e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

情報発信の在り方とは

12月5

1オーバーツーリズムにより、地元に住まう人々の生活に与える影響が年々大きくなってきています。
有名観光地の寺院の参道は国内外の人々で溢れ、そこの寺院の檀家の冠婚葬祭にも影響を与えているとか。

先日、観光客で混雑するバスをやり過ごし、次のバスもぎゅうぎゅう詰めでしたが、なんとか乗りました。
ですが、振り返ると杖をついたご老人がすぐ後ろに。
自分が降りて替わろうと思ったときには既に遅し。そのご老人は乗降口に片足を入れていたものの、余りの混みように諦めて足を降ろしてしまい、バスの扉も閉まって走り出してしまいました。

軽装だったのでおそらく地元の方が普段の足としてバスを利用されていたのでしょう。
一方こちらは目的地まで乗り換えの必要はあるものの、地下鉄経由で行くルートを選ぶ事もできたはずでした。
結果として最初に乗りたかったバスをやり過ごし、次のバスも遅れが出ていたので目的地まで大幅に遅れてしまい、手間でも最初から鉄道中心のルートにしておけば、時間にも遅れず地元の人の足を奪うことにもならなかったことでしょう。

普段から周りの人には「観光シーズンはバスは混むから、できるだけ近くまで電車で移動した方がいいよ」
とアドバイスをしている立場なのに…と車内で猛反省しました。

もう何十年も前から、京都の観光情報を発信する媒体は星の数ほどあります。
今や人に尋ねるより現地でもスマホ検索する時代。現地の実情よりも景色などの見映えが先行しがちです。
既に入場に行列ができるような、行き交うのも困難なほどに混雑する有名どころの紅葉を、毎年のようにテレビ等で紹介する必要があるのでしょうか。
この先、どんな風に京都をご紹介するのがいいのだろう。自戒を込めて考えてしまうこの頃です。

2023年12月05日 | 観光スポット | No Comments »

そっとしておこう

11月28

picnic 昨年この「一言コラム」でご紹介した、静かな紅葉スポットに家族を連れて行きました。
相変わらず地元の人らしき人達が数組だけ、思い思いに過ごしています。
水の流れる音のなか、シートを広げてお弁当を食べたり、あまがえるをみつけて追ってみたり、
観光客が大挙していた駅の熱気からは完全に切り離された、穏やかな時間を過ごしました。

本来なら「紅葉特集」の一覧にも加えたいところなのですが、場所柄人が殺到してしまうとちょっと危険かもしれないと思い、掲載を控えています。
加えて、去年は見かけなかった「熊出没注意」の張り紙があり、今年の5月と8月に目撃されていたというのです。
単独で行くのはおすすめできないかもしれないですし、当然ながら自分達が出したごみは必ず持ち帰るようにしないといけないですね。

近くの曼殊院の門前は、今年も人影も少なめでほどよい賑い、紅葉も鮮やかできれいでした。
子供が「夕焼け小焼けで~」と歌い始めると、居合わせた人達が「日が暮れて~」と合わせてくださいました。

三栖の炬火祭

10月12

misu 3連休の中日、伏見稲荷大社の「千本鳥居灯籠」を見届けたのち、中書島へ。
毎年10月の第2日曜日に斎行される三栖(みす)神社の「三栖の祭り」。
その神幸祭の行事のひとつとして行われるのが「炬火祭」(たいまつまつり)です。
駅から徒歩6分のところにある三栖会館のところには、長さ約4mはある巨大なブロッコリーのような大炬火が立てられ、例年の和太鼓に代わり、今年は祇園祭の鷹山保存会がお囃子を奏でていました。

地元の人々が見守る中、三栖神社の御旅所・金井戸神社から剣鉾や高張り提灯、炬火、神輿で構成された神幸列がやって来ます。
祇園囃子の調子が上がり、浜三栖若中(わかちゅう)の法被を着た氏子達が大勢で約1トンもの重さの大炬火をゆっくりと降ろし、大松明に火が灯され、「あ~、よいよいよ、」との掛け声と共に竹田街道を北上していきました。

直径約1.2mもある大松明はまるで「歩く火事」。
しかしながら、その激しく燃え盛る輝きは人を惹きつける神々しさがあり、氏子でなくとも吸い込まれるように後を追いたくなります。
濠川にかかる京橋上で沈火された後は、燃え尽きてばらけた葭を厄除けとして拾い、銘々の家へと帰って行きました。

三栖の炬火祭は、少なくとも元禄13年(1700)には行なわれていたそうで、京都市登録無形民俗文化財に指定されています。
外国人観光客の姿も殆ど見られない、まだまだ地域色の強いお祭。
もっといい絵が撮れるように、来年も行きたいと思いました。
動画は後程アップしますね。

二尊に励まされる

9月26

2son年中観光客で活気づく嵐山も、夏休み後から紅葉シーズンまでの間は少しばかり落ち着いています。
JR嵯峨野線の踏切を越えた辺りから、ぐっと人気が減りますね。
落柿舎の辺りの古き良き嵯峨野の田園風景を抜け、その先の小倉山の東麓に二尊院があります。

