e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

東山ブルーに浸る

10月1

kai
「東京でやっていたとき、何度も観に行ったんです。」と「東山魁夷展」の葉書を知人から頂きました。
自分の中では「人気の日本画の大家」という認識で観て来たつもりでいましたが、実際に間近に観て、これまでちゃんと作品に直に向き合っていなかった事に気がつきました。
空や池や森など、あらゆる姿の「あお」で埋め尽くされた会場でしたが、そのそれぞれが複雑な色彩の重なりであり、その色に行き着くまでの物語さえ感じさせます。
幻想的のようでいながら、きっとどこかで出逢っていたかもしれない光景。
観客が銘々の心の琴線に触れる作品の前で、吸い込まれるように立ち止まっていました。
盛夏から秋にかけてのこの季節にこの展覧会が開かれたのも頷けます。
「唐招提寺御影堂障壁画」の『濤声』の前では、本当に波打っているように見えて、端から端まで往復してしまい、東山魁夷が夢の中で観た景色だと語っていた絶筆『夕星』は、他の望遠の作品群とは違って4本の木が意思を持った生命体の様に佇んでいるかのようで、身につまされるものがありました。
売店では、図録も絵葉書もたくさんあり大盛況でしたが、やはり実物に勝るものはありません。
『京洛スケッチ』のコーナーでは、京都のどこの景色が描かれたものなのか紹介されています。この連休の訪問先にいかがでしょうか。

2018年10月01日 | 芸能・アート | No Comments »

西洋と東洋の感性

9月26

tuki
久しぶりに金剛能楽堂で能を観てきました。
能を鑑賞していると、つくづく日本人の感性を不思議に思います。
暗転する事なく明るいままで舞台装置が運ばれ、一行で済むような状況を長い節回しで延々と語り続ける。何者かよく分からない人物が現れ、物語の状況を解説する。
舞踏劇一つ取っても、西洋では声や動作が外側や天の方に向かって発せられるのに対し、東洋は内側に凝縮するように下へ下へ、または地を這うように平行に向かっていきます。
型にはまった最小限の動きの組み合わせで喜怒哀楽を表現し、演目の合間をひょうきんな空気で和ませる狂言でさえ、基本は摺り足です。
研鑽を積んで習得した様を表す「板につく」という言葉はそこに由来していると、聞いた事があります。
毎度のごとく、鑑賞中に何度か意識を失い、目を開けたまま寝ていた事に気付いて思わず姿勢を正してしまうのですが、それでも機会があれば観てしまう。
今回は特に尺の長い演目だったので、外に出る頃にはすっかり陽が落ち、向かいの京都御苑の木々の間から満月が望めました。
これもまた、雲一つない澄んだ夜空に神々しく光り輝くというよりは、黒い枝に覆われるように怪しく光る朧な月。能を観たあとは、やっぱりこんな月夜が気分です。

羽ばたくための巣「あじき路地」

9月19

suzume
浴衣の舞妓さんの後ろ姿を眺めながら、「あじき路地」へと向かいました。
築100年超えとされる町家長屋の各部屋に若手作家が住み込み、それぞれ創作活動や主に週末に販売をしています。入居は若き職人や作家を応援する大家さんとの面談で決まり、家族の様な距離感で知られています。中には独立して店舗を構えるために巣立っていった住人もいるそうです。
それゆえお店は入れ替わりも多く、訪れた当時はちょうどその時期で空いている店舗が限られていましたが、ここは作業場に展示販売スペースが付随しているものと考えた方が良さそうです。玄関がどこも狭いのは、昔の日本人サイズに合わせてのことでしょう。
手作業の皮製品のお店「MATSUSHIMA」では、皮ごと、値段ごとの違い等を教えてもらいました。スマートフォンケースや時計のベルトもオーダーメイドでき、また製作教室も開催されているようです。
オーダー専門の帽子店「evo-see」では自由に試着でき、なぜか近くのコーヒースタンドも教えてもらいました。
手製の本と紙の小物を扱う「すずめ家」では、和綴じの小さなノートに目が留まりました。
お洒落なノートは心躍るけど、結局勿体なくてろくに使いきれないまま家で眠ってしまうかも…としばし迷いました。しかし、ふと友人が飲食店でぐずる子供に小さなスケッチブックと色鉛筆を渡していた事を思い出し、その子の分と、古典芸能が好きな知人のためにも、お土産にする事にしました。
鴨川を隔てた反対側は四条河原町、あらゆる人の欲求に応える繁華街です。そしてこちら側は、好きなことを仕事にしている人たちの、職住一体の静かな町でした。

