e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

内外の力で支える京都の文化財

11月27

seiken
紅葉の美しいところは日本全国にあります。それでも多くの人が京都に訪れるのは、背景に歴史的建造物の重厚さがあり、またそれぞれの名所がコンパクトにまとまっているからなのでしょう。
先日初めて足を踏み入れた上高野の禅宗寺院は、今年9月の台風の被害の影響で足場が組まれているものの、紅葉や銀杏が見事でした。
約3千平方メートルの広大な境内には庭園や鐘楼、鳳凰閣、茶室、本堂を有していますが、観音堂前にあった杉の大木数本は台風により全て根元から倒れ、建造物群も大いに破損してしまいました。
それでも台風の翌日から多くの有志が境内の片付けや倒木の伐採にあたったそうです。
鳳凰閣の公開は28日で終了しますが、檀家を持たないため普段はひっそりとした環境を活かし、座禅修業を中心として毎朝の座禅会や新月・満月の座禅会、作務、茶道体験や整体等の活動をしているそうです。
もともと観光客に向けて広く開いている寺院ではないので、入り口には「宣伝なされませんよう」と書いてあり、ここでは名前を伏せますが、復興のための喜捨は集まるよう広く知られて欲しい気
世界的に「オーバーツーリズム」が問題になっている今、自分たちの微力を集めて文化の再興を目的とした観光にそろそろシフトしていってもいいのではないでしょうか。

2018年11月27日 | お寺 | No Comments »

人も紅葉も十人十色

11月21

saga  
紅葉シーズンでも人が少ないと聞き、北嵯峨にある直指庵へ。
本数の少ない嵐山駅からのバスを逃してしまい、待ち続けるくらいならと、30分かけて歩くことに。
予想はしていたとはいえ、観光客が車道にあふれんばかりの賑わいに「えらい時に来てしまった…。」と気後れ。渡月橋が今年の台風で被害を受けていた事なんて、渡っている途中まで思い出さなかった程です。
それでも府道29号線の高架下の住宅地へと逃れると、驚くほど人が少なく、大覚寺の北へと更に進んでいくと、歩いているのは殆どが近辺の住人です。
山門をくぐると、人の騒めきが多過ぎた場所から、音が最小限に削ぎ落とされた空間にやって来た事を実感します。
先の参拝者が去った後の本堂には、「「想い出草ノート」。3冊が残され、いずれも拝観者の思いの丈がまるで写経の様にびっしりと書き込まれています。
大切な人と訪れた人、病と共に生きる人、将来への不安を抱えている人、2~3行でさらっと書き残す人もいれば、1ページを丸ごと費やす人も。
強い筆圧でページがでこぼこになったノートは厚みも重さも倍にもなったかのようで、その点字の様な手触りを指先で感じていると、先程まで袖振り合ったたくさんの人一人ずつにそれぞれの物語があるのだ、「人混み」等という言葉を安易に使うものではないな、と思い直しました。
バス停までの帰り道。夕焼け空が開けた畑で、黙々と農作業をする夫婦を眺めながら歩いていると、北嵯峨の本来の素朴な美しさを垣間見たような清々しい気持ちになりました。

西陣の町の息遣い

11月13

miyako
生活スタイルの変化や相続、様々な事情で減りつつある京町家。
その建築物を外からの照明で煌々と照らすのではなく、地域住民の協力のもとで町家の内から外の通りに向けて照らし、家々の格子からもれだす「暮らしの灯り」を表現したライトアップイベントが「都ライト」です(今年度は11日で終了しました)。
ビロードを活かした着物のお手入れグッズの製作体験も行っている「天鵞絨(びろーど)美術館」や、かつて北野界隈を走っていたチンチン電車の映像を投影している翔鸞公園、機織りが並び普段は手織り体験もできる「奏絲綴苑」、そして、上七軒の名の由来となった7つの茶店のうちの一つと言われている元お茶屋を巡りました。
虫養いとして、地ビールや甘酒、コーヒーや麺類を提供するスポットも点在しています。
会場間は徒歩数分程ですが、住宅地を通る際、辺りはわずかな道案内の行燈のみで殆ど真っ暗なのですが、子供が母親を呼びかける声が家から聞こえてきたり、犬の散歩で立ち話をする声や通り過ぎる自転車のライトの音、じょうろを片手に路地へと消えてゆく人の姿など、西陣に住まう人々の息遣いがリアルに感じられました。
京都暮らしが長いとは言え慣れない町でもあり、幾つかの角で配布されているパンフレットの地図を手に見回していると、主催の学生さんが気にかけて歩み寄ってくれました。
今年で14回目を迎えた「都ライト」。嵐山や東山の「花灯路」イベントと同じくらい前から京都の大学生らの手によって引き継がれてきました。
京都らしい写真映えがするライトアップイベントのさきがけだと言えますね。

