e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

『麒麟がくる』の予習

1月15

mapple
大河ドラマ放映前の頭の整理として、『まっぷる 明智光秀』出版記念「明智光秀講座」を受講してきました。

明智光秀という人物像の裏表、人物相関図に加えて、本能寺の変から時代を遡るという珍しい構成ながら、観光ガイドブック『まっぷる』らしい親しみやすさで、知りたい情報がうまくまとめられています。
日本史を語る上で京の地は避けて通れないと言っても過言ではありませんが、特に若い頃の資料が少ないと言われる光秀の足跡が分かるのが主に京都だと言われています。
本能寺の変が勃発した市内はもちろん、京都大河ドラマ館が開館した亀岡市、織田信長没後に羽柴秀吉と対決した長岡京・大山崎、信長の命で平定した丹波等々、京都府内や周辺にもゆかりの地がたくさんあります。
5月の連休中に開催される「亀岡光秀まつり」に、あるいはそれまでに亀岡に是非とも足を運んでみたいと思いました。

講座の最後に、明智光秀は、制圧した土地で善政を敷くという仕事を実直に行っていた万能型の武将であり、だからこそ信長に重用されたのだろう、また、比叡山の焼き討ち等、様々な戦の後処理も担っており、家臣を案じる彼の手紙には、一人一人、下々の者の名前まで書かれ、自分の守るべき人々を思うがこそ、信長を討つという手段を選んだのかもしれない、との結びでした。

早速この本を頼りに、帰りの足で光秀の首塚に立ち寄り、塚を守る「餅寅」で「光秀饅頭」を家へのお土産にしました。

お洒落な腹帯

1月6

anzan ここ数年、毎年初詣には大阪・摂津国一之宮の坐摩神社、京都・山城国一之宮の下鴨神社を訪れています。
下鴨神社の入り口へと続く車の行列を目の当たりにして混雑を覚悟していたものの、広い境内では人の流れも意外にスムーズで、思った程のストレスは感じませんでした。

お賽銭にする小銭を持ち合わせていない事に気付き、賑わう売店を歩いていると、干支や年始の縁起物や色とりどりのお守りの中に、淡い珊瑚色のレースをあしらった安産の腹帯とお守りが目に留まりました。
神社で頂く腹帯は「木綿のさらし」といった素朴なものが殆どですが、こちらの帯は端が赤ちゃんの健康的な血色のような色の波々で、同色の双葉葵のレース編みが付いていて、上品かつとても可愛らしかったからです。

ここ下鴨神社東殿の祭神・玉依媛命が鴨川で禊をしているときに、上流より流れついた丹塗の矢を拾い床に置いたところ、矢が美しい男神となって結婚、子を授かったとの神話は有名です。
もちろん昔ながらの錦糸の美しい織物のお守りも好きなのですが、下鴨神社のは芸能人に紹介されたりと、乙女心をくすぐるデザインも多く、女性達が大挙して求めるのも納得です。

掌にころんと隠れる巾着型のお守りはサシェのようで、真っ新の産着に添えて贈っても映えそうですね。

ここにも天神さん

12月25

ne 年が明けてからでは参拝客が増えるかもしれないと思い、一足先に狛犬ならぬ「狛ねずみ」がいる大豊神社をお参りしてきました。

哲学の道からちょっと脇道に入っていく様な感覚で、既に同じ事を考えている人達でしょう、ちらほら参拝客の後ろ姿が見えてきます。
住宅地に溶け込み、こじんまりとして鹿ケ谷・南禅寺一帯の産土の神らしい雰囲気です。
神社の背後は椿ヶ峰と呼ばれ、その梅ヶ峰からの御神水で手を清めて境内をそぞろ歩きしていると、所々に椿をはじめ色んな品種の植物が植えられています。
境内摂社の大国社へと向かうと、ねずみの一瞬の動きを写し取ったような可愛らしい狛ねずみが、小さな祠を守っていました。

子宝や安産のご利益でも知られるねずみさん。しかも、ここの御祭神は少彦名命ですが、後に応神天皇や菅原道真公も合祀されているという事は、受験生のお参りの穴場?
887年の創建ながら、現代人のお願いごとにもぴったりなお宮さんではありませんか。真っ直ぐ天に向かって伸びるご神木にも忘れずタッチ。

