e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

より、祭神のそばへ

9月11

masaru 平安神宮では、2025年の130年祭記念に向けて、社殿の塗替え工事が進められています。

その間、「御垣内特別参拝」として、普段は立ち入ることのできない本殿のすぐそばまでお参りできる事業がこの夏より始まりました。

大極殿にて受付を済ませ、記念品を受け取り、絵馬に願い事をしたためます。
導入として、平安神宮の成り立ちや、「なぜ桜と対をなして橘が植えられているのか」、「なぜ応天門より外の参道は真っ直ぐになっていないのか」といったエピソードを神職さんから教えて頂きました。

ご祈祷や結婚式、祭事の時に入れる内拝殿から、いよいよ聖域に入る前に首を垂れてお祓いを受けて更に奥へ。

本殿の屋根も、京都御所と同様に鬼門(北東)の角が切られていました。
そこに神猿の絵馬を吊るします。
桓武天皇と孝明天皇の御霊代が鎮座する本殿のすぐ真後ろに立つと、より近くで自分の願い事が届くような気がしてくるのが不思議。

流れ造として日本最大級という本殿の屋根は、横から拝見すると見事な「へ」の字形。どうやってこのバランスを保ちながら造成されたのかと感心します。

神苑からは自由拝観です。特別参拝で同行した方々と中神苑の茶店でもご一緒させて頂きました。

この御垣内の公開は初めてのこと。
来年の12月29日までに、どうぞお参りください。

二条城 蘇った本丸御殿の清々しさ

9月4

honmaru 世界遺産・二条城本丸御殿がこの9月1日より事前予約制で観覧できることになりました。
平成7年の阪神・淡路大震災により建物に歪みが生じ、平成29年から耐震補強工事と障壁画の修理が進められていたので、ようやくの拝観再開ですね。

撮影は不可となっており、各自ロッカーに荷物を預けて待合に入ります。
本丸御殿についての8分間の美しいビデオが見ものです。
その後、銘々に順路を巡りながら見学していくのですが、歩く度に新しいい草の香りが足元から立ち上ってきました。

現在の本丸御殿はかつて京都御所の北にあった桂宮家の御殿が前身で、明治17(1884)年に二条城が皇室の離宮となって以後に移築され、明治天皇の行幸や、皇太子時代の大正天皇、昭和天皇も宿泊所として使用されました。

新しく整えられたところは唐紙が角度を変えて淡い光を放ち、従来の貴重な建材も再びその歴史の厚みを支えています。
豪華で美しい城や離宮は世界各地にもありますが、日本建築はそのシンプルさゆえに清潔感が清浄な空気感を纏わせているような気がします。
無地の襖も多くみられたので、いつかは現代の作家が次の100年を彩る作品で埋めることもあるかもしれませんね。

今のところ解説のガイド要員は置かれていないので、パンフレットを手に見学することになりますが、今後は修理に関わる職人の技などの舞台裏の話題が聞けるような、公式ガイドツアーが追加されることに期待したいですね。

拝観の所要時間の目安は30分程です。
入城してから本丸御殿に辿り着くまで徒歩15~20分程度かかるのでご注意を。
本丸御殿に早めに着いても、周辺には明治天皇が詳細に指示して作らせたという庭園を巡ったり天守閣跡に登ったり、清流園を臨む和樂庵でアイスコーヒーやかき氷を楽しんだりして待つのも楽しいですよ。

入城料もネットで事前購入しておくのがスムーズに入れておすすめです。

「京都の定番」をおさらい

8月28

100 今、五木寛之著『百寺巡礼 第三巻 京都Ⅰ』を読んでいるところです。
これは2003年に発刊された有名な書籍で、京都編の前半にあたりますが、紹介している寺院は金閣寺銀閣寺清水寺東寺など、いわゆる「京都観光の定番」とも言われるところばかり。

それらの「有名寺院」を自分が知り尽くしたとは思っていませんが、余りに有名、余りに人気があり過ぎて、かえって足が遠のいてしまう時があります。けれど、国内外からやってくる人々が目指すのはやはりこういう場所。
ガイドブックとは異なる表現に触れてみたくて手に取りました。

