e-kyoto「一言コラム」

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小学生、能舞台に立つ

11月15

noh友人の小学5年生の娘さんが初めて能舞台を踏まれました。
面を付けない素顔や、唐織の衣装を握るふっくらとした手はあどけなさが残るものの、表情は常に冷静で凛々しく、頼もしさまで感じるほど。

能楽をはじめ日本の伝統芸能好きな母親がテレビや能舞台で鑑賞していた影響で、同世代の子供達が舞台に立つ姿を観て、「自分もやってみたい」と、門戸を叩くことになったそうです。

独特の節回しを口伝えで教わるのは、誰にとっても難しいはず。
彼女の場合はすらすらと覚えてしまい、老若男女が集う稽古をとても楽しんでいるそうです。
どちらかというと、慣れない正座や、舞台上で何十分も片膝を立てた姿勢を保つ方が大変だったとか。
それまで日本史にも余り興味が無かったけれど、能を学ぶようになってから歴史や古典の授業で共通点を見つけたり、装束の模様に関心を持つようになったりといいます。

稽古をつけた金剛流宗家長男の金剛龍謹さんとは、師弟の関係。
演目『富士太鼓』の上では、主を亡くした母と娘でした。

向かい合い呼応する声。
もとよりボイストレーニングをされていたそうで、師匠にも劣らない声量が観客席にまで響き渡りました。

龍謹さん演じる母親は、夫が殺害された事を告げられ、形見の衣装に袖を通し取り憑かれたかのように太鼓を打ち鳴らします。
冒頭では落ち着いた女性の横顔だった面が、鳥兜を被った瞬間から変わり、舞台袖から見上げた兜の陰に垣間見える目は、狂気を帯びていました。
最後は恋慕と狂乱の感情を衣装ごと脱ぎ捨て、もとの笠姿に戻ると娘の背にそっと手を添えてから、親子は静かに退場します。

舞台に立つということは、自分に関わる全責任を独りで背負って立つと言うこと。
当日までは体調管理など、家族や周りの人たちがサポートしてくれますが、自分の役は他の人には替わることができません。

目の前に立つのが自分の子であったら、視界がうっすら濡れていたかもしれません。

2023年11月15日 | 芸能・アート

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