e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

祇園祭後祭・私的宵山ルート

7月25

taka
2017年の祇園祭宵山は、後祭をメインに楽しませて頂きました。
暑さがやわらぐ夕暮れに、大行列を覚悟の上で大船鉾に到着すると、「鉾に上がるまで45分待ち」とのこと。粽も既に完売です。
ひとまずは協賛の呈茶席へ入り、大船鉾を再建する際に参考にされたという掛け軸を間近で観ながら、限定のお菓子とお薄を頂きました。
大船鉾へは意外と早く入る事ができ、まだ新しい木の香りがする船上から下を見下ろすと、黒山と浴衣の波の上に浮かんでいるようです。
ご神体の神功皇后にお賽銭をしたり、?人の背丈程もある大きな房飾り等を観ながら、結局は20分程で降りて来られました。
数々の山鉾を見上げながら、「祇園祭後祭エコ屋台村」に入り、「ローストビーフ丼」や「鱧天バーガー」、「トマトの蜂蜜漬け」等を夕食に。
京都芸術センターのグラウンドにテント付きの床几がたくさん並んでいるので、子供からお年寄りまで屋台グルメやゲームを楽しんでいました。
毎年宵山でそぞろ歩きする人々を観ていると、ベビーカーを押したり乳幼児連れの夫婦をたくさん見かけるようになりました。
前祭では「こどもステーション」が開設されたり、後祭でツアーが組まれたりと、乳幼児がいてもお祭に参加できる取り組みがなされていたようですね。
女性が登れない山鉾は今でもありますが、今の様に外で気軽に食事ができなかった昔はどうしても、力仕事の表舞台は男衆に、腹ごしらえや子供達の面倒を見る縁の下の力持ち役は女性が担っていて、その役割分担の意味もあったのではないかと個人的には考えています。
復活を目指し活動中で、今年は報道陣に引っ張りだこだった鷹山の、初めての日和神楽を見届けて帰路につきました。→動画はこちら(随時追加)

祇園床 古式一里塚松錺り

7月18

toko
1955年まで祇園祭の山鉾は松原通りを巡行していました。
松原中之町にある「祇園床」と呼ばれる古い床屋さんの奥には、素戔嗚尊を祀る「頓宮(とんぐう)祇園社」と呼ばれるお社があり、かつて巡行中の長刀鉾のお稚児さん達の立ち寄りポイントとして、町内が薄茶でもてなしていたといいます。
巡行のルートが変更された現在も、町内の人々は、「古式一里塚松錺(かざ)り」の神事を続けており、またお稚児さんや長刀鉾の関係者もお参りに来るなど、その関係が続いています。
14時頃に傘を差されたお稚児さんや禿、その美しい着物姿の母親達、羽織袴の正装をした長刀鉾の関係者が祇園床に到着し、屋内で半時間程の間、非公開で神事が行われていました。
非常にマニアックな祇園祭イベントにも関わらず、カメラを構えた町内外の人々20人くらいが外で待ち、神事が終了してお稚児さん達が記念撮影を済ませタクシーで去っていくと、次々に中へと入って行きました。
うっすら町家の床屋の面影が見える横断幕の間を進み座敷に上がらせてもらうと、坪庭に建つ立派なお社には、尾頭付きの鯛や、両側に三匹ずつの海老に松が飾られ、町内の人々が、順番に冷抹茶を飲んでいました。
座敷には長刀鉾が所蔵する長刀の拓本や昭和29年のお稚児さんの正装姿を映した写真が額装されています。
明治の始め頃までは、山鉾を持たない氏子町も山鉾を支えるという『寄町(よりちょう)』制度があり、その名残と町内の誇りを感じさせるひと時でした。

2017年7月18日 | イベント, 町家 | No Comments »

