e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

鼻も鎮める!?やすらい祭

4月22

yasuirai 先日訪れた常照寺の帰り道に今宮神社に寄り、「やすらい祭」を見物してきました。
子鬼や赤と黒の大鬼、囃子方等に扮した氏子たちがそれぞれ「上野やすらい」と「川上やすらい」となって、鉦や太鼓を打ち鳴らしながら花傘と共に時間差で境内数か所と氏子地域で「はなしづめ」の踊りを奉納します。今宮さんの踊りは今宮神社の東門を出たあぶり餅屋さんの前でも舞われ(16時頃でした)、床几に腰掛けて美味しいあぶり餅を食べながら観られたお客さんは幸運ですね。 →動画はこちら
平安の昔、が散る頃に疫病が流行したため、花と共に飛び散る疫神を鎮める「鎮花祭」としての意味合いを持つお祭りです。
確かに、三寒四温に花冷えの折は寒暖差が激しく、体調を崩しやすいもの。現在で言うならば、鎮めたい病とは花粉症でしょうか。
上賀茂のやすらい祭は、来月の葵祭の日(5月15日)も行なわれます。

常照寺・吉野太夫花供養

4月13

tayu 昨年の葵太夫さんに引き続き、嶋原に10代の若い「木太夫」さんが誕生しました。
伊藤博文の寵愛を受けていたという名花の源氏名を引き継いだ木太夫さんは若雲太夫さんの姪で、幼い頃から禿(かむろ)として島原に関わり、小学校から習い事を始めて、日本舞踊や茶道、琴をたしなんできたそうです。
その襲名報告も兼ねた12日。鷹峯の常照寺門前に春風が通り抜けると、太夫道中を待ちわびる人々の歓声も、の花びらと共に舞い上がります。
木、薄雲、如月の三太夫が連なって、胸を張り内八文字をゆっくりと踏み進める姿は壮観でした。
立礼席でお茶を点てる薄雲太夫さんの笄の上にも、薄紅色の枝垂れが降り注ぎます。
境内にある様々な品種のは、例年ならば順番に咲いていくそうですが、今年は一度に花開いたのだとか。
煎茶席や遺芳庵席も巡っていたため、若雲太夫さんのお点前や墓参を観るのが叶わず残念でしたが、一度に5人もの太夫さんに会える催しは貴重だと言えます。
また、吉野太夫墓所近くの開山廟では古参の花扇太夫さんが撮影に応じていました。華やかな席は若い太夫に譲るものの、年齢を重ねても今なお人々の憧れの花であり続けている事を物語っていました。

八幡・背割堤の桜と「石清水灯燎華」

4月6

iwa  今年の見物第二弾は、八幡市へ出かけました。
人もまばらになった夕方の背割堤で、鶯のさえずりが聞こえるのトンネルをのんびり歩いた後は、石清水八幡宮の夜間特別参拝「石清水灯燎華」(5日で終了)へ。
昼間に雨が降った日曜日の夜だったので、こちらも人影が少なく、暗闇に白く浮かぶ上がると燈篭が本殿へと導きます。
お祓いと巫女さんによるお神楽を受け、神職さんと共に周囲も巡りながら二棟の建物を前後に連結させた「八幡造」の社殿についての説明に耳を傾けます。
社殿を囲む瑞籬(みずがき)の欄間彫刻は、日光東照宮でもその腕を発揮した左甚五郎一派の作と伝えられており、その中のカマキリは、祇園祭の「蟷螂山」のカマキリのモデルになったのだとか。
また当宮は「八幡山」など祇園祭との縁も多く、町衆と神職が相互に参詣するなどの交流があるそうです。
社殿内部は他にも、雨漏り対策として織田信長公が寄進したという「黄金の雨樋」(現実的な寄附ですね!)や、現在の八幡市駅前にあったという神宮寺・大乗院(元寇に際して祈祷が行なわれ、神風を吹かせたとも)から戊辰戦争の兵火を逃れて石清水八幡宮に運び込まれたという寺宝の一つ「篝火御影」の掛け軸(8年前に発見されたばかり。臨戦態勢ばっちり僧姿の八幡神!)など、武運の神として日本を代表する為政者達からの信仰が形となって現れていました。
石清水八幡宮の「男山まつり」は今月末まで開催されており、昇殿参拝は大晦日まで可能ですが、12日までは一日に5回行なわれています。

