e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

茶道資料館「茶箱を楽しむ」

2月24

sado 茶道資料館の新春展「茶箱を楽しむ」。平日の静かな館内ながら、人の足が絶える事はありませんでした。
茶箱とは、お茶を点てるのに必要な道具を携帯できるようコンパクトに収納し、野点(いわゆる「アウトドア茶の湯」)の風情を楽しむもので、戦乱の世には武将達が陣中で、あるいは花見や紅葉狩りの席で用いられて来ました。
紐を掛けたり瓢箪型にしたりと、持ち運びに耐えうるように工夫されたデザインや、その茶箱が使われるシチュエーションを連想させる装飾、中の茶碗や道具は従来よりも小さく軽い事が求められるため、「見立て」(代用)で遊べる自由さなど、持ち主が楽しんで趣向を凝らしているのが伝わってきます。
長時間フライト中の飛行機内で茶箱を広げ、周囲の外国人乗客や客室乗務員らにお茶と菓子を振る舞い、拍手で喜ばれたという面白いエピソードもありました。
自分自身は茶箱はまだ持っていないけれど、手持ちのバスケットに茶碗や茶筅、ケーキ等を仕込み、夜桜の宴席や植物園の東屋で友人達と一服を楽しんだ事もあれば、スキー場のゲレンデで、スノーウェア姿でスキー板の上でお薄を点て、家族で冬山の絶景を楽しんだ事もあります。
またある知人のタクシー運転手さんは、車内に茶箱を供えていて、案内したお客様にお茶を点てる事もあったと聞きました。嬉しいサプライズですね。
その際にもてなした相手は、お茶の心得がある人だけでなく、お抹茶を飲んだ事も無いという人も。
日常と非日常、茶道という敷居もふっと跨いでしまえそうな装置です。
この時期に茶箱展が開かれたのも、間もなく訪れる花と新緑の季節に向けた、野点への誘いなのでしょう。
なお、茶道資料館のすぐ隣にある本法寺は琳派の祖・本阿弥光悦の菩提寺とされ、特別公開中です。併せてお楽しみ下さい。

千總のデザイン力

2月9
「牡丹藤花束青海波文様小袖」 江戸中期(千總蔵)
「牡丹藤花束青海波文様小袖」 江戸中期(千總蔵)

 「千總460年の歴史-京都老舗の文化史-」展(11日まで)を観て来ました。
千總の創業から更に遡ること平城京の時代に、奈良・春日大社の宮大工を務めていた西村總左衛門家の先祖は、春日大社の「若宮神社」の「若宮おん祭」に千切花の台「千切台」を毎年奉納していたそうです。
あのユニークな紋は、橘や菊、藤の供花を載せた「千切台」に由来していたのですね。これがポスター画像に採用されているのも納得です。
法衣業としての出発から460年という長い歴史を重ねて来ても、「千總さんのきもの」は、古典柄なのに古臭さを感じさせないのが、いつも不思議でした。
しかし、会場に展示されていた円山応挙や神坂雪佳など千總が所蔵する屏風や下絵を観ていて、その理由の一つが「磨かれたデザイン力」にある様に思います。
京都画壇に下絵を依頼したり支援したりする中で構図や配色が洗練され、また新しい技術や職人の技(特に十二代西村總左衛門氏の下絵や緻密な刺繍作品は見ものです!)が相乗効果を生み、展示された小袖や花嫁衣装に現れています。
ほの暗い照明の中でも発色の良さが伝わってくる刺繍糸の立体感、大胆さと繊細さが織りなす描線にもかすかな黄金の輝きが見え、飽きることがありません。
創り手の息が吹き込まれたきものは、神前に供えられた瑞々しい花のように、周りの空気を変える力があります。
その歴史の重みと美しさを、ガラスケース越しではなく実際に手に取って、袖を通してみたい、そう思いました。

