e-kyoto「一言コラム」

ガイドブックには載っていない、スキマ情報をご紹介していきます。

歩きながら考えていこう

1月16

ourin 昭和27(1952)年から始まり昭和50(1975)年まで行われていたという“東山十福神巡り”。
令和に「京都東山福めぐり」(1月7日で終了)として復活し、その訪れたなかで最も印象的だった場所の一つが、普段は非公開の岡林院(こうりんいん)でした。

創建は1608年で、現存する高台寺の塔頭として最も古いお寺です。

初めて中に入らせていただくと、茶室を備えた苔の美しい露地庭が広がっています。
茶室「忘知席(ぼうちせき)」は裏千家又隠席の写しなのだとか。
ここが観光地のど真ん中とは思えない静けさ、まさに「市中の山居」。

庭を望む丸窓の奥には、鏡餅が供えられた延命地蔵願王菩薩が私達を見つめています。
明治~大正期の画僧で建仁寺にも作品を残すという田村月樵の天井画の龍は、漆の床板にまるで鏡のように見事に映り込んでいました。

傍らに置いてあった色紙について尋ねてみると、書いてあるのは「雲従龍」とのこと。
「雲は竜に従い風は虎に従う」という言葉があり、「立派なリーダーの周りには、そのリーダーシップや魅力に惹かれて、同じように優れた臣下や部下が集まる」こと、また「相似た性質を持った者同士が互いに求め合う」とされています。

「そういう言葉がありますが、頭であれこれ思い巡らせるよりも、まず一歩踏み出して、歩きながら考え進めば、自ずと仲間もできて道ができていく」のではないかとの若いご住職さんのお話でした。
自分にとっては、こちらの解釈がより近くで背中を押してくれるように感じます。

通常は入ることのできない岡林院ですが、X(旧Twitter)Instagramの公式アカウントからも日々の境内の様子を発信しておられます。
今、そこにいる場所から訪れてみてはいかがでしょうか。

60年ぶり『京都東山福めぐり』

1月9

fuku 年が明けて初めての連休は、京都マニアの友人に誘われ『京都東山福めぐり』をしてみることに。
2024年に北政所ねねの没後400年を迎え、昨年60年ぶりに復興した催しで、通常非公開のお寺やお像が3日間に限り公開されるそのこと。それが私たちのお目当てというわけです。

東山エリアの指定された各寺社を巡りながら、様々な御利益を祈願するお守り札を受け、専用の台紙のポケットに収めていきます。

高台寺周辺なら何度も歩いてるから午後からでも廻れるだろうと高を括っていたら、道を間違えてしまったり、お参りだけして札をもらい忘れたり、休憩所で無料接待を受けたり意外に時間を要しました。
最終日というのに閉門間際になってしまい、駆け足で手を合わせながらいつしか「今日中に全てを回ることができますように」という願掛けまでしてしまっていました。

最後に最も場所が離れている瀧尾神社を残し、閉門時間を過ぎて半ば諦めているもののダメもとで電話をかけてみると、
「一日で回らはるのは無理ですわ。うちはまだやってますよ。」との奇跡の回答が!
思わず電話口で「やった!」と発してタクシーに飛び乗り、20分後に現地に到着。

拝殿天井の全長8mの木彫りの龍が初公開された瀧尾神社は、辰年のためか、まだまだたくさんの人が参拝に訪れていたのでした。

「これで満願達成ですね」と最後の守り札を受け 、居合わせた見ず知らずの参拝客からも「おめでとうございます」と声を掛けていただきました。
無謀かつ強行突破で半日で全てを巡りましたが、できれば朝から一日もしくは2日かけてお参りされるのがいいのでしょうね。

京都東山福めぐり』のそれぞれの詳しい感想はまた後日。
ちなみに、瀧尾神社の「木彫り龍」の特別拝観は1月末まで期間延長されたそうです。

身体で音を聴く、没入型展覧会

12月20

am アンビエント・ミュージック(環境音楽)をテーマにした視聴覚芸術展「AMBIENT KYOTO 2023」。
好評につき、大晦日まで会期が延長されています。
音楽ジャンルとしての「アンビエント」とは、「聴くことを強制しない、環境に溶け込んだような音楽」とされ、
自分の中では「ヒーリング音楽よりもアートっぽくてかっこいい」印象でした。

