e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

想いを着せる子供のきもの

6月12

kodomo
「千總ギャラリー」で「こどものきもの」展が開かれています。
これまでベビーカーで訪れる人は余りいなかったそうですが、事前に問い合わせると、隣の建物にあるエレベーターを案内していただきました。
これなら、車いすの人や階段が辛い人でも2階のギャラリーに上がる事ができますね。
館内は双子の姉妹のために誂えられた初着などのほか、西村家伝来の端午の節句飾りも展示されており、珍しい男児の市松人形も。現在は鎧兜が主流となっていますが、もとはお雛様と同様に人形を飾るのが一般的だったのかもしれません。
ただでさえ汗っかきで動き回ってすぐに汚してしまう子供達の着物に贅を尽くすなんて、なかなかできない事だけに、憧れが募ります。
夏しか着られない絽の振袖には、何艘もの帆掛け船。質の良い染料を使っているからでしょうか。その青色は、満月が照らす明るい夜空に似た落ち着いた華やかさ。
良いものは時間が経っても内側からにじみ出る様な美しさを放つものなのですね。
もうすぐ祇園祭浴衣や甚平姿の子供達が見られる季節です。

歴史・文化・交流の家 長谷川家住宅

5月29

hase
地下鉄烏丸線「九条」駅または「十条」駅より徒歩約10分。東九条にある「長谷川家住宅」は、275年の歴史を持つ国の登録有形文化財でありながらまだ余り知られていませんが、幕末の禁門の変の際に会津軍の幹部が滞在した名残りや、珍しい古地図や古美術もあり、非常に見どころの多い観光スポットです。
少し前まで実際に生活が営まれていた農家住宅であり、11代当主だった画家・長谷川良雄氏の娘さんが、現在は水彩画のギャラリーの運営と並行して手織り教室をされています。
テレビが隠せる扉や、おくどさんの裏側にIHコンロがあったりと、これまで観光してきた京町家とは違って、経年の趣と現代生活が入り混じったリアル感が、かえって親しみやすく、個性的です。
ギャラリーや床の間のしつらいも季節によって変えられているのですが、5月という事で貴重な檜の兜や、神功皇后とその子・応神天皇の人形、神馬など、ここでも鎧兜とは違う貴重なものが飾られていました。
やはりこれだけの規模の屋敷や庭を維持改修するためには、コンサートや古文書研究会等を企画だけではまだまだ赤字なのだそうで、「いつまでできるか…」と話されていました。
クラウドファンディングも間もなく締め切りを迎えますが、存続のためにはここの知名度が上がるまで、もうしばらく延長してもらいたいところです。
京都市内でも余り馴染みの無いエリアですが、駐車場は4台分あるので、事前に問い合わせれば車での来場もできます。
なお、7月2日や9月29日にも関連講演会とまち歩きがあるそうです。

大雄院襖絵制作プロジェクト

5月15

daiyu
まるで迷路の様な妙心寺の境内の北側に、大雄院(だいおういん)があります。
禅寺本山の襖絵と言えば、山水や文人を描いた水墨画や、絢爛たる狩野派のそれを連想しますが、こちらは江戸時代の漆工家・絵師の柴田是真がデザインした花の丸図を、現代の宮絵師・安川如風氏が描いたもの。
円という限られた空間に吸い込むように季節の動植物を閉じ込め、写実的でありながらも軽やかに見える洗練されたデザイン性は、洋間に置いたとしてもその場に清楚な空気感を与えるような、普遍的な美がありました。
縁側には正座せずに座れる長椅子に座布団、写経の代わりに置いてあるのは、襖絵のデザインのまま思いも思いに色を塗って楽しめる塗り絵が、なんだか少し新しい。
今季の特別公開は終了してしまいましたが、次回もどんな襖絵が出来上がっているか、期待して待ちましょう。
拝観の後は、妙心寺からすぐのところにあるカフェにもお邪魔しました。そのお話は、また後日に。
なお、19、20日は隣華院にて「人形感謝祭」(法要:12時半〜)、20日には長慶院にて「お寺で音楽夜会 瞑想と響き ~The sound of ZEN~ 」(16時半〜)が行われるそうです。

