e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

ビューティフルドリーマー

3月1

sengoku 戦国時代といえば、武将たちの勢力争いや親兄弟による紛争に政略結婚など、殺伐とした印象が頭をよぎりますが、現在京都文化博物館で開催中の展覧会のサブタイトルの『A CENTURY of DREAMS 』に惹かれました。 まるで実況中継を観ているような「川中島の合戦図屏風」、シックで美しい具足、文に現れる心情や切れ味良い花押に刀と拵。 夢とは欲のようなもので、文化も花開かせていきました。 終盤を飾る「洛中洛外図屏風(上杉本)」の傍らには、画面上を指で操作しながら拡大して鑑賞できるデジタル画面 も楽しめます。 金色に輝く雲間に見えるのは、乱世による荒廃から復興しつつある都人の営みと、相反する勢力同士が共存する世界。 「夢」。それは戦国時代を越え天下統一を果たした秀吉が遺した句にも登場します。 時の強者たちや宗教者が抱き続けた夢と、同じ時代を生きた市井の人々の夢とはいかなるものだったでしょうか。 一変して、ミュージアムグッズ店では、プリントシール機や京人形伝統工芸士がプロデュースした甲冑風のトートバッグ 、組み立てて直ぐに着用できるダンボール製の甲冑などなど予想を上回るセレクトでございました。

京都で一番大きな仏様

2月21

den座像にして7.5メートルと、京都で一番大きいとされる轉法輪寺の阿弥陀如来。
この大きな仏さまも、一般的に大きく描く事になっているという涅槃図も、ともに「お堂の片隅にいる人にも見やすく、お参りして頂ける」という配慮の現れなのだそうです。
轉法輪寺の涅槃図は今年修復を終えたばかり。ゆえに最も鮮やかで細かい所まで見やすい最良の状態になっていると言えます。
「当時のお坊さんはファッションリーダーで、西陣の織元が奉納した織物を身に纏う事で、その評判が世間に広まり…」
住職さんの、立て板に水のごとく繰り出される絵解き話はとても分かりやすくて楽しく、涅槃会を間近で眺めながら、「前はお釈迦さんが入滅した原因の話やったな」「講演に来て欲しいな」と話している人達がたくさんおられました。
涅槃図の両端には釈迦の80年の生涯が描かれていて、釈迦が誕生した際に降ったとされる甘露にちなみ、温かい甘茶や甘酒のおもてなしも嬉しいものでした。
ぜひホームページで絵解き話の時間をチェックして、実際に確かめてみて下さいね。

元・立誠小学校

2月14

cinema 歌舞伎役者の中村雁治郎さんや俳優の近藤正臣さん、中村玉緒さんが卒業したという元・立誠小学校の3階にある「立誠シネマプロジェクト」で映画を観て来ました。
日本で最初の映画上映が行われた地という事で、「日本映画原点の地」とも言われています。
少し薄暗い廊下と冷たくて堅い階段、きしむ床板に懐かしさを覚えながらも、かつて自分が通っていた小学校よりもモダンな造りに新鮮さも感じます。
校舎の突き当たりにある教室の中へ入ると、黒板や机は残るものの、そこはポスターやパンフレットを備えた小さな映画館の受付になっていました。
上映前になり更に暗幕の奥へ進むと、幕に囲まれた小さな空間の段差に座椅子が並べられており、まるで大学時代に度々訪れた小劇場の様で気分が高揚しました。
広告の代わりに、上映合図はスタッフの口頭で。座布団はありましたが、映画が終わる頃には少しお尻が痛くなってしまいました。
ちなみに、こちらでは鑑賞券のインターネット販売は無く、各日の最初の上映時間より30分前から受付で購入する必要があるので御注意を。
鑑賞後は1階の「Traveling Coffee」で、淹れたての珈琲を一杯。
教室の窓から差し込む陽光をぼんやり眺めたのは、もう何年ぶりの事でしょうか。映画の余韻に浸るために存在するような教室でした。
少子化により子供の足音が減ってしまった寂しさはちょっぴり残る校舎ですが、「高瀬川会議」等の有志によりその景観は守られ、学区外の子供から大人までがイベントに参加できる施設として今も息づいています。

2017年2月14日 | 未分類 | No Comments »

