e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

2021年の祇園祭は②

7月31

sinsenen
31日に八坂神社境内の疫神社での夏越祭をもって、2021年の祇園祭は締めくくられます。

後祭の7月24日。
榊を背に氏子地域を歩んだ神馬は、祇園祭発祥の地・神泉苑又旅社を経由して八坂神社へと帰還しました。

神社の石段下では、輿丁達や祇園の花街の方など、祭神を待ち侘びた人々が「ホイット、ホイット!」の掛け声と手拍子で迎えていました。
陽が落ち、榊を神輿に返して、ここから神霊を本殿に返す儀式が行われます。

時が満ちて消灯。一斎が沈黙し満月の光だけに照らされた暗闇のなか、本殿からは手招くような琵琶の音色が聴こえてきます。
誰一人言葉を発しない境内だと、水が流れる音が聞こえる事を初めて知りました。
白布の向こうでほのかな光が動き、神霊は本殿へと還られました。

世界的な疫病の流行下で、疫病退散の祭を多人数で行う事が正しいのかどうかは分かりません。
「文化を継承する」のも、「神に祈りを捧げる」のも、あくまで人間の都合だからです。
取材に際しては様々に注意を払っておりましたが、それでも人の密集が避けられない瞬間は何度かありました。
自分もその一因である事は間違いありません。

祈りを届けるために天地を繋ぐのなら、鉾と神木を立てるだけでよいところを、集めた財によって舶来品と匠の技の結晶で飾り立てた山鉾の姿は、まさに「町衆の祭」の象徴ですね。

儀式の間に感じた、暑さを感じないほど穏やかな夜風。
にわかに本殿側だけ踊っていた提灯。
藍色の空に顔を出した神々しい満月。

複雑な心境とこの清々しさを、どう捉えたらいいのだろうと、ぼんやりしながら社を後にしました。

動画はこちら(順次アップしていきます)

2021年の祇園祭は①

7月21

sakaki
前祭の宵山の鉾町を自転車でささっと一周しました。
今年もお飾りだけの居祭をする会所、完全に門戸を閉ざしているところ、予約制のところ、お供えをして粽の授与だけを行っているところなど、各町会所により様々です。
時折お囃子が聞こえるのはやはり嬉しいもの。見上げる人の顔もほころびます。

今年の粽はインターネットによる授与が推奨されていますが、買い物カートを押すご年配の方が新しい粽を下げている姿を見ると、おおむね各鉾町は人気もまばらだったので、こういう方々のためにも何カ所かは対面で対応して頂ける場所は必要かと思いました。

本来なら山鉾巡行が行われるはずだった17日。
各鉾町の代表者が裃姿で榊を手に、2日にくじ取り式で決められた順番で四条御旅所に参拝。

知人の話によると、本来ならくじ改めをしている場所で、市長と共にくじ改めもされていたそうです。
その後で長刀鉾を通りかかると、ほんの少しだけ、鉾を前後に動かしていました。
終わった後は拍手が沸き起こり、ついつい、そのまま鉾の解体に見入ってしまいました。

一方、八坂神社境内からは神輿の代わりに神籬(ひもろぎ)を乗せた白馬が四条の御旅所まで歩き、
ここから「御神霊渡御祭」として24日まで氏子地域を練り歩きます。

動画はこちら(順次アップしていきます)

鷹山の復興、2021年は

7月14

gion
翌2022年の祇園祭山鉾巡行にて曳山姿で復活を予定している鷹山の歩みは、現在どうなっているでしょうか。
シンポジウム「祇園祭・鷹山の復興~2022年の山鉾巡行に向かって~」をオンライン視聴しました。

2020年に山の前後を飾る胴懸がお披露目され、更に寄付によってイランで製作されていた胴懸もついに完成。
手織りが美しい水引や、角房飾りも完成。
木部は文化財等の修復を担う安井杢工務店が施工し、京丹波町にある加工所では菊水鉾から譲り受けた櫓や放火鉾からの石持を修理。
船鉾から寄せられた車輪は、一度分解して使えない部分を交換。
屋根と引き綱が寄贈され、この5月にはご神体や懸装品の一部も取り付けられ、山としてほぼ完成形となった姿が報道陣に公開されました。

