e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

宇治で晩ごはん

6月29

afuhi 先日宇治を訪れた際に感じたのは、「いつの間にか、新しいお店がどんどんできている!」。
寺社が閉まる夕方になると、宇治橋商店街は軒並み暖簾を降ろし、昼間は抹茶ソフトクリームを片手にそぞろ歩きをしていた人達の姿もなくひっそりとしています。

夕食を採る場所を求めて歩いていると、「大阪屋マーケット」という横丁の風情の市場があり、どうやら多くの人がここに吸い込まれていったようです。
立て看板を見ると「SINCE 1962」とあり、「そんな前からあったの?」と自分達もついついその中へ。
10以上の店舗が入っており、営業日も様々。
ちょい呑みできる居酒屋の熱気もあれば、反対側には落ち着いたテーブル席のレストランもあり、駄菓子屋や整体医院まで入っています。
本格ナポリピッツァに強く惹かれたのですが友人の好みに合わず、次回は必ず行くと心中でキメて、市場を後にしてまたうろうろ。

薬膳料理 茉莉花」も残念ながら定休日という事で、行き着いたのが「afuhi uji」。
はるばる宇治へやってきた大原の野菜をふんだんに使った、おじや風リゾットとパスタのお店です。
町家のおざぶに歩き疲れたお尻をやすませて、豆タイル貼りのおくどさんにどっさりと置かれた野菜を眺めながら待ちます。
「大原野菜プレート」はまさに自分好みで、花束の様に鮮やかな多種多様な野菜が盛られ、オリーブオイルやミネラル豊富な塩、バーニャカウダソースを付けて歯応えを楽しみながら頂きます。
久しぶりにこんなご馳走サラダが食べたかったのです。
「茶粥風」のおじやんリゾットも、使われるお茶を緑茶か抹茶か選べるのは宇治ならでは。
塩加減もちょうど良く、鯛とも相性がよく、家でも真似して作ってみたくなりました。

平等院やお茶屋だけを巡って帰ってしまうのは勿体ない。
間もなく鵜飼も始まるので、夜も歩きやすくなるでしょう。
夕暮れの宇治川を歩いた後は、夜のお食事も楽しんでみてくださいね。

75歳に何を思う

6月22

tuji陶芸家 辻村史朗」展の最終日に滑り込みで行って来ました。

特に茶の湯に係わる人の中で著名な陶芸家である事は知っていたし、白釉の茶碗を「きれいだな」と眺めた事もありましたが、その人となりを知ったのは初めてのことでした。
冒頭に「作品は作家自身の内面の人間性と共に評価される」といった趣旨のコメントにあった通りの展覧会でした。

洋画家を志す道半ばで自己を追求したいという思いが募って禅門を叩く。
京都では大原を最初の創作活動の拠点として京都市美術館の前や道端で作品を売ったりしていたそうです。
名も無き大井戸茶碗に感動し、師匠を持たず独学で作陶の道に進み、妻と共に人里離れた山間の奈良県水間町に自宅兼アトリエを一から作り上げて創作に没頭する。
常に「今」の自分の心の声に素直に耳を傾け、その声に従って自らを真っ直ぐに導く「あるがまま」のシンプルな生き様。
多くの人が憧れと親しみを持っているのが、おもてなしにも使われた自宅の食器からも伝わってきます。

奇しくも父の日。同行した父親は70歳ですが、辻村氏が75歳を迎え、創作の対象を茶碗のみに絞って創り続けているというところが心に留まったようです。
父の兄が75歳で職場の第一線から退き、若い頃程には自由の利かなくなったその後ろ姿を見ているので、75という年齢はこれまで持っていたものを削ぎ落し、本当にやりたい事に向かって行こうという気持ちが沸き起こってくるものなのだろうかと話していました。

当展覧会に引き続き、祇園のギャラリー「ZENBI-鍵善良房-」では「辻村史朗-茶盌 TSUJIMURA SHIRO 100 WORKS」展が開催中です。

2022年6月22日 | 芸能・アート | No Comments »

「大原雑魚寝」の発祥地

6月15

ebumi
大原から静原へと出る江文峠への道のりの傍らに、江文神社というお社がひっそりと鎮座しています。
この社を知ったのは「大原雑魚寝」という季語の由来の地だからでした。
「大原雑魚寝」とは、その昔大蛇に喰われるのを恐れた村中の男女が一つに集まって隠れたことから、節分の夜に産土神の江文神社に参籠し、一夜を過ごしたという風習です。
老若男女が同じ屋根の下、暗闇の中で雑魚寝するという環境ゆえ、その夜は情事があっても見逃されたとも言われており、その様子を面白可笑しく、おそらく誇張も交えて描いた様子が井原西鶴の『好色一代男』に登場します。
この季語は様々な俳句にも艶めいた風情で用いられています。

