e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

余白に込められたもの

11月2

fujin 友人に誘われて夜の人気もまばらな建仁寺へ。
キヤノン株式会社主催の夜間特別拝観・映像体験イベント「ヨルZEN(禅)-自然と共生する日本-」が10月末まで開催されていたのです。
広くは告知されていなかったようで、その友人もまた祇園界隈に勤める知人のSNSで知ったのだとか。

本坊に入ると、遊園地のアトラクションか!?と連想してしまうような轟が床から響いてきました。
綴プロジェクト」によって昨年奉納されたという、国宝『風神雷神図屏風』の高精細複製品に投影されたプロジェクションマッピングがその正体。
雷鳴や風雨、黄金色に輝く稲穂が周囲にも映し出され、農耕を支配する雷や風などの自然に神仏が宿ると信じて来た日本人の信仰がこの屏風に描かれている事を再認識させます。

方丈へと進むと、専用ゴーグルを装着。
目の前に広がる枯山水「大雄苑」に、MR(複合現実)による映像が現れ、最後に墨の様な黒い粒が白砂の上の空間に結集し、まるで墨蹟の様に空中に浮かび上がる様は圧巻でした。
法堂ではスマートフォンやタブレットを通して、天井の「双竜図」を眺めてみると、AR(拡張現実)によって、龍たちが天井を抜け出し、より近づいてその姿を眺める事ができました。

この様な映像技術はこれからますますあらゆる場面で見かける事になり、次世代を担う子供達にとっては当たり前のものとなっていくのでしょう。
それぞれ楽しませてもらったのの、個人的には、日本の美意識の一つである「余白」を目に見える形にして埋めてしまうのはどうなのか、と少々危惧してしまうのです。
だからこそ、これまでは「風神雷神のユニークな姿」という印象しか持っていなかった屏風に、今回の仕掛けによって日本人の信仰の形を見出したように、
オリジナルが何を訴えようとしているのか、と自分で改めて想像力を働かせる意識を持ちたいと思います。

羽を広げて風に乗ろう

10月12

cho
今年の夏より一般拝観を始めたお寺があります。
これまで何度となく本法寺の境内を歩きましたが、その一角にある尊陽院という塔頭には気づきませんでした。
訪れたきっかけは、SNSで流れて来た、アサギマダラを描いた鮮やかな天井画でした。

朽ちた空き寺だったところを手探りで再興、住職の妻も修行の末に尼僧となり、自身の辛い経験から水子供養を主とする祈りの場として生まれ変わったそうです。
このアマギマダラの天井画を制作したのはmais(マイス)という若き芸術家。音が色で見えるという共感覚を持っているそうです。
墨一色の龍の天井画とは対照的に、彼女の瞳を通すと、世界はこのように色鮮やかに見えたりするのでしょうか。

草花を描いた天井はよくありますが、こちらは蜜を吸いに来る側の蝶。
それも、ひらひらと可憐な、というよりも羽を大きく広げた力強い印象の方が優ります。
浅葱色の羽が美しいアサギマダラは、日本から海を渡り香港まで移動できる程の珍しい蝶でもあります。
アートは目にした人の数だけ解釈があると思いますが、自ら動いて幸せを取りに行くような、風に向かってしなやかに飛び立とうとする女性を象徴しているかのように思えました。

お寺の復興から天井画の完成に至る不思議な物語は、拝観時に教えて頂けますよ。

自然の中から見出されるもの

9月27

bonsai

大徳寺山内の最北にある塔頭・芳春院

現在、伽藍内の拝観はありませんが、2021年より盆栽庭園を開園しています。
看板は立ててあるものの、よっぽど近づかないと気づかないくらい。

受付で目録を受け取り、お庭を一周するように配置された作品の前で立ち止まっては覗き込んだり離れて眺めたり。

大陸から伝わったとされる盆栽は、「自然の中のどこにでもある仏性」の象(かたち)として創作されたものだそうです。
水石(すいせき)とは「山水景情石」の略称で、石を鑑賞する文化のこと。日本古来から伝わるものだとか。

なんの知識も持ち合わせてはいないのですが、盆栽を観るのは好きです。
自然のもたらす曲線美と人の手が加わった力強さが、ルネサンス彫刻を観ているときのような気持ちになるのです。
誰もいない庭園の中で床几に腰掛けていると、お彼岸の涼しい風に、鳥のさえずりと遠くから木魚のやわらかい音が載ってきました。

