e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

東本願寺の隠れた名所

1月22

miya初弘法をぶらっと歩き、境内のおでんの屋台で腹ごしらえした後、シェアサイクルに乗って東本願寺へ。
「京の冬の旅」キャンペーンで東本願寺の宮御殿と桜下亭(ともに重文)が特別公開されています。

京都駅から徒歩約7分という立地でありながら「オーバーツーリズム」という言葉を感じさせないほど静かで広大な境内です。
ギャラリーに入り、奥の宮御殿へ。
赤い畳縁が珍しく、襖には宮中の行事を描いた大和絵が飾られています。
嵯峨野で鳴き声の良い鈴虫や松虫を籠に入れて楽しむ「撰虫(むしえらび)」や、初子の日に若松の根を引いて占い、若菜を摘む「子日遊(ねのひのあそび)」は初めて知りました。
傾斜した築山と池の水は、実は防火のため。今でこそ水を汲んで張っていますが、かつては琵琶湖とこの地との高低差を活かして引き込んでいたのだとか。
「用と美」を兼ね備えた池泉式庭園です。

撮影できるのはここまで、「桜下亭」へ進みます。
洗練された意匠の建物。大地震から逃れて東本願寺に保護された円山応挙の襖絵「稚松(わかまつ)図」「壮竹図」「老梅図」が三室に配され、それぞれがまるで人生のステージのようです。
隠居した門主がすごした部屋は、浄土真宗における阿弥陀如来の広大な救済を記した「本願海」の軸が床の間に下がり、随所に貼られた金箔は、経年による味わいの変化も見られます。
作者は不明ですが、亭内には犬やうさぎの姿も。
数寄屋風の意匠で、機織りの筬を模した欄間はかなりモダン。釘隠しは部屋の内外で異なり、梅の花弁をがくの側から表現するなど、いずれも他では見たことの無いデザインでした。

これらの建物が公開されるのは、「京の冬の旅」において42年ぶりといいます。
何度も前を通るので知ったつもりになっていた東本願寺でしたが、まだまだ知らない部屋が隠されていたのですね。
なお、京の冬の旅期間中の毎週金曜・土曜日はインターネットからの完全事前予約制で、「僧侶がご案内する特別拝観」も利用できます。

正月の趣向あれこれ

1月14

hanabiraお茶の初稽古に行ってきました。
慌ただしく始まった日常の世界から、釜の湯気が立ち昇る非日常の世界へ。

朱に蒔絵のおめでたい盃で、みんなでお屠蘇をいただきました。
重ねてある盃は一番下から取り、重ねたままの残りの盃を次の人に回します。
「悪鬼を『屠』り、死者を『蘇』らせる」という意味の生薬をお酒やみりんに入れて厄払い。

掛け軸には、それぞれ鼓と扇子を手にした男が楽しげに舞っていました。
新年に烏帽子姿で家の前に立ち、祝いの言葉を述べながら鼓を打つ者を「万歳」と呼び、これが漫才の由来とも言われているとか。
だからお正月に漫才の特番をやってるのか!!

結び柳は命の循環を現すそうです。
来年も再び健やかに集えるように願って、床の間に長く垂らすことが喜ばれます。
「いつも通り」でいられることの有り難さを、この数年は特に感じますね。

二條駿河屋の花びら餅はとってもやわらかくて、うっかり取り箸の跡が付いてしまうほど。
「茶席でいただく宮中のお雑煮」ですね。
菓子器もお正月の趣向で、独楽のような渦巻模様でした。

まもなく小正月ですね。
日本には気持ちを新たにリセットする風習がいっぱい。
この日の行事食べ物も参考にしてみてくださいね。

集い、分かち合う喜び

1月6

youkan年始に集まった親族同士で行き交う「お年賀」。
遠方から来た人達には、京都ゆかりのものを贈りたいと、二條駿河屋進物用の松露を。
粒あんをくるんだ白い糖蜜がジューシーな食感の乳白色の松露が行儀よく並び、その上に散らされた干菓子が季節の彩を添えています。
大福茶のお供に、実家で頂きました。

自宅に帰り、実家からのお年賀だった長久堂の「栗蒸羊羹  山の幸」の竹皮を解きます。
もっちりとした羊羹に包まれた、甘すぎず歯応えを残した栗の甘煮。
家族分に切り分けると、その鮮やかな黄色と摺りガラスのような餡に思わず「断面萌え」。