ピンクな光景の名残りはあるのかと想像していましたが、本殿前の舞殿は比較的新しいもので、防犯のため侵入できないように養生してありました。
88歳を迎えた地域のお年寄り達が奉納したという升と升掻が壁や屋根裏にかろうじて見え、これらは全国でも余り見ない珍しいものだそうです。

「雑魚寝」という言葉は、偶然にも先日の宇治の縣祭でも耳にしました。
本町通りには背の低い民家が軒を連ね、祭のために遠方から訪れた人々の簡易宿泊所となっていたそうです。
神様が通る間は一切の光も許されない、徹底した闇。酔った見物者たちが暗闇の中で横になる。確かに何かあってもおかしくない。

日本には五穀豊穣や子授けを願う「奇祭」があり、グロテスクな程にリアルな「男性そのもの」のご神体が若衆に担がれたりします。
飛躍しますが、祇園祭の「暴れ観音」も「男の神様と女の神様が出逢うから、悪さしないように」と楊柳観音像をぐるぐる巻きにして担がれると耳にした事があります。
縣祭のあとの白い幣帛は「子授け」等のお守りとして配られ、祇園さんの鉾町では布を被せられ紐で拘束された観音さま…地方の奇祭と比べてオブラートに包まれているかの様に思えるのは京都という土地柄でしょうか。

雑魚寝の風習は神社由来のものではなく、その神様の力にあやかる人々の間で自然発生的に生まれた民間信仰から派生したものなのでしょう。
現代ではもうその風習はありませんが、跡継ぎに恵まれる事が現代よりもずっと切実だった時代の、日本各地の山里における合同お見合いのような、婚姻制度の原初的形態とする見方もあるようです。

静謐なお社でしたが、背後の山の向うにはクライミングスポットがあるそうで、その様な出で立ちの人やトレッキングの人等のお参りが絶えない様子でした。
9月1日には八朔祭が行われるそうです。

今年はしめやかに。

6月8

bon 「暗闇の奇祭」と呼ばれる宇治縣祭
縣神社 のみならず、周辺の住宅地までも消灯して神様が通るのを迎えるお祭です。
クライマックスが真夜中という事もあり、神社から近くJRと京阪の「宇治」駅の間に位置する宇治第一ホテルに泊りがけでお参りさせて頂きました。

今年は3年ぶりに梵天が境内を渡御しました。
担がれた大きな球状の幣帛(へいほく)の塊の中をよく見ると、「カミサン」と呼ばれる男性が一人、埋まるように乗っていて、激しく上下左右に揺さぶられる中でも片手を真っ直ぐに伸ばして耐えています。
今年は境内の中だけでの渡御だったので、この「天振り」も従来よりは随分と大人しいものだったのかもしれません。
それでも、17時の「夕御饌の儀」や19時の「護摩焚法修」など、神事の刻となる度にどことなく人々が集まり、次第に強まる雨の中でも見守るなか、若衆たちの表情もまたどこか誇らしげだったのでした。
雨風混じる夜でしたが、やはり消灯して暗闇で神移しが行われる瞬間、一陣の風が巻き起こって木々の葉をざわざわと揺らし、そのあと静まる瞬間があるのは嬉しいものです。

例年の祭の様子は、縣神社をモデルとした小説『蒼天』に描写されています。
近畿各地から集結した数百軒余りもの露店や屋台が立ち並び、浴衣姿の子供達など老若男女で賑わっていたという地元色の風情も味わうため、また訪れてみたいものです。

梵天から外され、お下がりとして頂いた白い紙垂を手に、僅かな街灯のみに照らされた暗闇の縣通りを後にしました。 →動画はこちら

京都の「里」・大原

6月1

picnic
京都バス停留所「大原」のあるバスロータリーすぐの階段をとんとんと降りたところに、畑の中で食べるカフェスタンド「Picnic OHARA」があります。

可愛らしいキッチンカーで注文した品を受け取って、土の上を歩きながら畑のあちこちにある小屋やテーブルセットなど好きな席に腰掛けます。

もちろんこの畑で収穫した食材も使用されており、川のせせらぎを聞きながら、採れた場所で「いただきまーす」。
その日のメニューは、自家製の柚子ジャムを隠し味にしたちょっとスパイシーな「畑のカレー」やブレンドコーヒー、「ゆずジンジャー」「ぶどうジュース」など。
「畑のたい焼き」は、もちもちの米粉生地によもぎを練り込んだりクリームチーズや紫芋、バターを挟んだりと、ホットサンドに近い印象でした。
「おやさいジュレ」は昆布だしが効いていて、生のサラダを食べるよりずっと美味しい。