空間で完成するアート

5月8

kg2
KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」巡りの続きです。
このイベントの楽しみの一つが、寺社でもギャラリーでも無い、意外な場所が会場になっているところ。むしろ、その空間に足を踏み入れたくて写真展を観に行くような時も。
ギデオン・メンデルが洪水災害に見舞われた人々を写した「Drowning World」という作品の展示会場には、京都市中央市場そばの旧貯氷庫が選ばれ、その上階の旧氷工場には、アルベルト・ガリシア・アリックスが撮った、アンダーグラウンドな人々のポートレートが掲げられました。
一寸先が闇となってしまった人々の曇った表情、それら被写体が浸る暗い水。
もう氷が作られなくなった工場に一歩足を踏み入れた時の薄暗さとリンクして、地球温暖化の脅威がすぐそばまで迫ってきていることを肌で感じさせます。
止まったままのバルブやスイッチ、旧字体で書かれた看板に壁面の落書き。
繁栄の陰で都合の悪いものから目をそらし、どこかで思考を停止し錆つかせてしまっている現代人の頭の中を象徴しているかのようです。
食材や料理が盛り付けや器によって引き立てられるように、これらの作品が、シンプルの極みともいうべき白くて四角いギャラリーの壁に整然と並べられていたら、印象も変わっていたことでしょう。
ここもまた、京都という都市の一面です。

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭

5月1

kg
KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 」の会場を一日で4か所巡って来たので、その一部をご紹介します。
京都新聞社ビルの地下会場は、無料で入場できます。
普段は入る事のできない印刷工場のレールに沿って並ぶは、アメリカの写真家で映像作家の
ローレン・グリーンフィールドが撮り続けていた、富める人々の飽くなき欲望の数々。
繰り返される歴史を擦り続けていた空間を会場に選んだ意図を感じずにはいられません。
一方、建仁寺の塔頭・両足院では、この展示のためにあえて黒い畳を敷き炭化した木材が用いられており、対照的に陽の光が眩しい新緑の庭から涼やかな風が入り込んでいました。
しかし、そこに展示されているものは、真っ赤な花びらを握り潰し、投げつけて執拗に押し固めたような物体。
かぐわしく華やぐ植物というよりも、まるで生き物の臓器を見せつけられているかのよう。
私達が普段、食事をしているときに、命を意識していないのと同じように、華やかな生け花もまた、無抵抗に命を奪われた生命体の最後の輝きであることを突き付けられています。
作者が故人であるため、写真パネルという形でしか鑑賞する事はできませんが、提携イベントとして、出町商店街に新たに登場した映画館「出町座」では、映画『華 いのち 中川幸夫』が上映されています。
六畳一間の極貧生活の中で、誰が観ても観なくても花をいけ続けたという華道家・中川幸夫の、より肉迫した創作のエネルギーがぶつけられるのではないでしょうか。
“> KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」の会場を一日で4か所巡って来たので、その一部をご紹介します。
京都新聞社ビルの地下会場は、無料で入場できます。
普段は入る事のできない印刷工場のレールに沿って並ぶは、アメリカの写真家で映像作家のローレン・グリーンフィールドが撮り続けていた、富める人々の飽くなき欲望の数々。
繰り返される歴史を擦り続けていた空間を会場に選んだ意図を感じずにはいられません。
一方、建仁寺の塔頭・両足院では、この展示のためにあえて黒い畳を敷き炭化した木材が用いられており、対照的に陽の光が眩しい新緑の庭から涼やかな風が入り込んでいました。
しかし、そこに展示されているものは、真っ赤な花びらを握り潰し、投げつけて執拗に押し固めたような物体。
かぐわしく華やぐ植物というよりも、まるで生き物の臓器を見せつけられているかのよう。
私達が普段、食事をしているときに、命を意識していないのと同じように、華やかな生け花もまた、無抵抗に命を奪われた生命体の最後の輝きであることを突き付けられています。
作者が故人であるため、写真パネルという形でしか鑑賞する事はできませんが、提携イベントとして、出町商店街に新たに登場した映画館「出町座」では、映画『華 いのち 中川幸夫』が上映されています。
六畳一間の極貧生活の中で、誰が観ても観なくても花をいけ続けたという華道家・中川幸夫の、より肉迫した創作のエネルギーがぶつけられるのではないでしょうか。