また、鷹山の曳山が実際に鉾町の路上で辻廻しや進行ができるのかを「立命館アート・リサーチセンター」が分析してシミュレーションするといった現代ならではの先端技術が復興への歩みを加速させているようです。
鷹山復興への気運は昭和期にも上がっていたそうですが金銭面で断念、2011年に再び声が上がり「鷹山の歴史と未来を語る会」が2012年に発足してから、様々な縁が繋って目標も2026年から4年も前倒しするま。
復原、修理のために必要となる「人・・物」問題の厚い壁をなんとかクリアして来れたのは、残され護られてきたご神体に宿る神の導きもあるのではないかとつい思ってしまいます。

疫病、自然災害を鎮めたいとの切なる思いで生まれた祭。
来年の鷹山の巡行は、夢の実現以上に、とても大きな意義を持つことになりそうですね。

このシンポジウムは8月末まで試聴できます(※申し込みは8/25まで)

元祇園・梛神社と綾傘鉾

7月6

nagi
新選組ゆかりの壬生寺の近くに「元祇園」と呼ばれる梛神社があります。
貞観年間、京の悪疫退散のため祭神・牛頭天皇こと素盞嗚尊を東山の八坂に祀る前に、一旦この地の梛の森に神霊を仮祭祀したのが由来とされています。

数分で一周できてしまうような広さの境内ですが、街中なので人足は絶える事が無く、今も地元の人々の信仰を集めている事が伺えます。
祇園祭の山鉾巡行の際に、神饌を供えたという御供石が安置されており、この石がもともとあったという下京区周辺には今でも「御供石町」「長刀切町」「悪王子町」という地名が残されています。
梛の実を模したまん丸のお守りの中に願い事を書いた紙を詰めて、ご神木の梛の木に吊るさせて頂きました。

先週末は梛神社で綾傘鉾の奉納囃子があったそうで、観て来た友人が動画を見せてくれました。
綾傘鉾と壬生の人々とがどういう関係性があるのか今まで疑問に思っていたのですが、ようやくその理由が判明しました。
素盞嗚尊が八坂の郷に遷座する際に、壬生村の住人が花を飾った風流傘を立てて、棒を振り、音楽を奏でて神輿を送った事が祇園会の起源ともいわれているそうです。
これまでにも、祇園祭に際して綾傘鉾の関係者が祈祷をしてもらったり、お囃子を奉納された事があるなど、古くから結びつきがあるのですね。

地囃子や棒振り囃子が神前で披露され、観客は目前で投げられた蜘蛛の糸も浴びる事ができたようです。
軽やかで澄んだ鉦の音は穢れを吹き飛ばし、本当に浄化の効果が期待できそうです。

みやこの梅

2月17

ume
京都御苑を蛤御門から入り、南へ下がって行くと、桃林があります。
まだ桃の花は咲いていませんが、そこから更に下がると、ごくうっすらとピンク色の帯が見えてきます。
御苑の梅林は先週末(13日)の時点で3~4分咲き。中でも花をつけている木はほぼ満開でした。

梅林の東側には、白雲神社の幟が見え、毘沙門天を祀る祠をお参りしました。
音楽の神様として知られているので、音楽家の友人は定期的に訪れています。
社の裏側には、さすると怪我や病に効くという薬師石もありました。

駅から近く、行程差の少ない平坦な足元は、お年寄りや子供連れの人にも行きやすい梅の名所だと思います。
ベンチでは、読書やランチ女子会をしている人、柵越しに見える皇宮警察本部の車両を眺める男の子も。
歩くのが苦でなければ、御苑の南側から宗像神社、出水の小川と北上して、中立売休憩所で一休みするのもいいですね。

梅の香りを嗅ぐというよりは、梅の木の周りだけ1度ほど気温が暖かいような気がするのは私だけでしょうか。
白梅は枝にこぼれた雪のようで、夕陽を透かした白い花びらは、とても濃厚な香りを放っていました。
詳しい梅の品種や場所、咲き具合については、公式サイトでご確認くださいね。