車折神社の早咲き桜

3月31

kuruma 早咲きので知られる車折神社。例年、町なかのが満開になる頃には既に散っているという印象を持っていたのですが、先週末の境内では、満開もあれば散った木もあり、膨らんだ蕾もまだたくさん見られたので、これからも見頃がやってきそうです
この時ちょうど満開を迎え、人々の足を止めていたのが、画家・冨田溪仙(けいせん)が奉納した「溪仙」でした。
溪仙は、明治21~26年の間、車折神社の宮司を任めた文人画家・儒学者の富岡鉄斎に私淑していました。
漢詩や絵画の心得のある人だったら、きっと携帯電話やデジカメのシャッターを切る代わりに筆でもって、その四方に枝をくねらせたの姿を描き表すでしょうね。
この週末は、いよいよ満開の見頃がスタートでしょうか。様々な芸能人達が芸能神社に奉納した朱色の玉垣に、文字通り「咲きこぼれる」に出逢えるといいですね。
帰り道には、嵐電(京福電車)の北野に乗り換えて、車窓からのライトアップを楽しむのも良さそうです。
その他各地の様子は「特集 定点観察 2015」をご覧下さい。

茶道資料館「茶箱を楽しむ」

2月24

sado 茶道資料館の新春展「茶箱を楽しむ」。平日の静かな館内ながら、人の足が絶える事はありませんでした。
茶箱とは、お茶を点てるのに必要な道具を携帯できるようコンパクトに収納し、野点(いわゆる「アウトドア茶の湯」)の風情を楽しむもので、戦乱の世には武将達が陣中で、あるいは花見や紅葉狩りの席で用いられて来ました。
紐を掛けたり瓢箪型にしたりと、持ち運びに耐えうるように工夫されたデザインや、その茶箱が使われるシチュエーションを連想させる装飾、中の茶碗や道具は従来よりも小さく軽い事が求められるため、「見立て」(代用)で遊べる自由さなど、持ち主が楽しんで趣向を凝らしているのが伝わってきます。
長時間フライト中の飛行機内で茶箱を広げ、周囲の外国人乗客や客室乗務員らにお茶と菓子を振る舞い、拍手で喜ばれたという面白いエピソードもありました。
自分自身は茶箱はまだ持っていないけれど、手持ちのバスケットに茶碗や茶筅、ケーキ等を仕込み、夜の宴席や植物園の東屋で友人達と一服を楽しんだ事もあれば、スキー場のゲレンデで、スノーウェア姿でスキー板の上でお薄を点て、家族で冬山の絶景を楽しんだ事もあります。
またある知人のタクシー運転手さんは、車内に茶箱を供えていて、案内したお客様にお茶を点てる事もあったと聞きました。嬉しいサプライズですね。
その際にもてなした相手は、お茶の心得がある人だけでなく、お抹茶を飲んだ事も無いという人も。
日常と非日常、茶道という敷居もふっと跨いでしまえそうな装置です。
この時期に茶箱展が開かれたのも、間もなく訪れる花と新緑の季節に向けた、野点への誘いなのでしょう。
なお、茶道資料館のすぐ隣にある本法寺は琳派の祖・本阿弥光悦の菩提寺とされ、特別公開中です。併せてお楽しみ下さい。

太閤山荘・古田織部美術館

12月2

oribe  紅葉の色付きも人出も山を越えた模様ですが、JR東海の今年のキャンペーンポスターが源光庵だったこともあり、鷹峯は大賑わいだったとか。
その源光庵から更に北の住宅地へ入ったところに、今年開館した「太閤山荘・古田織部美術館(※現在臨時休業中です)
既に紅葉の見頃は過ぎていましたが、色とりどりの散り紅葉が、龍門瀑を連想させる庭の石組では飛沫を上げる滝の様に、美術館となっている蔵への渡り廊下では白木を彩る刺繍の様に、表情を変えて楽しませてくれました。
現在の展示品は古田織部の時代の、堺の茶人達の茶道具や消息等で、今までドラマや漫画でも知り得なかった数寄者達の名前も多く連ねられています。
箱モノの美術館で観賞するのとは違い、鷹峯に住まう茶人の家を訪ね、お茶をよばれ、そこのコレクションを見せて頂いているような感覚。
太閤山荘の向かいから急な坂道を降りたところにある「紅葉谷庭園」は、まだ整備途中といった様子でしたが、池に対面して配されたベンチを覆うとおぼしき木々や、手漕ぎボートを見ると、来春・来秋には鷹峯で静寂と自然を味わえる穴場となりそうな予感です。
翌2015年は、古田織部が大坂夏の陣の後に徳川秀忠によって切腹を命じられ、その生涯を閉じてから400回忌にあたり、また本阿弥光悦が徳川家康より鷹峯の土地を拝領した「琳派誕生」の年でもあります。
今年も残すところあとひと月となり、まもなく「琳派400年記念祭」の幕開けです。

