e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

伏見稲荷大社・初午大祭

2月16

hatuuma 伏見稲荷大社の誕生日ともう言うべき初午の日。今年は祝日とも重なり、大変賑わっていました。
奥の院から稲荷山に入り、中腹の休憩スポット・四ツ辻までの細い山道では、時折行き交うのが困難になるほど。
初午のお参りは、平安時代から既に人気だったようで、かの有名な清少納言も初午の日の暁から稲荷山に登り、その道中の大変さに「泣きそう」と枕草子にもらしたと聞きます。
生まれてはいつの間にか消えていくのが流行の常なのに、ご鎮座から1300年もの月月を経た現在でも、日本のみならず海外からの参拝客も増えているという、お稲荷さんの求心力、恐るべし!
もとい、稲荷山の周辺は渡来系豪族の秦氏が住んでいたので、境内に多言語が飛び交っている様子は、もしかしたら創建当初もそうだったのかもしれません。
ひな壇の様に飾られた色とりどりのお供え物もぎっしり。
本殿や摂末社には、稲荷山の杉と椎の枝で作られた“青山飾り”が青々と輝いて、清々しい華やかさを添えていました。

千總のデザイン力

2月9
「牡丹藤花束青海波文様小袖」 江戸中期(千總蔵)
「牡丹藤花束青海波文様小袖」 江戸中期(千總蔵)

 「千總460年の歴史-京都老舗の文化史-」展(11日まで)を観て来ました。
千總の創業から更に遡ること平城京の時代に、奈良・春日大社の宮大工を務めていた西村總左衛門家の先祖は、春日大社の「若宮神社」の「若宮おん祭」に千切花の台「千切台」を毎年奉納していたそうです。
あのユニークな紋は、橘や菊、藤の供花を載せた「千切台」に由来していたのですね。これがポスター画像に採用されているのも納得です。
法衣業としての出発から460年という長い歴史を重ねて来ても、「千總さんのきもの」は、古典柄なのに古臭さを感じさせないのが、いつも不思議でした。
しかし、会場に展示されていた円山応挙や神坂雪佳など千總が所蔵する屏風や下絵を観ていて、その理由の一つが「磨かれたデザイン力」にある様に思います。
京都画壇に下絵を依頼したり支援したりする中で構図や配色が洗練され、また新しい技術や職人の技(特に十二代西村總左衛門氏の下絵や緻密な刺繍作品は見ものです!)が相乗効果を生み、展示された小袖や花嫁衣装に現れています。
ほの暗い照明の中でも発色の良さが伝わってくる刺繍糸の立体感、大胆さと繊細さが織りなす描線にもかすかな黄金の輝きが見え、飽きることがありません。
創り手の息が吹き込まれたきものは、神前に供えられた瑞々しい花のように、周りの空気を変える力があります。
その歴史の重みと美しさを、ガラスケース越しではなく実際に手に取って、袖を通してみたい、そう思いました。

須賀神社の懸想文売り

2月3

kesou 節分ムードで賑わう新熊野神社聖護院にほど近い須賀神社で、「縁結びの文」を求めました。
この神社では鬼では無く、文を結んだ梅の枝を持った「懸想文売り」が現れます。
懸想文売りさんのお話によると、江戸時代に貴族が恋文を代筆して売り歩き、収入としていたとのこと。
いわゆるラブレター代筆のアルバイトなのだそうです。
なるほど、烏帽子に水干姿で、顔がささない様に覆面をするという奇妙な出で立ちにも納得。
今ほど識字率の高くない時代では、文字が描けない人が想いを伝えるために、あるいは教養のある気の利いた表現でアピールする為に、この様なサービスに需要があった事でしょう。
授与された懸想文についていた解説によると、恋文とは限らず、縁談や商売繁盛等の人々の欲望を叶える符札なのだとか。
この文を、人に知られないように鏡台や箪笥、クローゼットの引き出しに入れておくと、顔かたちが良くなり、着物が増え、良縁に恵まれるのだそうです。
綺麗でおしゃれ、その上モテるとは、女子たちの欲望を心得た嬉しい御利益ですね。
以前、ある人の講演会が終わった後で、聴講していた参加者が想いを届ける為に講演者に手渡していた手紙が、この懸想文に似た結び方だった事を思い出しました。
受け取った人は、その結ばれた文に感心されていました。もしかしたら、色紙とペンを渡されるよりも深く心に残ったかも…?
この京の風俗行事は、明治維新以降には見られなくなったそうですが、きゅっと結んだ文をバレンタインチョコに添えてみるのも風流かもしれません。

