e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

お干菓子体験

11月1

miyage 友人の小学生のお嬢さんが干菓子好きと聞いて、お宅訪問の手土産にしました。

最近の和菓子は多種多様なので、カワイイ系と、茶席向き系という、それぞれ趣きの異なる干菓子にすることに。
前者は、「スライスようかん」が大きな話題を呼んだ亀屋良長さんの「宝ぽち袋」
後者は、亀廣保さんの「弓張月」と「雁来紅」を自転車で買い周り。
もちろん、どちらの品もお茶席で映える京の職人技の結晶です。

さて、後日感想を聞いてみました。
先方のパパさんは、見るなり「これ箸置き?」
…確かにそう見えるかも。
「弓張月」を飴だと思って食べてみたら、ゼリーのような食感(干琥珀)だったので驚いたそうです。
薄いお砂糖のコーティングがどうやって作られてるのか知りたくなった、ほんま芸術やね、とのこと。
宝ぽち袋の方にも繰り返し手を伸ばしていたそうです。

また別の家族で、本格的な和のお菓子は初体験という子供達の方は、
綺麗でシンプルな見た目なのに、本人が思っていた以上に甘くてびっくりしていたそう。
甘い物好きなので、ちびちび食べながら喜び、小学生のお兄ちゃんは
「お茶に合う~甘いもののあとはお茶だね」と貫禄あるコメントでした。

茶道と煎茶道が出逢ったら

9月20

ku 四条富小路を下がったところに、こんな茶室があるとは思いもよりませんでした。
徳正寺というお寺の中にある空中茶室「矩庵(くあん)」です。
建築家・藤森照信氏が設計、監修し、実際に作ったのは先代のご住職というから更に驚きです。
木の上の巣箱のような草庵は、建築雑誌等で度々拝見していましたが、まさか繁華街からすぐの立地だとは。

この徳正寺の本堂で、「く」をテーマに茶道と煎茶道が出逢う企画がありました。
本来、内へ内へと沈むように静かな時間を共有するのが茶道の茶席。
サラリーマンとの2足の草鞋から晴れて茶人となった中山福太郎さんが、静かな口調でお客を笑わせながら、片口に点てた薄茶を湯呑みに分けて煎茶風に出し、みんなで共有しました。

煎茶道は、中国文化に憧れ大陸的で開放的な印象があります。
佃梓央さんが「茶器を一つ一つ丁寧に包むのは、日本人ならではですね」と、日本と中国・台湾の文化の喫茶の違い語り、お茶や食事や音楽を部屋をあまり変えずにほぼ一つの空間で完結させるのが日本の文化だと教えてもらいました。

お茶を習っていない友人もとても楽しんでくれたのは、主客のお人柄もあると感じます。
ここでは魅力を十分に書ききれていませんが、徳正寺は通常非公開の寺院ですが、時折催しもされているそうなので、
興味のある方は公式サイトをご確認くださいね。

重陽の節会

9月12

kiku 縁起の良い「9」の数字が重なる9月9日は、「重陽の節会」を観るため、嵐山の虚空蔵法輪寺へ。
うっかり電車を乗り過ごしてしまい、慌てて法輪寺への近道を駆け登りました。
(近道の入り口は渡月橋の南詰めに看板があります。表参道とは違って、狭くて急な階段が続きますので足腰の悪い方はご注意くださいね)
着いたのは奉納行事の能のクライマックス部分、まさに菊慈童が登場するところでした。
残念ながら、茱萸袋(しゅゆふくろ)の授与は終了してしまっていましたが、小さな菊花が一輪浮いたお酒を頂きました。

別名「菊の節句」とも呼ばれるこの日は、菊の花に綿をかぶせた「菊の被綿(きせわた)」が風物詩として、和菓子の意匠でもお馴染みです。
生成り色のふわふわの綿だと思い込んでいましたが、こちらの菊慈童像に供えてあったのは平たく煎餅状で、赤、青、紫などとってもカラフル!それぞれの色に魔除けの意味があるのでしょうか。

