e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

見た景色、知らなかった世界

9月16

mikei
天皇の菩提寺である泉涌寺にて、「御寺(みてら)ART元年 未景(みけい)」展が16日まで開かれています。
久しぶりにあのきつい坂道を登ると、木陰に入った辺りから、羽織っていたカーディガンが秋風をはらみ、うっすらかいた汗が体の火照りを爽やかに奪っていきました。

特定の集団に属さず独自の表現を探る美術家26名による様々なジャンルの作品群に、鴬張りの廊下を歩きながら次々と遭遇していきます。
巨石が美しい泉涌寺の庭に溶け込んだオブジェ、既知のものを作家の目線で解釈し直したもの、阪神淡路大震災を経験した現地外国人が当時を語る映像作品など。
来訪者は多過ぎず少な過ぎず、小さな子供連れの若い家族もいて、ゆっくり自分のペースで観る事ができました。
真面目な作品ばかりではなく、「イケメン美人画」として描かれた寝仏も見ものです。

参道を登り始めたお昼間はまだセミの鳴き声が落ちついたトーンで聞こえていましたが、会場を出た頃には陽が傾き、夕暮れの境内の静けさが名残り惜しくて、この場ならではの夏の名残りと秋の始まりの空気感をもう少し味わっておけば良かったかな…と坂道を降りながら思いました。
なお、学生さんの拝観料は学生証の提示で無料となり、最終日16日の14時半より妙応殿にて、中野康生氏による寺院や文化財での表現・アートの楽しみ方を、誰にでも分かりやすく紹介する講演会も行われます。

京北で桜ドライブ

4月24

keihoku 先週末は、右京区京北にある宝泉寺の桜を観てきました。
京都市内よりも開花が遅く、シーズン終盤のお花見が楽しめます。
遠く坂の先の壁越しにピンク色の桜が溢れるように垣間見えてくると、期待値が上がります。
その割に「花より団子」とは言ったもので、着いてすぐさま東屋の日陰の中でぜんざいやよもぎ餅を頬張りました。
京北地域では、お正月に餅で納豆を餅で包んだ「納豆もち」を食べる風習があり、こちらもぱくり(味はそのままでした!)。
徒歩で一周できるほどの丘に、「観音桜」、「平安しだれ桜」、「金剛桜(うわみず桜)」、仁和寺から移植した「御室桜」、「楊貴妃」などの希少な桜が約20本あるそうで、子供が触れられる程の高さに枝を伸ばしたものや、桃色のシャワーの様な木がたくさんありました。
夕方になってからもぽつり、ぽつりと参拝者が絶える事はなかったのですが、不思議と静か、車で時間をかけて来て良かったと呼べるのどかな名所でした。
東屋に置いてあった「花降る里けいほく SAKURAめぐりマップ」によると、樹齢300超年とされる「黒田百年桜」をはじめに周辺にも美しい桜の木があくさんあるようで、紹介されているスポットは39箇所も!
また、夕方の帰路の高速が渋滞していたので、早めに京北に入って車で巡るのが正解かもしれません。
今年の「桜まつり」は終了しましたが、桜は自由に見学できるそうです。まだ間に合うかも!?

平安遷都以前の京都

2月27

asuka
「平安遷都以前にも京都に寺院はあったんだろうか?」
そんな素朴な疑問で京都市考古資料館に行ってみる事にしました。
仏教は古墳時代後期に朝鮮半島から伝わったとされ、大化の改新後に国家仏教が本格的に展開され、各地に伽藍を備えた寺院が建立されます。
都から遠く、「山背」国と呼ばれていた飛鳥時代の京都においては、『日本書記』で厩戸皇子から下賜された仏像を祀るため秦河勝が蜂岡寺を建てたと603年の11月条に記されており、実際の発掘調査によって北野廃寺の存在が確かめられています。
昭和11(1936)年に市電の工事中に、北野白梅町交差点周辺で瓦が大量に発掘されたのが、発見されたきっかけだったそうです
623年には新羅の使者が献上した仏像が葛野秦寺に納められています。
北山背には飛鳥時代に建立された寺院として北野廃寺(7世紀初頭)と広隆寺旧境内(7世紀前半)がありました。
愛宕群には北白川廃寺・珍皇寺旧境内・法観寺旧境内、紀伊群に板橋廃寺・御香宮廃寺、宇治群に大宅廃寺・醍醐廃寺・法林寺跡、乙訓郡に樫原廃寺など多くの寺院が建てられたそうです。
長岡京遷都の目前には乙訓群に南春日廃寺が現れ、地方豪族によっても寺院が建てられていたのが分かります。
外来の仏を祀るため、寺院の造営には様々な技術が導入され、それによって日本で初めて作られた物の一つが「瓦」です。
寺院に供給する瓦の製造所が、京都盆地の輪郭をなぞるように続々とできていきました。
地図上の分布の多さを見ると、渡来系の人々も入り混じってさぞ賑やかだったのではないでしょうか。
各寺の発掘箇所やその現場の様子を写した画像、各地の瓦など、殆どの展示品は撮影できます。
また、期間中の日曜には「展示解説」が14時から行われます。

