e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

夜の平等院鳳凰堂

10月22

byo先日、夜の平等院鳳凰堂の前で能楽の特別公演がありました。
夕方の宇治川周辺の観光施設も門戸を閉じ、昼間の喧騒も落ち着いたころの、夢うつつような風情もまたいいものです。

境内の茶房「藤花」で限定菓子「紫雲」と水出しの煎茶、お薄を頂きました。
さすが宇治は茶処、どれも美味しい。

「スーパームーン」前夜の演目は半能「頼政」と狂言「口真似」、能「羽衣 盤渉」。
「頼政」は、平安末期、宇治の合戦で平家軍が平等院に押し寄せ、自刃した源頼政の『平家物語』を題材とした演目です。
頼政の能面はこの曲だけに用いられる特殊なもの。年老い枯れながらも情念を感じさせる表情、窪んだ眼はライトの光を捉えて凄みがありました。

境内には頼政が自ら命を絶ったとされる跡「扇の芝」や、「源頼政の墓地」があります。

「羽衣」では、天女が羽衣を羽織った瞬間、平等院の屋根の鳳凰を背後に衣装の背一面に白い鳳凰の刺繍が現れ、思わずため息が洩れました。
正面からは両翼の羽が折り重なるような意匠となっており、装束展で観たときには気付かなかった新たな発見でした。

まさに天女が舞い上がろうという場面の直前、一羽の鳥が声をあげて飛び立ち、朧月夜だった空はいつしかすっかり晴れて月が青白い光を放っていました。

夜の平等院は特別拝観などの催しがあるときだけ入ることができます。
暗闇を進む砂利の音、虫の声、そして創建以来ずっとここに佇む鳳凰堂と水鏡。
きっと、忘れられない一夜となりますよ。

漢字は、神と交信することば。

10月16

kanjiおもちゃで釣られ「漢字検定受ける!」と言い出した子供のモチベーションアップになればと、祇園の「漢検 漢字博物館・図書館漢字ミュージアム」にお友達親子と初潜入。
小中高生と同伴の大人は入館料が割引になりました。

学校で漢字を習い始めたばかりの小学一年生らは、壁一面の漢字の歴史年表はそっちのけで、早速「万葉仮名スタンプ」で自分の名前を押すのに大人に混じって夢中になっていました。

スタンプの次に夢中になっていたのは、目の前を泳ぐ魚の漢字表記を当てる「漢字回転すし」。巨大なアガリの湯呑みに入って撮影タイム。
漢字にまつわる図書に触れられる図書室もありました。
ワークショップも企画されているので、ぜひ事前チェックをおすすめします。

まだ文字も書けない年長の子も、漢字クイズになっている引き出しを開閉したり、マグネットを貼ったり、それなりに楽しんでいるようでした。
最も古い漢字「甲骨文字」は、占いで神と交信するために生まれたのですね。

活字マニアのお子さんを持つママさんから、ミュージアムの一角に置いてある「『漢検ジャーナル』に、過去の出題問題が一部連載されてるんですよ」と教えてもらい、かき集めるように持って帰りました。

親子共に初めての漢検学習に、最初はなかなか難儀しましたが、今では読み書きできる字も増え、すっかり漢字の虜に。
試験日を待たずして、次の級のテキストも所望されています。
もうすぐ検定本番。今まで頑張ったから、楽しめるといいね。

子供とめぐる祇園

10月7

gion京都で子供が楽しめる場所と言えば、京都鉄道博物館京都水族館などの梅小路公園界隈や、大宮交通公園
歴史を学び始めた小学校高学年なら、あちこちに「本物」の歴史スポットがあります。では小学生低学年ならどこに。

今回は「漢検 漢字博物館・図書館 漢字ミュージアム」を目的にしました。
必須は周辺のランチ、休憩どころ。
(ミュージアム1階にもカフェ「倭楽」が併設されていますのでご安心を)

祇園は、花街の風情を求めて国内外からの観光客で四条通りは肩がぶつかりそうになるほどの密度になります。
混雑を差し引いても、小さな子連れだとそうあちこちは歩き回れません。
観光スポットは午前と午後に1箇所ずつに絞り、体力次第でその周辺に足を延ばすことになります。