奉納された能の演目「菊慈童」は、ここでは金剛流だったので「枕慈童(まくらじどう)」とも呼ばれているそうです。
人跡未踏の山中に流され、八百余年も生き永らえたという童子は、果たして幸せだったのでしょうか。
そんな疑問とは裏腹に、少年の姿のまま不老長寿の仙人となった菊慈童の像は、涼やかなお顔立ちでした。

能楽師の美しき陰影

8月9

ryumon 今年も金剛能楽堂の「龍門之会へ。
宗家長男の金剛龍謹氏が主催する会で、最初の仕舞はまだ年少さんの金剛宣之輔くん、続く舞囃子を8歳になったばかりの金剛宣之輔くん、仕舞を26世宗家・金剛永謹氏が担うなど、3世代にわたる共演を観ることができました。

舞台を踏み始め、人前でも堂々と、一生懸命に声を上げる宣之輔くん。
背後に親が控えているとは言え、舞台に立てば一人というプレッシャーを感じながらも凛々しく舞を見せる宣之輔くん、
今日までの鍛錬で鍛えられた声が舞台に響き渡るのが心地よく、すっかり安定感のある龍謹さん。
人間国宝として認定されたばかりの金剛永謹氏の所作には年月を重ねて枯れた風情すら感じさせます。

会を通して舞台の照明が変わったわけでもないのに、少年達の顔や衣装は眩しいほどに輝かしく、年を経るごとに陰影を帯び円熟味を増していく能楽師の一生を観るような景色でした。

後半の演目「殺生石」は、通常は後シテが狐の姿で演じられるのですが、金剛流古来の小書(特殊演出)「女体」として、玉藻前という高貴な女性の姿で舞われました。
狐の冠をかぶり、最後は舞台袖へと走り去るのですが、視界の狭い面に足袋を身に着けているとは思えない程の足の速さに、暫し終演後も茫然としてしまいました。

最近では友人の小学生の娘さんが金剛流の謡を習い始めました。
もとよりダンスが好きで、能の仕舞とも平行しながら夢中になって稽古しているとのこと。
冬の発表公演が今から楽しみです。

なお、毎年8月16日の五山送り火の日には、「大文字送り火能 ~蝋燭能~」が行われます。
金剛能楽堂の目前の京都御苑内から大文字の送り火を観ることができます。

ただのコラボではない

7月5

kongou
金剛能楽堂では、装束の虫干しに合わせて「金剛家 能面・能装束展観」が毎年行われています。
今年は華道家・写真家である池坊専宗氏を迎えて能楽と華道についての鼎談が企画されました。

いけばなの成り立ちを遡ると、古来は神仏への供えもの。そこから真(本木)と下草で構成される「立て花(たてはな)」というスタイルが生まれ、もてなしの場に用いられるようになり、室町時代後期には「立花(りっか)」へと発展、
多種多様な草木を使って自然の景観美、更にはこの世の森羅万象を表現するようになります。

一方、『泰山府君』の桜等、能においても草花はよく演目に登場しますが、基本的には「作り物(造花)」が用いられ、最後は縁者も作り物も舞台からはけて「無」に戻ります。
内生(心の内に感情や考えが生じること)を生かす芸能なので、花は人の姿を投影されたものとされています。

平成3年、観世弥次郎長俊作の『花軍(はないくさ)』という珍しい演目が現代の金剛版として上演され、能舞台は池坊専好氏によるいけばなで装飾され、子方が菊や女郎花、仙翁花、牡丹の精を演じました。
(「花軍(いくさ)」という言葉を聞いて、つい、5年前に野村萬斎さんが演じた映画「花戦さ」を思い出していました)

一見「華やかなコラボレーション」という印象になるでしょうが、同時代に発展し、「花」への捉え方が異なる芸能同士が共存しているという背景を思うと、また観方が変わるかもしれませんね。

草花で染められた能衣装は、化学染料とは違い、時を経て色褪せていきます。
特に赤い染料のものは黄色になり、周囲の文様と馴染んでいきます。この枯れて調和ができていく過程も、能の世界では良しとされています。

