e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

終い○○

12月26

simai
毎月各地で行われる縁日も、「しまい大国祭」や「しまい金比羅」等、師走は「終い○○」と呼ばれ、最後は「しまい不動」で締めくくります。
人気の「終い天神」は、全国高校駅伝の影響もあってバスがなかなか来ず、到着するまでに時間がかかってしまいました。
真ん中の参道の両側は、主に食べ物やお正月飾りの屋台が並び、本堂側に向かって左手の参道裏は南天や値引きの松、鉢植え等の花の市、向かって左手の参道裏は陶器市が平野神社に迫る勢いで伸びて伸びています。
お参りの長蛇の列も覚悟していましたが、どちらかと言うと市を巡る前にまずお参りする方が、スムーズに済ませられる気がします。
都合で天神さんに来れなかった身内に「大福梅買ってこよか?」と連絡すると、大喜び。やはり人気なのですね。
花柄のホーローのティーポットや千円ちょっとのアンティークなワンピース等に目移りしながらも、結局買ったのは棒だらや祝い箸におじゃこ、昼ご飯代わりのはし巻きや締めの甘酒にお銚子と、結局食べるものばかりに財布の紐をゆるめてしまっていました。
あれ、もともとは割ってしまった抹茶茶碗の替わりを探しに来たんじゃなかったっけ。
まあいいや、年越し始めの「初弘法」で探すとしよう。

平成版『古都』

12月5

koto 川端康成の名作を松雪泰子さん主演でリメイクした映画「古都」が京都で先行上映され、続いて全国公開が始まりました。
先日取材した北山杉の里・中川をはじめ、京都が誇る美しい情景が広がり、各ロケ地についてなぜその地が選ばれたのかを知ると、より深い考察が楽しめそうです。
しかしながら、平成の世を生きる千重子の生活ぶりは、同じ京都人が観ても「今でもこんな生活をしている京都人がいるのか?」と首を傾げてしまう場面も少なくないかもしれません。ほんの数十年前まで「当たり前」だった光景が、今となっては京都を訪れる人々の「憧れの古き良き日本」になってしまっていて、京都の人間でさえ、古都という幻想を演出しなければならなくなりつつある現実。
そんな違和感こそ、映画の冒頭の映像と相まって、筆者が強く危惧していた現象そのものかもしれません。全く異なる環境で生きるそれぞれの母娘が、同じ葛藤を抱き、それは世代を越えて繰り返されてきました。原作が生まれた頃に観光都市として歩き始めた京都は現在、世界中の人々の視線を集めながら、また新たな模様を紡ごうとしています。

北山杉の里・中川

11月22

sugi 朝の雨ですりガラスの様に曇ったJRバスの窓は、高雄を越えるあたりから赤や朱、黄色に染まり始めました。

紅葉の名所・高雄のある三尾から更に4キロ程山奥へ進んだところに、川端康成が「古都」で描いた北山杉の産地・中川があります。

ガイドツアーでは、地元の方とも触れ合いながら、中川天満宮で樹齢600年の北山杉の母樹に触れ、山間の街並みや非公開寺院の宗蓮寺の裏庭からの絶景を楽しみ、木造倉庫群の中で、丸太磨きの体験もさせてもらいました。

今週末26日は、松雪泰子さん主演でリメイクされる映画「古都」が京都で先行上映されるとあって、そのロケが行なわれた場所も教えて頂きました。

扇の様に真っ赤に広がる紅葉の枝を背景に、すっと天に向かって伸びる白い大台杉、白い霧と赤い霧の様な紅葉の合間にのぞく深い緑は、杉の木が連なって整然と模様を描いています。

こんな景色は、世界最古の造林地と呼ばれる中川の地ならではと言えるでしょう。

まるで健康的な素肌の様な北山丸太。子供の頃から「触るとすべすべして気持ちがいい木」という記憶が強く残っています。

「床の間は、人の視線を自然に集める事で、おもてなしの気持ちや、大切にしているものを表す空間。神の宿る北山杉を床柱として立て、家に床の間を作って欲しい」とのガイドさんの言葉が胸の奥に届きました。

