e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

乳児連れで山鉾巡行を観る

7月29

jun
乳児連れでも祇園祭を楽しめるのか。チャレンジは後祭巡行まで続きました。
唐櫃を担ぐ形で193年ぶりに巡行に復帰する鷹山を見届けるべく、朝の烏丸御池へ。
早く着き過ぎると子供がもたないので、熱中症対策を万全にして巡行開始の20分程前に現地入りしました。
巡行が始まる頃には、子供はベビーカーの中でねんねしてくれて助かりました。

鷹山の列の出発は、舁き山の代わりに唐櫃がある以外は特別変わった事もなく、まるで毎年の事の様にごく自然なものでした。
その後に、2014年に山鉾巡行に復帰を果たした大船鉾が続いていく様は、感慨深いものがあります。
前祭の巡行の四条通りは黒山の人だかりの中を行き交うのも大変ですが、後祭の巡行列が進む御池通りは広々としているので、海原を進むかのような大船鉾と並走するようにベビーカーを押し東へ移動。
辻回しを見届けている間に子供が目を覚ましたので抱き上げましたが、割とご機嫌で、初めて目にする山鉾のお囃子の音色に耳を澄ましているようでした。
付近の保育園の園児たちはカートの中から、作務衣姿の赤ちゃんも親御さんに抱かれながら山鉾を見物しています。
寺町御池の角では、くじ改めも人の合間から垣間見る事ができました。場所取りをしていなくても、意外と観れるものですね。
その後の神輿も追い掛けたいところですが、夜遅くなるのでここらで切り上げることに。

昔は、宵山の3日間とも祭に繰り出したり、神輿の御霊が八坂神社に還る深夜まで追っかけたりしていましたが、なんとか今年も、乳児連れでもそれなりに祇園祭を楽しむ事ができました。
→動画はこちら

島根県の津和野と祇園祭

7月10

sagi

祇園祭は2019年で1150年の節目を迎え、奉祝行事として島根県の津和野町に継承された祇園祭鷺舞神事の里帰り奉納が行われました。(動画はこちら)
「里帰り」というのは、津和野の鷺舞は、天文(1542)年に京都から山口を経て伝わってきた国の重要無形民俗文化財なのだそうです。
戦乱や天災などにより何度も中断を余儀なくされた京都の祇園祭行事は、他府県の祭にも広く影響を与えていますが、かつての京都祇園会の姿を、山陰の小京都が今に伝えているというわけです。
どうやら「笠鷺鉾」なるものが約600年前には存在していたようで、鷺舞はその周りで踊られていたものだったようです。

棒振りが舞い、羯鼓(かんこ)が鳴り、雄雌つがいの鷺が真っ白な羽根を広げるたび、歓声が上がります。
そういえば、かささぎは織姫と彦星の逢瀬の橋渡しをした鳥だったような。
10分ほどの神事で物足りないくらいでしたが、七夕気分も味わいました。

津和野の鷺舞はこの日限りですが、逆輸入のように参考にして復興された鷺踊りを子供達が舞う姿が16日の宵宮神賑奉納行(鷺踊りは19時半頃から)や10日のお迎え提灯24日の花傘巡行で観る事ができます。

駅近の山荘・白龍園

6月5

haku  
京都通あるいはリピーターの中で、紅葉の名所は新緑の季節にこそ訪れるのが鉄則です。
秋の特別拝観で人気急上昇中の白龍園も、初夏に傾き始めたこの季節は、とても静かでした。
時折は叡電の車輪の音こそすれ、聞こえてくるのは、鳥のさえずり、水流、庭を手入れする鋏の音、自分の足音。
所有するアパレルメーカーが、その土地の神を祀り手作りで庭園を創り上げ、数年前まで顧客に対してのみ公開していたそうです。
つつじの盛りは過ぎていますが、あちこちの蹲や東屋の花入れに可憐な花が生けられ、おもてなしが感じられました。
園の向かいにある「河鹿荘」はぜひ併せて立ち寄ってみてください。
囲炉裏が二つある古民家の風情で、喉を潤しながら外の新緑を眺められます。
冬になると、子供連れのお客には、灰吹きを体験させたりする事もあるそうですよ。
白龍園、河鹿荘ともに、二ノ瀬駅からから徒歩7分という立地ながら、山深い集落を訪れたかのような錯覚は、京都市の真ん中では味わえない魅力です。
白龍園に入るには、通常は出町柳駅にて拝観券を購入する必要がありますが、この春は白龍園でも拝観券を販売しています。