「地図で読む 京都・岡崎年代史」

1月21

okazaki コンビニエンスストアと言えば、全国どこの地域の店でも同じ品が手に入りますが、中にはご当地商品スペースを設けている店舗もありますね。
例えば、平安神宮の近くのあるコンビニで購入した『地図で読む 京都・岡崎年代史』。
明治28年に岡崎一帯で行われた「第4回内国勧業博覧会」の華やかなりし会場全景図を表紙にしたその冊子には、明治の東京遷都で賑わいを無くし農村地帯へと変貌していく愛宕郡岡崎村、京都復活の起爆剤となった琵琶湖疎水とその周辺を写した今昔の写真、市電が通り、京都市の祝祭の会場としての姿、進駐軍に施設を接収された戦後、時代を遡って白川や吉田山などに恵まれた古墳時代の岡崎遺跡、平安後期に六勝寺が林立し栄華を誇った「院の御所」時代、地震や応仁の乱を経て秀吉の時代には洛外と見なされた沈黙の時代、諸藩邸が続々と建てられた幕末の激動の舞台として、その風光明媚で交通の要衝としての立地の良さから時代と共に需要と変容、伝統と創造を重ねてきた岡崎の姿が、地図や年表の対比を交えて分かりやすく紹介されています。
東寺の五重塔も超える高さの法勝寺八角九重塔が現在の京都市動物園の観覧車の辺りにそびえていたことや、かつて岡崎一帯に存在していた遊園地「京都パラダイス」にスケート場に夷川船溜の遊泳場の話題など、わくわくするような、人によっては懐かしさを覚えて古地図に夢中になることと思います。
現在平安神宮を中心に、美術館や図書館、能楽堂など文化ゾーンとしての役割を果たしている岡崎。この先100年、200年後は一体どんな姿になっているでしょうか。

京菓子資料館

12月16

kashi  京菓子資料館で「近現代の京菓子のあゆみ -昭和期を支えた人々-」展が開かれています。
都が東京に移り、博覧会等で外国人の来日が増え、飲食店が外国人の好みに合わせて洋食化したり、和菓子の名店が相次いで廃業する中で、和菓子屋の広告や図案帖にも洋菓子の影響、或いは洋菓子そのものが見られます。なんとウェディングケーキまであったとは!
菓子税の導入、戦中戦後の資源不足…そんな時代の流れの中でも変わらなかったのが、一個の菓子という掌サイズの媒体に、四季折々の風物を簡略化し凝縮させているところ。
あらゆる要素を削ぎ落とす事で本質を浮かび上がらせる傾向は、家紋や俳句、日本画、華道等を生み発展してきた「日本らしさ」の表れとも言えます。
創作意欲をかき立てるのでしょう、徳力富吉郎ら当時の文人墨客が描き、菓子屋に作らせた (中には味わいや触感の指定まで!)のも頷けます。
毎年我が家の年賀状は自分で絵を描いているのですが、これらの和菓子のデザインからも多いに刺激を受けました。
年内は23日まで開館、茶席は年明け2日より営業しているそうです。

太閤山荘・古田織部美術館

12月2

oribe  紅葉の色付きも人出も山を越えた模様ですが、JR東海の今年のキャンペーンポスターが源光庵だったこともあり、鷹峯は大賑わいだったとか。
その源光庵から更に北の住宅地へ入ったところに、今年開館した「太閤山荘・古田織部美術館(※現在臨時休業中です)
既に紅葉の見頃は過ぎていましたが、色とりどりの散り紅葉が、龍門瀑を連想させる庭の石組では飛沫を上げる滝の様に、美術館となっている蔵への渡り廊下では白木を彩る刺繍の様に、表情を変えて楽しませてくれました。
現在の展示品は古田織部の時代の、堺の茶人達の茶道具や消息等で、今までドラマや漫画でも知り得なかった数寄者達の名前も多く連ねられています。
箱モノの美術館で観賞するのとは違い、鷹峯に住まう茶人の家を訪ね、お茶をよばれ、そこのコレクションを見せて頂いているような感覚。
太閤山荘の向かいから急な坂道を降りたところにある「紅葉谷庭園」は、まだ整備途中といった様子でしたが、池に対面して配されたベンチを覆う桜とおぼしき木々や、手漕ぎボートを見ると、来春・来秋には鷹峯で静寂と自然を味わえる穴場となりそうな予感です。
翌2015年は、古田織部が大坂夏の陣の後に徳川秀忠によって切腹を命じられ、その生涯を閉じてから400回忌にあたり、また本阿弥光悦が徳川家康より鷹峯の土地を拝領した「琳派誕生」の年でもあります。
今年も残すところあとひと月となり、まもなく「琳派400年記念祭」の幕開けです。