アートを多角的に発信する

11月5

y
もとはスナック等が入る祇園の雑居ビルが、ギャラリーやカフェ、イベントスペースを内包した複合施設「y gion」として生まれ変わり、白く長い暖簾をたなびかせています。
イベント開催中は反対側に併設されたカフェのキッチンも稼働し、連動した企画が楽しめるようになっているそうで、訪れた当時は地球環境をテーマにした現代アート展に合わせて、なんと昆虫食の会が開かれていたとか。
なお、通常の企画展の期間中は「カカオ∞マジック」のローチョコレートメニューが楽しめるのでご安心を。
また、屋上には「sour」による期間限定ルーフトップバー「サワーガーデン」、5階にはレコードショップ「JAZZY SPORT KYOTO」、「CANDYBAR Gallery(キャンディバーギャラリー)」が入居しています。
DJターンテーブルやミキサーも備え、結婚式の2次会や忘年会といった利用もできますが、ただアートを並べるだけでなく、ビル全体で多角的に展開することをコンセプトとしているようです。
スペースの窓からは夕暮れの鴨川、カフェの窓からは東山と夜の海の様に波打つ瓦屋根を見下ろし、これもまた、京都の古美術の一面を見せてくれました。

国際化とバランス感覚

10月30

fat
駅の改札を出ると、目の前を魔女やモンスター達が通り過ぎていました。
階段でも、仮装した人々と何食わぬ顔ですれ違い、ただ姿かたちが異なるだけなのに思わず笑いがこみ上げます。
ハロウィンもすっかり日本の風物詩のようになってきましたね。
そんな折、かわいい魔女の顔がいっぱい並んだ、「ファットウィッチベーカリー」のブラウニーを頂きました。
NYのチェルシーマーケットに店舗を構える専門店の商品が、京都でも購入できるとのこと。
ブラウニーと言ってもココア色のものだけでなく黒糖や白あん味などもあり、ちょうど和菓子の松風をぎゅっと押し固めたようなむっちりとした食感なので、珈琲や紅茶だけでなく抹茶にも合いそうです。
贈り主はちょうど煎茶道の稽古場で、ハロウィンの趣向としてこのブラウニーが登場し、好評だったそうです。
昔から日本人は舶来物が大好き。採り込んで真似て、やがて日本独自の進化を遂げていきます。
数十年ほど前は、京都に東京資本のお店が入ると京都人が眉をひそめていた現象もありましたが、今は外国から人気ブランドが続々進出中、人も文化も国際化しています。
昔ながらの店が淘汰されてしまう、外国人労働者も当たり前、といった声も無きにしもあらずですが、
日本人として守るべきは何か、変わるべきは何か、いつだって問われるのは自分たちのバランス感覚なのだろうと思います。

2018年10月30日 | イベント, グルメ | No Comments »

薫りを学ぶ

10月22

kun
茶席や飲食店、旅館等に足を踏み入れた瞬間に深い香りに包まれると、別世界に入ったような、あるいは大切にもてなされているような気分になりますね。
香の老舗「松栄堂」本店の隣に「薫習館」という、香の製造過程を学んだり、関連イベントを体験したりできる施設が開設されました。
樹の皮や、料理のスパイスとしても馴染みのあるもの、あるいはマッコウクジラの体内で凝結したという動物性のものまで、様々な種類の天然香料や、それらのブレンドから生み出されたお香を、実際にくんくんと嗅ぎ比べることができ、また線香や練り香など、形状の由来を知る事もできました。
廊下で繋がっている本店にも、手で押すと香りが噴出できるインテリアや、サシェのようなデザインの香袋、香りを染み込ませた組みひものストラップなど、現代生活に薫りを取り入れるヒントがたくさん。「お香はじめて教室~“薫物”をたいてみよう~」も、社会人が参加しやすい夜の開催となっています。
なお、公式サイトからは何故か烏丸通りの現在の様子をライブカメラで見ることができます
しまった!これで今年の時代祭行列を観てみたかった…。

南座とロシア料理

10月17

kiev
京都市とウクライナの首都・キエフ市が姉妹都市として結ばれた1972年から、南座のすぐ近くのビルで営業している「レストラン キエフ」は、祇園という花街の立地ながら本格的なロシア料理とウクライナ料理が味わえるお店として知られています。
アンティークのルビーのような滋味深い「ボルシチ」、むちむちさらさらな子供の手のような「ピロシキ」に始まり、十勝のマッシュルームが沈んだ濃厚なクリームをパンに浸して食べる「グリヴィ」のおいしいこと。
「花」か「月」かで味を選べる「ヴァレーニキ」は、まるでギョウザのような生地にクリームチーズがくるまれ、冷たく温かいデザートでした。
どれもお店の貫禄と相まって、現在の洋食ではあまり出会えなくなった「むっくり」とした、懐かしくー温かみのある味わいでした。
家族連れでの来店も多いといい、ベビーカーのままでも入店可能です(おむつ台はありませんが、ベビーカーごと入れます)。
何故か歌手の加藤登紀子さんの歌声がよく流れていると思ったら、お兄さんがこのお店を経営されているそうですね。
夏はビアガーデンでも知られていますが、これから空気が冴えてきて、またまもなく南座がリニューアルオープンする季節に嬉しいお店です。