五条の楽園は今

9月10

5jo 高瀬川沿いの五条より南の辺りは、10年程前まで「五条楽園」との看板のかかった現役の遊郭でした。
現在は、お茶屋だった町家やビルを改装したゲストハウスやカフェ等ができてきて、様変わりしつつあるようです。

その界隈の中にあるのが「五条モール」。名前から連想するようなイオン系列でもないし、好立地で年末年始も休まず営業しているような大規模な商業施設でもありません。
昭和の香りを残す建物の中の各小部屋を若手アーティスト達がそれぞれのペースで営業し、個性を発信しています。
人の気配があるようで無い入り口に足を踏み入れるとすぐに現れるタイルの流し。棚の昆布茶に貼られた「飲んでいいよ!」の文字は誰に対してのものでしょうか。
きしむ床板を踏みしめながら、ギャラリーや雑貨店、作家が不在のアニメーション作品を見て回ります。
一角に置いてある絵本のタイトルは『ピーマンのにくづめだったもののはなし』。 アート好きな人でなければ「ここに来て自分は何を一体すればいいんだ!?」と戸惑うかもしれません。
各店舗は主に週末に開いているようなので、週末やイベントが開催中の間で、「すなっくごっこ えでん」が営業を始める頃合いに訪れるのがおすすめです。

あんこ色、みたらし色に染まりたい

9月4

ume
買い物で歩き疲れたころ、寺町通りの先で出迎えるように佇む「甘党茶屋 三条寺町店」。
店内は、眩しい程に真っ白な壁やお皿…というよりもココア色。いやいや、みたらし団子のたれの濃厚な溜まりと伸ばしたところを連想させるようなやや日陰な色合いです。
甘党のお店はこうでなきゃ、と勝手にそう思ってしまうのです。
お品書きの冒頭にある「寺町点心」は、お馴染みの四角いみたらし団子にわらび餅、栗の渋皮煮などなど和洋菓子を組み合わせた、いいとこ取りの五種盛りです。
もちもちの生地であんを挟んだ新作「あんの花束」も試したいけど、河原町店からずっと愛されているみたらし団子も食べたいし、という食いしん坊の心理を巧みに汲んでいますね。
若者が行き交う賑やかな繁華街の中でも落ち着きがあり、またノスタルジックな風情が合うのか、和服姿の人が多く訪れていたのが印象的でした。
「あんの花束」はちょっとした手土産にすることに。
「ディル」「紅茶」「マンゴー」。和菓子では出逢えない素材が、指先でつまめる程の小さな花束に。
喫茶で登場しているものとは違う種類のようで、「私も食べたいな…うう」と後ろ髪をひかれる思いで差し出しました。

2018年9月04日 | お店 | No Comments »