京都盆地の成り立ち

2月20

tenryu
嵯峨の「さ」、嵐山の「らん」にちなみ、嵯峨嵐山から日本文化を再発見するNPO法人「さらんネット」主催の文化講演会に参加してきました。
NHK『ブラタモリ』の案内役として人気の「京都高低差崖会」崖長・梅林秀行さんが、地形を手掛かりに京都盆地の成り立ちを語ります。
およそ300万年前の海の底。南海トラフを境に、西北西に移動し始めた東のフィリピン海プレートが西のユーラシアプレートに潜り込み、まるで皺が寄るように盆地と山地が等間隔に繰り返される起伏ができました。
その傾向は特に近畿地方に顕著で、現在の八坂神社の前を走る桃山断層、天龍寺の曹源池庭園の下の樫原断層、そして2000年に発見されたという宇治川断層に囲まれた地域が京都盆地です。
やがて扇状地に人々が住み始め「野」と呼ばれるようになり、都の周りに「大原野」や「嵯峨野」といった地域ができました。
自然の現象に意味を見出そうとする人間は、自然と自分たちの住まう地との境界を認知し始め、「野」の外側には霊界があると考える文化が形成されていきます。
「蓮台野」には大徳寺が置かれ、「鳥辺野」は葬送の地となり、霊山・比叡山には延暦寺など、境界には様々な寺社や古墳が築かれ、それらはやがて観光名所となりました。
渡月橋を写した絵や写真はどれも下流側から山を臨むように切り取られているのが殆ど。「都林泉名勝図会」などに描かれた京の都の風景にいつも雲がたなびいているように、そこには断層の斜面があり、私達はこの世とあの世の境目に惹かれて名所を訪れ、そこから世界を見ているのです。
京の都の成り立ちについて、四神や風水とも異なる、地形からの切り口は新鮮で、ぼんやりとかすかに感じていた事に初めてくっきりとした輪郭が与えらえたような気分を味わいました。

孔雀で邪気祓い

12月26

tanaka
2019年の年賀状用に、干支「亥」にちなんだ寺社をお参りしたり、写真撮影をした人は多いのではないでしょうか。
干支にはありませんが、叡電「元田中」駅より程近くのところに、孔雀のいる珍しい神社があります。
田中神社の一の鳥居をくぐってすぐのところの檻に美しい羽根をした孔雀が佇んでいて、すぐそばで観ることができます。
もともと孔雀とは関係が無かったそうですが、かつて宮司さんがとあるサーカスから譲り受けたことがきっかけで、やがて白い孔雀は亡くなり、京大で飼育されていた孔雀が迎えられて、今では3羽がその羽根を休ませています。
社務所には水引で形作られた孔雀のお守りや、卵の形をした珍しいおみくじも。中身は開けてからのお楽しみ。
葵の紋が気になったので尋ねてみると、社殿は下鴨神社から移築されたものだそう。
ちょうど神社の位置も、下鴨神社の南端にある御蔭通りをまっすぐ東へ進んだ延長上にあります。
胸元から首にかけて、吸い込まれそうに深い瑠璃色の孔雀は、「悪を食い尽くす鳥」とされており、仏教の襖絵等でも見受けられますね。
三ツ葉丸葵の紋の縁から徳川家の崇敬社とも、また「田中姓の祖」とも言われるそうで、絵馬には田中姓の芸能人を応援する絵馬も見受けられました。
境内には氏子の希望で建てられたという玉柳稲荷社の朱色の鳥居が並び、また伊勢神宮逢拝所もあり、こじんまりとした境内ながらおめでたい要素がたくさん。
新年の幸先良いスタートを切るため、お参りしてはいかがでしょうか。

