e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

様々な家族が巣立ち、帰る「旧大野木家住宅」

10月2

geihin山科にある国の登録有形文化財「京都洛東迎賓館(旧大野木家住宅)」が9月末で閉館しました。

山科の出身で、サンフランシスコ講和条約の全権委員代理や吉田茂内閣での国務大臣を務めた大野木秀次郎によって昭和初期建てられ、国内外の賓客をもてなした迎賓館として、当時の職人技を尽くして造られた屋敷には、書や掛け軸等の文化財がそのまま展示されていました。
吉田茂の手紙や堂本印象の掛け軸など、調度の詳細は公式サイト内のPDFにご紹介されています。

1000坪もの敷地には建物を挟んで、池泉回遊式の日本庭園と芝生の二つの庭園があり、和装ウェディングにも洋装のガーデンパーティーにも対応したレストラン兼一日一組限定の結婚式場として21年間営業してこられたそうです。

コロナ禍でウェディング需要は減っても、時代と共に少子化が進んでも、庭の手入れを怠るわけにはいかなかったことでしょう。
応援の気持ちで来店して以来、名残を惜しむべく、家族で食事に行きました。

両側に庭園の緑を眺めながら、京都由来の素材を活かし和だしをきかせた創作コース料理を楽しんでいるのは、おそらくここで挙式をしたと思われる夫婦連れや、同窓会のグループ。
食事の後には思い出に浸りながら庭を散策し、初めて会った子供たち同士で植栽豊かな庭を駆け回ったりと、和やかな時間が変わらず流れていました。

これらの建物のその後は未定だそうですが、保存を条件にいずれは次のオーナーに受け継がれるとのことです。
どうか、貴重な空間が失われたり改悪されることなく、良い方向で残ってくれることを願います。

こちらの画像は、後日Facebookにも共有しますね。

二条城 蘇った本丸御殿の清々しさ

9月4

honmaru 世界遺産・二条城本丸御殿がこの9月1日より事前予約制で観覧できることになりました。
平成7年の阪神・淡路大震災により建物に歪みが生じ、平成29年から耐震補強工事と障壁画の修理が進められていたので、ようやくの拝観再開ですね。

撮影は不可となっており、各自ロッカーに荷物を預けて待合に入ります。
本丸御殿についての8分間の美しいビデオが見ものです。
その後、銘々に順路を巡りながら見学していくのですが、歩く度に新しいい草の香りが足元から立ち上ってきました。

現在の本丸御殿はかつて京都御所の北にあった桂宮家の御殿が前身で、明治17(1884)年に二条城が皇室の離宮となって以後に移築され、明治天皇の行幸や、皇太子時代の大正天皇、昭和天皇も宿泊所として使用されました。

新しく整えられたところは唐紙が角度を変えて淡い光を放ち、従来の貴重な建材も再びその歴史の厚みを支えています。
豪華で美しい城や離宮は世界各地にもありますが、日本建築はそのシンプルさゆえに清潔感が清浄な空気感を纏わせているような気がします。
無地の襖も多くみられたので、いつかは現代の作家が次の100年を彩る作品で埋めることもあるかもしれませんね。

今のところ解説のガイド要員は置かれていないので、パンフレットを手に見学することになりますが、今後は修理に関わる職人の技などの舞台裏の話題が聞けるような、公式ガイドツアーが追加されることに期待したいですね。

拝観の所要時間の目安は30分程です。
入城してから本丸御殿に辿り着くまで徒歩15~20分程度かかるのでご注意を。
本丸御殿に早めに着いても、周辺には明治天皇が詳細に指示して作らせたという庭園を巡ったり天守閣跡に登ったり、清流園を臨む和樂庵でアイスコーヒーやかき氷を楽しんだりして待つのも楽しいですよ。

入城料もネットで事前購入しておくのがスムーズに入れておすすめです。

「京都の定番」をおさらい

8月28

100 今、五木寛之著『百寺巡礼 第三巻 京都Ⅰ』を読んでいるところです。
これは2003年に発刊された有名な書籍で、京都編の前半にあたりますが、紹介している寺院は金閣寺銀閣寺清水寺東寺など、いわゆる「京都観光の定番」とも言われるところばかり。

それらの「有名寺院」を自分が知り尽くしたとは思っていませんが、余りに有名、余りに人気があり過ぎて、かえって足が遠のいてしまう時があります。けれど、国内外からやってくる人々が目指すのはやはりこういう場所。
ガイドブックとは異なる表現に触れてみたくて手に取りました。

