e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

ひと手間を加える

5月25

monaka 友人の家に大人数で集まった時、よく手土産にするのが、「アイスクリームの最中詰め」。
事前に先方の冷凍庫のスペースを空けてもらうか、時間指定のクール便で届けるという手間はありますが、スプーンですくって最中種に載せるという行為が、ちょっとしたエンターテイメントになって、パーティー気分を盛り上げます。
最中の種は、和菓子店や製餡所で餡と皮をセットにしたものを購入するという手もあるのですが、和菓子の老舗などへの麩焼種や懐中しるこの種を製造する「種茂商店」に問い合わせてみると、「割れや欠けのあるB級品を、工場の前で一袋100円でお売りしていますよ」と親切に教えて頂きました。
(※在庫品に限り一般販売されていて、購入の際は、必ず来店前に電話やFAXで一報入れて下さいね)
アイスはバニラや抹茶がおすすめですが、色んな味のミニカップの詰め合わせをめいめいの好みで選んで詰めても楽しいと思います。
今まさに、挟んだばかりの最中にかじりつくと、高級もち米の香ばしさと抹茶アイスクリームのなめらかさやほろ苦さや冷たさが、パリパリとした食感と交互に押し寄せます。
余った最中種を持ち帰った友人宅では、ご両親が早速アイスを詰め、サトウキビ密糖をかけて楽しまれたようです。
デザートを一から作る程の手間はかからないけれど、こんなひと手間を加えるだけでも十分「気張らないおもてなし」になるのではないでしょうか。

2016年5月25日 | お店, グルメ | No Comments »

京都は禅のテーマパーク

5月17

zen 京都国立博物館で開催中の 「禅ー心をかたちにー」(22日まで)を観ていると、私達はそれぞれの宗派や信条が違っていても、いつの間にか禅宗の影響を受けた文化に触れながら生活している事を再認識します。
特に「春の京都禅寺一斉拝観」が同時開催中の京都は、庭園や懐石料理、座禅等の禅の世界を立体的に体感できる要素が密集した禅のテーマパークと言えます。
一方で、武家の庇護を受けてきた禅宗では、その伽藍や庭園が時として宿泊やもてなしの場となり、それらの修繕を任された大工や庭師の技術が磨かれ守り伝えられ、今や京都の観光を支える大きな勢力の一つとなっている側面もあります。
「綺麗だね」「美味しいね」という感想だけでなく、禅の思想との繋がりも意識してみたいところ。
これからは仏像や庭園に加えて、長い歴史の流れの中でどんな禅師がどの様な思想を持っていたかという人物像にも焦点が当たっていくのではないでしょうか。

「京都ぎらい」

5月10

krai 大型連休の間、京都を訪れた方々の感想はいかがでしたでしょうか?
この町を愛してはいるけれどで、雅やかな千年の都を謳う風潮には食傷気味。そこに現れた話題の新書「京都嫌い」を手に取られた方も多いことでしょう。
地域間による差別意識は京都に限った事では無いそうですが、そういえば自らも「あの店、和風にしてるけど東京資本やで」「京都出身なんや?京都のどのへん?」と言ってしまったことが…。
悪気無いつもりでも相手には不愉快に聞こえてしまったのだろうか、それとも自分にも井の中の蛙の如く感情が無意識に横たわっていたのだろうか、とわが身を振り返ってみたり。
京都生まれの京都育ちとはいえ、「洛中」の人間ではないためか、いわゆる京都の「田の字地区」にある古い町家を予約して取材訪問した際に、なんだか微妙な心持ちになった事も確かにありました(しかも掲載許可が下りず無駄足に終わりました…。)。
筆者の前書きにもある通り、読後の評価は分かれるかもしれませんが、これは「京都を冒涜するなんてけしからん!」と角を出すよりも、「なんだ愚痴じゃないか」と笑って楽しむものだと思います。
これまでの京都の花柳界や伝統技術を守って来たパトロンは誰か、過去と現在における鎮魂の違いなど、巷の京都本では語られてこなかった角度からの考察を確かめるべく、また京都を訪れたくなるかも?

