e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

波も人も穏やかな町、伊根町

8月25

ine 子供の頃から何度となく「海の京都」こと京丹後方面へ家族旅行をしていましたが、今回は伊根町へ。
ちょうど直前に幾つかのテレビ番組紹介されていたそうですね。

朝は「もんどり漁」が見学できると人気の舟屋ガイドさんによるツアーを利用したかったのですが、その日は催行無しだったので、まずは海上から伊根町を象徴する舟屋群を一望!
お天気が良ければ大型の遊覧船の甲板に出て、広い青空と伊根湾の狭間に立つのも良いですが、盛夏では日差しを遮る屋根付きの小型の海上タクシーがおすすめかもしれません。
映画『釣りバカ日誌』や朝ドラ『ええにょぼ』のロケ地となった場所等も教えてもらい、「サスペンスのロケも多く、毎回人が死んでます」とのジョークも飛びます。

昼食は今春開店したばかりの人気店「食事処うらなぎ丸」へ。11時過ぎの時点で既に数組が順番を待っていました。
毎朝定置網から水揚げされる魚介を使ったお造りも寿司もボリュームたっぷりの定食なので、家族でシェアすれば欲張りランチに。海鮮が食べられない人には唐揚げも。

徒歩で伊根町観光案内所へ戻って「舟屋3か所巡り」を申し込み、それぞれ趣の異なる舟屋に入らせてもらいます。
木造船が主流だった頃に、船が痛まないようガレージとして海上に設けられた舟屋。
ちゃぷちゃぷと優しく打ち付ける波音に、今すぐ蒼い海の中へ飛び込みたくなりました。

海底がすり鉢状で、青島という自然の防波堤によって年中波が穏やかな港町の伊根町。
昔ながらの漁暮らしとウォーターフロントの環境を活かしたお洒落なお店がさりげなく共存していて、京都市内の観光地とはまた違った落ち着きがあります。

今回は幼子連れだったので、宮津の宿泊先で休むべく昼過ぎで切り上げましたが、舟屋の民宿風の宿や、リノベーションされた宿、海を臨む素敵なカフェもまだまだたくさんあるようです。
また次回も続きを楽しみたいと、気持ちが穏やかになる風情の町でした。
その他の旅の記録はまた後日。

ネットの力で守っていこう

8月18

okuribi 2022年の五山の送り火は、3年ぶりに本来の形で五山全てが灯されました。

今年は四山を見渡せる西陣織会館の鑑賞会へ。
十二単の着付けを鑑賞したり、西陣織の土産物を見たり、湯に浸かった繭から糸を引き出す「座繰り」を実演するスタッフさんと語らう間に外は激しい雷雨。
それでも、これまでどれだけ酷い土砂降りでも点火されてきたので、心配はしていませんでした。

エレベーターで順に屋上へ出ると、不思議と雨が止んでいました。
安全確保の為でしょうか、今年は大文字と妙法は点火時刻を遅らせたそうです。
待機中の報道カメラマンが携帯電話を片手に、「船形が先に点いてる!?」と動揺していましたが、これもまたレアな一幕でした。

屋上にはたくさんの人が集まりましたが、広いので混雑が気になることもなく、雨上がりの送り火は想像以上に綺麗でした。

SNS上では、様々な場所から撮られた美しい送り火の光景や、それを眺める人々の思いが銘々に綴られていました。
一方で、護摩木に亡くなった人の戒名ではなく個人的なお願い事をしたためる人がいる事に違和感を覚える、というご意見や、点火時間に合わせて照明を落として景観の維持に協力するマンションやビルが減ってしまった、と嘆く声も見受けられました。

疫病禍で親から子、孫へ伝統を語り継ぐ難しさ。感想を述べ合うだけでは伝統を守ることはできません。
マンパワーだけでなく資金もやはり必要です。
クラウドファンディングにより防鹿柵で火床を守るなど、インターネットの影響力を借りて、今後はこういう情報ももっと発信していかねばと、気持ちを新たにしました。
関連動画はこちら

巡行と神輿の後のお楽しみ

8月2

iwai
祇園祭も後祭山鉾巡行、神輿渡御という佳境を越えて、毎年寂しさを感じていた人達に朗報です。

7月28日の神輿洗の直後から、「祝い提灯行列」という行事がこれから毎年行われるそうです。
祇園町にゆかりのあるお店等の有志が、銘々に提灯をこしらえ八坂神社の神輿を迎える神賑わいとして、界隈を練り歩くというもの。

この提灯行列は江戸中期の「花洛細見図」や「祇園御霊会細記」にもその様子が描かれているそうで、5年程前から本格的に盛り上がってきたようで、京都人でもまだ余り知る人の少ない行事です。

いもぼうの海老芋や巨大なおこぼ、吉本新喜劇のマークなど、祇園の人達の洒落がきいた38基もの提灯が、山鉾行事とはまた違ったユルさで楽しい。
「この提灯、なんで野球の球なんですか?」「店主の趣味らしいです」「この双子の赤ちゃんは?」「おくるみです…(←おめでたいイメージ?)」と歩きながら思わず尋ねてしまいました。
途中、「広東御料理 竹香」前で御接待を受け、行列はしばし休憩。鷹山の関係者も何名か参加されていたようで、みんな本当にお祭好きですね!!

