e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

鴨川で桜のお茶会

4月17

naka再びお天気に恵まれた先週末。
枝垂れ桜の半木の道と鴨川の菜の花の対岸で、友人がお茶会を開いてくれました。

お互いにお湯とシートを手にゆるゆると集まり、色とりどりのシートでパッチワークのようになった芝生の上に円座。

リボンが結ばれたバスケットには、「菓子屋のな」の「あんバターチャバタ」がいっぱい!
イタリアの堅めのパンに、あんこや苺とマスカルポーネが挟まった、贅沢な一品です。

普段、高級茶である玉露を飲むことはそう多くありませんが、宇治玉露の「ごこう」や「宇治ひかり」、静岡煎茶の「静7132」や「つゆひかり」など、品種茶をメインにたくさんお茶を飲み比べ、ペアリングの和洋菓子をお腹いっぱい楽しませて頂きました。

主催の友人は日本茶インストラクターであり、フードコーディネーターでもあります。
このお茶会のためにお菓子の予約をして買い回り、たくさんの茶器を運んでここまで来られたのかと思うと、頭が下がります。

かすかな春風にふと見上げると、雲のない真っ青な空に、桜の花びらが瞬くように舞っていて、いつしか自分の茶碗の中にもひとひら浮かんでいました。

頭上の桜、脚下のたけのこ

4月9

takenoko桜の満開を迎えた週末の京都。
平日蕾を濡らした雨も上がったというのに、家族行事で京都の桜を拝みにいけずじまい。

そんななか、生協の宅配のネット注文をしていると、期間限定企画の「京都の皮付たけのこ」を発見!
新物で、あく抜きに必要な鷹の爪入りのぬかまでセットされていました
(ちなみに税込2,138円でした)。

スーパーでもたけのこのそばに米ぬかが置いてあったりするものの、これまで
たけのこで有名な「とり市老舗」の前でも
「美味しそうだな…でも手間だしな…値段も…」と
横目でやり過ごしていました。

京都のたけのこは、肥料を与えるなどの手入れは全て手作業で行われ、えぐみが少なく肉厚でやわらかく、甘みがあるのが特徴なのだそうです。

一度は自分で下ごらしえしてみたかったので、ポチっと注文して、いざチャレンジ。

たけのこは何日も置いておかず、すぐに調理するのが鉄則。
かつてお料理教室で習ったことを思い出しながら、こちらも参照しました。
他産地のものをゆがいたことが無いので分かりませんが、思っていたより短時間でやわらかくなりました。

2本をまるごと家族で頂く贅沢。
牛肉と一緒に炊くのも捨て難いけど、やっぱりシンプルな若竹煮に。
こりこりとした歯応えとやわらかい肉質を、子供達も楽しんでいるようでした。

初めてにしてはうまくいきましたが、やはり料理屋で食べるものとは味付けが違いますね。
プロが仕上げたたけのこは、より上質な素材の味を引き出すように工夫されているのだろうと、自分で手をかけてみて改めて感じます。

たけのこ尽くしで有名な「錦水亭」にも行ってみたくなりました。
長岡天満宮の八条ケ池の桜ライトアップも10日まで期間が延長となったようです。
これからの季節はキリシマつつじも綺麗でしょうね。

オープントップバスから桜の京都を眺める

4月2

sky満開のタイミングや自身の予定、お天気との掛け合わせにやきもきする桜シーズン。

屋根のないオープントップの2階建てバス「スカイバス」の「桜満喫ドライブ」を予約してみよう。そう思い立ったのが、天気予報で桜の開花予想が出たころでした。

1週間後のに満開のタイミングには少し早いものの、翌日から雨続きの予想のために数日前倒しの4月頭で予約することに。
それからは雨予報がずれ込まないか、毎日のように「近畿地方の2週間天気」とにらめっこ。
ところが、あれから3月末の気温が冷え込み、実際の開花は予想よりも遅くなってしまいました。

当日は快晴に恵まれました。4月1日より改名されたばかりの「ニデック京都タワー」が青い空に映え、心地よい風に吹かれて出発進行!