京都の伊勢

2月6

himu いつもは晦日の熱気盛んな節分祭に出掛けるのですが、今年は別の方向に足が向かいました。
「京都の伊勢」とも呼ばれる日向大神宮です。
その歴史は5世紀末にも遡り、江戸時代初めには徳川家康の後援によって再興されて、境内図を見ても分かるように驚くほどたくさんの神様が祀られています。
一人で歩くにはちょっと寂しい坂道が続きますが、同じように社を目指して息を切らせて登る人の姿もちらほら見られます。
献火神事ではひたすら古いお札やお正月飾りを燃やし続ける、いわゆる「お焚き上げ」のみという非常にシンプルな神事ながら、後ろを見渡せばいつの間にか30人くらいの人が黙って焚き火を見守っていました。
福豆を一袋頂き、帰りに境内駐車場から10分程のところにある伊勢神宮遥拝所にも立ち寄りたかったのですが、既に陽が傾き始めていたので、次回に取っておくことに。
場所取りが必要な程の混雑も無い静かな神事なので、本殿と遥拝所を巡ってから神事を拝見し、最後に天の岩戸をくぐる、という行程の方が、特に寒い季節には良さそうです。
ここは隠れた紅葉の名所としても知られ、伊勢神宮と同じく古い形式の神明造でありながら、別の参道を降りると、近代遺産ともいえる疏水のインクラインに遭遇し、また南禅寺にも近いというところも、なかなか面白い立地でした。

京都で肉料理

1月30

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つくづく思うのは、京都の人はパン好き、珈琲好き、洋食好き。しかも小じんまりとした実力派なお店を好む気がします。駅から近くて広々としたお店は仕事帰りのサラリーマン達に譲って、路地裏や「一本入ったとこ」にあるようなお店を紹介したがります。

数年前から開いているというフレンチ「le 14e (ル キャトーズィエム)」も、「こんなところにそんな店あったん!」と言いながら、ビルの狭い階段を登って入りました。見渡せばお洒落女子の胸躍る可愛らしい内装に、男性スタッフが二人。
提供される肉の産地や部位はその日によって変わるようで、ホイルに包まれた状態で選びます。固さと柔らかさのいい塩梅に焼かれた肉からは、胡椒の薫りが華やかに漂います。
その食感と味わいに集中するなら、願わくば同席者との弾む会話にひと時待った!をかけるべきでしょう。
肉以外に特筆すべきは、「ブッラータとフレッシュトマト」。
普段カプレーゼしか食べた事の無い者にはやはりいいお値段でしたが、モッツァレラと生クリームとオリーブオイルが溶け合ったあの品は、和食では味わえません。再訪を決意させるサイドメニューでした。
おかわりしてしまった「吉田パン工房のパン」は、残りをナプキンに包んで持ち帰る事に。

外国人旅行客が和牛料理を求めるためか、京都でも上質な肉料理を提供するお店が増えてきましたね。
ここは小さな小さなお店ですが、平日のラストオーダー直前でも満席になったので、ぜひ予約をして下さいね。

2017年1月30日 | お店, グルメ | No Comments »

時空を越えて行く茶碗

1月24

raku 吹雪く程寒い日は、あちこち巡るより美術館でゆっくりすごしたくなります。
「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」展が開催中の京都国立近代美術館へ。
手捻りから生み出される樂茶碗は、両手に包まれ湯気をたたえる冬が最も映える気がします。
展示品の約半数は十六代を継ぐ篤人氏を含む樂歴代や本阿弥光悦等の作品を展観し、また半分は十五代樂吉左衞門氏の茶碗と新たな創作で構成されていました。
漆黒または朱色の肌で一般に知られているとはいえ、その造形はやはり時代の影響を映しており、ただ初代の作風を模倣するだけではここまで存続する事は無かったでしょう。
観賞順路も一方通行では無く、最後は出口にも初代長次郎の作品のある入口にも戻る事ができるようになっているのは、おそらく意図されたものだと思われます。
聞くところによると、当代は若き篤人氏に譲られ、樂美術館での企画も任されているのだとか。
京都会場のみ展示される作品や関連イベントも多く、樂美術館では「茶のために生まれた「樂」という、うつわ展」も開催中です。