「はんげしょうの宝珠」

7月11

hange 関東から京都に移住して来た知人から、干菓子を頂きました。
創作和菓子ユニット「日菓」だった杉山早陽子さんによる菓子工房「御菓子丸」の「はんげしょうの宝珠」です。
先月建仁寺の塔頭・両足院で半夏生の庭園が特別公開されていた期間のみ、現地限定で販売されていたもの。
長野県産の無漂白寒天で作られたすり硝子の様な白い葉が、合掌する手の様にピスタチオをそっと包んだようにも見えるデザイン。
名前に「の宝珠」と付く事から、禅を意識しているのでしょう。
一見、柔らかそうに見えましたが、手でつまむと琥珀の干菓子の固さ。
微かにシャリっと音を立てて齧ると広がる控えめな甘み。スイス産のオーガニックてんさい糖を使っているそうで、素材へのこだわりを感じました。
その知人は、以前より度々京都を訪れていましたが、今年の始めに市比売神社をお参りしてから約1か月後に、京都の企業での仕事の話が舞い込み、京都への移住が決まったのだそうです。
更に、会社から紹介されたマンションも、奇しくもその神社のすぐ近く。
娘が関東を出てしまって、親御さんはさぞ寂しい思いをされているかと思いきや、京都旅行のきっかけができたと喜んで、娘の部屋に泊まるための寝袋まで買われたのだとか。
お参りがきっかけで、京都への良きご縁が結ばれたようですね。

水景園で蛍狩り

6月19

suikei
今年の蛍狩りは、精華町にある「けいはんな記念公園」の「水景園」へ。
暗闇の紅葉谷にある池の周辺には、家族連れが長いお団子状態に連なって蛍の飛翔を待っていました。
最初は目をこらしても2、3匹しか確認できませんでしたが、人々の喧騒に慣れてきたのか、夜の8時を過ぎた事にはあちこちで光り始め、池の上で、あるいは葉裏で発見する度に子供も大人も次々に歓声を挙げていました
呼吸するように静かに放たれる淡い光は、ライトアップやイルミネーション、花火などの電飾イベントとは違って生命の営みを感じさせるためか、発見した当初は思わず大きな声を出していた子供達も、次第に声を落とし腰をかがめて、葉の陰をじっと見守るのでした。
「河川に生息するゲンジホタルには背に十字の模様があり、田んぼを好むヘイケボタルには縦一本の模様があるんですよ」
「竹林で竹につかまって光るヒメボタルは、かぐや姫が竹藪で発見された場面のアイデアになった可能性があります」
15分程の「ホタルのミニ講座」や蛍の生態を紹介したパネル展示も楽しませて頂きました。
今季の蛍の催しは終了しましたが、24.1ヘクタールもの広大な庭園では自然に親しむイベントが頻繁に催され、無鄰菴と同じ造園会社が管理している事もあって、秋の錦模様も期待できそうです。
次回はぜひ「公園ガイドツアー」にも参加して、昼間の庭園を散策してみたいと思います。

2017年6月19日 | イベント | No Comments »

旧邸御室

5月15

omuro JR「花園」駅から歩いて15分程の閑静な住宅地の中に入ると、蔵を有するお屋敷が見えてきます。
1937(昭和12)年築で、昨年秋に国登録有形文化財となった「旧邸御室」では、月に一度、落語などの文化イベントが催されています。
今回の「新緑のJAZZコンサート」は、サックスとクラリネットを吹く麻紀さんと、リュートの先祖と呼ばれる「ウード」という楽器やギターを奏でるフランス人・ヤン(YANN PITTARD)さんとのデュエットでした。
二人が立つ縁側の背景には、埋め尽くすように茂った二ヶ丘の豊かな新緑が、額縁のように外の空間を切り取っています。
以前はここに大手酒造会社の役員が住んでいたそうで、この開放的な縁側でうたた寝ができたら、なんて幸せだろうと想像してしまいました。
「ジムノペティ」や「テイクファイブ」などの耳に親しいナンバーは序の口で、フランスやシリアといった日本から遠く離れた国の町に伝わる民謡など民族色が強い曲目。
そこに何故か和音階や三味線、演歌にも似た響きが流れ、文化には国境が無く、何マイルもの距離、何年もの時間を渡って日本にも届いている事に気付かされます。
アンコールになると、ヤンさんのボイスパーカッションまで入り、アップテンポな現代音楽に変化しました。
来月は10日にもトランペットやドラムによるジャズセッションが行われるそうです。
椅子席(指定)を予約して、演奏前の明るいうちにお屋敷の意匠や茶室もあるお庭の散策を楽しまれる事をおすすめします。