さて、桜の結果は…鴨川・賀茂川沿いの桜はちらほら咲き、岡崎エリアへと続く冷泉通りは早咲きの桜がところどころピンクの塊となって窓を撫でるように続きます。
「最初の開花予想のままだったら、今頃延々を続く見事な桜に客席からもっと歓声が上がっていただろうなあ」と思いましたが、予約した日を後ろにずらしたところで、雨と被ってしまっては元も子も無いと思い当初通りの日取りで乗車したのです。

気候も開花も自然のものだから仕方のないことですね。

春の風と日差しを受けながら、沿道のホテルのスタッフさんが大きく手を振ってくれたり、琵琶湖疎水船(動画にリンクします)と並走したり、信号ほどの高さから知恩院の古門をくぐるのはこのバスならではの楽しさでした。

ちなみに、五条より南の桜は満開で、窓の外を流れる桜並木と雪柳の共演を眺めることができました。

京都の桜シーズンはスタートを切ったばかり。
ダメもとでチャンスを伺ってみてはいかがでしょうか。動画は後程アップ予定です。

京都の名建築、明治村にあり。

3月11

meiji小京都」と呼ばれる町は日本各地に見られますが、それとは別に、かつて京都にあった建造物がたくさん移築されているのが愛知県犬山市にある「博物館 明治村」です。

約100万㎡という広大な敷地内を、日本初の一般営業用電気鉄道であった「京都市電」が来場者を乗せて走り、「京都七条巡査派出所」のそばにある「市電 京都七条駅」に停車します。
この赤レンガのタイル張りがモダンな派出所は、西本願寺前に建っていたのだそうです。

河原町三条で創業、後に御幸町通に移転して営業していたという「京都中井酒造」。
現在明治村で甘味処としても利用できる京町家の一角には「岩竹」という銘柄の酒瓶と酒樽が据えてありました。
樽には「京都中井酒造ゆかりの酒」、瓶のラベルには伏見区下鳥羽の「三宝酒造」とあります。
京都中井酒造も三宝酒造も廃業もしくはその住所では既に営業されていない様子ですが、
御幸町二条には「清酒 岩竹」とだけ書かれた看板が残っているようです。

聖ヨハネ教会堂」は「日本聖公会京都五条教会堂」として、明治40年から昭和38年に解体されるまで京都に存在していました。
外観こそ洋館そのものですが、内部の天井には京都の気候に合わせて竹のすだれが採用されています。
この堂々たる佇まいの洋館が河原町通五条にあったのかと、想像が膨らみますね。

他にも北区小松原北町にあったという茶室「亦楽庵」「宮津裁判所法廷」など、これら京都にゆかりのある建造物の多くが登録有形文化財に指定されています。
機会があれば、ぜひ注目してみてくださいね。

節分の「祇園ひょっとこ踊り」

2月7

hyottoko e京都ねっとも今年で干支2週目でありながら、節分の日に行われる「ひょっとこ踊り」については知りませんでした。

満足稲荷神社で狐のお面を被った巫女や年男が豆撒きをします。
こちらでは「鬼は外」とは言わず、「福は内」の掛け声のみ。
豆を受け止めるため人々が笑顔で両手を広げ、場が温まると、ひょっとことおかめらが舞殿に上がり、寸劇を披露し始めました。
化け狐がひょっとこの妻・おかめをそそのかして舞殿の外に連れ出すと、様々な表情のひょっとこ達が続々と後に続いて境内を踊りながら賑やかに周り始めます。
軽快な鉦や笛の音色と、おかめの愛嬌、ユーモラスなひょっとこのり付けに、いつしか観衆も手拍子。

太秦・ひょっとこ踊りの会」による奉納だそです。
2023年8月にひょっとこ踊り発祥の地とされる宮崎県で開かれた「日向ひょっとこ夏祭り」で団体・個人ともに優勝したという実力派です。

間の抜けた表情についこちらの頬も緩んでしまい、「こっち向いて~」と声を掛けると、ポーズを取ってくれることも。
その後、一行は20時に観亀稲荷神社から銘々に出発。
通りすがりの外国人に「何が始まるの?」と話しかけられ、追いかける私達の後について来ました。
祇園界隈はちょうど節分のお化けで獅子や助六などに扮した芸妓さんたちにも度々遭遇します。

祇園新橋辺りに再集結したひょっとこ達は更に数が増えたように見え、懸想文売りも加わりました。
祇園町の北側、辰巳神社周りを練り歩き、その後祇園町の南側へと移動していきました。

この「ひょっとこ踊り」は今年で10年目の節目として、一旦終了だそう。
残念ではありますが、春の訪れがいち早く訪れたような、清々しい気分にさせてもらいました。

あ!そういえば…この日は鬼に一度も会ってなかった!