2016年5月10日 | 書籍 | No Comments »

京都薪能プレ公演

5月3

higasi 大型連休はいかがおすごしでしょうか。
平安神宮で行なわれる京都薪能まで一カ月を切り、そのプレ公演として5日には京都文化博物館の別館で、21日には岡崎公園(旧神宮道)にて、ダイジェスト版の能や狂言が無料で行なわれます。
先月は、京都を拠点とする金剛流の定期能が、特別に東本願寺の能舞台で開かれました。
白書院に面した能舞台のそばでは新緑がゆらぎ、謡の合間に鳥の囀りも聞こえてくるような開放的な空間でも、演者の鍛えられた声はよく通ります。
英語の解説を手にしていても難しいのでは、と気になっていた隣のポルトガル人カップルも、狂言では周りと同じようにくすくすと肩を揺らせていたので安心しました。
8名程の装束姿のちびっこ達も舞台に並び、それだけで花見の風情を想像させるという珍しい計らいも。
もともとは神々に奉納するため、お能や狂言は主に外で演じられてきました。
暮れゆく空の下、炎を揺らす風を感じながら、昼と夜の狭間のひとときに身を置いてみてはいかがでしょうか。

神様のゴールデンウィーク

4月25

iwami 伏見稲荷大社の稲荷大神は、一足先にゴールデンウィークに入っておられます。
先日の神幸祭で神輿に乗って本社を出発し、東寺近く(JR京都駅南西方)にある文字通り「御旅所」にて3日還幸祭までバカンス中なのです。
ご鎮座されている間、氏子達は様々な芸能を奉納してもてなします。
先週末に行なわれた石見神楽もそのうちの一つ。  動画はこちら
こちらでは島根県浜田市由来の石見神楽の短縮版とも言える内容で、須佐之男命(すさのおのみこと)が大蛇を退治する場面で、程良い尺度で楽しむ事ができました。
大蛇は、獅子舞を長~い蛇腹にしたような形をしていて、とぐろを巻いたり串団子のようになったり、酒を樽ごと豪快に取り込んで飲み干し酔い潰れたりと、まるで台風の様に形状を変えて観客を楽しませます。 動画はこちら
聞こえてくるリズミカルなお囃子に誘われて、裏手に住む近所の子供達も窓際で小躍り。
境内には幾つかの屋台からいい匂いが漂い、29日の夜にもマジックや六斎踊りが披露さます。
また、3日の環幸祭(おかえり)では、五基の神輿が数々のの供奉列奉賛列を従えて東寺にて僧侶による「神供」を受け、約2時間氏子区域を巡行した後に伏見稲荷大社の本殿へと還られます。

京都は春画の発祥地

4月19

shun 少し前の話題になりますが、細見美術館で10日まで開催されていた春画展が観たくて滑り込んで来ました。
宴会で賑わう屋形船の上で行為に及んだり、周りに台詞が書いてあったり、婦女が巨大な蛸に襲われたり、なぜか鯉のぼりの中で戯れたり、武者の鎧の一部が手でめくれるようになっていたりと、これまで観た事の無い日本絵画の世界が開かれたようで、新鮮な気分に。
本当は、京都が春画の発祥地だというのに、です。
葛飾北斎や歌川国芳、喜多川歌麿など誰もが知る絵師達が描いている事にも驚き。
成人以上を対象とした映画や漫画等を観ていて感じるのは、男性向け、或いは男性作家による作品の場合は、男女が交わっている部分を強調するのに対し、女性を対象としたものはそこまで直接的では無いような気がします。
春画においても「その部分」がグロテスクな程詳細に描かれているものが多いのは、やはり絵師が男性ばかりだからでしょうか。
これは現代の日本において女性の性がまだ開放されていないと考察すれば良いのか、それとも男女の性差によるものなのか分かりませんが、もし女性絵師が早くから活躍していたとしたら、春画はどの様に発展していただろうか、そんな事を考えながら会場を後にしました。

2016年4月19日 | 芸能・アート | No Comments »

名もなき者が遺したもの

4月12

taizo 妙心寺退蔵院の桜の咲き具合は、前週末でこんな感じでした(画像参照)。
春の特別拝観期間中はまだ袖を広げていてくれるでしょうか。
せせらぎが潤し、大きな花傘をさしたかのように枝垂れ桜が立つ余香苑は、現住職のお父様が作られたものだそうです。
また、宮本武蔵も修行したと伝わる方丈に残る襖絵は400年もの歳月が経っており、その間に一度も修理された事が無いと聞いて、再び振り返ってしまいました。
表は一枚の和紙に見えますが、その断面は何枚ものミルフィーユの様な層になっていて、その目に見えないところに施された丁寧な仕事が、高温多湿な日本の気候にも耐えてきたのです。
副住職の松山大耕さんが話していた「決して評価される事の無い、名も無い人々が作り上げ遺して下さったものの恩恵を受けて私達は生きている」という言葉が胸に残りました。
枯山水の白砂の溝にも花びらが落ち、普段は侘びた風情の禅寺が艶めく季節です。
夜桜のライトアップも17日まで。

