e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

丹後宮津の旧宅を観る・泊まる

9月5

mikami今回の丹後の旅で宿泊したのは、天橋立に程近い一棟貸しの「三上勘兵衛本店」でした。
外観は、漆喰に松の翠が映える商家の離れの佇まいですが、中に入ると綺麗にリノベーションされ、スタイリッシュな家具が配置されています。
まるで素敵な新築の家に引っ越したような気分で、一枚板のカウンターテーブルにカプセル式コーヒーメーカーやワイングラスも多数備わっています。
鍵を受け取ったら、チェックアウトまでここは宮津の我が家!

この宿の不思議な名前は、隣の「重要文化財 旧三上家住宅」の屋号に由来しており、宿のオーナーのおじい様の邸宅だったお屋敷だそうです。
宿泊の利用者には観覧券を頂くことができ、江戸時代に宮津城下で糸問屋や酒造業、廻船業などを営んでいた商家の賑わいと暮らしぶりを垣間見ることができます。
江戸幕府の巡見使、明治期には有栖川宮熾仁親王、小松宮彰仁親王の宿泊先にもなったそうで、旧家の花嫁衣装は今すぐにでも袖を通せそうなくらい刺繍が美しくて状態もいいものでした。
見学の間、子供達は庭園の縁側で亀の餌やりを楽しませてもらったようです。

この宿付近で利用したお食事処については、また後日。

ネットの力で守っていこう

8月18

okuribi 2022年の五山の送り火は、3年ぶりに本来の形で五山全てが灯されました。

今年は四山を見渡せる西陣織会館の鑑賞会へ。
十二単の着付けを鑑賞したり、西陣織の土産物を見たり、湯に浸かった繭から糸を引き出す「座繰り」を実演するスタッフさんと語らう間に外は激しい雷雨。
それでも、これまでどれだけ酷い土砂降りでも点火されてきたので、心配はしていませんでした。

エレベーターで順に屋上へ出ると、不思議と雨が止んでいました。
安全確保の為でしょうか、今年は大文字と妙法は点火時刻を遅らせたそうです。
待機中の報道カメラマンが携帯電話を片手に、「船形が先に点いてる!?」と動揺していましたが、これもまたレアな一幕でした。

屋上にはたくさんの人が集まりましたが、広いので混雑が気になることもなく、雨上がりの送り火は想像以上に綺麗でした。

SNS上では、様々な場所から撮られた美しい送り火の光景や、それを眺める人々の思いが銘々に綴られていました。
一方で、護摩木に亡くなった人の戒名ではなく個人的なお願い事をしたためる人がいる事に違和感を覚える、というご意見や、点火時間に合わせて照明を落として景観の維持に協力するマンションやビルが減ってしまった、と嘆く声も見受けられました。

疫病禍で親から子、孫へ伝統を語り継ぐ難しさ。感想を述べ合うだけでは伝統を守ることはできません。
マンパワーだけでなく資金もやはり必要です。
クラウドファンディングにより防鹿柵で火床を守るなど、インターネットの影響力を借りて、今後はこういう情報ももっと発信していかねばと、気持ちを新たにしました。
関連動画はこちら

何人もの背中

8月10

3dai 先日は、親子3代競演を楽しみに、金剛能楽堂へ。

能楽金剛流の若宗家・龍謹さんが幣を振り舞う三輪明神に、お祓いを受けたような気持ちになりました。
およそ2時間もの長い『三輪 神道』という大曲を演じ切られるとは、凄まじい集中力です。
昔は、恰幅の良いご宗家永謹氏が大きく、うら若い龍謹さんが華奢に見えたこともありましたが、今度は体格も声の大きさも反対のように見えました。

半能『岩船』で、初シテを務める6歳の謹一朗くんが橋掛かりに颯爽と現れた瞬間から、自分の涙腺が緩みそうになりました。
まだ小さいけれど堅く握りしめた拳を前に出し、大勢の大人たちに囲まれた重圧の中でも、正確に流麗な円を描いて舞う姿に大変驚きました。
そして、ご両親に似て、端正なお顔立ちです。

金剛流26世宗家の永謹さんが息子の龍謹さんを、また孫の謹一朗くんを若宗家の龍謹さんが背後で見守る表情は厳しいものでした。
伝統の重みに対峙する真摯な志の連なりは、3代だけのものではないからです。