候補になるのは、いずれも四条通りからそう離れていないお店。
祇園の定番「壹錢洋食」(予約可)に鍵善良房の名物「くずきり」(予約不可)、だしのきいたカレーうどんが美味しい「京都祇園 おかる」(予約不可)、「ぎおん石」の2階には昭和レトロを楽しめる喫茶室、3階には蕎麦屋もあります(各予約可)。
ちなみに、八坂神社参拝ついでに「厄除ぜんざい」が食べられる「喫茶栴檀」は、コロナ禍を機にお店を閉められてしまったようで残念です。

まだ紅葉シーズン手前だったので、混み具合もまだましでした。
10月の子連れ京都観光、おすすめです。
「漢字ミュージアム」等のレポートはまた後日。

子供たちからは「亀石を渡りたい」とのリクエスト。
出町柳の三角州で遊びたいようです。次回はその周辺でプランを考えるね。

二条城 蘇った本丸御殿の清々しさ

9月4

honmaru 世界遺産・二条城本丸御殿がこの9月1日より事前予約制で観覧できることになりました。
平成7年の阪神・淡路大震災により建物に歪みが生じ、平成29年から耐震補強工事と障壁画の修理が進められていたので、ようやくの拝観再開ですね。

撮影は不可となっており、各自ロッカーに荷物を預けて待合に入ります。
本丸御殿についての8分間の美しいビデオが見ものです。
その後、銘々に順路を巡りながら見学していくのですが、歩く度に新しいい草の香りが足元から立ち上ってきました。

現在の本丸御殿はかつて京都御所の北にあった桂宮家の御殿が前身で、明治17(1884)年に二条城が皇室の離宮となって以後に移築され、明治天皇の行幸や、皇太子時代の大正天皇、昭和天皇も宿泊所として使用されました。

新しく整えられたところは唐紙が角度を変えて淡い光を放ち、従来の貴重な建材も再びその歴史の厚みを支えています。
豪華で美しい城や離宮は世界各地にもありますが、日本建築はそのシンプルさゆえに清潔感が清浄な空気感を纏わせているような気がします。
無地の襖も多くみられたので、いつかは現代の作家が次の100年を彩る作品で埋めることもあるかもしれませんね。

今のところ解説のガイド要員は置かれていないので、パンフレットを手に見学することになりますが、今後は修理に関わる職人の技などの舞台裏の話題が聞けるような、公式ガイドツアーが追加されることに期待したいですね。

拝観の所要時間の目安は30分程です。
入城してから本丸御殿に辿り着くまで徒歩15~20分程度かかるのでご注意を。
本丸御殿に早めに着いても、周辺には明治天皇が詳細に指示して作らせたという庭園を巡ったり天守閣跡に登ったり、清流園を臨む和樂庵でアイスコーヒーやかき氷を楽しんだりして待つのも楽しいですよ。

入城料もネットで事前購入しておくのがスムーズに入れておすすめです。

「京都の定番」をおさらい

8月28

100 今、五木寛之著『百寺巡礼 第三巻 京都Ⅰ』を読んでいるところです。
これは2003年に発刊された有名な書籍で、京都編の前半にあたりますが、紹介している寺院は金閣寺銀閣寺清水寺東寺など、いわゆる「京都観光の定番」とも言われるところばかり。

それらの「有名寺院」を自分が知り尽くしたとは思っていませんが、余りに有名、余りに人気があり過ぎて、かえって足が遠のいてしまう時があります。けれど、国内外からやってくる人々が目指すのはやはりこういう場所。
ガイドブックとは異なる表現に触れてみたくて手に取りました。

休筆中に五年余り京都の聖護院に暮らしたものの寺社を拝観することなく、二十年程経って京都の寺々を巡ったという作家・五木寛之氏。
様々な作家の言葉も引用し、龍谷大学で学んだ経験や自らの人生観も織り交ぜながら、それぞれの寺院についての考察を深めています。

令和の今や動画投稿サイトで実況を観て拝観の疑似体験することもできますが、こちらは、まるで共に歩いているように想像を膨らませながら読み進める楽しみがあります。
その臨場感ある描写と取材力を前に、時折自分の物書きとしての語彙力の無さも恥じながら、ひと寺ごとに新たな発見をさせてもらっています。

これらの「有名寺院」を一括りにせず、もっと踏み込み問いかけるような話題として来訪者に提供できるよう、この本を手もとに置いておきたくなりました。

宇治市に『ニンテンドーミュージアム』

4月24

nin 宇治市小倉町に2024年3月末までに完成予定と発表されていた
ニンテンドーミュージアム』。
主にトランプや花札の製造や、ゲーム機の修理業務を行っていた任天堂宇治小倉工場をリノベーションし、過去に発売した商品を展示することで当社のものづくりに対する考えを紹介する資料館なのだそうです。