茶室観賞は客の目線で

1月16

kyu 「京の冬の旅・非公開文化財特別公開」の対象となっている建仁寺の久昌院。
禅寺に茶室は付きものですが、こちらもバラエティ豊か。
書院の方丈と渡り廊下で繋がる「高松軒」は、八畳台目の座敷に蛭釘を打ち、釜を釣り下げて目にも温かな炉の風情を、十二台目の座敷には爽やかに風炉を据えて季節ごとの趣向を楽しみ、特に後者は貴人向けに二畳の上段の間を設け、屋根付きの露地を雨に濡れる事無く席入りできるよう工夫されています。
それらに挟まれた「遠州別好ノ席」は小さな空間ですが、だからこそ舟底を模した屋根が活きています。
最も古いとされる茶室の織部床の間は、最初は素通りしていましたが、よく観ると、掛け軸が棚の細長い穴を貫通した状態で吊るされているのです。
例えるなら、ベルトをバックルに通したかの様な姿と言えばよいでしょうか、一体何の意図なのか古田織部に問いかけたいくらいの不思議さで、これは一見にしかず。
利便性良く4つの茶席が密集していながらそれぞれに趣向が異なるので、奥平家代々の大名達にとって、お茶でのおもてなしを受ける墓参は、一つのレジャーでもあったかもしれません。
お茶席を観賞する際には、ぜひ想像力を働かせながら客の目線になりきってみてくださいね。

大工さんの釿始め

1月10

chona お正月行事の中には「書き初め」「かるた始め」「蹴鞠初め」の他に、大工さんによる仕事始めの行事「釿始式」があります。 広隆寺でも行なわれていますが、今回は城南宮の方に行ってみることに。 他の行事とは違って見学者は身内と初詣客のみのようで、神事が始まってからでも舞台前の床几にすんなり座って観る事ができました。 神饌や昔ながらの大工道具が神前に供えられ、横たわる木材に向かって、紐を使って墨打ちををしたりと、それらの道具を使う所作を再現していきます。 物が溢れ、使い捨てが当たり前になっている現代においては、「鋸(のこぎり)の儀」等とアナウンスしながら仕事道具に対してこんなに敬意を表すなんて、いささか仰々しく感じてしまいそうになります。 安全祈願に加えて、人だけでなくあらゆる物に神が宿るという日本人の宗教観が物を大事にするという価値観に繋がり、こんな儀式が生まれたのでしょうね。 とても素朴な儀式でした。 動画はこちら

お膳でお食事

1月5

zen 毎年大晦日は親戚同士で祖母宅に集まり、おせちを作ったり正月飾りのお手伝いをしてから、銘々に持ち帰っています。
たくさんのお膳が出ていたので尋ねると、なんと今でも元旦には皆正座をしておせちをお膳で食べているとのこと。
ひ孫らのお食い初めの時のお膳やお椀を大事に残して活用しており、中には親の代のものまでありました。
「湯通ししたら、すぐにぬぐって乾拭きしてね!水滴の跡が残るし。」
ところどころ漆が剥げてしまったものもありましたが、柔らかい布で磨くと、内側から滲み出るように光沢が蘇ります。
扱いに多少気を遣うし、しまうにも場所を取るものなのに、よく世代を越えて使い続けてるなあと感心していると、それらをひっくり返して重ねて見せてくれました。
ちゃんとスタッキングできるようになっているんですね。
「お家でお膳でお食事」、ちょっと憧れです。
サイドテーブルとして、ソファの隣に置いても面白いんじゃないかしら?

2017年1月05日 | 未分類 | No Comments »

終い○○

12月26

simai
毎月各地で行われる縁日も、「しまい大国祭」や「しまい金比羅」等、師走は「終い○○」と呼ばれ、最後は「しまい不動」で締めくくります。
人気の「終い天神」は、全国高校駅伝の影響もあってバスがなかなか来ず、到着するまでに時間がかかってしまいました。
真ん中の参道の両側は、主に食べ物やお正月飾りの屋台が並び、本堂側に向かって左手の参道裏は南天や値引きの松、鉢植え等の花の市、向かって左手の参道裏は陶器市が平野神社に迫る勢いで伸びて伸びています。
お参りの長蛇の列も覚悟していましたが、どちらかと言うと市を巡る前にまずお参りする方が、スムーズに済ませられる気がします。
都合で天神さんに来れなかった身内に「大福梅買ってこよか?」と連絡すると、大喜び。やはり人気なのですね。
花柄のホーローのティーポットや千円ちょっとのアンティークなワンピース等に目移りしながらも、結局買ったのは棒だらや祝い箸におじゃこ、昼ご飯代わりのはし巻きや締めの甘酒にお銚子と、結局食べるものばかりに財布の紐をゆるめてしまっていました。
あれ、もともとは割ってしまった抹茶茶碗の替わりを探しに来たんじゃなかったっけ。
まあいいや、年越し始めの「初弘法」で探すとしよう。

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