日と土曜日の営業ですが、その他の曜日は要相談とのこと。いずれも予約をしてくださいね。

2023年7月25日 | お店, グルメ | No Comments »

コロナ禍で生まれた新しい神事

7月19

sinsen前祭宵山の間は、昨年より新たに始まった儀式「御神水交換式」を観るため神泉苑へ出向きました。

国宝の八坂神社本殿の地下には「龍穴」と呼ばれる池があるとされ、祇園祭の起源とされる869年の御霊会が行われた東寺真言宗寺院・神泉苑の池と繋がっているという伝承があることから、双方の境内の水を交換し、浄化した水を神事に使用するというもの。

神泉苑の善女龍王社の閼伽井で汲み上げた閼伽水と、 八坂神社本殿の御神水を、祝詞や加持祈祷で浄化、交換して持ち帰った水は「龍穴」に繋がる井戸に注がれ、「青龍神水」として疫病を鎮めんと、昨年から山鉾巡行や神輿渡御などでも取り入れられています。

昨年就任したばかりの八坂神社の宮司による提案で始まり、神泉苑の住職のほか東寺の執事長も参列したそうで、まさにコロナ禍で生まれた神仏習合の儀式です。

後祭でも山鉾巡行神輿の渡御は行われます。
お水が使われた場面に遭遇したら、ぜひご注目ください。

鴨川の水の神をお迎えする

7月12

omukae   毎年7月10日に行われる祇園祭神輿洗は、いつも黒山の人だかりになってしまうので、今回は少し高い場所から観てみることにしました。
ちなみに今年神輿を先導するお囃子列は、去年巡行に完全復活した鷹山です。

激しい通り雨も上がり、16時半に八阪神社の北側から出発したお迎え提灯の列は、西門前を通り、四条通りを華やかに彩りながら進んでいき、京都市役所前では子供達が鷺踊や小町踊を披露しました。

ようやく日が傾き始めた19時頃、南北に張られた斎竹(いみだけ)が揺れる四条大橋には、四条大橋を東へ戻ってきたお迎え提灯列と、八阪神社側からやって来た宮本組が出逢います。
夕暮れの川辺の景色の中に松明が立てられ、観光や買い物の客人達が行き交う雑踏に、なんとも言えない良い風情が漂い始めました。

暫くして両方の列は社の方へと引き、20時頃に今度は神輿を導きながら「宮の川」つまり鴨川の四条大橋へ。
その昔鴨川は「暴れ川」と呼ばれるほど、度々氾濫していました。
そこから疫病が蔓延するのを恐れ、鎮化を祈願し、28日には再び鴨川にお還しするのです。

複数に分けられた松明に守られながら、四若神輿会の中御座が差し上げられました。
鴨川の水が振り撒かれ、鴨川の水の神様を迎えた神輿は再び八坂のお社へと帰っていきました。

動画は後日こちらにアップしますね。

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