e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

京都のおうどん

6月9

uneno 世間では讃岐うどんのコシの強さが人気ですが、それに対して「京都のおうどん」は、つるつるとしていて食べている途中でぷつん、と切れてしまう事も多く、どちらかと言えば麺よりもだし重視なのかなあと思います。
ならば、とことん「だし」にこだわったうどんを食べてみたい。そこで思い当たったのが、「おだしのうね乃」さんが昨年開店したうどん屋「仁王門うね乃」(075-751-1188)でした。
たまたま開店15分程前に着いたので一番乗りでしたが、すぐその後から赤ちゃん連れの親子や単身の男女が並び、暖簾が掛かる前から数人の列ができました。
まだ新しい木の一枚板が眩しいカウンター席に腰掛け、目の前で鱧の天ぷら等を調理するライブ感を楽しんでいると、まるで割烹を訪れたかのよう。
湯気を連れて運ばれて来た待望の品は、いきいきと鮮やかな翠色の葱が、ほんのり透き通った麺と絡み合いながら淡く澄んだおだしに浸り、照明の光を受けてきらきらと輝いていて、なんだか美しい。しばし箸を取るのを忘れて見入ってしまいました。
お揚げさんも細切りながら香ばしくて食べ応えがあり、葱の食感もしゃくしゃくと小気味良く、おだしは勿論のこと、天ぷらに添えたしっとりときめの細かいつけ塩に至るまで、それぞれの食材にいいものを使っているんだろうな、と目で舌で感じられます。
驚いたのは、箸で引き上げた時の麺のふわっとした軽さ。あれは巷のうどんと何が違うんでしょう?別の品とのおだしを飲み比べると微妙に異なり、それぞれに合った異なるだしをひいているのかもしれません。
そして、全体的に塩分控えめな味わいなのは、やはりおだしの繊細で複雑な風味を味わう為でしょう。すっかり飲み干して合掌しました。

2015年6月09日 | お店, グルメ | No Comments »

本野精吾設計「栗原邸(旧鶴巻邸)」

6月1

kurihara 31日まで一般公開されていた国登録有形文化財の「栗原邸」。
緑の木々にすっぽりと覆われた脇の小道を進むと、重厚な円柱を配した半円形の玄関ポーチが現れました。
「モダニズム建築」という言葉だけを聞くと、無機質な先入観を持ってしまいがちですが、外側はコンクリートそのものを、窓枠やインテリア等に幾何学的、直線的なデザインを多用しながらも、あちこちの窓から望める新緑や家具の木の穏やかさが、それらを包み込んで緩和しています。
ベッドに寝そべれば(実際にはできませんが)窓一面に見える青もみじ、手を伸ばせば木の枝もつかめるくらいに張り出したバルコニー、すぐそばを流れる琵琶湖疏水、手前に連なる瓦屋根と向こうに見渡せる山や町の遠景、それらの異なる景色を楽しむ為に設計されているのではないかと思わずにはいられません。
棚に残る食器や本など、ほんの5年程前まで住んでいたという形跡も感じられるためか、広く開放的な屋上なんて、テントを張って星空や虫の音と共に夜を明かせるのではないかと、想像が膨らんでしまいました。
この邸宅の主・鶴巻鶴一が校長を務めた京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)の学生らが修復に携わった栗原邸は、一般公開を一旦終了しましたが、本野精吾をテーマにした展示が京都市考古資料館で21日まで開催されており、7日と21日は資料館にある旧貴賓室が特別公開されます。

2015年6月01日 | 芸能・アート | No Comments »

下御霊さんのお祭

5月26

simo 週末に、春の夜風を受けながら御所に沿って歩いていると、歩行者天国になっている一角がありました。
人の賑わいの中では、赤い鳥居が灯りに照らされています。
「そや、今日は下御霊さんのお祭や。」
一年365日じゅう、どこかしらで神事や催しが行われている京都では、この様に祭に遭遇する事もしばしば。
吸い込まれるように鳥居の奥へと入っていきます。
境内は地元の夏祭りの風情で、子供達もTシャツや浴衣姿ですっかり夏の装いでした。
縁日は、沢ガニ釣りや輪投げ、木製のピンボールなど、今では余り見かけなくなった「ベタに懐かしい」ものばかり。
しかしながらテレビゲームやタブレット端末に親しんでいる現代っ子には、むしろ新鮮に映ったかもしれません。
射撃にチャレンジしてみましたが、命中はするものの、軽いコルクの玉は景品を打ち落とさずに跳ね返ってしまいました。
広さはそう大きくない神社ですが、提灯に囲まれて真ん中に鎮座している神輿は荘厳で風格を感じさせるものばかり。
政治抗争の中で無念の死を遂げた貴人達の怨霊を鎮めるための神社である事が、菊や桐を象った装飾品からも頷けます。
ここを通りがかったのも何かの縁と思い、本殿でお祈りとお賽銭をして神社を後にしました。

