e-kyoto「一言コラム」

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京都盆地の成り立ち

2月20

tenryu
嵯峨の「さ」、嵐山の「らん」にちなみ、嵯峨嵐山から日本文化を再発見するNPO法人「さらんネット」主催の文化講演会に参加してきました。
NHK『ブラタモリ』の案内役として人気の「京都高低差崖会」崖長・梅林秀行さんが、地形を手掛かりに京都盆地の成り立ちを語ります。
およそ300万年前の海の底。南海トラフを境に、西北西に移動し始めた東のフィリピン海プレートが西のユーラシアプレートに潜り込み、まるで皺が寄るように盆地と山地が等間隔に繰り返される起伏ができました。
その傾向は特に近畿地方に顕著で、現在の八坂神社の前を走る桃山断層、天龍寺の曹源池庭園の下の樫原断層、そして2000年に発見されたという宇治川断層に囲まれた地域が京都盆地です。
やがて扇状地に人々が住み始め「野」と呼ばれるようになり、都の周りに「大原野」や「嵯峨野」といった地域ができました。
自然の現象に意味を見出そうとする人間は、自然と自分たちの住まう地との境界を認知し始め、「野」の外側には霊界があると考える文化が形成されていきます。
「蓮台野」には大徳寺が置かれ、「鳥辺野」は葬送の地となり、霊山・比叡山には延暦寺など、境界には様々な寺社や古墳が築かれ、それらはやがて観光名所となりました。
渡月橋を写した絵や写真はどれも下流側から山を臨むように切り取られているのが殆ど。「都林泉名勝図会」などに描かれた京の都の風景にいつも雲がたなびいているように、そこには断層の斜面があり、私達はこの世とあの世の境目に惹かれて名所を訪れ、そこから世界を見ているのです。
京の都の成り立ちについて、四神や風水とも異なる、地形からの切り口は新鮮で、ぼんやりとかすかに感じていた事に初めてくっきりとした輪郭が与えらえたような気分を味わいました。

2019年2月20日 | お寺, 歴史, 神社, 観光スポット

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