休筆中に五年余り京都の聖護院に暮らしたものの寺社を拝観することなく、二十年程経って京都の寺々を巡ったという作家・五木寛之氏。
様々な作家の言葉も引用し、龍谷大学で学んだ経験や自らの人生観も織り交ぜながら、それぞれの寺院についての考察を深めています。

令和の今や動画投稿サイトで実況を観て拝観の疑似体験することもできますが、こちらは、まるで共に歩いているように想像を膨らませながら読み進める楽しみがあります。
その臨場感ある描写と取材力を前に、時折自分の物書きとしての語彙力の無さも恥じながら、ひと寺ごとに新たな発見をさせてもらっています。

これらの「有名寺院」を一括りにせず、もっと踏み込み問いかけるような話題として来訪者に提供できるよう、この本を手もとに置いておきたくなりました。

送り火を観た子供の感想

8月19

okuribi 夏バテか、今年の送り火は自宅でテレビ中継を観ました。

五山の送り火は何度も家族で観に行っていますが、テレビ画面で大きく拡大して眺めたのは子供達にとって初めての事でした。

「きれーい」という歓声は想定内でしたが、小学1年生の息子には
「かわいい~」のだそうです。

気がつくと、隣で紙切れにたくさんの炎の点々を熱心に打っていました。
「ぼくは鳥居が1番好き」。
「みょうほうって漢字はどう書くの?」
「書き順はこんな感じかな~これで分かる?」
まだ難しい漢字の書き順を書いてみせると、夢中になって写していました。
SNSに流れて来る送り火へのコメントは
「宗教行事やから大文字“焼き”やない」
「京都人でも子供の頃は“大文字焼き”って言ってたけどなあ」
「手を合わさず一斉に携帯のカメラを向けて送り火を撮ってばかり」
「故人の初盆なので静かに見送りたいのに、点火に拍手喝采が湧いて悲しくなった」
「大雨でも台風でも強風でもいつも通りの点火に労をねぎらっているのでは」
と様々な意見が騒がしく飛び交っていました。

自身も、昔は「複数観える場所はどこか」「静かな穴場はどこか」に興味があり、正直今でもそれは変わりませんが、明るみにすることで地元の風情が壊されてしまう懸念もあり、ご紹介が難しいところです。

誰かを亡くし見送る経験の数や自身の心身面によって、捉え方は様々なのでしょう。
まだ誰かの死に直面したことも無く、宗教の概念も殆ど無い子供が、送り火を「かわいい」「準備が大変やな」と表現し一生懸命に書き写そうとする横顔が新鮮に映りました。

「夏休みの今頃はね、お盆って言って、亡くなった人達がおうちに戻って来るねん。で、送り火を目印にして、“天国への帰り道はこっちだよ”って教えてバイバイするの。“また来年ね~”ってね」

果たしてどれくらい理解してくれたか分かりませんが、
「ぼく、来年は観に行きたい!」
と笑顔を返してくれました。

2024年8月19日 | お寺, 歴史, 神社 | No Comments »

祇園祭の原点へ

7月30

mizu
八坂神社の祭神が本殿に還り、神輿も無事に蔵に納められました。
残すところは31日の夏越祭のみ。

長い祭の合間に、街角のそこここに貼られているお札に新たな変化があるのを知りました。
中御座、西御座、東御座が「御神酒」を八坂さんに献上したという印のお札に並んで「御神水」と書かれたお札が加わっています。
去年まではまだ見かけなかったような。

「清らかな水で浄化をしたい」。
令和の疫病蔓延を経て、再び祇園祭の原点に立ち戻るべく、2022年より「青龍神水」がそれぞれの神事や催しで用いられるようになったためではないかと推測します。

八坂神社で毎年7月16日に献茶祭が斎行されていますが、去年より「祇園大茶会」が7月15日と16日に八坂神社参道・祇園四条通で開かれていたそうです。
以前より「祇園大茶会」は度々開かれていましたが、この時期にやっていたとは知りませんでした。
「青龍神水」による一服、来年こそは頂きに上がりたいと思います。

神仏習合の祈り「八坂礼拝講」

7月24

raihai2024年の祇園祭でも新たな話題がありました。
かつて「犬神人(いぬじにん)」や「弦召(つるめそ)」と呼ばれる人々が住んでいた弓矢町の町人らが、祇園祭の神幸祭・還幸祭で中御座の警護役として行っていた武者行列を半世紀ぶりに復活させようという「弓矢組プロジェクト」が始まっています。
来年の行列復活を目指して鎧の調査や修復が進められており、今年の神幸祭では宮本組の御神宝列と共に旗持と裃姿で参列されました。

