e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

京都の教会と寺院

11月8

kyokai秋の非公開文化財特別拝観」が終了する前に滑り込んで来ました。
絞った目的地は、京都ハリストス正教会瑞泉寺。教会と寺院のハシゴです。
今回は珍しく京都ハリストス正教会という教会建築が紹介され、平日でも黒山の人だかり。漆喰の壁に七宝の十字架など、寺院とはまた違う色遣いの和洋折衷な宗教空間です。
山下りんという日本人最初のイコン(聖像)画家の存在も初めて知りました。
高瀬舟と豊臣秀次に因んだ名前を冠する慈舟山瑞泉寺では、秀次に続いて処刑された女子供達の名前や年齢を記した肖像画や、処刑された順序や配置を記録した生々しい資料が展示され、中でも、辞世の句を当時来ていた小袖で表具した掛け軸には衝撃を受けました。
また、高瀬舟を整備し秀次以下を弔うために瑞泉寺を創設した角倉了以の、実弟が秀次の家臣だったという秘められた史実も新たな発見でした。
前者は布教のため、後者は弔いのために、その時勢に合せて造られた宗教空間です。
いずれも目的は異なりますが、手を合せる対象があり、その周りで静かに輝きをたたえる彫金装飾など、祈りを捧げる人々に対して、どの様な空間が求められてきたのかという共通点も見られた気がしました。

『祇園祭・犬神人の「武具飾」

7月25

bugu 快晴下で後祭巡行や花傘巡行が行なわれ、祭神も八坂神社へと帰還し、残る祇園祭の行事もあと僅かとなりました。
毎年一度しかない祇園祭で、今年こそ見てみたいと思っていたのが、「武具飾」(16、17日)でした。
1974年まで、祇園祭の神幸祭・還幸祭には中御座の警護役として、弓矢町の町人による武者行列が参列していたといい、当時の甲冑が東山区弓矢町の松原通に面した商店や民家の軒先で展示されているというもの。
そもそも、弓矢町内には、「犬神人(いぬじにん)」と呼ばれ、神社領の清掃や警護、雑役を務めていた人々が近世になって移り住み、ここで神事や魔除けに使われる弓矢や弦走り(つるばしり。※鎧の胴体の正面部分)、僧の帽子などの皮製品を作って行商していたそう。
神輿を警護する犬神人の姿は、「洛中洛外図屏風」(上杉本)にも描かれているとい
うのです。
町会所の「弓箭閣(きゅうせんかく)」にも、多くの鎧兜や武具が蔵出しされ、古地図や武者行列を収めた古い写真に囲まれていました。
これまでにも甲冑の愛好家等から武者行列を復活させないかという声が何度か来ているそうですが、
「もともとは虫干しを兼ねて町内だけでやってたさかい、大ごとになって人がようけ来たら、対応できひん」と、何とも京都人的な発言。
観光イベントとしても大いに魅力的ですが、夏の盛りにこれらの重い武具14領を蔵から出し入れし、一領ずつを10カ所にしかるべき手順で飾るのは、高齢化が進む町内には体力的にも経済的にも負担がかかる事は目に見えています。
江戸時代からの「文化財級」とも言われるその甲冑は、行列を終える度に岐阜から専門の職人がメンテナンスに来るほど、大切に伝えられてきました。
博物館での保存も薦められるものの断り、町内の宝として自分達で守っていきたいという葛藤もみられます。
来年もまた、こうしてひっそりと行なわれるのでしょうか。