2021年2月17日 | 神社, 観光スポット | 1 Comment »

伏見稲荷大社のいま。

11月18

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以前は毎回稲荷山の山頂まで登って月参りしていた伏見稲荷大社
ここ数年は代わりに地元のお稲荷さんをお参りしていました。

かつてはここに日本人がいるのか?と思うほどに外国からの訪問者が多く、千本鳥居前になると片道通行を促す横断幕や立て看板まで登場し、数珠繋ぎの行列ができていました。
先週金曜日に久々に訪れた時点では、随分人口密度が下がっていましたが、静まり返っているわけでも無く、程良い賑わいでした。

手水鉢や本殿前の鈴は使用不可となっており、屋台も営業しているお土産物屋さんも以前よりは減っていますが、土日となるとまた異なるのかもしれません。
4月1日から本殿の東側に高齢者や車椅子利用者用のエレベーターやスロープが設置され、階段を使わずに奥社奉拝所まで参拝できるようになりました。
かねてより整備されていた八島ヶ池の周りの植栽も良い塩梅に伸び、それらを眺めるように設けられた床几やテラス席のある休憩所「啼鳥菴」も、お山巡りの足を休めるのに好立地です。

ちなみに、稲荷山に点在する幾つかのお店では絵葉書が販売しており、奥村亭では切手を貼ってポストに投函する事ができます。
このポストに出された絵葉書は伏見稲荷の風景印が必ず押印されるそうですよ。

色々な変化を目にして、また新鮮なお参りとなりました。
赤くなり始めた紅葉が虹のように弧を描いていたので、今週末は朱色の千本鳥居との競演が見られるかもしれません。

京都のお宮参り

9月30

omiya
先送りにしていた子供のお宮参りのため、連休中の下鴨神社へ。
賑わいを取り戻した境内には白無垢の花嫁さんの姿もありました。

「暑さ寒さも彼岸まで」とは言い得たもので、夏の名残りの暖かな日差しで白砂は眩しく、秋風は衣装をまとった幼子にも優しく吹いています。
男の子の額には「大」の字を書き、女の子には「小」の字を書く風習があり、それぞれ「大きく力強く育つように」、「優しく育ちますように」という思いが込められています。

一緒に下げるお飾りとして、安産祈願でも知られる犬の張子は、子供の健やかな成長を願い、3歳までは子供の身代わりとなって災厄から守ってくれるそうです。
おもちゃとしても使えるでんでん太鼓は、裏表や角のない、やわらかな子に育つように。

待合にて、甥っ子の時よりも早く案内されたので、産児を抱く役の義母が羽織る着物の準備でわたわた。
それでも和気あいあいとしたチームワークで、親戚から頂いた紐扇を着物にたくさんぶら下げました。
(事前に取り付けておくのがおすすめですね)

昔は幼くして子供が亡くなる事が多かったため、生まれてから何度も子供の健やかな成長を祈る行事がたくさんありますね。
今年は混雑を避けるため、七五三のご祈祷の受付を11月に限らず幅広い期間に拡大して受け付けている神社もあると聞きます。
きっと特別な思いで挑む親御さんも多いかもしれません。
子供たちの未来が、明るいものでありますように!

2020年の祇園祭は②

7月29

sinme 31日で今年の祇園祭は幕を閉じます。
2020年の祇園祭も例外なく数々の神事が縮小や中止となり、山鉾建てや宵山の賑わい、山鉾や神輿の巡行も行われませんでした。

山鉾巡行と神輿の渡御に代わる「御神霊渡御祭」では、神霊を移した榊と神宝を持った列が氏子地域を練り歩きました。
これは、応仁の乱で多くの山鉾が焼けて復興が叶わなかった頃に、室町幕府から「神輿の修復が間に合わなければ、榊をもって代用とするように」とのお達しに基づいたものだそうです。
八坂神社の祭神は神籬に移され、それを白い神馬が運び、大政所御旅所や又旅社、神泉苑にて神事が斎行されました。
四条御旅所の前では、通りがかりの人達も手を合わせていました。
おそらく、今年は殆どの人が同じ願い事をしているのではないでしょうか。