京土産に大学オリジナルグッズ

6月2

haris 「知人への京土産に。」と頼まれて、同志社大学のハリス理化学館同志社ギャラリーへ。
大学グッズと言えば、京都大学の「総長カレー」や「素数ものさし」を思い出しますが、さて同志社大学のオリジナルグッズとは?
大河ドラマ「八重のが放映していた2013年の11月にリニューアルオープンした事もあり、グッズが買えるラウンジには、創立者・新島襄と八重夫妻の書籍や過去の企画展示の図録、京都の老舗のお酒等の食品もありました。
お目当ての品は、宇治の丸久小山園製の玉露や煎茶等5種のお茶のティーバッグが入ったミニ缶で、同志社大学今出川キャンパス内にある5棟の国の重要文化財建築の画像が、それぞれの茶缶にプリントしてあります。自由に試飲までできました!
J.Nハリスの寄附を元に明治23(1890)年に竣工された煉瓦造りの当館は、現在はギャラリーとして、同志社の歴史と新島襄の思想を今に伝えるほか、キャンパス内からの出土品、地層等の資料による創立以前の京都の歴史も紹介しています。
平安時代には冷泉家や二條家が立ち並ぶ公家屋敷、室町幕府の花の御所、幕末の薩摩藩邸、そして現在は学びの場として、歴史の層を重ねる度にこの地が果たしてきた様々な役割を知る事ができ、卒業生でなくても、歴史や近代建築が好きな人にとっても楽しめる内容ではないでしょうか。
さて、帰宅してから「あ、“八重さんの醤油”も切らしてたんや」と言われました。
はいはい、今度キャンパスツアーにでも参加して買って来ますわ~。

色々なお花見

4月14

gosho ソメイヨシノの見頃は過ぎましたが、ところどころ見られるしだれ桜や八重は、「たわわ」と形容したくなる様な花をたくさん付けています。
先週末の京都の町中も、を見上げる人々の笑顔で溢れていました。
学生時代の様に、レジャーシートを抱えて場所取りをする気力は無くなってしまったけれど、今年は2か所でお花見をする事ができました。
京都御苑では、ベビーカーを押すママ達と。御所の一般公開で大勢の人が歩いていましたが、北西の児童公園ではベンチやテーブルも空いていて、何本かのしだれが優しい色の花を残していました。
歩き始めたばかりの子供達は、にはご興味無い様子。代わりにたっぷりと花びらが落ちた土を、小さな手で何度もすくって楽しんでいました。
一方、嵐山亀山公園では、馴染みの居酒屋の主催で、落語とお花見弁当を肴に一献。
はすっかり散っていて、八重の一本しか残っていませんでしたが、なかなか良いお花見場所を教えて頂きました。
それにしても、噺家がお酒を飲む仕草の美味しそうなこと!こちらもついつい、いつもより飲みすぎて、帰りはひらひらと花びらの舞う中、まるで雲の上を歩いているかのようにふわふわとした気分で家路につきましたとさ。

2014年4月14日 | 観光スポット | No Comments »

深草の桜

4月9

sidan 先週土曜は、「墨染」の咲く墨染寺を目指して、伏見稲荷大社近くから琵琶湖疏水沿いを歩きました。

 深草、藤森…と続く徒歩30分の道のりは、ところどころに頭上を覆うほどの満開のの木が植わっていて、地元の人が犬の散歩を楽しむような静かな遊歩道になっており、観光客の姿は殆ど見当たりません。
 特に師団橋の手前辺りのの木々は、疎水の水面すれすれにまで枝が伸び、優雅なカーブを描いていました。

 因みに、この「師団橋」という名前は、かつてこの深草近辺に大日本帝国陸軍の第16師団が置かれていた名残で、周辺の幾つかの橋桁には、五芒星のマークが今でも見られます。

 地元の人々によって行なわれているライトアップも美しいそうで、これからも開催されるといいですね。

「文化の発信装置」としての百貨店

3月3

taka 普段、色々な百貨店を利用するなかで、高島屋に対して個人的に持っている印象と言えば、“高級感”や“美術に力を入れている”、“客の年齢層が高め”でしょうか。
1831(天保2)年、烏丸通松原上ルに古着・木綿商「高島屋」を開いてから約180年。「暮らしと美術と高島屋」展が、創業地の京都で開催されています。
明治期の高島屋を再現したミニチュアから、京都と百貨店、そして日本の歴史を併記した巨大年表に始まり、レトロな広告や美術品、史料の中でも、吉野のやベニスの月、ロッキー山脈の雪を描いた「世界三景 雪月花」ビロード友禅の原画は圧巻でした。
竹内栖鳳や池田遥邨、富岡鉄斎など、誰もが知る作家の名が次々と登場しますが、これは意識して収集されたのではなく、創業以来の歴史の間に自然に集まったものなのだそう。
オリンピックに出場した選手が多くの人々や企業に支えられていたように、美術工芸の分野においても、日本の企業と文化が共に育ちながら、万国博覧会を通して世界に受け入れられていった経緯が読み取れます。
今でこそ百貨店にレストラン街や美術館に画廊、催事空間を設けているのは当たり前となりましたが、身の回りの人が、「特に買い物の予定は無いんだけど、ちょっと高島屋に寄って行こうかな…」と呟きながら、入口へと吸い込まれていくのを今でもよく見かけます。
客の需要に応え、またある時は時代に先駆けて新たな価値観を提案する「文化の発信装置」としての百貨店は、これからも姿を変えながら進化をし続けていくのでしょうね。

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