豊園泉正寺榊の粽

7月19

sakaki 皆さんは、祇園祭の粽を買うとき、どこのものを選びますか?
たまたま通りかかった山鉾町の粽、個人的に馴染みがあったり応援したいと思う山鉾町の粽、ご利益やデザインで選んだ粽、登りたい鉾で入場料代わりに、という人もいることでしょう。
今年の前祭は、宵山の16日のみ授与される「豊園泉正寺榊」という、ちょっと珍しい粽を受ける事にしました。
山のご神木や鉾の先端のように、祇園祭の祭神を載せる3基の神輿にも、それぞれ神を迎える「よりしろ」となる榊台が立てられていたといい、この泉正寺に伝わる中御座の榊台だけが今も静かに受け継がれています。
山鉾巡行の後の夕刻、神幸祭では中御座を迎えに行き、神霊を合一して、共に氏子地域を巡ります。
きれいに巻き込まれた華奢な粽は、まるで扇の中啓のような風格が漂います。
茅の輪が変化し、家の戸口に飾られるようになった粽はお守りのような存在ですが、同時に、それを伝えてきた地域を応援するための募金の形だとも言えますね。
今年は後祭りの宵山も巡行も週末と重なっています。前祭に行けなかった人も、ぜひ。

2016年7月19日 | 歴史, 神社 | No Comments »

京に眠る遺跡パワー

6月28

saiji  京都を何度も訪れている人でも、新幹線の窓から東寺の五重塔が迫って来ると、毎回気分が高揚するといいます。
平安京の時代、羅城門を挟んで東寺と対称に位置していた西寺があり、空海が真言密教の道場として発展させ、今や世界遺産となった東寺に対して、守敏が鎮護国家の官寺として発展した西寺は、度重なる火災と国政の衰微を経て廃れてしまいました。
その跡地に降り立ってみると、予想通り、西寺跡石碑や復元整備された礎石や案内板のみとなっており、芝生の小さな丘の上で野球に興じる少年達が歓声を響かせていました。
平安京に関する書物を読み、存分に想像力を働かせてこそ楽しめるのは言うまでもありませんが、西寺の台所であった大炊殿跡に中華料理屋が建っているのがご愛嬌。この前身のお店も料理屋さんだったそう。
西寺児童公園の北側にある鎌達稲荷神社は、伏見稲荷大社よりも歴史が深く「元稲荷」とも呼ばれ、平安期の陰陽師・安倍晴明の子孫である安倍家、土御門家の鎮守社なのだそうです。ここのサムハラ呪符は奇蹟を生むお守りなのだとか。
ちなみに、2013年には京都府八幡市美濃山の「美濃山瓦窯跡群」で、西寺跡周辺で発見された瓦と同じ「西寺」の押印がある瓦が1点出土したというニュースもありました。
現存する木造塔として最高の東寺の五重塔。同規模だったとされる西寺にも立派な塔が建っていた可能性も考えられます。
いつの世も、あらゆる国で、そびえ立つ塔は人の心を惹きつけてやみません。
国の災いを引き受け、姿形は失われてもなお、人の足を運ばせてしまう遺構の数々
京の土の下からはまだ、何らかのパワーが秘められているのでしょうね。

お神酒シャーベット

10月26

omiki 今年の時代祭は平日の斎行だったため、観に来れなかった人も多かったかもしれませんね。
しかし来年は土曜日なので、鞍馬の火祭と併せて今から宿泊先を押さえているという人もいるでしょう。
時代祭ゆかりの話題という事で、平安神宮オリジナルのお神酒「橘酒」(商品画像は、Facebook版e-kyotoをご覧下さい。)。
非常に飲みやすいのですが、まるでデザートワインかと思う程にとっても甘~いお酒。
そこで別の器に移して冷蔵庫で凍らせ、シャーベット状にして食後のデザートにしてみたら…狙い通り!
冷やす事で甘さが抑えられ、シャリシャリした食感が口直しにぴったり。好評でした。
もともと農耕民族である日本人の主食・お米から造られるお酒や餅は、神前にお供えする神饌の中でも、特に重要なもの。
神事の後には必ず直会(なおらい)という儀式があり、神様に供えられた御神酒をお下がりとして戴くことで神様から力を頂いたり、神様と人、また人と人を結びつけてきました。
お神酒シャーベットなら、洋食フルコースの食後酒にも応用できそう。これも「神人共食」か!?