人が殺到してはいけないので、巡行ルートは伏せられていましたが、
輿丁たは神輿を担ぐときの装束を身にまとい、肩寄せあって手拍子と「ホイット!ホイット!」の掛け声を挙げていました。
形を変えてでも、リスクを負っても神を送りたい気持ちが溢れてしまう。これもまた人の性ですね。

聖俗がせめぎ合い、疫病リスクを避けながら取材する事の難しさを考えさせられる2020年の祇園祭でした。

山鉾が巡行する理由

7月14

aya

例年なら今頃祇園祭の山鉾が建ち始め、各鉾町の会所から二階囃子が流れて来る頃なのですが、今年はそれらがありません。
「今年は祇園祭が中止で残念ね」という言葉を耳にしますが、神事は内容を縮小・変更して斎行されるので、中止ではありません。

祭神を乗せた神輿の行事は八坂神社が、煌びやかな山鉾の行事は町衆で作る山鉾連合会という全く異なる団体が担っています。
神輿は八坂神社を支える氏子地域を巡る一方、山鉾は鉾町を巡行するため鴨川より東へは進みません。

これまで、山鉾が巡行するのは、神輿が通る道を清めるためだと思っていました。おさらいしてみましょう。
神輿の「先触れ」として山鉾が巡行する目的は、美しい鉾頭と趣向を凝らした風流(歌と踊り)に惹かれて降りて来た疫神たちを集めるため。
これらと共に神輿が御旅所へと運び、神事によって鎮めた後に鴨川に流して「浪速の海」(大阪湾)で無力化してしまうのが狙いなのだそうです。

平安京での御霊会の起源については諸説ありますが、貞観 5 年(863)の春に疫病が流行して多くの命が失われ、5 月には神泉苑にて朝廷主催の御霊会が行われ、貞観 11年(869 年)には東北を大地震と大津波が襲ったといいます。
当時の都人も家に籠る事で疫病にかからないようにしていたのだとか。
驚くほど今の私達と重なる状況。今年は本来の祭の意味を振り返る夏になりそうです。
また、今年の7月17日から24日の間、四条通寺町の御旅所には、神輿に代えて榊が設置され、神様の依り代とされるそうです。
また、毎年山鉾巡行をライブ中継していたKBS京都では、同じ時間帯に巡行解説でお馴染み、民俗学者・八木透先生が登場する特別番組を放映するそうですよ。→過去の祇園祭動画はこちら

2020年7月14日 | 歴史, 神社 | No Comments »

疫病除けを願う菓子

4月21

kara
上御霊神社では、3月末に臨時の大祓式が行われました。
疫病が蔓延し、幾千もの命が奪われたという貞観5(863)年、清和天皇の時代に悪霊が鎮まるよう願って、その年の5月20日に神泉苑にて始まったとされる御霊会。
この大祓式は例年5月に行われる御霊祭の成功祈願と、新型コロナウイルスの一日も早い終息を祈願するために例外的に斎行されたものでした。

この時に奉納されたのが煎餅菓子「唐板」。応仁の乱で一時途絶えて以来、古書を頼りに、御霊会の際の疫病除けの神饌を文明9(1478)年に再現されたとされています。
上白糖と小麦粉、卵に少しの塩を含ませて練った生地を伸ばし帯状に切り分け、5枚重ねて薄い短冊型に切った焼き菓子で、現在水田玉雲堂で売っているのはなんとこの唐板だけ。
昭和初期までは御霊神社境内の藤棚のふもとで茶店を営んだり、京都府立植物園の中で珈琲等を扱うパーラーを経営していたそうで、店内には当時の写真が残されています。

唐板の独特の幾何学模様は、鉄板の上で生地が水分を吹き出したときにできたものだとか。
こじんまりとした店構えながら、疫病除けのお供えとしてだけでなく、おやつとしても茶席の干菓子としても長年愛されてきた素朴なお菓子は、お取り寄せも可能です。

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