現代人の特権

5月8

nishi 連休中は一旦休止されていた「西本願寺花灯明 ~夜の参拝・特別拝観~」が、9日より再び期間限定で始まります。
入場料の代わりに熊本地震の災害義援金を志納するのですが、入り口で記念冊子(記念しおりや龍谷ミュージアムの割引引換券付き)が一人ずつに手渡されます。
これを袋に入ったまま見学している人がたくさんいましたが、それでは勿体無い!袋の中には拝観ルートの解説も同封されているので、予め一読して散策される事をおすすめします。
伽藍が整備された当初は、篝火や蝋燭で灯された様もきっと美しかった事でしょうが、ライトアップという形で金箔や水鏡が輝く光景を拝める事は、天下人の秀吉さえ叶わなかったことであり、私達現代人の特権とも言えます。
国宝の唐門や北能舞台、鴻の間や白書院などは、まさに「荘厳」の一言そのもの。しかしながら、ソテツが南国の景色の様にあちこちににょきにょきと聳え立つ特別名勝の「虎渓の庭」は京都の庭園としては非常に珍しいものでした。
ちなみに、屋内でも扉は開放されて風通しが良いため夜は少し肌寒いので、調節しやすい服装で春の宵歩きをお楽しみ下さい。
また、取材当時(5/1)は、境内の仮設フードコート「本願寺 おてら かふぇ&まるしぇ AKARI」は、飲み物と甘味のみの営業だったので、お食事でご利用の際には事前にお問い合わせ下さい。
フェイスブックの方では、会場から徒歩圏内で立ち寄った飲食店をご紹介しますね。

鴨社資料館「秀穂舎」

5月2

shu 15日に京都三大祭である葵祭を控えている下鴨神社では、鴨社資料館「秀穂舎(しゅうすいしゃ)」にて 現在「葵祭展-みあれの神まつりを開催しています。
京都では、「まつり」や「賀茂祭」と言えば葵祭の事を指すと聞いてはいましたが、15日に行われる路頭の儀等を「葵祭」と呼び、先だって12日に斎行される御蔭祭を「賀茂祭」と区別していたとも言い、この二つの重要な神事に分けて様々な資料を展示していました。
古文書ばかりが並ぶ小さな資料館だと思っていたら、神社学問所絵師の邸宅だった社家建築が活かされており、神棚の間には御神像やお供えを、茶室には葵祭と御蔭祭の貴重なフィルムを上映し、展示室間にある式台には鞍や雨笠、防犯のための鎖帷子等が置かれ、芽吹いた若葉が風に揺れる庭では、泉川に面して禊場も設けられており、単調さで飽きさせない様な構成になっています。まるで祈りと学びに満ちた暮らしぶりを追体験しているかのようでした。
いずれの祭も見学した事はありましたが、度重なる河川の氾濫を逃れて移転するまでは、御蔭神社は現在の御蔭山の中腹よりも麓の河に挟まれた場所にあったということや、戦後の葵祭の復興があらゆる文化に多大な影響を与えていったこと、至近距離で観る十二単や舞人の衣装など、また更なる発見をさせて頂きました。
なお、7日までは「京都非公開文化財特別公開」期間中につき、拝観料が本殿や大炊殿等の特別拝観も込みとなった料金体制となっているので、ご注意を。

終い○○

12月26

simai
毎月各地で行われる縁日も、「しまい大国祭」や「しまい金比羅」等、師走は「終い○○」と呼ばれ、最後は「しまい不動」で締めくくります。
人気の「終い天神」は、全国高校駅伝の影響もあってバスがなかなか来ず、到着するまでに時間がかかってしまいました。
真ん中の参道の両側は、主に食べ物やお正月飾りの屋台が並び、本堂側に向かって左手の参道裏は南天や値引きの松、鉢植え等の花の市、向かって左手の参道裏は陶器市が平野神社に迫る勢いで伸びて伸びています。
お参りの長蛇の列も覚悟していましたが、どちらかと言うと市を巡る前にまずお参りする方が、スムーズに済ませられる気がします。
都合で天神さんに来れなかった身内に「大福梅買ってこよか?」と連絡すると、大喜び。やはり人気なのですね。
花柄のホーローのティーポットや千円ちょっとのアンティークなワンピース等に目移りしながらも、結局買ったのは棒だらや祝い箸におじゃこ、昼ご飯代わりのはし巻きや締めの甘酒にお銚子と、結局食べるものばかりに財布の紐をゆるめてしまっていました。
あれ、もともとは割ってしまった抹茶茶碗の替わりを探しに来たんじゃなかったっけ。
まあいいや、年越し始めの「初弘法」で探すとしよう。

