e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

島原・夕霧太夫の扇屋はどこ?

11月8

tayu 毎年11月の第2日曜日は「夕霧供養」が行われます。
寛永の三名妓の一人、京都・島原の「夕霧太夫」は清凉寺の付近に生まれ、その跡地には石碑が建てられています。
夕霧太夫は島原の「扇屋」に所属し、扇屋が大坂新町に移る際に伴いました。

大阪の大坂新町には、往時の大門跡や扇屋の跡地に石碑があり、また浄国寺には墓碑も建てられています。
しかしながら、京都の島原に扇屋の形跡はどこにもありません。

遊里に詳しい知人たちや、そのつてを辿ってみました。
すると、「自信あまりありませんが…」と古地図の画像を見せて下さいました。
江戸前期に成立した、遊里についての百科事典とも言える書『色道大鏡(しきどうおおかがみ)』のもの。
揚屋町の古地図で、「隅屋」の2軒南隣に「扇屋」の文字が確認できました。
もしかすると島原の扇屋は、拡張した現在の角屋の一部、もしくはそのすぐ南にあったのかもしれません。

専門知識は持ち合わせていないので想像の域を出ませんが、思わず久々に「角屋もてなしの文化美術館」の2階を予約して、角屋の周りも散策してきました。
件の古地図の箇所や角屋付近は民家等なのでここに掲載するのは控えますが、周辺には島原大門輪違屋(※通常非公開)を始め、歌舞練場跡記念碑きんせ旅館(※夜間営業。要事前確認)、島原住吉大社ご神木の大銀杏などが住宅地の中に点在しています。
ほとんど石碑のみですが新選組ともゆかりのある地域です。想像を膨らませながら、歩いてみてはいかがでしょうか。
(※画像は過去の太夫道中のものです)

平安騎馬隊に会いに行く

10月24

kasagi 時代祭を控えた数日前、時代行列を先導する平安騎馬隊の拠点がある厩舎に行ってみました。
地下鉄国際会館駅、または叡電宝ヶ池駅から徒歩10分強、宝ヶ池公園憩いの森の静かな一角にあります。

残念ながら、休憩中で馬場を歩く姿は見られず、また出張のため5頭揃っては見られませんでしたが、大きく、手入れの行き届いた毛並みの馬達には会えました。
ふと「笠置号」だけが首を出してくれましたが、しばし見つめ合ったあと、「なんだ」とでも言わんばかりに背を向けられてしまうのもまたご愛嬌。
団体でなければ見学に予約は不要ですが、馬場に出る時間は特に決まっておらず、馬たちの様子を見ながら、とのことです。

今年22歳で引退した栗毛の愛宕号(プリティスキャン)の部屋はすっかり空になっていたのは少し物寂しい気分でした。
勤続13年間のうち、葵祭を8回、時代祭で6回行列を警備してきた実績を持ち、引退後は滋賀県の牧場に引き取られるのだとか。
かろうじて「愛宕」という名札だけが残されていました。

2023年10月24日 | イベント, 神社 | No Comments »

三栖の炬火祭

10月12

misu 3連休の中日、伏見稲荷大社の「千本鳥居灯籠」を見届けたのち、中書島へ。
毎年10月の第2日曜日に斎行される三栖(みす)神社の「三栖の祭り」。
その神幸祭の行事のひとつとして行われるのが「炬火祭」(たいまつまつり)です。
駅から徒歩6分のところにある三栖会館のところには、長さ約4mはある巨大なブロッコリーのような大炬火が立てられ、例年の和太鼓に代わり、今年は祇園祭の鷹山保存会がお囃子を奏でていました。

地元の人々が見守る中、三栖神社の御旅所・金井戸神社から剣鉾や高張り提灯、炬火、神輿で構成された神幸列がやって来ます。
祇園囃子の調子が上がり、浜三栖若中(わかちゅう)の法被を着た氏子達が大勢で約1トンもの重さの大炬火をゆっくりと降ろし、大松明に火が灯され、「あ~、よいよいよ、」との掛け声と共に竹田街道を北上していきました。

直径約1.2mもある大松明はまるで「歩く火事」。
しかしながら、その激しく燃え盛る輝きは人を惹きつける神々しさがあり、氏子でなくとも吸い込まれるように後を追いたくなります。
濠川にかかる京橋上で沈火された後は、燃え尽きてばらけた葭を厄除けとして拾い、銘々の家へと帰って行きました。

三栖の炬火祭は、少なくとも元禄13年(1700)には行なわれていたそうで、京都市登録無形民俗文化財に指定されています。
外国人観光客の姿も殆ど見られない、まだまだ地域色の強いお祭。
もっといい絵が撮れるように、来年も行きたいと思いました。
動画は後程アップしますね。

