上賀茂社家「梅辻家」
9月25
食卓に上賀茂のすぐき漬が上がったのを見て思い出しました。
「京の夏の旅・文化財特別拝観」は今月末で終了します。
という事で、上賀茂に残る唯一の「賀茂七家」の遺構「梅辻家」を訪れてみました。
明治時代の付近の古地図パネルを見ると、驚く程たくさんの社家が密集しており、葵祭の頃はさぞかし賑やかだった事でしょう。
陶芸家・北大路魯山人も社家に生まれ、その生家が地図にも書き込まれています。
それ以前の神仏習合の時代には、上賀茂神社の傍に神宮寺も存在していたそうです。
当家では、朝廷の仕事も兼任していた事や、徳川家康が賀茂社を厚く信仰していた経緯で、朝廷と徳川家との交流を伝えるものがたくさんありました。
ユニークなのが『関東御城之図』。葵使いとして葵の葉を徳川家の居城へ献上する際、道順を間違えないように矢印と共に記した城内の間取り図です。
こっそり書き控えるのはなかなか難しかったと思いますが意外に詳細で、「他の人には見せるな」と注意書きしてありました。
梅辻家公開最終日の上賀茂神社では、「賀茂観月祭」も行われます。