2019年2月27日 | お寺, 歴史 | No Comments »

京都盆地の成り立ち

2月20

tenryu
嵯峨の「さ」、嵐山の「らん」にちなみ、嵯峨嵐山から日本文化を再発見するNPO法人「さらんネット」主催の文化講演会に参加してきました。
NHK『ブラタモリ』の案内役として人気の「京都高低差崖会」崖長・梅林秀行さんが、地形を手掛かりに京都盆地の成り立ちを語ります。
およそ300万年前の海の底。南海トラフを境に、西北西に移動し始めた東のフィリピン海プレートが西のユーラシアプレートに潜り込み、まるで皺が寄るように盆地と山地が等間隔に繰り返される起伏ができました。
その傾向は特に近畿地方に顕著で、現在の八坂神社の前を走る桃山断層、天龍寺の曹源池庭園の下の樫原断層、そして2000年に発見されたという宇治川断層に囲まれた地域が京都盆地です。
やがて扇状地に人々が住み始め「野」と呼ばれるようになり、都の周りに「大原野」や「嵯峨野」といった地域ができました。
自然の現象に意味を見出そうとする人間は、自然と自分たちの住まう地との境界を認知し始め、「野」の外側には霊界があると考える文化が形成されていきます。
「蓮台野」には大徳寺が置かれ、「鳥辺野」は葬送の地となり、霊山・比叡山には延暦寺など、境界には様々な寺社や古墳が築かれ、それらはやがて観光名所となりました。
渡月橋を写した絵や写真はどれも下流側から山を臨むように切り取られているのが殆ど。「都林泉名勝図会」などに描かれた京の都の風景にいつも雲がたなびいているように、そこには断層の斜面があり、私達はこの世とあの世の境目に惹かれて名所を訪れ、そこから世界を見ているのです。
京の都の成り立ちについて、四神や風水とも異なる、地形からの切り口は新鮮で、ぼんやりとかすかに感じていた事に初めてくっきりとした輪郭が与えらえたような気分を味わいました。

番外編の真珠庵

12月5

sinju
「由緒ある禅宗寺院が、よくここまで振り切ったものだ。」
一休禅師を開祖として創建された大徳寺真珠庵で特別公開されている襖絵のニュースを聞いて、多くの人がそう思ったに違いありません。
江戸前期の建築で重要文化財の方丈の、曽我蛇足や長谷川等伯といった絵師による襖絵の修復にあたり、代わりに納まっている現代の襖絵計45面は、中央の部屋は「釣りバカ日誌」で知られる漫画家・北見けんいちさん、方丈東側の部屋はアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」制作会社社長・山賀博之さん、西側「礼の間」にはゲーム「ファイナルファンタジー」のアートディレクター・上国料勇さんや、他にはNHKのアニメ「オトナの一休さん」を手がけるイラストレーター・伊野孝行さん、日本画家で僧侶の濱地創宗さん、花火の閃光で作品を仕上げる京都造形芸術大出身の美術家・山口和也さんが手掛けています。
いずれも現住職が旧知の漫画家や、東京で開く座禅会メンバーらで、絵の制作を依頼してからは一部の作家は真珠庵に寄宿、作務をしながら描いたのだそうです。
墨絵に浮かぶ戦闘機、カラオケで歌う一休さんを眺める髑髏、「EXILE」メンバーがモデルだという風神、雷神。今しか見られない番外編の真珠庵です。
北見けんいちさん自身がすごし、その様子を描いた与論島の風景はなんとも楽しげで、拝観者の顔も思わずほころびます。
本人や真珠庵歴代の住職、亡き妻、島の知人たちが遊び心いっぱいに書き込まれた現世と来世が入り混じるバーベキューの世界。
穏やかな天気のもと、愛する人々と食を共にし、音楽を楽しむ光景は普遍的な幸福に満ちていて、まさしく「楽園」の名にふさわしいものと感じました。
16日までの一般公開では、他にも通常非公開の書院「通僊院」や茶室「庭玉軒」、村田珠光作庭と伝わる「七五三の庭」が公開されています。