「句読点」のごとき大徳寺納豆

1月31

kara主に禅寺で手作りされきた昔ながらの保存食・大徳寺納豆
見た目は小さな味噌玉のようですが、大豆を納豆菌ではなく麹菌で発酵させ、乾燥後に熟成させたもの。
修行僧にとっては貴重な植物性のたんぱく源であり、夏を中心に手間暇かけて仕込まれ、この作業も修行の一環なのかもしれません。
「天竜寺納豆」や「一休寺納豆」としても知られています。

「大徳寺納豆って色んな所で作ってはるけど、ここのが一番好きや」
と、父に連れて行ってもらったのがお店ではなく、大徳寺の塔頭の一つ、瑞峯院でした。
「(ここって、キリシタン大名の大友宗麟のお寺だよね…)そんないきなり行って買えるん?」と訝しむ心持ちで敷居を跨ぎ、入り口入ってすぐの受付で尋ねると、「唐納豆」と判を押された上品な包みが差し出されました。

久々に我が家に迎えた瑞峯院の大徳寺納豆。
もっちりしていますが、微かにしゃりっと感じる歯応え。
意外にあっさりしていてクセがありません。

初めて食べた家族の評判は二分されましたが、納豆好きな3歳の子供が「美味しい!」と一言。
それ以来、「あの、なっとうの、くろいやつ」と所望されます。
「こんなに袋に入っていてもそう減らないだろう」と思いきや、自分でもあれからふと目にすると一粒つまんで、毎日一度は口に含んでいることに驚きました。
まるで、生活の中の「句読点」のごとき黒い粒。

一度にたくさん食べられるものではありませんが、和菓子のアクセントとして入っていると嬉しいもの。
お粥の真ん中に数粒浮かべたり、お善哉など甘いお菓子やお茶の傍らに添えるのもいい。
そういえば初釜の点心では、瑞々しい松葉に大徳寺納豆を通した洒落た姿で出されていました。
食べ方、出し方のアレンジを色々考えてみたいですね。

瀧尾神社と大丸と祇園祭

1月24

takio 当初3日間だけの予定だった瀧尾神社の「木彫り龍」の特別拝観が、3月末まで期間延長(※木曜休み)されています。

辰年という事で夕方でも参拝客が絶えず、順番を待ちながら拝殿を見上げると、境内は広大というわけではないものの、美しい檜皮葺の屋根やその周りをぐるりと飾る彫刻が、とても立派なものであることに気付きます。

これらの彫刻が干支かと思いきや、後で調べてみると獅子や獏(ばく。象の様に長い鼻でした)、海馬(かいば。見た目は牛に似ていました)、犀(さい。亀の甲羅を背負っているように見えます)といった生き物だったのでした。
中でも、「鳥龍(ちょうりゅう)」は、天皇即位の高御座にも見られる神獣とされ、彫刻としての姿を見られるのは大変珍しいことなのだそうです。

これらは九山新太郎という江戸後期の彫り物師が手掛けたもので、大丸百貨店の創業家・下村家の子孫から寄進されたと伝わります。
大丸との縁は、創業者の下村彦右衛門正啓(「福助」人形のモデルとも)が行商へ行く道中にあった当社を常々参拝し、現在の京都大丸の屋上にも瀧尾神社から分祀した稲荷社へ毎月一日に宮司が欠かさずお参りをしているとのこと。

初公開されたのは、拝殿の天井を泳ぐ木彫りの龍。髭の先から尾までなんと全長8m。
こちらも下村家から寄進され九山新太郎とその弟子たちの手によるもので、鋭い爪の中に宝珠を携え、今にも動き出しそうなほど。
江戸時代に大丸呉服店の総本店が祇園祭の大船鉾の寄町にあった縁で、下村家が鉾の先端を飾る龍頭の制作を援助、その際に檜で作られt最終試作品が瀧尾神社に飾られ、新たに胴体も杉でもって制作されたのだそうです。

令和の時代も大丸が存続し、人々に親しまれているのは見ての通り。
ご利益とは、一方的にお願いごとをするだけでなく、日々の感謝を自身の行動で表すことでもたらされるのではないかと感じますね。
年の初めにいいものをみせて頂きました。

歩きながら考えていこう

1月16

ourin 昭和27(1952)年から始まり昭和50(1975)年まで行われていたという“東山十福神巡り”。
令和に「京都東山福めぐり」(1月7日で終了)として復活し、その訪れたなかで最も印象的だった場所の一つが、普段は非公開の岡林院(こうりんいん)でした。

創建は1608年で、現存する高台寺の塔頭として最も古いお寺です。

初めて中に入らせていただくと、茶室を備えた苔の美しい露地庭が広がっています。
茶室「忘知席(ぼうちせき)」は裏千家又隠席の写しなのだとか。
ここが観光地のど真ん中とは思えない静けさ、まさに「市中の山居」。

庭を望む丸窓の奥には、鏡餅が供えられた延命地蔵願王菩薩が私達を見つめています。
明治~大正期の画僧で建仁寺にも作品を残すという田村月樵の天井画の龍は、漆の床板にまるで鏡のように見事に映り込んでいました。

