e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

「地図で読む 京都・岡崎年代史」

1月21

okazaki コンビニエンスストアと言えば、全国どこの地域の店でも同じ品が手に入りますが、中にはご当地商品スペースを設けている店舗もありますね。
例えば、平安神宮の近くのあるコンビニで購入した『地図で読む 京都・岡崎年代史』。
明治28年に岡崎一帯で行われた「第4回内国勧業博覧会」の華やかなりし会場全景図を表紙にしたその冊子には、明治の東京遷都で賑わいを無くし農村地帯へと変貌していく愛宕郡岡崎村、京都復活の起爆剤となった琵琶湖疎水とその周辺を写した今昔の写真、市電が通り、京都市の祝祭の会場としての姿、進駐軍に施設を接収された戦後、時代を遡って白川や吉田山などに恵まれた古墳時代の岡崎遺跡、平安後期に六勝寺が林立し栄華を誇った「院の御所」時代、地震や応仁の乱を経て秀吉の時代には洛外と見なされた沈黙の時代、諸藩邸が続々と建てられた幕末の激動の舞台として、その風光明媚で交通の要衝としての立地の良さから時代と共に需要と変容、伝統と創造を重ねてきた岡崎の姿が、地図や年表の対比を交えて分かりやすく紹介されています。
東寺の五重塔も超える高さの法勝寺八角九重塔が現在の京都市動物園の観覧車の辺りにそびえていたことや、かつて岡崎一帯に存在していた遊園地「京都パラダイス」にスケート場に夷川船溜の遊泳場の話題など、わくわくするような、人によっては懐かしさを覚えて古地図に夢中になることと思います。
現在平安神宮を中心に、美術館や図書館、能楽堂など文化ゾーンとしての役割を果たしている岡崎。この先100年、200年後は一体どんな姿になっているでしょうか。

日本ブランドの細分化?

1月14

taiwan  再び台湾に行って来ました。
親日とされる台湾では、かねてより町中の看板に日本語や「日式○○」(日本式、日本風の○○という意味)をよく見かけますが、
街角のお店の広告や値札には「日本の」というより「北海道の△△乳業」や「京都府宇治市××店の~」という風に、より具体的な産地や店舗名が記載されている事を、今回の旅で知りました。
これが昔からの事なのか、日本ブランドがより細分化されつつある流れなのか分かりませんが、インターネット等のメディアの影響や東日本大震災も台湾や各国の人々の関心が日本に集められた一因である様な気がします。
この関心が京都を含めた日本各地に広まって、地方の活性化に繋がっていく事に期待したいところです。
また、外国人が日本各地を訪れる事で、日本の小さな町から出た事が無いという様な日本人の目線も海外へと向けられ、他国を訪れてみたりといった相互交流も今後見込まれるのではないでしょうか。
互いの文化の違いからトラブルが全く起こらないとは言い切れませんが、宗教観の大らかな日本こそ、その違いを受け入れ、うまく共存していく姿を発信できると思います。

2015年1月14日 | 未分類 | No Comments »

「わら天神」と六勝稲荷神社

1月6

wara お正月の三が日を過ぎると、各神社の熱気も少し落ち着いて、程良い賑わいとなりました。
昨年結婚した身内におめでたの朗報があったので、今年の初詣は「わら天神」と呼んで親しまれている敷地神社にもお参りする事になりました。
まだ雪の残る境内はしんと静まり返っていますが、不思議と参拝者が絶える事はありません。
ご祈祷中も、静かに鈴や柏手を打つ音や、本殿の周りを巡る足音が聞こえてきます。
祝詞をあげてもらうこと数十分、「おめでとうございます」とのお言葉と共に、安産祈願の腹帯や産着などを頂きました。
報告を兼ねた親族へのお土産に、斜め向かいにある笹屋守栄で買った、わら天神宮の名物「うぶ餅」。
見た目はきな粉を纏ったわらび餅の様ですが、そのやわやわとした感触は、これから生まれて来る赤ちゃんの柔らかさを連想させるかもしれません。
ちなみに、わら天神宮は「十六社朱印めぐり」の一つで、摂社の六勝稲荷神社は受験生達からの信仰を集めているといい、「六(む)つかしいことに勝つ」という語呂合わせはさることながら、「伊勢・石清水・賀茂・松尾・稲荷・春日」の六柱神を祀っているそうで、なんだかお得な気分ではありませんか?
お宮参りに受験など、子供の成長を祈り、見守るという風習や人生のイベントは、自分が辿って来た道を、今度は違う立ち位置から思い返すきっかけにもなる気がします。
親も子も、おじいちゃんもおばあちゃんも健やかに、この一年を過ごしていきましょう。