4月になったらお友達親子と一緒に見学して、
宇治茶平等院もご案内しようとわくわくしているのですが、これまでに現地に2度足を運んで撮影した2月中旬時点でも外観は特に変わらず、新しい公式発表も無い様子。

空撮写真により判明した、屋上に描かれている「ハテナブロック」はもちろん地上から見えません。かろうじて、「スーパーマリオブラザーズ」の背景に出てくる「雲」がちらっとだけ。
近くに大きな駐車スペースは整備されている様子でした。

近鉄小倉駅から徒歩6分、JR小倉駅から徒歩8分という立地ではありますが、観光向けのお店はまだ僅かですが、近くに奈良街道が南北に通り、それに沿って宇治茶関連のお店や、巨椋神社隣には「玉露製茶発祥之碑」という石碑がある静かな住宅地です。

なんとGoogleマップではオープン前から高評価が付いている不思議。
それだけファンの期待が高いのでしょうね。

オープニングスタッフの求人を見てみると「勤務開始日 2024/6/1~」とのこと。
まだまだ正式なオープンは先のようですね!

宇治で晩ごはん

6月29

afuhi 先日宇治を訪れた際に感じたのは、「いつの間にか、新しいお店がどんどんできている!」。
寺社が閉まる夕方になると、宇治橋商店街は軒並み暖簾を降ろし、昼間は抹茶ソフトクリームを片手にそぞろ歩きをしていた人達の姿もなくひっそりとしています。

夕食を採る場所を求めて歩いていると、「大阪屋マーケット」という横丁の風情の市場があり、どうやら多くの人がここに吸い込まれていったようです。
立て看板を見ると「SINCE 1962」とあり、「そんな前からあったの?」と自分達もついついその中へ。
10以上の店舗が入っており、営業日も様々。
ちょい呑みできる居酒屋の熱気もあれば、反対側には落ち着いたテーブル席のレストランもあり、駄菓子屋や整体医院まで入っています。
本格ナポリピッツァに強く惹かれたのですが友人の好みに合わず、次回は必ず行くと心中でキメて、市場を後にしてまたうろうろ。

薬膳料理 茉莉花」も残念ながら定休日という事で、行き着いたのが「afuhi uji」。
はるばる宇治へやってきた大原の野菜をふんだんに使った、おじや風リゾットとパスタのお店です。
町家のおざぶに歩き疲れたお尻をやすませて、豆タイル貼りのおくどさんにどっさりと置かれた野菜を眺めながら待ちます。
「大原野菜プレート」はまさに自分好みで、花束の様に鮮やかな多種多様な野菜が盛られ、オリーブオイルやミネラル豊富な塩、バーニャカウダソースを付けて歯応えを楽しみながら頂きます。
久しぶりにこんなご馳走サラダが食べたかったのです。
「茶粥風」のおじやんリゾットも、使われるお茶を緑茶か抹茶か選べるのは宇治ならでは。
塩加減もちょうど良く、鯛とも相性がよく、家でも真似して作ってみたくなりました。

平等院やお茶屋だけを巡って帰ってしまうのは勿体ない。
間もなく鵜飼も始まるので、夜も歩きやすくなるでしょう。
夕暮れの宇治川を歩いた後は、夜のお食事も楽しんでみてくださいね。

何度でも生まれ変わろう

12月22

ao
宇治市縣神社をモデルにした小説『碧天(あおきみそら)~鎮魂の巻~』を読みました。
フィクションではありますが、「深夜の奇祭」についての詳細な表現や、普段は伺い知れない神社の裏方の様子、またおみくじの読み方や神社でご奉仕する人達の袴の色や形について、神様へのお供えものについて等、読み進めながら豆知識も増えていきます。

「サーダカウマリ(性高生まれ)」「カミダーリ(神障り)」という精神障害に係わる沖縄由来の言葉も初めて知りましたが、心を患う人、規範の社会の枠組みに生きづらさを感じている人の姿は、目まぐるしい現代社会に生きる私達にとって決して遠い存在ではありません。
心が潰れてしまう前に、周りもできることは無かったのだろうか、と感じてしまう事件も後を絶ちません。
元来は無垢な人間が、世間で生きてゆくなかで、様々な気負いや気遣いを背負わされて、次第に気力が弱ってゆき、心の病気や体の苦しみとして現れる。
“穢れ”とはそういう気持ちの萎えてしまった状態なのではないか。その状態を追い出して新しい気持ちの満ちた状態に持ってゆくことができれば、苦しみも徐々に癒されていくのではないかと、宮司は作中で語ります。
神様と人との間を取り持つ職業として、また女性だからこその目線で紡がれた物語で、作中には和歌や旧約聖書からの言葉も引用されています。
『何を守るより、まず自分の“心”を守れ そこに“いのちの源”がある』。