休筆中に五年余り京都の聖護院に暮らしたものの寺社を拝観することなく、二十年程経って京都の寺々を巡ったという作家・五木寛之氏。
様々な作家の言葉も引用し、龍谷大学で学んだ経験や自らの人生観も織り交ぜながら、それぞれの寺院についての考察を深めています。

令和の今や動画投稿サイトで実況を観て拝観の疑似体験することもできますが、こちらは、まるで共に歩いているように想像を膨らませながら読み進める楽しみがあります。
その臨場感ある描写と取材力を前に、時折自分の物書きとしての語彙力の無さも恥じながら、ひと寺ごとに新たな発見をさせてもらっています。

これらの「有名寺院」を一括りにせず、もっと踏み込み問いかけるような話題として来訪者に提供できるよう、この本を手もとに置いておきたくなりました。

送り火を観た子供の感想

8月19

okuribi 夏バテか、今年の送り火は自宅でテレビ中継を観ました。

五山の送り火は何度も家族で観に行っていますが、テレビ画面で大きく拡大して眺めたのは子供達にとって初めての事でした。

「きれーい」という歓声は想定内でしたが、小学1年生の息子には
「かわいい~」のだそうです。

気がつくと、隣で紙切れにたくさんの炎の点々を熱心に打っていました。
「ぼくは鳥居が1番好き」。
「みょうほうって漢字はどう書くの?」
「書き順はこんな感じかな~これで分かる?」
まだ難しい漢字の書き順を書いてみせると、夢中になって写していました。
SNSに流れて来る送り火へのコメントは
「宗教行事やから大文字“焼き”やない」
「京都人でも子供の頃は“大文字焼き”って言ってたけどなあ」
「手を合わさず一斉に携帯のカメラを向けて送り火を撮ってばかり」
「故人の初盆なので静かに見送りたいのに、点火に拍手喝采が湧いて悲しくなった」
「大雨でも台風でも強風でもいつも通りの点火に労をねぎらっているのでは」
と様々な意見が騒がしく飛び交っていました。

自身も、昔は「複数観える場所はどこか」「静かな穴場はどこか」に興味があり、正直今でもそれは変わりませんが、明るみにすることで地元の風情が壊されてしまう懸念もあり、ご紹介が難しいところです。

誰かを亡くし見送る経験の数や自身の心身面によって、捉え方は様々なのでしょう。
まだ誰かの死に直面したことも無く、宗教の概念も殆ど無い子供が、送り火を「かわいい」「準備が大変やな」と表現し一生懸命に書き写そうとする横顔が新鮮に映りました。

「夏休みの今頃はね、お盆って言って、亡くなった人達がおうちに戻って来るねん。で、送り火を目印にして、“天国への帰り道はこっちだよ”って教えてバイバイするの。“また来年ね~”ってね」

果たしてどれくらい理解してくれたか分かりませんが、
「ぼく、来年は観に行きたい!」
と笑顔を返してくれました。

2024年8月19日 | お寺, 歴史, 神社 | No Comments »

本からの声を聞く

8月14

hon
毎年恒例、下鴨神社糺の森の木陰で開催される「納涼古本まつり」。
今回は子供達の手を引き、児童書目当てで森の中に入りました。

木陰で暑さはやわらぐものの、人の熱気を感じます。
日頃は街中で古本屋の前を通り過ぎても、おじ様や外国人しか見かけないのに、こんなにもたくさんの老若男女がお気に入りの一冊を求めて歩き回る光景には圧倒。

今やネットで欲しい本を一瞬で検索して翌日には手もとに届いてしまう便利過ぎる世の中ゆえに街角の書店も減りましたが、今でもこんなに本の愛好家がいるのですね。

会場内には飲料のみ提供ブースがありました。
境内には茶店、神社周辺にも飲食店は幾つかありますので、お食事の心配は無用です。キャッシュレス決済に対応している店舗もあって時代を感じます。

歴史書など高尚で分厚い専門書から、昭和のアイドル雑誌、ヒット漫画の全巻セット、関連グッズなどなど。
児童書は、どのお店でも通路側の低い位置にまとめて置いてあったりします。
子供達は直感的に手に取って次々と選んでいきました。

