e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

京町家で「粋人」を育てる「常の会」

7月6
「常の会」

「常の会」

 身内の内祝いの扇子を買いに、大西常商店の暖簾を初めて潜りました。
美しく調えられた町家の一角に京都らしい色遣いの扇子が咲き並び、品の良さが漂います。
意外に手頃な値段だったので驚きましたが、ここが製造卸のお店だからでしょうか。
もう一つの来店目的が、こちらで初開催された文化イベント「常の会」。
茶室「常扇庵」では、お茶席に不慣れな学生さんも、銘々に浴衣姿でお茶を楽しんでいました。
2階の広間では、能楽師観世流シテ方・田茂井廣道さんが、昼の部では祇園祭の山鉾に関する演目を、夜の部では扇子にちなんで構成された「一福能」を。
能としては珍しくアンコールとして「土蜘蛛」も演じて下さり、盛大に投げられた蜘蛛の糸を観客も喜び被ったまま楽しんでいました。
会が終了した後も多くの人が残り、能楽師さん達のユーモラスで分かりやすいお能と扇、面に関するお話に耳を傾けていました。
こんなに盛りだくさんな内容なのに、参加費2000円で本当にいいんでしょうか?
謡をたしなんでいたという同商店の創業者・大西常次郎さんは、近所の人をこの家集め、毎晩サロンの様に楽しんでいたといいます。
そんな「粋人」が、今後も生まれていきますように。
次回の「常の会」は12月の中旬との事ですが、祇園祭に向けても様々な催しが予定されています。詳しくはお店のフェイスブックをご覧下さい。

禊川の変化

6月29

misogi 毎年川床の季節になると、色んなお店を訪れるようにしています。
今年の川床は、焼肉で人気の「弘 木屋町店」に行ってみました。
予約の電話をしようとする度にタイミングが悪いのか、いつも満席だったのですが、駄目もとで当日問い合わせると開店直後ならまだ空きがあるとのこと。
夕暮れを楽しむにもまだ早い時間帯でしたが、即決で向かうことに。
提燈の灯る床の風情もビールが美味しいけれど、川からの風が青い空を押し広げていく様な、夕暮れよりも前の時間帯は、暑さが和らいで今の季節には肌寒いくらいでした。
納涼床の席はコースのみで、主にメインの焼肉の種類で値段が異なる模様。
最も手頃な「葵」コースにしてみましたが、これなら学生さんでも手が届くのでしょう、若いお客さんもたくさん川床を楽しんでいました。
内容は、焼肉のオンパレードかと思いきや、最初は京料理風のお弁当が運ばれて来て、これも「京都の川床らしさ」の演出でしょうか。
「今日は肉の気分!!」な人にとっては、最初のお弁当のうちは物足りない印象かもしれませんが、メインディッシュの大きな一枚肉をハサミでちょきちょき切って食べているうちに、すっかり満腹になってしまい、食べきれない程でした。
ふと床の外に目をやると、禊川で鴨が気持ちよさそうに泳いでいました。数えてみると5羽程は居たでしょうか。
以前の禊川だったら、納涼床の真下の暗い影の中をひたすらまっすぐ無機質に流れているだけでしたが、両側に緑が増えて曲線も加わり、自然の川の様に整備されたようです。
ここ最近の鴨川がまるで公園の様に整えられ過ぎるのは少し抵抗があったのですが、禊川の流れに逆らったり流されたりして思い思いに泳ぐ鴨たちを見ていると、こんなアレンジなら悪くは無いかなと感じました。

2015年6月29日 | お店, グルメ | No Comments »