水原房次郎 蔵美術館

11月10
水原房次郎 蔵美術館
水原房次郎 蔵美術館

  宇治市内に新たに「水原房次郎 蔵美術館」が開館したと聞いて、訪れてみました。
会場は、古くから製茶業を営んでいた旧家・藤川市左衛門邸の、もとは製茶の作業場だったという築300年近い土蔵を改装したもので、太い梁や藁の苆を散らした荒壁もそのままの風情を活かしてあり、数々の風景画とも溶け込んでいました。
福岡で生まれ、戦後は宇治にアトリエを構えて約50年を過ごし、画業ひと筋だったという洋画家・水原房次郎さんの作品は、地元や江ノ島、奈良等の国内の風景のみならず、欧州や南米を渡り歩いた軌跡で主に構成されていました。
一貫した作風というよりは、日本を出て遭遇した色や光、ステンドグラスの影響を受けながら、筆致や書き込み具合を変えてみたり、年齢を重ねる毎に意欲的に、大胆になっていくのが伝わってきます。
キャンバスの端に描かれた青空のパキッと突き抜ける様な爽快感、素早いタッチながら熟れて遠くに漏れている光をも映した描写が非常にリアルな柿の実…作品の一部は公式ホームページからも観る事はできますが、その色遣いや対象物の特徴を捕える巧さは、実際に間近で対峙しなければ知り得ません。
この蔵美術館のある宇治市白川付近は、主に玉露を生産する農家が点在しているそうで、京都府の茶業研究所もあります。観光客で賑わう宇治橋商店街の風情とは違う、京都の茶処としての地元色が表れた静かな趣きでした。
個人宅の敷地内にあり、期間限定の開館という事で、次回は春の公開までのお楽しみとなりそうです。

京都国立博物館「平成知新館」

10月20

tisin 京都国立博物館にリニューアルオープンした平常展示館「平成知新館」。
延べ床面積約1万8千平方メートル。夜の海の様に薄暗く広大な空間の中に、大きな仏像が佇む姿は圧巻でした。
どっしりと腰を下ろす仏さんを見る度に、そのお膝の中に座りたくなるのは私だけでしょうか?
一階には、金属工芸や書、染色などの伝統工芸品が部屋毎に陳列され、それらが王朝文化、武家文化、町衆文化の中心であった京の都で培われ、洗練を重ねて来た事を目に見える形で伝えます。
吹き抜けになった館内は、地上4階まで続く階段を上がりながら、別の角度から各階を眺める事もできます。
記念展として「京へのいざない」展が開催されており、神護寺蔵の伝源頼朝像や雪舟の「天橋立図」等(※現在は第2期の展示内容に変わっています)前後期に分けて国宝62点、重要文化財130点を含む400点以上を展示するとあって、まさしく京のお宝いいとこ取り!お腹いっぱいになりました。
博物館には、各寺社や個人に代わって文化財を安全に保管・補修、分析して、そこから解釈されたメッセージと共に公開するという役割があります。
平成知新館だけで1時間半程の時間を費やし、大人気の「国宝 鳥獣戯画と高山寺」展は入場待ちが60分とあったので、特別展はまた別の機会に伺う事にしました。
当館のツイッターによる混雑情報を見ていると、平日の開館後〜お昼時か、夕方が狙い目…かな!?