いずれもお茶によく合い、家族や親族でわいわいと分け合って楽しめる銘菓です。

同じく人から人へと巡るのが「お年玉」。
年神様の「御魂」(みたま)が宿った餅玉を、家長が家族に「御年魂」として分け与えたものが始まりとされています。

大きい子が小さい子の面倒を見たり、大人と子供が一緒にカードゲームをしたり、
自分がお茶をお代わりする時は、他の人の分も注ぐ。
お年寄りが歩くときには誰かが手を取り、座る時には座椅子を運んで来る。
幼い子がいること、老いた人がいること、みんなで同じ時間を共有するための段取り。

それらを自然と学ぶ場になっているような気がします。
お年玉もお年賀も準備をするのは手間のかかることだけれども、老いも若きも集い、同じものと時間を分け合うことの意味を年々感じるお正月です。

2025年1月06日 | お店, グルメ, 歴史 | No Comments »

背伸びして「ほんもの」に触れる

12月17

2 色とりどりの紅葉が風に吹かれてひとつにまとまった風情を写しとった干菓子『吹き寄せ』。
様々な菓子屋で見かけますが、亀屋伊織さんのそれは憧れでした。
意匠の美しさだけでなく、生砂糖、打ち物、片栗、有平、州浜など様々な素材と製法で表現したところが和菓子の極みと言えます。
400年も干菓子一筋の老舗であり、店内にはショーケースもありません。予約して伺います。
良い意味で、客側の品格も問われるような風格に、心地よく背筋が伸びました。

上菓子に見合うそれなりの器でなくては、と思っていた矢先に朗報が。
祇園・古門前にあるビルの細い階段を上り、予約していた『骨董 水妖』の中へ。
店主の古美術愛に溢れたSNSを楽しく拝見しているうちに、セール情報が流れて来たのです。
千家十職のひとつ、飛来一閑。しかも十一代という約200年前の四方盆が骨董素人の自分にも手の届くお値段に!
びっくりするほど軽く、シンプルなので何を載せても添ってくれそうです。
「使ううちに傷が入ったとしても、塗り直せばいいのよ。気軽に使える最高級品なの」

立礼でお茶とお菓子のおもてなしを受け、その菓子皿も手の平に収まる茶器も素敵なものばかり。
まだ10月の爽やかな風が入ってくる店内には店主が愛してやまない池大雅の軸がかかり、話に花が咲きました。

オンラインショップでポイ活しながら何でもすぐに手に入る有難い世の中ですが、自身の仕事に対する愛が感じられるお店でお買い物するのはお値段以上の充足感があります。

さて、先月の野点で色鮮やかな吹き寄せを盛る前の四方盆を、お客のお茶人さんは手に取ってすぐ、はっとしたように裏を返し、「飛」の文字を確認されたのでした。
さすが、日々茶道具に触れている人には違いが分かるのかと感じ入った瞬間です。

勿体無くて食べ切らなかった分は丁寧に懐紙で包み、翌日のお稽古に出して野点の思い出話を皆さんと共有されたそうです。
黒い四方盆に映える栗、楓、銀杏、松葉、松ぼっくり、きのこ。自宅でも子供達が目を輝かせていました。

季節の移ろいを楽しむ。子供達にも何か伝わるものがあることを願います。

菓子と源氏で数寄あそび

11月13

kasi有斐斎 弘道館」と「旧三井家下鴨別邸」にて15日まで京菓子展が開かれています。今年のテーマはやはり「源氏物語」。

和菓子店でも茶会でも出逢えないような創作を凝らした菓子たちは、撮影もSNSへの掲載も可能です。
3つも賞を受けられた海外作家の作品は、自らの舌でその食感を試したい欲に掻き立てられました。
個人的に最も目に焼き付いたのが、第三十五帖「若菜下」から着想を得た「哀焔」。
形そのものは、「黄味しぐれ」を連想させますが、真っ黒な墨色の塊の中からマグマのように真っ赤なあんがその身を内側からうち破らんとしています。
まるで怨念でその心身を自ら蝕んでしまった六条御息所を思わずにはいられない。
さて、こんな意味深な菓子を誰に送りつけましょうかね?