絵本というのは、適齢期を過ぎても大人になって見返しても、その色遣い等のデザイン性やストーリーに惹かれ、再び手もとに置きたくなるものですね。

全ての古書店を隈なく覗く時間がなくても、店主が面白い、人の気を惹きそうなものをちゃんとディスプレイしているので、案外何気なく手に取って求めた本が役立ち、今でも時折開いて読んだりします。
きっと本の方から呼んでくれてたりもするのかもしれませんね。

「納涼古本まつり」は、毎年五山の送り火の日まで開催されています。

“Cawaii”おみやげ探し

8月7

miyageアジア圏の知人に渡すお土産探し。

日本のCawaiiキャラクターがお好きなようなので、初めて河原町のキディランドサンリオギャラリーをハシゴました。
京都限定らしきぬいぐるみに後ろ髪をひかれつつ、最終的にはハローキティの九谷焼の豆皿を買いました。キティちゃんは今年で50周年ですもんね。

最近は抹茶にも興味があるご様子なので、今度は茶碗探し。
その日は陶器市(五条若宮八幡宮祭:8/7~/10)にはまだ早く、五条の陶器商へ赴くにはちょっと遠いな…と近場をウロウロ。
まるで自分が観光客になったかのように寺町を歩き、日本の食器を扱う『伝DEN ON THE TABLE 』で椿柄が可愛らしい一碗を求めました。

せっかくなので京焼も見てみたくなり、錦市場の『陶葊(とうあん)』に寄ってみたところ、規格外のお値打ち品の中に自分好みのお碗に出会ってしまいました。
するとお店のご主人が器について色々と詳しく教えて下さいました。

本来はご飯茶碗だそうですが、大小重ねて野点に良さそう…とお店のご主人とお互いのマイ野点セットの事で会話に花が咲きました。

どうかそれぞれの品が気に入って頂けますように!

祇園祭の原点へ

7月30

mizu
八坂神社の祭神が本殿に還り、神輿も無事に蔵に納められました。
残すところは31日の夏越祭のみ。

長い祭の合間に、街角のそこここに貼られているお札に新たな変化があるのを知りました。
中御座、西御座、東御座が「御神酒」を八坂さんに献上したという印のお札に並んで「御神水」と書かれたお札が加わっています。
去年まではまだ見かけなかったような。

「清らかな水で浄化をしたい」。
令和の疫病蔓延を経て、再び祇園祭の原点に立ち戻るべく、2022年より「青龍神水」がそれぞれの神事や催しで用いられるようになったためではないかと推測します。

八坂神社で毎年7月16日に献茶祭が斎行されていますが、去年より「祇園大茶会」が7月15日と16日に八坂神社参道・祇園四条通で開かれていたそうです。
以前より「祇園大茶会」は度々開かれていましたが、この時期にやっていたとは知りませんでした。
「青龍神水」による一服、来年こそは頂きに上がりたいと思います。

神仏習合の祈り「八坂礼拝講」

7月24

raihai2024年の祇園祭でも新たな話題がありました。
かつて「犬神人(いぬじにん)」や「弦召(つるめそ)」と呼ばれる人々が住んでいた弓矢町の町人らが、祇園祭の神幸祭・還幸祭で中御座の警護役として行っていた武者行列を半世紀ぶりに復活させようという「弓矢組プロジェクト」が始まっています。
来年の行列復活を目指して鎧の調査や修復が進められており、今年の神幸祭では宮本組の御神宝列と共に旗持と裃姿で参列されました。

また、八坂神社の宮司から延暦寺への申し入れにより、国家安寧と疫病退散を合同で祈る神仏習合の儀式「八坂礼拝(らいはい)講」が復活しました。
南楼門から神職と僧侶がそれぞれに列を成し本堂へと入っていきます。その中には車いすの天台座主の姿も。
その光景を見守る人々の中にも有名な寺院の関係者がたくさん手を合わせていました。
本堂内は非公開でしたが、祝詞や世界平和を祈る祭文が唱えられ、外で待つ私達にも聞こえてきました。
この「八坂礼拝講」は、疫病退散の祈りとして今後も継続を目指すといいます。

