e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

宵山能

7月29

benkei 能楽堂嘉祥閣で初めて「宵山能」が開かれ、開場前から長蛇の列を成していました。
祇園祭の山鉾には能を題材としたものが多く、その一つとして記念すべき初回に選ばれたのは、後祭の山鉾巡行で先頭を歩く橋弁慶山の「橋弁慶」です。
「半能」と言う事で、話のクライマックスの部分のみを能で演じ、それまでのあらすじは能楽師・井上裕久さんが鍛え抜かれた声で面白おかしく軽快に解説をして下さいました。
独特の声調記号の付いた謡本を見ながら、子供からお年寄りまで、観客が一緒になって謡ってみるのも初めての体験でした。
「橋弁慶」では、大人が弁慶を、子供が牛若丸の役を演じます。橋掛かリを五条大橋に見立てて対峙する双方それぞれが凛々しく、優雅で美しい立ち回りでした。
大筋は同じですが、文部省唱歌として唄われる「牛若丸」では、悪さをするのが弁慶で、謡曲では牛若丸と逆になっているのが不思議です。
今では小学校でも「牛若丸」を歌わなくなってきているそうですが、「桃太郎」と聞けば鬼退治を、「ロミオとジュリエット」と聞けばバルコニーの場面を思い出す様に、一昔前の人々にとって祇園祭の山鉾は、誰もが知っているお決まりの場面を表現したものであり、能もまた、もっと人々の生活に溶け込んだ身近な存在であったのでしょう。
終演後は、その足で後祭宵山の橋弁慶山を観に行きました。
来年度の「宵山能」のテーマは、能でよく謡われる石清水八幡宮に関連した「八幡山」だそうです。

祇園祭は浴衣で乾杯

7月21

daimaru  祇園祭・前祭の宵山。浴衣に下駄を引っ掛けての晩御飯は二箇所で、それぞれ真逆の風情を楽しみました。
まずは錦市場の中にある魚屋さん「錦大丸」(075-221-3747)。刺身パックの並ぶ冷蔵ケースをぐるりと囲む発砲スチロール箱をテーブルに、ビール瓶のコンテナをイスに据えた即席居酒屋です。
ケースを開いてイカ等の好きな刺身の盛り合わせを選び、お隣さんと肩を並べて冷酒で乾杯。揚げたての鱧の天ぷらや、鯖や鰻の寿司はお店の奥から運ばれて来ます。
もうここ数年、前祭宵山期間のみの定番になっているそうで、愛犬連れの常連さんの姿もありました。
その後は祇園さんの魔力に吸い込まれていくように足取りは八坂神社の方向へ。
ほろ酔いのまま、人影もまばらになった花見小路の奥から祇園甲部歌舞練場へと入り、今度は「祇園 ICHIBAN ビアホール」へ。
行燈の灯りが落ちる赤い絨毯、窓一面にはライトアップされた日本庭園が広がり、四条通りの喧騒が嘘のような静けさでした。
庭園に向けた小さなカップルシートやテーブル席、立ち飲みスペースに、金屏風の奥には、12名程が一同に座れる長テーブルの半個室空間もありました。
冷房の効いた少し薄暗い即席ビアホールで、歩き疲れた足指をゆっくり休ませ、酔い覚ましにお庭の散歩も楽しめました。
同時開催中の「舞妓物語展」、「フェルメール光の王国展」も共に8月31日まで。