春には桜の作品が置かれ、庭園内の紅葉の木の麓に立てば、開けた空の向うに比叡山も見渡せるので、
これまで訪れてきた寺社とは違う趣のお花見や紅葉狩りができそうです。

有名な戦後武将や茶人、座禅に禅庭、精進料理、月釜。
禅やサムライに興味のある人にとって、大徳寺は見どころの宝庫。
いつ訪れても外国の方がぽつり、ぽつりと歩いています。
きっとこの盆栽庭園もこれから注目されるはず。教えて差し上げたい!

刹那

5月25

tofuku
「颯々(さつさつ)」ということばが好きです。
風が音を立てて吹くさまを表し、夏めく季節に使われます。
リズミカルな音感が心地よく、もともと「松風颯々声」という禅語で、人柄などがさっぱりしたさわやかな印象を与えるさまとも解釈されます。

紅葉の季節は混雑や行列に気後れして近づけなかった東福寺
「紅葉の名所こそ、新緑の季節に訪れるべしだよね」と、ふと思い立って隙間時間に弾丸で行ってみました。

「平日のランチタイムなら空いているかも」の予測通り、境内を散策する人々の姿はちらほら。
鳥が囀るなか、他の人との距離間も十二分にあったので、マスクを下げて顔に風を当てながら歩きました。

そして通天橋の真ん中に立ったとき、数分ほど無人になったひと時がありました。
「チャンスだ」と動画を撮ろうとカメラを構えたものの、その静けさを味わう事の方が今は大切な気がして、カメラの電源を切ってしばし目を閉じました。
思った以上に風が力強い。橋の上を縦横無尽に、まるで双竜が行き交うように凄い速さで駆け抜けていきます。

瑞々しい新緑の緑を目当てにしていたつもりでしたが、むしろその木々の間を通り抜ける風を顔面に受けたいと欲していたのだと気づきました。
美しい色彩なら、巷に流れるSNSの画像越しでも味わえるけれど、土や小川、樹木からの香りや湿気をはらんだ風を感じるのは、実際に足を運ばなければ得られないものだからです。

臥雲橋、偃月橋と東福寺3名橋を巡り、再び通天橋へ戻ってみましたが、その時には花嫁さんの撮影が始まっていたのでした。

京都のナイトライフは…

5月18

samgha 「久々に京都のナイトライフを楽しんでみようかな」と思い立ったものの、
今の時分に夜間拝観をやってるところは思いつかず、日曜の晩にクラブという気分でもなし(歳でもなし)。
ふと思い出したのが「salon&bar SAMGHA」(旧店名「京都坊主BAR」)でした。

行ってみたいと思いつつ、なんともう開店から10年とのこと。
奇しくも現店名に変えてから1周年の満月の日のコンサートがあるというので、速攻で決めました。

本能寺の変跡碑にほど近い場所に建つお店の中へ、半ばミーハー心で入ったところ、
想像以上に落ち着いた空間で、お客の年齢層も高めでした。
アペリティフ(食前酒)やハーブティーを頂きながら、相席の方々と談笑。

小鳥の囀りのようなリコーダー、音色で一瞬にして中世へと誘ってくれるリュート、床からも伝わる重厚な音が心地良いヴィオラ・ダ・ガンバ、繊細で華やかな電子ハープシコード(チェンバロ)のアンサンブルが、
バロックから仏教讃歌まで、主に花をテーマとした短い曲がたくさん奏でられました。

合間に、浄土真宗本願寺派の住職であるマスターの法話があるのがこのバーならでは。
仏教に限らず神道の由来にも触れるところから始まり、
「”罰が当たる”とは不幸な出来事が起こる事だけではなく、”方向転換”を教えてくれているのではないか」とのお話でした。
瞑想では、優しいことばが降って来るような静かなひとときを共有し、後半の演奏はなんだか夢心地のまま聴いていました。

こころに何かもやもやを抱えているようなとき、お坊さんとお話してみたいと思ったとき、
お寺の門戸を叩くのは気が引けますが、こんなバーなら仏教の観点からの気づきがもらえるかもしれませんね。