近又の料理教室

1月27

kin 料理好き男子に誘われ、「近又」さんの「ミニ料理教室」に参加してきました。
こちらは、ご主人の語りに耳を傾けながら、頂いたテキストにメモを取って調理のコツを学ぶスタイルです。包丁を持たず、エプロンも不要です。
料理テキストを開くと、京懐石の献立が先付から水物までフルコースで書かれており、なんと半分以上の調理風景を目の前で見せてもらう事ができ、最後はお座敷で実食できるのです。
鮟鱇の肝や鴨ロースの下処理、彩りとして添える小さな青菜類など、懐石料理というものがいかに手間暇かけて丁寧に作られているのかがよく分かります。
食材の甘さや色の鮮やかさ、切り口の繊維の美しさ、表面の照り。それぞれに理由があり、美味しいからといって勢いに任せてバクバク食べてしまっては勿体無い、ゆっくり味わって食べなければ、と自然に思うようになるはず。
参加者は近畿一円や関東からのマダムのリピーターが多く、食べる事も作る事も好きな方ばかり。帰りに近くの錦市場で食材を買い、早速家で実践される事も多いのだとか。
「懐石なんか、家庭で作るかしら?」と構える事無かれ。食材の切れ端の活用法や、他の食材を炊いたり継ぎ足したりして繰り返し使える煮汁のレシピなど、「家で和食を作って欲しい」と願うご主人の語り口からは、家の台所でも活かせそうなお話も色々と出てきます。
まずは、からりと揚がる天ぷらの衣作りからチャレンジしてみたいと思いました。
実際に近又の料理場で料理人から学べる「京懐石の料理実習」の方も盛況で2月分は満席ですが、それ以降の「ミニ料理教室」や6月の「料理実習」はまだ席に余裕があるそうです。

「地図で読む 京都・岡崎年代史」

1月21

okazaki コンビニエンスストアと言えば、全国どこの地域の店でも同じ品が手に入りますが、中にはご当地商品スペースを設けている店舗もありますね。
例えば、平安神宮の近くのあるコンビニで購入した『地図で読む 京都・岡崎年代史』。
明治28年に岡崎一帯で行われた「第4回内国勧業博覧会」の華やかなりし会場全景図を表紙にしたその冊子には、明治の東京遷都で賑わいを無くし農村地帯へと変貌していく愛宕郡岡崎村、京都復活の起爆剤となった琵琶湖疎水とその周辺を写した今昔の写真、市電が通り、京都市の祝祭の会場としての姿、進駐軍に施設を接収された戦後、時代を遡って白川や吉田山などに恵まれた古墳時代の岡崎遺跡、平安後期に六勝寺が林立し栄華を誇った「院の御所」時代、地震や応仁の乱を経て秀吉の時代には洛外と見なされた沈黙の時代、諸藩邸が続々と建てられた幕末の激動の舞台として、その風光明媚で交通の要衝としての立地の良さから時代と共に需要と変容、伝統と創造を重ねてきた岡崎の姿が、地図や年表の対比を交えて分かりやすく紹介されています。
東寺の五重塔も超える高さの法勝寺八角九重塔が現在の京都市動物園の観覧車の辺りにそびえていたことや、かつて岡崎一帯に存在していた遊園地「京都パラダイス」にスケート場に夷川船溜の遊泳場の話題など、わくわくするような、人によっては懐かしさを覚えて古地図に夢中になることと思います。
現在平安神宮を中心に、美術館や図書館、能楽堂など文化ゾーンとしての役割を果たしている岡崎。この先100年、200年後は一体どんな姿になっているでしょうか。

日本ブランドの細分化?

1月14

taiwan  再び台湾に行って来ました。
親日とされる台湾では、かねてより町中の看板に日本語や「日式○○」(日本式、日本風の○○という意味)をよく見かけますが、
街角のお店の広告や値札には「日本の」というより「北海道の△△乳業」や「京都府宇治市××店の~」という風に、より具体的な産地や店舗名が記載されている事を、今回の旅で知りました。
これが昔からの事なのか、日本ブランドがより細分化されつつある流れなのか分かりませんが、インターネット等のメディアの影響や東日本大震災も台湾や各国の人々の関心が日本に集められた一因である様な気がします。
この関心が京都を含めた日本各地に広まって、地方の活性化に繋がっていく事に期待したいところです。
また、外国人が日本各地を訪れる事で、日本の小さな町から出た事が無いという様な日本人の目線も海外へと向けられ、他国を訪れてみたりといった相互交流も今後見込まれるのではないでしょうか。
互いの文化の違いからトラブルが全く起こらないとは言い切れませんが、宗教観の大らかな日本こそ、その違いを受け入れ、うまく共存していく姿を発信できると思います。

2015年1月14日 | 未分類 | No Comments »

「わら天神」と六勝稲荷神社

1月6

wara お正月の三が日を過ぎると、各神社の熱気も少し落ち着いて、程良い賑わいとなりました。
昨年結婚した身内におめでたの朗報があったので、今年の初詣は「わら天神」と呼んで親しまれている敷地神社にもお参りする事になりました。
まだ雪の残る境内はしんと静まり返っていますが、不思議と参拝者が絶える事はありません。
ご祈祷中も、静かに鈴や柏手を打つ音や、本殿の周りを巡る足音が聞こえてきます。
祝詞をあげてもらうこと数十分、「おめでとうございます」とのお言葉と共に、安産祈願の腹帯や産着などを頂きました。
報告を兼ねた親族へのお土産に、斜め向かいにある笹屋守栄で買った、わら天神宮の名物「うぶ餅」。
見た目はきな粉を纏ったわらび餅の様ですが、そのやわやわとした感触は、これから生まれて来る赤ちゃんの柔らかさを連想させるかもしれません。
ちなみに、わら天神宮は「十六社朱印めぐり」の一つで、摂社の六勝稲荷神社は受験生達からの信仰を集めているといい、「六(む)つかしいことに勝つ」という語呂合わせはさることながら、「伊勢・石清水・賀茂・松尾・稲荷・春日」の六柱神を祀っているそうで、なんだかお得な気分ではありませんか?
お宮参りに受験など、子供の成長を祈り、見守るという風習や人生のイベントは、自分が辿って来た道を、今度は違う立ち位置から思い返すきっかけにもなる気がします。
親も子も、おじいちゃんもおばあちゃんも健やかに、この一年を過ごしていきましょう。

