無鄰庵、平安神宮神苑等を手がけた明治を代表する作庭家・七代目小川治兵衞。数年前よりクローズアップされ、その名を知る人は多いでしょう。そんな彼に大きな影響を与えた人物がいました。
もと薩摩藩士・後に実業家となった伊集院兼常です。
一之船入町に屋敷(現・廣誠院)を構えた兼常は建築や庭園にも造詣が深く、その庭園内に高瀬川の水を引き込みました。まさに、疎水から取水した、植治による南禅寺界隈の別荘庭園群の先駆けとも言えるでしょう。
彼は2年後に南禅寺付近に対龍山荘を建て、ここの庭園は後に七代目小川治兵衞によって改修されています。