先頭を歩く祇園篠笛倶楽部の笛の音は、一本の糸のように揃っていて美しく、八坂神社を出発したときのはつらつとした曲調から、夜の帳が降りてきた白川筋を通るときには穏やかな音色に変わり、夕涼み散歩のように、一緒に歩いて楽しませてもらいました。

今年は短縮ルートでしたが、例年は19時頃から2時間かけて祇園町の南北と細かく練り歩かれます(※雨天中止)。
現在のところは公式サイトが無いそうなので、こちらのサイトを来年のご参考に。
来年は7月10日と28日の両方で観る事ができるといいですね!

関連動画は随時こちらに追加していきますね。

それぞれの祈りの祭典

7月27

kuji3年ぶりに行われた祇園祭の後祭山鉾巡行
先立つ20日の曳き初めでは、東西の通りにある鷹山と、南北の通りに建つ北観音山が、三条新町にて大接近し、お互いの囃子方と車方が思わず挨拶を交わすという微笑ましいハプニングもあったそうです。
巡行本番では、鉾町を出発した鷹山が、御池通りに出るまでに、電線ぎりぎりのところで最初の辻回しをするシーンでは、町内の床屋さんが、大量のお水の提供をしていました。
2014年に大船鉾が復帰を果たしたときに沿道から聞こえたように、進む鷹山に向かって「お帰りなさーい!」と大声で叫びたかったです。

2022年の祇園祭は、前祭は連休、後祭は鷹山の復興という大きな話題もあって、
この日を待ちわびた多くの人が祭に繰り出しました。

しかしながら、引いては押し寄せる疫禍の中です。
知人達の中には、自身やご家族の体調を考慮して、参加が叶わず断念した人もいました。
また、外出を控え自宅の中で祇園祭のしつらいを楽しむと決めた人もいました。
それもまた、ひとつの賢明なご判断だと思います。

漆がまだ塗られていない白木の香りや
脳天に響く鉦の音までは再現できませんが、
こちらの動画で鷹山への搭乗を体験してみてください。

変化する祭の楽しみ方

7月20

kuji
祇園祭の前祭巡行当日。始発に乗り早朝に現地入りすると、中京区に住むマニアな友人達はもう座り込んで周囲の人々とお喋りしていました。
片側の女性は奈良から、反対側の人は東京から。
インターネットで観覧に良い場所を探し、三連休だから思い切って朝から来られたそうです。

巡行に先立ち、祇園祭の追っかけをしている同志達で作るグループLINEに、友人が招待してくれました。
メンバー数なんと30人越え。

ある人は四条河原町や新町御池等で辻廻しの瞬間を捉えるため、またある人は四条通麩屋町にて行われるしめ縄切りに向けて、あるいは四条烏丸で長刀鉾のお稚児さんが剛力に担がれ鉾に上がる様を見届けようと、思い思いの場所で待機しLINEで報告し合います。
巡行が進んで行くと、いわゆる「追っかけ組」はまた別の撮影スポットへと駆け足で移動するので、有料観覧席は専ら観光客がメインでゆっくりと最後まで全ての山鉾を詳細に見届ける場所、という位置づけかもしれません。

「〇〇を船鉾が通過しました」
「××前で棒振り」
「新町通りを菊水鉾が来てから、他の山鉾がなかなか来ません」

画像も交えながら逐一報告し合うので、自分から離れた場所の山鉾の進行状況も把握できて便利!
以前は当たり前だった、山鉾マップを印刷したプラスチック製のうちわも環境への配慮から配布されなくなり、マイナーだった行事もネットやスマートフォンの普及で知るところとなり、祇園祭の楽しみ方も時代を追って変わってきた事を実感しました。
今日も、後祭の山鉾建ての様子を画像で伝える通知で携帯電話が鳴り続けています。

前祭くじ改めその他の動画はこちら(随時追加していきます)