京の都と鎌倉幕府

3月8

出世恵比寿神社

出世恵比寿神社

2022年の大河ドラマは鎌倉が主な舞台ですが、京都にも関連する場所はあるのでしょうか。
驚くことに、それは秋の時代祭の時代行列の中にありました。

鎌倉時代を表す「城南流鏑馬列」は、承久3(1221)年5月に、後鳥羽上皇が朝廷権力の回復を図り流鏑馬に託して城南離宮に近畿10余りの国の武士1700名余りを集め、鎌倉幕府執権の北条義時追討の挙兵準備をした一場面とされています。
この影響は宇治川や比叡山にまで飛び火することになります。
この承久の乱の後、鎌倉幕府は京都守護に代えて朝廷を監視する六波羅探題を京都に置き、以降、明治維新まで600年以上に及ぶ武家政権が続く大きな転機となりました。

都落ちの際に焼失した平氏一門の邸宅六波羅第と、その後に鎌倉幕府によって設置された六波羅探題の址を示す石標が六波羅蜜寺の境内に建てられています。
建仁寺の勅使門は六波羅探題北方の門、東福寺の六波羅門は南方の門を移築したものと言われています。
詳しくは「歴史さんぽ」をご参照ください。
(ちなみに、粟田神社境内にある出世恵比寿神は、源九郎義経が牛若丸の幼少時代に奥州下向の際、源家再興の祈願をしたとされています)

承久の乱はおそらくこのドラマのクライマックスかと思われ、ちょうど祭が斎行される10月頃になるのではないかと想像していますが、はてさて、どうでしょうか。

月を観たか?

3月2

ao 西陣の興聖寺。
堀川沿いにあるため、前を通りがかったことのある人も多いかもしれませんが、「京の冬の旅」キャンペーンとしては40年ぶりの公開だそうです。

仏殿の天井に描かれた「雲龍図」、わざわざ螺旋状の石段を降りたところにある「降り蹲踞」、目にも鮮やかな、フィジーの海中写真を襖絵に仕立てた『青波の襖』や四季折々の草花を描いた天井画、茶道織部流の祖でもある武将・古田織部の院号を冠した茶室「雲了庵」と織部の木像など。
「ここまで“映える”お寺だったとは….古田織部が現代に蘇ったら、目を丸くして喜ぶかもしれない。」
などと妄想しながら、景気よくカメラのシャッターをパシャパシャ切っていました(※仏殿や茶室は撮影不可です)。

別の日に訪れていた友人のSNSによって、仏殿に「指月標」と書かれていたことを知りました。
「月を示そうと指をさしても、肝心の月を観ないで指を見る。(目先のことに囚われず遠くを見よ)」との意味だとか。
“映え”を気にして記録に残す、見せることばかりに熱心な自分は、ここで何を受け止めただろうか…。

伽藍を出て門へと帰る途中に、立派な枝垂れ桜の木が佇んでいました。
春本番になれば、きっと見事な桜の振袖を見せてくれることでしょう。
この先、このお寺が再び一般公開されるのは何年先となるでしょうか。

日本を元気にする招き猫パワー

2月23

neko
2022年2月22日は「スーパー猫の日」という言葉がにわかに流れてきて、ふと思い立って八瀬にある「猫猫寺(にゃんにゃんじ)開運ミュージアム」に行ってみました。
八瀬比叡山口駅から川に沿って15分程歩きますが、着いてみると駐車場が広い!
中に入ると、これまでの静かな道のりからは想像つかないほど、猫グッズを求めて列を成す人々の熱気が境内(?)にありました。

猫がたくさんいる猫カフェみたいなところかと思い込んでいましたが、現在はカフェとしての営業はされていません(ドリンクのマシーンは有り)。
袈裟風のよだれ掛けを身に付けたもふもふの猫住職見習いのマヨちゃん以上に、猫グッズと猫作家・加悦雅乃さんの作品がどこに目をやっても入ってくるのでした。
幼少の頃より絵画にのめり込み、11歳から猫を描く作家として活動を始め、11年間で16点の作品が国内外で入選・受賞されている雅乃さんの22歳記念を兼ねて個展が開かれています。
5月までの期間中は、普段は特別拝観の人しか入れない地下の「22GBar」に無料で入場できるのですが、洋風アンティークな空間で上階とは別世界でした。
作風は、あふれるままにキャンバスに塗り込んでいくような、素直な発想のものばかり。京都の名所と猫を描いたポストカードもありました。

複数のテレビ番組から取材を受けているらしく、お寺の前にはたくさんの器材が。
招喜猫(まねきねこ)宗総本山に祀られる大日猫来(にゃらい)を前にオリジナルのおみくじを引く人や御朱印を求める人まで。
恐るべし猫好き人の購買力。社会福祉施設の利用者の作品の販売や就労支援等も行われているようです。
日本の経済はにゃんこが回す!!

