西洋と東洋の感性
9月26
久しぶりに金剛能楽堂で能を観てきました。
能を鑑賞していると、つくづく日本人の感性を不思議に思います。
暗転する事なく明るいままで舞台装置が運ばれ、一行で済むような状況を長い節回しで延々と語り続ける。何者かよく分からない人物が現れ、物語の状況を解説する。
舞踏劇一つ取っても、西洋では声や動作が外側や天の方に向かって発せられるのに対し、東洋は内側に凝縮するように下へ下へ、または地を這うように平行に向かっていきます。
型にはまった最小限の動きの組み合わせで喜怒哀楽を表現し、演目の合間をひょうきんな空気で和ませる狂言でさえ、基本は摺り足です。
研鑽を積んで習得した様を表す「板につく」という言葉はそこに由来していると、聞いた事があります。
毎度のごとく、鑑賞中に何度か意識を失い、目を開けたまま寝ていた事に気付いて思わず姿勢を正してしまうのですが、それでも機会があれば観てしまう。
今回は特に尺の長い演目だったので、外に出る頃にはすっかり陽が落ち、向かいの京都御苑の木々の間から満月が望めました。
これもまた、雲一つない澄んだ夜空に神々しく光り輝くというよりは、黒い枝に覆われるように怪しく光る朧な月。能を観たあとは、やっぱりこんな月夜が気分です。