現代アートの双方向性

8月21

tadasu
「チームラボが京都に来るんやって!」
下鴨神社 糺の森の光の祭』というイベントについては既に聞いていましたが、友人達との会話の中で、「それほど話題になっていたのか」と思い、行ってみる事にしました。
入り口から参道にかけてのせっかくの導入部分がトラブルにより照明がつかずじまいで残念でしたが、鳥居やご神木がいつもの日の光とは全く違う色の照明によって妖艶に浮かび上がったり、涼しげに照らされたりする姿を、多くの外国人客も楽しんでいるようでした。
平日でも御手洗祭にも劣らないほどたくさんの人があちこちで撮影に興じ球体を触りまくっているので、響きあう音色に耳を澄ます…といった余裕はあまりありませんでしたが、子供達はふわふわの触感を全身で感じ、大人には浴衣デートをしたり写真映えを楽しんだりするためのアトラクションという印象でした。
惜しくも照明がつかずに誰にも触れられる事なく置かれた球体は本当にただの置物で、それが発光の仕掛けと人の手の刺激による双方向性によって初めて現代のアートとして成り立っています。
子供達にとって言葉では難しくて理解できないことが、かえって感覚的に伝わったでしょうか。
歩き回れるくらいの子供向けの催しだと感じましたが、親に抱かれた乳幼児の姿も。足元は細かい砂利で時折タイヤを持っていかれるので、ベビーカーよりは抱っこ紐で両手を自由にして撮影を楽しまれるのが良いかと思います。

天神さんのパワー

8月7

kitano京の七夕」が始まったばかりの北野紙屋川エリアは意外にも空いていて、昼間の暑さを忘れて夕暮れのお散歩を楽しめました。
北野天満宮でも「北野七夕祭」が開催中で、短パン姿という参拝に相応しいとはいえないいで立ちをしておりまでしたが、御手洗川の足つけ燈明神事で禊をすることが目的だったので便利でした(靴を着脱するための床几やビニール袋はご用意されています)。
一瞬、肩をすくめる程に冷たい水ですが、じゃぶじゃぶとふくらはぎに水流を感じながら歩くのは気持ちの良いものです。
とても短い道のりなのですが、五行色のろうそくに灯した火を、風でかき消されないように献灯台まで運ぶのには案外コツがいります。
足もすぐに乾き、温かな血流がじんわりと戻ってくるのを感じながら、御土居のライトアップをそぞろ歩き。
個人的に「パワースポット」とは、神がかりなエネルギーがもらえる場所というよりも、人を惹きつけ、人のエネルギーが集まる力を持った場所なのではないかな、と思っています。
特に全国に「天神さん」と呼ばれ親しまれている菅原道真公は、平安時代のエリート官史とはいえたった一人の人間が、千年もの時を経てもなお、大々的に崇められているなんて、極めて稀有な存在でしょう。
お隣の大阪では5千発もの奉納花火が打ち上げられる程のお祭が行われているのですから、現代におけるその影響力は計り知れません。
これは三辰信仰による太陽・月・星の天のエネルギーによるものでしょうか。
御手洗団子茶屋や刀剣展に加えて、今週末の11、12日は子供の将棋大会や本殿石の間の通り抜け、盆踊りに和太鼓などなど、元気がもらえる催しが目白押しなので、より賑やかになることでしょう。