お地蔵さんの行方

8月28

jizo
お盆を過ぎたころ、子供の成長を願い京都や滋賀、大阪などの近畿地方で行われる「地蔵盆」。意外にも、長年京都に住んでいても参加した事が無い人が多いのです。
町内にお地蔵さんが無かったり、少子高齢化が進み大人だけで執り行ったり、または行われなくなってしまったところも。
マンションに住んでいた幼少期は、一角にあったお地蔵さんを拝み、広い駐車場で他の子供達とスイカ割りをしてゴザの上で食べ、浴衣で花火を楽しんだ記憶がありますが、他の地域に引っ越してからはその機会も失われてしまいました。
この夏、繁華街にほど近い天性寺で、誰でも参加することができる地蔵盆が開かれたので、境内を覗いてみると、協賛店舗による軽食やかき氷の屋台、屋内では浴衣や雑貨のお店、お茶スタンド、飲食スペースがあり、福引で当てたのか、鐘のふもとでシャボン玉を吹く兄弟の姿もありました。
皆で肩寄せ合うように円座し、念仏を唱えながら大きな数珠を繰り回す「大数珠繰り」では、赤ちゃんが思わず輪の真ん中に向かってはいはいしだしたり、お下がりのお菓子を「昔子供だった人もどうぞ」とお坊さんが配られたり、微笑ましい光景でした。
本堂その他で汗も滲みましたが、授乳やおむつ替えのできる小部屋は冷房が効いていて、おむつを入れるビニール袋やお尻拭きまで置いてあるという細やかな心遣い。
観光客向けの地蔵盆イベントやツアーは人気だというのに、各町では共働き世代が増えたり、夏休み中で居なかったり、地蔵盆という風習に馴染みが無い人もいたり、事情もさまざまです。
京都市の中心部ではホテルやマンション建設が相次ぎ、お地蔵さんや飾りの保管場所の確保も課題となっているそうですが、公共のスペースを持つ町内のホテルが地蔵盆の開催や倉庫を請け負う新たなケースも現れているそうです。
あなたの近くにお地蔵さんはおられますか?

2018年8月28日 | お寺, イベント | No Comments »

現代アートの双方向性

8月21

tadasu
「チームラボが京都に来るんやって!」
下鴨神社 糺の森の光の祭』というイベントについては既に聞いていましたが、友人達との会話の中で、「それほど話題になっていたのか」と思い、行ってみる事にしました。
入り口から参道にかけてのせっかくの導入部分がトラブルにより照明がつかずじまいで残念でしたが、鳥居やご神木がいつもの日の光とは全く違う色の照明によって妖艶に浮かび上がったり、涼しげに照らされたりする姿を、多くの外国人客も楽しんでいるようでした。
平日でも御手洗祭にも劣らないほどたくさんの人があちこちで撮影に興じ球体を触りまくっているので、響きあう音色に耳を澄ます…といった余裕はあまりありませんでしたが、子供達はふわふわの触感を全身で感じ、大人には浴衣デートをしたり写真映えを楽しんだりするためのアトラクションという印象でした。
惜しくも照明がつかずに誰にも触れられる事なく置かれた球体は本当にただの置物で、それが発光の仕掛けと人の手の刺激による双方向性によって初めて現代のアートとして成り立っています。
子供達にとって言葉では難しくて理解できないことが、かえって感覚的に伝わったでしょうか。
歩き回れるくらいの子供向けの催しだと感じましたが、親に抱かれた乳幼児の姿も。足元は細かい砂利で時折タイヤを持っていかれるので、ベビーカーよりは抱っこ紐で両手を自由にして撮影を楽しまれるのが良いかと思います。

味の記憶

8月14

curry
暑くてもホットなものが食べたくなるのはなぜ?
帰省したときに食べた「うどん わだ」のカレーうどん。
下鴨にあった「しみず」で修業していた人が名物のカレーうどんの味を引き継ぎながら独自にアレンジしたものだそうです。
お店の方いわく、持ち帰って自宅で仕上げる場合は、とろみの付け方にちょっとこつがいるようです。
お腹に流れ込んだ温もりと湯気を受けて、額に浮かんだ汗を扇風機の風が乾かし、暑いやら涼しいやら身体はもう大騒ぎです。
もう随分昔のことなので、「しみず」のカレーうどんの味がもはやどの様であったか、文字に起こす事ができませんが、かつて児童公園の横にひっそりと建つお店の小上がりの畳の上で正座しながら、だしの香りとルゥが絡む麺をすすっていた事を思い出しながら、頂戴しました(画像は持ち帰りを自宅調理したものです)。
生風庵の雪餅、グリルよね田のハンバーグ…今やお目にかかることも叶わない名店の味
。「喫茶マドラグ」や「喫茶ガボール」にある「コロナの玉子サンド」のように、誰かに引き継がれていたらなあ、と今でも思い返します。