境内で拾った銀杏を傍らに置き、澄んだ音色の水琴鈴のお守りと安産用にねずみが描かれたお守りを受けると、「きれいな銀杏が残ってましたね。良いご神徳がありますように」と言って頂きました。
20分程でお参りが済んでしまったのですが、ここも干支にちなむ神社として、年明けは大賑わいになるのでしょうか。

静かな紅葉スポット

12月4

hou タクシーの運転手さんとの会話が好きで、特に桜や紅葉のシーズンに乗車すると、
「この時期だったら、お客さんをどこに連れて行かはりますか?」
と、いつも尋ねてしまいます。
町中を隈なく走り回っている運転手さんならでは面白いお話が聞けるかもしれないと期待して。
「そうですねえ。よく京都に来たはるんやったら、おすすめは鹿王院なんですよ」
「ああ、ライトアップもしてはりますよね。嵐電とのコラボで」
「えっ、そうなんですか!?」
時には、自分からの情報に相手が驚くという事もあり、情報交換の場のように移動中の会話を楽しんでいます。
それでは、と法金剛院を教えて下さいました。夏の蓮で有名なお寺ですね。
「“花の寺”とも呼ばれていて、紅葉も綺麗なんですよ」
これは!とばかり、幼い子供と来訪しました。バリアフリーではありませんが、門を潜った裏側の陰にベビーカーを置かさせて頂きました。
池の周りの紅葉は盛りを過ぎていたものの、たくさんの嵯峨菊の鉢が礼堂に映え、一つの木の中で緑から黄色、深紅へと彩りの移ろいを見せる紅葉が日に照らされて、思わず足が止まります。
子供も何か楽しいようで、落葉のクッションの上にたくさんある団栗を拾っていました。優雅な紅葉の足元で、赤と黄色の千両の可愛らしいこと。
紅葉は美しいし、人もまばらで静かだし、駅からも近い。前から知っていた寺院なのに、まさに灯台下暗しですね。
その運転手さんの名刺を頂くのを忘れていました。お礼が言いたいです。

春と秋、同じ場所を訪れる

11月26

heian2 桜や紅葉の季節になると、気候に左右される上に行きたいところの方角がバラバラでいつも悩みます。
今回は、春に訪れて紅葉の並木が気になった「平安郷」に再び訪れる事にしました(24日で終了)。

きれいに整えられた竹林が続く参道を進むと、遠くに色付いた木々が見えてきます。
同じ場所を春と秋に訪れると、それぞれ異なる場所が彩られていて面白い。
広沢池に沿って「もみじのトンネル通りぬけ」があり、頭上には赤蒼黄色の紅葉のグラデーション、足元には若草色の苔や常緑樹の濃い緑色で包まれます。
まさしく「頭上漫々脚下漫々」。

平日だったためか人影もまばらで、ひんやりとした澄んだ空気と砂利道を踏みしめる音が心地よく響きます。
観光シーズンの京都はどこも人でいっぱいだというのに、こんなに手入れされた広大な庭を静かに歩けるなんて、しかも入場無料とは申し訳ないくらい。
お弁当を販売していた売店で、栗がごろごろ入った赤飯に食欲をそそられ、お土産にして帰路につきました。

2019年11月26日 | 観光スポット | No Comments »

子供と楽しむ京都

10月1

chelo
乳幼児連れで参加できる『育みコンサート』が妙心寺塔頭の大雄院で開催されました。
赤ちゃんが泣いても、子供達が走り回っても大丈夫。大人が「しーっ!」と言わないコンサート。
300年の歴史ある大広間と、眼前に広がる緑豊かな庭園。こんな所でオムツ替えまでさせてもらってもいいんだろうかと思うような環境です。