コロナ禍で生まれた新しい神事

7月19

sinsen前祭宵山の間は、昨年より新たに始まった儀式「御神水交換式」を観るため神泉苑へ出向きました。

国宝の八坂神社本殿の地下には「龍穴」と呼ばれる池があるとされ、祇園祭の起源とされる869年の御霊会が行われた東寺真言宗寺院・神泉苑の池と繋がっているという伝承があることから、双方の境内の水を交換し、浄化した水を神事に使用するというもの。

神泉苑の善女龍王社の閼伽井で汲み上げた閼伽水と、 八坂神社本殿の御神水を、祝詞や加持祈祷で浄化、交換して持ち帰った水は「龍穴」に繋がる井戸に注がれ、「青龍神水」として疫病を鎮めんと、昨年から山鉾巡行や神輿渡御などでも取り入れられています。

昨年就任したばかりの八坂神社の宮司による提案で始まり、神泉苑の住職のほか東寺の執事長も参列したそうで、まさにコロナ禍で生まれた神仏習合の儀式です。

後祭でも山鉾巡行神輿の渡御は行われます。
お水が使われた場面に遭遇したら、ぜひご注目ください。

鴨川の水の神をお迎えする

7月12

omukae   毎年7月10日に行われる祇園祭神輿洗は、いつも黒山の人だかりになってしまうので、今回は少し高い場所から観てみることにしました。
ちなみに今年神輿を先導するお囃子列は、去年巡行に完全復活した鷹山です。

激しい通り雨も上がり、16時半に八阪神社の北側から出発したお迎え提灯の列は、西門前を通り、四条通りを華やかに彩りながら進んでいき、京都市役所前では子供達が鷺踊や小町踊を披露しました。

ようやく日が傾き始めた19時頃、南北に張られた斎竹(いみだけ)が揺れる四条大橋には、四条大橋を東へ戻ってきたお迎え提灯列と、八阪神社側からやって来た宮本組が出逢います。
夕暮れの川辺の景色の中に松明が立てられ、観光や買い物の客人達が行き交う雑踏に、なんとも言えない良い風情が漂い始めました。

暫くして両方の列は社の方へと引き、20時頃に今度は神輿を導きながら「宮の川」つまり鴨川の四条大橋へ。
その昔鴨川は「暴れ川」と呼ばれるほど、度々氾濫していました。
そこから疫病が蔓延するのを恐れ、鎮化を祈願し、28日には再び鴨川にお還しするのです。

複数に分けられた松明に守られながら、四若神輿会の中御座が差し上げられました。
鴨川の水が振り撒かれ、鴨川の水の神様を迎えた神輿は再び八坂のお社へと帰っていきました。

動画は後日こちらにアップしますね。

“Cha”で繋がる世界

6月6

yoshida 週末の昼下がり、ふと思い出して吉田神社へ自転車を走らせました。
京都吉田山大茶会』を久しぶりに覗いてみようと思ったのです。
黄色の横断幕が迎える石段を登り詰めると、いつもは静かな境内に所狭しと立ち並ぶお茶の屋台が見えてきました。

まずは赤い水色が目を引く韓国の五味子茶で栄養補給、和紅茶をスパイスと共に煮出したチャイをアイスでテイクアウト。
ほうじ茶と珈琲をブレンドした餡のどら焼きを片手に喉を潤していくうちに、晴天下の移動の疲れからみるみる元気になりました。

日本、中国、ベトナム、韓国、台湾、南米、ドイツ…お茶のみならず茶器や菓子、バッグ等の雑貨、お茶の木の苗木も手に入ります。
その数なんと37ブース。お客さんもお茶おたくばかり!後から興味本位で石段を登っていた外国人ファミリーは、この景色に圧倒したかもしれませんね。
お茶通でこの会の常連さんである友人達は、茶席が埋まらないうちに予約して午前中から水墨の書画体験も楽しんだようです。

ずっと雅楽のような音色が聞こえるので、吉田神社の神事と重なっているのかな、と思っていたら、更に石段を登ったところにある若宮社にて、能管とサックス、箏や笙の演奏がされていたのでした。初夏の風に乗る、気持ちの良いBGMです。
旅行で出逢ったベトナム雑貨が懐かしくなり、刺繍のバッグを自分のお土産としました。

月あかり 梅あかり

3月8

kitano 日増しに陽が長くなってきました。
まだ沈まない太陽が、空を昼から夜へと美しいグラデーションを描く薄明の時間が好きです。

見頃を迎えた北野天満宮の梅苑は、19日までの週末にライトアップが行われています。
夜間は昨年整備された「花の庭」のみの公開ですが、昼間よりは比較的人が少ないかもしれません。

お馴染みの梅こぶ茶が頂ける茶店の前に庭が広がっているので、こぼれ落ちそうなしだれ梅もゆっくり腰掛けて眺められます。
まだ白木の特設舞台に上がれば、赤、白、ピンク色の梅であふれた苑内を一望することもできます。
片側がスロープになっているので、階段が登れない人でも上がれるのではないでしょうか。