初めて足を踏み入れた京都中央信用金庫旧厚生センター
アンビエントの創始者で英国出身のアーティスト、ブライアン・イーノが昨年に展覧会をした築90年のモダン建築です。
携帯カメラのシャッター音が作品の邪魔をしないよう、事前にアプリをダウンロードしてから鑑賞するのも初めて。
小劇場のようなステージに立ち、20台ものスピーカーから大音量と鮮やかなライトを浴びたり、音楽に合わせて草木が茂るさまに見入ったり、前を歩く人との距離感が分からなくなるほどの霧に包まれたり、音の動きを映像化したような作品から目が離せなくなったり。
「身体で音を聴く」感覚は久しぶりのことでした。

印刷工場跡だった京都新聞ビルの地下では、3月に亡くなった坂本龍一氏と高谷史郎氏のコラボインスタレーション作品が幅26メートルもの長細いLEDパネルに映し出され、来場者は同じ方を向いて「耳を傾ける」というより、その映像と音楽に「入り込んでいる」ようでした。

この秋には東本願寺の能舞台や国立京都国際会館メインホールでライブも行われたといい、京都の寺社だけではない環境の可能性を体感する没入型イベントと言えます。
会場入りした時から気になっていた香りがフレグランスとしてギャラリーショップに展開されていたので、お土産に購入しました。→公式動画はこちら

紅葉の絨毯を求めて

12月13

daikoku 紅葉狩りの熱気が落ち着いたころ、お目当てに向かうのは敷き紅葉です。
銀杏の木が並ぶ北山通りは黄色く縁取られ、蝶のような葉が北風に煽られて、コンクリートの上をカサカサと舞い踊ります。
「枯れた風情」とはよく言ったもので、この季節だからこそ出逢える優しい彩りの景色ですね。
一筋北の通りに入ると、お盆の「妙法」の送り火の字が残る山肌が迫り、麓には趣のある民家が点在しています。
「代々、妙法を守ってきたお家だろうか」と振り返りながら山の手へ。

どうやら妙円寺、通称「松ヶ崎大黒天」の境内へ東側から入ったようです。
一瞬奥に赤い地面が見えましたが、まずは本殿にご挨拶。
妙円寺は「都七福神めぐり」のお参り先の一つ。
お正月で賑わう前に一足早く色紙を求めている人もいました。

そこで、昨年に受けた打ち出の小槌のお守りを新調しました。
「どうしたことか、度々蓋が開いて中の大黒さんが逃げはるんです。どっか行って空っぽになっちゃって」と事務所の方に話すと、
笑いながら「身代わりになって下さる事もあるので…」と手渡してくださいました。

境内の奥に目をやると、門前に色とりどりの紅葉が地面に落ちて、一面を染めた赤い絨毯のようになっていました。
もう12月の2週目だったので見頃は過ぎた感がありましたが、タイミング次第では額縁に収まった錦模様が更に鮮やかだったことだろうと思います。それでいて拝観者の出入りも適度で静か。

ふかふかの紅葉を踏む「ふしゅ、ふしゅ」という音を足で感じながら山を降り、再び北山通りへ。
この付近は、夜になるとクリスマスムードになりますよ。

島原・夕霧太夫の扇屋はどこ?

11月8

tayu 毎年11月の第2日曜日は「夕霧供養」が行われます。
寛永の三名妓の一人、京都・島原の「夕霧太夫」は清凉寺の付近に生まれ、その跡地には石碑が建てられています。
夕霧太夫は島原の「扇屋」に所属し、扇屋が大坂新町に移る際に伴いました。

大阪の大坂新町には、往時の大門跡や扇屋の跡地に石碑があり、また浄国寺には墓碑も建てられています。
しかしながら、京都の島原に扇屋の形跡はどこにもありません。

遊里に詳しい知人たちや、そのつてを辿ってみました。
すると、「自信あまりありませんが…」と古地図の画像を見せて下さいました。
江戸前期に成立した、遊里についての百科事典とも言える書『色道大鏡(しきどうおおかがみ)』のもの。
揚屋町の古地図で、「隅屋」の2軒南隣に「扇屋」の文字が確認できました。
もしかすると島原の扇屋は、拡張した現在の角屋の一部、もしくはそのすぐ南にあったのかもしれません。

