e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

大黒さんの打ち出の小槌

1月12

daikoku
京都では1月15日までを「松の内」として門松や松飾りを飾り初詣に繰り出しますが、年末からお出かけを控えている方も、今年は立春までゆっくりのお参りでも良いのではないかと思います。

お正月の縁起物も数多ありますが、かつて家の中で拾った小さな打ち出の小槌をなんとなく財布に入れていたら金運に恵まれた事がありました。
いつの間にかその小槌は再び行方知れずになってしまったというのが、またちょっとミステリアスな思い出。

都七福神めぐり」のうち、大黒天を祀る松ヶ崎の妙円寺をお参りした際に、打ち出の小槌の付いたストラップが御守りや熊手等と並んで販売されていたので、求める事にしました。
前の謎の小槌とは別物ですが、中に小さな大黒さんが入っていると、実際に側面から空けて見せて下さいました。
1㎝にも満たない程の、ほんとに小さな小さな可愛らしい大黒さま。

誕生日にクリスマス、親戚の子供達へのお年玉と散財気味なので、少しは還ってきますように…合掌。

2022年1月12日 | お寺, 観光スポット | 1 Comment »

寅の方角、僧形の妙見さん

1月6

myouken
京都で虎に因む寺社はたくさんあります。
洛陽十二支妙見」は、京都御所の紫宸殿を中心に、十二支の方角にそれぞれ祀られている妙見大菩薩への信仰で、寅の方角にはの修学院離宮の近くに道入寺という妙見さんがいます。

ふと思いつきで夕方に訪れたためか、はたまたマニアック過ぎたのか、他の拝観者と行き交ったのは一組だけでした。
安産や子育ての鬼子母大善神や開運・方除の七面大明神が安置された本堂があり、そばに建つ祠には虎が彫刻され、小さな僧が二体並んでいました。
乏しい予備知識のまま拝観して数分で帰るのも勿体無いので、奥様にお話を伺うと、質問にも気さくに応えて下さいました。

この像は、1979年に住職が蔵から発見したもので、真っ黒な汚れを落とすと妙見像である事が判明。
更に小さな祠の中に三枚綴りの古板が見つかり、七面天女像・三十番神と並ぶ、このお寺の創建時代からの像である事も分かったそうです。
亀に乗った姿が一般的な妙見さんが、数珠を持ち僧の姿をしているのは非常に珍しいとのこと。

妙見大菩薩は、 諸星の王・北極星、北斗七星を神格化したもので、宇宙万物の運気を司るとされています。
「妙見」とは優れた視力のこと。価値観が多様化し物事の善悪の判断が容易でない現代において、真理をよく見通す力が授かれば心強いですね。

2022年1月06日 | お寺, 観光スポット | 1 Comment »

迷わないため「心を整える」

11月17

tendoku
宇治・興聖寺の夜間拝観が始まりました。
駅や塔の島周辺からへの道中は街灯が少なくびっくりする程真っ暗で、昼間に平等院や商店街にいた沢山の人々はどこいってしまったのかと思うほど人の気配がありませんでした。
ここの夜間拝観を知らない人はまだ多いのかもしれません。

ライトアップされた琴坂を歩くのは初めてでしたが、14日の時点ではまだまだ青紅葉。
「仕方無いよね」と思いつつ、坂の両脇を流れる水の音に耳を澄ませながら、しんと冷えた空気の中を一人きりで歩くのは稀有なひと時でした。
敷居を跨いですぐに出迎えてくれる開梛は、長年打たれ続けて腹がえぐれていますが、その跡さえも美しい。
ここの大きな庫裏に足を踏み入れたのも初めてだったのですが、おくどさんから静かに湯気が立ちのぼっていました。

夜の6時からと7時からは大般若祈祷法要が行われ、自由に参列できます(詳しい日程は特設サイトをご参照ください)。
全部で600巻あるという膨大な『大般若経』を、まるでアコーディオンの様にパラパラと秒速でめくりながら「転読」する様を、計ずしも間近で見せて頂きました。
法要が終わると、にわかに僧侶の方が本尊や仏画の説明をして下さり、普賢菩薩が乗る象はあらゆる困難をなぎ倒してくれる心強い存在であること、文殊菩薩が乗る獅子は百獣の王で、
その一吠えであらゆる動物が畏れるように、仏法の力で人々の迷いを打ち消し救い上げるために修行で「心を整える」という事を教えて頂きました。