2018年10月17日 | お店, グルメ | No Comments »

刀にやられる

10月10

tou
人気の「京のかたな」展。 入場して間もなく、「しまった…」と感じました。
展示されているのは殆ど刀の刃の部分のみ。それは想定内でしたが、鐔でもなく拵でもない限られた部分を鑑賞するには、余りにも予備知識を入れずに来てしまった事に関する後悔です。
会場は若い女性でいっぱいでした。彼女たちはやはり刀剣女子でしょうか、はたまた歴女でしょうか。
坂本龍馬織田信長の愛刀、祇園祭の長刀鉾を飾る長刀、神器としての刀剣も展示されており、鞍馬寺の付近や立命館大学の中でも刀が作られていたとは意外でした。
鮫の群れのごとき刃物の迫力にやられたのか、何故か人気の絵画展を観た時よりも疲れてしまい敷地内のベンチで休憩していると、隣で腰掛けていた若い女性が
「は~良かった。私、歴史興味ないけど刀好きだわ! 」と話していました。
一見難しそうな事柄のハードルを一気に下げてくれるそのサブカルチャーの力。売店でも売っていた『ブルータス』の刀剣特集を読んでから挑まれる事をお勧めします。
ゲーム『刀剣乱舞(とうらぶ)』を』をまだプレイしていなくても、キャラクターとそのモデルとなった刀身の特徴を見比べるのも楽しいですよ。

東山ブルーに浸る

10月1

kai
「東京でやっていたとき、何度も観に行ったんです。」と「東山魁夷展」の葉書を知人から頂きました。
自分の中では「人気の日本画の大家」という認識で観て来たつもりでいましたが、実際に間近に観て、これまでちゃんと作品に直に向き合っていなかった事に気がつきました。
空や池や森など、あらゆる姿の「あお」で埋め尽くされた会場でしたが、そのそれぞれが複雑な色彩の重なりであり、その色に行き着くまでの物語さえ感じさせます。
幻想的のようでいながら、きっとどこかで出逢っていたかもしれない光景。
観客が銘々の心の琴線に触れる作品の前で、吸い込まれるように立ち止まっていました。
盛夏から秋にかけてのこの季節にこの展覧会が開かれたのも頷けます。
「唐招提寺御影堂障壁画」の『濤声』の前では、本当に波打っているように見えて、端から端まで往復してしまい、東山魁夷が夢の中で観た景色だと語っていた絶筆『夕星』は、他の望遠の作品群とは違って4本の木が意思を持った生命体の様に佇んでいるかのようで、身につまされるものがありました。
売店では、図録も絵葉書もたくさんあり大盛況でしたが、やはり実物に勝るものはありません。
『京洛スケッチ』のコーナーでは、京都のどこの景色が描かれたものなのか紹介されています。この連休の訪問先にいかがでしょうか。

2018年10月01日 | 芸能・アート | No Comments »

西洋と東洋の感性

9月26

tuki
久しぶりに金剛能楽堂で能を観てきました。
能を鑑賞していると、つくづく日本人の感性を不思議に思います。
暗転する事なく明るいままで舞台装置が運ばれ、一行で済むような状況を長い節回しで延々と語り続ける。何者かよく分からない人物が現れ、物語の状況を解説する。
舞踏劇一つ取っても、西洋では声や動作が外側や天の方に向かって発せられるのに対し、東洋は内側に凝縮するように下へ下へ、または地を這うように平行に向かっていきます。
型にはまった最小限の動きの組み合わせで喜怒哀楽を表現し、演目の合間をひょうきんな空気で和ませる狂言でさえ、基本は摺り足です。
研鑽を積んで習得した様を表す「板につく」という言葉はそこに由来していると、聞いた事があります。
毎度のごとく、鑑賞中に何度か意識を失い、目を開けたまま寝ていた事に気付いて思わず姿勢を正してしまうのですが、それでも機会があれば観てしまう。
今回は特に尺の長い演目だったので、外に出る頃にはすっかり陽が落ち、向かいの京都御苑の木々の間から満月が望めました。
これもまた、雲一つない澄んだ夜空に神々しく光り輝くというよりは、黒い枝に覆われるように怪しく光る朧な月。能を観たあとは、やっぱりこんな月夜が気分です。

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