e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

車折神社の早咲き桜

3月31

kuruma 早咲きの桜で知られる車折神社。例年、町なかの桜が満開になる頃には既に散っているという印象を持っていたのですが、先週末の境内では、満開もあれば散った木もあり、膨らんだ蕾もまだたくさん見られたので、これからも見頃がやってきそうです
この時ちょうど満開を迎え、人々の足を止めていたのが、画家・冨田溪仙(けいせん)が奉納した「溪仙桜」でした。
溪仙は、明治21~26年の間、車折神社の宮司を任めた文人画家・儒学者の富岡鉄斎に私淑していました。
漢詩や絵画の心得のある人だったら、きっと携帯電話やデジカメのシャッターを切る代わりに筆でもって、その四方に枝をくねらせた桜の姿を描き表すでしょうね。
この週末は、いよいよ満開の見頃がスタートでしょうか。様々な芸能人達が芸能神社に奉納した朱色の玉垣に、文字通り「咲きこぼれる」に出逢えるといいですね。
帰り道には、嵐電(京福電車)の北野に乗り換えて、車窓から夜桜のライトアップを楽しむのも良さそうです。
その他各地の様子は「桜特集 定点観察 2015」をご覧下さい。

洛中洛外図

3月24

raku 先月末に立命館大学で開催された土曜講座「洛中洛外図を読む」を聴講してから京都文化博物館の「京(みやこ)を描く-洛中洛外図の時代-」展を観に行ってみました。
「京中図/画京中」や「みやこ尽くし」とも呼ばれたこれらの作品は、都を東西に分ける様に右隻と左隻に別れて更に四方に四季を持たせ、その季節に沿った祭礼行事を展開させています。
まるで観光パンフレットの様に、京都という町を憧れの理想郷として紹介するほか、当時の政治情勢や風俗、町中や田舎の建築様式等を知る上でも重要な資料にもなっています。
一方、「京の真景」の章で紹介されている江戸後期の屏風や図巻になると、金雲が取り払われて広大な田園風景が広がり、よりリアルな京の町の上空を、まるでヘリコプターから眺めているような気分になります。
なんといっても洛中洛外図を観賞する際の最大のお楽しみは、描かれた人物の生き生きとした姿でしょう。
「洛中洛外図」が描かれるようになったのは、応仁・文明の乱の後の時代のこと。町が荒廃し「リセット」され、そして復興を遂げた京都の姿でもあるのです。
国立歴史民族博物館のホームページには、後期展示の『洛中洛外図屏風「歴博甲本」』に登場する1426人の人物について検索する事ができるそうです。
さて、ここで細部を覗いてから実物を観るか、実物を観てから検索するか!?
いずれにしても、この展覧会に双眼鏡は必須です!

木島櫻谷旧邸

3月17

oukoku 京都の商家に生まれ、明治~昭和初期に京都画壇で活躍した日本画家・木島櫻谷(このしまおうこく)が晩年に暮らした住宅が、今月末までの週末に限り特別公開されています。
円山四条派の流れを汲み、主に動物を写生的に描く画風ですが、京都画壇で人気を二分したという竹内栖鳳の雄々しい虎・獅子図に比べると、櫻谷の獅子図は手並みも柔らかく、どこか人の顔を連想させるものでした。
邸内は住居としての和館と、作品展示や商談に使われた和洋折衷の洋館、80畳もの画室から成り、随所に櫻谷自身のこだわりが反映されています。
この時期ならではの雛人形や、櫻谷が孫のために図柄を手描きした花嫁衣装、絵の題材となった鹿が角を研いだという木が残されており、また、レトロな電話室を設けた画室には、櫻谷が邸内の庭園で家族と楽しく過ごす映像が映し出され、櫻谷が家族や自然の生き物を慈しんでいた空気がまだここに残っているかのようです。
芸術を生業とする人にとって、自分が生きている間に画業が評価され、家族や同志に囲まれて豊かに暮らせたのは、とても幸せな事だったろうな、と素直に思いました。