大徳寺孤篷庵と小堀遠州

10月14

koho 小堀遠州ゆかりの大徳寺孤篷庵が珍しく特別公開されていました。
ここを現代に当てはめて例えるとすれば、名古屋城天守閣や二条城二の丸庭園、南禅寺金地院の茶席、経緯などを手がけた人気デザイナーが、仕事から離れ、自分自身が楽しむために作った遊び心溢れるデザイナーズ建築といったところでしょうか。
庭の刈込みや石の造形を生かした配置で水平線を現し、想像力を働かせれば、まるで一艘の船に乗っているような気分になれます。白い胡粉で磨かれていたという「砂ずりの天井」は外の光を反射して、その杉板の木目がまるで揺らぐ水面を映しているかの様に見えたのだとか…。
しかも初公開の直入軒は、扁額書いたのが松花堂昭、茶室「忘筌」を再興したのが松平不昧公という、「数寄者ブランド」とも言うべき著名人物の名前が出てきます。
この貴重な機会を逃すまいと、閉門直前にも行列ができており、現代人もなお憧れる空間の演出家しての小堀遠州の人気ぶりが伺えました。
千利休、古田織部と続く茶人ブーム。次もやはり、小堀遠州でしょうか。

宇治茶のテーマパーク

10月7

ujicha 

80年以上行われてきたという「宇治茶まつり」。午前中は宇治茶を育んできた自然や茶祖、茶筅に感謝を捧げる厳かな儀式で幕を開けます。
「茶壺口切り式」では、茶壺の中で大切に熟成されていたお茶の封印が解かれ、宇治川の水と合わせて茶祖に供えられました。
儀式の後は、塔の島を中心とした一帯は宇治茶のテーマパークに!
今年は京都文教大学の学生が主催する「親子で楽しむ宇治茶の日」が同時開催された事もあって、気まぐれな雨にも負けずたくさんの親子連れが、京田辺市や木津川市等の宇治茶産地のお茶を楽しんだりしていて、スタンプラリーの景品交換所には長い傘の列ができていました。
茶券(茶席が混んでいる場合は、お菓子だけ持ち帰ることも可)を片手に訪れた宇治市観光センターのセルフサービスの緑茶でさえも一定のクオリティを感じるところは、さすが京の茶どころ。
点心席として訪れた宇治茶道場「匠の館」で出されたお茶も、甘みがあってとても美味しく、思わずお代わりするほど。
あちこち巡っている間に、落成式を終えたばかりの平等院鳳凰堂を拝観する時間が無くなってしまったので、次回のお楽しみとしました。

島原文化の灯

9月16

wa  京の花街・島原で現在もお茶屋営業を続けている「輪違屋」が、10年ぶりに公開されています。
6名が所属しているという太夫さんは、今でこそマンションから派遣されて来るそうですが、かつては置屋として輪違屋の中で共同生活をされており、その部屋は非公開の3階部分にも残っているようです。
10年前の初公開時に訪れた時には、その豪華な打掛や太夫そのもの神秘性の方に関心がありましたが、その後様々な機会に太夫道中や舞を観るに従って、観光イベントだけでは伺い知れない奥深さにも触れてみたいと感じて来ました。
それだけに、輪違屋に跡取りがいないという事がとても気掛かりです。
京都市の指定・登録文化財としての建物自体は残されたとしても、他の花街とも違う、島原独自の文化は、今後どの様に守られていくのでしょうか。
資金が必須とはいえども、お金だけでは文化芸能の継承にはなれず、主客双方の文化レベルも維持していかなければいけません。
同じく付近で特別公開していた角屋は、「京の夏の旅」としての公開時には二階座敷と美術館は拝観できませんでしたが、15日より通常公開に戻っているので、二階座敷を予約して、輪違屋と共に観賞する絶好の機会です。
来月には「角屋の文化講座」や「太夫の舞 鑑賞会」も予定されています。

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