選抜作品の中から、自分で選んだものを呈茶席でいただくことができます。
「あなたの前にあるその黒い茶碗は、俳優の佐藤健さんが飲まれたものなんですよ。」
有職菓子御調進所 老松」のご主人の軽妙な語り口からは、源氏物語に始まり、弘道館のしつらいや催しのこと、近隣の名所のこと、この茶室を訪れた著名人のエピソードまで話題が次から次へと飛び出してきます。
現代の数寄者として古典を楽しもうという意欲に溢れておられ、茶道経験のない人でもきっと楽しめるのではないでしょうか。

呈茶菓子は公式サイトで確認できますが、人気のものは売り切れることもあるので、午前中の静かな間に入られることをおすすめします。

茶を点てすぎて死ぬ

11月6

yori

連休中に放映された大河ドラマ『光る君へ』で、平等院鳳凰堂が紹介されました。
平等院ゆかりの能の演目に『頼政』、狂言に『通圓』があります 。
画像は、平等院境内にある境内にある頼政の墓地。同じくゆかりの「扇の芝」は、観音堂の保存修理に伴い立ち入りできなくなっているので、ご注意ください。

後者の狂言は『頼政』のパロディだそうで、
頼政』の方では宇治の戦いで平家軍300人が平等院に押し寄せ、源頼政は自刃する悲劇がモチーフになっていますが、
通圓』 では、客人300人が押し寄せ、茶屋坊主の通圓はお茶を点て過ぎて「点て死に」した話なのだそうです。

「点て死に」なんてパワーワードは初めて聞きました。
恐るべし、京の茶処・宇治

夜の平等院鳳凰堂

10月22

byo先日、夜の平等院鳳凰堂の前で能楽の特別公演がありました。
夕方の宇治川周辺の観光施設も門戸を閉じ、昼間の喧騒も落ち着いたころの、夢うつつような風情もまたいいものです。

境内の茶房「藤花」で限定菓子「紫雲」と水出しの煎茶、お薄を頂きました。
さすが宇治は茶処、どれも美味しい。

「スーパームーン」前夜の演目は半能「頼政」と狂言「口真似」、能「羽衣 盤渉」。
「頼政」は、平安末期、宇治の合戦で平家軍が平等院に押し寄せ、自刃した源頼政の『平家物語』を題材とした演目です。
頼政の能面はこの曲だけに用いられる特殊なもの。年老い枯れながらも情念を感じさせる表情、窪んだ眼はライトの光を捉えて凄みがありました。

境内には頼政が自ら命を絶ったとされる跡「扇の芝」や、「源頼政の墓地」があります。

「羽衣」では、天女が羽衣を羽織った瞬間、平等院の屋根の鳳凰を背後に衣装の背一面に白い鳳凰の刺繍が現れ、思わずため息が洩れました。
正面からは両翼の羽が折り重なるような意匠となっており、装束展で観たときには気付かなかった新たな発見でした。

まさに天女が舞い上がろうという場面の直前、一羽の鳥が声をあげて飛び立ち、朧月夜だった空はいつしかすっかり晴れて月が青白い光を放っていました。

夜の平等院は特別拝観などの催しがあるときだけ入ることができます。
暗闇を進む砂利の音、虫の声、そして創建以来ずっとここに佇む鳳凰堂と水鏡。
きっと、忘れられない一夜となりますよ。

漢字は、神と交信することば。

10月16

kanjiおもちゃで釣られ「漢字検定受ける!」と言い出した子供のモチベーションアップになればと、祇園の「漢検 漢字博物館・図書館漢字ミュージアム」にお友達親子と初潜入。
小中高生と同伴の大人は入館料が割引になりました。

学校で漢字を習い始めたばかりの小学一年生らは、壁一面の漢字の歴史年表はそっちのけで、早速「万葉仮名スタンプ」で自分の名前を押すのに大人に混じって夢中になっていました。

スタンプの次に夢中になっていたのは、目の前を泳ぐ魚の漢字表記を当てる「漢字回転すし」。巨大なアガリの湯呑みに入って撮影タイム。
漢字にまつわる図書に触れられる図書室もありました。
ワークショップも企画されているので、ぜひ事前チェックをおすすめします。