鼎談そのものはまるで室町オタク同士の雑談を聞いているかのようなマニアックな盛り上がりでしたが、「国際化が進む日本において、自国の事をよく知ることが本当の国際化である」との提言で締めくくられました。

美術館に泊まる。「純国産」ホテル

6月21

tengai 古美術商の立ち並ぶ祇園・古門前に、美術茶道具商「中西松豊軒」が監修するホテル「ART MON ZEN KYOTO(アールモンゼン京都)」があります。

足を踏み入れると、御簾に囲まれた畳敷きの「天外」という、このホテルを象徴するかのようなスペースが目に入り、館内は美術商の審美眼によって選び抜かれた国内外の美術品が随所に散りばめられている事に気付きます。

まるで美術館に泊まるかのような趣向。
美術品は飾って眺めるためだけのもはありません。自分の皮膚と対話させてこそ良さが伝わるものもあります。
「和風ラグジュアリー」を謳うホテルは数あれど、日本が誇る「本物に触れられる」純国産のホテルと言えます。

全ての客室が天井高3メートル以上とゆったりとした設計で、
数寄屋の趣は好きだけど、旅館スタイルでは落ち着かないという外国客にもおすすめできますね。

ちなみに、この「天外」スペースでは、金曜日と土曜日は「THE BAR-SAKE」として営業中。
(※ご利用の際には電話にてご確認ください)
ここでしか手にできない骨董の漆器・焼物・ガラスなどの酒器で頂くお酒は、どんな口あたりなのでしょうね。
ぜひ行ってみたくなったので、またレポートしますね。

“Cha”で繋がる世界

6月6

yoshida 週末の昼下がり、ふと思い出して吉田神社へ自転車を走らせました。
京都吉田山大茶会』を久しぶりに覗いてみようと思ったのです。
黄色の横断幕が迎える石段を登り詰めると、いつもは静かな境内に所狭しと立ち並ぶお茶の屋台が見えてきました。

まずは赤い水色が目を引く韓国の五味子茶で栄養補給、和紅茶をスパイスと共に煮出したチャイをアイスでテイクアウト。
ほうじ茶と珈琲をブレンドした餡のどら焼きを片手に喉を潤していくうちに、晴天下の移動の疲れからみるみる元気になりました。

日本、中国、ベトナム、韓国、台湾、南米、ドイツ…お茶のみならず茶器や菓子、バッグ等の雑貨、お茶の木の苗木も手に入ります。
その数なんと37ブース。お客さんもお茶おたくばかり!後から興味本位で石段を登っていた外国人ファミリーは、この景色に圧倒したかもしれませんね。
お茶通でこの会の常連さんである友人達は、茶席が埋まらないうちに予約して午前中から水墨の書画体験も楽しんだようです。

ずっと雅楽のような音色が聞こえるので、吉田神社の神事と重なっているのかな、と思っていたら、更に石段を登ったところにある若宮社にて、能管とサックス、箏や笙の演奏がされていたのでした。初夏の風に乗る、気持ちの良いBGMです。
旅行で出逢ったベトナム雑貨が懐かしくなり、刺繍のバッグを自分のお土産としました。

織田長益の人となり

4月26

uraku
京都文化博物館にて「四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎」が開催中です。

織田信長の13歳離れた弟・長益は、「利休十哲」の一人にも数えられる大名茶人「織田有楽斎」として広く知られています。
しかしながら本能寺の変で信長の息子・信忠を二条御所に残して逃亡し、その後豊臣秀吉、徳川家康のもとで武将として乱世を生き延びたことで、
「逃げの有楽」「世渡り上手」と揶揄されることも少なくありません。

しかしながら、当展覧会でも検証されている通り、本能寺の変後も時の武将や茶人、町衆との書簡のやり取りを見る限り、人々の立場の垣根を超えた調整役として多くの人に頼られていた事が伺えます。
縁の茶器もおおらかな風情のものが多く、武将としての荒々しさは見当たらず、書簡の文面には繊細な心配りさえ感じ取れ、決して織田家の血筋というブランド力だけで支持されていたとは思えませんでした。

