e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

「大原雑魚寝」の発祥地

6月15

ebumi
大原から静原へと出る江文峠への道のりの傍らに、江文神社というお社がひっそりと鎮座しています。
この社を知ったのは「大原雑魚寝」という季語の由来の地だからでした。
「大原雑魚寝」とは、その昔大蛇に喰われるのを恐れた村中の男女が一つに集まって隠れたことから、節分の夜に産土神の江文神社に参籠し、一夜を過ごしたという風習です。
老若男女が同じ屋根の下、暗闇の中で雑魚寝するという環境ゆえ、その夜は情事があっても見逃されたとも言われており、その様子を面白可笑しく、おそらく誇張も交えて描いた様子が井原西鶴の『好色一代男』に登場します。
この季語は様々な俳句にも艶めいた風情で用いられています。

ピンクな光景の名残りはあるのかと想像していましたが、本殿前の舞殿は比較的新しいもので、防犯のため侵入できないように養生してありました。
88歳を迎えた地域のお年寄り達が奉納したという升と升掻が壁や屋根裏にかろうじて見え、これらは全国でも余り見ない珍しいものだそうです。

「雑魚寝」という言葉は、偶然にも先日の宇治の縣祭でも耳にしました。
本町通りには背の低い民家が軒を連ね、祭のために遠方から訪れた人々の簡易宿泊所となっていたそうです。
神様が通る間は一切の光も許されない、徹底した闇。酔った見物者たちが暗闇の中で横になる。確かに何かあってもおかしくない。

日本には五穀豊穣や子授けを願う「奇祭」があり、グロテスクな程にリアルな「男性そのもの」のご神体が若衆に担がれたりします。
飛躍しますが、祇園祭の「暴れ観音」も「男の神様と女の神様が出逢うから、悪さしないように」と楊柳観音像をぐるぐる巻きにして担がれると耳にした事があります。
縣祭のあとの白い幣帛は「子授け」等のお守りとして配られ、祇園さんの鉾町では布を被せられ紐で拘束された観音さま…地方の奇祭と比べてオブラートに包まれているかの様に思えるのは京都という土地柄でしょうか。

雑魚寝の風習は神社由来のものではなく、その神様の力にあやかる人々の間で自然発生的に生まれた民間信仰から派生したものなのでしょう。
現代ではもうその風習はありませんが、跡継ぎに恵まれる事が現代よりもずっと切実だった時代の、日本各地の山里における合同お見合いのような、婚姻制度の原初的形態とする見方もあるようです。

静謐なお社でしたが、背後の山の向うにはクライミングスポットがあるそうで、その様な出で立ちの人やトレッキングの人等のお参りが絶えない様子でした。
9月1日には八朔祭が行われるそうです。

今年はしめやかに。

6月8

bon 「暗闇の奇祭」と呼ばれる宇治縣祭
縣神社 のみならず、周辺の住宅地までも消灯して神様が通るのを迎えるお祭です。
クライマックスが真夜中という事もあり、神社から近くJRと京阪の「宇治」駅の間に位置する宇治第一ホテルに泊りがけでお参りさせて頂きました。

今年は3年ぶりに梵天が境内を渡御しました。
担がれた大きな球状の幣帛(へいほく)の塊の中をよく見ると、「カミサン」と呼ばれる男性が一人、埋まるように乗っていて、激しく上下左右に揺さぶられる中でも片手を真っ直ぐに伸ばして耐えています。
今年は境内の中だけでの渡御だったので、この「天振り」も従来よりは随分と大人しいものだったのかもしれません。
それでも、17時の「夕御饌の儀」や19時の「護摩焚法修」など、神事の刻となる度にどことなく人々が集まり、次第に強まる雨の中でも見守るなか、若衆たちの表情もまたどこか誇らしげだったのでした。
雨風混じる夜でしたが、やはり消灯して暗闇で神移しが行われる瞬間、一陣の風が巻き起こって木々の葉をざわざわと揺らし、そのあと静まる瞬間があるのは嬉しいものです。

例年の祭の様子は、縣神社をモデルとした小説『蒼天』に描写されています。
近畿各地から集結した数百軒余りもの露店や屋台が立ち並び、浴衣姿の子供達など老若男女で賑わっていたという地元色の風情も味わうため、また訪れてみたいものです。