まだ文字も書けない年長の子も、漢字クイズになっている引き出しを開閉したり、マグネットを貼ったり、それなりに楽しんでいるようでした。
最も古い漢字「甲骨文字」は、占いで神と交信するために生まれたのですね。

活字マニアのお子さんを持つママさんから、ミュージアムの一角に置いてある「『漢検ジャーナル』に、過去の出題問題が一部連載されてるんですよ」と教えてもらい、かき集めるように持って帰りました。

親子共に初めての漢検学習に、最初はなかなか難儀しましたが、今では読み書きできる字も増え、すっかり漢字の虜に。
試験日を待たずして、次の級のテキストも所望されています。
もうすぐ検定本番。今まで頑張ったから、楽しめるといいね。

子供とめぐる祇園

10月7

gion京都で子供が楽しめる場所と言えば、京都鉄道博物館京都水族館などの梅小路公園界隈や、大宮交通公園
歴史を学び始めた小学校高学年なら、あちこちに「本物」の歴史スポットがあります。では小学生低学年ならどこに。

今回は「漢検 漢字博物館・図書館 漢字ミュージアム」を目的にしました。
必須は周辺のランチ、休憩どころ。
(ミュージアム1階にもカフェ「倭楽」が併設されていますのでご安心を)

祇園は、花街の風情を求めて国内外からの観光客で四条通りは肩がぶつかりそうになるほどの密度になります。
混雑を差し引いても、小さな子連れだとそうあちこちは歩き回れません。
観光スポットは午前と午後に1箇所ずつに絞り、体力次第でその周辺に足を延ばすことになります。

候補になるのは、いずれも四条通りからそう離れていないお店。
祇園の定番「壹錢洋食」(予約可)に鍵善良房の名物「くずきり」(予約不可)、だしのきいたカレーうどんが美味しい「京都祇園 おかる」(予約不可)、「ぎおん石」の2階には昭和レトロを楽しめる喫茶室、3階には蕎麦屋もあります(各予約可)。
ちなみに、八坂神社参拝ついでに「厄除ぜんざい」が食べられる「喫茶栴檀」は、コロナ禍を機にお店を閉められてしまったようで残念です。

まだ紅葉シーズン手前だったので、混み具合もまだましでした。
10月の子連れ京都観光、おすすめです。
「漢字ミュージアム」等のレポートはまた後日。

子供たちからは「亀石を渡りたい」とのリクエスト。
出町柳の三角州で遊びたいようです。次回はその周辺でプランを考えるね。

様々な家族が巣立ち、帰る「旧大野木家住宅」

10月2

geihin山科にある国の登録有形文化財「京都洛東迎賓館旧大野木家住宅)」が9月末で閉館しました。

山科の出身で、サンフランシスコ講和条約の全権委員代理や吉田茂内閣での国務大臣を務めた大野木秀次郎によって昭和初期建てられ、国内外の賓客をもてなした迎賓館として、当時の職人技を尽くして造られた屋敷には、書や掛け軸等の文化財がそのまま展示されていました。
吉田茂の手紙や堂本印象の掛け軸など、調度の詳細は公式サイト内のPDFにご紹介されています。

1000坪もの敷地には建物を挟んで、池泉回遊式の日本庭園と芝生の二つの庭園があり、和装ウェディングにも洋装のガーデンパーティーにも対応したレストラン兼一日一組限定の結婚式場として21年間営業してこられたそうです。

コロナ禍でウェディング需要は減っても、時代と共に少子化が進んでも、庭の手入れを怠るわけにはいかなかったことでしょう。
応援の気持ちで来店して以来、名残を惜しむべく、家族で食事に行きました。

両側に庭園の緑を眺めながら、京都由来の素材を活かし和だしをきかせた創作コース料理を楽しんでいるのは、おそらくここで挙式をしたと思われる夫婦連れや、同窓会のグループ。
食事の後には思い出に浸りながら庭を散策し、初めて会った子供たち同士で植栽豊かな庭を駆け回ったりと、和やかな時間が変わらず流れていました。

これらの建物のその後は未定だそうですが、保存を条件にいずれは次のオーナーに受け継がれるとのことです。
どうか、貴重な空間が失われたり改悪されることなく、良い方向で残ってくれることを願います。

こちらの画像は、後日Facebookにも共有しますね。

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