e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

送り火を観た子供の感想

8月19

okuribi 夏バテか、今年の送り火は自宅でテレビ中継を観ました。

五山の送り火は何度も家族で観に行っていますが、テレビ画面で大きく拡大して眺めたのは子供達にとって初めての事でした。

「きれーい」という歓声は想定内でしたが、小学1年生の息子には
「かわいい~」のだそうです。

気がつくと、隣で紙切れにたくさんの炎の点々を熱心に打っていました。
「ぼくは鳥居が1番好き」。
「みょうほうって漢字はどう書くの?」
「書き順はこんな感じかな~これで分かる?」
まだ難しい漢字の書き順を書いてみせると、夢中になって写していました。
SNSに流れて来る送り火へのコメントは
「宗教行事やから大文字“焼き”やない」
「京都人でも子供の頃は“大文字焼き”って言ってたけどなあ」
「手を合わさず一斉に携帯のカメラを向けて送り火を撮ってばかり」
「故人の初盆なので静かに見送りたいのに、点火に拍手喝采が湧いて悲しくなった」
「大雨でも台風でも強風でもいつも通りの点火に労をねぎらっているのでは」
と様々な意見が騒がしく飛び交っていました。

自身も、昔は「複数観える場所はどこか」「静かな穴場はどこか」に興味があり、正直今でもそれは変わりませんが、明るみにすることで地元の風情が壊されてしまう懸念もあり、ご紹介が難しいところです。

誰かを亡くし見送る経験の数や自身の心身面によって、捉え方は様々なのでしょう。
まだ誰かの死に直面したことも無く、宗教の概念も殆ど無い子供が、送り火を「かわいい」「準備が大変やな」と表現し一生懸命に書き写そうとする横顔が新鮮に映りました。

「夏休みの今頃はね、お盆って言って、亡くなった人達がおうちに戻って来るねん。で、送り火を目印にして、“天国への帰り道はこっちだよ”って教えてバイバイするの。“また来年ね~”ってね」

果たしてどれくらい理解してくれたか分かりませんが、
「ぼく、来年は観に行きたい!」
と笑顔を返してくれました。

2024年8月19日 | お寺, 歴史, 神社 | No Comments »

本からの声を聞く

8月14

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毎年恒例、下鴨神社糺の森の木陰で開催される「納涼古本まつり」。
今回は子供達の手を引き、児童書目当てで森の中に入りました。

木陰で暑さはやわらぐものの、人の熱気を感じます。
日頃は街中で古本屋の前を通り過ぎても、おじ様や外国人しか見かけないのに、こんなにもたくさんの老若男女がお気に入りの一冊を求めて歩き回る光景には圧倒。

今やネットで欲しい本を一瞬で検索して翌日には手もとに届いてしまう便利過ぎる世の中ゆえに街角の書店も減りましたが、今でもこんなに本の愛好家がいるのですね。

会場内には飲料のみ提供ブースがありました。
境内には茶店、神社周辺にも飲食店は幾つかありますので、お食事の心配は無用です。キャッシュレス決済に対応している店舗もあって時代を感じます。

歴史書など高尚で分厚い専門書から、昭和のアイドル雑誌、ヒット漫画の全巻セット、関連グッズなどなど。
児童書は、どのお店でも通路側の低い位置にまとめて置いてあったりします。
子供達は直感的に手に取って次々と選んでいきました。

絵本というのは、適齢期を過ぎても大人になって見返しても、その色遣い等のデザイン性やストーリーに惹かれ、再び手もとに置きたくなるものですね。

全ての古書店を隈なく覗く時間がなくても、店主が面白い、人の気を惹きそうなものをちゃんとディスプレイしているので、案外何気なく手に取って求めた本が役立ち、今でも時折開いて読んだりします。
きっと本の方から呼んでくれてたりもするのかもしれませんね。

「納涼古本まつり」は、毎年五山の送り火の日まで開催されています。

誰かの実家で食べるごはん

5月27

chikoro 大文字山を下山したころ、世界遺産・銀閣寺の参道のお店がすっかり営業を開始していて、多くの観光客で賑わっていました。
一息つくのにどこに寄ろうか彷徨ううちに南側へ延びる脇道が目に入り、直感的に進んで行くと、やっぱりありました。古民家カフェ。