特別な宗教観は無くても、人はなぜか祈りの場に足を運びます。
日常から少し離れ、気分だけでもリセットしたいという欲求が心のどこかにあり、そのきっかけとなるのが「祭」なのでしょう。

この作品が出版されたのは今年の夏、最初に書き上げられたのは今から遡る事18年前のことだそうですが、奇しくも、筆者の大島菊代さんは縁あって現在、縣神社の禰宜を務めています。
おうちの近くの氏神さん、もしくはどこか気になるお社を訪れてみてはいかがでしょうか。

日暮れと清水の舞台

3月24

kiyomizu
ある日の夕方、ふと思い立って新しくなった清水の舞台へ向かうことにしました。
傾いた陽が輝く鴨川沿いを自転車で走り、五条坂の途中からは息が切れて押しながら。
降りて来る僅かな観光客とすれ違いながら、その日の営業を終了したのか休業しているのか、静かな店舗群の間を登ります。

清水寺に到着したのは午後5時頃。ぽつりぽつりと、しかし途切れる事なく数グループが境内にいました。
2008年より始まった「平成大修理」の一環で、今年は舞台の板も張り替えられ、白木となった清水の舞台は、檜の香りが漂っていました。
爪楊枝程の大きさに見える京都タワーが暖かな茜色の空に溶け込み、澄んだ夜の冷気を吸い込みながら、1分ほど目を閉じて鳥の声や舞台を歩く人々の足音、音羽の瀧の音などに耳を傾けました。

奥の院や子安塔側にも回って、改めて舞台を外側から眺めます。
本堂の檜皮屋根も約50年ぶりに葺き替えられ、本堂を覆っていた素屋根もすっかり取り払われて「照り起(むく)り」と呼ばれるふっくらとした曲線美が再び甦りました。
屋根を葺く檜皮は通常より約20センチ長く、約170万枚を全国各地から10年かけて確保したそうです。
徳川家光による再建以来初めてと言われる金の破風の飾り金具も新たに修理され、間もなく全ての修理が終わります。

閉門後、夜の帳が降りて暗くひっそりとしたお店の並ぶ坂道を自転車で降りました。
清水寺から円山公園までの高低差は59メートルと言われています。
恐らく、これまでの清水寺の参道なら夜になっても国内外の観光客が賑やかに下山していて、自転車で滑るように降りていく事など不可能だったことでしょう。
こんな不思議な心地はもう無いかもしれない、と思いながら暗闇の参道を後にしました。

伏見稲荷大社のいま。

11月18

inari
以前は毎回稲荷山の山頂まで登って月参りしていた伏見稲荷大社
ここ数年は代わりに地元のお稲荷さんをお参りしていました。

かつてはここに日本人がいるのか?と思うほどに外国からの訪問者が多く、千本鳥居前になると片道通行を促す横断幕や立て看板まで登場し、数珠繋ぎの行列ができていました。
先週金曜日に久々に訪れた時点では、随分人口密度が下がっていましたが、静まり返っているわけでも無く、程良い賑わいでした。

手水鉢や本殿前の鈴は使用不可となっており、屋台も営業しているお土産物屋さんも以前よりは減っていますが、土日となるとまた異なるのかもしれません。
4月1日から本殿の東側に高齢者や車椅子利用者用のエレベーターやスロープが設置され、階段を使わずに奥社奉拝所まで参拝できるようになりました。
かねてより整備されていた八島ヶ池の周りの植栽も良い塩梅に伸び、それらを眺めるように設けられた床几やテラス席のある休憩所「啼鳥菴」も、お山巡りの足を休めるのに好立地です。

ちなみに、稲荷山に点在する幾つかのお店では絵葉書が販売しており、奥村亭では切手を貼ってポストに投函する事ができます。
このポストに出された絵葉書は伏見稲荷の風景印が必ず押印されるそうですよ。

色々な変化を目にして、また新鮮なお参りとなりました。
赤くなり始めた紅葉が虹のように弧を描いていたので、今週末は朱色の千本鳥居との競演が見られるかもしれません。

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