和室でも洋間でも、そんな空間を設ける事は日本人として意味のある事に思います。

ガイドツアー(075-406-2340)は2名からの催行、所要時間は2時間半程なので、午前中は中川や小野郷、午後からは高雄と、それぞれ異なる風情を楽しむ新たな紅葉狩りコースができそうですよ。

ガイドツアーでは、地元の方とも触れ合いながら、中川天満宮で樹齢600年の北山杉の母樹に触れ、山間の街並みや非公開寺院の宗蓮寺の裏庭からの絶景を楽しみ、木造倉庫群の中で、丸太磨きの体験もさせてもらいました。
今週末26日は、松雪泰子さん主演でリメイクされる映画「古都」が京都で先行上映されるとあって、そのロケが行なわれた場所も教えて頂きました。
扇の様に真っ赤に広がる紅葉の枝を背景に、すっと天に向かって伸びる白い大台杉、白い霧と赤い霧の様な紅葉の合間にのぞく深い緑は、杉の木が連なって整然と模様を描いています。
こんな景色は、世界最古の造林地と呼ばれる中川の地ならではと言えるでしょう。
まるで健康的な素肌の様な北山丸太。子供の頃から「触るとすべすべして気持ちがいい木」という記憶が強く残っています。
「床の間は、人の視線を自然に集める事で、おもてなしの気持ちや、大切にしているものを表す空間。神の宿る北山杉を床柱として立て、家に床の間を作って欲しい」とのガイドさんの言葉が胸の奥に届きました。
和室でも洋間でも、そんな空間を設ける事は日本人として意味のある事に思います。
ガイドツアー(075-406-2340)は2名からの催行、所要時間は2時間半程なので、午前中は中川や小野郷、午後からは高雄と、それぞれ異なる風情を楽しむ新たな紅葉狩りコースができそうですよ。

京都の教会と寺院

11月8

kyokai秋の非公開文化財特別拝観」が終了する前に滑り込んで来ました。
絞った目的地は、京都ハリストス正教会瑞泉寺。教会と寺院のハシゴです。
今回は珍しく京都ハリストス正教会という教会建築が紹介され、平日でも黒山の人だかり。漆喰の壁に七宝の十字架など、寺院とはまた違う色遣いの和洋折衷な宗教空間です。
山下りんという日本人最初のイコン(聖像)画家の存在も初めて知りました。
高瀬舟と豊臣秀次に因んだ名前を冠する慈舟山瑞泉寺では、秀次に続いて処刑された女子供達の名前や年齢を記した肖像画や、処刑された順序や配置を記録した生々しい資料が展示され、中でも、辞世の句を当時来ていた小袖で表具した掛け軸には衝撃を受けました。
また、高瀬舟を整備し秀次以下を弔うために瑞泉寺を創設した角倉了以の、実弟が秀次の家臣だったという秘められた史実も新たな発見でした。
前者は布教のため、後者は弔いのために、その時勢に合せて造られた宗教空間です。
いずれも目的は異なりますが、手を合せる対象があり、その周りで静かに輝きをたたえる彫金装飾など、祈りを捧げる人々に対して、どの様な空間が求められてきたのかという共通点も見られた気がしました。

商売人の大邸宅

10月17

rakuto 川端通りの七条~五条間を通ると東側に見える並木は棕櫚でしょうか、その後ろには柏原家住宅(洛東遺芳館)と呼ばれる大邸宅があります。
江戸期には更に広大な敷地を誇り、間取り図には蔵が5つも見られました。
円山応挙や歌川国芳など誰もが知る絵師の墨画や、指先程の雛道具に施された蒔絵など、毎春秋ごとに公開出来る収蔵品がある事を思うと、当然のことかもしれません。
婚礼調度のありとあらゆる小物に入った四つ目結びの家紋に見覚えがあると思ったら、やはり北三井家の娘がここに嫁いでいるとのこと。前回に引き続き、こちらでも三井家に繋がりがありました。
平日だった事もあり他に見学者がいないため、往時の暮らしに想像を巡らせながら、脳内で「豪商の娘ごっこ」もできてしまいます。
どの部屋からも庭が楽しめるよう、蹲などが巧みに配置されるなか、最も視界が開けて美しい庭を眺められる部屋には、大人が両手両足を広げても足りない程に重厚な仏壇が据えられていました。まるでご先祖様達に手入れした庭を楽しんでもらうかのような構図です。
これまでの財はご先祖様がお客と積み重ねてきた信頼の証、婚姻によって結ばれた横の繋がり。特に人の繋がりを大切にする商売人の姿勢が現れた邸宅でした。
すぐ近くにある「お辧當箱(べんとうばこ) 博物館」も内容と建築共に非常に面白いので、あわせてどうぞ。

