e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

鬼を退け、鬼に願う

2月8

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「疫病神を追い払いたいけど…」と各地で節分行事を行うか否かの判断が分かれるなか、蘆山寺では2年ぶりに追儺式が実施されました。

ある人は肩や腰、またある人は肺や眼など、身体の悪いところを邪気払いされた鬼に加持してもらう「鬼の御加持」では、宝剣で病を削ぎ落とすようにさすってもらいます。
列を成しているのはお年寄りが多いかと思いきや、小さな男の子や、お母さんに背負われた赤ちゃんまでいました。

特設舞台の上を進む追儺師らが手にした「鬼喰い切りの独鈷・三鈷」や「降魔面」はこの日に限り公開されるものです。
人間の三つの煩悩「貪欲」「憎悪」「愚痴」を表した赤・青・黒の鬼が一定のリズムで手足を大きく上げ下ろし、周囲ににらみを利かせる鬼踊り法楽の鬼の動きは猿楽の所作から来ているのだそうです。
松明の火の粉を振りまき大師堂へと乗り込んだ鬼は、報道カメラマンをも威嚇し、後ずさりさせます。

護摩の周りで三匹に踊られては、確かに気が散って邪魔でしょうね。法力にやられた三体の鬼は、まるで酔っ払いのごとくふらふらとお堂から外へと逃げ出しますが、その様が法螺貝の音と妙にマッチしています。
鬼が退散すると、駄目押しに追儺師が東西南北と中央へ邪気払いの法弓を引き、歓声の中で矢が弧を描きました。

最後に蓬莱師や福娘、年男、寺侍による福餅・蓬莱豆撒きが始まり、無事に受け止めて更に中に当たりが入っていた人は、破魔矢がもらえます。
餅はキャッチできませんでしたが、第一投目が頭にポコンと当たったので、それもまた当たりかもと都合良く解釈しました。
本尊の元三大師が魔滅大師(豆大師)と云われ、観世音菩薩の化身として表現されたという蓬莱豆は境内でも販売されていますが、蓬莱豆を紅白一粒ずつ食べるとその人の寿命が6年延び、また福餅を食べると開運、出世するそうですよ。

終了後は鬼との記念撮影が行われているらしく、人混みの彼方から子供達の絶叫が響き渡り、大人たちの笑いを誘っていました。
今年一年、無病息災でいられるといいね。 動画はこちら

歩みを止めない理由

2月1

hana今年もお茶の初釜に参会することができました。
ここ数年、密室の空気が澱むのを良しとしない情勢なので、さらさらと柔らかく溶いた濃茶は恒例の回し飲みはせず個別に点てられるなど、風情を損ねることなく場が効率良く流れていくよう創意工夫がなされていました。

茶道は「総合芸術」とよく言われます。
和服に袖を通し、手入れされた露地を進み、様々な調度品にしつらえられた中で、茶器に触れて、その場の仲間と共に抹茶を頂きます。
その環境や工程の中に、どれだけの職人さんや若手作家の手仕事が盛り込まれているか、想像してみてください。
疫病下でも師匠がお茶をやめないのは、そのような日本の文化を下支えする人々の仕事を凍結させないためでもあると、個人的に解釈しています。

毎年の同じ場所で仲間と時間を共に過ごすことは、飛花落葉の中で自分自身はどの様であったか、振り返る機会でもあります。

仕事でも日常でもない時間。
程よい緊張感の心地よさが味わえる時間を持ってみませんか。

伝統を突き詰め未来を拓く

1月25

nendo   久しぶりにしっかりと雪が積もった平日の二条城
『「nendo×京都の匠展」-NENDO SEES KYOTO-」』の暗闇の会場の中では、人と行き交うこともなく作品を観ることができました。
nendo」というデザインオフィスの名前に馴染みの無い人でも、「2021年の東京オリンピック・パラリンピックの聖火台をデザインした」と聞くとピンとくるかもしれません。

