e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

京都で一番大きな仏様

2月21

den座像にして7.5メートルと、京都で一番大きいとされる轉法輪寺の阿弥陀如来。
この大きな仏さまも、一般的に大きく描く事になっているという涅槃図も、ともに「お堂の片隅にいる人にも見やすく、お参りして頂ける」という配慮の現れなのだそうです。
轉法輪寺の涅槃図は今年修復を終えたばかり。ゆえに最も鮮やかで細かい所まで見やすい最良の状態になっていると言えます。
「当時のお坊さんはファッションリーダーで、西陣の織元が奉納した織物を身に纏う事で、その評判が世間に広まり…」
住職さんの、立て板に水のごとく繰り出される絵解き話はとても分かりやすくて楽しく、涅槃会を間近で眺めながら、「前はお釈迦さんが入滅した原因の話やったな」「講演に来て欲しいな」と話している人達がたくさんおられました。
涅槃図の両端には釈迦の80年の生涯が描かれていて、釈迦が誕生した際に降ったとされる甘露にちなみ、温かい甘茶や甘酒のおもてなしも嬉しいものでした。
ぜひホームページで絵解き話の時間をチェックして、実際に確かめてみて下さいね。

京都の伊勢

2月6

himu いつもは晦日の熱気盛んな節分祭に出掛けるのですが、今年は別の方向に足が向かいました。
「京都の伊勢」とも呼ばれる日向大神宮です。
その歴史は5世紀末にも遡り、江戸時代初めには徳川家康の後援によって再興されて、境内図を見ても分かるように驚くほどたくさんの神様が祀られています。
一人で歩くにはちょっと寂しい坂道が続きますが、同じように社を目指して息を切らせて登る人の姿もちらほら見られます。
献火神事ではひたすら古いお札やお正月飾りを燃やし続ける、いわゆる「お焚き上げ」のみという非常にシンプルな神事ながら、後ろを見渡せばいつの間にか30人くらいの人が黙って焚き火を見守っていました。
福豆を一袋頂き、帰りに境内駐車場から10分程のところにある伊勢神宮遥拝所にも立ち寄りたかったのですが、既に陽が傾き始めていたので、次回に取っておくことに。
場所取りが必要な程の混雑も無い静かな神事なので、本殿と遥拝所を巡ってから神事を拝見し、最後に天の岩戸をくぐる、という行程の方が、特に寒い季節には良さそうです。
ここは隠れた紅葉の名所としても知られ、伊勢神宮と同じく古い形式の神明造でありながら、別の参道を降りると、近代遺産ともいえる疏水のインクラインに遭遇し、また南禅寺にも近いというところも、なかなか面白い立地でした。

茶室観賞は客の目線で

1月16

kyu 「京の冬の旅・非公開文化財特別公開」の対象となっている建仁寺の久昌院。
禅寺に茶室は付きものですが、こちらもバラエティ豊か。
書院の方丈と渡り廊下で繋がる「高松軒」は、八畳台目の座敷に蛭釘を打ち、釜を釣り下げて目にも温かな炉の風情を、十二台目の座敷には爽やかに風炉を据えて季節ごとの趣向を楽しみ、特に後者は貴人向けに二畳の上段の間を設け、屋根付きの露地を雨に濡れる事無く席入りできるよう工夫されています。
それらに挟まれた「遠州別好ノ席」は小さな空間ですが、だからこそ舟底を模した屋根が活きています。
最も古いとされる茶室の織部床の間は、最初は素通りしていましたが、よく観ると、掛け軸が棚の細長い穴を貫通した状態で吊るされているのです。
例えるなら、ベルトをバックルに通したかの様な姿と言えばよいでしょうか、一体何の意図なのか古田織部に問いかけたいくらいの不思議さで、これは一見にしかず。
利便性良く4つの茶席が密集していながらそれぞれに趣向が異なるので、奥平家代々の大名達にとって、お茶でのおもてなしを受ける墓参は、一つのレジャーでもあったかもしれません。
お茶席を観賞する際には、ぜひ想像力を働かせながら客の目線になりきってみてくださいね。