『祇園祭・犬神人の「武具飾」

7月25

bugu 快晴下で後祭巡行や花傘巡行が行なわれ、祭神も八坂神社へと帰還し、残る祇園祭の行事もあと僅かとなりました。
毎年一度しかない祇園祭で、今年こそ見てみたいと思っていたのが、「武具飾」(16、17日)でした。
1974年まで、祇園祭の神幸祭・還幸祭には中御座の警護役として、弓矢町の町人による武者行列が参列していたといい、当時の甲冑が東山区弓矢町の松原通に面した商店や民家の軒先で展示されているというもの。
そもそも、弓矢町内には、「犬神人(いぬじにん)」と呼ばれ、神社領の清掃や警護、雑役を務めていた人々が近世になって移り住み、ここで神事や魔除けに使われる弓矢や弦走り(つるばしり。※鎧の胴体の正面部分)、僧の帽子などの皮製品を作って行商していたそう。
神輿を警護する犬神人の姿は、「洛中洛外図屏風」(上杉本)にも描かれているとい
うのです。
町会所の「弓箭閣(きゅうせんかく)」にも、多くの鎧兜や武具が蔵出しされ、古地図や武者行列を収めた古い写真に囲まれていました。
これまでにも甲冑の愛好家等から武者行列を復活させないかという声が何度か来ているそうですが、
「もともとは虫干しを兼ねて町内だけでやってたさかい、大ごとになって人がようけ来たら、対応できひん」と、何とも京都人的な発言。
観光イベントとしても大いに魅力的ですが、夏の盛りにこれらの重い武具14領を蔵から出し入れし、一領ずつを10カ所にしかるべき手順で飾るのは、高齢化が進む町内には体力的にも経済的にも負担がかかる事は目に見えています。
江戸時代からの「文化財級」とも言われるその甲冑は、行列を終える度に岐阜から専門の職人がメンテナンスに来るほど、大切に伝えられてきました。
博物館での保存も薦められるものの断り、町内の宝として自分達で守っていきたいという葛藤もみられます。
来年もまた、こうしてひっそりと行なわれるのでしょうか。

京に眠る遺跡パワー

6月28

saiji  京都を何度も訪れている人でも、新幹線の窓から東寺の五重塔が迫って来ると、毎回気分が高揚するといいます。
平安京の時代、羅城門を挟んで東寺と対称に位置していた西寺があり、空海が真言密教の道場として発展させ、今や世界遺産となった東寺に対して、守敏が鎮護国家の官寺として発展した西寺は、度重なる火災と国政の衰微を経て廃れてしまいました。
その跡地に降り立ってみると、予想通り、西寺跡石碑や復元整備された礎石や案内板のみとなっており、芝生の小さな丘の上で野球に興じる少年達が歓声を響かせていました。
平安京に関する書物を読み、存分に想像力を働かせてこそ楽しめるのは言うまでもありませんが、西寺の台所であった大炊殿跡に中華料理屋が建っているのがご愛嬌。この前身のお店も料理屋さんだったそう。
西寺児童公園の北側にある鎌達稲荷神社は、伏見稲荷大社よりも歴史が深く「元稲荷」とも呼ばれ、平安期の陰陽師・安倍晴明の子孫である安倍家、土御門家の鎮守社なのだそうです。ここのサムハラ呪符は奇蹟を生むお守りなのだとか。
ちなみに、2013年には京都府八幡市美濃山の「美濃山瓦窯跡群」で、西寺跡周辺で発見された瓦と同じ「西寺」の押印がある瓦が1点出土したというニュースもありました。
現存する木造塔として最高の東寺の五重塔。同規模だったとされる西寺にも立派な塔が建っていた可能性も考えられます。
いつの世も、あらゆる国で、そびえ立つ塔は人の心を惹きつけてやみません。
国の災いを引き受け、姿形は失われてもなお、人の足を運ばせてしまう遺構の数々
京の土の下からはまだ、何らかのパワーが秘められているのでしょうね。

