e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

「おもろいおっちゃん」に会いに

10月3

issey 先日、父が楽しみにしているという、『イッセー尾形の一人芝居「妄ソー劇場」』を観に京都府立文化芸術会館を訪れました。
早速イッセーさんが描いたイラスト入りのTシャツを購入。

自分にとって初めてイッセー尾形という人物を認識したのは、阪神淡路大震災の際に延々と流れていたACのコマーシャルだったので、
以来、俳優やナレーターとしての活躍をテレビの画面を通してみてきました。

開演前のアナウンスもご本人のもの。思わずくすりと笑わせてくれます。
人間観察を笑いに昇華させた小劇と小劇の合間には、暗転する舞台の端だけスポットライトが当たり、イッセーさんがその場の姿見と観客の前で衣装替えするのです。
ドーランを塗り、もみあげもヘアマスカラでしゅしゅっと染めて、紅をひく表情も仕事人そのもの。
再び舞台の真ん中に戻ったかと思えば、よく通る最初の一声で観客を湧かせます。

会場に集まっているお客は年齢層が高めでリピーターが多い様子。
世代の違いか、ネタによっては内容がよく分からないまま周囲の爆笑に戸惑いました。
しかしながら、テレビのナレーションにおいても、声を聞いただけでその飄逸なキャラクターを連想させ、
自分の芸名を冠した、しかも一人芝居で何年もファンを魅了し続けているというのは脅威的なことです。
今回初めて実際に本人を観ましたが、こういう劇場公演なら演劇人としてもっと色んな側面を観る事ができそうです。

ホールを出ると、3年ぶりに行われるというサイン会を心待ちにする人々の長蛇の列が既にできていました。
あの笑顔を前にすれば、きっとつられて笑ってしまい元気が出るでしょうね。
イッセー尾形さんが「世界で一番好きな劇場」と呼ぶ京都府立文化芸術会館での次回の公演は、来年3月を予定されているそうですよ。

自然の中から見出されるもの

9月27

bonsai

大徳寺山内の最北にある塔頭・芳春院

現在、伽藍内の拝観はありませんが、2021年より盆栽庭園を開園しています。
看板は立ててあるものの、よっぽど近づかないと気づかないくらい。

受付で目録を受け取り、お庭を一周するように配置された作品の前で立ち止まっては覗き込んだり離れて眺めたり。

大陸から伝わったとされる盆栽は、「自然の中のどこにでもある仏性」の象(かたち)として創作されたものだそうです。
水石(すいせき)とは「山水景情石」の略称で、石を鑑賞する文化のこと。日本古来から伝わるものだとか。

なんの知識も持ち合わせてはいないのですが、盆栽を観るのは好きです。
自然のもたらす曲線美と人の手が加わった力強さが、ルネサンス彫刻を観ているときのような気持ちになるのです。
誰もいない庭園の中で床几に腰掛けていると、お彼岸の涼しい風に、鳥のさえずりと遠くから木魚のやわらかい音が載ってきました。

春には桜の作品が置かれ、庭園内の紅葉の木の麓に立てば、開けた空の向うに比叡山も見渡せるので、
これまで訪れてきた寺社とは違う趣のお花見や紅葉狩りができそうです。

有名な戦後武将や茶人、座禅に禅庭、精進料理、月釜。
禅やサムライに興味のある人にとって、大徳寺は見どころの宝庫。
いつ訪れても外国の方がぽつり、ぽつりと歩いています。
きっとこの盆栽庭園もこれから注目されるはず。教えて差し上げたい!

何人もの背中

8月10

3dai 先日は、親子3代競演を楽しみに、金剛能楽堂へ。

能楽金剛流の若宗家・龍謹さんが幣を振り舞う三輪明神に、お祓いを受けたような気持ちになりました。
およそ2時間もの長い『三輪 神道』という大曲を演じ切られるとは、凄まじい集中力です。
昔は、恰幅の良いご宗家永謹氏が大きく、うら若い龍謹さんが華奢に見えたこともありましたが、今度は体格も声の大きさも反対のように見えました。