「京町家ちおん舎」

7月13

tion ガラスの壺から奏でられる鈴虫の声に招き入れられたのは、三条衣棚を上がったところにある「ちおん舎」。
大店の商家の佇まいを色濃く残す京町家は、すっかり夏のしつらいになっていて、足裏にひんやりと感じる網代や庭から簀戸(すど)を抜ける風、そして眩しい日光を遮る薄暗さが心地良い。
広大な敷地の中には、多目的に使用できる広間や露地や水屋を有する4畳半の茶室、大きなまな板のあるキッチン等様々なスペースがあり、同じ日にそれぞれの空間で複数の催しが行なわれていても、互いを邪魔しない許容量があります。
京町家をイベントスペースとして開放している所はたくさんありますが、特筆すべきはここの催し内容のユニークさでしょうか。
最近の予定だけでも落語会にご近所さんが集うヨガのほか、「重ね煮」という調理法の料理教室や、氷水で点てたお抹茶で楽しむお茶席体験、「星ソムリエ講座」などなど、なんだかどれもひとクセあって気になるものばかり。
防空壕の跡が床から覗ける「J-spiritギャラリー」では、メイドインジャパンの作品を展示販売していて、この大きな京町家全体が、作家(アーティスト・デザイナー)や作り手(メーカー・職人)を育てる家なのですね。
ちなみに、この辺りは祇園祭の後祭の中心地。最も近くには役行者山があります。

京町家で「粋人」を育てる「常の会」

7月6
「常の会」

「常の会」

 身内の内祝いの扇子を買いに、大西常商店の暖簾を初めて潜りました。
美しく調えられた町家の一角に京都らしい色遣いの扇子が咲き並び、品の良さが漂います。
意外に手頃な値段だったので驚きましたが、ここが製造卸のお店だからでしょうか。
もう一つの来店目的が、こちらで初開催された文化イベント「常の会」。
茶室「常扇庵」では、お茶席に不慣れな学生さんも、銘々に浴衣姿でお茶を楽しんでいました。
2階の広間では、能楽師観世流シテ方・田茂井廣道さんが、昼の部では祇園祭の山鉾に関する演目を、夜の部では扇子にちなんで構成された「一福能」を。
能としては珍しくアンコールとして「土蜘蛛」も演じて下さり、盛大に投げられた蜘蛛の糸を観客も喜び被ったまま楽しんでいました。
会が終了した後も多くの人が残り、能楽師さん達のユーモラスで分かりやすいお能と扇、面に関するお話に耳を傾けていました。
こんなに盛りだくさんな内容なのに、参加費2000円で本当にいいんでしょうか?
謡をたしなんでいたという同商店の創業者・大西常次郎さんは、近所の人をこの家集め、毎晩サロンの様に楽しんでいたといいます。
そんな「粋人」が、今後も生まれていきますように。
次回の「常の会」は12月の中旬との事ですが、祇園祭に向けても様々な催しが予定されています。詳しくはお店のフェイスブックをご覧下さい。

下御霊さんのお祭

5月26

simo 週末に、春の夜風を受けながら御所に沿って歩いていると、歩行者天国になっている一角がありました。
人の賑わいの中では、赤い鳥居が灯りに照らされています。
「そや、今日は下御霊さんのお祭や。」
一年365日じゅう、どこかしらで神事や催しが行われている京都では、この様に祭に遭遇する事もしばしば。
吸い込まれるように鳥居の奥へと入っていきます。
境内は地元の夏祭りの風情で、子供達もTシャツや浴衣姿ですっかり夏の装いでした。
縁日は、沢ガニ釣りや輪投げ、木製のピンボールなど、今では余り見かけなくなった「ベタに懐かしい」ものばかり。
しかしながらテレビゲームやタブレット端末に親しんでいる現代っ子には、むしろ新鮮に映ったかもしれません。
射撃にチャレンジしてみましたが、命中はするものの、軽いコルクの玉は景品を打ち落とさずに跳ね返ってしまいました。
広さはそう大きくない神社ですが、提灯に囲まれて真ん中に鎮座している神輿は荘厳で風格を感じさせるものばかり。
政治抗争の中で無念の死を遂げた貴人達の怨霊を鎮めるための神社である事が、菊や桐を象った装飾品からも頷けます。
ここを通りがかったのも何かの縁と思い、本殿でお祈りとお賽銭をして神社を後にしました。