花紅柳緑

4月5

toko 春爛漫。先週土曜の京都は絶好のお花見日和でした。翌日曜日も雨は最小限に留まってくれて、は今も元気に咲き続けてくれているようです。
それにしても桜と同じだけ人がいます。
それぞれの方の地元にもきっと桜の美しいところはあるのでしょうが、わざわざこんな小さな古都に足を運んで観に来られるのは、やはり花の背景となる景色や建造物の趣によるのでしょう。
関東の方は「地元の桜まつりもお祭りの様で楽しいけれど、京都のしっとり感とは全く逆」とのこと。この「しっとり感」に妙に納得してしまいました。
まだ今年は桜並木を車窓からでしか観ていないので、ゆっくりと花を愛でられていないと嘆いていたら、ある町家の床の間で出逢えました。
これは山桜なのでしょうか、町中で一斉にふんわりと咲く染井吉野とは対照的で、枝ぶりがごつごつと野趣そのもの。
たった一枝なのに桜ってこんなに力強いものだったかと、薄明かりの中で吸い込まれるように眺めてしまいました。
掛け軸の字は「柳緑花紅(やなぎはみどり はなはくれない)」でした。
「花紅柳緑」を転じたもので、「自然のあらゆるものがそのままで真実を具現しているさま」を表しているそうです。
もう一つの桜は、この中にありました。

2016年4月05日 | 町家 | No Comments »

日本の手仕事を日常に

3月29

ruban  春に新生活を迎える人、または模様替えで気分を新たにしたい人は多いと思います。
部屋の中に和風のテイストを加えたいと思ったとき、最も取り入れ易いのが生活雑貨ではないでしょうか。最近訪れたお店をご紹介します。
明治45年創業、京都で生活用品卸しを営んできたカワタキが、「川端滝三郎商店」を初めて構えました。錦市場にもほど近く、京都のみならず日本全国の手仕事を日常に取り入れる事のできる40社以上もの調理器具や雑貨が揃っています。
また、そこから麩屋町通りを北へ上がって行った「瑠万Ruban」は、カフェ利用もできます。内外に数寄の風情あふれる町家で、古美術商をされていた方のものと聞いて納得。
高級過ぎずカジュアル過ぎず、女性目線だけれど「カワイイ」に傾寄らない塩梅の品揃えで、良いものを見てきた若い女性店主が、人にお勧めしたい物を紹介しているという印象を受けました。
店主本人も出産したばかりという事で、赤ちゃんグッズやこだわりの調味料も見受けられ、水引教室夏着物と浴衣の販売会等も企画されています。
日常生活においては、安価で気安く使える工業製品も使用していますが、人の手で作られたものは素材も様々で手触りも異なり、物を大切に扱う気持ちが美しい所作を生み、「心を潤す」力があると感じます。

2016年3月29日 | お店, 和雑貨, 町家 | No Comments »

金属で紡ぐ生命

3月22

wata 写真を見た瞬間、是非とも行きたいと思った個展があります。
27日まで清課堂ギャラリーで開催中の「鈴木祥太金工展『循環』」。
錫器・金属工芸品の老舗・清課堂の離れにある茶室の陰に咲く、金属の花。
着色をしない金属の色みは、枯れたような、それでもまるで畳に根を張り、そこから生えてきたかの様な生命感があり、今にも綿帽子から離れようとする綿毛は実に精巧緻密で、思わず息を吹きかけたくなってしまいます。
金属は「人工のもの、無機質で冷たいもの」という一般的なイメージはすっかり覆されてしまいます。
水を吸い上げた花の瑞々しさや鮮やかさ、芳しさとは異なるけれども、辺りの空気を変えてしまう存在感は生花と同じ。
動植物の様に血管や道管があるわけでは無いけれど、確かに金属も、もとから地球上に存在する自然のものであり、錫や真鍮で形作られたこの蒲公英やあざみにも一筋の何かが流れているのではないかと思わせます。
人はなぜ、リアルに限り無く近づくことにこんなにも惹かれるのでしょうか。
作家本人もとても若い事に驚きでしたが、この先どんな花を咲かせてくれるのかが楽しみです。

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