心を立体的に表現する水引

10月19

oosima 親戚の結婚を控え、祝儀袋を買いに「大嶋雁金屋」を訪れました。
普段ならデパートや文具店、コンビニでも気軽に求められる物のですが、昔から室町の呉服屋さんご用達の老舗と聞いて、どんな所だろうと好奇心が湧いたためです。
小笠原家から直伝の折型を守る老舗、となると敷居が高いのでは、との心配は無用でした。
ショーウインドーには、職人さんがお遊びで作ったと思われる水引製の、スポーツ選手の人形達が展示されていました。隣にはマジメに作った、こぼれんばかりの梅や松を載せた水引の宝船。お店の方も自然体で、筆耕もお願いしました。
改まった形で結婚祝いをお金で贈る場合は、新郎宛の目録には「松魚(しょうぎょ)」、新婦宛には「五福」と書くそうで、後で調べてみると、それぞれ肴と呉服を表しているそうです。
なお、京都では、お祝いの品を持っていくのは正式には結婚式当日ではなく「大安の日の午前中」と決まっていて、その日のために準備した目録や祝儀袋、袱紗等を並べるとなかなか壮観です。
店内には、立派な光沢を放つ華やかな祝儀袋もあれば、キューピー人形の付いた、ちょっと砕けた楽しい出産祝いの祝儀袋も並べられています。もちろん、どの水引飾りも職人さんの手作業によるもの。
色とりどりの水引の輪っかを自分の飲み物の容器に掛けて目印にできる、ボトルマーカーとしての珍しい商品もありました。
縦に細長い紅白の水引は、マンション住まいの人でも扉に下げるお正月飾りになるかと思い、少々気が早いけれど購入することに。
掛け紙に印刷された水引も一般的になってしまった現代ですが、心を形で表した立体感もまだまだ大切にしていきたいですね。

「法」の送り火

8月17

hou 今年は「法」の送り火を観る事にしました。
北山通りの混雑を避けて一筋北の小道をひたすら東へ自転車を走らせます。それでも多くのご近所さんがたくさんの家族親族を伴って歩いていました。
「法」の字のふもとに「松ヶ崎大黒天」と呼ばれる妙円寺があるので、その付近から眺めようかと出発したのですが、住宅で火床が見えなくなるぎりぎりの所でたまたま目に入った脇道に入り、アパートや家々に挟まれた駐車場に停める事にしました。
ちなみに、妙円寺では送り火前日に甲子前夜祭が、当日には甲子祭が行なわれていたようです。そして送り火翌日には、焚き上げられた護摩木の消し炭を厄除けのお守りとして拾いに来る人々のために、普段は入山できない松ヶ崎山を開放しています。
また隣の涌泉寺では、日本最古の盆踊りと言われる「松ヶ崎の題目踊り」が行なわれる事でも知られています。
既に来ていた何人かおじさんや学生さん達が世間話をしながら点火の瞬間を待つ中、周囲の関係者や他の送り火保存会との交信でしょうか、時折ちかちかと灯りが放たれています。
そのうちに山の方から太鼓を打ちならす音や、「5分前です」と保存会員へのアナウンスが聞こえてきました。
点火時刻の1分前になっても一向に真っ暗なままの山肌を見ながら周囲の人々が「雨降ったさかい、親火湿ってちゃんと火いつくんかいな」と心配するのも束の間。
いきなり一斉に火が灯り、あっというまに「法」の字が浮かび上がりました。
辺りの空気をも赤く染める一つ一つの大きな火柱の横に白い人影が毅然と立ち、京の街並みを見据えています。
昨年の送り火当日もひどい集中豪雨でしたが、どんな天候であっても、還っていくお精霊の為に、燃え盛る炎であの世への道筋をつける誇り。
この「いつも通りに」が何百年も前から積み重ねられてきました。
京都では、五山の送り火を境に、「暑中見舞い」が「残暑見舞い」に切り替わります。