何を変え、何を残すか

12月24

inari 2014年7月に世界で最も影響力のある旅行雑誌「トラベル・アンド・レジャー」において、「世界で最も行きたい都市、憧れの都市」として「ワールドベストシティランキング1位」に選出され、そして2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けて、外国人観光客の更なる増加が見込まれる日本の古都・京都。
京都には、既存の観光地をより外国人観光客に利用しやすい様に整備する動きや、既にある観光資源を活かして新たな価値を創出する動きが出てきています。
例えば、旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」による外国人観光客に人気の日本の観光スポットで2013年度の1位になった伏見稲荷大社では、駅から社へ多言語が行き交う道中に、いつの間にか手荷物預かり所(おそらく英語対応可?)ができていて、近くのカフェで寛いでいると、海外から京都に来た旅行者に、英語で道案内をするボランティア「あっちこっちプロジェクト」の一員だという人とも出会いました。
また、戦後まで琵琶湖疏水の大津市~京都市間を往来した通船を観光用に復活させるという構想がとうとう、2015年3月下旬から試験運航を実施する段階に入りました。
試験運航は京都市民や観光客から参加者を募って5月の大型連休頃まで行われ、採算性等を見極めた後で本格実施に入るそうです。
いずれも、先人達が京に残してきた遺産が確固たる地盤となっていて、そういう観光資源がコンパクトに集約された京都という街は、本当に恵まれた都市だと言えます。
「おもてなし」という言葉を聞くと、つい至れり尽くせりのサービスを提供することだと勘違いとしてしまいそうですが、これから大切なのは「何を改良し、何をそのまま残すか」。
そのさじ加減ではないでしょうか。その為には、日本人が自国についての理解を深める必要があると思います。

京菓子資料館

12月16

kashi  京菓子資料館で「近現代の京菓子のあゆみ -昭和期を支えた人々-」展が開かれています。
都が東京に移り、博覧会等で外国人の来日が増え、飲食店が外国人の好みに合わせて洋食化したり、和菓子の名店が相次いで廃業する中で、和菓子屋の広告や図案帖にも洋菓子の影響、或いは洋菓子そのものが見られます。なんとウェディングケーキまであったとは!
菓子税の導入、戦中戦後の資源不足…そんな時代の流れの中でも変わらなかったのが、一個の菓子という掌サイズの媒体に、四季折々の風物を簡略化し凝縮させているところ。
あらゆる要素を削ぎ落とす事で本質を浮かび上がらせる傾向は、家紋や俳句、日本画、華道等を生み発展してきた「日本らしさ」の表れとも言えます。
創作意欲をかき立てるのでしょう、徳力富吉郎ら当時の文人墨客が描き、菓子屋に作らせた (中には味わいや触感の指定まで!)のも頷けます。
毎年我が家の年賀状は自分で絵を描いているのですが、これらの和菓子のデザインからも多いに刺激を受けました。
年内は23日まで開館、茶席は年明け2日より営業しているそうです。

神泉苑平八の「うどんちり」

12月8

heihati 平安京造営時から現在もなお、静かな池に舟遊びの風情を残す神泉苑
小野小町や与謝蕪村が川柳や俳句に詠み、祇園祭の起源となった地であり、弘法大師空海が雨乞いの祈祷をした地であり、静御前と源義経が初めて出逢った地とも言われているそうです。
しかし今回足が向かったのは、苑内の料理屋「神泉苑平八」。注文したのは「うどんちり」。お目当ては、1.5センチ角はあると思われる極太のうどん!!
その太麺の全貌は白菜で鍋底に隠れたまま、まずは仲居さんがこしらえてくれたかしわや水菜、湯葉等をはふはふと頂きます。後半からはセルフサービスで。
お楽しみの極太うどんを最後の締めにと、長く煮込み過ぎてしまい、結局もう2本追加してしまいました。
すっかり具を食べ尽くして、様々な食材のエキスの集合体となっただしに浸し、ことこと、湯気のいいにおいを嗅ぎながら煮えるのを待ちます。
好みの固さまで茹で上がったら、箸よりも太く重いうどんを滑り落とさないよう取り皿に移すのですが、なんせ太いので、まるで生き物を別の水槽に放つかのようです。
真っ白からほんのりだしの色が付いたうどんを箸で一口大に切り、噛んでみると、もっちりとした弾力。今度の茹で加減は良い塩梅だったので、うどんの風味も倍になりました。