入れ違いに玄関を出てきた外国人のマダムの穏やかな表情が、静かで落ち着いた時間をすごせたことを物語っています。

縁側の隅には持ち主のものと思われる文庫本がしまわれており、いかにも銀閣寺界隈に古くからあるような、文芸的な薫りのするおうち。
「家は使わないと傷んでいってしまうから…」と、身内の方が静原の自家農園で採れた野菜や近隣の新鮮な有機野菜や有機食材でこしらえた自家製のランチやお菓子を提供しています。

床の間の棚の扉には「大」の字が。「大文字」の送り火のお膝元なので、後から入れられたのだそうです。珍しく高さのある木枠に収まった火鉢など、アンティークショップにあるような家財がそこかしこに馴染んでいます。
帰り際に玄関に飾られているお花は、なんと人参の花なのだそう。

アップテンポなBGMや映えるスイーツのカフェも気分がアガるけど、「誰かの実家で食べるごはん」という環境は腰を下ろしてほっとするのに最適ですね。
Cafe Chikoro」はまだ昨年オープンしたばかり。銀閣寺を目指して人混みを歩く人々にも教えてあげたくなりました。

「大」の字を目指して

5月21

dai雨季の前、暑くも寒くも無い今なら。
五山の送り火で知られる「大文字山(如意ヶ嶽)に登ろう!」。

低山とはいえ遭難者が出ることもあるそうなので、山登り経験者の友人に付き添ってもらうことに。
事前に教えてもらった動画を観て、行き交う人達の服装や道のりをイメージトレーニング。

大文字山に登るには、銀閣寺ルートが最も初心者向きです。
歩きやすい軽装(帽子、ズボンと長袖にリュックサック)と運動靴でも登れます。

暗くなる前に下山すべく、朝から出町柳駅に集合、シェアサイクルに乗って(乗車15分前から予約可能。電動で坂道も楽ちん)、山で唯一の公衆トイレ「銀閣寺橋西詰公衆トイレ」へ。

祠に護られた「行者の森」を通り、いざ山道へ。
途中で一瞬にして空気が変わったのを友人も肌で感じていました。
山はまさに日本人にとって神域なんですね。

段差に息があがり汗が吹き出すも、下山する人々と「こんにちはー」と挨拶をすると、一瞬疲れを忘れます。
おそらく一日で最も挨拶を交わしたかもしれません。
親子グループも多数。ちびっこ達にあんな爽やかな笑顔で登られては、こちらも負けてられませんね。

ぽつぽつと火床があちこちに見え始め、天にも届きそうな小さな段差が急勾配に沿って続いていました。これが地味にきつい!
登り始めて景色もカメラにおさめつつ、ちょうど1時間半で大文字の火床に到着しました。

弘法大師堂の屋根の下で、京都市街を見下ろしながらの休憩。
「目の前は吉田山だよね。京都タワーや岡崎の大鳥居も見える!あれは何かな…」
見慣れた町の景色がまるで別物のように見えます。

送り火当日は入山禁止ですが、燃え盛る炎の彼方に他の送り火が見え、夜の街並みから無数のフラッシュが瞬くさまを想像しながら深呼吸。

更に山頂までは30分で到着し、三角点をタッチしてお弁当を広げました。
道中からおしゃべりしていた常連さんから金柑やおやつ等を交換し合い、そんな一期一会も山登りの醍醐味の一つなのかも。

すっかりリフレッシュしたためか、達成感のためか、笑う膝も気にならずに下山しました。
友人曰く「ちょっとハードなハイキングコース」。
写真を撮り、休憩をゆっくり取りながらの3時間半の行程でした。

2024年5月21日 | 歴史 | 1 Comment »

京都人からみた葵祭

5月15
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(※画像は過去のものです)

京都人からみた葵祭の印象とは。

「あ、もうそんな季節か」と気づくのが装束行列(「路頭の儀」)の約1か月ほど前に発表される「斎王代」の発表の記者会見でしょうか。

「今年はどこぞのご子女がしゃはるんやろ」
「あら、べっぴんさんやねえ」

から始まり、その後は大型連休に気を取られたまま5月に入り、「斎王代女人列御禊神事」で再び思い出すものの、「競馬神事」や「流鏑馬神事」が葵祭の関連行事である事に気付かないまま15日の葵祭当日を迎える人も少なくないと思います。

斎行されるのは毎年「5月15日」と固定されているのですが、日付まではっきりと認識しているお祭はお盆の「五山の送り火」ぐらいで、必然的に平日開催の割合が多くなるため、仕事の合間の休憩中や就業後に観たニュースで「今日は葵祭やったんか」という声も。