少しだけひんやりとした空気と土からの心地よい湿気、思ったより豪快な音を立てる小川や、様々な形の薪がきれいに積み上げられている様でさえ、我々にとっては新鮮な光景でした。

そこからぶらぶらと歩いていると、緑蒸す小川に面したテラスが設けられたり、道具完備・アドバイザー付のシェアファームに併設されたカフェなど、
京都市中心部から1時間足らず、バス一本で来れる「京の里山」・ 大原にはあちこちにぽつぽつと、周辺の豊かな環境を生かしたお洒落なお店ができていました。

刹那

5月25

tofuku
「颯々(さつさつ)」ということばが好きです。
風が音を立てて吹くさまを表し、夏めく季節に使われます。
リズミカルな音感が心地よく、もともと「松風颯々声」という禅語で、人柄などがさっぱりしたさわやかな印象を与えるさまとも解釈されます。

紅葉の季節は混雑や行列に気後れして近づけなかった東福寺
「紅葉の名所こそ、新緑の季節に訪れるべしだよね」と、ふと思い立って隙間時間に弾丸で行ってみました。

「平日のランチタイムなら空いているかも」の予測通り、境内を散策する人々の姿はちらほら。
鳥が囀るなか、他の人との距離間も十二分にあったので、マスクを下げて顔に風を当てながら歩きました。

そして通天橋の真ん中に立ったとき、数分ほど無人になったひと時がありました。
「チャンスだ」と動画を撮ろうとカメラを構えたものの、その静けさを味わう事の方が今は大切な気がして、カメラの電源を切ってしばし目を閉じました。
思った以上に風が力強い。橋の上を縦横無尽に、まるで双竜が行き交うように凄い速さで駆け抜けていきます。

瑞々しい新緑の緑を目当てにしていたつもりでしたが、むしろその木々の間を通り抜ける風を顔面に受けたいと欲していたのだと気づきました。
美しい色彩なら、巷に流れるSNSの画像越しでも味わえるけれど、土や小川、樹木からの香りや湿気をはらんだ風を感じるのは、実際に足を運ばなければ得られないものだからです。

臥雲橋、偃月橋と東福寺3名橋を巡り、再び通天橋へ戻ってみましたが、その時には花嫁さんの撮影が始まっていたのでした。

京都のナイトライフは…

5月18

samgha 「久々に京都のナイトライフを楽しんでみようかな」と思い立ったものの、
今の時分に夜間拝観をやってるところは思いつかず、日曜の晩にクラブという気分でもなし(歳でもなし)。
ふと思い出したのが「salon&bar SAMGHA」(旧店名「京都坊主BAR」)でした。

行ってみたいと思いつつ、なんともう開店から10年とのこと。
奇しくも現店名に変えてから1周年の満月の日のコンサートがあるというので、速攻で決めました。

本能寺の変跡碑にほど近い場所に建つお店の中へ、半ばミーハー心で入ったところ、
想像以上に落ち着いた空間で、お客の年齢層も高めでした。
アペリティフ(食前酒)やハーブティーを頂きながら、相席の方々と談笑。

小鳥の囀りのようなリコーダー、音色で一瞬にして中世へと誘ってくれるリュート、床からも伝わる重厚な音が心地良いヴィオラ・ダ・ガンバ、繊細で華やかな電子ハープシコード(チェンバロ)のアンサンブルが、
バロックから仏教讃歌まで、主に花をテーマとした短い曲がたくさん奏でられました。

合間に、浄土真宗本願寺派の住職であるマスターの法話があるのがこのバーならでは。
仏教に限らず神道の由来にも触れるところから始まり、
「”罰が当たる”とは不幸な出来事が起こる事だけではなく、”方向転換”を教えてくれているのではないか」とのお話でした。
瞑想では、優しいことばが降って来るような静かなひとときを共有し、後半の演奏はなんだか夢心地のまま聴いていました。

こころに何かもやもやを抱えているようなとき、お坊さんとお話してみたいと思ったとき、
お寺の門戸を叩くのは気が引けますが、こんなバーなら仏教の観点からの気づきがもらえるかもしれませんね。

