e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

「京都の定番」をおさらい

8月28

100 今、五木寛之著『百寺巡礼 第三巻 京都Ⅰ』を読んでいるところです。
これは2003年に発刊された有名な書籍で、京都編の前半にあたりますが、紹介している寺院は金閣寺銀閣寺清水寺東寺など、いわゆる「京都観光の定番」とも言われるところばかり。

それらの「有名寺院」を自分が知り尽くしたとは思っていませんが、余りに有名、余りに人気があり過ぎて、かえって足が遠のいてしまう時があります。けれど、国内外からやってくる人々が目指すのはやはりこういう場所。
ガイドブックとは異なる表現に触れてみたくて手に取りました。

休筆中に五年余り京都の聖護院に暮らしたものの寺社を拝観することなく、二十年程経って京都の寺々を巡ったという作家・五木寛之氏。
様々な作家の言葉も引用し、龍谷大学で学んだ経験や自らの人生観も織り交ぜながら、それぞれの寺院についての考察を深めています。

令和の今や動画投稿サイトで実況を観て拝観の疑似体験することもできますが、こちらは、まるで共に歩いているように想像を膨らませながら読み進める楽しみがあります。
その臨場感ある描写と取材力を前に、時折自分の物書きとしての語彙力の無さも恥じながら、ひと寺ごとに新たな発見をさせてもらっています。

これらの「有名寺院」を一括りにせず、もっと踏み込み問いかけるような話題として来訪者に提供できるよう、この本を手もとに置いておきたくなりました。

本からの声を聞く

8月14

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毎年恒例、下鴨神社糺の森の木陰で開催される「納涼古本まつり」。
今回は子供達の手を引き、児童書目当てで森の中に入りました。

木陰で暑さはやわらぐものの、人の熱気を感じます。
日頃は街中で古本屋の前を通り過ぎても、おじ様や外国人しか見かけないのに、こんなにもたくさんの老若男女がお気に入りの一冊を求めて歩き回る光景には圧倒。

今やネットで欲しい本を一瞬で検索して翌日には手もとに届いてしまう便利過ぎる世の中ゆえに街角の書店も減りましたが、今でもこんなに本の愛好家がいるのですね。

会場内には飲料のみ提供ブースがありました。
境内には茶店、神社周辺にも飲食店は幾つかありますので、お食事の心配は無用です。キャッシュレス決済に対応している店舗もあって時代を感じます。

歴史書など高尚で分厚い専門書から、昭和のアイドル雑誌、ヒット漫画の全巻セット、関連グッズなどなど。
児童書は、どのお店でも通路側の低い位置にまとめて置いてあったりします。
子供達は直感的に手に取って次々と選んでいきました。

絵本というのは、適齢期を過ぎても大人になって見返しても、その色遣い等のデザイン性やストーリーに惹かれ、再び手もとに置きたくなるものですね。

全ての古書店を隈なく覗く時間がなくても、店主が面白い、人の気を惹きそうなものをちゃんとディスプレイしているので、案外何気なく手に取って求めた本が役立ち、今でも時折開いて読んだりします。
きっと本の方から呼んでくれてたりもするのかもしれませんね。

「納涼古本まつり」は、毎年五山の送り火の日まで開催されています。

祇園祭の原点へ

7月30

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八坂神社の祭神が本殿に還り、神輿も無事に蔵に納められました。
残すところは31日の夏越祭のみ。

長い祭の合間に、街角のそこここに貼られているお札に新たな変化があるのを知りました。
中御座、西御座、東御座が「御神酒」を八坂さんに献上したという印のお札に並んで「御神水」と書かれたお札が加わっています。
去年まではまだ見かけなかったような。

「清らかな水で浄化をしたい」。
令和の疫病蔓延を経て、再び祇園祭の原点に立ち戻るべく、2022年より「青龍神水」がそれぞれの神事や催しで用いられるようになったためではないかと推測します。

八坂神社で毎年7月16日に献茶祭が斎行されていますが、去年より「祇園大茶会」が7月15日と16日に八坂神社参道・祇園四条通で開かれていたそうです。
以前より「祇園大茶会」は度々開かれていましたが、この時期にやっていたとは知りませんでした。
「青龍神水」による一服、来年こそは頂きに上がりたいと思います。

