e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

聖護院門跡

9月21

hora 台風が過ぎ去るのを待って、天台宗系修験宗の総本山である聖護院へ出向きました。
神仏習合、山岳信仰である修験道は、神道と共に日本独自の宗教と言え、出家・在家に関わらず修行に参加できる事から、知り合いの会社の社長さんも、時折山伏姿で歩くところを見かけたりします。
霧雨が降る中、静かに拝観できそう…と思っていたら、後から来た団体さんに追いつかれてしまいました。
その大人数の拝観客を出迎える為だったのでしょうか、お寺のガイドさんに加えて、お坊さんが現れたので、同行させて頂くことに。
上段の間の床に描かれた滝の水が外へと満ちてゆくかのように繋がる障壁画の描き方や、あえて鼠の通り道を空ける事で欄間を獣害から守る工夫、床の間を二つ設けて客人と身分を気にせず過ごす為の心遣い等、日本の建築ならではの仕掛けが多彩で、それらをお坊さんが歩き回りながら一つ一つ説明して下さり、また、本来なら進入禁止のエリアも団体なら入っても良いとの事で、堂内の奥まで踏み込んで観せて頂けたのは非常に幸運でした。
よーく見ると、枯山水や苔の庭には猫やリス等のかわゆい置き物が配置されており、あれが誰の趣味なのかが気になるところです。
庭先に体験用の法螺貝も置いてあるので、この機にホラを吹きたい方は、ぜひ。

2016年9月21日 | 未分類 | No Comments »

手ぬぐいの吊り広告

9月13

te  京阪電車の中、いつもの通り座席に腰を預けて見上げると、吊り広告の代わりに手ぬぐいがゆらゆらと揺れているではありませんか。
何かの宣伝文句が入っている訳でもなく、何食わぬ顔で冷房になびいていますが、よく見ると京都と滋賀を結ぶ琵琶湖疏水とそれにちなんだ光景が染められているのでした。
そういえば、伏見稲荷駅にも珍しい「手ぬぐい自動販売機」がありましたが、これもその一環だったのですね。
周りにも手ぬぐいが好きで集めている人がいて、タオル代わりに持ち運ぶほか、料理をする時にはポケットに半分突っ込み、その姿はまるで昔の学生さんのよう。
手ぬぐいと言えば、お店や温泉旅館の名前が入っている粗品だったり、寺社や古民家の手水鉢の横でぶら下がっている存在だったのが、今では「手頃でカワイイ土産物」として、色柄が豊富になり、思わず開いて広げずにはいられなくなり、お気に入りを額に飾る人も。
我が家でも、チッキンペーパーでは強度が足りない時に手ぬぐいで食材を絞ったりするほか、コーヒーを淹れるセットの上には、ポットやドリッパーが描かれた手ぬぐいを被せており、昔ながらの白地で清潔感がある手ぬぐいは水でひんやりとさせて畳み、小さな籠等に人数分を乗せて来客時に出したりします。
もうすぐ敬老の日。面白い絵、きれいな色の手ぬぐいを集めて贈るのもよし、手ぬぐいで何か小物を作るのもよし、ラッピングとして包んだり、活用方法を考えるのも胸が躍りますね。

2016年9月13日 | 未分類 | No Comments »

雨でかくれんぼの送り火

8月17
こんな画像でごめんなさい!
こんな画像でごめんなさい!

 今年の送り火は、ネット上で「穴場」として話題の某ショッピングモールの屋上駐車場から観る事に。
(無料開放されていますが、買い物やお食事利用をされる事を推奨します)
足元が白む程の土砂降りの中、点火時間を過ぎても雨曇りや多くの人々の傘の花で隠れて、炎を確認するまで少々時間がかかりましたが、広い屋上を歩き回りながら、妙法以外の送り火を拝む事ができました。
遠くでぽっと光る大の字は、山にくっ付いたヒトデの様で、なかなか可愛らしいものです。
今年はどうも、激しい雨の影響で、例年と同じ地点から送り火を観ても一部が確認できなかったという人が多く、カメラマン泣かせだったようですね。
雫がカメラのレンズにも飛び散る程の雨の中での撮影は困難を極めましたが、暗闇に浮かぶ鳥居や船形などは、やはり胸にくるものがありました。
ご先祖様たちは、迷わずあの世へ帰れたでしょうか。
ちなみに、通常シャトルバスは20時までで、タクシー乗り場も二重の列。
送り火終了後は各地で不足気味になる流しの空車タクシーを捕まえるのは運次第なので、素早く帰りたい人は、配車予約をしておくのが良さそうですね。

2016年8月17日 | 未分類 | No Comments »