写真家・田口葉子氏による修行生活の写真も境内のあちこちに展示されています。
紅葉時期の寺院を訪れると、つい葉の色付きや写り映えに気を取られてしまうのですが、ここが修業の場である事を改めて実感できます。

ウェブサイトの画像の紅葉が赤く色づくタイミングを計らって訪れものもよし。
まだ人の少ないうちにゆっくり伽藍を巡るもよし。
興聖寺の料理番・村田副典座の指導による料理教室もあるそうです。

リモートで近づく和の文化

10月26

zoom

和の文化を日々の暮らしに取り入れる活動をしているNPO百千鳥が主催のオンラインイベント「おうちで出会う煎茶道」に参加しました。
自分で煎茶道のお点前にチャレンジするのは初めて。しかもオンラインです。

ネットで申し込みを済ませると、事前に煎茶セットが入った小さな小包が届きました。
茶葉の入った缶や干菓子等のほか、丈夫な繊維でできた紙のコップと、それに合わせて誂えられた木製の蓋が付いていました。
急須代わりとはいえ、水洗いすると南天の木の良い香りが漂います。
泉涌寺の塔頭・悲田院の青竹を切り出して作ったという竹茶碗なんて、後からお酒を入れて楽しめそうです。

当日、ウェブ会議サービス「Zoom」によって自宅と悲田院がLIVE中継で繋がれ、各地からの参加者が続々と画面に表示されていきました。
それぞれおうちのダイニングで、リビングで、お子さんを膝に載せて、あるいは男性の姿もあり、中には和服に身を包みお子さんと正座で開始に備えている人も。

東仙流のお家元が「自由に楽しめるように」と考案されたシンプルなお点前を見よう見まねで手順を進めます。
画面越しだけど直々に、なんてリモートならではの感覚です。

初めての煎茶点前で淹れた煎茶で喉を潤しつつ、紅斑竹の結界に倣汝窯の茶入れなど、この催しのためのしつらいを会記を傍らに眺めながら、質問があればチャット機能で尋ねます。

煎茶道にいつも登場する素焼きの湯沸かしが「ボーフラ」という奇妙な名前なのですが、ポルトガル語「かぼちゃ」が由来であると初めて知りました。
抹茶の茶道と比べると、煎茶道で飾られる花は大振りです。大地の木の勢いを大切にしてるからだそうです。
掛け軸の書は、詩仙堂で知られる石川丈山によるものでした。煎茶道の祖と言えば売茶翁ですが、丈山も一時そう呼ばれていた事もあったのだとか。
まさに自宅にいながら、今ここが「山居遊勝」の場となりました。

2021年の祇園祭は②

7月31

sinsenen
31日に八坂神社境内の疫神社での夏越祭をもって、2021年の祇園祭は締めくくられます。

後祭の7月24日。
榊を背に氏子地域を歩んだ神馬は、祇園祭発祥の地・神泉苑又旅社を経由して八坂神社へと帰還しました。

神社の石段下では、輿丁達や祇園の花街の方など、祭神を待ち侘びた人々が「ホイット、ホイット!」の掛け声と手拍子で迎えていました。
陽が落ち、榊を神輿に返して、ここから神霊を本殿に返す儀式が行われます。

時が満ちて消灯。一斎が沈黙し満月の光だけに照らされた暗闇のなか、本殿からは手招くような琵琶の音色が聴こえてきます。
誰一人言葉を発しない境内だと、水が流れる音が聞こえる事を初めて知りました。
白布の向こうでほのかな光が動き、神霊は本殿へと還られました。

世界的な疫病の流行下で、疫病退散の祭を多人数で行う事が正しいのかどうかは分かりません。
「文化を継承する」のも、「神に祈りを捧げる」のも、あくまで人間の都合だからです。
取材に際しては様々に注意を払っておりましたが、それでも人の密集が避けられない瞬間は何度かありました。
自分もその一因である事は間違いありません。

