清水焼の手榴弾
9月22
画像の花入れ、元はなんと手榴弾だったのだそうです。購入された方も、お店からそのエピソードを聞いて驚いたとか。
戦時中、金属資源に窮した日本が、陶器で手榴弾や爆弾、地雷等を製造していたという話を耳にした事はありましたが、兵器を花器として見立てる茶人の発想、おそるべし。
一方、明治期造営で、京都市内最大規模の登り窯を今に残す藤平陶芸が清水焼の産地にあり、戦況下のここも例外ではありませんでした。
この窯は、大気汚染防止法等の規制によりガスや電気窯に取って変わってからは、コンサートや講演の会場としても活用されていましたが、今後は隣接地に開校予定の教育施設の一部となり、京焼・清水焼の遺産として活用されるそうです。
人が人として最後に残せるものは、文化なのかもしれませんね。