持ち寄りパーティーへのお土産

6月22
あのん 祇園
あのん 祇園

知人宅へのお土産として、本オープン(6/22)を控えた「あのん 祇園 (075-551-8205)」で、ちょこっと買い物をさせて頂きました。
四条通りから巽橋へと抜けるまでの間にある、もとは個人が住まわれていたという「祇園の町家」ですが、ガラス張りの扉と大きな窓の開放感が、敷居の高さを感じさせずに入れます。
おはぎを主力にしている食品メーカーの京都店舗という事で、選んだのはやはり「京おはぎ五色」。
五色とは、くろあん・しろあん・きなこ・まっちゃ・赤飯の事で、京都産の原材料も多く用いられているとのこと。
何より小ぶりな赤飯のおはぎがお祝い事に相応しく、購入の決め手になったのです。
もう片方は、「あんマカロン」。まるで洋菓子と和菓子のいいとこ取りですね。
フォークも要らず、手を汚さずにあんこが食べられるのって、意外とパーティーへの差し入れに便利かもしれません。
自然な甘みの和菓子が好きなおばあさん、洋菓子に目が無いお孫さん、そんな組み合わせの「女子会」もできそうな、店内の茶寮(カフェ)も次の機会に利用したいと思います。

2015年6月22日 | お店, グルメ, 町家, 花街 | No Comments »

「新○○通」

6月16

「新烏丸通」を知っていますか?京都御苑の東南角辺りを見れば分かりやすいでしょうか、河原町通と寺町通の間を走る南北の通りです。
比較的新しい通りかと思いきや、実は江戸期から見られる通りらしいのです。
地図に落とした視線を、そこから少し東南に移動させ、二条通を南下すると、「新丸太町通」があり、その東には「新麩屋町通」「新富小路通」…。と続きます。
丸太町通りって確か東西に延びる道のはず…「新」って何!?
時代を遡ること1708年、油小路通姉小路下がる西側、宗林町の銭屋市兵衛の家から出火した「宝永の大火」。
風に煽られ、翌日の夕方まで燃え続いた炎は京都中心部を焼き尽くし、禁裏御所は全焼、下加茂の河合社をも炎上させてしまいました。
徳川幕府は皇宮地の復興や拡張のため、御所近辺の寺院や町家を、強制的に立ち退かせます。
丸太町以北、寺町通りから烏丸通りまでの多くの町々が、河東二条川の頂妙門前一帯に移住を命じられ、旧地の通り名や、町名に「新」を冠して開町していったのが、これらの通り名の由来のようです。
丸竹夷に留まらない、奥深い京都の町。
知れば知るほど、知らない事が出てきますね。

2015年6月16日 | 未分類, 歴史 | No Comments »

京都のおうどん

6月9

uneno 世間では讃岐うどんのコシの強さが人気ですが、それに対して「京都のおうどん」は、つるつるとしていて食べている途中でぷつん、と切れてしまう事も多く、どちらかと言えば麺よりもだし重視なのかなあと思います。
ならば、とことん「だし」にこだわったうどんを食べてみたい。そこで思い当たったのが、「おだしのうね乃」さんが昨年開店したうどん屋「仁王門うね乃」(075-751-1188)でした。
たまたま開店15分程前に着いたので一番乗りでしたが、すぐその後から赤ちゃん連れの親子や単身の男女が並び、暖簾が掛かる前から数人の列ができました。
まだ新しい木の一枚板が眩しいカウンター席に腰掛け、目の前で鱧の天ぷら等を調理するライブ感を楽しんでいると、まるで割烹を訪れたかのよう。
湯気を連れて運ばれて来た待望の品は、いきいきと鮮やかな翠色の葱が、ほんのり透き通った麺と絡み合いながら淡く澄んだおだしに浸り、照明の光を受けてきらきらと輝いていて、なんだか美しい。しばし箸を取るのを忘れて見入ってしまいました。
お揚げさんも細切りながら香ばしくて食べ応えがあり、葱の食感もしゃくしゃくと小気味良く、おだしは勿論のこと、天ぷらに添えたしっとりときめの細かいつけ塩に至るまで、それぞれの食材にいいものを使っているんだろうな、と目で舌で感じられます。
驚いたのは、箸で引き上げた時の麺のふわっとした軽さ。あれは巷のうどんと何が違うんでしょう?別の品とのおだしを飲み比べると微妙に異なり、それぞれに合った異なるだしをひいているのかもしれません。
そして、全体的に塩分控えめな味わいなのは、やはりおだしの繊細で複雑な風味を味わう為でしょう。すっかり飲み干して合掌しました。