また、八坂神社の宮司から延暦寺への申し入れにより、国家安寧と疫病退散を合同で祈る神仏習合の儀式「八坂礼拝(らいはい)講」が復活しました。
南楼門から神職と僧侶がそれぞれに列を成し本堂へと入っていきます。その中には車いすの天台座主の姿も。
その光景を見守る人々の中にも有名な寺院の関係者がたくさん手を合わせていました。
本堂内は非公開でしたが、祝詞や世界平和を祈る祭文が唱えられ、外で待つ私達にも聞こえてきました。
この「八坂礼拝講」は、疫病退散の祈りとして今後も継続を目指すといいます。

山鉾を競って絢爛豪華に飾り立てるようになった室町時代以降続く、町衆によって熱を帯びてきた祇園祭。
祭儀のあり方を再考させられた、2年余りに及ぶコロナ禍の影響が大いにあったと言っても過言ではないでしょうか。

自然の原理を生かした陰陽道のやり方に戻したい、と宮司は今後、神仏習合時代の祈りの形を整え、2033年に向けて『祇園感神院』の復元が模索されているそうです。
八坂神社は、明治の神仏分離政策を受ける前は「祇園社」「祇園感神院」という名を称していました。

西楼門から入って左手にある手水舎には「感神院」の文字が見られます。ぜひ見てみてくださいね。
関連動画は後程アップ予定です。

リハーサルは宵山で

7月16

tigo 祇園祭宵山期間中の15日に、長刀鉾でしめ縄切の練習がありました。
本番だと見物客が多くて見える場所を確保するにも苦労しますが、リハーサルだとゆったり観られるのがいいですね。

お稚児さんは遠く八坂神社の方を見据えてお辞儀をし、落ち着いた表情で真剣をしっかと握り、無事一刀両断すると、周辺から拍手が湧きました。
断つ所作を2回も披露し、最後は再び首を垂れて太刀を押し頂き終了。
その後一行はタクシーで八坂神社へ。

宵山の3日間、長刀鉾の稚児たちは様々な行事の合間を縫って毎日八坂さんへ社参されるそうで、なんとまあお忙しいこと。
手を清めて社殿での祈祷の後、石段下の交差点で一瞬だけ記念撮影も行われました。

そのまま一行は長刀鉾町まで徒歩で歩き始めます。
稚児は手を引かれますが、素手で直接触れるのではなく、白い布越しに。
道中、冠が乱れたのでしょうか。手直しは傘や大団扇でその様子が見えないように隠された状態で行われました。
始まったばかりの歩行者天国も、お稚児さんの列をつつがなく通すために開かれます。

御祈祷中は上がっていた雨が、八坂さんから離れていくうちに土砂振りに戻り、長刀の文字の入った番傘の花がたくさん開きました。それらを出迎えるように長刀鉾からはお囃子が始まりました。

綾傘鉾四条傘鉾でも、お囃子の合間に17日の山鉾巡行で本番を迎えるくじ改めの所作の練習を公開しているようで、眺めていると本番に向けて応援したい気持ちが自然と湧いてきます。

興味を持って深堀りすれば、知れば知るほど知らない情報が出てくるのが京都です。
この日の動画は後程アップ予定です。

水無月食らうは京都人のノルマ!?

6月19

mina 6月に入ると、京都の家庭や茶席では、当然のように卓に上がる菓子・水無月
どちらかというと漉し餡派なので、特に購入する意欲が無かったとしても、結局手土産やおもてなしで頂くことがあったりして、なんだかんだ毎年食べている気がします。
京都暮らしの「定番」というよりもはや「ノルマ」に近い気が…。

水無月に関する蘊蓄についてはあちこちで語られているので割愛しますが、どこかドライな感覚を持っているお茶の師匠が、
「氷を象ったとか、魔除けとか言われているけど、四角い型から対角線上に切り取るだけで無駄が無いから菓子屋に重宝されたんじゃないか」
と話していて妙に納得した覚えがあります。

なにはともあれ、京都人にとっては「え、水無月って全日本人が食べてるもんとちゃうのん!?」と県民ショーばりの驚きであって、「土用の鰻」や「節分豆」のように、「食べるおまじない」のような存在ですね。

ちなみに、画像の水無月は「たからや」のもの。
素材の風味がストレートに伝わってきて、あんこがそのまま自分の身体に馴染んでいくような、おまんやさんの素朴な水無月です。
お皿をあらかじめ冷蔵庫でひんやりさせて、おいしく頂きました。