16日は「大文字送り火能」。 蝋燭を灯し、いつもより薄暗い環境で、夏の夜に背筋が凍るような演目が毎年採用されています。
ことしの演目は『善知鳥(うとう)』。地獄で責め苦を与えられるという演出が能楽ではどう表現されるか、注目です。

27日、9月3日には「日本全国能楽キャラバン! in 京都」があり、京都市出身の世界的指揮者・佐渡裕氏、伏見稲荷大社宮司の舟橋雅美氏と、それぞれのゲストが上演曲にゆかりのある講演をされる予定(10月30日は東本願寺能舞台が会場)です。

巡行と神輿の後のお楽しみ

8月2

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祇園祭も後祭山鉾巡行、神輿渡御という佳境を越えて、毎年寂しさを感じていた人達に朗報です。

7月28日の神輿洗の直後から、「祝い提灯行列」という行事がこれから毎年行われるそうです。
祇園町にゆかりのあるお店等の有志が、銘々に提灯をこしらえ八坂神社の神輿を迎える神賑わいとして、界隈を練り歩くというもの。

この提灯行列は江戸中期の「花洛細見図」や「祇園御霊会細記」にもその様子が描かれているそうで、5年程前から本格的に盛り上がってきたようで、京都人でもまだ余り知る人の少ない行事です。

いもぼうの海老芋や巨大なおこぼ、吉本新喜劇のマークなど、祇園の人達の洒落がきいた38基もの提灯が、山鉾行事とはまた違ったユルさで楽しい。
「この提灯、なんで野球の球なんですか?」「店主の趣味らしいです」「この双子の赤ちゃんは?」「おくるみです…(←おめでたいイメージ?)」と歩きながら思わず尋ねてしまいました。
途中、「広東御料理 竹香」前で御接待を受け、行列はしばし休憩。鷹山の関係者も何名か参加されていたようで、みんな本当にお祭好きですね!!

先頭を歩く祇園篠笛倶楽部の笛の音は、一本の糸のように揃っていて美しく、八坂神社を出発したときのはつらつとした曲調から、夜の帳が降りてきた白川筋を通るときには穏やかな音色に変わり、夕涼み散歩のように、一緒に歩いて楽しませてもらいました。

今年は短縮ルートでしたが、例年は19時頃から2時間かけて祇園町の南北と細かく練り歩かれます(※雨天中止)。
現在のところは公式サイトが無いそうなので、こちらのサイトを来年のご参考に。
来年は7月10日と28日の両方で観る事ができるといいですね!

関連動画は随時こちらに追加していきますね。

それぞれの祈りの祭典

7月27

kuji3年ぶりに行われた祇園祭の後祭山鉾巡行
先立つ20日の曳き初めでは、東西の通りにある鷹山と、南北の通りに建つ北観音山が、三条新町にて大接近し、お互いの囃子方と車方が思わず挨拶を交わすという微笑ましいハプニングもあったそうです。
巡行本番では、鉾町を出発した鷹山が、御池通りに出るまでに、電線ぎりぎりのところで最初の辻回しをするシーンでは、町内の床屋さんが、大量のお水の提供をしていました。
2014年に大船鉾が復帰を果たしたときに沿道から聞こえたように、進む鷹山に向かって「お帰りなさーい!」と大声で叫びたかったです。

2022年の祇園祭は、前祭は連休、後祭は鷹山の復興という大きな話題もあって、
この日を待ちわびた多くの人が祭に繰り出しました。

しかしながら、引いては押し寄せる疫禍の中です。
知人達の中には、自身やご家族の体調を考慮して、参加が叶わず断念した人もいました。
また、外出を控え自宅の中で祇園祭のしつらいを楽しむと決めた人もいました。
それもまた、ひとつの賢明なご判断だと思います。