吉田山大茶会

5月31

kan 先週末の京都は茶会ラッシュだったようで、大徳寺のあちこちの塔頭では利休忌に因んだ月釜が、神護寺でも「神護寺茶会」という催しが行なわれたようです。そんな中で、吉田山大茶会に初めて行って来ました
吉田神社境内で、様々な団体や店舗が銘々の趣向で茶会やお茶の販売をしており、京都の宇治茶はもとより、静岡の天竜茶や、台湾茶など、300種類以上のお茶が集結して賑わいをみせていました。
軽食もあり、テイクアウトの中国茶のミルクティーや冷たいライチ紅茶で喉を潤しながら、茶器を買ったり、韓国茶道の茶席にも参列したりと、ここでは朝から夕方までティータイムです。
軽トラックの荷台に畳を敷き、売茶翁さながらにお茶をふるまうところや、急須と合体させた湯呑みなどの、独創的な試みにも触れてみたり。
毎年参加されているというお茶好きな方からのアドバイスは、「早めに会場入りして、まずは予約を入れること。人気の茶席はすぐに完売してしまう」だそうです。
今回も38ものブースが出典しており、会場には全体マップが一か所でしか掲示されていなかったので、行きたいお店を探すのに少々時間がかかりました。
事前に出展者リストをプリントアウトして、行きたいところをチェックしてから効率よく巡るのがおすすめです。来年のご参考に。

京都薪能プレ公演

5月3

higasi 大型連休はいかがおすごしでしょうか。
平安神宮で行なわれる京都薪能まで一カ月を切り、そのプレ公演として5日には京都文化博物館の別館で、21日には岡崎公園(旧神宮道)にて、ダイジェスト版の能や狂言が無料で行なわれます。
先月は、京都を拠点とする金剛流の定期能が、特別に東本願寺の能舞台で開かれました。
白書院に面した能舞台のそばでは新緑がゆらぎ、謡の合間に鳥の囀りも聞こえてくるような開放的な空間でも、演者の鍛えられた声はよく通ります。
英語の解説を手にしていても難しいのでは、と気になっていた隣のポルトガル人カップルも、狂言では周りと同じようにくすくすと肩を揺らせていたので安心しました。
8名程の装束姿のちびっこ達も舞台に並び、それだけで花見の風情を想像させるという珍しい計らいも。
もともとは神々に奉納するため、お能や狂言は主に外で演じられてきました。
暮れゆく空の下、炎を揺らす風を感じながら、昼と夜の狭間のひとときに身を置いてみてはいかがでしょうか。

神様のゴールデンウィーク

4月25

iwami 伏見稲荷大社の稲荷大神は、一足先にゴールデンウィークに入っておられます。
先日の神幸祭で神輿に乗って本社を出発し、東寺近く(JR京都駅南西方)にある文字通り「御旅所」にて3日還幸祭までバカンス中なのです。
ご鎮座されている間、氏子達は様々な芸能を奉納してもてなします。
先週末に行なわれた石見神楽もそのうちの一つ。  動画はこちら
こちらでは島根県浜田市由来の石見神楽の短縮版とも言える内容で、須佐之男命(すさのおのみこと)が大蛇を退治する場面で、程良い尺度で楽しむ事ができました。
大蛇は、獅子舞を長~い蛇腹にしたような形をしていて、とぐろを巻いたり串団子のようになったり、酒を樽ごと豪快に取り込んで飲み干し酔い潰れたりと、まるで台風の様に形状を変えて観客を楽しませます。 動画はこちら
聞こえてくるリズミカルなお囃子に誘われて、裏手に住む近所の子供達も窓際で小躍り。
境内には幾つかの屋台からいい匂いが漂い、29日の夜にもマジックや六斎踊りが披露さます。
また、3日の環幸祭(おかえり)では、五基の神輿が数々のの供奉列奉賛列を従えて東寺にて僧侶による「神供」を受け、約2時間氏子区域を巡行した後に伏見稲荷大社の本殿へと還られます。

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