傍らに置いてあった色紙について尋ねてみると、書いてあるのは「雲従龍」とのこと。
「雲は竜に従い風は虎に従う」という言葉があり、「立派なリーダーの周りには、そのリーダーシップや魅力に惹かれて、同じように優れた臣下や部下が集まる」こと、また「相似た性質を持った者同士が互いに求め合う」とされています。

「そういう言葉がありますが、頭であれこれ思い巡らせるよりも、まず一歩踏み出して、歩きながら考え進めば、自ずと仲間もできて道ができていく」のではないかとの若いご住職さんのお話でした。
自分にとっては、こちらの解釈がより近くで背中を押してくれるように感じます。

通常は入ることのできない岡林院ですが、X(旧Twitter)Instagramの公式アカウントからも日々の境内の様子を発信しておられます。
今、そこにいる場所から訪れてみてはいかがでしょうか。

60年ぶり『京都東山福めぐり』

1月9

fuku 年が明けて初めての連休は、京都マニアの友人に誘われ『京都東山福めぐり』をしてみることに。
2024年に北政所ねねの没後400年を迎え、昨年60年ぶりに復興した催しで、通常非公開のお寺やお像が3日間に限り公開されるそのこと。それが私たちのお目当てというわけです。

東山エリアの指定された各寺社を巡りながら、様々な御利益を祈願するお守り札を受け、専用の台紙のポケットに収めていきます。

高台寺周辺なら何度も歩いてるから午後からでも廻れるだろうと高を括っていたら、道を間違えてしまったり、お参りだけして札をもらい忘れたり、休憩所で無料接待を受けたり意外に時間を要しました。
最終日というのに閉門間際になってしまい、駆け足で手を合わせながらいつしか「今日中に全てを回ることができますように」という願掛けまでしてしまっていました。

最後に最も場所が離れている瀧尾神社を残し、閉門時間を過ぎて半ば諦めているもののダメもとで電話をかけてみると、
「一日で回らはるのは無理ですわ。うちはまだやってますよ。」との奇跡の回答が!
思わず電話口で「やった!」と発してタクシーに飛び乗り、20分後に現地に到着。

拝殿天井の全長8mの木彫りの龍が初公開された瀧尾神社は、辰年のためか、まだまだたくさんの人が参拝に訪れていたのでした。

「これで満願達成ですね」と最後の守り札を受け 、居合わせた見ず知らずの参拝客からも「おめでとうございます」と声を掛けていただきました。
無謀かつ強行突破で半日で全てを巡りましたが、できれば朝から一日もしくは2日かけてお参りされるのがいいのでしょうね。

京都東山福めぐり』のそれぞれの詳しい感想はまた後日。
ちなみに、瀧尾神社の「木彫り龍」の特別拝観は1月末まで期間延長されたそうです。

紅葉の絨毯を求めて

12月13

daikoku 紅葉狩りの熱気が落ち着いたころ、お目当てに向かうのは敷き紅葉です。
銀杏の木が並ぶ北山通りは黄色く縁取られ、蝶のような葉が北風に煽られて、コンクリートの上をカサカサと舞い踊ります。
「枯れた風情」とはよく言ったもので、この季節だからこそ出逢える優しい彩りの景色ですね。
一筋北の通りに入ると、お盆の「妙法」の送り火の字が残る山肌が迫り、麓には趣のある民家が点在しています。
「代々、妙法を守ってきたお家だろうか」と振り返りながら山の手へ。

どうやら妙円寺、通称「松ヶ崎大黒天」の境内へ東側から入ったようです。
一瞬奥に赤い地面が見えましたが、まずは本殿にご挨拶。
妙円寺は「都七福神めぐり」のお参り先の一つ。
お正月で賑わう前に一足早く色紙を求めている人もいました。

そこで、昨年に受けた打ち出の小槌のお守りを新調しました。
「どうしたことか、度々蓋が開いて中の大黒さんが逃げはるんです。どっか行って空っぽになっちゃって」と事務所の方に話すと、
笑いながら「身代わりになって下さる事もあるので…」と手渡してくださいました。

境内の奥に目をやると、門前に色とりどりの紅葉が地面に落ちて、一面を染めた赤い絨毯のようになっていました。
もう12月の2週目だったので見頃は過ぎた感がありましたが、タイミング次第では額縁に収まった錦模様が更に鮮やかだったことだろうと思います。それでいて拝観者の出入りも適度で静か。

ふかふかの紅葉を踏む「ふしゅ、ふしゅ」という音を足で感じながら山を降り、再び北山通りへ。
この付近は、夜になるとクリスマスムードになりますよ。

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