祈りを届けるために天地を繋ぐのなら、鉾と神木を立てるだけでよいところを、集めた財によって舶来品と匠の技の結晶で飾り立てた山鉾の姿は、まさに「町衆の祭」の象徴ですね。

儀式の間に感じた、暑さを感じないほど穏やかな夜風。
にわかに本殿側だけ踊っていた提灯。
藍色の空に顔を出した神々しい満月。

複雑な心境とこの清々しさを、どう捉えたらいいのだろうと、ぼんやりしながら社を後にしました。

動画はこちら(順次アップしていきます)

元祇園・梛神社と綾傘鉾

7月6

nagi
新選組ゆかりの壬生寺の近くに「元祇園」と呼ばれる梛神社があります。
貞観年間、京の悪疫退散のため祭神・牛頭天皇こと素盞嗚尊を東山の八坂に祀る前に、一旦この地の梛の森に神霊を仮祭祀したのが由来とされています。

数分で一周できてしまうような広さの境内ですが、街中なので人足は絶える事が無く、今も地元の人々の信仰を集めている事が伺えます。
祇園祭の山鉾巡行の際に、神饌を供えたという御供石が安置されており、この石がもともとあったという下京区周辺には今でも「御供石町」「長刀切町」「悪王子町」という地名が残されています。
梛の実を模したまん丸のお守りの中に願い事を書いた紙を詰めて、ご神木の梛の木に吊るさせて頂きました。

先週末は梛神社で綾傘鉾の奉納囃子があったそうで、観て来た友人が動画を見せてくれました。
綾傘鉾と壬生の人々とがどういう関係性があるのか今まで疑問に思っていたのですが、ようやくその理由が判明しました。
素盞嗚尊が八坂の郷に遷座する際に、壬生村の住人が花を飾った風流傘を立てて、棒を振り、音楽を奏でて神輿を送った事が祇園会の起源ともいわれているそうです。
これまでにも、祇園祭に際して綾傘鉾の関係者が祈祷をしてもらったり、お囃子を奉納された事があるなど、古くから結びつきがあるのですね。

地囃子や棒振り囃子が神前で披露され、観客は目前で投げられた蜘蛛の糸も浴びる事ができたようです。
軽やかで澄んだ鉦の音は穢れを吹き飛ばし、本当に浄化の効果が期待できそうです。

立ち止まる刹那

6月8

ajisai
智積院の金堂の裏から奥の墓地までに至る道のりは、知る人ぞ知る紫陽花の隠れた名所です。
想像以上の紫陽花の株数に思わず足を止めてしまいました。

人の手が入り過ぎず野趣を残したような印象の紫陽花たちは、赤と青で咲き分けた毬のような花もよく見つかります。
奥の一角に並ぶ墓石は「学侶墓地」。江戸時代に全国から宗派を超えて集い智積院で約二十年もかけて修業する中で、志半ばで亡くなった人々を祀ったものだそうです。

無人というほど寂しいわけでもなく、数人が土の上を歩む音と、鳥のさえずりだけが響く静寂の世界。
初夏でも鴬が鳴く事があるんですね。
「静かな観光地」の「静けさ」ではなく、世俗から切り離された「静けさ」に身を浸してみたい人はぜひ。

境内を歩いていると、規則正しく並んで進む僧侶の列に遭遇。
京都ではそう珍しい光景でもありませんが、一人一人と通り過ぎる度に「こんにちは」と頭を下げられました。
反射的に「こ、こんにちは」と首を垂れたものの、自分はきちんと足を止めていなかった事に気付きました。

本来、挨拶は歩きながらではなく、立ち止まってするもの。
背筋がすっと伸びる思いがして、その後も境内のところどころでお坊さんと挨拶する度に心がけました。

一秒にも満たないこの動作で、相手から大切にれているような気持ちになる。
まだ小さい子供達にも伝えていこうと思います。

日暮れと清水の舞台

3月24

kiyomizu
ある日の夕方、ふと思い立って新しくなった清水の舞台へ向かうことにしました。
傾いた陽が輝く鴨川沿いを自転車で走り、五条坂の途中からは息が切れて押しながら。
降りて来る僅かな観光客とすれ違いながら、その日の営業を終了したのか休業しているのか、静かな店舗群の間を登ります。