大工さんの釿始め

1月10

chona お正月行事の中には「書き初め」「かるた始め」「蹴鞠初め」の他に、大工さんによる仕事始めの行事「釿始式」があります。 広隆寺でも行なわれていますが、今回は城南宮の方に行ってみることに。 他の行事とは違って見学者は身内と初詣客のみのようで、神事が始まってからでも舞台前の床几にすんなり座って観る事ができました。 神饌や昔ながらの大工道具が神前に供えられ、横たわる木材に向かって、紐を使って墨打ちををしたりと、それらの道具を使う所作を再現していきます。 物が溢れ、使い捨てが当たり前になっている現代においては、「鋸(のこぎり)の儀」等とアナウンスしながら仕事道具に対してこんなに敬意を表すなんて、いささか仰々しく感じてしまいそうになります。 安全祈願に加えて、人だけでなくあらゆる物に神が宿るという日本人の宗教観が物を大事にするという価値観に繋がり、こんな儀式が生まれたのでしょうね。 とても素朴な儀式でした。 動画はこちら

終い○○

12月26

simai
毎月各地で行われる縁日も、「しまい大国祭」や「しまい金比羅」等、師走は「終い○○」と呼ばれ、最後は「しまい不動」で締めくくります。
人気の「終い天神」は、全国高校駅伝の影響もあってバスがなかなか来ず、到着するまでに時間がかかってしまいました。
真ん中の参道の両側は、主に食べ物やお正月飾りの屋台が並び、本堂側に向かって左手の参道裏は南天や値引きの松、鉢植え等の花の市、向かって左手の参道裏は陶器市が平野神社に迫る勢いで伸びて伸びています。
お参りの長蛇の列も覚悟していましたが、どちらかと言うと市を巡る前にまずお参りする方が、スムーズに済ませられる気がします。
都合で天神さんに来れなかった身内に「大福梅買ってこよか?」と連絡すると、大喜び。やはり人気なのですね。
花柄のホーローのティーポットや千円ちょっとのアンティークなワンピース等に目移りしながらも、結局買ったのは棒だらや祝い箸におじゃこ、昼ご飯代わりのはし巻きや締めの甘酒にお銚子と、結局食べるものばかりに財布の紐をゆるめてしまっていました。
あれ、もともとは割ってしまった抹茶茶碗の替わりを探しに来たんじゃなかったっけ。
まあいいや、年越し始めの「初弘法」で探すとしよう。

平成版『古都』

12月5

koto 川端康成の名作を松雪泰子さん主演でリメイクした映画「古都」が京都で先行上映され、続いて全国公開が始まりました。
先日取材した北山杉の里・中川をはじめ、京都が誇る美しい情景が広がり、各ロケ地についてなぜその地が選ばれたのかを知ると、より深い考察が楽しめそうです。
しかしながら、平成の世を生きる千重子の生活ぶりは、同じ京都人が観ても「今でもこんな生活をしている京都人がいるのか?」と首を傾げてしまう場面も少なくないかもしれません。ほんの数十年前まで「当たり前」だった光景が、今となっては京都を訪れる人々の「憧れの古き良き日本」になってしまっていて、京都の人間でさえ、古都という幻想を演出しなければならなくなりつつある現実。
そんな違和感こそ、映画の冒頭の映像と相まって、筆者が強く危惧していた現象そのものかもしれません。全く異なる環境で生きるそれぞれの母娘が、同じ葛藤を抱き、それは世代を越えて繰り返されてきました。原作が生まれた頃に観光都市として歩き始めた京都は現在、世界中の人々の視線を集めながら、また新たな模様を紡ごうとしています。

北山杉の里・中川

11月22

sugi 朝の雨ですりガラスの様に曇ったJRバスの窓は、高雄を越えるあたりから赤や朱、黄色に染まり始めました。

紅葉の名所・高雄のある三尾から更に4キロ程山奥へ進んだところに、川端康成が「古都」で描いた北山杉の産地・中川があります。

ガイドツアーでは、地元の方とも触れ合いながら、中川天満宮で樹齢600年の北山杉の母樹に触れ、山間の街並みや非公開寺院の宗蓮寺の裏庭からの絶景を楽しみ、木造倉庫群の中で、丸太磨きの体験もさせてもらいました。