映画『おくりびと』で本木雅弘さんの演奏指導を行っていたというチェロ奏者の斎藤孝太郎さんのソロコンサートで、子供達は手拍子をしたり、チェロの周りに集まったり、自由に動き回ります。
和尚さんも自身の幼いお嬢さんを抱きながら、足でゆったりスイングしておられました。
我が子は庭に降りようとしたり、周囲を携帯カメラで撮りまくったり、お寺の玄関のすのこを気に入って、ずっと行ったり来たりしていましたが、拍手の時だけは参加していました。

ディズニーやジブリなど、和尚さんの奥様による選曲で、子供達は次第にノリノリ。終いにはお堂の真ん中で踊り始め、盛況のうちに幕を閉じました。
こちらでは他にもアートイベントや秋の特別拝観も予定されています。

帰りに寄ったカフェ「fuyukostyle」も、おうち兼店舗みたいなところ。全てテーブル席ですが、子供のおもちゃも2,3個ほど置いてあります。
「妙心寺さんも、最近ヨガとか色々やってはりますね」と、眠ってしまった我が子を見て布団を敷いて下さり、久ぶりにゆっくりケーキを頂く事ができました。
パティシエさんの祖父が着物の図案の参考にしていたという名だたる作家の絵画の図鑑が置いてあり、それをきっかけにおうちのお父さんと世間話をしていると、
「すみません~父がすぐ一緒に話に寄っちゃって」とパティシエさん。

洗練されているけど家庭的なおおらかさを感じる一日でした。

主の息遣いが残る旧宅

9月25

kyutaku
9月末まで展開している「京の夏の旅 文化財特別公開」では、寺社に加えて京町家や旧宅が公開されています。
旧湯本家住宅は、これまでに無かった平安京の通史をまとめた『平安通志』の編纂事業に携わった歴史家・湯本文彦氏の教養が偲ばれる旧宅です。
湯本氏の提案による平安京の実測事業を元に建立された平安神宮は平安遷都千百年紀念祭事業の一つで、その記念品として作られた墨の余った抜き型を、自宅の襖の引き戸に再利用するなど、発想がなんとも数寄者的。
道中のほんの数分程の間に、緑豊かな京都御苑から同志社大学の煉瓦造りのアーモスト館を経て相国寺門前へと景色が目まぐるしく変わり、自宅の庭からも洋館が見えるという、ある意味「京都らしい」立地も、湯本氏が余生を楽しんだ終の住家としてふさわしいものがありました。

そこから京都御苑の中を抜けて、今度は藤野家住宅へと向かいます。
これまで私達が触れてきた「町家」は商家の造りである「表屋造」が多かったように思います。この藤野家住宅は高い塀を構え、住居として建てられた「大塀造」です。
こちらもまた当主が茶の湯を楽しんでいたそうで、茶室が玄関を兼ねているというのも新鮮。また、部屋同士が襖一枚で仕切られているのではなく、廊下が客間と移住空間を隔てているのは京町家としては近代的だとか。
畳をよく見ると、真ん中にほんのり色が異なって見える帯状の部分があります。これは二本のい草を継いで縫った「中継ぎ表」で、京都迎賓館でも見られたものですが、こちらのは機械ではなく職人さんの手による高級品なのだとか。
貴重な畳を傷ませないためか、普段はカーペットでか隠れていたようです。
京の町が時代と共に変わりゆくなか、個人の努力で維持されて来た旧宅や、その歴史的・文化的価値に気付かれないままの旧宅がまだまだあるかもしれませんね。

見た景色、知らなかった世界

9月16

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天皇の菩提寺である泉涌寺にて、「御寺(みてら)ART元年 未景(みけい)」展が16日まで開かれています。
久しぶりにあのきつい坂道を登ると、木陰に入った辺りから、羽織っていたカーディガンが秋風をはらみ、うっすらかいた汗が体の火照りを爽やかに奪っていきました。

特定の集団に属さず独自の表現を探る美術家26名による様々なジャンルの作品群に、鴬張りの廊下を歩きながら次々と遭遇していきます。
巨石が美しい泉涌寺の庭に溶け込んだオブジェ、既知のものを作家の目線で解釈し直したもの、阪神淡路大震災を経験した現地外国人が当時を語る映像作品など。
来訪者は多過ぎず少な過ぎず、小さな子供連れの若い家族もいて、ゆっくり自分のペースで観る事ができました。
真面目な作品ばかりではなく、「イケメン美人画」として描かれた寝仏も見ものです。