2024年6月19日 | お店, グルメ, 歴史 | No Comments »

日本文化の砦としての花街

6月5

siryo 先月開館した「祇園 花街芸術資料館」へ。
1時間程で見学する予定が、気がつくとトータル4時間弱も長居していました。

場所はお馴染みの祇園甲部歌舞練場やギオンコーナーに隣接する八坂倶楽部内です。

舞妓さんが手にする籠の中身や化粧道具、月毎に替える簪や帯に忍ばせる懐中時計などを間近で拝見できます。着物も帯も、さすが本物ばかりで、花街が日本の文化のみならず伝統工芸を維持するための砦となっていることに気づかされます。

五世井上八千代さんが舞い、京舞について、また自身の襲名に至るまでを語る映像もつい最後まで観ていました。どの瞬間を切り取っても凛とした女性の美しさを表していて惹き込まれるのです。

国産ウイスキーやソフトドリンクをおつまみと庭の新緑と共に楽しめるバーもあり、今なら割引価格で静かにくつろぐことができますよ。

花見小路を歩く観光客が急増したとはいえ、お茶屋に縁のある人やお金を落とす人はそう多くはないでしょう。
美しい芸舞妓さんと出会える瞬間は、たまたまそこを横切っていく姿を追うときだけ。
彼らは決してその世界観を侵そうと徘徊しているのではなく、「もっと知りたい」だけなのです。

そんな人達がツアーではなく自分達のペースで花街の文化やしきたりに触れ、間近で舞を眺め一緒に記念撮影(別料金)できる施設がようやくできたと思いました。
ここを利用することで、花街という「ハレ」と「ケ」が同居する独特の世界への理解が深まり、維持していくための一助となることを願います。

ちなみにポスターのあの美しい人は「華奈子(はなこ)」さん。
会場には彼女の別の写真も展示してあり、あの大人っぽさとは違う少女のような表情が見られますよ。

「大」の字を目指して

5月21

dai雨季の前、暑くも寒くも無い今なら。
五山の送り火で知られる「大文字山(如意ヶ嶽)に登ろう!」。

低山とはいえ遭難者が出ることもあるそうなので、山登り経験者の友人に付き添ってもらうことに。
事前に教えてもらった動画を観て、行き交う人達の服装や道のりをイメージトレーニング。

大文字山に登るには、銀閣寺ルートが最も初心者向きです。
歩きやすい軽装(帽子、ズボンと長袖にリュックサック)と運動靴でも登れます。

暗くなる前に下山すべく、朝から出町柳駅に集合、シェアサイクルに乗って(乗車15分前から予約可能。電動で坂道も楽ちん)、山で唯一の公衆トイレ「銀閣寺橋西詰公衆トイレ」へ。

祠に護られた「行者の森」を通り、いざ山道へ。
途中で一瞬にして空気が変わったのを友人も肌で感じていました。
山はまさに日本人にとって神域なんですね。

段差に息があがり汗が吹き出すも、下山する人々と「こんにちはー」と挨拶をすると、一瞬疲れを忘れます。
おそらく一日で最も挨拶を交わしたかもしれません。
親子グループも多数。ちびっこ達にあんな爽やかな笑顔で登られては、こちらも負けてられませんね。

ぽつぽつと火床があちこちに見え始め、天にも届きそうな小さな段差が急勾配に沿って続いていました。これが地味にきつい!
登り始めて景色もカメラにおさめつつ、ちょうど1時間半で大文字の火床に到着しました。

弘法大師堂の屋根の下で、京都市街を見下ろしながらの休憩。
「目の前は吉田山だよね。京都タワーや岡崎の大鳥居も見える!あれは何かな…」
見慣れた町の景色がまるで別物のように見えます。

送り火当日は入山禁止ですが、燃え盛る炎の彼方に他の送り火が見え、夜の街並みから無数のフラッシュが瞬くさまを想像しながら深呼吸。

更に山頂までは30分で到着し、三角点をタッチしてお弁当を広げました。
道中からおしゃべりしていた常連さんから金柑やおやつ等を交換し合い、そんな一期一会も山登りの醍醐味の一つなのかも。

すっかりリフレッシュしたためか、達成感のためか、笑う膝も気にならずに下山しました。
友人曰く「ちょっとハードなハイキングコース」。
写真を撮り、休憩をゆっくり取りながらの3時間半の行程でした。

2024年5月21日 | 歴史 | 1 Comment »
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