北山杉の里・中川

11月22

sugi 朝の雨ですりガラスの様に曇ったJRバスの窓は、高雄を越えるあたりから赤や朱、黄色に染まり始めました。

紅葉の名所・高雄のある三尾から更に4キロ程山奥へ進んだところに、川端康成が「古都」で描いた北山杉の産地・中川があります。

ガイドツアーでは、地元の方とも触れ合いながら、中川天満宮で樹齢600年の北山杉の母樹に触れ、山間の街並みや非公開寺院の宗蓮寺の裏庭からの絶景を楽しみ、木造倉庫群の中で、丸太磨きの体験もさせてもらいました。

今週末26日は、松雪泰子さん主演でリメイクされる映画「古都」が京都で先行上映されるとあって、そのロケが行なわれた場所も教えて頂きました。

扇の様に真っ赤に広がる紅葉の枝を背景に、すっと天に向かって伸びる白い大台杉、白い霧と赤い霧の様な紅葉の合間にのぞく深い緑は、杉の木が連なって整然と模様を描いています。

こんな景色は、世界最古の造林地と呼ばれる中川の地ならではと言えるでしょう。

まるで健康的な素肌の様な北山丸太。子供の頃から「触るとすべすべして気持ちがいい木」という記憶が強く残っています。

「床の間は、人の視線を自然に集める事で、おもてなしの気持ちや、大切にしているものを表す空間。神の宿る北山杉を床柱として立て、家に床の間を作って欲しい」とのガイドさんの言葉が胸の奥に届きました。

和室でも洋間でも、そんな空間を設ける事は日本人として意味のある事に思います。

ガイドツアー(075-406-2340)は2名からの催行、所要時間は2時間半程なので、午前中は中川や小野郷、午後からは高雄と、それぞれ異なる風情を楽しむ新たな紅葉狩りコースができそうですよ。

ガイドツアーでは、地元の方とも触れ合いながら、中川天満宮で樹齢600年の北山杉の母樹に触れ、山間の街並みや非公開寺院の宗蓮寺の裏庭からの絶景を楽しみ、木造倉庫群の中で、丸太磨きの体験もさせてもらいました。
今週末26日は、松雪泰子さん主演でリメイクされる映画「古都」が京都で先行上映されるとあって、そのロケが行なわれた場所も教えて頂きました。
扇の様に真っ赤に広がる紅葉の枝を背景に、すっと天に向かって伸びる白い大台杉、白い霧と赤い霧の様な紅葉の合間にのぞく深い緑は、杉の木が連なって整然と模様を描いています。
こんな景色は、世界最古の造林地と呼ばれる中川の地ならではと言えるでしょう。
まるで健康的な素肌の様な北山丸太。子供の頃から「触るとすべすべして気持ちがいい木」という記憶が強く残っています。
「床の間は、人の視線を自然に集める事で、おもてなしの気持ちや、大切にしているものを表す空間。神の宿る北山杉を床柱として立て、家に床の間を作って欲しい」とのガイドさんの言葉が胸の奥に届きました。
和室でも洋間でも、そんな空間を設ける事は日本人として意味のある事に思います。
ガイドツアー(075-406-2340)は2名からの催行、所要時間は2時間半程なので、午前中は中川や小野郷、午後からは高雄と、それぞれ異なる風情を楽しむ新たな紅葉狩りコースができそうですよ。

三井家繋がり?

10月11

mitui この秋は、行ってみたい特別公開スポットが多すぎて困ってしまいます。
この度初めて一般公開された旧三井家下鴨別邸でゆっくりし過ぎて、すぐ近くにある「秀穂舎」の入館時間に間に合わないという失態。

旧三井家下鴨別邸の望楼のある造り、どこかで観た気がすると思ったら、同じく小石川三井家の娘(広岡浅子の異母姉)が嫁いだ天王寺屋五兵衛の遺構が残るとされる松殿山荘にも眺望閣がありました。この時代の豪商の間で流行っていたのでしょうか。
また、2階座敷や3階の望楼部分は茶室と共にそれぞれ有料で利用することもでき、茶室はもともと煎茶・茶道両方に対応できる造りだったそうです。

それらは11月19日(土)から期間限定で公開されますが、その頃には庭の紅葉も美しく色づいているかもしれませんね。

2016年10月11日 | イベント | 1 Comment »
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