半能『岩船』で、初シテを務める6歳の謹一朗くんが橋掛かりに颯爽と現れた瞬間から、自分の涙腺が緩みそうになりました。
まだ小さいけれど堅く握りしめた拳を前に出し、大勢の大人たちに囲まれた重圧の中でも、正確に流麗な円を描いて舞う姿に大変驚きました。
そして、ご両親に似て、端正なお顔立ちです。

金剛流26世宗家の永謹さんが息子の龍謹さんを、また孫の謹一朗くんを若宗家の龍謹さんが背後で見守る表情は厳しいものでした。
伝統の重みに対峙する真摯な志の連なりは、3代だけのものではないからです。

16日は「大文字送り火能」。 蝋燭を灯し、いつもより薄暗い環境で、夏の夜に背筋が凍るような演目が毎年採用されています。
ことしの演目は『善知鳥(うとう)』。地獄で責め苦を与えられるという演出が能楽ではどう表現されるか、注目です。

27日、9月3日には「日本全国能楽キャラバン! in 京都」があり、京都市出身の世界的指揮者・佐渡裕氏、伏見稲荷大社宮司の舟橋雅美氏と、それぞれのゲストが上演曲にゆかりのある講演をされる予定(10月30日は東本願寺能舞台が会場)です。

巡行と神輿の後のお楽しみ

8月2

iwai
祇園祭も後祭山鉾巡行、神輿渡御という佳境を越えて、毎年寂しさを感じていた人達に朗報です。

7月28日の神輿洗の直後から、「祝い提灯行列」という行事がこれから毎年行われるそうです。
祇園町にゆかりのあるお店等の有志が、銘々に提灯をこしらえ八坂神社の神輿を迎える神賑わいとして、界隈を練り歩くというもの。

この提灯行列は江戸中期の「花洛細見図」や「祇園御霊会細記」にもその様子が描かれているそうで、5年程前から本格的に盛り上がってきたようで、京都人でもまだ余り知る人の少ない行事です。

いもぼうの海老芋や巨大なおこぼ、吉本新喜劇のマークなど、祇園の人達の洒落がきいた38基もの提灯が、山鉾行事とはまた違ったユルさで楽しい。
「この提灯、なんで野球の球なんですか?」「店主の趣味らしいです」「この双子の赤ちゃんは?」「おくるみです…(←おめでたいイメージ?)」と歩きながら思わず尋ねてしまいました。
途中、「広東御料理 竹香」前で御接待を受け、行列はしばし休憩。鷹山の関係者も何名か参加されていたようで、みんな本当にお祭好きですね!!

先頭を歩く祇園篠笛倶楽部の笛の音は、一本の糸のように揃っていて美しく、八坂神社を出発したときのはつらつとした曲調から、夜の帳が降りてきた白川筋を通るときには穏やかな音色に変わり、夕涼み散歩のように、一緒に歩いて楽しませてもらいました。

今年は短縮ルートでしたが、例年は19時頃から2時間かけて祇園町の南北と細かく練り歩かれます(※雨天中止)。
現在のところは公式サイトが無いそうなので、こちらのサイトを来年のご参考に。
来年は7月10日と28日の両方で観る事ができるといいですね!

関連動画は随時こちらに追加していきますね。

それぞれの祈りの祭典

7月27

kuji3年ぶりに行われた祇園祭の後祭山鉾巡行
先立つ20日の曳き初めでは、東西の通りにある鷹山と、南北の通りに建つ北観音山が、三条新町にて大接近し、お互いの囃子方と車方が思わず挨拶を交わすという微笑ましいハプニングもあったそうです。
巡行本番では、鉾町を出発した鷹山が、御池通りに出るまでに、電線ぎりぎりのところで最初の辻回しをするシーンでは、町内の床屋さんが、大量のお水の提供をしていました。
2014年に大船鉾が復帰を果たしたときに沿道から聞こえたように、進む鷹山に向かって「お帰りなさーい!」と大声で叫びたかったです。

2022年の祇園祭は、前祭は連休、後祭は鷹山の復興という大きな話題もあって、
この日を待ちわびた多くの人が祭に繰り出しました。

しかしながら、引いては押し寄せる疫禍の中です。
知人達の中には、自身やご家族の体調を考慮して、参加が叶わず断念した人もいました。
また、外出を控え自宅の中で祇園祭のしつらいを楽しむと決めた人もいました。
それもまた、ひとつの賢明なご判断だと思います。

