e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

月あかり 梅あかり

3月8

kitano 日増しに陽が長くなってきました。
まだ沈まない太陽が、空を昼から夜へと美しいグラデーションを描く薄明の時間が好きです。

見頃を迎えた北野天満宮の梅苑は、19日までの週末にライトアップが行われています。
夜間は昨年整備された「花の庭」のみの公開ですが、昼間よりは比較的人が少ないかもしれません。

お馴染みの梅こぶ茶が頂ける茶店の前に庭が広がっているので、こぼれ落ちそうなしだれ梅もゆっくり腰掛けて眺められます。
まだ白木の特設舞台に上がれば、赤、白、ピンク色の梅であふれた苑内を一望することもできます。
片側がスロープになっているので、階段が登れない人でも上がれるのではないでしょうか。

本殿の裏は更に人もまばらで、闇に溶け込む紅白の梅はもちろんですが、こちらのエリアでは社殿とやわらかな灯りの優美さの方に軍配が上がりました。

とにかく「映える」景色が撮れること間違いなし!
屋台はほぼ出ていなかったので、お食事は拝観前後に済まされることをおすすめします。

向かい風に跳ぶ

1月25

hikou 石清水八幡宮をお参りした後、ケーブルを下車してから徒歩4分ほどで、航空安全と航空事業の発展を願う飛行神社という、ユニークな神社に辿り着きます。
ギリシャ神殿のような拝殿の蒼いステンドグラスにはトビウオが羽ばたき、現在放送中の朝ドラでは、主人公が航空の専門学校を受験する際にこちらの合格守りが登場しました。

大正4年に自邸内に私財を投じて創建したのが、飛行原理を発見し「カラス型飛行器」で飛行に成功した二宮忠八氏。
人の乗れる「玉虫型飛行器」を考案するも日清戦争勃発のため出兵、軍での飛行実験も却下されてしまいました。
資金を集めながら自力で研究を進めるも、明治36年にアメリカのライト兄弟が飛行機を完成し飛行に成功した事を知り、忠八は無念の涙を流しハンマーで製作中の飛行器を壊したといいます。

時勢と国の支援不足によって大きな契機を失う。
我が国が何度も直面してきたはずの問題です。

一方、資料館前には、操縦桿を操作しながら空の走行を楽しめるシュミレーターゲーム機が。
おそらく玄人向きゲームなのでどう操作していいのか分からず何度も海へドボン。
館内はおびただしい数の飛行機やロケット、ドローンの模型や、その関連の品が待機中です。
戦時中の痛ましい記憶も例外ではありません。

飛行機があしらわれたお守りは我が子へ。
海外にルーツのあるおともだちの分も受けました。

奇しくも海外で飛行機事故が報じられた時候。
今後おともだちが祖父母に会うため空を渡るときにも、守ってくださいますように。

石清水八幡宮の小正月

1月18

8man 先日は小正月だったので、家の松飾りを外して石清水八幡宮へ納めに行くことにしました。
いつもなら氏神さんに持って行くところですが、今回は石清水八幡宮参道ケーブルに乗ることも目的の一つ。
狙い通り子供達は大喜び。太いワイヤーでゆっくりと山の傾斜を登る様を大きな窓から観るため、行き交う車両のどちらの車掌台周りもたくさんのちびっこでいっぱい。

下車後もしばらく山中を歩いたので、境内の茶店で虫養いしてからお詣り。
参拝者が携える八幡御神矢の白羽が清々しく、再びお正月気分が高揚します。
ご祈祷の度に、神楽を舞う巫女さんはくるくるくるくると忙しく回転中。お疲れさまでございます。
本殿前にも巨大な御神矢がそびえ立つのが恒例の光景、お神酒の樽群の中にはウイスキー樽も。

国宝の社殿なども見どころなのですが、境内に点在する楠木正成の楠といった大木の幹や根の荒々しい造形に心惹かれました。
注連縄が貼られた樹の肌に手をそっと手を当てていると、あちこちの樹皮の隙間に硬貨が挟まっているのに気が付きました。
参拝者が願いを込めての行為なのかもしれませんが、ご神木を人間に例えて見てみたら、なんとも痛々しい気持ちにならないでしょうか。