太閤山荘・古田織部美術館

12月2

oribe  紅葉の色付きも人出も山を越えた模様ですが、JR東海の今年のキャンペーンポスターが源光庵だったこともあり、鷹峯は大賑わいだったとか。
その源光庵から更に北の住宅地へ入ったところに、今年開館した「太閤山荘・古田織部美術館(※現在臨時休業中です)
既に紅葉の見頃は過ぎていましたが、色とりどりの散り紅葉が、龍門瀑を連想させる庭の石組では飛沫を上げる滝の様に、美術館となっている蔵への渡り廊下では白木を彩る刺繍の様に、表情を変えて楽しませてくれました。
現在の展示品は古田織部の時代の、堺の茶人達の茶道具や消息等で、今までドラマや漫画でも知り得なかった数寄者達の名前も多く連ねられています。
箱モノの美術館で観賞するのとは違い、鷹峯に住まう茶人の家を訪ね、お茶をよばれ、そこのコレクションを見せて頂いているような感覚。
太閤山荘の向かいから急な坂道を降りたところにある「紅葉谷庭園」は、まだ整備途中といった様子でしたが、池に対面して配されたベンチを覆う桜とおぼしき木々や、手漕ぎボートを見ると、来春・来秋には鷹峯で静寂と自然を味わえる穴場となりそうな予感です。
翌2015年は、古田織部が大坂夏の陣の後に徳川秀忠によって切腹を命じられ、その生涯を閉じてから400回忌にあたり、また本阿弥光悦が徳川家康より鷹峯の土地を拝領した「琳派誕生」の年でもあります。
今年も残すところあとひと月となり、まもなく「琳派400年記念祭」の幕開けです。

お火焚き祭

11月20

ohitaki 前週末、稲荷山への月参りでいつも立ち寄っている薬力さん(薬力大神)に、黒山の人だかり。
その日は薬力さん、隣のおせきさん(おせき大神)のお火焚き祭だったようです。

昔は、主に火を扱うお商売をやっている家々でされていたというお火焚きですが、今では各地の神社で観られるだけになってきました。
共に小さな祠ながら、普段からたくさんのお供えがありましたが、細い参道や茶店いっぱいの人の多さから、今でも多くの人々の信仰を集めている事が伺えました。
配られた祝詞を詠み、護摩木を火にくべ、お下がりに赤飯やおこし、お火焚き饅頭にみかんを頂き、最後に残り火で無病息災の焼きみかんをさせて頂き、なんだか得した気分に。

以前から、この焼いたみかんはどんな味がするのだろう…と密かに想像を巡らせていましたが、味は普通のみかんでした!

水原房次郎 蔵美術館

11月10
水原房次郎 蔵美術館
水原房次郎 蔵美術館

  宇治市内に新たに「水原房次郎 蔵美術館」が開館したと聞いて、訪れてみました。
会場は、古くから製茶業を営んでいた旧家・藤川市左衛門邸の、もとは製茶の作業場だったという築300年近い土蔵を改装したもので、太い梁や藁の苆を散らした荒壁もそのままの風情を活かしてあり、数々の風景画とも溶け込んでいました。
福岡で生まれ、戦後は宇治にアトリエを構えて約50年を過ごし、画業ひと筋だったという洋画家・水原房次郎さんの作品は、地元や江ノ島、奈良等の国内の風景のみならず、欧州や南米を渡り歩いた軌跡で主に構成されていました。
一貫した作風というよりは、日本を出て遭遇した色や光、ステンドグラスの影響を受けながら、筆致や書き込み具合を変えてみたり、年齢を重ねる毎に意欲的に、大胆になっていくのが伝わってきます。
キャンバスの端に描かれた青空のパキッと突き抜ける様な爽快感、素早いタッチながら熟れて遠くに漏れている光をも映した描写が非常にリアルな柿の実…作品の一部は公式ホームページからも観る事はできますが、その色遣いや対象物の特徴を捕える巧さは、実際に間近で対峙しなければ知り得ません。
この蔵美術館のある宇治市白川付近は、主に玉露を生産する農家が点在しているそうで、京都府の茶業研究所もあります。観光客で賑わう宇治橋商店街の風情とは違う、京都の茶処としての地元色が表れた静かな趣きでした。
個人宅の敷地内にあり、期間限定の開館という事で、次回は春の公開までのお楽しみとなりそうです。

日本と台湾

11月5

taiwan 先週末の連休に訪れた台湾。
同じ文化ベースがあり、日本とよく似ているけれど、どこか違うところが面白い。
同じ島国なのに、この違いはどこから生まれるのでしょうか?

京都では、台湾や香港等の観光客を対象とした着物レンタルが盛況です。
「京都らしい景色の中で、日本らしい格好、体験をしてみたい」という、本場を求める気持ちはよく分かります。
インターネット等の通信・流通網の発達で世界が狭くなり、旅先で出逢った美しい装束や美味しかった食べ物を、自分の国で手に入れられるこの頃。
でもそれは、異国への思い出や憧れを呼び起こすスイッチにはなり得ても、再び同じ感動を得られるとは限りません。

文化の違いを生む一番の影響力は、やはり地理的条件の違いではないかと思います。日本と台湾の場合は、気候でしょうか。
現地の雑誌には、日本の紅葉や温泉を巡る記事もよく見かけました。
その土地で生まれ、育まれた物や文化は、やはりその土地で味わうのが一番楽しいもの。

今回の台湾の旅でお世話になった人々が京都に来る事になったら、ぜひ本物の京都を味わって頂けるよう、精一杯もてなしたいと思います。

2014年11月05日 | 未分類 | No Comments »
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