風神と雷神を描かずして京指物と彫刻の技術で木格子を立体的に表現した宮崎家具の「風神雷神図屏風」。
「植治」の次期十二代・小川勝章氏が選んだ京都府亀岡市産の春日部石等の一部を内装用木材に切り替え、更に引き出しを仕込んで家具にすることで「外で鑑賞する庭石」から「屋内を庭園化」した石。
強度の高さと丈夫さが特徴の京提灯にあえて「弱さ」という因子を加え、竹ひごに関節の様な可動性を持たせることで「裏表をひっくり返して姿を変えられる」小嶋商店の提灯。
漆を塗り重ねて蒔絵を施すのではなく、逆に下地を削り出し、工業用技術「サンドブラスト」技術を用いて四季を表した十三代中村宗哲氏の4つの棗。
京釜師・十六代大西清右衛門氏の伝統技法と最新の金属加工技術を組み合わせた器や、まるで編んだような曲線と香りの変化や融合が楽しめる松栄堂のお香。
これらの作品群の面白さは製造工程にあり、会場各所に展示してある解説と映像はぜひとも観て頂きたいところです。

樂焼の十五代・直入さんの茶碗は、ワインやハーブティー等の色素をチューブを通して茶碗に染み込ませて色付けるなど、「器で飲む」はずが「器が飲む」という、茶目っ気のある展示でした。
「nendo」代表の佐藤オオキ氏は、大阪・関西万博の日本政府館の総合プロデューサーにも就任しており、京都のお隣の「府」で開催のイベントということで、これからの活躍が注目されますね。

神仏か、鬼か、亡霊か

1月18

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京都駅ビル内にある美術館「えき」KYOTOで、「能面100 The Art of the Noh Mask」が開かれています。

「能面の様な」と書くように、しばしば「無表情」の代名詞とされてしまう能面は、馴染みの無い人にとってはどれも同じに見えてしまうかもしれませんが、この様に系統立てて100面もの数を見比べると、さすがに違いを肌で感じられるのではないでしょうか。
それぞれ解説にはどんな演目で使われるのかあらすじが書いてあるので、京都が舞台となっているものなど、実際にその演目を観てみたくなる人もいるかもしれません。
能面が観る角度によって喜びや哀しみを表現できるというのはよく知られるところですが、髪の乱れや皺の深さ、目の金泥の有無など、人間の複雑な精神状態を表現するために細部の造形から演目に合わせて慎重に選び取られているのが分かります。

豊臣秀吉が作らせたという「花」「雪」「月」の小面のうち、 金剛家に伝わる「雪の小面」と久しぶりに対峙すると、やはり別格だと感じずにはいられませんでした。
その肌にうっすらと、まだ誰にも触れられていない雪を載せているような、雪が積もった日の静けさのような繊細さに顔を沈める瞬間とは、一体どんな心地なのでしょうか。

能が成立する以前から呪師が儀式の際に掛けていたという神面の「翁」など、基本的に面をかけないで演じる狂言も、神聖な存在を演じる際には面を用いるほど、面というものには神が宿る依り代のように大切にされてきました。
学業、出世の神・菅原道真を神格化した天神の面もあり、身近に受験生がいる人にとっては有難い出逢いとなるかもしれませんね。

冒頭のスティーヴェン・マーヴィン氏による寄稿が、能面の持つ特異性を分かりやすく紹介しており理解が深まるので、鑑賞前には必見です。

大黒さんの打ち出の小槌

1月12

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京都では1月15日までを「松の内」として門松や松飾りを飾り初詣に繰り出しますが、年末からお出かけを控えている方も、今年は立春までゆっくりのお参りでも良いのではないかと思います。

お正月の縁起物も数多ありますが、かつて家の中で拾った小さな打ち出の小槌をなんとなく財布に入れていたら金運に恵まれた事がありました。
いつの間にかその小槌は再び行方知れずになってしまったというのが、またちょっとミステリアスな思い出。

都七福神めぐり」のうち、大黒天を祀る松ヶ崎の妙円寺をお参りした際に、打ち出の小槌の付いたストラップが御守りや熊手等と並んで販売されていたので、求める事にしました。
前の謎の小槌とは別物ですが、中に小さな大黒さんが入っていると、実際に側面から空けて見せて下さいました。
1㎝にも満たない程の、ほんとに小さな小さな可愛らしい大黒さま。