最後はお善哉を食べて身体を温め、厄除けの念押しとしました。
1月29日には鬼やらい神事、2月1日には湯立神事も行われます。

うさぎの宇治で年明け

12月28

manpuku 萬福寺にて『黄檗ランタンフェスティバル』が2023年の1月末まで開催されています。
訪れた時は平日の晩だったので、境内も駐車場もとても空いていました。
小籠包や綿菓子などの軽食やキラキラ小物を販売する屋台と即席の座席、日本の縁日とはひと味違うちょい派手な遊具もご愛敬。

中国風のBGMと赤、黄、紫…のカラフルなランタンに溢れた境内を回遊していると、時折色の無い光と闇だけで浮かび上がる伽藍を抜ける瞬間もあり、本来の禅宗寺院としての厳かさが際立ちます。

昼間訪れた人は「中華街みたいだった」そうですよ。
年が明けて華やかな新春風情を楽しむのもいいかもしれませんね。(動画はこちら)

さて、年末の大河ドラマ最終回で承久の乱の地の一つとして記憶に新しい「宇治」。
宇治神社には、祭神「菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)」が河内の国からこの地に向かう道中を一羽の兎が振り返りながら導いたという故事にちなんでうさぎをモチーフにした授与品があります。
世界遺産宇治上神社にも「うさぎおみくじ」があるのだとか。

朝は卯年のお参り、昼は宇治茶を楽しみ、夜は萬福寺でそぞろ歩きと、そんな新年のスタートを宇治でを切るのはいかがでしょうか。

出張撮影カメラマンチーム

11月30

amico ぼちぼち観光地でも外国人の方がカメラマンと共に記念撮影をする姿が再び見られるようになってきました。
四季がある日本では紅葉の美しい場所は各地にありますが、それでも京都を撮影地に選ぶのは、背景に映える歴史的・文化的建造物があることが大きいかもしれません。

実は、先日の七五三には後日談があります。
ネットのスキルシェアサービス経由で依頼をしていた出張カメラマンが当月になって手違いで来れなくなってしまい、困り果てていたところを知人から口コミ情報をもらいました。
amico」という関西の出張撮影カメラマンのチームです。
ダメもとで公式LINEに問い合わせしてみるとすぐに返信があり、こちらが急を要していたためやり取りは深夜に及びましたが話はサクサクと進み、繁忙期にも関わらずなんと翌日には奇跡的に出張カメラマンを手配する事ができました。

料金は1時間で2万円(必要に応じて要交通費・データ郵送費)で、目つぶりやミスショット等を除き、明るさ等を調整の上で100枚以上を約1~2週間以内に納品(ギガファイル便での納品は無料)、事前ヒアリングで希望のショットも相談できました。
(※前回のコラムで使用した画像は素人撮影のものです)

余分なオプションの無いシンプルな内容と、自前の衣裳で臨場感ある光景を残したかった我が家にとってはありがたいサービスでした。

もちろん、フォトスタジオを利用して思い切り変身を楽しむのもいい思い出だと思います。
写真館で襟を正して撮影した家族写真も、毎年年賀状で見る度にその家族の変化を知る事ができていいものです。
今回は、こんなサービスもあるよ、というお話です。

七五三、衣裳にこだわってみた。

11月23

753 11月15日の「七五三の日」は、「きものの日」にも制定されています。
私事ですが、先日子供達の七五三をお祝いしました。

娘の着物は、かつて赤ん坊だった私のお宮参りのために祖母が仕立てておいてくれたものに、母が「荒川 さんび」の被布を合わせてくれました。
昨年は姪が着て七五三詣り、今回はうちの娘、そして数年後にはもう一人の姪が袖を通す事になるでしょう。

それに見合うよう、息子の衣裳にはこだわりたいと思い、京都らしさのある貸衣裳を探していました。
甥が着ていた兜の柄がはんなりと上品だった事を思い出し尋ねると、二条城の近くで40年続く「お衣裳さわらぎ」のものとのこと。
そこで当時まだ製作中だったある羽織に一目惚れ。
着物としては着れなくなった古い着物を裁断しパッチワークのように繋いで、京都の職人の手で染められた正絹の古生地の反物に貼り合わせて蘇らせたという一点ものでした。