漆がまだ塗られていない白木の香りや
脳天に響く鉦の音までは再現できませんが、
こちらの動画で鷹山への搭乗を体験してみてください。

75歳に何を思う

6月22

tuji陶芸家 辻村史朗」展の最終日に滑り込みで行って来ました。

特に茶の湯に係わる人の中で著名な陶芸家である事は知っていたし、白釉の茶碗を「きれいだな」と眺めた事もありましたが、その人となりを知ったのは初めてのことでした。
冒頭に「作品は作家自身の内面の人間性と共に評価される」といった趣旨のコメントにあった通りの展覧会でした。

洋画家を志す道半ばで自己を追求したいという思いが募って禅門を叩く。
京都では大原を最初の創作活動の拠点として京都市美術館の前や道端で作品を売ったりしていたそうです。
名も無き大井戸茶碗に感動し、師匠を持たず独学で作陶の道に進み、妻と共に人里離れた山間の奈良県水間町に自宅兼アトリエを一から作り上げて創作に没頭する。
常に「今」の自分の心の声に素直に耳を傾け、その声に従って自らを真っ直ぐに導く「あるがまま」のシンプルな生き様。
多くの人が憧れと親しみを持っているのが、おもてなしにも使われた自宅の食器からも伝わってきます。

奇しくも父の日。同行した父親は70歳ですが、辻村氏が75歳を迎え、創作の対象を茶碗のみに絞って創り続けているというところが心に留まったようです。
父の兄が75歳で職場の第一線から退き、若い頃程には自由の利かなくなったその後ろ姿を見ているので、75という年齢はこれまで持っていたものを削ぎ落し、本当にやりたい事に向かって行こうという気持ちが沸き起こってくるものなのだろうかと話していました。

当展覧会に引き続き、祇園のギャラリー「ZENBI-鍵善良房-」では「辻村史朗-茶盌 TSUJIMURA SHIRO 100 WORKS」展が開催中です。

2022年6月22日 | 芸能・アート | No Comments »

薄暗さの心地よさ

5月11

ma 東寺から南へ少し下がったところに、「日本茶空間 間」があります。

まるで旅館のようなエントランス(誰もいませんが)を通り中へ入ると、アンティークショップの様な茶器とオリジナルの食器、統一化されたパッケージのお茶や毛筆で書いたひらがなを模したピアスなど、お茶にまつわる商品が並んでいます。

カウンターやテーブル席のある部屋に入って暫くしてようやくお店のスタッフが現れ、試してみたかった「お茶をかけて食べるお茶漬け菓子 茶妙」をお願いしました。
3種のお品書きから選んだのは、「いと達」製の薯蕷饅頭に、温かい玉露を注いで頂くもの。
オリジナルな和菓子と玉露という高級茶との組み合わせなので、なかなかのお値段です。
「映えそうではあるけど、本当に美味しいの?」と少し懐疑的に口に運びましたが…「これは”あり”かも」と思いました。

温かいお茶が、中が透けるほどに薄い薯蕷饅頭の表面をやわらかく撫で、ふやけた皮の中の餡をお茶に浸します。
旨みの強い玉露はまるでおだしのようで、糖度20%のあんことよく合いました。

他にも抹茶をかけるもの、葛まんじゅうに釜炒り茶をかける季節限定のものもありました。

もとは炭問屋だったという、町家や蔵のような古い建築で、陽の光が入るところだけ眩しく輝いています。
壁もお皿も真っ白で眩しいお洒落なカフェが苦手な自分にとっては、
高い天井から薄暗い空間を身体が沈んでいくように、心が落ち着いてニュートラルな状態になっていくのを感じました。

日本茶の香りをベースとした「パーソナル調香」が毎週金曜日にあるそうなので、また足を運んでみたいと思います。

人形はお守り

4月26

musha
我が家に五月人形がやってきたので、お雛様と交代で飾っています。
やんちゃな盛りの怪獣たちの手の届かない玄関に飾れるケース入り。
鯉のぼりは、今後のお空と相談して挙げる予定です。