祇園大茶會

3月9

chakai 「東山花灯路」の開幕に合せ、2日間かけて開催された「祇園大茶會」。
その会場のひとつ、円山公園内では、11の即席茶席が銘々に工夫を凝らした「おもしろ茶会」が開かれていました。
初日はあいにくの雨模様でしたが、ランチタイム以降から夕方にかけては、ひっきり無しにお客さんがテント内を訪れ、それぞれの一服を楽しんでいたそうです。
着物美女達がハート柄のお茶碗でお茶を点ててくれるガーリーな(!?)席もあれば、苫屋風の空間を組み立て、和箪笥から道具を出しながら自身で作陶した信楽焼でもてなすところも。
美術品・茶道具商の男性が作務衣姿で、新島八重が削ったという茶杓(同志社のバンダナで包んだ筒も見せてくれました)でさらりと盆点前をしてくれる席もあれば、
八坂神社のご神水に敬意を現して水指に注連縄を張り、神道や信仰に因んだ取り合わせでしつらえた席(炬燵で暖か)も。
ここ数年、鴨川や植物園、あるいは何かの催しとして、既存の茶室を抜け出して即席でこしらえたミニ茶席のイベントがじわじわと増えてきたように思います。
釜を掛けている知人が多かったので、ついつい各席で話し込んでいると、寒い屋外でもお茶をふるまう席主達のアツい志が、なんだか羨ましくもありました。
また、八坂神社の絵馬堂では、琳派400年に因み、画家・木村英輝さんが色鮮やかに四季を描いた屏風を背景に、舞妓さんらがもてなす華やかな茶席も多くの人の注目を集め、東山花灯路を盛り上げていました。
限られた時間内なので、「東山花灯路」と「祇園大茶會(円山公園の「おもしろ茶会」、祇園商店街付近の「街中茶席」)」のそれぞれをじっくり楽しみたい場合は、別々に日程を組み、少人数で巡る方が良さそうですね。

平野の家 わざ 永々棟「ひな茶会」

3月2

hina 梅香る北野天満宮の近くにある「平野の家 わざ 永々棟」は、大正~昭和期の日本画家・山下竹斎の邸宅兼アトリエとして大正15年に建てられた木造建築。
その後、映画の時代考証や道具等の美術品を扱う高津商会社長の邸宅として使われた後、数寄屋大工の棟梁・山本 隆章氏の手に渡り、建築に関わる職人や技術者の若手育成のため、先人大工らがその建物に残した伝統技術と材を引き継ぎながらも、現代に合うものを盛り込んで再生されました。
京の手仕事と文化の高い美意識を育む活動の一環として、毎春雛展が開催されています。
その人気行事「ひな茶会」では、小学生と中学生の女の子たちが可愛らしい晴れ着姿でお薄を振る舞ってくれました。
お点前が始まり、銘々皿の代わりに運ばれて来たのは、雛飾りの小さなお膳。
上に乗っている和菓子は、雛人形を模した定番「引千切」なのですが、なんと通常の三分の一程のミニミニサイズ!蒔絵を施した小さな小さな塗りのお椀の中には、桃色の金平糖が入っていました。
柄杓がやっと入る程の茶釜や水指、棗に棚まで、あらゆるものがひと周り小さいけれど、ちゃんと茶道具として機能や風情があります。
ふっくらとした手でお茶を点てている表情も真剣そのもの。
年長の子になるにつれて仕草がより娘さんらしくなり、女の子が女性へと成長していく様を見届けている気分になります。
あちこちにお雛さんが飾られた茶室の内外には、華やかなおべべを着た女の子やその親御さん、お祖母さんらしき人も見られて、まるで永々棟全体がひな祭会場のようでした。
なお、永々棟から徒歩圏内にある櫻谷文庫(旧木島櫻谷住宅)も公開されており、こちらでもお雛さまが飾られています。