薄暗さの心地よさ

5月11

ma 東寺から南へ少し下がったところに、「日本茶空間 間」があります。

まるで旅館のようなエントランス(誰もいませんが)を通り中へ入ると、アンティークショップの様な茶器とオリジナルの食器、統一化されたパッケージのお茶や毛筆で書いたひらがなを模したピアスなど、お茶にまつわる商品が並んでいます。

カウンターやテーブル席のある部屋に入って暫くしてようやくお店のスタッフが現れ、試してみたかった「お茶をかけて食べるお茶漬け菓子 茶妙」をお願いしました。
3種のお品書きから選んだのは、「いと達」製の薯蕷饅頭に、温かい玉露を注いで頂くもの。
オリジナルな和菓子と玉露という高級茶との組み合わせなので、なかなかのお値段です。
「映えそうではあるけど、本当に美味しいの?」と少し懐疑的に口に運びましたが…「これは”あり”かも」と思いました。

温かいお茶が、中が透けるほどに薄い薯蕷饅頭の表面をやわらかく撫で、ふやけた皮の中の餡をお茶に浸します。
旨みの強い玉露はまるでおだしのようで、糖度20%のあんことよく合いました。

他にも抹茶をかけるもの、葛まんじゅうに釜炒り茶をかける季節限定のものもありました。

もとは炭問屋だったという、町家や蔵のような古い建築で、陽の光が入るところだけ眩しく輝いています。
壁もお皿も真っ白で眩しいお洒落なカフェが苦手な自分にとっては、
高い天井から薄暗い空間を身体が沈んでいくように、心が落ち着いてニュートラルな状態になっていくのを感じました。

日本茶の香りをベースとした「パーソナル調香」が毎週金曜日にあるそうなので、また足を運んでみたいと思います。

進化する鯉のぼり

5月4

koi
雨が降ったり止んだり、その度に我が家の鯉のぼりを出したり中に入れたりを繰り返しています。
家の狭さに対して少々大きめの鯉のぼりだったかな、と買った当初は思いましたが、子供達が毎年嬉しそうにはしゃぐ様子を見ていると、これで良かったのだと実感しています。

中国の「登竜門」、日本には「鯉の滝登り」の伝説があるように、滝を遡上して龍と化す生命力の強い鯉は、立身出世を表しているといいます。
将軍家に男児が生まれると旗指物や幟を立て、虫干しを兼ねて鎧や兜を飾って祝うのが武家の風習でした。
それに対して、江戸の裕福な商家でも武具の模造品等を飾るようになり、立身出世の象徴である鯉を幟に揚げられるようになり、町人へと広まっていったそうです。

鯉のぼりは和紙に描かれた黒一色の真鯉から布製へ、やがて雨や汚れに強い合成繊維製が登場し、明治時代頃から緋鯉、昭和時代以降は多彩な子鯉まで加わりファミリー化、飾る場所から形状も多彩化しています。

働き方やファッション等で男女の性差が交差し、家族の形も多様化する現代。
鯉のぼりもよりレインボー化していくのでしょうか。

2022年5月04日 | 歴史 | No Comments »

人形はお守り

4月26

musha
我が家に五月人形がやってきたので、お雛様と交代で飾っています。
やんちゃな盛りの怪獣たちの手の届かない玄関に飾れるケース入り。
鯉のぼりは、今後のお空と相談して挙げる予定です。

お雛様と同様に、武者人形や兜には、その子の身代わりとして災厄を引き受けたり、護ったりする役目があるので、子供が幾つになっても飾って良いものなのだそうです。
数年前に、不注意による事故で子供を救急搬送したことがあり、その際に家に飾ってあった小さな京陶人形の童大将の人形を「人形(ひとがた)」のつもりで、思わず手に持って同行しました。
そんな経緯で人形の顔や身体には擦れた跡が付いてしまいましたが、今も元気におもちゃで遊んでいる我が子のそばで、毎年その小さな大将を手に、気持ちを新たにしています。

今年のまだお雛様を飾っている期間中、妬きもちなのか、息子が「ぼくのお人形も出して」とせがんだので、「もう少ししたら飾ってあげるから、今だけね。」と箱から出して持たせてあげました。
ふっくらとした小さな両手にそっと載せて、嬉しそうな顔。子供にも何か伝わるものがあるのかもしれません。

武者飾りは飲食店でも飾られていることが多く、5月から本格シーズンを迎える川床のあるお店で見かけることもしばしば。
破魔弓や刀飾り等一般家庭ではなかなかできないような、立派なお飾りを垣間見る事ができそうですね。

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