情報発信の在り方とは
オーバーツーリズムにより、地元に住まう人々の生活に与える影響が年々大きくなってきています。
有名観光地の寺院の参道は国内外の人々で溢れ、そこの寺院の檀家の冠婚葬祭にも影響を与えているとか。
先日、観光客で混雑するバスをやり過ごし、次のバスもぎゅうぎゅう詰めでしたが、なんとか乗りました。
ですが、振り返ると杖をついたご老人がすぐ後ろに。
自分が降りて替わろうと思ったときには既に遅し。そのご老人は乗降口に片足を入れていたものの、余りの混みように諦めて足を降ろしてしまい、バスの扉も閉まって走り出してしまいました。
軽装だったのでおそらく地元の方が普段の足としてバスを利用されていたのでしょう。
一方こちらは目的地まで乗り換えの必要はあるものの、地下鉄経由で行くルートを選ぶ事もできたはずでした。
結果として最初に乗りたかったバスをやり過ごし、次のバスも遅れが出ていたので目的地まで大幅に遅れてしまい、手間でも最初から鉄道中心のルートにしておけば、時間にも遅れず地元の人の足を奪うことにもならなかったことでしょう。
普段から周りの人には「観光シーズンはバスは混むから、できるだけ近くまで電車で移動した方がいいよ」
とアドバイスをしている立場なのに…と車内で猛反省しました。
もう何十年も前から、京都の観光情報を発信する媒体は星の数ほどあります。
今や人に尋ねるより現地でもスマホ検索する時代。現地の実情よりも景色などの見映えが先行しがちです。
既に入場に行列ができるような、行き交うのも困難なほどに混雑する有名どころの紅葉を、毎年のようにテレビ等で紹介する必要があるのでしょうか。
この先、どんな風に京都をご紹介するのがいいのだろう。自戒を込めて考えてしまうこの頃です。