日本人の知らない日本語

7月31

machi
特に読書家というわけではないのですが、書店でもインターネットでも古本を購入したことがあります。
欲しい本が書店に無いとき、また自発的に探すときにネットの利便性に頼りますが、本の方から語りかけてくるような感覚があるのは新書のある書店、より思いがけない出会いがあるのは古書を扱う蚤の市や古書店、図書館の方が多い気がしませんか?
まちライブラリー」という全国に展開している私設図書館をご存じでしょうか。
京都府内にもあり、友禅工場や京町家の一角にも設けられているようです。
画像の図書は京都府外の地域で借りたものですが、『懐石サントリー』なる珍しい題名がすぐに目に着き、一周回っても気になったので手に取ることになりました。
もはやサントリーにも淡交社にもおそらくこの本について知る人は少ないのでは。
ウイスキーの傍らに置いて楽しむ懐石の献立や花を季節毎に紹介しているもので、これだけ四季の移ろいを細分化して繊細に楽しむ文化を持つ民族は日本人だけではないかと感じました。
普段「物語を熟読する」よりも「記事を斜め読み」しがちな毎日において、未知の言葉の表現に触れられるのもまた、書物ならでは。
私達には、まだまだ知らない日本語がたくさんあります。
ちょうど五山の送り火の頃に糺の森でも「納涼古本まつり」が行われます。
暑さ指数を目で追うより、心潤すことばを探しませんか。

しきたりにこだわる世代とは

3月19

zen
寒さが和らぎはじめ、赤ちゃんのいるご家庭ではお宮参りお食い初めを同日にされるところも多いのではないでしょうか。
神社でご祈祷を申し込むと、お下がりにお食い初めのプラスチック食器セットを頂ける事も多いのですが、それらは日常使いとして、別にお膳を誂える家もあります。
男児のものは朱塗り、女児のものは椀の外側が黒塗りで内側が朱塗りとなっているのが一般的なのですが、子供の頃から、「なぜ女の子が赤で、男の子が黒じゃないんだろう?」と疑問に思っていました。
これには中国由来の陰陽道が関係していて、昔の染色技術では朱色を出すのが難しいため格上の色として男児に用いられていたそうです。
お宮参りでは、男児の額に「大」、女児には「小」と赤い文字を書き、境内で歯固め用に小石を氏神さんの境内で拾い、お食い初めの宴席では蛸の足も吸わせて…豪華に尾頭付きの鯛を添えるお家も。
現代は簡略化されているかと思えば、意外にも赤ちゃんの祖父母の世代はしきたりについて分からない事を尋ねられる人がおらず、むしろ掌のスマートフォンを使ってインターネットからしきたり情報を得られる若い世代の方が伝統的な儀式に意欲的な傾向があるそうです。
決して安いものではないし、湯通しをして完全に乾かしてから布でくるんで…と出し入れが少々手間になるお膳ですが、お正月やお祝い事には登場させてあげたいですね。

2018年3月19日 | 和雑貨, 神社 | No Comments »

豆まきの発祥の地

1月31

midoro 「深泥池』停留所から少し歩いたところに、「深泥池貴舩神社」があります。
平安の頃より「水の神様」として洛中より多くの参詣者からの信仰を集めていた貴船神社を分社したもので、節分の豆まきの発祥の地とされているそうです。
節分当日の2月3日は、夜7時半から8時半まで豆まきが行われる予定で、一般の人も参加でき、福豆が頂けます。
また、秋葉神社という火伏せの社もあり、上賀茂という土地らしく「すぐき漬け発祥の地」でもあるそうです。
境内の石碑によると、明治の廃仏毀釈によって壊された社殿の修復を村が怠ったため一帯が大火に見舞われ、その際焼け残った漬物樽の漬物を食べた村の長が「酸い茎や」と言ったのが「すぐき」に転じ、その味を再現したものが始まりなのだとか。
更に、江戸期の文人画家・池大雅はこの辺りの出身だったとして、1月30日は記念碑の序幕式が行われたようです。ごく小規模な神社ながら寄進者も多く、エピソードが豊富なんですね。
来訪の際には、深泥池沿いの道路は歩道が狭く交通量も多いので、移動は十分にご注意ください。
なお、池の畔にはよもぎ餅が美味しいおまん屋さんの「多賀良屋(075-781-1705)」もあります(※営業日時については要問い合わせ)。

« Older Entries