メジャーどころ目白押し。大徳寺大光院

2月16

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大徳寺の塔頭の一つ、
大光院が特別公開されています(※2022年2月15日(火)~18日(金)を除く)。
普段は非公開のため、いつも前を素通りするだけの目立たない存在でしたが、豊臣秀吉の弟・秀長の菩提寺であり、客殿の襖絵の雲龍は狩野探幽筆、茶室「蒲庵」は、黒田如水(官兵衛)の好み、露地には如水の子・黒田長政と加藤清正、福島正則の三武将がそれぞれ一つずつ石を寄進したという云われがあり、こじんまりした境内ながら戦国時代のメジャーどころが目白押しで驚きました。
雲龍画の痛みが少し目立つかな、と思いましたが、奥州・伊達家伝来の屏風を襖に直したものと知り納得。
どこか愛嬌のあるお顔を見て、同行の友人が自分の父親に似ていると話していました。

大和郡山城主だった秀長の法号を冠した大光院は、藤堂高虎によって現在の紫野高校のテニスコートの辺りに移され、昭和29(1954)年に現在地に移転されたようです。
門構えは、藤堂高虎の頃の時代を留めているそうです。

大徳寺は禅や戦国時代に興味がある人にとっては聖地のようなお寺。
京都SKY観光ガイド協会のガイドによるウォーキングツアー『茶面の大徳寺を訪ねる~利休の歩いた石畳~』も同時開催されています。

鬼を退け、鬼に願う

2月8

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「疫病神を追い払いたいけど…」と各地で節分行事を行うか否かの判断が分かれるなか、蘆山寺では2年ぶりに追儺式が実施されました。

ある人は肩や腰、またある人は肺や眼など、身体の悪いところを邪気払いされた鬼に加持してもらう「鬼の御加持」では、宝剣で病を削ぎ落とすようにさすってもらいます。
列を成しているのはお年寄りが多いかと思いきや、小さな男の子や、お母さんに背負われた赤ちゃんまでいました。

特設舞台の上を進む追儺師らが手にした「鬼喰い切りの独鈷・三鈷」や「降魔面」はこの日に限り公開されるものです。
人間の三つの煩悩「貪欲」「憎悪」「愚痴」を表した赤・青・黒の鬼が一定のリズムで手足を大きく上げ下ろし、周囲ににらみを利かせる鬼踊り法楽の鬼の動きは猿楽の所作から来ているのだそうです。
松明の火の粉を振りまき大師堂へと乗り込んだ鬼は、報道カメラマンをも威嚇し、後ずさりさせます。

護摩の周りで三匹に踊られては、確かに気が散って邪魔でしょうね。法力にやられた三体の鬼は、まるで酔っ払いのごとくふらふらとお堂から外へと逃げ出しますが、その様が法螺貝の音と妙にマッチしています。
鬼が退散すると、駄目押しに追儺師が東西南北と中央へ邪気払いの法弓を引き、歓声の中で矢が弧を描きました。

最後に蓬莱師や福娘、年男、寺侍による福餅・蓬莱豆撒きが始まり、無事に受け止めて更に中に当たりが入っていた人は、破魔矢がもらえます。
餅はキャッチできませんでしたが、第一投目が頭にポコンと当たったので、それもまた当たりかもと都合良く解釈しました。
本尊の元三大師が魔滅大師(豆大師)と云われ、観世音菩薩の化身として表現されたという蓬莱豆は境内でも販売されていますが、蓬莱豆を紅白一粒ずつ食べるとその人の寿命が6年延び、また福餅を食べると開運、出世するそうですよ。

終了後は鬼との記念撮影が行われているらしく、人混みの彼方から子供達の絶叫が響き渡り、大人たちの笑いを誘っていました。
今年一年、無病息災でいられるといいね。 動画はこちら

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