専門知識は持ち合わせていないので想像の域を出ませんが、思わず久々に「角屋もてなしの文化美術館」の2階を予約して、角屋の周りも散策してきました。
件の古地図の箇所や角屋付近は民家等なのでここに掲載するのは控えますが、周辺には島原大門輪違屋(※通常非公開)を始め、歌舞練場跡記念碑きんせ旅館(※夜間営業。要事前確認)、島原住吉大社ご神木の大銀杏などが住宅地の中に点在しています。
ほとんど石碑のみですが新選組ともゆかりのある地域です。想像を膨らませながら、歩いてみてはいかがでしょうか。
(※画像は過去の太夫道中のものです)

平安騎馬隊に会いに行く

10月24

kasagi 時代祭を控えた数日前、時代行列を先導する平安騎馬隊の拠点がある厩舎に行ってみました。
地下鉄国際会館駅、または叡電宝ヶ池駅から徒歩10分強、宝ヶ池公園憩いの森の静かな一角にあります。

残念ながら、休憩中で馬場を歩く姿は見られず、また出張のため5頭揃っては見られませんでしたが、大きく、手入れの行き届いた毛並みの馬達には会えました。
ふと「笠置号」だけが首を出してくれましたが、しばし見つめ合ったあと、「なんだ」とでも言わんばかりに背を向けられてしまうのもまたご愛嬌。
団体でなければ見学に予約は不要ですが、馬場に出る時間は特に決まっておらず、馬たちの様子を見ながら、とのことです。

今年22歳で引退した栗毛の愛宕号(プリティスキャン)の部屋はすっかり空になっていたのは少し物寂しい気分でした。
勤続13年間のうち、葵祭を8回、時代祭で6回行列を警備してきた実績を持ち、引退後は滋賀県の牧場に引き取られるのだとか。
かろうじて「愛宕」という名札だけが残されていました。

2023年10月24日 | イベント, 神社 | No Comments »

三栖の炬火祭

10月12

misu 3連休の中日、伏見稲荷大社の「千本鳥居灯籠」を見届けたのち、中書島へ。
毎年10月の第2日曜日に斎行される三栖(みす)神社の「三栖の祭り」。
その神幸祭の行事のひとつとして行われるのが「炬火祭」(たいまつまつり)です。
駅から徒歩6分のところにある三栖会館のところには、長さ約4mはある巨大なブロッコリーのような大炬火が立てられ、例年の和太鼓に代わり、今年は祇園祭の鷹山保存会がお囃子を奏でていました。

地元の人々が見守る中、三栖神社の御旅所・金井戸神社から剣鉾や高張り提灯、炬火、神輿で構成された神幸列がやって来ます。
祇園囃子の調子が上がり、浜三栖若中(わかちゅう)の法被を着た氏子達が大勢で約1トンもの重さの大炬火をゆっくりと降ろし、大松明に火が灯され、「あ~、よいよいよ、」との掛け声と共に竹田街道を北上していきました。

直径約1.2mもある大松明はまるで「歩く火事」。
しかしながら、その激しく燃え盛る輝きは人を惹きつける神々しさがあり、氏子でなくとも吸い込まれるように後を追いたくなります。
濠川にかかる京橋上で沈火された後は、燃え尽きてばらけた葭を厄除けとして拾い、銘々の家へと帰って行きました。

三栖の炬火祭は、少なくとも元禄13年(1700)には行なわれていたそうで、京都市登録無形民俗文化財に指定されています。
外国人観光客の姿も殆ど見られない、まだまだ地域色の強いお祭。
もっといい絵が撮れるように、来年も行きたいと思いました。
動画は後程アップしますね。

茶道と煎茶道が出逢ったら

9月20

ku 四条富小路を下がったところに、こんな茶室があるとは思いもよりませんでした。
徳正寺というお寺の中にある空中茶室「矩庵(くあん)」です。
建築家・藤森照信氏が設計、監修し、実際に作ったのは先代のご住職というから更に驚きです。
木の上の巣箱のような草庵は、建築雑誌等で度々拝見していましたが、まさか繁華街からすぐの立地だとは。