葵祭最後の神事

5月18

aoi 今年の葵祭行列は、雨天の心配もどこへやら、無事に終了しました。動画はこちら
平安時代から続くその華やかな一行は、次なる京都三大祭・祇園祭の橋弁慶山の胴掛にも、円山応挙下絵の綴錦「加茂祭礼行列図」として登場します。
葵祭当日、行列(路頭の儀)が終着点の上賀茂神社に到着すると、社頭の儀と走馬の儀が行なわれました。
それが終わると多くの見物人は散り散りに帰ってしまうのですが、ここからは最後の神事「山駈けの神事」が斎行されるそうです。
これは、上賀茂神社のご神体である神山に向かい、御阿礼所で祝詞を上げ、乗尻が馬に乗り一頭ずつ駆け抜けて神を慰め鎮めるというものらしいのです。
もともと葵祭は、凶作が続いた6世紀の中頃、賀茂神の祟りを鎮めるために、鈴を付けた馬を走らせて、五穀豊穣を祈ったのが始まりと伝えられているので、この神事はまさしく原型に近い姿と言えます。
来年の葵祭は日曜日なので、より多くの人が楽しめそうですね。

宇治茶イタリアン

5月12

cha 抹茶ドリンクに抹茶のお菓子など、今や日本茶・宇治茶グルメはお茶屋やお土産物屋に限らず、カフェやコンビニ、はたまたドラッグストアにまで見られるようになりました。
一昔前まで「抹茶は苦いもの」という先入観を持っていた人も多かったかもしれませんが、最近ではこれらの抹茶グルメを入口として、抹茶に抵抗無く親しんできた世代が育ってきているように思います。
このお茶グルメ効果は海外の人々にも徐々に浸透しつつあり、和食に続いて“日本茶のふるさと「宇治茶生産の景観」”として世界遺産登録を目指して、行政も後押ししています。
それでは一度甘いものから離れて、お茶の料理はいかがなものかと、ホテルグランヴィア京都の15階「ラ・リサータ」(075-342-5522)で期間限定の「お茶イタリアンランチ」を頂いて来ました。
茶懐石の向付を連想する昆布締めに始まり、うっすらと緑色に色付いたきめの細かいフリットや、抹茶とじゃがいものほくほくとしたニョッキ、口直しやアクセントにはほろ苦い抹茶のグラニテ(シャーベット)などなど。 
器に散らされた抹茶の原葉や季節の野菜に注がれた温かい宇治茶のコンソメも、添えられたパンにくっつけて余すところなく頂きました。締めもやはりコーヒーではなく、ほうじ茶を選んで抹茶のマカロンと共に。
イタリアンと言えばオリーブオイルたっぷりのガッツリした食べ応えの印象がありますが、このコース料理が全体的にあっさりと優しい味わいなのは、やはりお茶の作用によるものなのか、あるいは高級茶とされる宇治茶の繊細な味わいを損なわない様にとシェフが工夫を凝らした成果なのかもしれません。
さて、そろそろ、夏も近づく茶摘みも半ばでしょうか。

2015年5月12日 | お店, グルメ | No Comments »

祇園祭発祥の地と神泉苑祭

5月7

sinsen 川床が始まり、大型連休中の京都はあちこちでイベントが目白押しでした。どこに出かけようか迷われた方も多かったのではないでしょうか。
神泉苑祭」もその一つで、最終日には平成女鉾清音会による祇園囃子の奉納がありました。
貞観年間(859~877)に都を中心に全国で疫病が流行り、その霊を鎮めるため当時の国の数に相当する66本の鉾を立て、神輿を神泉苑に送る御霊会が行われました。
後にこれが町衆の祭として、鉾には車輪や装飾が施されるようになります。
神泉苑が祇園祭発祥の地と呼ばれる所以です。
瑞々しい新緑と満開の躑躅に縁取られた法成就池の畔、本堂にて最後の演奏が始まると、天まで突き抜けるような能管や鉦の音色に雨雲が刺激されたのか、次第に雨粒が落ちて来て、やがて本降りとなりました。
ちなみに、神泉苑の池に住むという善女龍王はもともと、弘法大師空海がここで祈祷によって北インドから呼び寄せ、雨乞いを成功させたという言い伝えがあります。
今月になって降雨の少なかった京都にとっては、正に恵みの雨!
観客は仮設テントや傘の下で身をすくめて奉納演奏を見守りました。
その帰りの道中も、嵐の様な横殴りの通り雨にすっかりずぶ濡れになってしまい…神泉苑のパワーを痛いほど実感させて頂きました。

百花春

4月27

botan この週末に、お弁当を持って個人宅へ牡丹のお庭を観に行きました。
初夏を思わせる日差しを身体いっぱいに受けた牡丹は今期最後の輝きを放ち、まだ日陰に花開く牡丹はやわらかな色合いがとても涼しげでした。
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」という言葉があります。
美しい女性の姿や立ち居振る舞いを花にたとえたものですが、この言葉に潤いを感じる人もいれば、この様な「女性らしさ」に古めかしさを感じてしまう人もいるかもしれません。
近代になって日本の女性も地位が向上し、男女の平等化が進んでいくのは当然の流れだと思いますが、ふと、「女性が男性と足並みを揃えて」「皆が平たく一緒」である事が本当に自然なのだろうか、と思うもあります。
“それぞれに得意分野と不得意分野があるように、互いの足りないところを補い、感謝し合えるのが本当の意味での「対等」”、という言葉も目にした事があります。
これは男女の性別に限らず、人と人、全ての生き物同志の関係にも言えるように思います。
これからの時代にはそれぞれの個性が尊重され、たくさんの女性が羽ばたき、活躍して欲しい。でも、女性に本来備わっている美しさも失わないで欲しいと願うのは古風な考えでしょうか。
一つの庭の中で入り組むように咲き乱れる花々を見ながら思う、春半ば。

