集い、分かち合う喜び
1月6
年始に集まった親族同士で行き交う「お年賀」。
遠方から来た人達には、京都ゆかりのものを贈りたいと、二條駿河屋の進物用の松露を。
粒あんをくるんだ白い糖蜜がジューシーな食感の乳白色の松露が行儀よく並び、その上に散らされた干菓子が季節の彩を添えています。
大福茶のお供に、実家で頂きました。
自宅に帰り、実家からのお年賀だった長久堂の「栗蒸羊羹 山の幸」の竹皮を解きます。
もっちりとした羊羹に包まれた、甘すぎず歯応えを残した栗の甘煮。
家族分に切り分けると、その鮮やかな黄色と摺りガラスのような餡に思わず「断面萌え」。
いずれもお茶によく合い、家族や親族でわいわいと分け合って楽しめる銘菓です。
同じく人から人へと巡るのが「お年玉」。
年神様の「御魂」(みたま)が宿った餅玉を、家長が家族に「御年魂」として分け与えたものが始まりとされています。
大きい子が小さい子の面倒を見たり、大人と子供が一緒にカードゲームをしたり、
自分がお茶をお代わりする時は、他の人の分も注ぐ。
お年寄りが歩くときには誰かが手を取り、座る時には座椅子を運んで来る。
幼い子がいること、老いた人がいること、みんなで同じ時間を共有するための段取り。
それらを自然と学ぶ場になっているような気がします。
お年玉もお年賀も準備をするのは手間のかかることだけれども、老いも若きも集い、同じものと時間を分け合うことの意味を年々感じるお正月です。