2015年6月09日 | お店, グルメ | No Comments »

本野精吾設計「栗原邸(旧鶴巻邸)」

6月1

kurihara 31日まで一般公開されていた国登録有形文化財の「栗原邸」。
緑の木々にすっぽりと覆われた脇の小道を進むと、重厚な円柱を配した半円形の玄関ポーチが現れました。
「モダニズム建築」という言葉だけを聞くと、無機質な先入観を持ってしまいがちですが、外側はコンクリートそのものを、窓枠やインテリア等に幾何学的、直線的なデザインを多用しながらも、あちこちの窓から望める新緑や家具の木の穏やかさが、それらを包み込んで緩和しています。
ベッドに寝そべれば(実際にはできませんが)窓一面に見える青もみじ、手を伸ばせば木の枝もつかめるくらいに張り出したバルコニー、すぐそばを流れる琵琶湖疏水、手前に連なる瓦屋根と向こうに見渡せる山や町の遠景、それらの異なる景色を楽しむ為に設計されているのではないかと思わずにはいられません。
棚に残る食器や本など、ほんの5年程前まで住んでいたという形跡も感じられるためか、広く開放的な屋上なんて、テントを張って星空や虫の音と共に夜を明かせるのではないかと、想像が膨らんでしまいました。
この邸宅の主・鶴巻鶴一が校長を務めた京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)の学生らが修復に携わった栗原邸は、一般公開を一旦終了しましたが、本野精吾をテーマにした展示が京都市考古資料館で21日まで開催されており、7日と21日は資料館にある旧貴賓室が特別公開されます。

2015年6月01日 | 芸能・アート | No Comments »

下御霊さんのお祭

5月26

simo 週末に、春の夜風を受けながら御所に沿って歩いていると、歩行者天国になっている一角がありました。
人の賑わいの中では、赤い鳥居が灯りに照らされています。
「そや、今日は下御霊さんのお祭や。」
一年365日じゅう、どこかしらで神事や催しが行われている京都では、この様に祭に遭遇する事もしばしば。
吸い込まれるように鳥居の奥へと入っていきます。
境内は地元の夏祭りの風情で、子供達もTシャツや浴衣姿ですっかり夏の装いでした。
縁日は、沢ガニ釣りや輪投げ、木製のピンボールなど、今では余り見かけなくなった「ベタに懐かしい」ものばかり。
しかしながらテレビゲームやタブレット端末に親しんでいる現代っ子には、むしろ新鮮に映ったかもしれません。
射撃にチャレンジしてみましたが、命中はするものの、軽いコルクの玉は景品を打ち落とさずに跳ね返ってしまいました。
広さはそう大きくない神社ですが、提灯に囲まれて真ん中に鎮座している神輿は荘厳で風格を感じさせるものばかり。
政治抗争の中で無念の死を遂げた貴人達の怨霊を鎮めるための神社である事が、菊や桐を象った装飾品からも頷けます。
ここを通りがかったのも何かの縁と思い、本殿でお祈りとお賽銭をして神社を後にしました。

葵祭最後の神事

5月18

aoi 今年の葵祭行列は、雨天の心配もどこへやら、無事に終了しました。動画はこちら
平安時代から続くその華やかな一行は、次なる京都三大祭・祇園祭の橋弁慶山の胴掛にも、円山応挙下絵の綴錦「加茂祭礼行列図」として登場します。
葵祭当日、行列(路頭の儀)が終着点の上賀茂神社に到着すると、社頭の儀と走馬の儀が行なわれました。
それが終わると多くの見物人は散り散りに帰ってしまうのですが、ここからは最後の神事「山駈けの神事」が斎行されるそうです。
これは、上賀茂神社のご神体である神山に向かい、御阿礼所で祝詞を上げ、乗尻が馬に乗り一頭ずつ駆け抜けて神を慰め鎮めるというものらしいのです。
もともと葵祭は、凶作が続いた6世紀の中頃、賀茂神の祟りを鎮めるために、鈴を付けた馬を走らせて、五穀豊穣を祈ったのが始まりと伝えられているので、この神事はまさしく原型に近い姿と言えます。
来年の葵祭は日曜日なので、より多くの人が楽しめそうですね。