清水寺に到着したのは午後5時頃。ぽつりぽつりと、しかし途切れる事なく数グループが境内にいました。
2008年より始まった「平成大修理」の一環で、今年は舞台の板も張り替えられ、白木となった清水の舞台は、檜の香りが漂っていました。
爪楊枝程の大きさに見える京都タワーが暖かな茜色の空に溶け込み、澄んだ夜の冷気を吸い込みながら、1分ほど目を閉じて鳥の声や舞台を歩く人々の足音、音羽の瀧の音などに耳を傾けました。

奥の院や子安塔側にも回って、改めて舞台を外側から眺めます。
本堂の檜皮屋根も約50年ぶりに葺き替えられ、本堂を覆っていた素屋根もすっかり取り払われて「照り起(むく)り」と呼ばれるふっくらとした曲線美が再び甦りました。
屋根を葺く檜皮は通常より約20センチ長く、約170万枚を全国各地から10年かけて確保したそうです。
徳川家光による再建以来初めてと言われる金の破風の飾り金具も新たに修理され、間もなく全ての修理が終わります。

閉門後、夜の帳が降りて暗くひっそりとしたお店の並ぶ坂道を自転車で降りました。
清水寺から円山公園までの高低差は59メートルと言われています。
恐らく、これまでの清水寺の参道なら夜になっても国内外の観光客が賑やかに下山していて、自転車で滑るように降りていく事など不可能だったことでしょう。
こんな不思議な心地はもう無いかもしれない、と思いながら暗闇の参道を後にしました。

手のひらの国宝

3月9

mini
仁和寺で茶室の模型展が開かれているとの口コミを得て、行ってきました。

御殿の白書院を会場に、手の平サイズの茶室と茶道具等がずらり。
それも、豊臣秀吉黄金の茶室や千利休の待庵など、基本的に非公開で入ることのできない茶室ばかり。
ミニチュアが好きでよく観ますが、幻とされている茶釜や国宝の茶碗、茶懐石のそれは他で観た事がありません。

模型製作が趣味だった関山隆志さんが、24歳の頃に職場の茶道部で初めて茶道に触れたことからのめり込み、還暦を過ぎてから茶室の模型の製作を始められたそうです。
できるだけ実物を訪問し、交渉をして見学をさせてもらい、1/12のスケールに落とし込んでいるとのこと。
LED等の照明を組み込む事で陰影や奥行ができ、ミニチュアながら庭園の眺めに清々しさまで感じられるのが驚きです。

観る角度を変えると見える物が現れる遊び心もあって、何よりも楽しんで製作されているのが伝わます。
会場にいたスタッフ方やお客さんとも和気あいあいと楽しませていただきました。

この展覧会は3月7日で終了しましたが、2年前にも嶋臺ギャラリーで個展をされていたそうなので、またどこかで新作とともに企画があるかもしれませんね。

洛西の黄檗山

12月16

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阪急「上桂」駅から徒歩15分ほどの住宅街の中にある浄住寺。今年は12月6日まで特別公開が行われていました。
参道の紅葉が美しい黄檗宗のお寺として徐々に知名度が増していて、訪れた時は紅葉シーズンの終盤でした。

天台宗、律宗、そして禅宗へと形態が変わり、現在は禅寺らしく伽藍が一直線上に並び、黄檗宗の大本山・萬福寺に見られる魚の形をした開梛(かいぱん)を小さくしたような法器も下がっています。
仏像もやはり萬福寺のそれらと似て、どこか曲線的。まるで蓑虫の様な衣をまとった珍しいお釈迦様も安置されていました。
抜け穴のある方丈の床の間の壁や、参道の両側にも亀甲竹や四方竹といった珍しい品種の竹林もあり、見どころは尽きません。

帰り際に「祝国」と書かれた扁額が気になりガイドさんに尋ねたところ、こちらの中興の祖・鉄牛禅師の書とのことでした。
「国家の平安を祝す」という意味のようですが、これが70歳の頃の書としてはダイナミックです。
何となく、「しゃんとせい!」と言われた様な気分になりました。

基本的に非公開の寺院ですが、公式サイトによると、要予約で貸切拝観や月に数回、一般特別公開を行っているそうです。

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