祭は始まったばかり

7月13

mikosi
10日より祇園祭の山鉾建てが始まり、八坂神社では舞殿にて日本神話の語り奉納の後、夕刻より神輿洗式が斎行されました。
祇園祭好き同志の友人のもとへ行くと、去年の祭の間に何度も会った祇園祭大ファンの知人がいて、一緒に八坂神社へ向かうと、またその手のマニアの人々と出会います。
お互いに連絡先も知らず名前もうろ覚えの人もいるし、特に申し合わせもしていないけれど、祇園祭の何かしらの行事の現場に行くと大抵会えてしまうのです。

神輿洗は18時からなので、もともとその間は烏丸まで移動して鉾建てでも観ようとのんびり構えていたのですが、友人達はまだ15時台のうちから現場で撮影場所の確保に向かうとの事で、驚愕しながらついて行きました。
曇り空のお陰で風が涼しく、同志達のコアな情報交換に、数時間も立ちっ放しでいる事すら忘れてしまっていました。
まるでアイドルの追っかけです。周りの人達は濃厚なオタク臭を感じていたに違いありません。

今年の「お迎え提灯」は無く、「神輿洗」は境内のみ。それでもいつしか多くの人が二重三重と集まって、その様子を見届けていました。
中御座、西御座、東御座の三基の神輿が境内の格納庫から舞殿へと上がり、その度に輿丁と観客達の手拍子と「ホイット!ホイット!」が響きます。
朝に汲まれた鴨川の水飛沫で、神輿と共に清めてもらおうと、関係者の赤ちゃんや子供達とその母親達も徐々に集まります。

大勢で舞殿へと運び込む際には神輿に粗相が無いようにと大騒ぎ。
ちょっと大袈裟なくらい荒々しく行き交う掛け声も、場を盛り上げるのに一役買っているのでしょう。

南楼門の上、まだ青さの残る空に白い月が浮かび、舞殿に灯る提灯も、風に吹かれてリズミカルに揺れること揺れること。
なんだか楽しげに見えました。

 →動画はこちら

「大原雑魚寝」の発祥地

6月15

ebumi
大原から静原へと出る江文峠への道のりの傍らに、江文神社というお社がひっそりと鎮座しています。
この社を知ったのは「大原雑魚寝」という季語の由来の地だからでした。
「大原雑魚寝」とは、その昔大蛇に喰われるのを恐れた村中の男女が一つに集まって隠れたことから、節分の夜に産土神の江文神社に参籠し、一夜を過ごしたという風習です。
老若男女が同じ屋根の下、暗闇の中で雑魚寝するという環境ゆえ、その夜は情事があっても見逃されたとも言われており、その様子を面白可笑しく、おそらく誇張も交えて描いた様子が井原西鶴の『好色一代男』に登場します。
この季語は様々な俳句にも艶めいた風情で用いられています。

ピンクな光景の名残りはあるのかと想像していましたが、本殿前の舞殿は比較的新しいもので、防犯のため侵入できないように養生してありました。
88歳を迎えた地域のお年寄り達が奉納したという升と升掻が壁や屋根裏にかろうじて見え、これらは全国でも余り見ない珍しいものだそうです。

「雑魚寝」という言葉は、偶然にも先日の宇治の縣祭でも耳にしました。
本町通りには背の低い民家が軒を連ね、祭のために遠方から訪れた人々の簡易宿泊所となっていたそうです。
神様が通る間は一切の光も許されない、徹底した闇。酔った見物者たちが暗闇の中で横になる。確かに何かあってもおかしくない。

日本には五穀豊穣や子授けを願う「奇祭」があり、グロテスクな程にリアルな「男性そのもの」のご神体が若衆に担がれたりします。
飛躍しますが、祇園祭の「暴れ観音」も「男の神様と女の神様が出逢うから、悪さしないように」と楊柳観音像をぐるぐる巻きにして担がれると耳にした事があります。
縣祭のあとの白い幣帛は「子授け」等のお守りとして配られ、祇園さんの鉾町では布を被せられ紐で拘束された観音さま…地方の奇祭と比べてオブラートに包まれているかの様に思えるのは京都という土地柄でしょうか。

雑魚寝の風習は神社由来のものではなく、その神様の力にあやかる人々の間で自然発生的に生まれた民間信仰から派生したものなのでしょう。
現代ではもうその風習はありませんが、跡継ぎに恵まれる事が現代よりもずっと切実だった時代の、日本各地の山里における合同お見合いのような、婚姻制度の原初的形態とする見方もあるようです。

静謐なお社でしたが、背後の山の向うにはクライミングスポットがあるそうで、その様な出で立ちの人やトレッキングの人等のお参りが絶えない様子でした。
9月1日には八朔祭が行われるそうです。

今年はしめやかに。

6月8

bon 「暗闇の奇祭」と呼ばれる宇治縣祭
縣神社 のみならず、周辺の住宅地までも消灯して神様が通るのを迎えるお祭です。
クライマックスが真夜中という事もあり、神社から近くJRと京阪の「宇治」駅の間に位置する宇治第一ホテルに泊りがけでお参りさせて頂きました。

