「大原雑魚寝」の発祥地
大原から静原へと出る江文峠への道のりの傍らに、江文神社というお社がひっそりと鎮座しています。
この社を知ったのは「大原雑魚寝」という季語の由来の地だからでした。
「大原雑魚寝」とは、その昔大蛇に喰われるのを恐れた村中の男女が一つに集まって隠れたことから、節分の夜に産土神の江文神社に参籠し、一夜を過ごしたという風習です。
老若男女が同じ屋根の下、暗闇の中で雑魚寝するという環境ゆえ、その夜は情事があっても見逃されたとも言われており、その様子を面白可笑しく、おそらく誇張も交えて描いた様子が井原西鶴の『好色一代男』に登場します。
この季語は様々な俳句にも艶めいた風情で用いられています。
ピンクな光景の名残りはあるのかと想像していましたが、本殿前の舞殿は比較的新しいもので、防犯のため侵入できないように養生してありました。
88歳を迎えた地域のお年寄り達が奉納したという升と升掻が壁や屋根裏にかろうじて見え、これらは全国でも余り見ない珍しいものだそうです。
「雑魚寝」という言葉は、偶然にも先日の宇治の縣祭でも耳にしました。
本町通りには背の低い民家が軒を連ね、祭のために遠方から訪れた人々の簡易宿泊所となっていたそうです。
神様が通る間は一切の光も許されない、徹底した闇。酔った見物者たちが暗闇の中で横になる。確かに何かあってもおかしくない。
日本には五穀豊穣や子授けを願う「奇祭」があり、グロテスクな程にリアルな「男性そのもの」のご神体が若衆に担がれたりします。
飛躍しますが、祇園祭の「暴れ観音」も「男の神様と女の神様が出逢うから、悪さしないように」と楊柳観音像をぐるぐる巻きにして担がれると耳にした事があります。
縣祭のあとの白い幣帛は「子授け」等のお守りとして配られ、祇園さんの鉾町では布を被せられ紐で拘束された観音さま…地方の奇祭と比べてオブラートに包まれているかの様に思えるのは京都という土地柄でしょうか。
雑魚寝の風習は神社由来のものではなく、その神様の力にあやかる人々の間で自然発生的に生まれた民間信仰から派生したものなのでしょう。
現代ではもうその風習はありませんが、跡継ぎに恵まれる事が現代よりもずっと切実だった時代の、日本各地の山里における合同お見合いのような、婚姻制度の原初的形態とする見方もあるようです。
静謐なお社でしたが、背後の山の向うにはクライミングスポットがあるそうで、その様な出で立ちの人やトレッキングの人等のお参りが絶えない様子でした。
9月1日には八朔祭が行われるそうです。