誕生日にクリスマス、親戚の子供達へのお年玉と散財気味なので、少しは還ってきますように…合掌。

2022年1月12日 | お寺, 観光スポット | 1 Comment »

寅の方角、僧形の妙見さん

1月6

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京都で虎に因む寺社はたくさんあります。
洛陽十二支妙見」は、京都御所の紫宸殿を中心に、十二支の方角にそれぞれ祀られている妙見大菩薩への信仰で、寅の方角にはの修学院離宮の近くに道入寺という妙見さんがいます。

ふと思いつきで夕方に訪れたためか、はたまたマニアック過ぎたのか、他の拝観者と行き交ったのは一組だけでした。
安産や子育ての鬼子母大善神や開運・方除の七面大明神が安置された本堂があり、そばに建つ祠には虎が彫刻され、小さな僧が二体並んでいました。
乏しい予備知識のまま拝観して数分で帰るのも勿体無いので、奥様にお話を伺うと、質問にも気さくに応えて下さいました。

この像は、1979年に住職が蔵から発見したもので、真っ黒な汚れを落とすと妙見像である事が判明。
更に小さな祠の中に三枚綴りの古板が見つかり、七面天女像・三十番神と並ぶ、このお寺の創建時代からの像である事も分かったそうです。
亀に乗った姿が一般的な妙見さんが、数珠を持ち僧の姿をしているのは非常に珍しいとのこと。

妙見大菩薩は、 諸星の王・北極星、北斗七星を神格化したもので、宇宙万物の運気を司るとされています。
「妙見」とは優れた視力のこと。価値観が多様化し物事の善悪の判断が容易でない現代において、真理をよく見通す力が授かれば心強いですね。

2022年1月06日 | お寺, 観光スポット | 1 Comment »

何度でも生まれ変わろう

12月22

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宇治市縣神社をモデルにした小説『碧天(あおきみそら)~鎮魂の巻~』を読みました。
フィクションではありますが、「深夜の奇祭」についての詳細な表現や、普段は伺い知れない神社の裏方の様子、またおみくじの読み方や神社でご奉仕する人達の袴の色や形について、神様へのお供えものについて等、読み進めながら豆知識も増えていきます。

「サーダカウマリ(性高生まれ)」「カミダーリ(神障り)」という精神障害に係わる沖縄由来の言葉も初めて知りましたが、心を患う人、規範の社会の枠組みに生きづらさを感じている人の姿は、目まぐるしい現代社会に生きる私達にとって決して遠い存在ではありません。
心が潰れてしまう前に、周りもできることは無かったのだろうか、と感じてしまう事件も後を絶ちません。
元来は無垢な人間が、世間で生きてゆくなかで、様々な気負いや気遣いを背負わされて、次第に気力が弱ってゆき、心の病気や体の苦しみとして現れる。
“穢れ”とはそういう気持ちの萎えてしまった状態なのではないか。その状態を追い出して新しい気持ちの満ちた状態に持ってゆくことができれば、苦しみも徐々に癒されていくのではないかと、宮司は作中で語ります。
神様と人との間を取り持つ職業として、また女性だからこその目線で紡がれた物語で、作中には和歌や旧約聖書からの言葉も引用されています。
『何を守るより、まず自分の“心”を守れ そこに“いのちの源”がある』。

特別な宗教観は無くても、人はなぜか祈りの場に足を運びます。
日常から少し離れ、気分だけでもリセットしたいという欲求が心のどこかにあり、そのきっかけとなるのが「祭」なのでしょう。

この作品が出版されたのは今年の夏、最初に書き上げられたのは今から遡る事18年前のことだそうですが、奇しくも、筆者の大島菊代さんは縁あって現在、縣神社の禰宜を務めています。
おうちの近くの氏神さん、もしくはどこか気になるお社を訪れてみてはいかがでしょうか。