お雛様と同様に、武者人形や兜には、その子の身代わりとして災厄を引き受けたり、護ったりする役目があるので、子供が幾つになっても飾って良いものなのだそうです。
数年前に、不注意による事故で子供を救急搬送したことがあり、その際に家に飾ってあった小さな京陶人形の童大将の人形を「人形(ひとがた)」のつもりで、思わず手に持って同行しました。
そんな経緯で人形の顔や身体には擦れた跡が付いてしまいましたが、今も元気におもちゃで遊んでいる我が子のそばで、毎年その小さな大将を手に、気持ちを新たにしています。

今年のまだお雛様を飾っている期間中、妬きもちなのか、息子が「ぼくのお人形も出して」とせがんだので、「もう少ししたら飾ってあげるから、今だけね。」と箱から出して持たせてあげました。
ふっくらとした小さな両手にそっと載せて、嬉しそうな顔。子供にも何か伝わるものがあるのかもしれません。

武者飾りは飲食店でも飾られていることが多く、5月から本格シーズンを迎える川床のあるお店で見かけることもしばしば。
破魔弓や刀飾り等一般家庭ではなかなかできないような、立派なお飾りを垣間見る事ができそうですね。

「日本のあそび」曲水宴

4月11

kyoku
上賀茂神社の渉渓園に一歩踏み入れると、濃厚なお香の香りを感じて思わず振り返ると、山田松香木店が「薫物(たきもの)」をされていました。
薫物の演出は『源氏物語』等の古典文学にも記されており、今年は染殿后藤原明子の「梅花」をもとに、昔ながらの調合方法で調整されたものだそうです。

「ならの小川」からの分水が流れ、木漏れ日の中には客席が設けられ、そよ風に汗ばむ程の陽気も忘れてしまうほどの心地よさ。
受付から開宴までの合間に、たまたま居合わせた和歌をたしなむという方とならの小川の畔に腰かけて、せせらぎの音に耳を傾けながら昼食を取りました。

「五・七・五・七・七」のリズムを持つ短歌と和歌と違いとは。
和歌には型というものがあり、いわゆる「現代短歌」は、明治以降に入ってきたもので、芸術として自我を表現するものだそうです。
令和元年に選ばれた斎王代が十二単の袖を引いて現れると、場が一層華やぎ、客席も色めき立つのが伝わってきます。

薫物は二箇所であり、遮る物の無い開けた庭園であっても、披講の抑揚ある調べに載せるようにリズミカルに濃淡を変えながら香りが漂っていました。
曲水宴は、中国の禊祓の行事が日本流にアレンジされたもので、自然の中に身を置き、香を焚いて雅楽とともに場を盛り上げ、歌を詠む順番さえも羽觴(うしょう)を運ぶ遣水(やりみず)の流れに任せるという、まるで王朝文化への憧れを投影した「日本のあそび」を象徴するような催しでした。

宴の後は、斎王代が境内の斎王桜の前で美しい立姿をみせてくれました。

月を観たか?

3月2

ao 西陣の興聖寺。
堀川沿いにあるため、前を通りがかったことのある人も多いかもしれませんが、「京の冬の旅」キャンペーンとしては40年ぶりの公開だそうです。

仏殿の天井に描かれた「雲龍図」、わざわざ螺旋状の石段を降りたところにある「降り蹲踞」、目にも鮮やかな、フィジーの海中写真を襖絵に仕立てた『青波の襖』や四季折々の草花を描いた天井画、茶道織部流の祖でもある武将・古田織部の院号を冠した茶室「雲了庵」と織部の木像など。
「ここまで“映える”お寺だったとは….古田織部が現代に蘇ったら、目を丸くして喜ぶかもしれない。」
などと妄想しながら、景気よくカメラのシャッターをパシャパシャ切っていました(※仏殿や茶室は撮影不可です)。

別の日に訪れていた友人のSNSによって、仏殿に「指月標」と書かれていたことを知りました。
「月を示そうと指をさしても、肝心の月を観ないで指を見る。(目先のことに囚われず遠くを見よ)」との意味だとか。
“映え”を気にして記録に残す、見せることばかりに熱心な自分は、ここで何を受け止めただろうか…。

伽藍を出て門へと帰る途中に、立派な枝垂れ桜の木が佇んでいました。
春本番になれば、きっと見事な桜の振袖を見せてくれることでしょう。
この先、このお寺が再び一般公開されるのは何年先となるでしょうか。

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