どちらかというと観覧席は観光客用で、地元人はぶらぶらと歩きながら眺めるスタイル。
うっかり人の波の中を自転車で紛れてしまうと動けず、交通規制により回り道をしなければなりません。
行列が通る沿道のお店の人達は、商売にならないのか、店頭に立っていつもとは違う外の景色を眺めている人たちもけっこういるものです。

一方、京都に根差した企業や伝統芸能の世界に関わる人達の中では、室礼の中に葵祭の要素を盛り込んだり、鯖寿司を食べたり、祭に関わる人達の着付け等の裏方で大忙しの人たちもたくさんいるのです。。
友人は学生の頃に女人役を体験し、白塗りの集団がバスに乗って移動する様はとてもシュールだったそうですよ。

つつじの丘で与謝野晶子に出逢う

5月1

keage 桜に代わって約4,600本のつつじが咲き誇る蹴上浄水場の一般公開(4月29日で終了)は、京都の晩春の風物詩の一つです。

ポコポコと花の半球が山肌を埋める鮮やかさは、三条通りを走る車の窓からでも確認できるほど。
いざ場内に入ってみると、思った以上に広さも高さもあることに気が付きます。

早くも初夏の湿気を含んだ空気のなかで、鼻を近づけなくても漂ってくる花の香り。
近所でも見かける身近な花ながら、初めて知るツツジの香り。

「ツツジのトンネル」を潜り抜け、息の切れる階段を登るなか、歌集「みだれ髪」や『源氏物語』の現代語訳でも知られる歌人・与謝野晶子の歌碑に出逢います。

晶子の筆蹟を写した歌は、
「御目ざめの鐘は知恩院聖護院 いでて見たまへ紫の水」。

与謝野晶子と鉄幹の思い出の旅館「辻野」が、かつてこの蹴上浄水場の敷地内に建っていたそうですね。

高台の広場に出てみると京都市内を一望でき、眼前にはインクライン、遠くに五山の送り火の「妙」「法」も見渡せます。
「絶景かな、絶景かな」のフレーズで有名な南禅寺の三門までも見下ろせてしまいます。

飲食ブースにはキッチンカーやテントのあるベンチが並び、各地からやってきたグルメもレベル高め。実店舗にも足を運んでみたくなりました。

思えば小学生だった頃、疎水沿いの通学路にはツツジが連なっていました。
ぶらぶらと歩きながら、花の付け根からラッパを吹くように蜜を吸ったりしたものです。
ツツジは、時間がゆっくりと流れていたあの頃の思い出の花です。

紅葉の絨毯を求めて

12月13

daikoku 紅葉狩りの熱気が落ち着いたころ、お目当てに向かうのは敷き紅葉です。
銀杏の木が並ぶ北山通りは黄色く縁取られ、蝶のような葉が北風に煽られて、コンクリートの上をカサカサと舞い踊ります。
「枯れた風情」とはよく言ったもので、この季節だからこそ出逢える優しい彩りの景色ですね。
一筋北の通りに入ると、お盆の「妙法」の送り火の字が残る山肌が迫り、麓には趣のある民家が点在しています。
「代々、妙法を守ってきたお家だろうか」と振り返りながら山の手へ。

どうやら妙円寺、通称「松ヶ崎大黒天」の境内へ東側から入ったようです。
一瞬奥に赤い地面が見えましたが、まずは本殿にご挨拶。
妙円寺は「都七福神めぐり」のお参り先の一つ。
お正月で賑わう前に一足早く色紙を求めている人もいました。

そこで、昨年に受けた打ち出の小槌のお守りを新調しました。
「どうしたことか、度々蓋が開いて中の大黒さんが逃げはるんです。どっか行って空っぽになっちゃって」と事務所の方に話すと、
笑いながら「身代わりになって下さる事もあるので…」と手渡してくださいました。

境内の奥に目をやると、門前に色とりどりの紅葉が地面に落ちて、一面を染めた赤い絨毯のようになっていました。
もう12月の2週目だったので見頃は過ぎた感がありましたが、タイミング次第では額縁に収まった錦模様が更に鮮やかだったことだろうと思います。それでいて拝観者の出入りも適度で静か。

ふかふかの紅葉を踏む「ふしゅ、ふしゅ」という音を足で感じながら山を降り、再び北山通りへ。
この付近は、夜になるとクリスマスムードになりますよ。

清水寺から観た送り火は…

8月22

1000清水寺から五山の送り火が観える」。
一部のSNS等で話題になっていたので、観え方を検証すべく音羽山へ向かってみることにしました。
全てというわけではありませんが、幾つかは観えるらしいと。