すぐき漬け活用法

12月16

cava 車でせせらぎの流れる社家を通り、賀茂川沿いのイタリアン「カフェ&レストランCAVA」を久しぶりに訪問。
大きな窓から見える木々はすっかり葉も落ちて裸の冬仕様になっています。これが春なら桜並木が望めるところですが、
川面と土手と山と雲がなだらかな縞模様を描く様をぼんやりと眺めるのも気持ちが落ち着きます。

メニューをあらためて見ると、野菜はオーガニックな八百屋「ワンドロップ」や上賀茂の「八隅農園」等から、魚は下鴨の「はっとり鮮魚」から、肉や酒も信頼を置く業者から仕入れているそうで、揚げ物のパン粉には吸収量の少ない大豆たんぱく粉末が配合されているとのこと。
ずっと長く地元の人達から愛されているお店は、やはり素材からこだわりが違うのでしょうね。

ちょうど付近の名物・上賀茂のすぐき漬けがテレビで紹介されていたこともあり、冬メニューの一つですぐきと菊菜と焼き穴子を合わせたパスタを選びました。
菊菜の緑やアルデンテの麺の間から、1㎝程にきざまれた乳白色のすぐき漬けが見え隠れしながらオイルと馴染んでいます。
いつもの食卓では醤油をひと垂らししてご飯と共に頂く事しかしていませんでしたが、すぐきのこんな使い方もあるのか、と小さく驚き、そのほのかな酸味と歯応えを噛み締めました。

2021年12月16日 | お店, グルメ | No Comments »

和食のようなイタリアン

12月8

h 緊急時代宣言が全面解除されてから、ぼちぼちと親戚や親しい人たちと、少人数で会食を楽しむ人もいるのではないでしょうか。

先日は、四条河原町から木屋町を下がってすぐのところにある「Vineria h(ヴィネリアアッシュ)」へ。両親は2度目の利用でした。
一階はカウンター席のみですが、小さな子供達が数人いたので二階のテーブル席を予約してほぼ貸し切りの状態だったので、他のお客に気兼ねなくイタリアンを楽しめました。

大人は6000円のコースを。幼い子供達はアラカルトを注文して、温かいスープや小ぶりで食べやすいピザを美味しそうに頬張り、満足そうでした。
どれも過度にならずに素材の味が引き立つ味付けで、じゃがいものスープに白子が入っていたり、カルパッチョに貝割れや茗荷らしきものが入っていたり、どこか和食を彷彿とさせるイタリアン。
年配の方も、ソムリエが提案するワインと共に楽しめるかもしれません。
数名の誕生日祝いも兼ねていたので、持参したケーキを上手くカットしてもらい、洗練された風情のお店ながらアットホームな会となりました。

壁一面の窓からは鴨川の景色が見え、夏には川床も出ます。

2021年12月08日 | お店, グルメ, 町家 | No Comments »

シーズン終盤はゆったりと

11月30

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観光客が京都の紅葉の名所を巡っている間、地元の京都人はどこで紅葉狩りをしているでしょうか。

例えば京都御苑の中、京都迎賓館の裏手にある「母と子の森」には、児童書や紙芝居を収めた「森の文庫」(4/1~11/30)があり、自由に読むことができます。

周りに丸太のベンチとテーブルもあるので、ひらひらと舞い落ちる紅葉の中でお弁当を広げるグループや夫婦連れも。

遊具が無くても、子供たちはフリスビーをしたり、地面いっぱいを黄色に染めたイチョウの葉を拾い上げては落ち葉のシャワーをしたり、木の棒で枝を揺らしてみたり、虫を発見しては大騒ぎをしたり、何時間いても飽きる気配がありません。

散歩中の犬と戯れたり、「この切り株は榎だから、ここに生えてるきのこはエノキダケじゃないか?」と、よそのお父さんに教えてもらったりと、そこに居合わせた人との交流も生まれるのが市中の自然の良さですね。

時間に縛られないでゆっくりと紅葉を楽しみたい方は、ぜひ。

2021年11月30日 | 観光スポット | No Comments »
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