2015年4月27日 | 未分類 | No Comments »

鼻も鎮める!?やすらい祭

4月22

yasuirai 先日訪れた常照寺の帰り道に今宮神社に寄り、「やすらい祭」を見物してきました。
子鬼や赤と黒の大鬼、囃子方等に扮した氏子たちがそれぞれ「上野やすらい」と「川上やすらい」となって、鉦や太鼓を打ち鳴らしながら花傘と共に時間差で境内数か所と氏子地域で「はなしづめ」の踊りを奉納します。今宮さんの踊りは今宮神社の東門を出たあぶり餅屋さんの前でも舞われ(16時頃でした)、床几に腰掛けて美味しいあぶり餅を食べながら観られたお客さんは幸運ですね。 →動画はこちら
平安の昔、桜が散る頃に疫病が流行したため、花と共に飛び散る疫神を鎮める「鎮花祭」としての意味合いを持つお祭りです。
確かに、三寒四温に花冷えの折は寒暖差が激しく、体調を崩しやすいもの。現在で言うならば、鎮めたい病とは花粉症でしょうか。
上賀茂のやすらい祭は、来月の葵祭の日(5月15日)も行なわれます。

常照寺・吉野太夫花供養

4月13

tayu 昨年の葵太夫さんに引き続き、嶋原に10代の若い「桜木太夫」さんが誕生しました。
伊藤博文の寵愛を受けていたという名花の源氏名を引き継いだ桜木太夫さんは若雲太夫さんの姪で、幼い頃から禿(かむろ)として島原に関わり、小学校から習い事を始めて、日本舞踊や茶道、琴をたしなんできたそうです。
その襲名報告も兼ねた12日。鷹峯の常照寺門前に春風が通り抜けると、太夫道中を待ちわびる人々の歓声も、桜の花びらと共に舞い上がります。
桜木、薄雲、如月の三太夫が連なって、胸を張り内八文字をゆっくりと踏み進める姿は壮観でした。
立礼席でお茶を点てる薄雲太夫さんの笄の上にも、薄紅色の枝垂れ桜が降り注ぎます。
境内にある様々な品種の桜は、例年ならば順番に咲いていくそうですが、今年は一度に花開いたのだとか。
煎茶席や遺芳庵席も巡っていたため、若雲太夫さんのお点前や墓参を観るのが叶わず残念でしたが、一度に5人もの太夫さんに会える催しは貴重だと言えます。
また、吉野太夫墓所近くの開山廟では古参の花扇太夫さんが撮影に応じていました。華やかな席は若い太夫に譲るものの、年齢を重ねても今なお人々の憧れの花であり続けている事を物語っていました。

八幡・背割堤の桜と「石清水灯燎華」

4月6

iwa  今年の桜見物第二弾は、八幡市へ出かけました。
人もまばらになった夕方の背割堤で、鶯のさえずりが聞こえる桜のトンネルをのんびり歩いた後は、石清水八幡宮の夜間特別参拝「石清水灯燎華」(5日で終了)へ。
昼間に雨が降った日曜日の夜だったので、こちらも人影が少なく、暗闇に白く浮かぶ上がる桜と燈篭が本殿へと導きます。
お祓いと巫女さんによるお神楽を受け、神職さんと共に周囲も巡りながら二棟の建物を前後に連結させた「八幡造」の社殿についての説明に耳を傾けます。
社殿を囲む瑞籬(みずがき)の欄間彫刻は、日光東照宮でもその腕を発揮した左甚五郎一派の作と伝えられており、その中のカマキリは、祇園祭の「蟷螂山」のカマキリのモデルになったのだとか。
また当宮は「八幡山」など祇園祭との縁も多く、町衆と神職が相互に参詣するなどの交流があるそうです。
社殿内部は他にも、雨漏り対策として織田信長公が寄進したという「黄金の雨樋」(現実的な寄附ですね!)や、現在の八幡市駅前にあったという神宮寺・大乗院(元寇に際して祈祷が行なわれ、神風を吹かせたとも)から戊辰戦争の兵火を逃れて石清水八幡宮に運び込まれたという寺宝の一つ「篝火御影」の掛け軸(8年前に発見されたばかり。臨戦態勢ばっちり僧姿の八幡神!)など、武運の神として日本を代表する為政者達からの信仰が形となって現れていました。
石清水八幡宮の「男山桜まつり」は今月末まで開催されており、昇殿参拝は大晦日まで可能ですが、12日までは一日に5回行なわれています。

« Older EntriesNewer Entries »