今年は3年ぶりに梵天が境内を渡御しました。
担がれた大きな球状の幣帛(へいほく)の塊の中をよく見ると、「カミサン」と呼ばれる男性が一人、埋まるように乗っていて、激しく上下左右に揺さぶられる中でも片手を真っ直ぐに伸ばして耐えています。
今年は境内の中だけでの渡御だったので、この「天振り」も従来よりは随分と大人しいものだったのかもしれません。
それでも、17時の「夕御饌の儀」や19時の「護摩焚法修」など、神事の刻となる度にどことなく人々が集まり、次第に強まる雨の中でも見守るなか、若衆たちの表情もまたどこか誇らしげだったのでした。
雨風混じる夜でしたが、やはり消灯して暗闇で神移しが行われる瞬間、一陣の風が巻き起こって木々の葉をざわざわと揺らし、そのあと静まる瞬間があるのは嬉しいものです。

例年の祭の様子は、縣神社をモデルとした小説『蒼天』に描写されています。
近畿各地から集結した数百軒余りもの露店や屋台が立ち並び、浴衣姿の子供達など老若男女で賑わっていたという地元色の風情も味わうため、また訪れてみたいものです。

梵天から外され、お下がりとして頂いた白い紙垂を手に、僅かな街灯のみに照らされた暗闇の縣通りを後にしました。 →動画はこちら

京都の「里」・大原

6月1

picnic
京都バス停留所「大原」のあるバスロータリーすぐの階段をとんとんと降りたところに、畑の中で食べるカフェスタンド「Picnic OHARA」があります。

可愛らしいキッチンカーで注文した品を受け取って、土の上を歩きながら畑のあちこちにある小屋やテーブルセットなど好きな席に腰掛けます。

もちろんこの畑で収穫した食材も使用されており、川のせせらぎを聞きながら、採れた場所で「いただきまーす」。
その日のメニューは、自家製の柚子ジャムを隠し味にしたちょっとスパイシーな「畑のカレー」やブレンドコーヒー、「ゆずジンジャー」「ぶどうジュース」など。
「畑のたい焼き」は、もちもちの米粉生地によもぎを練り込んだりクリームチーズや紫芋、バターを挟んだりと、ホットサンドに近い印象でした。
「おやさいジュレ」は昆布だしが効いていて、生のサラダを食べるよりずっと美味しい。

少しだけひんやりとした空気と土からの心地よい湿気、思ったより豪快な音を立てる小川や、様々な形の薪がきれいに積み上げられている様でさえ、我々にとっては新鮮な光景でした。

そこからぶらぶらと歩いていると、緑蒸す小川に面したテラスが設けられたり、道具完備・アドバイザー付のシェアファームに併設されたカフェなど、
京都市中心部から1時間足らず、バス一本で来れる「京の里山」・ 大原にはあちこちにぽつぽつと、周辺の豊かな環境を生かしたお洒落なお店ができていました。

刹那

5月25

tofuku
「颯々(さつさつ)」ということばが好きです。
風が音を立てて吹くさまを表し、夏めく季節に使われます。
リズミカルな音感が心地よく、もともと「松風颯々声」という禅語で、人柄などがさっぱりしたさわやかな印象を与えるさまとも解釈されます。

紅葉の季節は混雑や行列に気後れして近づけなかった東福寺
「紅葉の名所こそ、新緑の季節に訪れるべしだよね」と、ふと思い立って隙間時間に弾丸で行ってみました。

「平日のランチタイムなら空いているかも」の予測通り、境内を散策する人々の姿はちらほら。
鳥が囀るなか、他の人との距離間も十二分にあったので、マスクを下げて顔に風を当てながら歩きました。

そして通天橋の真ん中に立ったとき、数分ほど無人になったひと時がありました。
「チャンスだ」と動画を撮ろうとカメラを構えたものの、その静けさを味わう事の方が今は大切な気がして、カメラの電源を切ってしばし目を閉じました。
思った以上に風が力強い。橋の上を縦横無尽に、まるで双竜が行き交うように凄い速さで駆け抜けていきます。

瑞々しい新緑の緑を目当てにしていたつもりでしたが、むしろその木々の間を通り抜ける風を顔面に受けたいと欲していたのだと気づきました。
美しい色彩なら、巷に流れるSNSの画像越しでも味わえるけれど、土や小川、樹木からの香りや湿気をはらんだ風を感じるのは、実際に足を運ばなければ得られないものだからです。

臥雲橋、偃月橋と東福寺3名橋を巡り、再び通天橋へ戻ってみましたが、その時には花嫁さんの撮影が始まっていたのでした。

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