今週末26日は、松雪泰子さん主演でリメイクされる映画「古都」が京都で先行上映されるとあって、そのロケが行なわれた場所も教えて頂きました。

扇の様に真っ赤に広がる紅葉の枝を背景に、すっと天に向かって伸びる白い大台杉、白い霧と赤い霧の様な紅葉の合間にのぞく深い緑は、杉の木が連なって整然と模様を描いています。

こんな景色は、世界最古の造林地と呼ばれる中川の地ならではと言えるでしょう。

まるで健康的な素肌の様な北山丸太。子供の頃から「触るとすべすべして気持ちがいい木」という記憶が強く残っています。

「床の間は、人の視線を自然に集める事で、おもてなしの気持ちや、大切にしているものを表す空間。神の宿る北山杉を床柱として立て、家に床の間を作って欲しい」とのガイドさんの言葉が胸の奥に届きました。

和室でも洋間でも、そんな空間を設ける事は日本人として意味のある事に思います。

ガイドツアー(075-406-2340)は2名からの催行、所要時間は2時間半程なので、午前中は中川や小野郷、午後からは高雄と、それぞれ異なる風情を楽しむ新たな紅葉狩りコースができそうですよ。

ガイドツアーでは、地元の方とも触れ合いながら、中川天満宮で樹齢600年の北山杉の母樹に触れ、山間の街並みや非公開寺院の宗蓮寺の裏庭からの絶景を楽しみ、木造倉庫群の中で、丸太磨きの体験もさせてもらいました。
今週末26日は、松雪泰子さん主演でリメイクされる映画「古都」が京都で先行上映されるとあって、そのロケが行なわれた場所も教えて頂きました。
扇の様に真っ赤に広がる紅葉の枝を背景に、すっと天に向かって伸びる白い大台杉、白い霧と赤い霧の様な紅葉の合間にのぞく深い緑は、杉の木が連なって整然と模様を描いています。
こんな景色は、世界最古の造林地と呼ばれる中川の地ならではと言えるでしょう。
まるで健康的な素肌の様な北山丸太。子供の頃から「触るとすべすべして気持ちがいい木」という記憶が強く残っています。
「床の間は、人の視線を自然に集める事で、おもてなしの気持ちや、大切にしているものを表す空間。神の宿る北山杉を床柱として立て、家に床の間を作って欲しい」とのガイドさんの言葉が胸の奥に届きました。
和室でも洋間でも、そんな空間を設ける事は日本人として意味のある事に思います。
ガイドツアー(075-406-2340)は2名からの催行、所要時間は2時間半程なので、午前中は中川や小野郷、午後からは高雄と、それぞれ異なる風情を楽しむ新たな紅葉狩りコースができそうですよ。

京都の教会と寺院

11月8

kyokai秋の非公開文化財特別拝観」が終了する前に滑り込んで来ました。
絞った目的地は、京都ハリストス正教会瑞泉寺。教会と寺院のハシゴです。
今回は珍しく京都ハリストス正教会という教会建築が紹介され、平日でも黒山の人だかり。漆喰の壁に七宝の十字架など、寺院とはまた違う色遣いの和洋折衷な宗教空間です。
山下りんという日本人最初のイコン(聖像)画家の存在も初めて知りました。
高瀬舟と豊臣秀次に因んだ名前を冠する慈舟山瑞泉寺では、秀次に続いて処刑された女子供達の名前や年齢を記した肖像画や、処刑された順序や配置を記録した生々しい資料が展示され、中でも、辞世の句を当時来ていた小袖で表具した掛け軸には衝撃を受けました。
また、高瀬舟を整備し秀次以下を弔うために瑞泉寺を創設した角倉了以の、実弟が秀次の家臣だったという秘められた史実も新たな発見でした。
前者は布教のため、後者は弔いのために、その時勢に合せて造られた宗教空間です。
いずれも目的は異なりますが、手を合せる対象があり、その周りで静かに輝きをたたえる彫金装飾など、祈りを捧げる人々に対して、どの様な空間が求められてきたのかという共通点も見られた気がしました。