ありそうでなかった花街写真展

4月18

utage 辰巳神社を背に微笑み、店出しの日には正装でご挨拶まわり…。
プロアマ問わず、芸舞妓たちを写した写真展は、どこも似通っているような気がします。
極彩色のカメラマン・蜷川実花の手にかかると、彼女たちは白粉ではなく、むせ返るような花の香りに包まれ、厳しい世界をしなやかに逞しく生き抜く「女子」。紅や朱は、むしろショッキングピンクに変貌します。
古典芸能を担う彼女らを、洋花で少女漫画の様に飾り付ける手法に、花街ファンの古株達はどういう印象を受けるかは分かりませんが、どれもはっとさせられるほど美しいので、きっと撮られた本人達は、その新鮮さを楽しまれたのではないかと推測してしまいます。

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」の中でも、京都駅ビルの百貨店の中という立地なので、普段はアートに接する機会の無い人でも、このアートイベントを巡るスタート地点になる展覧会ではないでしょうか。

茶のある暮らしと朝日焼

4月9

asahi
宇治の地で400年の歴史を持つ窯元「朝日焼」。初代は、小堀遠州より指導を受け「朝日」の印を与えられるなど大名や公家の茶道具を制作する遠州七窯のひとつとして数えられ、宇治茶の茶器でも親しまれています。
工房に近い宇治川の右岸、朝霧橋を臨む平屋を改装し、昨年に新店舗「朝日焼ショップ&ギャラリー」を開かれました。
小規模ながら、朝日焼の陶土を土壁に用いた茶室では器を展示するほか茶会も催し、長テーブルの椅子席では、急須を使ったお茶の入れ方などのワークショップスペースとなっており、国内外の客人が煎茶碗を手に取り語り合っていました。
いずれも宇治川に面する側は一面のガラスから陽の光と川面の反射光がふんだんに採り込まれ、水辺のデッキでお茶を一服できるような小さな机と椅子も。
鴨川よりも早い宇治川の流れは清々しく、土だけでなく、水も光も空気の流れもまた宇治の茶文化の要素なのだと体感できる空間です。また、2016年に襲名したばかりの十六世松林豊斎さんは30代半ばとあって、全体に若い感性がうまく調和していました。
ちょうど家で使う抹茶の茶碗を探していたので、ひとつ購入することに。
こんな風に暮らしを潤す日用品を、京都をはじめとする各地の窯元でひとつずつ揃えていくのも楽しいですね。