宇治茶イタリアン

5月12

cha 抹茶ドリンクに抹茶のお菓子など、今や日本茶・宇治茶グルメはお茶屋やお土産物屋に限らず、カフェやコンビニ、はたまたドラッグストアにまで見られるようになりました。
一昔前まで「抹茶は苦いもの」という先入観を持っていた人も多かったかもしれませんが、最近ではこれらの抹茶グルメを入口として、抹茶に抵抗無く親しんできた世代が育ってきているように思います。
このお茶グルメ効果は海外の人々にも徐々に浸透しつつあり、和食に続いて“日本茶のふるさと「宇治茶生産の景観」”として世界遺産登録を目指して、行政も後押ししています。
それでは一度甘いものから離れて、お茶の料理はいかがなものかと、ホテルグランヴィア京都の15階「ラ・リサータ」(075-342-5522)で期間限定の「お茶イタリアンランチ」を頂いて来ました。
茶懐石の向付を連想する昆布締めに始まり、うっすらと緑色に色付いたきめの細かいフリットや、抹茶とじゃがいものほくほくとしたニョッキ、口直しやアクセントにはほろ苦い抹茶のグラニテ(シャーベット)などなど。 
器に散らされた抹茶の原葉や季節の野菜に注がれた温かい宇治茶のコンソメも、添えられたパンにくっつけて余すところなく頂きました。締めもやはりコーヒーではなく、ほうじ茶を選んで抹茶のマカロンと共に。
イタリアンと言えばオリーブオイルたっぷりのガッツリした食べ応えの印象がありますが、このコース料理が全体的にあっさりと優しい味わいなのは、やはりお茶の作用によるものなのか、あるいは高級茶とされる宇治茶の繊細な味わいを損なわない様にとシェフが工夫を凝らした成果なのかもしれません。
さて、そろそろ、夏も近づく茶摘みも半ばでしょうか。

2015年5月12日 | お店, グルメ | No Comments »

祇園祭発祥の地と神泉苑祭

5月7

sinsen 川床が始まり、大型連休中の京都はあちこちでイベントが目白押しでした。どこに出かけようか迷われた方も多かったのではないでしょうか。
神泉苑祭」もその一つで、最終日には平成女鉾清音会による祇園囃子の奉納がありました。
貞観年間(859~877)に都を中心に全国で疫病が流行り、その霊を鎮めるため当時の国の数に相当する66本の鉾を立て、神輿を神泉苑に送る御霊会が行われました。
後にこれが町衆の祭として、鉾には車輪や装飾が施されるようになります。
神泉苑が祇園祭発祥の地と呼ばれる所以です。
瑞々しい新緑と満開の躑躅に縁取られた法成就池の畔、本堂にて最後の演奏が始まると、天まで突き抜けるような能管や鉦の音色に雨雲が刺激されたのか、次第に雨粒が落ちて来て、やがて本降りとなりました。
ちなみに、神泉苑の池に住むという善女龍王はもともと、弘法大師空海がここで祈祷によって北インドから呼び寄せ、雨乞いを成功させたという言い伝えがあります。
今月になって降雨の少なかった京都にとっては、正に恵みの雨!
観客は仮設テントや傘の下で身をすくめて奉納演奏を見守りました。
その帰りの道中も、嵐の様な横殴りの通り雨にすっかりずぶ濡れになってしまい…神泉苑のパワーを痛いほど実感させて頂きました。

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