この徳正寺の本堂で、「く」をテーマに茶道と煎茶道が出逢う企画がありました。
本来、内へ内へと沈むように静かな時間を共有するのが茶道の茶席。
サラリーマンとの2足の草鞋から晴れて茶人となった中山福太郎さんが、静かな口調でお客を笑わせながら、片口に点てた薄茶を湯呑みに分けて煎茶風に出し、みんなで共有しました。

煎茶道は、中国文化に憧れ大陸的で開放的な印象があります。
佃梓央さんが「茶器を一つ一つ丁寧に包むのは、日本人ならではですね」と、日本と中国・台湾の文化の喫茶の違い語り、お茶や食事や音楽を部屋をあまり変えずにほぼ一つの空間で完結させるのが日本の文化だと教えてもらいました。

お茶を習っていない友人もとても楽しんでくれたのは、主客のお人柄もあると感じます。
ここでは魅力を十分に書ききれていませんが、徳正寺は通常非公開の寺院ですが、時折催しもされているそうなので、
興味のある方は公式サイトをご確認くださいね。

重陽の節会

9月12

kiku 縁起の良い「9」の数字が重なる9月9日は、「重陽の節会」を観るため、嵐山の虚空蔵法輪寺へ。
うっかり電車を乗り過ごしてしまい、慌てて法輪寺への近道を駆け登りました。
(近道の入り口は渡月橋の南詰めに看板があります。表参道とは違って、狭くて急な階段が続きますので足腰の悪い方はご注意くださいね)
着いたのは奉納行事の能のクライマックス部分、まさに菊慈童が登場するところでした。
残念ながら、茱萸袋(しゅゆふくろ)の授与は終了してしまっていましたが、小さな菊花が一輪浮いたお酒を頂きました。

別名「菊の節句」とも呼ばれるこの日は、菊の花に綿をかぶせた「菊の被綿(きせわた)」が風物詩として、和菓子の意匠でもお馴染みです。
生成り色のふわふわの綿だと思い込んでいましたが、こちらの菊慈童像に供えてあったのは平たく煎餅状で、赤、青、紫などとってもカラフル!それぞれの色に魔除けの意味があるのでしょうか。

奉納された能の演目「菊慈童」は、ここでは金剛流だったので「枕慈童(まくらじどう)」とも呼ばれているそうです。
人跡未踏の山中に流され、八百余年も生き永らえたという童子は、果たして幸せだったのでしょうか。
そんな疑問とは裏腹に、少年の姿のまま不老長寿の仙人となった菊慈童の像は、涼やかなお顔立ちでした。

伊根町、再び。

9月4

tinzao 昨夏以来、再び丹後の伊根町を訪れたのは、奇しくも「伊根花火」の日でした。

交通規制が始まる16時までには入らないと、会場近くの駐車スペースが埋まって入れなくなってしまう恐れがあるので注意が必要です。

舟屋を改装した「台湾茶葉専門店 靑竈(チンザオ)」の空きができるまでの間、近くの屋台で焼きそばやクレープを食べて待ちました。
屋台の店主の明るい声がよく通ると思ったら、向かいの海蔵寺のご住職さんでした。
日頃は宿坊をされていますが、この日は地域貢献のためにお店番。

伊根湾を望む靑竈にて対岸の屋台村の喧騒を遠くに聴きながら、冷えた台湾茶でクールダウン。
いわば「舟のガレージ」だった場所なので冷房こそありませんが、それぞれのお客がリラックスしてすっかり長居してしまうのがよく分かります。

祭り会場に見えるクレーンは、日が暮れるとスクリーンを引き上げて映画を上映するそうです!
町のあちこちの舟屋や母屋の網戸からは、家族親族が集まって団らんしている様子が垣間見えました。

今回は離れた宿泊先の夕食の都合で夕方で泣く泣く伊根町を後にしましたが、
次にここに来る時には、伊根花火に合わせて(今年は5月1日に日程は発表されました)舟屋の宿を早めに押さえておいて、本庄浜海水浴場と共に楽しみたいと思います。

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