梵天から外され、お下がりとして頂いた白い紙垂を手に、僅かな街灯のみに照らされた暗闇の縣通りを後にしました。 →動画はこちら

京都の「里」・大原

6月1

picnic
京都バス停留所「大原」のあるバスロータリーすぐの階段をとんとんと降りたところに、畑の中で食べるカフェスタンド「Picnic OHARA」があります。

可愛らしいキッチンカーで注文した品を受け取って、土の上を歩きながら畑のあちこちにある小屋やテーブルセットなど好きな席に腰掛けます。

もちろんこの畑で収穫した食材も使用されており、川のせせらぎを聞きながら、採れた場所で「いただきまーす」。
その日のメニューは、自家製の柚子ジャムを隠し味にしたちょっとスパイシーな「畑のカレー」やブレンドコーヒー、「ゆずジンジャー」「ぶどうジュース」など。
「畑のたい焼き」は、もちもちの米粉生地によもぎを練り込んだりクリームチーズや紫芋、バターを挟んだりと、ホットサンドに近い印象でした。
「おやさいジュレ」は昆布だしが効いていて、生のサラダを食べるよりずっと美味しい。

少しだけひんやりとした空気と土からの心地よい湿気、思ったより豪快な音を立てる小川や、様々な形の薪がきれいに積み上げられている様でさえ、我々にとっては新鮮な光景でした。

そこからぶらぶらと歩いていると、緑蒸す小川に面したテラスが設けられたり、道具完備・アドバイザー付のシェアファームに併設されたカフェなど、
京都市中心部から1時間足らず、バス一本で来れる「京の里山」・ 大原にはあちこちにぽつぽつと、周辺の豊かな環境を生かしたお洒落なお店ができていました。

刹那

5月25

tofuku
「颯々(さつさつ)」ということばが好きです。
風が音を立てて吹くさまを表し、夏めく季節に使われます。
リズミカルな音感が心地よく、もともと「松風颯々声」という禅語で、人柄などがさっぱりしたさわやかな印象を与えるさまとも解釈されます。

紅葉の季節は混雑や行列に気後れして近づけなかった東福寺
「紅葉の名所こそ、新緑の季節に訪れるべしだよね」と、ふと思い立って隙間時間に弾丸で行ってみました。

「平日のランチタイムなら空いているかも」の予測通り、境内を散策する人々の姿はちらほら。
鳥が囀るなか、他の人との距離間も十二分にあったので、マスクを下げて顔に風を当てながら歩きました。

そして通天橋の真ん中に立ったとき、数分ほど無人になったひと時がありました。
「チャンスだ」と動画を撮ろうとカメラを構えたものの、その静けさを味わう事の方が今は大切な気がして、カメラの電源を切ってしばし目を閉じました。
思った以上に風が力強い。橋の上を縦横無尽に、まるで双竜が行き交うように凄い速さで駆け抜けていきます。

瑞々しい新緑の緑を目当てにしていたつもりでしたが、むしろその木々の間を通り抜ける風を顔面に受けたいと欲していたのだと気づきました。
美しい色彩なら、巷に流れるSNSの画像越しでも味わえるけれど、土や小川、樹木からの香りや湿気をはらんだ風を感じるのは、実際に足を運ばなければ得られないものだからです。

臥雲橋、偃月橋と東福寺3名橋を巡り、再び通天橋へ戻ってみましたが、その時には花嫁さんの撮影が始まっていたのでした。

春のうつろい

4月20

10
今年の桜は雨にも強く、長く楽しめたように思います。

早咲きの河津桜に始まり、辺りを華やかにする染井吉野に若葉が覗き始めた頃に、枝ぶりまで艶やか枝垂れ桜が花開き始めます。
そしてぽってりと毬のように愛らしい八重桜へと見頃が移りゆく花見も終盤の頃のお楽しみが、散った桜の花びらが水面を連なって流れていく花筏。
哲学の道高瀬川など川幅の狭いところに行くと、水面は一面花びらのじゅうたんのようになります。

朝の伏見に降り立ち、「京橋」の脇から降りて東へ川沿いに進み、その先にある伏見十石船の出発地点の方面へ。
川のカーブにさしかかる辺りは、新緑の合間に菜の花や雪柳が呼応するように鮮やか。
ちょうど酒蔵を背に十石船がさざ波を立てながら、レッドカーペットならぬピンクカーペットを進む姿を観る事ができました。
乗船したりゆく船を見かけると、手を振りたくなるのは何故なのでしょうか。カメラを片手に乗客に小さく手を振ると、気付いた方もまた小さく振り返してくれました。