神仏習合の祈り「八坂礼拝講」

7月24

raihai2024年の祇園祭でも新たな話題がありました。
かつて「犬神人(いぬじにん)」や「弦召(つるめそ)」と呼ばれる人々が住んでいた弓矢町の町人らが、祇園祭の神幸祭・還幸祭で中御座の警護役として行っていた武者行列を半世紀ぶりに復活させようという「弓矢組プロジェクト」が始まっています。
来年の行列復活を目指して鎧の調査や修復が進められており、今年の神幸祭では宮本組の御神宝列と共に旗持と裃姿で参列されました。

また、八坂神社の宮司から延暦寺への申し入れにより、国家安寧と疫病退散を合同で祈る神仏習合の儀式「八坂礼拝(らいはい)講」が復活しました。
南楼門から神職と僧侶がそれぞれに列を成し本堂へと入っていきます。その中には車いすの天台座主の姿も。
その光景を見守る人々の中にも有名な寺院の関係者がたくさん手を合わせていました。
本堂内は非公開でしたが、祝詞や世界平和を祈る祭文が唱えられ、外で待つ私達にも聞こえてきました。
この「八坂礼拝講」は、疫病退散の祈りとして今後も継続を目指すといいます。

山鉾を競って絢爛豪華に飾り立てるようになった室町時代以降続く、町衆によって熱を帯びてきた祇園祭。
祭儀のあり方を再考させられた、2年余りに及ぶコロナ禍の影響が大いにあったと言っても過言ではないでしょうか。

自然の原理を生かした陰陽道のやり方に戻したい、と宮司は今後、神仏習合時代の祈りの形を整え、2033年に向けて『祇園感神院』の復元が模索されているそうです。
八坂神社は、明治の神仏分離政策を受ける前は「祇園社」「祇園感神院」という名を称していました。

西楼門から入って左手にある手水舎には「感神院」の文字が見られます。ぜひ見てみてくださいね。
関連動画は後程アップ予定です。

リハーサルは宵山で

7月16

tigo 祇園祭宵山期間中の15日に、長刀鉾でしめ縄切の練習がありました。
本番だと見物客が多くて見える場所を確保するにも苦労しますが、リハーサルだとゆったり観られるのがいいですね。

お稚児さんは遠く八坂神社の方を見据えてお辞儀をし、落ち着いた表情で真剣をしっかと握り、無事一刀両断すると、周辺から拍手が湧きました。
断つ所作を2回も披露し、最後は再び首を垂れて太刀を押し頂き終了。
その後一行はタクシーで八坂神社へ。

宵山の3日間、長刀鉾の稚児たちは様々な行事の合間を縫って毎日八坂さんへ社参されるそうで、なんとまあお忙しいこと。
手を清めて社殿での祈祷の後、石段下の交差点で一瞬だけ記念撮影も行われました。

そのまま一行は長刀鉾町まで徒歩で歩き始めます。
稚児は手を引かれますが、素手で直接触れるのではなく、白い布越しに。
道中、冠が乱れたのでしょうか。手直しは傘や大団扇でその様子が見えないように隠された状態で行われました。
始まったばかりの歩行者天国も、お稚児さんの列をつつがなく通すために開かれます。

御祈祷中は上がっていた雨が、八坂さんから離れていくうちに土砂振りに戻り、長刀の文字の入った番傘の花がたくさん開きました。それらを出迎えるように長刀鉾からはお囃子が始まりました。

綾傘鉾四条傘鉾でも、お囃子の合間に17日の山鉾巡行で本番を迎えるくじ改めの所作の練習を公開しているようで、眺めていると本番に向けて応援したい気持ちが自然と湧いてきます。