葵祭最後の神事

5月18

aoi 今年の葵祭行列は、雨天の心配もどこへやら、無事に終了しました。動画はこちら
平安時代から続くその華やかな一行は、次なる京都三大祭・祇園祭の橋弁慶山の胴掛にも、円山応挙下絵の綴錦「加茂祭礼行列図」として登場します。
葵祭当日、行列(路頭の儀)が終着点の上賀茂神社に到着すると、社頭の儀と走馬の儀が行なわれました。
それが終わると多くの見物人は散り散りに帰ってしまうのですが、ここからは最後の神事「山駈けの神事」が斎行されるそうです。
これは、上賀茂神社のご神体である神山に向かい、御阿礼所で祝詞を上げ、乗尻が馬に乗り一頭ずつ駆け抜けて神を慰め鎮めるというものらしいのです。
もともと葵祭は、凶作が続いた6世紀の中頃、賀茂神の祟りを鎮めるために、鈴を付けた馬を走らせて、五穀豊穣を祈ったのが始まりと伝えられているので、この神事はまさしく原型に近い姿と言えます。
来年の葵祭は日曜日なので、より多くの人が楽しめそうですね。

祇園祭発祥の地と神泉苑祭

5月7

sinsen 川床が始まり、大型連休中の京都はあちこちでイベントが目白押しでした。どこに出かけようか迷われた方も多かったのではないでしょうか。
神泉苑祭」もその一つで、最終日には平成女鉾清音会による祇園囃子の奉納がありました。
貞観年間(859~877)に都を中心に全国で疫病が流行り、その霊を鎮めるため当時の国の数に相当する66本の鉾を立て、神輿を神泉苑に送る御霊会が行われました。
後にこれが町衆の祭として、鉾には車輪や装飾が施されるようになります。
神泉苑が祇園祭発祥の地と呼ばれる所以です。
瑞々しい新緑と満開の躑躅に縁取られた法成就池の畔、本堂にて最後の演奏が始まると、天まで突き抜けるような能管や鉦の音色に雨雲が刺激されたのか、次第に雨粒が落ちて来て、やがて本降りとなりました。
ちなみに、神泉苑の池に住むという善女龍王はもともと、弘法大師空海がここで祈祷によって北インドから呼び寄せ、雨乞いを成功させたという言い伝えがあります。
今月になって降雨の少なかった京都にとっては、正に恵みの雨!
観客は仮設テントや傘の下で身をすくめて奉納演奏を見守りました。
その帰りの道中も、嵐の様な横殴りの通り雨にすっかりずぶ濡れになってしまい…神泉苑のパワーを痛いほど実感させて頂きました。

常照寺・吉野太夫花供養

4月13

tayu 昨年の葵太夫さんに引き続き、嶋原に10代の若い「桜木太夫」さんが誕生しました。
伊藤博文の寵愛を受けていたという名花の源氏名を引き継いだ桜木太夫さんは若雲太夫さんの姪で、幼い頃から禿(かむろ)として島原に関わり、小学校から習い事を始めて、日本舞踊や茶道、琴をたしなんできたそうです。
その襲名報告も兼ねた12日。鷹峯の常照寺門前に春風が通り抜けると、太夫道中を待ちわびる人々の歓声も、桜の花びらと共に舞い上がります。
桜木、薄雲、如月の三太夫が連なって、胸を張り内八文字をゆっくりと踏み進める姿は壮観でした。
立礼席でお茶を点てる薄雲太夫さんの笄の上にも、薄紅色の枝垂れ桜が降り注ぎます。
境内にある様々な品種の桜は、例年ならば順番に咲いていくそうですが、今年は一度に花開いたのだとか。
煎茶席や遺芳庵席も巡っていたため、若雲太夫さんのお点前や墓参を観るのが叶わず残念でしたが、一度に5人もの太夫さんに会える催しは貴重だと言えます。
また、吉野太夫墓所近くの開山廟では古参の花扇太夫さんが撮影に応じていました。華やかな席は若い太夫に譲るものの、年齢を重ねても今なお人々の憧れの花であり続けている事を物語っていました。