我が家の歳時記を作る

1月13

mochi 今年も台湾のホテルに着くと、日本人ビジネスマンの利用が多いからでしょうか、ロビーに小ぶりの鏡餅が飾ってありました。
現地の知人によると、近頃の鏡餅はインターネットでも購入できるそうです。
年末の大掃除にお節、七草粥など、日本では年を跨いで伝統的なイベントが目白押し!
それらのしきたりを守りたいと思っていても、現在では核家族化が進み、共働きに子育て世代の家庭もあれば、介護等のケアが必要な家族を持つ家庭も多いため、時間だけではなくお金もそれなりにかかってしまうもの。
昔は便利な電化製品こそ無いけれど、それぞれの家にはお手伝いさんがいたり、今よりも家族がたくさんいたので、一緒に作業を進めたりしながら負担を分け合う様にできていたのだと思います。
現代にもご近所さんや親しい友達で集まって、それらのしきたりを楽しく準備できる様な仕組みはできないものでしょうか。
先述の通り、季節の装飾も今ではコンビニやネット上からでも得られるようになったので、とりあえず見た目の体裁は整える事はできます。
けれど、それらの由来を知る事も意識してみれば、自ずと取捨選択もでき、本来の伝統を守る事にも繋がるような気もします。
全てを完璧にはできないかもしれないけれど、しきたりに込められた意味をきちんと受け止めながら、我が家なりの歳時記を楽しんでいきたいと思います。

2016年1月13日 | 未分類 | No Comments »

考えて、試して、美味しくする

12月16

ooya

どちらかと言うと紅茶党で、珈琲については素人なのですが、「珈琲を美味しく淹れたい!」という願望はありました。
いつもはミルクも砂糖も入れないと飲まない自分が、ストレートで飲んでも美味しいと感じたお店は、残念ながらいずれも淹れ方教室をしていなかったので、珈琲の焙煎家・オオヤミノルさんによるドリップ講座を受けてみる事に。
ご本人は美山の山里で焙煎をしているそうですが、今回の会場は「KAFE工船」です。
珈琲豆の焼き加減の浅いものと深いもの、荒挽きのもの、量や温度による違いを、実験の様に繰り返しながら、自分の好みを探ります。
参加者は男性が多く、同業者の方もいました。そのせいかオオヤさんの話題もマニアック(下ネタ注意!)、一見脱線しているかに思えますが、珈琲に限らず食品全般、また珈琲を取り巻く世界の経済情勢に対する造詣の深さも話の端々から感じ取れます。
何より「珈琲の淹れ方のマニュアル」を知る以前に、「自分好みの珈琲豆の焼き具合、挽きの細かさ、好みの焙煎家・店」をよく把握する事が大切なのが分かりました。
それらの要素を変える事でどんな風に味わいが変わるのかを知れば、同じ豆を使っていても、飲んで欲しい相手の好みに調整する事も可能だからです。
「ほぼ水分ゼロの植物の豆を砕き、水を加えてジュースを絞るという調理の行為である事を意識する」。
オオヤさんの講座は2時間以上時間オーバーになるのが常らしいので、参加する場合は他に予定を入れずにめいっぱい質問をして有意義な時間にして下さいね。
25日の天神さんにも出店されているそうですよ。

2015年12月16日 | お店, グルメ, 未分類 | No Comments »

車椅子で京都観光

9月7

cabik 手を上げタクシーを停めると、何だか普通の車両と形状が違う。
自分の前に踏み台が伸びてきて、後ろには車椅子ごと乗車できる仕様になっていました。
キャビック」という、送迎や福祉、京都観光を担うタクシー会社で、料金も運賃のみとのこと。京都のタクシーでPiTaPaやドコモiDにも対応しているのは珍しい。
今年の敬老の日は21日。連休の真ん中なので、身近なお年寄りに何か喜ばれることはできないかと考えている人も多いかもしれません。
足の悪い高齢者なら移動は楽にしてあげたいし、連れて行ってもらう方も、余り周りに気を遣わせたくないと思うもの。
少子高齢化が進み、東京オリンピックとパラリンピックを控えている日本にとって、こういうタクシーが増えていくのは必然的な流れでしょうね。
老若男女にハンディキャップのある人、妊婦やお子様連れの人と、様々な人々がいる中で、相手の立場でものを考えるのは意外と難しいものです。
やはり実際に体験した人が世間に生の意見をどんどん挙げていくのが、良き社会作りに繋がっていくのだろうと思います。
相手への思いやりや感謝はそのままに、誰でも気兼ねなく自然に観光を楽しめるようになるといいですね。

2015年9月07日 | 未分類 | No Comments »