興味を持って深堀りすれば、知れば知るほど知らない情報が出てくるのが京都です。
この日の動画は後程アップ予定です。

日本文化の砦としての花街

6月5

siryo 先月開館した「祇園 花街芸術資料館」へ。
1時間程で見学する予定が、気がつくとトータル4時間弱も長居していました。

場所はお馴染みの祇園甲部歌舞練場やギオンコーナーに隣接する八坂倶楽部内です。

舞妓さんが手にする籠の中身や化粧道具、月毎に替える簪や帯に忍ばせる懐中時計などを間近で拝見できます。着物も帯も、さすが本物ばかりで、花街が日本の文化のみならず伝統工芸を維持するための砦となっていることに気づかされます。

五世井上八千代さんが舞い、京舞について、また自身の襲名に至るまでを語る映像もつい最後まで観ていました。どの瞬間を切り取っても凛とした女性の美しさを表していて惹き込まれるのです。

国産ウイスキーやソフトドリンクをおつまみと庭の新緑と共に楽しめるバーもあり、今なら割引価格で静かにくつろぐことができますよ。

花見小路を歩く観光客が急増したとはいえ、お茶屋に縁のある人やお金を落とす人はそう多くはないでしょう。
美しい芸舞妓さんと出会える瞬間は、たまたまそこを横切っていく姿を追うときだけ。
彼らは決してその世界観を侵そうと徘徊しているのではなく、「もっと知りたい」だけなのです。

そんな人達がツアーではなく自分達のペースで花街の文化やしきたりに触れ、間近で舞を眺め一緒に記念撮影(別料金)できる施設がようやくできたと思いました。
ここを利用することで、花街という「ハレ」と「ケ」が同居する独特の世界への理解が深まり、維持していくための一助となることを願います。

ちなみにポスターのあの美しい人は「華奈子(はなこ)」さん。
会場には彼女の別の写真も展示してあり、あの大人っぽさとは違う少女のような表情が見られますよ。

誰かの実家で食べるごはん

5月27

chikoro 大文字山を下山したころ、世界遺産・銀閣寺の参道のお店がすっかり営業を開始していて、多くの観光客で賑わっていました。
一息つくのにどこに寄ろうか彷徨ううちに南側へ延びる脇道が目に入り、直感的に進んで行くと、やっぱりありました。古民家カフェ。

入れ違いに玄関を出てきた外国人のマダムの穏やかな表情が、静かで落ち着いた時間をすごせたことを物語っています。

縁側の隅には持ち主のものと思われる文庫本がしまわれており、いかにも銀閣寺界隈に古くからあるような、文芸的な薫りのするおうち。
「家は使わないと傷んでいってしまうから…」と、身内の方が静原の自家農園で採れた野菜や近隣の新鮮な有機野菜や有機食材でこしらえた自家製のランチやお菓子を提供しています。

床の間の棚の扉には「大」の字が。「大文字」の送り火のお膝元なので、後から入れられたのだそうです。珍しく高さのある木枠に収まった火鉢など、アンティークショップにあるような家財がそこかしこに馴染んでいます。
帰り際に玄関に飾られているお花は、なんと人参の花なのだそう。

アップテンポなBGMや映えるスイーツのカフェも気分がアガるけど、「誰かの実家で食べるごはん」という環境は腰を下ろしてほっとするのに最適ですね。
Cafe Chikoro」はまだ昨年オープンしたばかり。銀閣寺を目指して人混みを歩く人々にも教えてあげたくなりました。

京都人からみた葵祭

5月15
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(※画像は過去のものです)

京都人からみた葵祭の印象とは。

「あ、もうそんな季節か」と気づくのが装束行列(「路頭の儀」)の約1か月ほど前に発表される「斎王代」の発表の記者会見でしょうか。

「今年はどこぞのご子女がしゃはるんやろ」
「あら、べっぴんさんやねえ」

から始まり、その後は大型連休に気を取られたまま5月に入り、「斎王代女人列御禊神事」で再び思い出すものの、「競馬神事」や「流鏑馬神事」が葵祭の関連行事である事に気付かないまま15日の葵祭当日を迎える人も少なくないと思います。

斎行されるのは毎年「5月15日」と固定されているのですが、日付まではっきりと認識しているお祭はお盆の「五山の送り火」ぐらいで、必然的に平日開催の割合が多くなるため、仕事の合間の休憩中や就業後に観たニュースで「今日は葵祭やったんか」という声も。