何を変え、何を残すか

12月24

inari 2014年7月に世界で最も影響力のある旅行雑誌「トラベル・アンド・レジャー」において、「世界で最も行きたい都市、憧れの都市」として「ワールドベストシティランキング1位」に選出され、そして2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けて、外国人観光客の更なる増加が見込まれる日本の古都・京都。
京都には、既存の観光地をより外国人観光客に利用しやすい様に整備する動きや、既にある観光資源を活かして新たな価値を創出する動きが出てきています。
例えば、旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」による外国人観光客に人気の日本の観光スポットで2013年度の1位になった伏見稲荷大社では、駅から社へ多言語が行き交う道中に、いつの間にか手荷物預かり所(おそらく英語対応可?)ができていて、近くのカフェで寛いでいると、海外から京都に来た旅行者に、英語で道案内をするボランティア「あっちこっちプロジェクト」の一員だという人とも出会いました。
また、戦後まで琵琶湖疏水の大津市~京都市間を往来した通船を観光用に復活させるという構想がとうとう、2015年3月下旬から試験運航を実施する段階に入りました。
試験運航は京都市民や観光客から参加者を募って5月の大型連休頃まで行われ、採算性等を見極めた後で本格実施に入るそうです。
いずれも、先人達が京に残してきた遺産が確固たる地盤となっていて、そういう観光資源がコンパクトに集約された京都という街は、本当に恵まれた都市だと言えます。
「おもてなし」という言葉を聞くと、つい至れり尽くせりのサービスを提供することだと勘違いとしてしまいそうですが、これから大切なのは「何を改良し、何をそのまま残すか」。
そのさじ加減ではないでしょうか。その為には、日本人が自国についての理解を深める必要があると思います。

京菓子資料館

12月16

kashi  京菓子資料館で「近現代の京菓子のあゆみ -昭和期を支えた人々-」展が開かれています。
都が東京に移り、博覧会等で外国人の来日が増え、飲食店が外国人の好みに合わせて洋食化したり、和菓子の名店が相次いで廃業する中で、和菓子屋の広告や図案帖にも洋菓子の影響、或いは洋菓子そのものが見られます。なんとウェディングケーキまであったとは!
菓子税の導入、戦中戦後の資源不足…そんな時代の流れの中でも変わらなかったのが、一個の菓子という掌サイズの媒体に、四季折々の風物を簡略化し凝縮させているところ。
あらゆる要素を削ぎ落とす事で本質を浮かび上がらせる傾向は、家紋や俳句、日本画、華道等を生み発展してきた「日本らしさ」の表れとも言えます。
創作意欲をかき立てるのでしょう、徳力富吉郎ら当時の文人墨客が描き、菓子屋に作らせた (中には味わいや触感の指定まで!)のも頷けます。
毎年我が家の年賀状は自分で絵を描いているのですが、これらの和菓子のデザインからも多いに刺激を受けました。
年内は23日まで開館、茶席は年明け2日より営業しているそうです。

神泉苑平八の「うどんちり」

12月8

heihati 平安京造営時から現在もなお、静かな池に舟遊びの風情を残す神泉苑
小野小町や与謝蕪村が川柳や俳句に詠み、祇園祭の起源となった地であり、弘法大師空海が雨乞いの祈祷をした地であり、静御前と源義経が初めて出逢った地とも言われているそうです。
しかし今回足が向かったのは、苑内の料理屋「神泉苑平八」。注文したのは「うどんちり」。お目当ては、1.5センチ角はあると思われる極太のうどん!!
その太麺の全貌は白菜で鍋底に隠れたまま、まずは仲居さんがこしらえてくれたかしわや水菜、湯葉等をはふはふと頂きます。後半からはセルフサービスで。
お楽しみの極太うどんを最後の締めにと、長く煮込み過ぎてしまい、結局もう2本追加してしまいました。
すっかり具を食べ尽くして、様々な食材のエキスの集合体となっただしに浸し、ことこと、湯気のいいにおいを嗅ぎながら煮えるのを待ちます。
好みの固さまで茹で上がったら、箸よりも太く重いうどんを滑り落とさないよう取り皿に移すのですが、なんせ太いので、まるで生き物を別の水槽に放つかのようです。
真っ白からほんのりだしの色が付いたうどんを箸で一口大に切り、噛んでみると、もっちりとした弾力。今度の茹で加減は良い塩梅だったので、うどんの風味も倍になりました。

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