「新○○通」

6月16

「新烏丸通」を知っていますか?京都御苑の東南角辺りを見れば分かりやすいでしょうか、河原町通と寺町通の間を走る南北の通りです。
比較的新しい通りかと思いきや、実は江戸期から見られる通りらしいのです。
地図に落とした視線を、そこから少し東南に移動させ、二条通を南下すると、「新丸太町通」があり、その東には「新麩屋町通」「新富小路通」…。と続きます。
丸太町通りって確か東西に延びる道のはず…「新」って何!?
時代を遡ること1708年、油小路通姉小路下がる西側、宗林町の銭屋市兵衛の家から出火した「宝永の大火」。
風に煽られ、翌日の夕方まで燃え続いた炎は京都中心部を焼き尽くし、禁裏御所は全焼、下加茂の河合社をも炎上させてしまいました。
徳川幕府は皇宮地の復興や拡張のため、御所近辺の寺院や町家を、強制的に立ち退かせます。
丸太町以北、寺町通りから烏丸通りまでの多くの町々が、河東二条川の頂妙門前一帯に移住を命じられ、旧地の通り名や、町名に「新」を冠して開町していったのが、これらの通り名の由来のようです。
丸竹夷に留まらない、奥深い京都の町。
知れば知るほど、知らない事が出てきますね。

2015年6月16日 | 未分類, 歴史 | No Comments »

百花春

4月27

botan この週末に、お弁当を持って個人宅へ牡丹のお庭を観に行きました。
初夏を思わせる日差しを身体いっぱいに受けた牡丹は今期最後の輝きを放ち、まだ日陰に花開く牡丹はやわらかな色合いがとても涼しげでした。
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」という言葉があります。
美しい女性の姿や立ち居振る舞いを花にたとえたものですが、この言葉に潤いを感じる人もいれば、この様な「女性らしさ」に古めかしさを感じてしまう人もいるかもしれません。
近代になって日本の女性も地位が向上し、男女の平等化が進んでいくのは当然の流れだと思いますが、ふと、「女性が男性と足並みを揃えて」「皆が平たく一緒」である事が本当に自然なのだろうか、と思うもあります。
“それぞれに得意分野と不得意分野があるように、互いの足りないところを補い、感謝し合えるのが本当の意味での「対等」”、という言葉も目にした事があります。
これは男女の性別に限らず、人と人、全ての生き物同志の関係にも言えるように思います。
これからの時代にはそれぞれの個性が尊重され、たくさんの女性が羽ばたき、活躍して欲しい。でも、女性に本来備わっている美しさも失わないで欲しいと願うのは古風な考えでしょうか。
一つの庭の中で入り組むように咲き乱れる花々を見ながら思う、春半ば。

2015年4月27日 | 未分類 | No Comments »

日本ブランドの細分化?

1月14

taiwan  再び台湾に行って来ました。
親日とされる台湾では、かねてより町中の看板に日本語や「日式○○」(日本式、日本風の○○という意味)をよく見かけますが、
街角のお店の広告や値札には「日本の」というより「北海道の△△乳業」や「京都府宇治市××店の~」という風に、より具体的な産地や店舗名が記載されている事を、今回の旅で知りました。
これが昔からの事なのか、日本ブランドがより細分化されつつある流れなのか分かりませんが、インターネット等のメディアの影響や東日本大震災も台湾や各国の人々の関心が日本に集められた一因である様な気がします。
この関心が京都を含めた日本各地に広まって、地方の活性化に繋がっていく事に期待したいところです。
また、外国人が日本各地を訪れる事で、日本の小さな町から出た事が無いという様な日本人の目線も海外へと向けられ、他国を訪れてみたりといった相互交流も今後見込まれるのではないでしょうか。
互いの文化の違いからトラブルが全く起こらないとは言い切れませんが、宗教観の大らかな日本こそ、その違いを受け入れ、うまく共存していく姿を発信できると思います。

2015年1月14日 | 未分類 | No Comments »

日本と台湾

11月5

taiwan 先週末の連休に訪れた台湾。
同じ文化ベースがあり、日本とよく似ているけれど、どこか違うところが面白い。
同じ島国なのに、この違いはどこから生まれるのでしょうか?

京都では、台湾や香港等の観光客を対象とした着物レンタルが盛況です。
「京都らしい景色の中で、日本らしい格好、体験をしてみたい」という、本場を求める気持ちはよく分かります。
インターネット等の通信・流通網の発達で世界が狭くなり、旅先で出逢った美しい装束や美味しかった食べ物を、自分の国で手に入れられるこの頃。
でもそれは、異国への思い出や憧れを呼び起こすスイッチにはなり得ても、再び同じ感動を得られるとは限りません。

文化の違いを生む一番の影響力は、やはり地理的条件の違いではないかと思います。日本と台湾の場合は、気候でしょうか。
現地の雑誌には、日本の紅葉や温泉を巡る記事もよく見かけました。
その土地で生まれ、育まれた物や文化は、やはりその土地で味わうのが一番楽しいもの。

今回の台湾の旅でお世話になった人々が京都に来る事になったら、ぜひ本物の京都を味わって頂けるよう、精一杯もてなしたいと思います。

2014年11月05日 | 未分類 | No Comments »
« Older EntriesNewer Entries »