昼間は自転車で青空と半木の道の枝垂れ桜を見上げながら鴨川沿いを走り、夕方には車で大原へ向かいました。
バス停「戸寺」付近の橋から高野川沿いを眺めたときは「ちょっと盛りを過ぎたかな?」と思いましたが、付近を走ってみるとまだ満開の桜がたくさん花を咲かせていました。
観光地化されていない、里山を遠くに川の両岸を縁取るピンクの霞です。地元の人くらいしか見かけませんでしたが、他にも桜を求めてはるばる車で来ている人もいるようでした。
日が落ちるのものんびりな週末の夕陽のなか、戸寺ふれあい公園からは子供達の「だるまさんがころんだ」の声が何度も響き渡っていました。

2022年4月20日 | 観光スポット | No Comments »

「日本のあそび」曲水宴

4月11

kyoku
上賀茂神社の渉渓園に一歩踏み入れると、濃厚なお香の香りを感じて思わず振り返ると、山田松香木店が「薫物(たきもの)」をされていました。
薫物の演出は『源氏物語』等の古典文学にも記されており、今年は染殿后藤原明子の「梅花」をもとに、昔ながらの調合方法で調整されたものだそうです。

「ならの小川」からの分水が流れ、木漏れ日の中には客席が設けられ、そよ風に汗ばむ程の陽気も忘れてしまうほどの心地よさ。
受付から開宴までの合間に、たまたま居合わせた和歌をたしなむという方とならの小川の畔に腰かけて、せせらぎの音に耳を傾けながら昼食を取りました。

「五・七・五・七・七」のリズムを持つ短歌と和歌と違いとは。
和歌には型というものがあり、いわゆる「現代短歌」は、明治以降に入ってきたもので、芸術として自我を表現するものだそうです。
令和元年に選ばれた斎王代が十二単の袖を引いて現れると、場が一層華やぎ、客席も色めき立つのが伝わってきます。

薫物は二箇所であり、遮る物の無い開けた庭園であっても、披講の抑揚ある調べに載せるようにリズミカルに濃淡を変えながら香りが漂っていました。
曲水宴は、中国の禊祓の行事が日本流にアレンジされたもので、自然の中に身を置き、香を焚いて雅楽とともに場を盛り上げ、歌を詠む順番さえも羽觴(うしょう)を運ぶ遣水(やりみず)の流れに任せるという、まるで王朝文化への憧れを投影した「日本のあそび」を象徴するような催しでした。

宴の後は、斎王代が境内の斎王桜の前で美しい立姿をみせてくれました。

京都御苑の梅・桃・桜を同時に観る

3月29

konoe
いよいよ桜のシーズン本番ですね。

いつも早めに満開を迎える京都御苑の糸桜
小雨の薄暗さの中でも目の覚めるような新緑の芝生の上に、枝を左右に広げて咲き誇る姿を人々が囲む様子は、まるで噴水のようにも見えます。
まさに満開とならん姿の奥に、まだ蕾を抱えた枝垂れ桜の大木が控えており、むしろそちらの瀧が落ちるような枝ぶりに惹かれて、根本まで歩み寄ってしまいました。

近衛邸跡の糸桜が見頃を迎えるタイミングで御苑を歩くと、梅林の梅、桃林の桃、出水広場の桜等を同時期に楽しむことができます。
花々に見とれるがままに南下していくうちに、大輪の木蓮や、50m以上は続いているかと思われる雪柳など、時を忘れていつまでも歩けそうでした。

ちなみに、新たな休憩所が御苑内に3カ所新設されるそうで現在工事が進められています。
直接尋ねてみたところ、大きな窓一面から桜の大木を臨める近衛邸跡前の休憩所は、3月31日に開業予定だそうですよ。
間もなくですね!