漆がまだ塗られていない白木の香りや
脳天に響く鉦の音までは再現できませんが、
こちらの動画で鷹山への搭乗を体験してみてください。

祭は始まったばかり

7月13

mikosi
10日より祇園祭の山鉾建てが始まり、八坂神社では舞殿にて日本神話の語り奉納の後、夕刻より神輿洗式が斎行されました。
祇園祭好き同志の友人のもとへ行くと、去年の祭の間に何度も会った祇園祭大ファンの知人がいて、一緒に八坂神社へ向かうと、またその手のマニアの人々と出会います。
お互いに連絡先も知らず名前もうろ覚えの人もいるし、特に申し合わせもしていないけれど、祇園祭の何かしらの行事の現場に行くと大抵会えてしまうのです。

神輿洗は18時からなので、もともとその間は烏丸まで移動して鉾建てでも観ようとのんびり構えていたのですが、友人達はまだ15時台のうちから現場で撮影場所の確保に向かうとの事で、驚愕しながらついて行きました。
曇り空のお陰で風が涼しく、同志達のコアな情報交換に、数時間も立ちっ放しでいる事すら忘れてしまっていました。
まるでアイドルの追っかけです。周りの人達は濃厚なオタク臭を感じていたに違いありません。

今年の「お迎え提灯」は無く、「神輿洗」は境内のみ。それでもいつしか多くの人が二重三重と集まって、その様子を見届けていました。
中御座、西御座、東御座の三基の神輿が境内の格納庫から舞殿へと上がり、その度に輿丁と観客達の手拍子と「ホイット!ホイット!」が響きます。
朝に汲まれた鴨川の水飛沫で、神輿と共に清めてもらおうと、関係者の赤ちゃんや子供達とその母親達も徐々に集まります。

大勢で舞殿へと運び込む際には神輿に粗相が無いようにと大騒ぎ。
ちょっと大袈裟なくらい荒々しく行き交う掛け声も、場を盛り上げるのに一役買っているのでしょう。

南楼門の上、まだ青さの残る空に白い月が浮かび、舞殿に灯る提灯も、風に吹かれてリズミカルに揺れること揺れること。
なんだか楽しげに見えました。

 →動画はこちら

七夕飾りの意味

7月6

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子供が自作の七夕飾りを持って帰ってきました。
今年も、近所の花屋に笹の葉を一緒に買いに行こうと思います。

技芸上達を願い五色の短冊にしたためて、神様の依り代となる笹竹に吊るす七夕の笹飾り。
五色とは、古代中国の陰陽五行説で世の中を構成する五行を色で表したもの(木=青(緑)、火=赤、土=黄、金=白、水=黒(紫))。
これら五色は、寺社の飾りや鯉のぼりの吹き流しなどにも魔除けとして用いられていますね。

ところで七夕飾りは独特な造形ですね。各家の軒場にさらさら揺れる笹飾りを見ていると、共通しているものがあります。

一言で表すと、
吹き流し:「手芸上達」「魔除け」
三角つなぎ・菱つなぎ:「手芸上達」
輪つなぎ:「天の川。夢や人のつながり」
野菜:「お供えもの」
折り鶴:「長寿祈願」
紙衣(かみこ):「手芸上達」
巾着:「金運上昇」
綱飾り・貝飾り:「豊作、大漁」
提灯:「魔除け」

なんと、七夕飾りの紙くずを始末するための「くずかご」まで笹飾りとしてあるとは何たる配慮。
商売繁盛を願う福笹と比べても、誰でも作れてとっても庶民的です。

それぞれのお飾りの意味や作り方は、今やインターネットでも得る事ができるので、子供と一緒に作り足してみるのもいいかもしれませんし、
受験や資格試験、音楽など自分のスキルアップのために日々勉強や修練に励んでいる人も、折り紙で折って気持ちを新たにするのもいいですね。

金銀の箔を粉末にした、きらきらの砂子のようなお星さまを、幾つになっても心の中で輝かせていられますように!