内外の力で支える京都の文化財

11月27

seiken
紅葉の美しいところは日本全国にあります。それでも多くの人が京都に訪れるのは、背景に歴史的建造物の重厚さがあり、またそれぞれの名所がコンパクトにまとまっているからなのでしょう。
先日初めて足を踏み入れた上高野の禅宗寺院は、今年9月の台風の被害の影響で足場が組まれているものの、紅葉や銀杏が見事でした。
約3千平方メートルの広大な境内には庭園や鐘楼、鳳凰閣、茶室、本堂を有していますが、観音堂前にあった杉の大木数本は台風により全て根元から倒れ、建造物群も大いに破損してしまいました。
それでも台風の翌日から多くの有志が境内の片付けや倒木の伐採にあたったそうです。
鳳凰閣の公開は28日で終了しますが、檀家を持たないため普段はひっそりとした環境を活かし、座禅修業を中心として毎朝の座禅会や新月・満月の座禅会、作務、茶道体験や整体等の活動をしているそうです。
もともと観光客に向けて広く開いている寺院ではないので、入り口には「宣伝なされませんよう」と書いてあり、ここでは名前を伏せますが、復興のための喜捨は集まるよう広く知られて欲しい気
世界的に「オーバーツーリズム」が問題になっている今、自分たちの微力を集めて文化の再興を目的とした観光にそろそろシフトしていってもいいのではないでしょうか。

2018年11月27日 | お寺 | No Comments »

人も紅葉も十人十色

11月21

saga  
紅葉シーズンでも人が少ないと聞き、北嵯峨にある直指庵へ。
本数の少ない嵐山駅からのバスを逃してしまい、待ち続けるくらいならと、30分かけて歩くことに。
予想はしていたとはいえ、観光客が車道にあふれんばかりの賑わいに「えらい時に来てしまった…。」と気後れ。渡月橋が今年の台風で被害を受けていた事なんて、渡っている途中まで思い出さなかった程です。
それでも府道29号線の高架下の住宅地へと逃れると、驚くほど人が少なく、大覚寺の北へと更に進んでいくと、歩いているのは殆どが近辺の住人です。
山門をくぐると、人の騒めきが多過ぎた場所から、音が最小限に削ぎ落とされた空間にやって来た事を実感します。
先の参拝者が去った後の本堂には、「「想い出草ノート」。3冊が残され、いずれも拝観者の思いの丈がまるで写経の様にびっしりと書き込まれています。
大切な人と訪れた人、病と共に生きる人、将来への不安を抱えている人、2~3行でさらっと書き残す人もいれば、1ページを丸ごと費やす人も。
強い筆圧でページがでこぼこになったノートは厚みも重さも倍にもなったかのようで、その点字の様な手触りを指先で感じていると、先程まで袖振り合ったたくさんの人一人ずつにそれぞれの物語があるのだ、「人混み」等という言葉を安易に使うものではないな、と思い直しました。
バス停までの帰り道。夕焼け空が開けた畑で、黙々と農作業をする夫婦を眺めながら歩いていると、北嵯峨の本来の素朴な美しさを垣間見たような清々しい気持ちになりました。