自ら興した茶道有楽流は、なによりも「客をもてなす」ことを重んじ、ルールを厳格に守るよりも創意工夫を良しとする茶風なのだそうです。
「鳴かぬなら 生きよそのまま ホトトギス」。
織田有楽斎400年遠忌実行委員会が、新たに創作した句が秀逸です。

終盤に展示されていた狩野山楽の蓮鷺図は、パリの「オランジュリー美術館」にある「睡蓮」の絵の間を思い起こさせます。
同じく動乱の世を生き抜いた絵師による大作。少し離れて真ん中の椅子から、絵の中に入った気分で眺めるのがいいですね。

建仁寺の塔頭で、織田有楽斎ゆかりの正伝永源院は現在特別公開中で、京都文化博物館の織田有楽斎展と相互に拝観の割引を実施中です。
有楽斎が創作した国宝茶室「如庵」の写しや、2021年に約100年ぶりに戻された武野紹鷗供養塔など、有楽斎の生き様を改めて立体的に体感したいと思います。

京都らしいと感じる店・亀廣保

3月1

higashi
子供達とおひなさまの飾り付け。
「長い事しまわれて、喉乾いてはるやろ?」と、私の母がそうしてきたように、まずはお水をお供えしました。

先日、外国人のお客様をおもてなしするのに、季節の干菓子を求めて亀廣保の暖簾をくぐりました。
干菓子だと、日本の豊かな四季を映した造形を目で観て食べて楽しんでもらえるし、アレルギーや宗教上の食事制限などの心配も少なくて済みます。
先方が既に満腹のときや甘いものを控えているような場合は、懐紙に包んで持ち帰ることもできますね。

烏丸御池駅から近く、室町通りを上がったところにある亀廣保。
小上がりに小さなショーケースがあるだけ。
大正4年にかの亀末廣から暖簾分けし、NHK『美の壺』にもその洗練された熟練の技が紹介されるほどの腕利きなのに、「老舗です」という演出もせず本当に昔ながらの京都らしさを感じるお店です。
もちろん我が家の地元にも干菓子を扱うお店はあるのですがどれも意匠が可愛らしすぎるので、もう少し茶席にも出せるような風情を求める自分の好みにしっくりくるのです。

小箱に詰められた色とりどりの春の花や貝尽くしのモチーフの宝石たちが目に留まり、今年のおひなさんのお供え菓子に決めました。
桃の節句のお菓子といえば「ひちぎり」が定番ですが、艶やかな有平糖や州浜の歯応え、手触りも小さな手で感じて欲しい。
子供達の目が輝く様が目に浮かびます。

己の光を指針に

2月22


yo
友人に誘われ、高台寺の夜の茶会「夜咄」へ初参加。
寒さの厳しい季節に、陽が落ちてから開かれる夜咄は、暗い茶室の燭台の灯りだけで楽しむ趣向の茶会です。

一席辺り20~30名程でしょうか、先のグループが席入りしている間に、お坊さんが仏教の小話をして下さいました。
茶会の後は、広大な庭園内を登ったり降りたりしながら案内してもらいます。水鏡と化して木々を映す臥竜池を静かに眺められるのは夜の高台寺茶会ならでは。

境内を離れ、向かいの湯葉料理の「高台寺御用達 京料理 高台寺 羽柴」で点心席。
特別メニューの「うずみ豆腐粥」は、禅宗の修行僧が修業明けの真夜中に暖を取るために食するものだそう。
厳しい修行の最後の日に出されるとあっては、五臓六腑に染み渡ることでしょう。
人気観光地の高台寺ですが、僧堂としての姿を思い起こさせる、この催しならではのお品書きでした。

どなたでも、お一人でも、洋装でも、肩肘張らずに参加できる茶席です(懐紙と黒文字の用意もあります。撮影も可)。
誘ってくれた友人達が、お茶を習った事は無くてもお茶会に行ってみたい、一緒に行こう、と言ってくれるのは嬉しいこと。
隣り合わせた単身の方もその様なご様子でしたが、政所窯の茶盌やお道具などに都度肩寄せ合ってお話しながら、一緒に楽しくお茶を楽しませて頂きました。

« Older EntriesNewer Entries »