本殿の裏は更に人もまばらで、闇に溶け込む紅白の梅はもちろんですが、こちらのエリアでは社殿とやわらかな灯りの優美さの方に軍配が上がりました。

とにかく「映える」景色が撮れること間違いなし!
屋台はほぼ出ていなかったので、お食事は拝観前後に済まされることをおすすめします。

向かい風に跳ぶ

1月25

hikou 石清水八幡宮をお参りした後、ケーブルを下車してから徒歩4分ほどで、航空安全と航空事業の発展を願う飛行神社という、ユニークな神社に辿り着きます。
ギリシャ神殿のような拝殿の蒼いステンドグラスにはトビウオが羽ばたき、現在放送中の朝ドラでは、主人公が航空の専門学校を受験する際にこちらの合格守りが登場しました。

大正4年に自邸内に私財を投じて創建したのが、飛行原理を発見し「カラス型飛行器」で飛行に成功した二宮忠八氏。
人の乗れる「玉虫型飛行器」を考案するも日清戦争勃発のため出兵、軍での飛行実験も却下されてしまいました。
資金を集めながら自力で研究を進めるも、明治36年にアメリカのライト兄弟が飛行機を完成し飛行に成功した事を知り、忠八は無念の涙を流しハンマーで製作中の飛行器を壊したといいます。

時勢と国の支援不足によって大きな契機を失う。
我が国が何度も直面してきたはずの問題です。

一方、資料館前には、操縦桿を操作しながら空の走行を楽しめるシュミレーターゲーム機が。
おそらく玄人向きゲームなのでどう操作していいのか分からず何度も海へドボン。
館内はおびただしい数の飛行機やロケット、ドローンの模型や、その関連の品が待機中です。
戦時中の痛ましい記憶も例外ではありません。

飛行機があしらわれたお守りは我が子へ。
海外にルーツのあるおともだちの分も受けました。

奇しくも海外で飛行機事故が報じられた時候。
今後おともだちが祖父母に会うため空を渡るときにも、守ってくださいますように。

石清水八幡宮の小正月

1月18

8man 先日は小正月だったので、家の松飾りを外して石清水八幡宮へ納めに行くことにしました。
いつもなら氏神さんに持って行くところですが、今回は石清水八幡宮参道ケーブルに乗ることも目的の一つ。
狙い通り子供達は大喜び。太いワイヤーでゆっくりと山の傾斜を登る様を大きな窓から観るため、行き交う車両のどちらの車掌台周りもたくさんのちびっこでいっぱい。

下車後もしばらく山中を歩いたので、境内の茶店で虫養いしてからお詣り。
参拝者が携える八幡御神矢の白羽が清々しく、再びお正月気分が高揚します。
ご祈祷の度に、神楽を舞う巫女さんはくるくるくるくると忙しく回転中。お疲れさまでございます。
本殿前にも巨大な御神矢がそびえ立つのが恒例の光景、お神酒の樽群の中にはウイスキー樽も。

国宝の社殿なども見どころなのですが、境内に点在する楠木正成の楠といった大木の幹や根の荒々しい造形に心惹かれました。
注連縄が貼られた樹の肌に手をそっと手を当てていると、あちこちの樹皮の隙間に硬貨が挟まっているのに気が付きました。
参拝者が願いを込めての行為なのかもしれませんが、ご神木を人間に例えて見てみたら、なんとも痛々しい気持ちにならないでしょうか。

最後はお善哉を食べて身体を温め、厄除けの念押しとしました。
1月29日には鬼やらい神事、2月1日には湯立神事も行われます。

うさぎの宇治で年明け

12月28

manpuku 萬福寺にて『黄檗ランタンフェスティバル』が2023年の1月末まで開催されています。
訪れた時は平日の晩だったので、境内も駐車場もとても空いていました。
小籠包や綿菓子などの軽食やキラキラ小物を販売する屋台と即席の座席、日本の縁日とはひと味違うちょい派手な遊具もご愛敬。

中国風のBGMと赤、黄、紫…のカラフルなランタンに溢れた境内を回遊していると、時折色の無い光と闇だけで浮かび上がる伽藍を抜ける瞬間もあり、本来の禅宗寺院としての厳かさが際立ちます。

昼間訪れた人は「中華街みたいだった」そうですよ。
年が明けて華やかな新春風情を楽しむのもいいかもしれませんね。(動画はこちら)

さて、年末の大河ドラマ最終回で承久の乱の地の一つとして記憶に新しい「宇治」。
宇治神社には、祭神「菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)」が河内の国からこの地に向かう道中を一羽の兎が振り返りながら導いたという故事にちなんでうさぎをモチーフにした授与品があります。
世界遺産宇治上神社にも「うさぎおみくじ」があるのだとか。

朝は卯年のお参り、昼は宇治茶を楽しみ、夜は萬福寺でそぞろ歩きと、そんな新年のスタートを宇治でを切るのはいかがでしょうか。

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