2018年8月14日 | お店, グルメ | No Comments »

天神さんのパワー

8月7

kitano京の七夕」が始まったばかりの北野紙屋川エリアは意外にも空いていて、昼間の暑さを忘れて夕暮れのお散歩を楽しめました。
北野天満宮でも「北野七夕祭」が開催中で、短パン姿という参拝に相応しいとはいえないいで立ちをしておりまでしたが、御手洗川の足つけ燈明神事で禊をすることが目的だったので便利でした(靴を着脱するための床几やビニール袋はご用意されています)。
一瞬、肩をすくめる程に冷たい水ですが、じゃぶじゃぶとふくらはぎに水流を感じながら歩くのは気持ちの良いものです。
とても短い道のりなのですが、五行色のろうそくに灯した火を、風でかき消されないように献灯台まで運ぶのには案外コツがいります。
足もすぐに乾き、温かな血流がじんわりと戻ってくるのを感じながら、御土居のライトアップをそぞろ歩き。
個人的に「パワースポット」とは、神がかりなエネルギーがもらえる場所というよりも、人を惹きつけ、人のエネルギーが集まる力を持った場所なのではないかな、と思っています。
特に全国に「天神さん」と呼ばれ親しまれている菅原道真公は、平安時代のエリート官史とはいえたった一人の人間が、千年もの時を経てもなお、大々的に崇められているなんて、極めて稀有な存在でしょう。
お隣の大阪では5千発もの奉納花火が打ち上げられる程のお祭が行われているのですから、現代におけるその影響力は計り知れません。
これは三辰信仰による太陽・月・星の天のエネルギーによるものでしょうか。
御手洗団子茶屋や刀剣展に加えて、今週末の11、12日は子供の将棋大会や本殿石の間の通り抜け、盆踊りに和太鼓などなど、元気がもらえる催しが目白押しなので、より賑やかになることでしょう。

日本人の知らない日本語

7月31

machi
特に読書家というわけではないのですが、書店でもインターネットでも古本を購入したことがあります。
欲しい本が書店に無いとき、また自発的に探すときにネットの利便性に頼りますが、本の方から語りかけてくるような感覚があるのは新書のある書店、より思いがけない出会いがあるのは古書を扱う蚤の市や古書店、図書館の方が多い気がしませんか?
まちライブラリー」という全国に展開している私設図書館をご存じでしょうか。
京都府内にもあり、友禅工場や京町家の一角にも設けられているようです。
画像の図書は京都府外の地域で借りたものですが、『懐石サントリー』なる珍しい題名がすぐに目に着き、一周回っても気になったので手に取ることになりました。
もはやサントリーにも淡交社にもおそらくこの本について知る人は少ないのでは。
ウイスキーの傍らに置いて楽しむ懐石の献立や花を季節毎に紹介しているもので、これだけ四季の移ろいを細分化して繊細に楽しむ文化を持つ民族は日本人だけではないかと感じました。
普段「物語を熟読する」よりも「記事を斜め読み」しがちな毎日において、未知の言葉の表現に触れられるのもまた、書物ならでは。
私達には、まだまだ知らない日本語がたくさんあります。
ちょうど五山の送り火の頃に糺の森でも「納涼古本まつり」が行われます。
暑さ指数を目で追うより、心潤すことばを探しませんか。

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