七五三の祝い方は人それぞれ。
賑わう有名神社や写真館で家族撮影をする人もいれば、公園に行く時の様にリュックを背負いシンプルに氏神さんに手を合わせたという兄弟もおられます。
蝶ネクタイの小さな男の子が、社殿の前ではにかみながら両手でピースサインをする姿もとっても可愛らしい。
その場に居合わせた人々の表情もほころびますね。

今回、写真館等のセットプランではなく、カメラマンもお食事もそれぞれ個別に手配したので、それなりの費用がかかりましたが、両祖父母達も含めて顔を合わせる機会はなかなか無いもの。成長した子供達が結婚式を挙げる頃にはもっと高齢になっている事を思うと、手間暇をかけた価値があったかな、と思っています。

ちなみに、京都府外でも、着物一式のみでもレンタルは可能(返送費用は自己負担)のようです。
レンタルするなら、京都の衣裳でしたい!という方はいかがでしょうか。

本番前の時代祭

10月25

anzai
時代祭の時代行列は例年正午に御所の建礼門前より進発しますが、今年こそは出発前の様子を見てみたいと思い、朝の平安神宮へ。
8時より2基の鳳輦に御霊代を遷す神幸祭が行われており、既にそこそこの人だかりができていました。
本番だと静々と進む御鳳輦がなんとも京都的ですが、應天門を多人数で担がれながらそろそろと潜り抜け、台座にやっとこさ仮座される際は珍しく「わっしょい」な風情でした。
9時になると、これという合図は無いものの、神幸列が平安神宮の大鳥居に向けて進行を始め、演奏しながら歩く雅楽隊や幟を持つ人々、歴史人物たちはそれぞれのルートで京都御苑を目指していきました。
付近からシェアサイクルに乗って京都御所・建礼門前の行在所へ。
京都料理組合による神饌物の奉献、白川女による献花、関係者が榊を納めたり、維新勤王隊列が京都御苑を出発する前と、平安神宮に到着した時だけ演奏するという「朱雀行進曲」も。
少し離れたところで待機していた徳川城使上洛列の奴(やっこ)たちは、待機場所から行在所へ向かう際にも独特の掛け声を出していたので、次回は御苑での裏舞台の様子も観てみたい!

ところで、神社で風が吹いたり、蝶々が飛んでいるのを見かけたりすると、「神様が喜んでいる。歓迎してくれている」という話を聞いた事があるのですが、ちょうど行在所祭の最中に、2匹の黄色い蝶々が目の前を横切って行ったのです。
時代祭は平安京の最初と最後の天皇を祭神として、その二柱の神々に現在の京都の様子を見てもらうためのお祭。
3年ぶりに斎行された時代行列を、お二方が喜んでおられたのでしょうか。

2022年の時代祭関連動画はこちら

巡行と神輿の後のお楽しみ

8月2

iwai
祇園祭も後祭山鉾巡行、神輿渡御という佳境を越えて、毎年寂しさを感じていた人達に朗報です。

7月28日の神輿洗の直後から、「祝い提灯行列」という行事がこれから毎年行われるそうです。
祇園町にゆかりのあるお店等の有志が、銘々に提灯をこしらえ八坂神社の神輿を迎える神賑わいとして、界隈を練り歩くというもの。

この提灯行列は江戸中期の「花洛細見図」や「祇園御霊会細記」にもその様子が描かれているそうで、5年程前から本格的に盛り上がってきたようで、京都人でもまだ余り知る人の少ない行事です。

いもぼうの海老芋や巨大なおこぼ、吉本新喜劇のマークなど、祇園の人達の洒落がきいた38基もの提灯が、山鉾行事とはまた違ったユルさで楽しい。
「この提灯、なんで野球の球なんですか?」「店主の趣味らしいです」「この双子の赤ちゃんは?」「おくるみです…(←おめでたいイメージ?)」と歩きながら思わず尋ねてしまいました。
途中、「広東御料理 竹香」前で御接待を受け、行列はしばし休憩。鷹山の関係者も何名か参加されていたようで、みんな本当にお祭好きですね!!