茶道資料館「茶箱を楽しむ」

2月24

sado 茶道資料館の新春展「茶箱を楽しむ」。平日の静かな館内ながら、人の足が絶える事はありませんでした。
茶箱とは、お茶を点てるのに必要な道具を携帯できるようコンパクトに収納し、野点(いわゆる「アウトドア茶の湯」)の風情を楽しむもので、戦乱の世には武将達が陣中で、あるいは花見や紅葉狩りの席で用いられて来ました。
紐を掛けたり瓢箪型にしたりと、持ち運びに耐えうるように工夫されたデザインや、その茶箱が使われるシチュエーションを連想させる装飾、中の茶碗や道具は従来よりも小さく軽い事が求められるため、「見立て」(代用)で遊べる自由さなど、持ち主が楽しんで趣向を凝らしているのが伝わってきます。
長時間フライト中の飛行機内で茶箱を広げ、周囲の外国人乗客や客室乗務員らにお茶と菓子を振る舞い、拍手で喜ばれたという面白いエピソードもありました。
自分自身は茶箱はまだ持っていないけれど、手持ちのバスケットに茶碗や茶筅、ケーキ等を仕込み、夜桜の宴席や植物園の東屋で友人達と一服を楽しんだ事もあれば、スキー場のゲレンデで、スノーウェア姿でスキー板の上でお薄を点て、家族で冬山の絶景を楽しんだ事もあります。
またある知人のタクシー運転手さんは、車内に茶箱を供えていて、案内したお客様にお茶を点てる事もあったと聞きました。嬉しいサプライズですね。
その際にもてなした相手は、お茶の心得がある人だけでなく、お抹茶を飲んだ事も無いという人も。
日常と非日常、茶道という敷居もふっと跨いでしまえそうな装置です。
この時期に茶箱展が開かれたのも、間もなく訪れる花と新緑の季節に向けた、野点への誘いなのでしょう。
なお、茶道資料館のすぐ隣にある本法寺は琳派の祖・本阿弥光悦の菩提寺とされ、特別公開中です。併せてお楽しみ下さい。

伏見稲荷大社・初午大祭

2月16

hatuuma 伏見稲荷大社の誕生日ともう言うべき初午の日。今年は祝日とも重なり、大変賑わっていました。
奥の院から稲荷山に入り、中腹の休憩スポット・四ツ辻までの細い山道では、時折行き交うのが困難になるほど。
初午のお参りは、平安時代から既に人気だったようで、かの有名な清少納言も初午の日の暁から稲荷山に登り、その道中の大変さに「泣きそう」と枕草子にもらしたと聞きます。
生まれてはいつの間にか消えていくのが流行の常なのに、ご鎮座から1300年もの月月を経た現在でも、日本のみならず海外からの参拝客も増えているという、お稲荷さんの求心力、恐るべし!
もとい、稲荷山の周辺は渡来系豪族の秦氏が住んでいたので、境内に多言語が飛び交っている様子は、もしかしたら創建当初もそうだったのかもしれません。
ひな壇の様に飾られた色とりどりのお供え物もぎっしり。
本殿や摂末社には、稲荷山の杉と椎の枝で作られた“青山飾り”が青々と輝いて、清々しい華やかさを添えていました。

千總のデザイン力

2月9
「牡丹藤花束青海波文様小袖」 江戸中期(千總蔵)
「牡丹藤花束青海波文様小袖」 江戸中期(千總蔵)

 「千總460年の歴史-京都老舗の文化史-」展(11日まで)を観て来ました。
千總の創業から更に遡ること平城京の時代に、奈良・春日大社の宮大工を務めていた西村總左衛門家の先祖は、春日大社の「若宮神社」の「若宮おん祭」に千切花の台「千切台」を毎年奉納していたそうです。
あのユニークな紋は、橘や菊、藤の供花を載せた「千切台」に由来していたのですね。これがポスター画像に採用されているのも納得です。
法衣業としての出発から460年という長い歴史を重ねて来ても、「千總さんのきもの」は、古典柄なのに古臭さを感じさせないのが、いつも不思議でした。
しかし、会場に展示されていた円山応挙や神坂雪佳など千總が所蔵する屏風や下絵を観ていて、その理由の一つが「磨かれたデザイン力」にある様に思います。
京都画壇に下絵を依頼したり支援したりする中で構図や配色が洗練され、また新しい技術や職人の技(特に十二代西村總左衛門氏の下絵や緻密な刺繍作品は見ものです!)が相乗効果を生み、展示された小袖や花嫁衣装に現れています。
ほの暗い照明の中でも発色の良さが伝わってくる刺繍糸の立体感、大胆さと繊細さが織りなす描線にもかすかな黄金の輝きが見え、飽きることがありません。
創り手の息が吹き込まれたきものは、神前に供えられた瑞々しい花のように、周りの空気を変える力があります。
その歴史の重みと美しさを、ガラスケース越しではなく実際に手に取って、袖を通してみたい、そう思いました。