2022年3月29日 | 観光スポット | 2 Comments »

早咲き、遅咲きの桜を求めて

3月24

yodo
連休中は、毎年一足先に満開を迎える淀の河津桜を目当てに、今年最初のお花見散歩。
駅前にある淀城址のシンボル・水車も華やかな桜に囲まれていました。

幼児と乳児連れでしたが、川沿いに延々と連なる桜の連続に子供達も興奮気味。
所々階段もありますが、ベビーカーを畳まずとも降りられました。

今回はお土産の販売を見かけませんでしたが、小雨上等、持参した食料で乾杯する人もちらほら。
既に葉が出ている木もありますが、花の色が濃いピンク色なので気になりません。
桜だけでなく菜の花や雪柳、水仙にパンジーなどの色とりどりの景色を背景に、飼い犬の撮影に真剣なグループの姿も。

木々が雨を受け止めてくれるせいか、子供にとっては傘も要らないようです。
いつの間にか、透明なビニール傘には可愛らしい桜の花びら模様ができていました。
散策路の一部は枝垂れ桜が続くので、ソメイヨシノの盛りが過ぎた頃から再び立ち寄るのもいいかもしれません。

一方、家で競馬予想に真剣になっていた家人は、その日久々の快挙だったそうです。
京都競馬場からほど近い「淀の桜」パワーが届いたのでしょうか。

2022年3月24日 | 観光スポット | No Comments »

雅な?京の動物園・水族館

3月16

ume
今月は久しぶりに京都市動物園京都水族館へ行きました。

明治36年に開園した日本で2番目の京都市動物園は、園内に琵琶湖疏水を引き込み動物の飼育や噴水等に利用しています。
本州において現役最古という観覧車が回っている場所は、平安末期に建っていた法勝寺の八角九重塔の跡地とされているので、思わず見上げてしまいますね。
園内にはかつて西洞院通りに流れていたという西洞院川に掛けられていた橋の親柱が移築されており、「西洞院」や「魚店通(魚棚通り)」の文字が刻まれています。
そのそばでは、祇園祭の「厄除けちまき」や京菓子、京料理に使われる「チマキザサ」も育てられ、不足からの再生活動に一役買っているようです。

京都水族館は開業10周年を迎え、新展示エリア「クラゲワンダー」では西日本最多と言われる約30種5,000匹のクラゲに出逢えます。
京の町の通り名から名付けられたペンギンたちや、その複雑な人間関係(ペンギン関係?)を詳細にまとめた相関図は必見。
運が良ければ、中央から遠望できる東寺五重塔とイルカのジャンプ、新幹線までもカメラの構図におさめる事ができるイルカスタジアムで知られていますが、スタジアムの天井に京都産の木材が使われていることは後から知りました。

館外に出ると、陽気に誘われ日向ぼっこに繰り出した人達で賑わう芝生の向こうに梅林が見えたので、駅まで花見をしながら帰路につきました。

2022年3月16日 | 観光スポット | No Comments »

京の都と鎌倉幕府

3月8

出世恵比寿神社

出世恵比寿神社

2022年の大河ドラマは鎌倉が主な舞台ですが、京都にも関連する場所はあるのでしょうか。
驚くことに、それは秋の時代祭の時代行列の中にありました。

鎌倉時代を表す「城南流鏑馬列」は、承久3(1221)年5月に、後鳥羽上皇が朝廷権力の回復を図り流鏑馬に託して城南離宮に近畿10余りの国の武士1700名余りを集め、鎌倉幕府執権の北条義時追討の挙兵準備をした一場面とされています。
この影響は宇治川や比叡山にまで飛び火することになります。
この承久の乱の後、鎌倉幕府は京都守護に代えて朝廷を監視する六波羅探題を京都に置き、以降、明治維新まで600年以上に及ぶ武家政権が続く大きな転機となりました。

都落ちの際に焼失した平氏一門の邸宅六波羅第と、その後に鎌倉幕府によって設置された六波羅探題の址を示す石標が六波羅蜜寺の境内に建てられています。
建仁寺の勅使門は六波羅探題北方の門、東福寺の六波羅門は南方の門を移築したものと言われています。
詳しくは「歴史さんぽ」をご参照ください。
(ちなみに、粟田神社境内にある出世恵比寿神は、源九郎義経が牛若丸の幼少時代に奥州下向の際、源家再興の祈願をしたとされています)

承久の乱はおそらくこのドラマのクライマックスかと思われ、ちょうど祭が斎行される10月頃になるのではないかと想像していますが、はてさて、どうでしょうか。

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