今年はしめやかに。

6月8

bon 「暗闇の奇祭」と呼ばれる宇治縣祭
縣神社 のみならず、周辺の住宅地までも消灯して神様が通るのを迎えるお祭です。
クライマックスが真夜中という事もあり、神社から近くJRと京阪の「宇治」駅の間に位置する宇治第一ホテルに泊りがけでお参りさせて頂きました。

今年は3年ぶりに梵天が境内を渡御しました。
担がれた大きな球状の幣帛(へいほく)の塊の中をよく見ると、「カミサン」と呼ばれる男性が一人、埋まるように乗っていて、激しく上下左右に揺さぶられる中でも片手を真っ直ぐに伸ばして耐えています。
今年は境内の中だけでの渡御だったので、この「天振り」も従来よりは随分と大人しいものだったのかもしれません。
それでも、17時の「夕御饌の儀」や19時の「護摩焚法修」など、神事の刻となる度にどことなく人々が集まり、次第に強まる雨の中でも見守るなか、若衆たちの表情もまたどこか誇らしげだったのでした。
雨風混じる夜でしたが、やはり消灯して暗闇で神移しが行われる瞬間、一陣の風が巻き起こって木々の葉をざわざわと揺らし、そのあと静まる瞬間があるのは嬉しいものです。

例年の祭の様子は、縣神社をモデルとした小説『蒼天』に描写されています。
近畿各地から集結した数百軒余りもの露店や屋台が立ち並び、浴衣姿の子供達など老若男女で賑わっていたという地元色の風情も味わうため、また訪れてみたいものです。

梵天から外され、お下がりとして頂いた白い紙垂を手に、僅かな街灯のみに照らされた暗闇の縣通りを後にしました。 →動画はこちら

進化する鯉のぼり

5月4

koi
雨が降ったり止んだり、その度に我が家の鯉のぼりを出したり中に入れたりを繰り返しています。
家の狭さに対して少々大きめの鯉のぼりだったかな、と買った当初は思いましたが、子供達が毎年嬉しそうにはしゃぐ様子を見ていると、これで良かったのだと実感しています。

中国の「登竜門」、日本には「鯉の滝登り」の伝説があるように、滝を遡上して龍と化す生命力の強い鯉は、立身出世を表しているといいます。
将軍家に男児が生まれると旗指物や幟を立て、虫干しを兼ねて鎧や兜を飾って祝うのが武家の風習でした。
それに対して、江戸の裕福な商家でも武具の模造品等を飾るようになり、立身出世の象徴である鯉を幟に揚げられるようになり、町人へと広まっていったそうです。

鯉のぼりは和紙に描かれた黒一色の真鯉から布製へ、やがて雨や汚れに強い合成繊維製が登場し、明治時代頃から緋鯉、昭和時代以降は多彩な子鯉まで加わりファミリー化、飾る場所から形状も多彩化しています。

働き方やファッション等で男女の性差が交差し、家族の形も多様化する現代。
鯉のぼりもよりレインボー化していくのでしょうか。

2022年5月04日 | 歴史 | No Comments »

「日本のあそび」曲水宴

4月11

kyoku
上賀茂神社の渉渓園に一歩踏み入れると、濃厚なお香の香りを感じて思わず振り返ると、山田松香木店が「薫物(たきもの)」をされていました。
薫物の演出は『源氏物語』等の古典文学にも記されており、今年は染殿后藤原明子の「梅花」をもとに、昔ながらの調合方法で調整されたものだそうです。

「ならの小川」からの分水が流れ、木漏れ日の中には客席が設けられ、そよ風に汗ばむ程の陽気も忘れてしまうほどの心地よさ。
受付から開宴までの合間に、たまたま居合わせた和歌をたしなむという方とならの小川の畔に腰かけて、せせらぎの音に耳を傾けながら昼食を取りました。

「五・七・五・七・七」のリズムを持つ短歌と和歌と違いとは。
和歌には型というものがあり、いわゆる「現代短歌」は、明治以降に入ってきたもので、芸術として自我を表現するものだそうです。
令和元年に選ばれた斎王代が十二単の袖を引いて現れると、場が一層華やぎ、客席も色めき立つのが伝わってきます。

薫物は二箇所であり、遮る物の無い開けた庭園であっても、披講の抑揚ある調べに載せるようにリズミカルに濃淡を変えながら香りが漂っていました。
曲水宴は、中国の禊祓の行事が日本流にアレンジされたもので、自然の中に身を置き、香を焚いて雅楽とともに場を盛り上げ、歌を詠む順番さえも羽觴(うしょう)を運ぶ遣水(やりみず)の流れに任せるという、まるで王朝文化への憧れを投影した「日本のあそび」を象徴するような催しでした。

宴の後は、斎王代が境内の斎王桜の前で美しい立姿をみせてくれました。

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