どちらかというと観覧席は観光客用で、地元人はぶらぶらと歩きながら眺めるスタイル。
うっかり人の波の中を自転車で紛れてしまうと動けず、交通規制により回り道をしなければなりません。
行列が通る沿道のお店の人達は、商売にならないのか、店頭に立っていつもとは違う外の景色を眺めている人たちもけっこういるものです。

一方、京都に根差した企業や伝統芸能の世界に関わる人達の中では、室礼の中に葵祭の要素を盛り込んだり、鯖寿司を食べたり、祭に関わる人達の着付け等の裏方で大忙しの人たちもたくさんいるのです。。
友人は学生の頃に女人役を体験し、白塗りの集団がバスに乗って移動する様はとてもシュールだったそうですよ。

つつじの丘で与謝野晶子に出逢う

5月1

keage 桜に代わって約4,600本のつつじが咲き誇る蹴上浄水場の一般公開(4月29日で終了)は、京都の晩春の風物詩の一つです。

ポコポコと花の半球が山肌を埋める鮮やかさは、三条通りを走る車の窓からでも確認できるほど。
いざ場内に入ってみると、思った以上に広さも高さもあることに気が付きます。

早くも初夏の湿気を含んだ空気のなかで、鼻を近づけなくても漂ってくる花の香り。
近所でも見かける身近な花ながら、初めて知るツツジの香り。

「ツツジのトンネル」を潜り抜け、息の切れる階段を登るなか、歌集「みだれ髪」や『源氏物語』の現代語訳でも知られる歌人・与謝野晶子の歌碑に出逢います。

晶子の筆蹟を写した歌は、
「御目ざめの鐘は知恩院聖護院 いでて見たまへ紫の水」。

与謝野晶子と鉄幹の思い出の旅館「辻野」が、かつてこの蹴上浄水場の敷地内に建っていたそうですね。

高台の広場に出てみると京都市内を一望でき、眼前にはインクライン、遠くに五山の送り火の「妙」「法」も見渡せます。
「絶景かな、絶景かな」のフレーズで有名な南禅寺の三門までも見下ろせてしまいます。

飲食ブースにはキッチンカーやテントのあるベンチが並び、各地からやってきたグルメもレベル高め。実店舗にも足を運んでみたくなりました。

思えば小学生だった頃、疎水沿いの通学路にはツツジが連なっていました。
ぶらぶらと歩きながら、花の付け根からラッパを吹くように蜜を吸ったりしたものです。
ツツジは、時間がゆっくりと流れていたあの頃の思い出の花です。

宇治市に『ニンテンドーミュージアム』

4月24

nin 宇治市小倉町に2024年3月末までに完成予定と発表されていた
ニンテンドーミュージアム』。
主にトランプや花札の製造や、ゲーム機の修理業務を行っていた任天堂宇治小倉工場をリノベーションし、過去に発売した商品を展示することで当社のものづくりに対する考えを紹介する資料館なのだそうです。

4月になったらお友達親子と一緒に見学して、
宇治茶平等院もご案内しようとわくわくしているのですが、これまでに現地に2度足を運んで撮影した2月中旬時点でも外観は特に変わらず、新しい公式発表も無い様子。

空撮写真により判明した、屋上に描かれている「ハテナブロック」はもちろん地上から見えません。かろうじて、「スーパーマリオブラザーズ」の背景に出てくる「雲」がちらっとだけ。
近くに大きな駐車スペースは整備されている様子でした。

近鉄小倉駅から徒歩6分、JR小倉駅から徒歩8分という立地ではありますが、観光向けのお店はまだ僅かですが、近くに奈良街道が南北に通り、それに沿って宇治茶関連のお店や、巨椋神社隣には「玉露製茶発祥之碑」という石碑がある静かな住宅地です。

なんとGoogleマップではオープン前から高評価が付いている不思議。
それだけファンの期待が高いのでしょうね。

オープニングスタッフの求人を見てみると「勤務開始日 2024/6/1~」とのこと。
まだまだ正式なオープンは先のようですね!

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