祇園大茶會

3月9

chakai 「東山花灯路」の開幕に合せ、2日間かけて開催された「祇園大茶會」。
その会場のひとつ、円山公園内では、11の即席茶席が銘々に工夫を凝らした「おもしろ茶会」が開かれていました。
初日はあいにくの雨模様でしたが、ランチタイム以降から夕方にかけては、ひっきり無しにお客さんがテント内を訪れ、それぞれの一服を楽しんでいたそうです。
着物美女達がハート柄のお茶碗でお茶を点ててくれるガーリーな(!?)席もあれば、苫屋風の空間を組み立て、和箪笥から道具を出しながら自身で作陶した信楽焼でもてなすところも。
美術品・茶道具商の男性が作務衣姿で、新島八重が削ったという茶杓(同志社のバンダナで包んだ筒も見せてくれました)でさらりと盆点前をしてくれる席もあれば、
八坂神社のご神水に敬意を現して水指に注連縄を張り、神道や信仰に因んだ取り合わせでしつらえた席(炬燵で暖か)も。
ここ数年、鴨川や植物園、あるいは何かの催しとして、既存の茶室を抜け出して即席でこしらえたミニ茶席のイベントがじわじわと増えてきたように思います。
釜を掛けている知人が多かったので、ついつい各席で話し込んでいると、寒い屋外でもお茶をふるまう席主達のアツい志が、なんだか羨ましくもありました。
また、八坂神社の絵馬堂では、琳派400年に因み、画家・木村英輝さんが色鮮やかに四季を描いた屏風を背景に、舞妓さんらがもてなす華やかな茶席も多くの人の注目を集め、東山花灯路を盛り上げていました。
限られた時間内なので、「東山花灯路」と「祇園大茶會(円山公園の「おもしろ茶会」、祇園商店街付近の「街中茶席」)」のそれぞれをじっくり楽しみたい場合は、別々に日程を組み、少人数で巡る方が良さそうですね。

平野の家 わざ 永々棟「ひな茶会」

3月2

hina 梅香る北野天満宮の近くにある「平野の家 わざ 永々棟」は、大正~昭和期の日本画家・山下竹斎の邸宅兼アトリエとして大正15年に建てられた木造建築。
その後、映画の時代考証や道具等の美術品を扱う高津商会社長の邸宅として使われた後、数寄屋大工の棟梁・山本 隆章氏の手に渡り、建築に関わる職人や技術者の若手育成のため、先人大工らがその建物に残した伝統技術と材を引き継ぎながらも、現代に合うものを盛り込んで再生されました。
京の手仕事と文化の高い美意識を育む活動の一環として、毎春雛展が開催されています。
その人気行事「ひな茶会」では、小学生と中学生の女の子たちが可愛らしい晴れ着姿でお薄を振る舞ってくれました。
お点前が始まり、銘々皿の代わりに運ばれて来たのは、雛飾りの小さなお膳。
上に乗っている和菓子は、雛人形を模した定番「引千切」なのですが、なんと通常の三分の一程のミニミニサイズ!蒔絵を施した小さな小さな塗りのお椀の中には、桃色の金平糖が入っていました。
柄杓がやっと入る程の茶釜や水指、棗に棚まで、あらゆるものがひと周り小さいけれど、ちゃんと茶道具として機能や風情があります。
ふっくらとした手でお茶を点てている表情も真剣そのもの。
年長の子になるにつれて仕草がより娘さんらしくなり、女の子が女性へと成長していく様を見届けている気分になります。
あちこちにお雛さんが飾られた茶室の内外には、華やかなおべべを着た女の子やその親御さん、お祖母さんらしき人も見られて、まるで永々棟全体がひな祭会場のようでした。
なお、永々棟から徒歩圏内にある櫻谷文庫(旧木島櫻谷住宅)も公開されており、こちらでもお雛さまが飾られています。

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