向かって右に「釈迦如来」、左に「阿弥陀如来」の二尊が珍しく横並びに安置されていることで知られています。
極楽浄土を目指す人々を此岸(現世、この世)から送り出す「発遣の釈迦」、
彼岸へと迎える「来迎の弥陀」。

これは中国・唐の時代に伝来し、浄土宗の例え話として語られる『二河白道喩』から。
いわば、貪欲や怒りといった煩悩の中にいる人々に、信心に従うことで極楽浄土へ辿り着けるよ、と励ましていると解釈できます。
そんなことを知った上で静かな紅葉の馬場を振り返ると、白道を歩んでいるような気持ちになれるかも。

10月28日より「二尊院の二十五菩薩来迎図」が特別に開帳されますが、界隈が紅葉狩りでざわつく前の静けさを味わうなら、今のうち。

重陽の節会

9月12

kiku 縁起の良い「9」の数字が重なる9月9日は、「重陽の節会」を観るため、嵐山の虚空蔵法輪寺へ。
うっかり電車を乗り過ごしてしまい、慌てて法輪寺への近道を駆け登りました。
(近道の入り口は渡月橋の南詰めに看板があります。表参道とは違って、狭くて急な階段が続きますので足腰の悪い方はご注意くださいね)
着いたのは奉納行事の能のクライマックス部分、まさに菊慈童が登場するところでした。
残念ながら、茱萸袋(しゅゆふくろ)の授与は終了してしまっていましたが、小さな菊花が一輪浮いたお酒を頂きました。

別名「菊の節句」とも呼ばれるこの日は、菊の花に綿をかぶせた「菊の被綿(きせわた)」が風物詩として、和菓子の意匠でもお馴染みです。
生成り色のふわふわの綿だと思い込んでいましたが、こちらの菊慈童像に供えてあったのは平たく煎餅状で、赤、青、紫などとってもカラフル!それぞれの色に魔除けの意味があるのでしょうか。

奉納された能の演目「菊慈童」は、ここでは金剛流だったので「枕慈童(まくらじどう)」とも呼ばれているそうです。
人跡未踏の山中に流され、八百余年も生き永らえたという童子は、果たして幸せだったのでしょうか。
そんな疑問とは裏腹に、少年の姿のまま不老長寿の仙人となった菊慈童の像は、涼やかなお顔立ちでした。

京丹後親子旅

8月30

yura 夏休みも後半になると、毎年両親、親族と共に丹後方面を旅行するのが恒例になっています。
京都盆地の中にいる京都人が、「海の京都」へと足と羽を伸ばすのです。

子連れ家族旅行となると、旅のメインはおのずと水遊びに。
今回は、各海水浴場にアクセスでき、プールもある「ホテル&リゾーツ京都宮津」に宿泊。
朝食や夕食はバイキングのみですが、ミニドーナツや自分で作る綿菓子等が子供達に好評で、
「また来年も泊まりたい」とリクエストされました。

ホテルから車20分弱の丹後由良海水浴場へ。
遠浅でのんびりとした風情は、子連れ向けかもしれません。
沖からの冷たい水流と、太陽で温められた海水の波が交互に気持ちよく身体を撫でていきます。

自分が子供の頃は背中の皮が剥ける程真っ黒に日焼けするのが夏の常でした。
今は若い女性もお洒落水着で体型カバー、子育て世代も帽子にサングラスにラッシュガードで紫外線対策ばっちりです。
水辺のファッションも時代を写す鏡ですね。

自分の父親も、祖父の仕事が落ち着く頃にあわせて丹後へ海水浴へ連れて行ってもらい、近くの宿に泊まっていたそう。
「親父にしてもらったことを、子や孫にもしてあげたい。」
同じ景色を観ていても、父の瞼には自身の子供の頃の懐かしい景色が映っていたかもしれません。
(※その他の京丹後スポットについては、「一言コラム」ページ右上の窓に「丹後」と入れて検索してみてくださいね)

2023年8月30日 | 観光スポット | No Comments »

清水寺から観た送り火は…

8月22

1000清水寺から五山の送り火が観える」。
一部のSNS等で話題になっていたので、観え方を検証すべく音羽山へ向かってみることにしました。
全てというわけではありませんが、幾つかは観えるらしいと。

「ここに日本人は居ないのでは?」と思う程に外国客で賑わう参道を登ります。

結果としては、比較的良い視力の裸眼では
「左大文字らしきものと、船形らしきものと、鳥居型らしきものが観えた」
という感じでした。
それぞれの送り火とかなり距離が離れているので、撮影にはかなりズームのきくカメラでないと厳しいと感じました。

しかしながら、千日参りも同時に参加できたので、日差しの和らいだ境内で風鈴の涼やかな音を聴きながら、
様々な国から集まった人々と手を合わせ、同じ方向を向いてすごす平和で穏やかな時間もいいものです。
これぞ清水の舞台に集う醍醐味なのかもしれませんね。