須賀神社の懸想文売り

2月3

kesou 節分ムードで賑わう新熊野神社聖護院にほど近い須賀神社で、「縁結びの文」を求めました。
この神社では鬼では無く、文を結んだ梅の枝を持った「懸想文売り」が現れます。
懸想文売りさんのお話によると、江戸時代に貴族が恋文を代筆して売り歩き、収入としていたとのこと。
いわゆるラブレター代筆のアルバイトなのだそうです。
なるほど、烏帽子に水干姿で、顔がささない様に覆面をするという奇妙な出で立ちにも納得。
今ほど識字率の高くない時代では、文字が描けない人が想いを伝えるために、あるいは教養のある気の利いた表現でアピールする為に、この様なサービスに需要があった事でしょう。
授与された懸想文についていた解説によると、恋文とは限らず、縁談や商売繁盛等の人々の欲望を叶える符札なのだとか。
この文を、人に知られないように鏡台や箪笥、クローゼットの引き出しに入れておくと、顔かたちが良くなり、着物が増え、良縁に恵まれるのだそうです。
綺麗でおしゃれ、その上モテるとは、女子たちの欲望を心得た嬉しい御利益ですね。
以前、ある人の講演会が終わった後で、聴講していた参加者が想いを届ける為に講演者に手渡していた手紙が、この懸想文に似た結び方だった事を思い出しました。
受け取った人は、その結ばれた文に感心されていました。もしかしたら、色紙とペンを渡されるよりも深く心に残ったかも…?
この京の風俗行事は、明治維新以降には見られなくなったそうですが、きゅっと結んだ文をバレンタインチョコに添えてみるのも風流かもしれません。

近又の料理教室

1月27

kin 料理好き男子に誘われ、「近又」さんの「ミニ料理教室」に参加してきました。
こちらは、ご主人の語りに耳を傾けながら、頂いたテキストにメモを取って調理のコツを学ぶスタイルです。包丁を持たず、エプロンも不要です。
料理テキストを開くと、京懐石の献立が先付から水物までフルコースで書かれており、なんと半分以上の調理風景を目の前で見せてもらう事ができ、最後はお座敷で実食できるのです。
鮟鱇の肝や鴨ロースの下処理、彩りとして添える小さな青菜類など、懐石料理というものがいかに手間暇かけて丁寧に作られているのかがよく分かります。
食材の甘さや色の鮮やかさ、切り口の繊維の美しさ、表面の照り。それぞれに理由があり、美味しいからといって勢いに任せてバクバク食べてしまっては勿体無い、ゆっくり味わって食べなければ、と自然に思うようになるはず。
参加者は近畿一円や関東からのマダムのリピーターが多く、食べる事も作る事も好きな方ばかり。帰りに近くの錦市場で食材を買い、早速家で実践される事も多いのだとか。
「懐石なんか、家庭で作るかしら?」と構える事無かれ。食材の切れ端の活用法や、他の食材を炊いたり継ぎ足したりして繰り返し使える煮汁のレシピなど、「家で和食を作って欲しい」と願うご主人の語り口からは、家の台所でも活かせそうなお話も色々と出てきます。
まずは、からりと揚がる天ぷらの衣作りからチャレンジしてみたいと思いました。
実際に近又の料理場で料理人から学べる「京懐石の料理実習」の方も盛況で2月分は満席ですが、それ以降の「ミニ料理教室」や6月の「料理実習」はまだ席に余裕があるそうです。

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