商売人の大邸宅

10月17

rakuto 川端通りの七条~五条間を通ると東側に見える並木は棕櫚でしょうか、その後ろには柏原家住宅(洛東遺芳館)と呼ばれる大邸宅があります。
江戸期には更に広大な敷地を誇り、間取り図には蔵が5つも見られました。
円山応挙や歌川国芳など誰もが知る絵師の墨画や、指先程の雛道具に施された蒔絵など、毎春秋ごとに公開出来る収蔵品がある事を思うと、当然のことかもしれません。
婚礼調度のありとあらゆる小物に入った四つ目結びの家紋に見覚えがあると思ったら、やはり北三井家の娘がここに嫁いでいるとのこと。前回に引き続き、こちらでも三井家に繋がりがありました。
平日だった事もあり他に見学者がいないため、往時の暮らしに想像を巡らせながら、脳内で「豪商の娘ごっこ」もできてしまいます。
どの部屋からも庭が楽しめるよう、蹲などが巧みに配置されるなか、最も視界が開けて美しい庭を眺められる部屋には、大人が両手両足を広げても足りない程に重厚な仏壇が据えられていました。まるでご先祖様達に手入れした庭を楽しんでもらうかのような構図です。
これまでの財はご先祖様がお客と積み重ねてきた信頼の証、婚姻によって結ばれた横の繋がり。特に人の繋がりを大切にする商売人の姿勢が現れた邸宅でした。
すぐ近くにある「お辧當箱(べんとうばこ) 博物館」も内容と建築共に非常に面白いので、あわせてどうぞ。

『祇園祭・犬神人の「武具飾」

7月25

bugu 快晴下で後祭巡行や花傘巡行が行なわれ、祭神も八坂神社へと帰還し、残る祇園祭の行事もあと僅かとなりました。
毎年一度しかない祇園祭で、今年こそ見てみたいと思っていたのが、「武具飾」(16、17日)でした。
1974年まで、祇園祭の神幸祭・還幸祭には中御座の警護役として、弓矢町の町人による武者行列が参列していたといい、当時の甲冑が東山区弓矢町の松原通に面した商店や民家の軒先で展示されているというもの。
そもそも、弓矢町内には、「犬神人(いぬじにん)」と呼ばれ、神社領の清掃や警護、雑役を務めていた人々が近世になって移り住み、ここで神事や魔除けに使われる弓矢や弦走り(つるばしり。※鎧の胴体の正面部分)、僧の帽子などの皮製品を作って行商していたそう。
神輿を警護する犬神人の姿は、「洛中洛外図屏風」(上杉本)にも描かれているとい
うのです。
町会所の「弓箭閣(きゅうせんかく)」にも、多くの鎧兜や武具が蔵出しされ、古地図や武者行列を収めた古い写真に囲まれていました。
これまでにも甲冑の愛好家等から武者行列を復活させないかという声が何度か来ているそうですが、
「もともとは虫干しを兼ねて町内だけでやってたさかい、大ごとになって人がようけ来たら、対応できひん」と、何とも京都人的な発言。
観光イベントとしても大いに魅力的ですが、夏の盛りにこれらの重い武具14領を蔵から出し入れし、一領ずつを10カ所にしかるべき手順で飾るのは、高齢化が進む町内には体力的にも経済的にも負担がかかる事は目に見えています。
江戸時代からの「文化財級」とも言われるその甲冑は、行列を終える度に岐阜から専門の職人がメンテナンスに来るほど、大切に伝えられてきました。
博物館での保存も薦められるものの断り、町内の宝として自分達で守っていきたいという葛藤もみられます。
来年もまた、こうしてひっそりと行なわれるのでしょうか。

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