家族連れだったので長距離の坂道移動は困難とみて、五条坂と三年坂が交差する車両通行止めポイントまでタクシーで行き、
帰りもちょうど同様の場所で、千日参りが終わる時間までに間に合うよう乗り付けてきたタクシーに声をかけて乗車する事ができました。

コロナ禍で生まれた新しい神事

7月19

sinsen前祭宵山の間は、昨年より新たに始まった儀式「御神水交換式」を観るため神泉苑へ出向きました。

国宝の八坂神社本殿の地下には「龍穴」と呼ばれる池があるとされ、祇園祭の起源とされる869年の御霊会が行われた東寺真言宗寺院・神泉苑の池と繋がっているという伝承があることから、双方の境内の水を交換し、浄化した水を神事に使用するというもの。

神泉苑の善女龍王社の閼伽井で汲み上げた閼伽水と、 八坂神社本殿の御神水を、祝詞や加持祈祷で浄化、交換して持ち帰った水は「龍穴」に繋がる井戸に注がれ、「青龍神水」として疫病を鎮めんと、昨年から山鉾巡行や神輿渡御などでも取り入れられています。

昨年就任したばかりの八坂神社の宮司による提案で始まり、神泉苑の住職のほか東寺の執事長も参列したそうで、まさにコロナ禍で生まれた神仏習合の儀式です。

後祭でも山鉾巡行神輿の渡御は行われます。
お水が使われた場面に遭遇したら、ぜひご注目ください。

鴨川の水の神をお迎えする

7月12

omukae   毎年7月10日に行われる祇園祭神輿洗は、いつも黒山の人だかりになってしまうので、今回は少し高い場所から観てみることにしました。
ちなみに今年神輿を先導するお囃子列は、去年巡行に完全復活した鷹山です。

激しい通り雨も上がり、16時半に八阪神社の北側から出発したお迎え提灯の列は、西門前を通り、四条通りを華やかに彩りながら進んでいき、京都市役所前では子供達が鷺踊や小町踊を披露しました。

ようやく日が傾き始めた19時頃、南北に張られた斎竹(いみだけ)が揺れる四条大橋には、四条大橋を東へ戻ってきたお迎え提灯列と、八阪神社側からやって来た宮本組が出逢います。
夕暮れの川辺の景色の中に松明が立てられ、観光や買い物の客人達が行き交う雑踏に、なんとも言えない良い風情が漂い始めました。

暫くして両方の列は社の方へと引き、20時頃に今度は神輿を導きながら「宮の川」つまり鴨川の四条大橋へ。
その昔鴨川は「暴れ川」と呼ばれるほど、度々氾濫していました。
そこから疫病が蔓延するのを恐れ、鎮化を祈願し、28日には再び鴨川にお還しするのです。

複数に分けられた松明に守られながら、四若神輿会の中御座が差し上げられました。
鴨川の水が振り撒かれ、鴨川の水の神様を迎えた神輿は再び八坂のお社へと帰っていきました。

動画は後日こちらにアップしますね。

闘うこどもたち

6月28

hariken 大型連休中に高台寺の忍者イベントでPRしていた『忍風戦隊ハリケンジャー』テレビ放送20周年記念の映画を、子供達と観に行ってきました。
子供向けとはいえ、時代も舞台も「お江戸」という「時代劇」なのですが、東映・京都撮影所によって京都でロケが行われています。

我が親子にとっては観た事のなかった時代の戦隊シリーズにも関わらず、高台寺公園でのタッチ会と映画の影響か、以来、家の近所を歩く度に石塀をよじ登り、垣根をそろそろと渡り、我が家の小さな忍者たちは移動の合間も忙しくしています。

冒頭から萬福寺を舞台にチャンバラが繰り広げられ、思わず
「こないだみんなで遊びに行ったお寺だよ」を耳元で教えたくなりました。
拝観者が足を踏み入れる事の無い白砂の上でも迫力のアクションです。
大スクリーンに耐えうる臨場感は、やはりセットとは大違いですね。

大江戸の町はおそらく太秦映画村でしょうか、屋根瓦を縦横無尽に飛び回るのは忍者戦隊ものならでは。
水上を駆け抜ける水蜘蛛の術も出てきます。
主人公が最終形態に変身した姿は、所作もまるで歌舞伎役者。
面白いけど、子供ウケは…?と気になりましたが、「かっこよかった」そうです。

その後、ふとSNSに流れてきた言葉にはっとしました。
映画の感想を書いた内容ではありませんでしたが、近頃仮面ライダーが大人向けの映画になったり、
ディズニーの過去の名作が実写化されるのをよく見かけるのは、もしかしたら
親世代を巻き込まないといけないほど、少子化による市場の縮小の影響が如実に現れてきているのではないか、というものでした。
少子高齢化の影響は、あらゆる業界にとっても他人事ではありません。

今日も模擬刀を手に、目に見えない架空の敵と戦う我が子たち。
子供達が成長した次の時代は一体どうなっているのだろう、困難に向かって一緒に戦える仲間は十分にいるのだろうか、とその姿を眺めています。

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