お地蔵さんの行方

8月28

jizo
お盆を過ぎたころ、子供の成長を願い京都や滋賀、大阪などの近畿地方で行われる「地蔵盆」。意外にも、長年京都に住んでいても参加した事が無い人が多いのです。
町内にお地蔵さんが無かったり、少子高齢化が進み大人だけで執り行ったり、または行われなくなってしまったところも。
マンションに住んでいた幼少期は、一角にあったお地蔵さんを拝み、広い駐車場で他の子供達とスイカ割りをしてゴザの上で食べ、浴衣で花火を楽しんだ記憶がありますが、他の地域に引っ越してからはその機会も失われてしまいました。
この夏、繁華街にほど近い天性寺で、誰でも参加することができる地蔵盆が開かれたので、境内を覗いてみると、協賛店舗による軽食やかき氷の屋台、屋内では浴衣や雑貨のお店、お茶スタンド、飲食スペースがあり、福引で当てたのか、鐘のふもとでシャボン玉を吹く兄弟の姿もありました。
皆で肩寄せ合うように円座し、念仏を唱えながら大きな数珠を繰り回す「大数珠繰り」では、赤ちゃんが思わず輪の真ん中に向かってはいはいしだしたり、お下がりのお菓子を「昔子供だった人もどうぞ」とお坊さんが配られたり、微笑ましい光景でした。
本堂その他で汗も滲みましたが、授乳やおむつ替えのできる小部屋は冷房が効いていて、おむつを入れるビニール袋やお尻拭きまで置いてあるという細やかな心遣い。
観光客向けの地蔵盆イベントやツアーは人気だというのに、各町では共働き世代が増えたり、夏休み中で居なかったり、地蔵盆という風習に馴染みが無い人もいたり、事情もさまざまです。
京都市の中心部ではホテルやマンション建設が相次ぎ、お地蔵さんや飾りの保管場所の確保も課題となっているそうですが、公共のスペースを持つ町内のホテルが地蔵盆の開催や倉庫を請け負う新たなケースも現れているそうです。
あなたの近くにお地蔵さんはおられますか?

2018年8月28日 | お寺, イベント | No Comments »

洞窟の中のお不動さん

6月5

tanuki
開山300年を迎えた狸谷山不動院では、11月まで本尊の石像不動明王像を間近で参拝できる特別拝観が行われています。
本堂に入るやいなやお不動さんと目が合い、その距離を感じさせないくらいの真っ白な眼球になんとなく目を反らせられないまま近づき内陣に足を踏み入れると、冷やっと自分の周りにある空気が変わりました。
よく見ると、途中から岩肌になっています。本堂の通常の参拝位置から観ただけではどこに洞窟があるのか気づきませんでしたが、いつの間にか洞窟の一角に居たのでした。
正直なところ、胎内巡りのような真っ暗な洞窟の中を恐る恐る進むスリリングなものを勝手に想像していたのですが、内陣の中は数歩で出られるくらいの大きさで、あっけなく参拝を終えたのでした。
現代人だからこそ簡単に済ませられるものですが、それでもここまでに駅から15分程坂道を歩き、250段の階段を登る必要があります。
「健脚コース?いやいや、これも“行”か!」と雑念ばかりを背負って登って来てしまっていたわけですが、少なくとも1944年に亮栄和上が入山するまで殆ど人の手が入ってなかった約230年間は冷たい洞窟と洛中を繋ぐ険しい山道の往復は、厳しい道のりだった事でしょう。
「がん封じ」で知られる「祈り」の霊山のため、境内の柱には、描かれた身体に自分の悪いところを記して納める木札がびっしり。中には外国語の表記も見られます。
なんと、16日にはプロジェクションマッピング、17日には夜の特別拝観も行われるそうです。

大雄院襖絵制作プロジェクト

5月15

daiyu
まるで迷路の様な妙心寺の境内の北側に、大雄院(だいおういん)があります。
禅寺本山の襖絵と言えば、山水や文人を描いた水墨画や、絢爛たる狩野派のそれを連想しますが、こちらは江戸時代の漆工家・絵師の柴田是真がデザインした花の丸図を、現代の宮絵師・安川如風氏が描いたもの。
円という限られた空間に吸い込むように季節の動植物を閉じ込め、写実的でありながらも軽やかに見える洗練されたデザイン性は、洋間に置いたとしてもその場に清楚な空気感を与えるような、普遍的な美がありました。
縁側には正座せずに座れる長椅子に座布団、写経の代わりに置いてあるのは、襖絵のデザインのまま思いも思いに色を塗って楽しめる塗り絵が、なんだか少し新しい。
今季の特別公開は終了してしまいましたが、次回もどんな襖絵が出来上がっているか、期待して待ちましょう。
拝観の後は、妙心寺からすぐのところにあるカフェにもお邪魔しました。そのお話は、また後日に。
なお、19、20日は隣華院にて「人形感謝祭」(法要:12時半〜)、20日には長慶院にて「お寺で音楽夜会 瞑想と響き ~The sound of ZEN~ 」(16時半〜)が行われるそうです。

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