宵山能

7月29

benkei 能楽堂嘉祥閣で初めて「宵山能」が開かれ、開場前から長蛇の列を成していました。
祇園祭の山鉾には能を題材としたものが多く、その一つとして記念すべき初回に選ばれたのは、後祭の山鉾巡行で先頭を歩く橋弁慶山の「橋弁慶」です。
「半能」と言う事で、話のクライマックスの部分のみを能で演じ、それまでのあらすじは能楽師・井上裕久さんが鍛え抜かれた声で面白おかしく軽快に解説をして下さいました。
独特の声調記号の付いた謡本を見ながら、子供からお年寄りまで、観客が一緒になって謡ってみるのも初めての体験でした。
「橋弁慶」では、大人が弁慶を、子供が牛若丸の役を演じます。橋掛かリを五条大橋に見立てて対峙する双方それぞれが凛々しく、優雅で美しい立ち回りでした。
大筋は同じですが、文部省唱歌として唄われる「牛若丸」では、悪さをするのが弁慶で、謡曲では牛若丸と逆になっているのが不思議です。
今では小学校でも「牛若丸」を歌わなくなってきているそうですが、「桃太郎」と聞けば鬼退治を、「ロミオとジュリエット」と聞けばバルコニーの場面を思い出す様に、一昔前の人々にとって祇園祭の山鉾は、誰もが知っているお決まりの場面を表現したものであり、能もまた、もっと人々の生活に溶け込んだ身近な存在であったのでしょう。
終演後は、その足で後祭宵山の橋弁慶山を観に行きました。
来年度の「宵山能」のテーマは、能でよく謡われる石清水八幡宮に関連した「八幡山」だそうです。

「新○○通」

6月16

「新烏丸通」を知っていますか?京都御苑の東南角辺りを見れば分かりやすいでしょうか、河原町通と寺町通の間を走る南北の通りです。
比較的新しい通りかと思いきや、実は江戸期から見られる通りらしいのです。
地図に落とした視線を、そこから少し東南に移動させ、二条通を南下すると、「新丸太町通」があり、その東には「新麩屋町通」「新富小路通」…。と続きます。
丸太町通りって確か東西に延びる道のはず…「新」って何!?
時代を遡ること1708年、油小路通姉小路下がる西側、宗林町の銭屋市兵衛の家から出火した「宝永の大火」。
風に煽られ、翌日の夕方まで燃え続いた炎は京都中心部を焼き尽くし、禁裏御所は全焼、下加茂の河合社をも炎上させてしまいました。
徳川幕府は皇宮地の復興や拡張のため、御所近辺の寺院や町家を、強制的に立ち退かせます。
丸太町以北、寺町通りから烏丸通りまでの多くの町々が、河東二条川の頂妙門前一帯に移住を命じられ、旧地の通り名や、町名に「新」を冠して開町していったのが、これらの通り名の由来のようです。
丸竹夷に留まらない、奥深い京都の町。
知れば知るほど、知らない事が出てきますね。

2015年6月16日 | 未分類, 歴史 | No Comments »

下御霊さんのお祭

5月26

simo 週末に、春の夜風を受けながら御所に沿って歩いていると、歩行者天国になっている一角がありました。
人の賑わいの中では、赤い鳥居が灯りに照らされています。
「そや、今日は下御霊さんのお祭や。」
一年365日じゅう、どこかしらで神事や催しが行われている京都では、この様に祭に遭遇する事もしばしば。
吸い込まれるように鳥居の奥へと入っていきます。
境内は地元の夏祭りの風情で、子供達もTシャツや浴衣姿ですっかり夏の装いでした。
縁日は、沢ガニ釣りや輪投げ、木製のピンボールなど、今では余り見かけなくなった「ベタに懐かしい」ものばかり。
しかしながらテレビゲームやタブレット端末に親しんでいる現代っ子には、むしろ新鮮に映ったかもしれません。
射撃にチャレンジしてみましたが、命中はするものの、軽いコルクの玉は景品を打ち落とさずに跳ね返ってしまいました。
広さはそう大きくない神社ですが、提灯に囲まれて真ん中に鎮座している神輿は荘厳で風格を感じさせるものばかり。
政治抗争の中で無念の死を遂げた貴人達の怨霊を鎮めるための神社である事が、菊や桐を象った装飾品からも頷けます。
ここを通りがかったのも何かの縁と思い、本殿でお祈りとお賽銭をして神社を後にしました。

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