参道を登り始めたお昼間はまだセミの鳴き声が落ちついたトーンで聞こえていましたが、会場を出た頃には陽が傾き、夕暮れの境内の静けさが名残り惜しくて、この場ならではの夏の名残りと秋の始まりの空気感をもう少し味わっておけば良かったかな…と坂道を降りながら思いました。
なお、学生さんの拝観料は学生証の提示で無料となり、最終日16日の14時半より妙応殿にて、中野康生氏による寺院や文化財での表現・アートの楽しみ方を、誰にでも分かりやすく紹介する講演会も行われます。

ドレス・コードは何のため?

9月3

dress京都国立近代美術館で「ドレス・コード?――着る人たちのゲーム 」展が開催中です。
スーツや迷彩柄にトレンチコート、デニムにタータンチェックなど、誰もが目にし袖を通してきたアイテムが、時代を経るうちにドレスコードを飛び越え、世相を受けて新たな価値を纏っていく様が分かりやすく展開されています。
女性の社会進出を象徴するシャネルのスーツやジャン・ポール・ゴルチエの浴衣等のハイブランドの系譜だけでなく、漫画や著名なアートとのコラボ、制服がアウトローのアイコンと化した映画ポスターなど、見どころたくさん。
社会のあらゆる状況にふさわしい装いのエチケットとされる「ドレス・コード」とは、むしろ守るためというより、破り表現するためにあるのかとさえ思えてきます。
という事は、「世の中の常識」と呼ばれるものは時代によって変わっていくものであり、私達は日々そのコードを越えたり越えなかったりと駆け引きを繰り返しているのです。
極め付きは、昭和時代の暴走族グループ「レディース」の特攻服姿や、アニメのキャラクターを再現するコスプレイヤー、九州のド派手な成人式の衣装など日本で独自の進化を見せた現代ファッション。
なんとおじいちゃん、おばあちゃんの農家ファッションや、広島で有名なホームレスについての情報も、壁面のQRコードを携帯電話で読み取る事で得る事ができます。
これらを眺めていると、「日本人は没個性でルールに忠実な人種」というイメージは本当なのか?と疑問に思ってしまうはず。
一部は撮影も可能。「インスタ映え」を狙った美術展も増えてきましたね。

淀城ってどんな城?

8月6

siro
京都と大阪の間、淀競馬場の近くにあるお城と言えば淀城。
一般的には、豊臣秀吉が側室の淀君に子を産ませるためという名目で築城した事で知られていますが、一体どんなお城だったのでしょうか。
歴史講座「京近き名城・淀城と淀藩政」を先月受けてきました。

現在は本丸と天主台の石垣のみが残されていますが、かつての姿は、淀川の水を庭園に流す水車が回り、まるで川の中に城が浮かんでいるような美しい白亜の城だったそうです。
京都の外港であり、奈良など各地を結ぶ交通の要衝で、聚楽第と大坂城との中間地点という事で、秀吉もここに目を付けていたのは当然のことでしょう。

文禄3(1594)年に豊臣秀吉の隠居先として伏見城が建てられてから中世の旧淀城は一旦廃城となり、その天守と櫓は解体されて伏見城へと運ばれました。
後に豊臣氏が滅亡して徳川幕府による大坂城が築城されると伏見城も役目を終え、淀の中島に築かれた新しい淀城は本丸に五層の天守閣を擁していたそうです。
当初は、廃城となった伏見城の天守閣が新たな淀城に移築される予定でしたが、急遽二条城へ移される事になり、淀城には二条城にあった天守閣が運ばれました。
その天守は淀城の土台よりも小さめだったため、空いた空間に櫓が建てられて三重櫓となりました。

二条城の天守も、淀城そのものも無くなってしまい、残念ながら櫓は一つも残りませんでしたが、淀駅周辺には関連した地名「淀新町」バス停留所や石碑などが残されています。
水車のモニュメントもあるので、競馬のついでに、いや城址巡りの入門編として、「駅近」の淀城探訪はいかがでしょうか。

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