先頭を歩く祇園篠笛倶楽部の笛の音は、一本の糸のように揃っていて美しく、八坂神社を出発したときのはつらつとした曲調から、夜の帳が降りてきた白川筋を通るときには穏やかな音色に変わり、夕涼み散歩のように、一緒に歩いて楽しませてもらいました。

今年は短縮ルートでしたが、例年は19時頃から2時間かけて祇園町の南北と細かく練り歩かれます(※雨天中止)。
現在のところは公式サイトが無いそうなので、こちらのサイトを来年のご参考に。
来年は7月10日と28日の両方で観る事ができるといいですね!

関連動画は随時こちらに追加していきますね。

それぞれの祈りの祭典

7月27

kuji3年ぶりに行われた祇園祭の後祭山鉾巡行
先立つ20日の曳き初めでは、東西の通りにある鷹山と、南北の通りに建つ北観音山が、三条新町にて大接近し、お互いの囃子方と車方が思わず挨拶を交わすという微笑ましいハプニングもあったそうです。
巡行本番では、鉾町を出発した鷹山が、御池通りに出るまでに、電線ぎりぎりのところで最初の辻回しをするシーンでは、町内の床屋さんが、大量のお水の提供をしていました。
2014年に大船鉾が復帰を果たしたときに沿道から聞こえたように、進む鷹山に向かって「お帰りなさーい!」と大声で叫びたかったです。

2022年の祇園祭は、前祭は連休、後祭は鷹山の復興という大きな話題もあって、
この日を待ちわびた多くの人が祭に繰り出しました。

しかしながら、引いては押し寄せる疫禍の中です。
知人達の中には、自身やご家族の体調を考慮して、参加が叶わず断念した人もいました。
また、外出を控え自宅の中で祇園祭のしつらいを楽しむと決めた人もいました。
それもまた、ひとつの賢明なご判断だと思います。

漆がまだ塗られていない白木の香りや
脳天に響く鉦の音までは再現できませんが、
こちらの動画で鷹山への搭乗を体験してみてください。

変化する祭の楽しみ方

7月20

kuji
祇園祭の前祭巡行当日。始発に乗り早朝に現地入りすると、中京区に住むマニアな友人達はもう座り込んで周囲の人々とお喋りしていました。
片側の女性は奈良から、反対側の人は東京から。
インターネットで観覧に良い場所を探し、三連休だから思い切って朝から来られたそうです。

巡行に先立ち、祇園祭の追っかけをしている同志達で作るグループLINEに、友人が招待してくれました。
メンバー数なんと30人越え。

ある人は四条河原町や新町御池等で辻廻しの瞬間を捉えるため、またある人は四条通麩屋町にて行われるしめ縄切りに向けて、あるいは四条烏丸で長刀鉾のお稚児さんが剛力に担がれ鉾に上がる様を見届けようと、思い思いの場所で待機しLINEで報告し合います。
巡行が進んで行くと、いわゆる「追っかけ組」はまた別の撮影スポットへと駆け足で移動するので、有料観覧席は専ら観光客がメインでゆっくりと最後まで全ての山鉾を詳細に見届ける場所、という位置づけかもしれません。

「〇〇を船鉾が通過しました」
「××前で棒振り」
「新町通りを菊水鉾が来てから、他の山鉾がなかなか来ません」

画像も交えながら逐一報告し合うので、自分から離れた場所の山鉾の進行状況も把握できて便利!
以前は当たり前だった、山鉾マップを印刷したプラスチック製のうちわも環境への配慮から配布されなくなり、マイナーだった行事もネットやスマートフォンの普及で知るところとなり、祇園祭の楽しみ方も時代を追って変わってきた事を実感しました。
今日も、後祭の山鉾建ての様子を画像で伝える通知で携帯電話が鳴り続けています。

前祭くじ改めその他の動画はこちら(随時追加していきます)

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