「生きた遺産」として守る道
祇園甲部歌舞練場に隣接した国の登録有形文化財の弥栄会館が26年春、「帝国ホテル 京都」として開業します。
「劇場建築の名手」と呼ばれた大林組の木村得三郎が手がけた弥栄会館は、90年近くの年月を経て建物の老朽化や耐震性の問題から劇場を含む大部分が使用されなくなっており、公的な補助だけでは維持が成り立たない状況だったといいます。
更地にして建て直すのは簡単ですが、景観継承の観点から南と西の外壁・躯体を残して改修・増築をし、「リビングヘリテージ(生きた遺産)」として新ホテルに生まれ変わるという、これまでにない挑戦が始まりました。
弥栄会館を囲う養生のすぐ外側には芸舞妓が夜遅くまで働くお茶屋、朝は眠る生活の場としての置屋があります。
方々のお茶屋を事前に訪ね回り、早朝の花見小路を100台ものダンプトラックがそろそろと徐行しながら現場に入りました。
屋上の社は八坂神社の修繕をする宮大工が行い、劣化した銅板屋根は銅板で忠実に再現、時間経過とともに工事前の屋根色になることを想定しています。
5ヶ月かけて約2万枚生け取りしたタイルは、裏のモルタルを剥がし表面を磨く等、一枚20~30分程かけて再利用。
建物の内側から解体作業を進めるため、土砂を2階部分まで積み上げてかさ上げし、重機一台で複雑な鉄筋を残しながら慎重に壁を剥がしていきました。
昨年『解体キングダム』というテレビ番組で弥栄会館の解体現場を紹介していましたが、それによると、弥栄会館の壁面を装飾していた宝相華がモチーフの「テラコッタタイル」という陶板は、旧帝国ホテルに使用されていたものと同じ常滑の工房で焼かれた可能性が高いという事が判明しました。
歌舞練場の耐震補強工事も同時進行される中、工事の責任者は安全祈願のために毎月八坂神社に出向いて手を合わせ、現在の進捗状況は約7割といい、予定通りとか。
「外側からでは進んでんのか分からへん」くらいの目立たなさで進むのが工事作業の理想だといいます。
開業までに花見小路を通りかかったら、400年の花街・祇園の人々と協力して守られる祇園のシンボルを、外から見上げてみたいと思います。
(画像:帝国ホテル京都(本棟)外観イメージ。※右側の建物は歌舞練場玄関部分。提供:帝国ホテル)