宇治の炭山へ

4月2

moto
空は青、桜満開の宇治市に入り、車でつづら折りの細道を進みながら最初に目指したのは、炭山というのどかな住宅街の中にある「基牛舎」でした。
4,50年程前には牛舎、その後は椎茸の栽培にも使われていたいう建物を、カフェと暮らしの雑貨を展示販売するギャラリーに改装しており、陶芸作家であるオーナーのヤマモトソウヘイさんが作った器や、自ら選んだ選んだ暮らしの道具を展示販売しています。
カフェではオーナーの母親が手作りしたランチや、貴重なコーヒーのスペシャルティ、宇治の抹茶を使ったロールケーキ等が頂けます。
わずかに灰色がかった白い皿やカップの京焼・清水焼、サイダーの様な水泡を閉じ込めたガラスの器は、主張し過ぎず日常に溶け込んで、生活空間にささやかな高揚感を加えてくれそうなものばかり。
木造の梁を残す高い天井にファンが回る店内は、各席のイスやシャンデリア等のインテリアだけでなく、ジュースのグラスやストローの色など細部に至るまでこだわりとセンスが光っていました。
京焼・清水焼は、昭和46年の条例で京都市内にて薪窯を焼くことが禁止された事から、清水坂界隈の窯元が山科の清水焼団地や宇治の炭山に移転して創作を続けていました。
車が無いと少し不便な立地ですが、観光客で賑わう駅前の茶店街や茶畑、萬福寺・三室戸寺界隈とは異なる宇治の一面です。
その後は宇治川沿いの「朝日焼ショップ&ギャラリー」(7、8日に「夜の音楽会」を開催)や平等院鳳凰堂(5日からライトアップを開催)にも立ち寄りましたが、その話はまた後日。

台湾の喫茶文化を京都に

3月12

xiao
台湾の台北市にある人気茶藝館「小慢(シャオマン)」が、京都にもお店を出したと聞きました。
観光客も通らないような静かな住宅地の中、周囲に溶け込む木造住宅に、まるで世間から知られたくないかのように目立たない看板が掛かっているだけ。
一度はうっかり通り過ぎ、また入り口に立っても営業しているかどうかも分からない静けさに、引き戸に手を伸ばすのもためらってしまいました。
大人の隠れ家のような台湾茶カフェを想像していたのですが、実のところはお茶を取り巻く工芸品を扱う、薄暗く落ち着いたギャラリーでした。
他の来客も同様に喫茶目的だったようで、お店のスタッフが小ぶりの台湾菓子とお茶を出して下さいました。
日本にも日本茶を扱い、茶道体験ができる茶房もたくさんありますが、たくさんのお土産を手に疲れを癒す旅客が多く見られるのに対し、台湾の茶藝館で見かけた客人達は、より地元の人々が自然と集い、茶葉から淹れる喫茶が日常に溶け込んでいる印象がありました。
ここでは限られた種類の中国茶と台湾茶、台湾の紅茶を扱っており、値段も高級路線。当時展示してあった茶器もとてもシンプルで、茶を嗜むことと、その周辺の日用品や時間にも潤いを忘れない人のためのお店なのだと実感しました。
イベント用スペースと思われる二階は、たまたま茶会の最中だったようで上がる事はできませんでしたが、次回は4月に開催予定だそうで、詳細は公式フェイスブックを見て欲しいとのことです。
スタッフの方が蒸籠を持って階段を上り下りする様子から、台湾の点心も頂けるのかもしれません。期待が膨らみます。

お寺のひな祭り

3月6

hina 春桃会の三十三間堂。普段は厳かな佇まいの千手観音坐像も、隣にお雛さんが飾ってあるだけでどことなく春の空気をまとっていました。
この日に限り、体半分ほど高いところから堂内を眺められる足場が設置してあり、おびただしい数の千体千手観音立像が規則正しく並ぶ様を斜め上の角度から観ると、まるで合わせ鏡の中で永遠に続いているかのようです。
境内で女の子の赤ちゃんを連れた人をよく見かけたのは、桃の節句に子供の幸せを願ってのことでしょう。実家にあるお雛さんを思い出し、代わりに女性専用の「桃のお守り」を受けて後にしました。
三十三間堂の東側に出たすぐそばの法住寺の、庭を隔てた奥の書院には、三間にわたって吊り雛をはじめとした様々な人形が花壇の様に彩を放っていました。
段飾りに、床の間には立ち雛の掛け軸、畳の上には貝合わせに西洋の人形まで、様々な姿で親しまれてきた人形たちを観ていると、それらをひとつひとつ包み、大切にしまって引き継いできた人々の姿を想像します。
子供の頃は単なる人形遊びだったひな祭り。その意味を知り、お片付けやお飾りを手伝うようになったのは、いくつのときだったかな。

« Older Entries