山鉾を競って絢爛豪華に飾り立てるようになった室町時代以降続く、町衆によって熱を帯びてきた祇園祭。
祭儀のあり方を再考させられた、2年余りに及ぶコロナ禍の影響が大いにあったと言っても過言ではないでしょうか。

自然の原理を生かした陰陽道のやり方に戻したい、と宮司は今後、神仏習合時代の祈りの形を整え、2033年に向けて『祇園感神院』の復元が模索されているそうです。
八坂神社は、明治の神仏分離政策を受ける前は「祇園社」「祇園感神院」という名を称していました。

西楼門から入って左手にある手水舎には「感神院」の文字が見られます。ぜひ見てみてくださいね。
関連動画は後程アップ予定です。

リハーサルは宵山で

7月16

tigo 祇園祭宵山期間中の15日に、長刀鉾でしめ縄切の練習がありました。
本番だと見物客が多くて見える場所を確保するにも苦労しますが、リハーサルだとゆったり観られるのがいいですね。

お稚児さんは遠く八坂神社の方を見据えてお辞儀をし、落ち着いた表情で真剣をしっかと握り、無事一刀両断すると、周辺から拍手が湧きました。
断つ所作を2回も披露し、最後は再び首を垂れて太刀を押し頂き終了。
その後一行はタクシーで八坂神社へ。

宵山の3日間、長刀鉾の稚児たちは様々な行事の合間を縫って毎日八坂さんへ社参されるそうで、なんとまあお忙しいこと。
手を清めて社殿での祈祷の後、石段下の交差点で一瞬だけ記念撮影も行われました。

そのまま一行は長刀鉾町まで徒歩で歩き始めます。
稚児は手を引かれますが、素手で直接触れるのではなく、白い布越しに。
道中、冠が乱れたのでしょうか。手直しは傘や大団扇でその様子が見えないように隠された状態で行われました。
始まったばかりの歩行者天国も、お稚児さんの列をつつがなく通すために開かれます。

御祈祷中は上がっていた雨が、八坂さんから離れていくうちに土砂振りに戻り、長刀の文字の入った番傘の花がたくさん開きました。それらを出迎えるように長刀鉾からはお囃子が始まりました。

綾傘鉾四条傘鉾でも、お囃子の合間に17日の山鉾巡行で本番を迎えるくじ改めの所作の練習を公開しているようで、眺めていると本番に向けて応援したい気持ちが自然と湧いてきます。

興味を持って深堀りすれば、知れば知るほど知らない情報が出てくるのが京都です。
この日の動画は後程アップ予定です。

ガツンとくる京うどん

7月9

benkei暑い季節に熱い話題で恐縮ですが、以前から行ってみたかった「辨慶うどん 東山店」の訪問記です。

昭和50年に創業し、五条大橋のふもとに出した屋台から始まったそうで、以来ずっと京都人に愛されたきた京うどんの名店。
五条坂は何度も歩いているはずなのにいつも素通りしてしまっていました…。
検索してみて意外にもネット通販と公式インスタグラムまであることも初めて知りました。

外からは店内の様子は見えませんが、引き戸を開け一歩中に入ると、出汁の香りが細長い店の奥まで充満しています。
「けいらんうどん」に「かやくごはん」、「おにぎり」や「いなりずし」など、手書きのメニューと有名人のサインが所狭しと並び、席はカウンターも小上がりもあり、子供連れ家族からお年寄りまで美味しそうにうどんをすすっています。

看板メニュー「べんけいうどん」は、やはりやわらかな京うどん。
しかしながら、その出汁はガツンと鰹がぶつかってくるような力強い風味で、きんぴらはピリッと大人の味。甘きつねもスーパーや定食屋のペラペラなのではなく、厚くてしっかりとした味付けでした。
生姜の香りも相まって、これはきっとすじカレーうどんも美味しいに違いない。

帰り際にどうしても気になった「“ソッパうどん”て何ですか?」と尋ねると、「スジ肉のことなんです」とのこと。今でこそスジ肉は人気ですが、昔は人々に好まれず『ソッポを向かれる』というのが語源らしいですよ。

来月に五条坂周辺で開催される「五条若宮陶器祭」や清水寺の「千日参り」の前の腹ごしらえにいかがでしょうか。

2024年7月09日 | お店, グルメ | No Comments »
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