「ここに日本人は居ないのでは?」と思う程に外国客で賑わう参道を登ります。

結果としては、比較的良い視力の裸眼では
「左大文字らしきものと、船形らしきものと、鳥居型らしきものが観えた」
という感じでした。
それぞれの送り火とかなり距離が離れているので、撮影にはかなりズームのきくカメラでないと厳しいと感じました。

しかしながら、千日参りも同時に参加できたので、日差しの和らいだ境内で風鈴の涼やかな音を聴きながら、
様々な国から集まった人々と手を合わせ、同じ方向を向いてすごす平和で穏やかな時間もいいものです。
これぞ清水の舞台に集う醍醐味なのかもしれませんね。

家族連れだったので長距離の坂道移動は困難とみて、五条坂と三年坂が交差する車両通行止めポイントまでタクシーで行き、
帰りもちょうど同様の場所で、千日参りが終わる時間までに間に合うよう乗り付けてきたタクシーに声をかけて乗車する事ができました。

能楽師の美しき陰影

8月9

ryumon 今年も金剛能楽堂の「龍門之会へ。
宗家長男の金剛龍謹氏が主催する会で、最初の仕舞はまだ年少さんの金剛宣之輔くん、続く舞囃子を8歳になったばかりの金剛宣之輔くん、仕舞を26世宗家・金剛永謹氏が担うなど、3世代にわたる共演を観ることができました。

舞台を踏み始め、人前でも堂々と、一生懸命に声を上げる宣之輔くん。
背後に親が控えているとは言え、舞台に立てば一人というプレッシャーを感じながらも凛々しく舞を見せる宣之輔くん、
今日までの鍛錬で鍛えられた声が舞台に響き渡るのが心地よく、すっかり安定感のある龍謹さん。
人間国宝として認定されたばかりの金剛永謹氏の所作には年月を重ねて枯れた風情すら感じさせます。

会を通して舞台の照明が変わったわけでもないのに、少年達の顔や衣装は眩しいほどに輝かしく、年を経るごとに陰影を帯び円熟味を増していく能楽師の一生を観るような景色でした。

後半の演目「殺生石」は、通常は後シテが狐の姿で演じられるのですが、金剛流古来の小書(特殊演出)「女体」として、玉藻前という高貴な女性の姿で舞われました。
狐の冠をかぶり、最後は舞台袖へと走り去るのですが、視界の狭い面に足袋を身に着けているとは思えない程の足の速さに、暫し終演後も茫然としてしまいました。

最近では友人の小学生の娘さんが金剛流の謡を習い始めました。
もとよりダンスが好きで、能の仕舞とも平行しながら夢中になって稽古しているとのこと。
冬の発表公演が今から楽しみです。

なお、毎年8月16日の五山送り火の日には、「大文字送り火能 ~蝋燭能~」が行われます。
金剛能楽堂の目前の京都御苑内から大文字の送り火を観ることができます。

340gへの挑戦

8月31

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8月も終わり。京都では小学校も始まりました。

話題が前後しますが、先日ご紹介した送り火鑑賞スポット周辺のお食事処は、
エフシーダイニングテーブル」というステーキのお店。
「胃にもたれないので最近気に入ってる」という父からの情報です。
主にアンガス牛、厳選した冷蔵熟成牛肉を使用しているそうです。

画像は、アンガス種のサーロインとリブアイステーキ各340g。
誰もが耳にした事のある「サーロイン」。
「サー」とは称号の事で、牛肉の中で唯一称号が与えられた部位なのだそうです。
赤みと脂身がきれいに分かれたアンガス種のサーロインは、噛み応えがありました。
熟成したアンガス種のリブアイは、ステーキ肉としては最上級とされ、肉質柔らか。
いずれも、テーブルの上に置かれてからも徐々に熱が中まで通っていくので、目の前に運ばれて来たら何はともあれ、堅くならないうちにすぐに味わうのがおすすめです。

なお、340g以上完食した人は、番付表に記入できるとのことで、一部の壁には手書きのメッセージがびっしり。
立地柄、学生さんが多いようで、お店を訪れたグループも大学生らしき男子だち。
若者でも気軽に来れるステーキハウスという事ですね。
340gに挑戦したのは初めてでしたが、意外に難なく平らげました。
でも家族でシェアしていたせいか、番付表は頂けませんでした。残念!

お肉がまだ上手に食べられない小さなお子様には、
国産本格ソーセージが食べやすいです。席数が限られるので、予約が無難です。

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