京都は寒天の発祥地
12月4
下鴨神社の南端、御蔭通りを東に入って行ったところの住宅前に、「明治天皇御駐輦所寒天製造場阯」という小さな石碑が建っています。
「京都に寒天工場?しかも明治天皇が立ち寄られる程の?」と常々不思議に思っていました。
調べてみると、意外にも寒天の発祥地は京都なのだそうです。江戸中期、参勤交代中の薩摩藩主・島津公が宿泊した伏見の宿「美濃屋」の主人・太郎左衛門が、余ったところてんを外に捨て置いたところ、寒さで凍り日中は解凍され、自然乾燥状態になりました。これを目の当たりにした太郎左衛門が寒天の製法を編み出したのだとか。
それが後に萬福寺の隠元禅師が「寒晒しのところてん=寒天」と名付けたそうです。
後に寒天は日本にとって重要な輸出品となったため、上下賀茂神社に行幸した明治天皇が、その帰りに近くの寒天工場を視察されたというのも頷けます。
温暖化の進んだ現在の京都においては、寒天作りの風景を想像するのは難しいですが、交通の要衝であった出町柳に程近い立地にあったのも、きっと工場を構えるのに都合が良かったのでしょう。
京の町のあちこちにある歌碑や石碑。あまりにも景色に馴染み過ぎて地味な存在ですが、ガイドブックには載っていないような隙間エピソードが秘められていることも。今後も注視していきたいと思います。